kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

奈良・高取町は「高取藩2万5千石の城下町」と「町家のかかし巡り」

2021年11月02日 | 奈良・キトラ古墳壁画と高松塚古墳壁画
大阪の選挙区で、擁立候補が全勝した維新は衆院で第3党になりました。
大阪10区では立憲前職の辻元清美氏が、維新新顔の池下卓氏(46)に敗れ比例復活も果たせませんでした。

辻元氏は、落選から一夜明けた1日午前7時からJR高槻駅前に姿を見せ「心からお詫びを申し上げたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。」
そこへ現れたのが「維新の池下です。おかげ様で初当選させていただきました。」そんな朝だったそうです。


高取町は「高取藩2万5千石の城下町」

キトラ古墳を出て、近鉄壺阪山駅から京都駅へ帰ります。


壺阪山駅までの長閑な550mです。


「町家のかかし巡り」と書かれた、幟(のぼり)が見えます。


車も人も少ないですね。


右側に見えたのは・・・


可愛い「かかし」さん達でした。


テレビで見たことはありましたが
こうして見るのは初めてです。


高取町は、高取藩2万5千石の城下町として栄えた所でした。

土佐街道

街道に土佐の名が付く由来は、飛鳥時代の初期にまで遡ります。
大和朝廷の都造りに駆り出された土佐(高知)の人々が帰郷できず
この地に住み着いたことが起源とされています。


当時は500軒もの商家が軒を連ねたといわれ、タイルには9種の薬草が描かれ埋め込まれているそうですが、駅へ向かったので見ていません。


信号の先に「壺阪山駅」が見えています。


家の前に、かわいい女の子がいます。


ここは、消防署の人達かな。


壺阪山駅前に着きました。


高取町には「高取城址」があり、薬の町としても賑わったようです。

高取山を正面に望む細長い城下町は、現在の上土佐と下土佐を中心に発展しました。そして寛永7(1640)年に植村氏が藩主となって以後は、山城での生活は不便になり藩主や家臣の屋敷は街道筋に移されました。


改札口前では「町家のかかし巡りのマップ」を用意して
お迎えしていました。


この電車に乗って「橿原神宮前駅」へ行って


橿原神宮前駅で乗り換えて「京都駅」に向かいます。

10月19日(火)は古墳壁画と古墳を見て、いっぱい歩いてきました。
「緊急事態宣言」が解除され、行くことが出来て良かったです。
知識が豊富な友人と一緒だったので、何倍も楽しんできました。感謝
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