こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

仕事なんて、あるうちが華だよ

2012年05月15日 | 生き方について考える
永らくサラリーマン生活をしていると、通勤して、仕事して、という毎日があって、それに対してお給料をいただくということが当たり前のようになってしまう。
これは、とてもまずいことで、当たり前ではなく、働ける場所があること、働ける体があること、こういったことに対して、感謝の念を忘れてはいけない。

でもそれも、度を越すときつくなる。
年齢のせいもあるかもしれないが、今回のように、免疫能の下落を実感するほど仕事が立て込んでくると、「もう、これ以上はいや」となる。

先日、某研究班の分担研究者に加えてもらった。
その班会議に同じ施設の別の科の先生と一緒に出席したあと、その研究内容の高度さにため息をついていたら、その先生に、

仕事、大変だよね。

でも、芸者さんと一緒で、仕事なんて、あるうちが華だよ。

頑張ろう!

と、励まされた。

確かに、どこからもお座敷がかからなくなったら、寂しい思いをするに違いない。
芸者さんも、いつお座敷がかかっていいように、日々芸事の稽古をして自分を磨いている。
芸の無い芸者には、どこからもお声はかからない。

私たちの仕事とうか、研究活動も、同じようなものだ。
スポーツ選手も同じ。
学問と芸事、スポーツの違いはあるにはあるが、どれも鍛錬を怠らず続けるということは大変である。

体調管理をしっかりするのは前提だが、いただいた仕事をきちんきちんとこなしていく。
人にやってくれと頼まれるような仕事があるなんて、幸せなことである。


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体は心の鏡

2012年05月14日 | 日々思うこと、考えること
今月初めから続いていた体調不良、心の不調もずいぶん改善してきた。
まだ、完全に復調というわけではないが、“しんどい感じ”はしない。

デキモノができてしまったときにまず感じたが、じーっと、体の声、心の声を耳を澄ませて聞いていると、それぞれの声が聞こえてくるようになった。もちろん、癌や動脈硬化、肝硬変といったようなものは、それなりの検査をしなくてはいけないが、そういったものも体調と密接に関連していると最近思うようになってきた。

病気にはいくつかの原因がある。一つは先天的、すなわち生まれつきのもの。遺伝子の異常によるもので、残念ながら本人にはどうしようもない。もう一つは、大人になってかかる病気。こういった種類の病気のいくつかには免疫能がかかわっている。

以前、腸に腺腫ができたことがある。その時は、人間関係に悩んでいて、ある人に、
「そんなふうに、精神的にダメなときって、免疫力が落ちて、そういう病気になっちゃうのよね」
と言われた。免疫力の低下で腫瘍性疾患が生じるなどとはその頃思っていなかったので、その言葉はそれきり忘れていたが、どうやら最近、あながちそうでもないと実感するようになってきた。免疫については分からないことがいまだ多いが、人間の病気の1/3くらいは説明できるようになるのではないか。
そして、心の不調は免疫能にダイレクトに影響を及ぼす。心の調子が悪いと免疫能も自然と悪くなる。

結局のところ、心の不調は体の不調につながる。

心をいつも強く持っていれば、体が元気でいられる、というわけではないが、余計な体調不良をあらたに生み出す、ということはないように思う。

うーん。エヴィデンスもなくこういうことを言っているようだから、なかなか論文が出ないのかもしれない。


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裏山の手入れ

2012年05月13日 | ガーデニング・菜園・花・緑

"裏山"と言っても、広大なお隣さんの崖の下に拙宅はある。鎌倉時代からあるような巨木が何本もあり、それらの緑は目に優しいのだが、落ち葉の量が半端なくすごい。

 

 

年中葉が落ちてくるのだ。特に今の季節は常緑樹の葉の代わり時らしく、新緑と入れ替わって茶色くなった葉が落ちる。

その葉が、我が家の目の前の崖の斜面に大量に落ちてくるのだ。拙宅の裏庭など猫の額ほどの広さで掃いても3分ほどで終わるのだが、隣との境の柵の向こうにある裏の崖の斜面はすごいことになっている。ここに越してきてから、秋を3度越したが、地面は全く見えない。たまりかねて、お隣さんに、我が家に面しているところを手入れさせてほしいと頼んだ。

お隣からは、見えない場所ということもあってか快諾してくれた。

 

 

