こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

なにも思い浮かばない日

2012年07月31日 | 日々思うこと、考えること

あまりの暑さのせいか、記事にしようということが思い浮かばない。

いつもは、少なくとも病院まで歩いてくるうちに、いろいろ思うことが浮かんでは消え、そのうちの一つか二つが結晶のように実体化してくる。そして、そのことについて、あれこれコロ健なりに考え、こんきもに書き留める。

書こうと思えば、それなりにテーマはある。
だが、安易に誹謗中傷、うわさ話などはしたくない。そう考えてみると、昨日のように臨床医に意地悪な記事もあまり品のいいものではないかもしれない。
一応、日記として書き留めており、個人的なことも書くが、妻などはこんきもを通して私の家のことがわかってしまうことを嫌がる。確かに、「鎌倉 病理医 ナイト」なんて入れて検索すれば、このブログはすぐに出てくる。

そもそも、自分の考えをわざわざブログにして、人様に思いを表出することは露悪趣味的な行為だろうか。

そうはいっても、昔の記事を読むとあの時のこと、この時のことというのを思い出せて楽しい。
家族写真はいれてないものの、マルチーズのコロフラットコーテッドレトリバーのナイトの成長記録にはなっている。

また、明日からいろんなこと、考えてみよう。

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病理医はいつもそこにいるのが当たり前

2012年07月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病理医というもの、たいがい病理診断科の鏡検室か、切り出し室にいる。だから、臨床医と違って病理医は、病理診断科にいけば捕まえることができる。
いない時は、解剖室か、術中迅速診断の依頼のある手術を見に行っているか、昼休み前後に医局にいぐらいだ。
あとは、病理診断科の部屋にいる、在室率は80%くらい。すなわち、病院に12時間いる場合、10時間近くは病理診断科の部屋にいる。
そこで、病理医に用があれば、病理診断科の部屋へ来てしまえばいい。
ということで、臨床医がアポ無しで突然病理診断科の部屋にやってくる。

「あのー、ちょっといいですか?」とかいいながら、ノックもせずに部屋に入ってくる。
この時点で、診断に集中していたテンションがぶった切られてしまう。
顕微鏡を覗いている間、相当なテンションで思考しているのだが、病理診断をしたことの無い臨床医から見れば顕微鏡にかじり付いているだけなのだろう。

集中が切れてしまったとはいえ、「あんた、だれ?」とは、さすがに言えないので、「先生、だれ?」と聞く。「○○科の、誰某です。今度、学会があって、そのときに出す病理の写真が欲しいんですが」と言ってくる。以下は、去年すでに記事(「あきれたレジデント・・・君のような医者は絶対に伸びない」)にしているので割愛する。

病理医を20年以上やると、写真の自動販売機扱いには慣れるが、「いつもお前達は、そこにいるだろう」というのはつらい。窓から覗けば、そこにいる。という感じの扱いは嫌なものだ。
顕微鏡を覗いているのは、趣味とか余暇でやっているのではない。それなりの頭脳労働をしているのだ。だが、臨床医は、突然やってきて私たちの仕事を延び延びにする。

なんで、彼等臨床医というのは、私たちのことをそう扱いのだろう。と考えたら、わかった。
患者さんと一緒なのだ。「そこにいて当たり前」
いつでも自分が行ったときにいて当たり前、という感覚なのだろう。
そして、「自分の言うことを聞け」。

そこが仕事場なので、「そこにいて当たり前」、というのはいいのだが、その次に続く、「言うことを聞け」、というのがストレスになっているということがわかった。

ただ、よくよく考えてみれば、こういう人、医者に限らず、どこにでもいる。



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犬に関する注意書き

2012年07月29日 | 犬との暮らし
病院の隣の公園の入り口、犬の散歩に関する注意書きが目を引く。

思えば、私が子供の頃、すなわち昭和40年代、道路には犬の糞があちこちに落ちていた。最近、めっきり見なくなった銀蝿が、糞にたかっていたのを思い出す。
その後、(少なくとも)都内では犬の糞に対する見方が厳しくなり、高校生の頃飼っていた柴犬のドリの散歩のときには土のあるところで糞をさせて、埋めたり、側溝に落としていた。今から考えるとひどい話で、当然のことながら、ほどなくそれも許されなくなり、犬の糞は回収して家に持ち帰るのが当たり前となり、鎌倉市内でも、勤務先の病院のある都内でも、犬の糞を見ることは滅多に無くなり、犬の糞の問題は少なくとも私の周囲では無くなったと思う。

