ザ・コミュニスト

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リベラリストとの対話―「自由な共産主義」をめぐって―(20)

2015-05-10 | 〆リベラリストとの対話

18:非武装平和革命について①

リベラリスト:「自由な共産主義」の政策的な各論についても、いろいろと議論したい点はありますが、それ以前の問題として、あなたが提示される「平和革命」という体制移行の方法について、議論したいと思います。もっとも、「平和」という語は不戦平和主義と紛らわしいので、「非暴力」という語のほうが議論するうえではわかりやすいでしょう。

コミュニスト:予想どおりの展開です。つまり、いったい「非暴力(平和)革命」というような形容矛盾が可能なのかどうかという問いでしょう。ちなみに、私は「非暴力」ではなく、革命の手段に着目して「非武装」という用語を使います。

リベラリスト:読まれていましたか。そのとおりです。あなたは、投票ボイコットによる在宅革命というユニークな提案をされていますね。それが「非武装革命」ということなのでしょう。武器を取って蜂起する革命のイメージを覆すという点では有意義だと思うのですが、いささか漫画的―すみません―に思えてくるのです。

コミュニスト:荒唐無稽とはっきりおっしゃっていただいても、別に傷つきませんよ。たしかに、技術的に投票ボイコットという革命の方法は困難ですし、武装蜂起に比べて恰好悪いかもしれませんね。しかし、よく考えてみれば、恰好良い武装蜂起による革命のほうがもっとあり得そうにないのではないでしょうか。

リベラリスト:私の祖国の米国では、そうでもないのですよ。さすがに憲法には書いてありませんが、独立宣言には、革命の権利が記されています。米国民はいざとなったら暴虐な政府を革命で倒す権利を留保しています。ですが、それはまさに暴虐な独裁者が立ち現われた場合のことでして、憲法はそういうことが起きないように、三権分立を徹底しているわけですが。

コミュニスト:立憲政治が正常に機能している限りは、投票箱を通じて政権を取り替えることしかできないのですよね。ですから、発想を変えて、投票しない権利を行使することが革命になるのです。

リベラリスト:そこがよくわからないのです。立憲政治が正常に機能している場合は、おっしゃるように投票箱を通じて政権を取り替えることが「プチ革命」となるはずであって、なぜあえて投票をボイコットする必要があるのでしょう。

コミュニスト:私も旧『共産論』で示した三つの革命の方法の中に「投票箱を通じた革命」を含めておきましたが、それについては、「基本的に大統領直接選挙制を採用する典型的な共和制国家―しかも有権者が若く、その投票行動が比較的柔軟な新興国―で一定の可能性を持つ革命の方法であると言えようが、民衆会議が目指す革命の方法として積極に推奨されるべきものとは言えない。」と指摘しましたが、現在では革命の方法からは削除しています。

リベラリスト:なるほど、日本や欧州でよく見られる議院内閣制下の選挙では、「投票箱を通じた革命」が困難なことはわかります。それで、あえてボイコットという逆を突くような戦略を取るわけですね。でも、やはり私は疑問で、非武装革命云々というなら、技術的な困難はあっても「投票箱を通じた革命」こそが正道であると信じます。

コミュニスト:リベラリストさんは選挙政治の確信的支持者なのでしょうね。それも理解できますが、選挙とは基本的に反革命的なものです。革命的な激変を抑止するために、選挙という面倒な手続を踏むのです。ですから、共産党も選挙政治に没入していると急進性を失い、党是であるはずの共産主義社会の実現は名ばかりの理念と化してしまうのです。

リベラリスト:共産党も遠慮せず、共産主義社会の実現を有権者に堂々と訴えたらよいのです。その結果、共産党が最多得票すれば、政権獲得できるのではないですか。

コミュニスト:共産党の得票が伸張する前に、他政党の反共宣伝と集票マシンがフル稼働して、共産党の政権獲得を全力で阻止するでしょうから、実際にそんなことは起きないでしょう。本当に共産党が政権を獲得できるとしたら、それは共産主義の看板を下ろした時、つまり、イタリアのように共産党が反共政党に転向した時です。

リベラリスト:そういうこともあって、コミュニストさんは共産党によらない共産主義革命、すなわち民衆会議という独特の政治組織による革命を主張されるのですよね。これについては、改めて次回議論することにしましょう。

※本記事は、架空の対談によって構成されています。

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