服部生まれの地域史研究家「古藤先生」が、清水地区の案内と説明をして下さいました。

この「清水戸手(用水)」の規模は東西9尺5寸、南北1丈8尺、面積4坪余りです。
地 図
「戸」とは「水流の出入り口」であり、戸出は地面よりも高く自噴する湧水で
溜め池ではなく、井戸に相当するが、通常用水芥川系とは別の次元で
地下水脈伏流水系は、涸れる事がなく水利機構が成立していたそうです。
服部村田地区は、自村に限らず他村の戸手用水の供給源であった事が
明細帳の「隣村郡家村からの毎年2升4合の越石米」で認められ
郡家村の用水に関わって、服部村田内に戸手が設けられていたことを示していました。
(高槻市史資料編より)