こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

どうせいつかやるのなら

2015年08月31日 | 生き方について考える

電話にしても、メールにしても、もちろん直接でもいいのだが、誰かにお願いとか、相談とか、聞きたいことが有るのに、相手がどう思うだろうか、どう言われるだろうかなどと考えて、そうすることを躊躇してしまうことがしばしばある。そうやってうじうじしている間に、時間ばかりどんどん過ぎてしまって、余計のっぴきならない状況に追い込まれてしまい困ってしまう。

これがいかに無駄で、作業効率を落とすことだということに、最近気がついた。他に選択肢がなく、それしかやることがないのであれば後回しにしても仕方がない。さっさとやるのがいい。相手が、自分の相談なり、考えに対してどう考えるのか、どう対応するかなんて判りはしないのだ。それに自分の考えを変えようがないのなら、もうどうしようもない。

このことに気がついて以来、比較的多くのことを相手に早めに伝えて、あれこれ片づけるようになった。そうすると、何事も早く進むようになったのはもとより、悩んでいる時間が短くなり、精神衛生上にも楽になった。これまでの人生で、随分もったいないことをしてきたものだと思うのだが、それもこれまで、ずっとそうやってきたからこそ感じるものなのだろう。

自分勝手はいけません 

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


ひとつひとつ、大変ですが

2015年08月30日 | 日々思うこと、考えること

昨日の研究会のお世話が(ほぼ)無事に終わり、今年中に残っている大きなイベントはあと2つ。

そのひとつが来週末の講演。私にとっては、ひとつひとつが分不相応に大きなもので大変だ。

研究会の準備でなんやかんやと気ぜわしく、講演(といっても、25分)の準備にまでは手が回っていなかった。

仕事をまわしていただいた先生への恩返しのためにも、ここは良いプレゼンをしたいところだ。

何年も同じようなことをやっていると、どんな発表が良くて、こんな発表はちょっと、というようなのが自分なりにわかってくる。

だけど自分の発表がどの程度のものなのかはなかなかわからない。

スライドの内容はもとより、プレゼンテーションのやり方など、チェックしなくてはいけないことが山ほどある。こういったことは、どれも同じレベルで重要だ。いくら、スライドが美しくても内容が間違っていたらしょうがないし、内容が深くても読みにくいスライでは悲しい。そこそこのスライドができても、なにを言っているのかわからないではこれまたしょうがない。

スライドもしゃべりもよくても、元気が無くてはこれまた聞いているほうはつまらない。

などと考えると、やらなきゃいけないことがたくさんあって、まずはできることでもしっかりやろう、などと思ったりする。

道は長い 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


よかった

2015年08月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

小さな研究会だが、昨日・今日なんとかお世話をすることができた。

100点満点ではないが、そんなの元々存在しない。少々抜けていたって、仕方ない。

抜けていたところは埋め戻せばいいことだ。


ご参加いただいたみなさま、お手伝いいただいたみなさま、ありがとうごさいました。

なにはともあれ 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 

他人(ひと)のせいにしない

2015年08月28日 | 生き方について考える

昨日、ちょっとした失敗をしてしてしまった。結果として少々迷惑をかけてしまった人が出た。

問題が発覚したとき、あの人があのときこうしてくれていたら、という考えが脳裏をよぎり、極めて不愉快な気持ちを持ってしまった、だが、それは間違っていた。私が気をきかせていなかったのがいけなかったのだ。これが原因で、ちょっとした失敗につながってしまったのだ。

それは仕方ない、誰にでも失敗はあるし、私にしてもわざとやったことではない。他人は誰も悪くないし、私も悪くない。だが、ことの責任は私にあるので、リカバリーが必要だが、淡々とこなせばいいだけで、別にこのことを気に病む必要はない。

みんなこんなものだ。誰かのせいにすることのほうがよほど意味の無いことだ。

自己責任とは
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 

 

 


人生に結果というものがあるならば 3(最終回)

2015年08月27日 | 生き方について考える

運命は決まっているのか、そして人生は切り開いていけるものか。自分でなにかやってこそ、それは結果といえるが、何もしないままだったらそれは結果とはいえない。

人間はもともと不公平な存在であり、そのことまでは運命として受け入れて生きていく。そこまでだったら人間でなくてもできる。

 

人間が理性を与えられたのは、その先の一歩のためではないかと思う。すなわち、あらかじめ決められた運命に流されることなく、人生を切り開くということ。そして、それは人間として生きていく上でやってはいけないこと、それを実践することではないかと思う。