ということで、3週間ほどまえに、妻と二人で、枯れ枝を落とし、枯葉をかきだし、ついでに山アジサイと、先日うち遣っていたが元気に育っていたミントを植えなおした。

1年でずいぶん増えてしまった生姜も地下茎を切って移植。

 

 

こうしてみても、緑だらけでわからないが、それなりに根はついたようだ。

 

まあ、崖になっているので、ここは造成されるということもあるまい。5年くらいたったら、花を楽しむことができればと、妻ともども楽しみにしている。

 

 

 

 

 

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ブログの書き方4・・・要は本人次第だし。

2012年05月12日 | 電脳化社会
今日あたり、ブログランキングの上位20位の執筆者、内容、更新頻度などについて事細かに分析し、医療ネタブログで上位を狙うにはどうすればいいか、などということを書こうかと思っていたが、いくつかのブログを開いているうちに、やろうとしていることのばかばかしさに気がついた。
皆さん、それぞれ楽しくやっていらっしゃる。

これが一番だ。
”ブログの書き方”などと、いってはみたものの結局のことろ、何を書こうが書くまいが、どれほど続けようが続けまいがそんなのは本人次第。”最善の書き方”などと言うものはない。

このテーマ、知り合いの先生のお役にたてば、などと思って書き始めてみたのだが、まったくの見当違いであった。その先生にしても、”どうしても情報発信をしたい”というのであれば、とっくにやっていることだろうし、こんなにぐずぐずしている指南役のことなど相手になどしてくれはしないだろう。

こういうことを考えてしまうところが、いつもふと感じる自分の嫌なところである。
頼まれてもいないのに、エラそうに、何を言っていたのだろう。
とにかく、このテーマはこれにておしまい。件の先生に伝えることも、やめておく。
それでも、もし参考になったという人がいらっしゃったら、幸いです。

ところで、最近オレンジ色のポピーをあちこちでよく見る。朝など、みんなで太陽の方を向いていて楽しい。
拙宅の前にもフラワーポッドから落ちたマーガレットともにこのポピーが増えてきた。いずれも種が散るのであろうか、抜くにも抜けず、来年あたりは、ずいぶんと広がってしまいそうだ。


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デキモノが・・・できてしまった

2012年05月11日 | 日々思うこと、考えること
顔にデキモノを作ってしまった。若いうちであれば、ニキビと言えるが、この年になると、まあ、吹き出物である。普段はこんなものできないのだが、やはり免疫力が落ちたか。

口のまわりに2個。髭剃り負けしたところに、ニキビ菌かブドウ球菌がついたのだろう。三日間クロマイを塗って、今朝辺りからやっと治まってきた。

病理学会の準備、発表で気が張っていた4月は大丈夫だったが、終わって気が抜けたとたんこの有様で、免疫力の低下がこのデキモノ、吹き出物の原因であるのは明白である。
それにしても、体というものは、こんなにも正直なものなのかと驚く。

これまでは、動悸がしようと、吹き出物ができようが、体が悲鳴を上げているせいなどとは思わないでいた。だが、最近は体の悲鳴が、かすかだか聞こえるようになってきた。

年を取って体からのシグナルに敏感になったのか、それともホントにガタが来ているのか。

早晩わかることだが、検診や人間ドッグは年に一度くらい受けた方が良さそうだ。


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微妙な季節

2012年05月10日 | 通勤・交通・旅行
都内の駅を降りるのは、7時半過ぎ。そこから病院まで40分近く歩く。
つい先日まで、冬の寒さに閉口していたというのに、いつのまにかもう5月も中旬にさしかかってきた。気温も少しずつ上がってきたが、8時前の東京、気温はそれほど高くなく、電車を降りての歩きは気持ちがいい。

でも、それも歩き始めだけ、20分も歩くと、汗ばむ。
毎年、この時期はいつ着替えを持ち歩くようにするのかで悩む。
熱帯夜の真夏ともなれば、はじめから替えの下着を持って出てくるのだが、まだそれほどではない。

微妙な季節だ。

朝、6時台の鎌倉はもちろん涼しい、自転車で坂を下るので、駐輪場に着く頃は体は少し冷え気味だ。帰りにしても、6日の竜巻以来、連日雷雨が続き、病院を出る頃は雨も上がって、とても涼しい。というか、今夜などは寒いほどだ。