犬の放し飼い、というのは犬を飼うにあたってのもう一つの重要な問題だ。
「犬を自由に思いきり走らせてやりたい!」と願うのは多くの犬の飼い主に共通した願いだ。
だが、犬は人間とは違う価値観を持った動物であり、人を噛むことがあり、ほかの人間と接する場所での放し飼いは危険である。従って、リードをつけて散歩させなくてはいけない。

そもそも、一部の飼い主には勘違いしている人がいる。
犬が事故にあう場所のうち多いのが、家の前だそうだ。
わが家のフラットコーテッドレトリバーのナイトは犬が乗った車が来たときに、車に近づいていってしまいとても危なかったことがあった。犬は車の怖さがわからないため、十分気をつけなくてはならない。交通事故にあった犬、というのをときどき聞くが、飼い主が事故に遭わせたと言われても仕方ないように思う。
あとは、犬に走り回らせるのがよい、と思っている飼い主もいる。犬だって、10分位は楽しそうに走り回ることもあろうが、いつまでも走っていたいわけではない。すぐ飽きて、首の後ろを掻きだす。わが家のマルチーズのコロなんて、そもそもドッグランで走ったりもしない。
いずれにせよ、このような注意書きが必要ということを考えると、犬の飼い主の意識はずいぶん低いものだと思う。捨ててしまう人もずいぶんいるようで、悲しいものだ。

私自身、これまでの犬の飼い方を顧みて、いま一度良い飼い主になろうと思う。
だが、まあ、犬の飼い方のみならず、こまごまと注意されている看板を見ると、日本という国に住む私たち自身の民度がまだまだ低いということを思い知らされる。



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ビンゴで当たったガーデニングセット

2012年07月28日 | ガーデニング・菜園・花・緑
先日、医局主催の納涼会があった。初泳ぎ以来の体調不良もあり、どうしようかと思っていたのだが、幹事さんたちがせっかく頑張って準備してくれているということがあったのと、ビンゴ大会もあるということで、とにかく会場となっている院内の食堂に顔を出した。
受付でビンゴカードを受け取り、唐揚げを肴にノンアルコールビールを飲んでいたが、勢いに任せて3本ほど飲んだところでおなかがいっぱいになってしまった。
息子の18の誕生日でもあり、早々に退去しようと思ったのだが、困ったのはビンゴカード。よその科からの参加者にいざ頼もうと思っても、悲しいかな病理医は知り合いが少ない。もし、1等などが当たった時に「先生のカード1等でしたよ」などと言って、国産牛400グラムの詰め合わせをにこにこ笑いながら渡してくれるような、信頼できる臨床医の知り合いはいない。
唯一頼めそうなのが、内科系でレジデントの勉強にと週に二日(!)3か月間病理に勉強に出してくれている科があり、その科の若いレジデントの先生たち。
だが、その日は回診などで遅くなっているようで、待てど暮らせど顔を出してこない。
しょうがないから、さびしく引き上げようかと思っていたら、入り口の方に彼らの姿が見えた。遠くの方から、「コロ健先生、飲みましょう!」とか言っている。事情を話して、ビンゴカードを託し、会場をあとにした。

翌朝、レジデントの一人が病理診断科から出てきた。
「あれ?どうしたの?今日は(病理の日では)違うでしょう?」と、尋ねると、
「先生、当たりました」と、言い残して行ってしまった。
「?」忙しいのだろうと、後姿を見送りつつ、病理診断科の部屋に入って、パキラに「おはよー」とか言いながら自分のデスクを見たら。
なんと、こんなものが置いてあった。