嘘をついてはいけないのはなぜか、物を盗んではいけないのなぜか、人を殺してはいけないのはなぜか、その一つ一つが人生の目的であり、そうやって人生は目的を持つ。

今、正しいことをしていればそういう人生だし、不正をしていたら、それはそれでまたそういう人生となる。人生の結果はいまある事実であり、幸不幸というものはその時の気持ちである。とすると、その人がその人生を幸せだと考えるか、不幸せだと考えるかは自分自身の人生を理解し受け入れることなのだ。

人生を切り開きながら、自分自身の人生を理解し、受け入れながら前に進んでいくことであり、そのさきに人生の結果というものがあるのだろう。

結果がすべてではない 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


人生に結果というものがあるならば 2

2015年08月26日 | 生き方について考える

自分が運命論者ではないというのは私の勝手だけれども、では、私にとってこの上なく不条理な人生の不公平というもの、運命でないならば、いったい何なのだろう。体格、容姿、才能、性別そして生まれた国、家、身分。どれ一つとっても、人間には公平に分け与えられたといえるものは何一つない。人間は生まれながらにして不公平で、自分の力ではどうしようもないことばかりだ。そんな出発点から到達した人生を結果として受け入れることはなかなか難しいことだ。

 

だが、まわりが自分と同じ人だけだったら一体どうなるだろう。それだとSF映画に出てくるクローン兵のような話になってしまう(彼らも集団としては差別化されているが)。そう、人間は生まれながらにして個性的な存在であり、公平を求めることはもともとできないことなのだ。

一方でほかとの差別化を望み、もう一方で公平であることを望む。おそらくそれは自分勝手な“いいとこ取り”に過ぎない。とすれば、自分自身もまた様々な点において不公平な存在であり、そこから生じた人生を受け入れて生きていくしかない。すべての人にとって、このことだけは公平だ。

 

運命は無くても、定められた運命はある。そして、その運命から始まった人生の結果が今。

では、どこまでが運命として定められたものであり、運命から離れたところで切り開いていける人生とはなにか。

 

この話、明日まで
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


人生に結果というものがあるならば 1

2015年08月25日 | 生き方について考える

ある本の新聞広告を眺めていたら、人生の勝負、という言い方が目に留まった。そもそも人生に勝ち負けというものがあるかどうかわからない。勝ち負けというものはそもそも他人との比較より生じるもので、そんなもの自分固有のものである人生にはない。

人生に勝ち負けはないけれど結果はある。

人がその命をいつ落とすかなどということはまったくわからない。現代社会の人間、様々な安全対策を施して、なんとか生きながらえているものの、それらがいつ破綻するかなど、わかったものではない。

命尽きる瞬間が人生の結果だとすれば、それは今ということになる。今、生きていることに感謝し、幸せだと思い、今できることをする。

今、人生が思うに任せない人も少なくないだろうけど、それが今のところの結果だし、結果は刻々と変わっていくものだ。今ある結果から、将来の結果を推測してもそれはあまり当てにはなるまい。そういう意味では私は運命論者ではないといえる。

 

この話、続く 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


涼しい週明け

2015年08月24日 | 日々思うこと、考えること

台風16号のおかげだろう、今日は涼しい一日となりそうだ。

だんだんと通勤電車も混雑しはじめ、来週には小中高生が加わってふたたび大混雑となるのだろう。

台風15号が明日にも九州に上陸するらしい。そのまま日本海を北に抜けていってしまってくれたらいいが、どうなるだろう。

それにしてもこの夏は暑かった。連日熱中症情報が流れてきてうんざりしていたが、一転して先週末からは涼しくなってホッとして、急に寂しくなった。まあ、これが季節の移り変わりというものか。