ウォーキングを取り入れた長距離通勤、荷物はなるべく減らしたいところだが、いろいろと調整が難しい。

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毎日新聞 2012年05月07日 12時32分(最終更新 05月07日 13時29分)
竜巻:積乱雲発達が誘発 地上と空、気温差40度
 6日午後に茨城県つくば市で発生した突風について、気象庁は竜巻とは断定していないが、「漏斗雲」が地上にまで達していたなどの状況から竜巻だった可能性が高いとみている。大気の上層と下層の気温差が大きくなり、積乱雲が発達したことが発生の原因との見方を強めている。
 気象庁によると、6日は東日本の上空に強い寒気が流入する一方、日本海上の低気圧に向けて南から暖かく湿った空気が流れ込み、大気の状態が不安定になっていた。
 気象庁気象研究所と水戸地方気象台によると、6日午前9時のつくば市の上空約5500メートルの気温は氷点下19.1度だったのに対し、地上は21.2度。気温差は約40度にもなったことから強い上昇気流が生じて積乱雲が発達。高度10キロ以上にまで伸びた積乱雲が複数できていたとみられる。
 また、6日昼ごろは、関東地方の上空では西風が吹いていたのに対して、地上は南風が吹き、高さによって風向が違う「鉛直シアー」と呼ばれる状況になっていた。風向きが変わる場所では気流の渦ができやすいため、この鉛直シアーが竜巻を誘起した可能性があるという。



休肝日に気がついたこと

2012年05月09日 | 日々思うこと、考えること
腰だの膝だのがこれほど痛むということは、表面から見ること、感じることのできない内臓にもずいぶんガタがきているであろうことは、想像に難くない。
とくに、肝臓は沈黙の臓器といわれるが、大きいので予備能が高いが、ぎりぎりまでがんばってくれても、ダメになる時はいっぺんにダメになる。

さて、その肝臓、これまでどれほどいたわってきたかというと、ほとんど気にせず毎日過ごしてきた。だが、50も近くなり、いつまでも放っておくわけいにもいかない。
そこでいよいよ、週に一日だけだが、”休肝日”を設けることを妻に提案し、同意を得た。
二人で、夜ごと飲んだくれていては共倒れしてしまいかねない。
切りがいいので、休み明けの日、たいがいは月曜日、の夕食はアルコール抜き、にした。以来、2ヶ月が過ぎた。休肝日明けの朝は何となく違う感じで、体が少し軽くなったような気がする。連休明けのおとといはうっかりして、連休の続きのつもりで飲んでしまったが、昨晩はアルコール抜きにした。

休肝日には、アルコールの代わりにビールテイスト飲料、というものを飲んでいる。
最初は、飲んでも飲んでも酔わないので変な感じだったが、こんなものかと思うようになってきた。

昨晩、例によって苦いビールテイスト飲料を飲んでいて、「ビールを飲みはじめた頃、なんで大人はこんな苦いものを好んで飲むんだ?」と感じたことを思い出した。
そして、今、こうしてビールを飲む疑似体験をしている自分をみて、人間の感覚がいかにいい加減なものなのか、あらためて実感した。

苦いビールを飲むのは、飲むと酔っぱらって気分が良くなるからで、ほかの酒でもたいして変わらない。酒というのは酔っぱらうから酒であって、酔わなければ意味が無い。
この、ビールテイスト飲料というのは、アルコール分がゼロということで、酔っぱらうことは無いのだが、恐ろしいほど味はビールなので、人間としては飲んでいる気になる。

だから、未成年者が飲み会に参加したいのであれば、ノンアルコールということで、ビールテイスト飲料を飲めばいいのだが、酔っぱらわないのでたいして楽しくない。ただ苦いだけの炭酸水などだれも飲みたくない。
ビールテイスト飲料を美味しく感じるのは、ビールを飲んで酔っぱらった経験のある人間だけである。


ビールを飲むと酔っぱらう。


このことが、条件反射として刷り込まれている人だけが、この類いの飲み物を喜んで飲む。
なんだか、こういうと身も蓋もない。
ビール会社にマインドコントロールされているだけの話である。

酔っぱらって気持ちよくなっているのは、同じ臓器であっても脳だけで、肝臓はその度に大変な負荷をかけられているわけで、肝臓のこと、ひいては自らの体をいたわろうという気持ちが少しでもあるのであれば、週に一日くらいは、こういう日(休肝日)を置くのは、そう悪いことではない。

それに、飲まなければこういったことにも気がつく。
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なんとかならないか・・・