「ガーデニングセット?うれしいっ!」と思わず声を上げてしまった。
一足先に来ていた上司も、某大学から研究をしに来ている外科医もにこにこ笑っている。

某科の先生の何人かは、こんきもを応援してくれており、ちょっと恥ずかしい話だが、たまに覗いてくれている。そこで、私が庭いじりをしていることを覚えてくれていたのだろうか。彼らのうちの誰かのカードが『ガーデニングセット』を引き当て、私にプレゼントしてくれたのかもしれない。おあつらえ向きに、私のビンゴカードが当たりというわけもないだろうと思ったが、ありがたくいただくことにした。
  

今朝、ロンドンオリンピックの開会式を見終わったところで、早速、しぼんで黄色くなってしまったクチナシの花を鋏を使って切って摘んだ。あとで、はしごをかけて、カサブランカも花を切ってあげよう。
   


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体を絞って熱中症

2012年07月27日 | あの頃のこと…思い出話
それにしても日本の夏は暑い。
毎年、暑い暑いと言っているが、今年もやっぱり暑い。
暑さに伴って、熱中症に倒れる人も増えているようで、先日応援に行った娘のバレーの試合でも熱中症の症状を呈して、私が容態を見る羽目になり、大いに緊張した。その時は幸い、救急車を呼ぶほどではないと判断して、涼しいところで体を冷やして様子を見てことなきを得た。

恥ずかしながら、私にも熱中症として病院に担ぎ込まれたの経験が一度ある。

ある年の東医体(東日本医科学生体育大会)直前の合宿で減量に挑戦した。
フォワードでは微妙な身長(177㎝)の私、あと一息でリングが掴めるというところで、考えたのが減量。
「あと、3キロ減らせば、ジャンプした時の最高到達点も5㎝くらい上がるはず」とまあ、バカなことを考えた。当時は、今と違って、65kgくらいしかなかったので、普通に考えればそれ以上減量できる状態ではなかったのだが、本気で挑戦した。

合宿に入って、食事をとらず、カロリーメイトとポカリだけ。2日目の練習中にダウンした。気がついたら、点滴を受けていた。大会場近くで合宿をしていて、大会の主管校にバスケット部のOBがいて、助かった。

だが、私の命がけの挑戦がチームメイトのやる気を引き起こしたのだろうか(?)。その年の東医体バスケット部門、堂々の優勝となった。結局祝勝会だのなんだので、飲みすぎて減量はなかったも同然となった。

さて、さらに暑くなるとのこと、スポーツの成績を少しでも上げようと思っているあなた、無茶な減量に挑戦したりしないで、よく食べ、よく寝て、よく飲んで(お酒ではない)、頑張ってください。


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とんだ初泳ぎ

2012年07月26日 | 犬との暮らし

ここ2、3日、軽い悪寒とだるさを感じる。喉の奥もいがらっぽい。
発熱は無いものの、どうやら風邪をひいてしまったようだ。
こんな暑いさなか、風邪をひいてしまうなど、間抜けな話だが、心当たりがある。先週末の散歩だ。


先週末は天気がすぐれず、昼間でもそれほど気温が上がらなかった。これは犬にとっては好都合で、フラットコーテッドレトリバーのナイトを連れて海まで散歩した。


家から海まで約30分、駅から病院までの通勤散歩とほぼ同じだ。
それにしても、25度にも満たない涼しい日なのに結構海水浴客が来ている。風景だけは、夏の鎌倉だ。ただ、賑わっているのは由比ガ浜の方だけで、材木座海岸の方の人出は少ない。海の家が1軒では、仕方ない。

   


というわけで、犬のナイトと一緒の私は、材木座海岸の方へ降りる。
ナイトが小さいころは海まで何度か来たこともあったが、地震のあとは海にそれほど来ていなかったので、ナイトがまさか海好きだということは知らなかった。


海岸に降りると、海を見ているナイトが嬉しそうに、というかそわそわして、海に近づくように歩いている。
と、油断していたら、海に突っ込んでいった。
リードを両手で引っ張って抑えていたのだが、砂に足を取られて海に引きずり込まれてしまった。