今週末 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


犬の視点

2015年08月23日 | 犬との暮らし

ナイトの散歩の途中、空き地に猫がいた。

ナイトは鳩と猫が好きなのか、神社の境内の鳩がいるとその輪の中に突進し、猫がいると逃げ切るまで追いかける。

ちょうど、こんな感じで対峙していたのだが、猫も心得たもので間に柵があって犬が越えて来ることができないのがわかっておっとり構えている。

逆に、ナイトは隙間から鼻先をつっこむがどうしようもない。しばらくじっとしていたが、やがてあきらめてしまった。

そのじっとしているときに、ナイトの横から撮った写真がこれ。雑草に隠れて猫はあまり良く見えない。

犬の視点とはこれほど低かったのかと、写真をみて驚いた。

たった1メートルいくらかの違いでも世の中見える範囲というのはずいぶん違うものだ。

夜の散歩で、車のヘッドライトが眩しかろうといつもかわいそうに思っていたが、散歩一つにしても人間の規格にあわせるというのはけっこう苦労が多いに違いない。

それでも、多くの犬は散歩が好きで、ちっちゃな犬もみな楽しそうに散歩している。マルチーズのコロは散歩が嫌いだが。

道路からの照り返しにも気をつけてやらないと 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


海まで30分、だけのはずだったのだけど

2015年08月22日 | 犬との暮らし

新聞配達のバイクの音で5時前に目が覚めてしまった。空を見たら、今朝も綺麗な朝焼け。面白い形の雲が浮かんでいた。

南の海上の台風のせいだろう、風が強い。湿度は低めで、ひところよりもずいぶん楽になってきた。

とはいえ、日が高くなってからの散歩ではフラットコーテッドレトリバーのナイトには辛いだろうと思って、寝癖も直さないまま連れて出た。

歩き出したところで、先日ある人に「(ブログで拝見している)ナイト君、お元気ですか?」と言われたことを思い出した。ここのところ犬の話を書いていないということもあり、今日の記事はナイトの話にすることにした。

ちょうど台風の余波で高波が押し寄せているようなので、見物がてら海まで連れて行くことにした。わが家は山のほうにあり、海までは歩いて30分足らず。

由比ケ浜は海の家が多いのと、砂浜が柔らかくて少々歩きにくいので材木座の方に降りる。まだ、7時前というのに由比ケ浜海岸、材木座海岸は多くの人出、サーファーもたくさんで波乗りを楽しんでいる。

砂浜に降りたのは久しぶりで、ナイトも嬉しそうにしている。

フラットコーテッドレトリバーは毛足が長いので、いったん海に入ってしまうと砂まみれとなり、あとが大変なことになるのでどうしようかと躊躇していたのだが、いつのまにか波打ち際まで近づいてしまっていた。

 

元来海の近くで育った犬、バシャバシャ遊んでいるうちに調子づいてきて、どんどん海に入っていく。七つ道具の入っている犬の散歩バッグに波がかからないようにしながら引っ張られつつ、これもブログのためと写真を撮る。

一体、なにをやっているのだろうと、われながら可笑しくなる。

歩いていくうちに、遊泳区域を示す浮き球が見えて来た。丸いものに目がないナイト、ついに海に突っ込んでいってしまった。

浮き球をくわえて外そうとするが、ロープが通してあるので、外せるわけがない。次々と遠くのほうのものをとろうとしてあっという間に私の膝、ナイトの胴の深さまで入ってしまった。

これは大変と、どうにかこうにか引っ張り戻した。

名残惜しそうにしていたが、だんだんと日差しが強くなって来たので帰ることにした。

砂まみれになってしまったので、帰ってから丸洗いした。乾かすのに一時間近くかかった。

 

歩いたのは往復1時間ほどだったのだが、そのほかずいぶん時間がかかってしまった。

まあ、この間、つまらないことを考えずにすんだのはよかった。

今度はコロの話を 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


セミの穴

2015年08月21日 | 日々思うこと、考えること

 先週、義理の父の墓参にいったとき、寺の境内の赤い百日紅の植わっている地面に、蝉が這い出てきた蝉の穴が沢山空いていた。

あれからはやくも10日ほどたち、穴から這い出してきた蝉たちのほとんどはもう命絶えているだろう。

蝉時雨は相変わらずだが、アブラゼミは声を潜め、ミンミンゼミとツクツクボウシがほとんどだ。道には力尽きてもう飛べなくなったセミが伏せっている。

 

あっという間に、夏が過ぎ、台風の季節がやってくる。

今週末から来週にかけては台風15号、16号が相次いでやってきそうだ。それぞれの(台風の)目が、まるで瞳孔のようにくっきりと見える。画像上右の16号は、このまま東の海上に抜けるという予想だが、15号は大きく曲がって、日本に上陸してきそうだとのこと。