2012年05月08日 | 日々思うこと、考えること
私の勤務先の病院、患者さん用のエリアにエスカレーターが三基設置されている。
地下から1階、1階から2階、2階から3階である。
(1階から2階)
このうち、1階から2階、2階から3階は向かって左側のステップに乗るようにできている。
(2階から3階)

ところが、地下から1階へのエスカレーターは、向かって右側のステップに乗る。
(地下から1階)

1階から2階、3階へのエスカレーターをたまに使うので、左側のステップに乗るのに慣れているのだが、たまに、地下へ行ったり、登ってきたりするときも、いつものクセで左側のステップ目指してはいってしまう。
しかし、逆向きに乗ると、「ビーーーーーーーッ」ととてつもない大きな音で警告音が発せられる。
昼間で患者さんがまわりにいたりすると、注目の的となる。
安全対策は施されているとはいえ、人間の習性を無視している。
(1階から地下)
エスカレーターの向きに決まりがあるわけではないから、このような事態が生じるのだろうが、だいたいは向かって左のステップに乗るのが普通のような気がする。
別に、普通である必要は無いのだが、一つの施設内で、連続した装置でこのような状態というのは、おかしい。

なんだかな?と思うが、設計者はなにかそれなりの意図があってこのようにしたのだろうか。
もし、単純なミスであるとするば、お粗末な話である。
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切り替わりの瞬間

2012年05月07日 | 日々思うこと、考えること

今朝、スタッフ用廊下への扉を開けたとき、その感覚に気がついた。
私にとっては、空前絶後の学会を乗り切ったものの、虚脱状態となり、差し迫った仕事も無かったせいで、ぼんやり過ごすことができた連休明けだから、よけいに強く感じられてわかったのかもしれない。
仕事のスイッチ、などというようなものではない、ほんのかすかな変化なのだが、体の隅々までが昨日までとは全く違う緊張感に包まれている。

実際のところは、朝4時半には目が覚めたし、なにより連休中には治まっていた胸騒ぎのような動悸が起きがけに再び起こり、この動悸が仕事と密接に関係していそうだということにも気がついていて、職場に到着する前から心と体は仕事モードへと切り替わりつつあった。

でも、その切り替わりの最後の仕上げが、扉を開けるという行為だった。

廊下の奥の病理診断科の部屋の鍵を開け、部屋に入り、PCにスイッチを入れる頃には、身も心も休み前の状態に戻っていた。医局に着く頃には、休み前と全く同じ状態だった。

興味深いのは、この間外見上私には何も変化が生じていない、ということだ。
人間の心と外見というものがこれほどまでに乖離しているのかと、驚く。

もちろん、見た目でもわかるほどの“赤くなったり、青くなったり”などというようなことはしばしばあるが、今日の私の変化は誰もわかるまい。
それとも、職場での私は自分でも気づかないうちに”きりっと”していたりするのだろうか。

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あなたは何もわかっていない

2012年05月06日 | 日々思うこと、考えること

この年(48歳)になって、まだそんなことにも気がついていなかったのか、と恥ずかしくなることがある。

昨晩の寝入りばな、家族のことを思って考えた。

「私は、私の家族のことを、ほとんど知らない」



横で寝息を立てている妻の心の内にしても、息子や、娘の考えていることにしても、私はなにもわかっていない。
わかったようでいるだけで、彼らに対して言っていることは、いかにも手前勝手なことばかりだ。
人の考えというものは、自分自身でもわからないほど難しいものだから、他人の私に家族の考えていることなどわかるはずなどない。
これは、家族に限った話ではない。
互いに見知らぬ人同士であれば、その氏素性すらわからないが、心の深淵をうかがい知ることができないという点では、関係が近かろうが、遠かろうが、さほどの違いはない。

「言いたいことは、よくわかる」

そんなのは、大ウソだ。相手の考えていること、意図していることなど、何一つわかるわけがないのだ。

医療という分野で、病気を理解しようとしたところで、病気を抱えているのは患者であって、医療者は患者の病気のごく一部しかわからないし、患者の気持ちなどは全く分からない。
したがって、医療者は患者のことを、意志を持った人間としてみることはできず、病気という、患者が抱えているモノを対象とするしかない。

