kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

ガウディとサグラダファミリア展 ⑪「聖堂模型の変遷 窓と採光」

2024年02月02日 | ガウディとサグラダ・ファミリア展
1月31日投稿「⑩クリプタ」の記事に、下記を追加しました。

●追記 クリプタ(地下礼拝堂)
 キリスト磔刑像(たっけいぞう) 卓上十字架・燭台

未完の聖堂と知られますが、クリプタでの礼拝が可能で既に聖堂として機能していたからこそ、未完であることが許されたといえます。そのため礼拝用聖具が必要に応じて順次制作されました。錬鉄細工の卓上十字架「キリスト磔刑像(たっけいぞう)」や燭台などの聖具はガウディの手によるものである。

卓上十字架は十字架本体と2台の燭台の脚部からなる。この燭台のねじれ(ラセン)は最初錬鉄細工で、後に円柱で採用されたガウディの常套手段。銅・鋳鉄製のキリスト磔刑像はカサ・バッリョの祭壇用にガウディの指示で彫刻家カルロス・マニに作らせたもので、クリプタの主祭壇用にも利用された。

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聖堂模型の変遷


ガウディにとって石膏模型は建築創作に不可欠な道具でした。
カサ・バトリョやカサ・ミラの造形などは模型なくしては考えられない。ほぼ同年配の彫刻家リュレンス・マタマラ(1856ー1927)は1889年以来聖堂の模型室長として聖堂模型を担当した。


聖堂模型に関しては、1904年の最古資料によると「降誕の正面」の建設に並行してその模型が作られていた。 翌年の詩人マラガイの檄(げき)で聖堂の全体模型が着手され、1910年のパリでのガウディ展に際し「降誕の正面」の着色模型が制作された。

その後、1912年に全体模型外観と大屋根、1915年に全体模型外観と内観、1918年に身廊部模型、そして1922年最終案としての身廊部模型が公表された。


サグラダファミリア聖堂全体模型図

本身廊部模型(縮尺1/25)が制作された2001年-02年、建設工事は主身廊天井に達していた。したがって、建設された身廊部とほぼ同一と考えてよい。

身廊幅45m(身廊幅15m、各側廊幅7.5m)、同じ45mが主身廊天井高、側廊の天井高は30m、大屋根頂部までの高さは67.5m(45m×1.5倍)。

主身廊の二十ラセンの円柱は内転びし、左右の対柱を屋根まで延長して不動の三角形を形成させる。すべての円柱は枝分かれし、小分割された葉群のヴォールト天井を支え、全体で静寂な森をイメージさせる。

●コラム ガウディの制作方法
ガウディは膨大な石膏模型を製作し、空間やディテールのスタディを重ねていた。彫刻家ジュアン・マタマラによれば、1/200、1/100、1/50。1/25、1/10などのスケールを横断し、聖堂の全体から各部分の詳細模型が制作された。

多くは石膏で制作され、大きいものは数メートルの高さを要した。そのためガウディは「降誕の正面」地階や現場事務所兼アトリエの増築部を模型室にあてた。

後者の屋根を開閉式とすることで自然光を室内に導き込み、実際の空間に射し込まれる光と陰をスタディできるように工夫していた。ガウディにとって光がいかに重要な要素であったかを窺(うかが)い知る事ができる。



窓と採光  サグラダファミリア聖堂

左:㊧側廊東側ステンドグラス
  ㊨側廊西側ステンドグラス

右:主身廊高窓模型と側廊高窓オリジナル模型
  主身廊と側廊の高窓の起源は歴史上のゴシックにあり
  これを最新幾何学の線識面に置換して最終案にしている。


高窓模型と側廊屋根の採光

左上:側廊高窓外観頂部オリジナル模型
   スケール1:10 1918-1922
左下:側廊高窓模型
   スケール1:25 1883-1912年頃

右:側廊屋根の採光塔模型
  スケール1:10 制作年不詳(複製)
側廊屋根の採光塔は1917年公表の聖堂横断面図に出現し、同年公表の最終案大屋根模型にも見られる。この採光塔は側廊高窓から遠く最も暗くなる天井への採光を目的とした。また、主身廊天井が暗くなることにも配慮し、大屋根に5基の採光塔を配し、東西の翼廊大屋根にも1基ずつ設けている。

長くなりますが「サグラダファミリア聖堂」には行けなくても
行った気分で、図録を見てブログに残しています。(^^ゞ

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