面白い天気図 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


人とのご縁

2015年08月20日 | 日々思うこと、考えること

仕事のことで、私に声をかけて下さる先生が時々いる。診断やら、講演やらだが、なんにせよ声をかけてくださるということはありがたいことだといつも思う。私の何に目をつけてくださったのかはわからないけど、その先生なりに何か使えるところを私の中に見つけてくださったのだろう。

一度でもこういうご縁ができたら、これはなんとかつなげていきたい。だが、そのためには、仕事に勝るとも劣らぬ努力が必要となる。自分の価値観というのは、自分だけのものなので他人のそれとはまったく違うだろうけども、どこか一点は一致したところがあるはずなので、そこを互いの共通点として磨いていくのがいいだろう。

こうして始めたおつきあいだが、そうこうしていると、そこからまたひろがるご縁というのもある。この年になって、またひろがるおつきあいというのも、またありがたいものだ。

天狗にならず 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


まだまだ暑いけれど

2015年08月19日 | 日々思うこと、考えること

今朝の鎌倉は曇天。少しだけ雲の切れ間があって青空がのぞいている。だが、犬の散歩にでかけたら、途中でぱらぱらと雨粒も落ちてくる。いずれにしてもこの朝の散歩の時間に日差しが強くないのは助かる。今朝は少しだけ頑張って、鶴岡八幡宮まで足を延ばした。意外と多くの人が散歩をしていて驚いた。

直射日光が無いといっても30分ほど歩けば汗もかく。昨晩の残り湯をあびてから、着替え、仕事に出かける準備をする。

今年の夏、7月中の猛烈な暑さにはまいったが、立秋を過ぎたらけっこう駆け足で秋がやって来ているように思う。

このまま涼しくなってくれたらいいがと思うものの、一抹の寂しさも感じる。勝手なものだ。

お盆休みも終わったのか、電車が少し混んでいる。今年の夏は忙しく、私の夏休みは少し先。それまでなんとか体を壊さないように気をつけないといけない。

 

東京に着き、職場に向かって歩き出したら空が晴れた。やっぱり、日差しはまだまだ強烈だ。あわてて帽子を引っ張り出してかぶる。

病院に着く頃には汗だく。やっぱり今日も下着を替えてから仕事に取りかかることになった。

帰りにビールを買おうと思ってコンビニを覗いたらキリンの秋味があった。せっかくなので、1本買って帰って飲んだ。

 

甲子園も明日決勝戦
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 

 


あいかわらずの日々

2015年08月18日 | 生き方について考える

こうしてほぼ毎日同じようなことを書き綴っていても、特によく覚えている記事というのがある。

その一つが、2012年7月の「なぜ、心にも無いことを口を滑らせていってしまうのか」だ。さすがに、心にもないこと、心と裏腹なこと(その次の日の記事)を言ってしまうこと自体は減ってきているが、それでもまだまだ

「自分から出してしまった言葉を、たぐって自分の胸の内に戻してしまいたい。」

と思うことは少なくない。

後悔とまではいかないけれど、あいかわらずだな、と感じる。

だが、これを悪いことだと思ってはいけない。

人間失敗の繰り返し。言っては後悔し、責任を取って反省し、それでまた成長する。ずっと、こうなのだろう。

そう考えたら、心がすっきりする。

舌禍だけではなく、失敗あってこそ人間。

あの時の記事に対して「人の話をよく聞いてから、話しましょう」というコメントをいただいていた。

失敗なんてするのが当たり前、とはいえ、これぐらいのことをは学んでいたいのだが、もともとおしゃべりではなかなか、黙って人の話を聞いているというのも難しいことだ。

後悔しても落ち込むな
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


美しすぎる朝焼けと嵐

2015年08月17日 | 日々思うこと、考えること

昨日は静かな一日、などといっていたら今日は一転とんでもない風雨の一日となった。

お盆休み明けの月曜日、夜明けの空は異様な赤さだった。美しすぎるものは何事も不吉につながるというが、まさにその通り。

その後、滝のような雨となり、神奈川県には大雨洪水警報が発令された。

藤沢と横浜では竜巻と思われる突風が吹いて、けが人も出たらしい。

朝焼けが美しいとその日の天気は悪くなるというが、まさしくその通りの一日。

東京も昼間は大嵐。仕事中、雨が窓ガラスをはげしくたたく音が聞こえる。

夜になって雨もやっと収まった。家に着いたら星空。ナイトを散歩にも連れて行ってやることができた。

ただ、雨雲情報を見ると、まだまだ次がやってきそうな気配。明日も心配である。

忙しい天気 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