その、モノに対してどう対応するかにしても、癌であるのか、循環障害であるのか、感染症であるのか、精神疾患であるのかにより大きく異なる。

そのようななか、医者などごく矮小な存在にすぎない。
そのことを自覚して、日々の仕事に当たらなくてはいけない。


あなたは、どれほど目の前にいる人のことが判っているか。
何もわかっていない、ということを知って、すべてのことを始めなくてはいけない。

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ブログの書き方3・・・更新はどれくらいで

2012年05月05日 | 電脳化社会

ブログのスタイルが決まったら、次はどのくらいの頻度で書くか。すなわち更新回数だ。
つまるところ、更新の回数は内容によってきまる。今回は、医療ブログ、ということなので、内容は大体のところ決まってはいるのだが、それでも書き始める前にいろいろ考えておかなくてはいけない。

私の場合、1,000日連続で記事を書くという、無茶な目標を立ててしまったのだが、その日にあったことを、思ったことを徒然書いているうちに、今日で、583日。半分を少し過ぎたところだ。無事これ名馬というが、まずは体調管理を…話がそれてしまった。

どのくらいの予定でブログを続けるかということも考えておかなくてはならない。
1年か、5年か、10年か。

趣味の旅行ブログ、であったりするようなら、旅行に行った先の写真とともに載せればいい。
この、こんきものような日記ブログであれば、PCが扱える限り毎日更新すればいい。
ただ、仕事がらみとなると、ちょっと難しい。
昇進、転勤で、仕事内容が変わって、それに合わせてブログ主の立場、視点が変遷してしまう可能性がある。
日記ブログであれば、その変遷を楽しむこともできようが、医者による医療ブログなどとなると、そうそう変遷もあってはならない。
専門領域が固定化されている開業医であれば、昇進もないし、転勤もない。そのような視点からの医療情報の提供ならば、医療技術の進歩に合わせていけばいい。だが、情報発信側にいるような医者であると、更新すべき情報というものはなかなか”更新”されない。
自分で新しい知見をたたき出さないとならないわけで、そうすると結構きびしい。

”毎週月曜更新しています。”
とかいって、さらにテーマをシリーズものにして、”その1”から”その8”くらいまでにわけて、2か月で1テーマ、といったところが無理なく続けられるところか、と思う。



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ブログの書き方2・・・体裁(スタイル)はどんなふうに

2012年05月04日 | 電脳化社会
『ブログの書き方』などといって始めたこのテーマ、「書き方2」を書こうと思っていたのだが、いろいろあって、「書き方1」から1か月たってしまった。月日の経つのは本当に早い。

さて、今回のテーマは、ブログの体裁、すなわちスタイル。
体裁(スタイル)とひと口に言ってもいろいろある。だけど、一応、ディスプレイという2次元の世界の中での表現であるので、まあ、枠内にみられるものの形態について考えてみたい。
画面を構成するのは、文字、写真、絵であり、これらは何かの・・・人、動物、物・・・を表現するための手段である。どのような方法で、考えていることを発信するのかで体裁(スタイル)は決まる。

私のブログは、字が多いほうだと思う。
こういうブログというのは、理屈っぽくて面白みに欠ける。
だけど、もっと字ばかりでも内容の面白さでひきつけるものも少しはある。

私がよく見るペットもののブログなどは、写真が多い。紀行系のブログも写真が多いのは当たり前だが、文章が少なくて、ブログ主さんが何をどう思ったのか伝わってこないことがしばしばあり、少々残念な思いをする。

まあ、ひとそれぞれ、自由だし、決まりがあってはブログではないので、別に体裁などどうでもいいといえばどうでもいいのだが、何かの訴えがあり、それを伝えたくて開設するブログであるならば、必ず内容を文字で訴えなくてはいけない。

自分の行っている医療内容をアピールするためにブログを開設するのであれば、どうしても文章主体のブログになる。
だが、そうして文字ばかりだと読者は疲れる。
ここに、ジレンマが生じる。

医療系ブログを立ち上げようとして、自分の専門分野の紹介をするとしても、すでにホームページなどで内容を紹介していれば、ネット検索で来る場所は、自分の勤務先のホームページと何ら変わることはない。
また、”裏ネタ””実話”というのは、よほど気をつけないと、患者さんのプライバシーの漏えいにつながりかねないので、迂闊に症例報告をするわけにもいかない。
ただ、対象疾患に悩む人が多い場合、また、悩みが絶対的に深刻な場合、相談を受けるような形で行っていくことは可能かもしれない。だけど今度はタダということで、相談が殺到したりしてしまうかもしれないし、無診察診断といったような問題も生じる。
ネットは自分が想像している数万倍の人の目にさらされている。誰が何を言ってくるかわからない。”ブログ炎上”はその最たるものだろう。