いったい、何をそんなにと思ったら、遊泳区域を示すブイのボールへ突進している。ロープでつながっているのに、手でくいくい押している。かわいい。


近くにいた若い女性数人も、「かわいー」とか声を上げている。ったく、人ごとだと思って。
ナイトがそれ以上海に入っていくのを抑えていたのだが、どうにも抑えが利かず、膝まで入ってしまった。

海から、引っ張り戻して、ブイの無いところまで行ったら、そこでまた海に入る。
泳ぎは教えていないのだが、もう、私もナイトもびしょびしょ。
潮が満ちてくる時間だったようで、少し高い波がきて胸まで濡れてしまった。

靴は、普通の運動靴。靴の中は砂だらけで、ぐしょぐしょ。
思わぬことで初泳ぎとなってしまった。


私もナイトもぬれねずみとなって、若宮大路を歩いて家まで帰った。
もちろん、家に帰ってから、ナイトを風呂場で洗い、ドライヤーをかけた。その日、ナイトも私もぐっすり眠ることができた。

だが、これで風邪をひいてしまったに違いない。
猛暑の中、歩いていても、少しゾクゾクしてしまうのには本当に参る。

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マッペの山は喫水線のように

2012年07月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 うーん、標本が溜まってしまう(ようするに、仕事が溜まってしまうと言うこと)。

 ここのところ、術中迅速診断が多かった症例、難しい症例、切り出し数の多い症例が続いて、診断が滞ることが多い。

 ついに今朝、喫水線のように上昇してきていたマッペ(診断する標本を載せる板のようなもの)の山が、卓上本棚にある本の前面を完全にふさいでしまった。

 こうなると、診断のためになにか調べたいと思っても、どこに何があるのかわからないし、わかっても本が取り出せないので何も調べることができない。


 なんとか、夕方までにはこの山が半分になって、本の背表紙のタイトルだけはわかるようになった。
それでもB5版の本などは、上から覗き込まないとわからない。

 もう少し、根を詰めていかないといけないのであるが・・・。
 9月の3連チャンの学会、研究会も控えていて、相当なピンチに陥ってきた。
  鎌倉花火大会は、残念ながら今年は見送った。
 さすがに、17時の終業時間に仕事に区切りをつけることはできなかった。
残念
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A rolling stone gathers no moss.

2012年07月24日 | 生き方について考える
今の職場に勤めて10年が経った。
上司や部下にも恵まれ、アトラスという形で書籍を上梓することができた。人前で話をする機会もあり、大学外の病院勤務医としてはそこそこのことをやっていると思っている。
それにしても、いつのまにか、ずいぶん時間が経っていたのだと思っていた。

今日、大リーグ、シアトルマリナーズのイチロー選手がニューヨークヤンキースに移籍したことが発表された。

12年。

長いようで、あっという間だったろう。

A rolling stone gathers no moss.

この諺、そのまま訳せて、「転がる石に苔むさず」。
”苔=moss”は、富貴とか、名誉に置き換えて、「ひとところにいないような人間に、富や名誉がつくことはない」というようにイギリス英語では訳される。
ところが、この諺の解釈の仕方にもう一つあるのはよく知られた話で、アメリカ英語では「転がる石には苔などつかずピカピカである」というようになる。

日本人にとっては、苔と言えば、君が代の苔であり、苔がむすのは長く安定した歴史を意味するところだ。

イチロー選手には12年でどんな苔がついたのだろう。言うまでもなく、それらは大リーグ史に残る輝かしいものであったが、ワールドシリーズで優勝はできなかった。彼の選択が彼の人生をより素晴らしいものにすることを祈る。

さて、私コロ健、イチロー選手に比べたら苔などついていないも同然で、まだまだ悩んでいるような場合ではないように思われる。




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パキラの剪定

2012年07月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
病理診断科のパキラが伸びてしまい、いよいよ天井に届きそうになってしまった。
これは、剪定しなくてはいけないと、ネットでパキラの剪定方法を探してみた。
結構大胆にやっちゃうんだな、という記事(観葉植物育成日記 パキラの剪定&挿し木に挑戦)があったのだが、わかりやすかったので、これにならって挑戦した。

