Cafe de Kerm ~毒味ブログ~

物言いにも、珈琲にも、もれなく毒が混入している可能性が無いこともないです。

イノセンスを見て揺らいだ”人間”であることの証明

2004-09-26 00:00:01 | Thinkings
 ここ最近はI,ROBOT関連で、いわゆる「ロボットの未来」について書いた原稿が続いた。今回はその延長線上にあると思ってもらってかまわない。

 今日の午後であるが、先日購入した押井守監督の「イノセンス」のDVDを視聴した。
 同監督の特徴である哲学的、比ゆ的言い回しを多用した台詞に、やや違和感を感じたが、言わんとするテーマは大体伝わったように思う。

 しかし、ここで語るべきは映画自体の感想ではない。そこから生まれるある種の疑問だ。
 「人間は、何を持って人間なのか」
そして、
 「生物と無生物の区別は何なのか」
である。

 劇中で、脳の一部を残し、全身を機械化したサイボーグが多数登場する。彼らは人間だ。
 劇中で、人間と区別がつかないようなロボットも多数存在する。彼らは人間ではない。

 どちらも自立行動をし、外見上はまったく区別できない。その区別は脳が残っているか否か、それだけだ。つまり、すでに脳は人形の自立システムのひとつのパーツとしてしか扱われていないのだ。そんな中で、人間と人形を区別する境界は、いったいどこにあるのだろうか。

 生物か、生物でないか?それまで私には揺らいできた。

 脳の一部しか有機物が残っていない人間が、もはや生物と言えるのか。
 逆に、自己完結した個体を持ち、自立行動をする機械は生物とは言えないのか。
 DNAと子孫を残せるかの問題?
 生命をDNAの有る無しのみで語るのは乱暴だ。それをいうなれば、ウイルスにはDNAがないものもいる。確かにウイルスが生物か、そうでないかは議論の分かれるところではあるが。
 子孫を残せるかについては、”人間がそういう機能を持たせるなら”達成できるだろう。逆に、その考えに従うと、先天的に子孫を残せない障害を負っているものについては「生物ではない」という倫理的にもおかしな考え方にさえ発展するだろう。

 イノセンスで描かれていた世界は、ずっと先の未来のことだろう。しかし、生命観や人間、機会に対する考え方は、今考えてもいいことだ。
 人間は有機物で出来たロボットなのか?それとも別の何かなのか。
 私は、非常に残念なことだが、前者だと考える。後者であることを証明するには、「ゴースト*」の存在が立証されるまで待たねばならないだろう。

*ここでいうゴーストとは幽霊のことではない。人間の有する”魂”のようなもののことである。前作のサブタイトルにも使われていた。

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2 コメント

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定義はむずかしいでしょうね (farsh)
2004-09-27 00:58:02
銃夢なんかだと、逆に、「体は生身で脳はチップ」なんて人間がでてきたりしますね。



あと、遺伝子を完全にコントロールして生まれた人間ってのは人間なんでしょうか?



ほかには、ある個人のある時点でのハードコピーをとった複製体というのは人間なのでしょうか?



法律なんかだと、結局は、そういうものが実際にできてから、そのときの世の中の人の気分で人権を認めるか認めないかが決まるんでしょうけども。



それと、魂って、Kermさんの言うとおり、たぶん無いんでしょうね・・・。

魂って、あれですよね?なんていうか、原始宗教の時代に、

「人間って、なんで考えたりできるんだろうね?」

「あ~、なんかあるんだろうね。」

「それじゃさ、それのこと、魂ってよばない?」

とかでできたか、

「なんかさぁ、仲間が動かなくなっちゃったよ」

「なんでだろう??」

「なんか無くなっちゃった?」

「じゃあ、それを魂とでも呼んどく?」

とかでできた、エーテルみたいなもんじゃないかと。

やっぱ、無いですよね・・・。魂・・・。

なんかいやだな・・・。自分を有機物機械だと感じてしまうのって・・・。



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いやですね (kermount)
2004-09-27 13:06:10
 自分が、そこらの機械と同じと考えるのは確かにいやですね。

 だからこそ、宗教にすがる人間もいるんでしょうけれど。



 自分には救われる道がある。死してなおも進むべき道がある。

それを保証してくれる宗教は、やはり魅力的なんでしょうね。

 もっとも、それが本当かどうかは確かめるすべはありませんが。

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