ブログの体裁、というかスタイルをどのようにするかは、自分の立ち位置をよく自覚、見定めて行って決めなければならない。



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お父さんの居場所

2012年05月03日 | 日々思うこと、考えること
私と妻と息子(高校三年生)と娘(中学三年生)、いつもの四人で食卓を囲んでいたとき、思った。
「しゃべることがない、口をはさめない」
息子も、娘もいつの間にか自分たちのことを、自分たちの言葉で語っている。
私はと言えば、口をついて出るのは小言だけ。
「居場所がない」

これが子供の『親離れ』というものか。子供たちは放っておいても、親から離れていく。

親の方は、子供はいつまでも”自分の子供”のつもりでいる。
サザエさんの家では、カツオもワカメも成長しない。波平は彼らに対して永遠の庇護者である。したがって、マンガの中で波平はつねに家族の中心に居座り続ける。

だが、現実は違う。
時間は常に進んでいく。
子供は成長して、親は彼らに対する絶対的な庇護者ではなくなっていく。

父親(おそらく母親も)の役割というもの、年と共に変化していくことを自覚していなければならない。

私自身はどうであったか、父とどう接してきたか。
どんなふうに、親から離れてきたのか。
そして、父はどうやって私から離れていったのだろう。

今夜は、父の喜寿のお祝い。
拙宅で行うささやかなものだが、みんなで父を囲み、楽しい会にしたい。

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1年以上待ってくれていた積読本・・・2012年4月の読書記録

2012年05月02日 | 読書、映画、音楽、美術
積読本が読まれることはない、とこんまりさんは言っていたが、それはトキメキが失われるから。“風が強く吹いている”は1年以上もの間、本棚から私にトキメキを与え続けてくれていた。そして、読書解禁とした先月末、やっと読むことができた。
“免疫学の入門”は複雑な免疫学のことが、平易な言葉で順に書かれている。私にとっては近年まれに見る良書であった(が、やっぱり最後の方は苦労した)。




4月の読書メーター読んだ本の数:2冊
読んだページ数:716ページ
ナイス数:9ナイス
若さとは、多くを失いながら成長していくことなのだろう。時間、プライド、肉体、親子、友人、etc.。多くを失いながら、人は大人になる。駅伝を題材にしてそんなことを教えてくれる作品だった。青春は残酷でいて、純粋だ。
読了日:04月29日

免疫学関連の本では最もわかりやすい。だけど、超初学者では無理でしょう。
読了日:04月18日
著者:今西 二郎


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人生がときめく片づけの魔法
近藤 麻理恵
サンマーク出版

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先生から挨拶をするのを見て思うこと

2012年05月01日 | 日々思うこと、考えること
朝の通勤路の一つに、某都立高校の前を歩くルートがある。
生徒は、おとなしく、まあ、普通の高校生の通う普通の高校ではないのか、と思う。
朝は校門に先生とおぼしき大人が4、5人立って、登校してきた生徒達を迎えている。

今朝も、1人の先生が校門に立って、2人で連れ立って登校してきた生徒に声をかけていた。
でも、先生の方から、「おはようございます」。

え?
先生の姿を見たら、生徒の方からあいさつをするのが本来あるべき姿ではないのか?
30年以上昔の話だが、「3年B組金八先生」で、武田鉄矢が生徒達から友達のようにため口で話しかけられていたのを見て驚いたが、そこでもまずは、「金八ッツァン、おはよう」とか、「金八先生、おはようございます」とか、生徒の方から、あいさつをしていてように思う。そして、武田鉄矢は生徒達に向かって、「おはよー」、声をかけ返していた。

先ほどの話に戻るが、先生に「おはようございます」と声をかけられた生徒達は、自分たちのおしゃべりが中断されたことが不快であるかの様に、もにょもにょと先生に対して返事をしただけだった。

”本来”などという言い方をしてしまったが、そういう考え方自体、おかしいといわれそうだが、教師というのは子供にとって親の次に近い大人である。長幼の序などという言葉ももはや死語なのだろうか。
そもそも、全共闘世代というか団塊世代がこういったことを打破してくれたおかげで、かえって団塊前後の親に育てられた子供世代が苦労している。昭和ヒトケタに育てられた私などもそう。
だけど、やっぱり、長幼の序、というか、目上を敬う気持ちというものは、とても大切なものであると感じる。


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