伸びてしまった上の方だけ切って、下の葉っぱは残しておいた。
切った翌日は、上司をはじめみんなが驚いていたのだが、最近芽が出てきた。
   

切った幹もペットボトルにさしておいたらあっという間にひげ根が生えてきて、芽も出てきた。我が家に持ち帰って、鉢にさしてある。


これに味をしめて、今度は我が家のパキラ二鉢の剪定をしたのだが、植え替えに失敗して4,5年育ててきた一株を腐らせてしまったが、もう一鉢は元気に育っている。

パキラは比較的育てやすいそうで、剪定はそう気を使わなくていいらしい。
だが、種から育ったものは、根っこの方が太くて立派だが、剪定して増やしたものはなかなか太くならないそうだ。
太い根っこのついているものは元株なわけで、大事に育ててやらねばならない。

そこで、もう一本、ひょろひょろ伸びているパキラがあるので、これも剪定することにした。


切るのはあっという間。
病院のと一緒で、下の方の葉っぱは残すことにした。

さしあたっては、この4本、上下の向きを間違えないように水栽培する。
2,3週間でひげ根が出てきて、芽も出てくるだろう。
そうしたら、この子達も土に植えてやることにする。


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坂の横のフラワーポッド

2012年07月22日 | ガーデニング・菜園・花・緑
拙宅は二階建てだが、坂の途中にあるので、坂を下りてくる人の目の高さが二階の少し下くらいに来る。もちろん、一階の部屋は道路から覗き込まれるような格好になるので、道路に面した部屋の窓は一日中レースのカーテンを閉めて目隠しをしている。
坂は少しカーブしていて、弧と弦に囲まれたような恰好のコンクリートからなる小さなスペースがある。それを利用して、目隠しの塀をつくってあり、その内側にフラワーポッドを置いてある。

このフラワーポッド、結構大きく、いろいろ植えることができるのだが、なにせ、玄関へのアプローチからは高いところにあっておいそれと届かないし、道路側からも脚立の上から覗き込んで手入れすることになる。

作ってからすぐの間は、何もせず、”置いておくだけでいい花の種”、などという袋詰めの種をまいていたのだが、雑草だか何だかわからなくなってしまった。鉢植えのレモンの木の元気がなかったので地植えのようにこちらに移植してみたが、合わなかったようで、あわてて別のところに植え替えた。

それでも、やっぱり目隠しのために裏に植えてあったフェイジョアの元気がなくなったので、植え替えたら相性が良かったようで、根がついて元気になった。鉢植えのオリーブも一緒に植えたら、これもすくすく伸びてきた。

いろいろやっているうちに、ここだけは、私が自由にしていい場所のようになって、春先からは本格的にいろいろ植えだした。

園芸店に行ったときに、七分咲きくらいのコデマリがあり、買い求めた時に、ワゴンで、カサブランカの球根が一個200円で売られていた。これは安いと思い、六個ほど買い求め、植えた。
そのカサブランカが先日から素晴らしい香りを伴って咲いている。

しばらく前からたくさんのつぼみをつけていて、今か今かと待っていた。
下から見上げると、純白の花が日の光でますます白く美しくかがやく。

グランドカバーに玉龍を植えたり、ツタの仲間(名前がわからない)やゼラニウムを植えたりしている。なにせ、手入れがしづらい場所なので、なるべく放っておいても元気なものを植えている。

端っこの細いところ、もっとも手が届きにくいところにアガパンサスを植えたのだが、周りに雑草が生えてしまって、引き抜くのに苦労した。なんとかなったが、落ちないように気を付けないといけない。


いろいろ植え過ぎてしまったが、下から見上げるだけで、上から覗き込まなければあまり気にならないので、いいかと思っている。



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臓器移植と病理診断

2012年07月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
臓器移植に関する病理の研究会に参加した。会場近くの東京駅の丸の内地下街に人がまだほとんどいない時間に着く。プログラムは9時から18時までびっしり。その間、会場内に缶詰め。窓はなく、天気は1日わからない。

移植医療の是非、とくに脳死移植の倫理的、法律的側面について私はコメントする立場にはないが、私が脳死状態になったら、きちっと脳死判定をしてもらって臓器は使ってもらいたいと思っている。
というわけで、臓器提供意志表示カードを持っている。

この臓器提供意志表示カードにある自分の署名を見ると、なんだか不思議な気になる。

というのも、臓器提供意志表示というのは、自分が交通事故や脳出血とかで突然脳死状態になることが前提の意志表示である。
今年の2月ごろに、死に時、ということを考えてみたが、いいタイミングで死ぬということは難しい。

うまい具合に脳死になるなどという自殺はないかと考えてみたが、思い浮かばない。
ということは、この臓器提供意志表示カードを持って、脳死状態での臓器提供を申し出るからには、できるだけ元気に生きていなくてはならない。

人間は必ず死ぬというのは自明だが、死ぬことを自分で決めてしまう自殺という行為は、少なくとも、このカードを持っている人はやってはいけないことなのだと感じる。また、そこいらのチンピラのことを注意して、逆にからまれて殴り殺されるわけにはいかない。
臓器移植が医療として厳然と存在する今、死ぬにも責任を持たないといけないということだ。
自暴自棄になりかけた時は、このカードを見ようと変に納得する。

研究会、終わってみたら、もうたそがれ。
研究会の内容は脳死の是非ではなく、臓器移植の医学的側面の勉強会。皆で集まって、経験を共有する。
提供された貴重な臓器をいかに上手に生着させるかが、医療者の仕事。

私コロ健がやっている病理医の仕事は、その臓器がうまい具合に生着しているかを判定して、臨床医とともに、考えていくことだ。

まだまだ解らないこと、知らなかったことが多くて、今日も半分がっくりきてしまう。道のりは長く険しいけれど、私なりに前に進んでいかないといけない。

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安全な兵器

2012年07月20日 | 日々思うこと、考えること
人を殺すために作られた兵器に安全という言葉が適切かはわからないが、米海兵隊の垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが米軍岩国基地(山口県岩国市)に搬入されるにあたって、安全性が懸念されているとのこと。
機動性向上のためだろう、ヘリコプターと飛行機の間の子みたいな代物で、操縦も難しそうだ。
沖縄、山口両県は猛反発しているようだが、日本を縦断する予定らしく、日本全土がその不安定性の脅威にさらされることになる。神奈川県は全国でも有数の基地県であり、オスプレイの配備もそのうち当然のようになされて、頭上を飛び回る日も近いだろう。

多くの日本人がそうだが、私たちは生まれた時から米国の占領下にある。
日本が米国に占領されていた期間は1945年の敗戦時からGHQの廃止された1952年までといっても、それ以降も世界最強の軍隊の基地をこれだけ抱え込んでいれば、軍事的に占領されているといわせざろうえない。
核の持ち込みがあっただのどうのと、いまさらのように過去を検証するテレビ番組などがときどきあるが、基地の問題一つ解決、というか要求は聞いてもらえないでいるわけで、今夜も神奈川上空にはジェット機の轟音が響く。

昨今、東南アジア情勢は、米国の抑止力に頼るしか無いようにも思われ、日本は今でもやっぱり不沈空母としての役割を果たさせられる。
戦争に負けたということは、こういうことだし、私が生きている間、この日米関係はゆるぎないものとして存続するに違いない。


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他者への無関心こそが危ない

2012年07月19日 | 日々思うこと、考えること
ここ数日、心のこと、気持ちの持ち方というものをいつもちょっとだけ深く考えることとなった。

毎日のルーチンワークであっても、それを通して新しい”何か”に出会えることで元気が出るだろうと思って、「どんなワクワクが今日はあるかな?」の記事を書いた。すぐに怒ってしまう中高年についての天声人語の一方的な見方に対して疑問が湧いたので、「天声人語がライバルというわけではないけど」、を書いたら、思っていた以上にいろいろなコメントをいただいた。この記事といただいたコメントで感じたのは、他人との距離の取り方が難しいということ。だけど、ボケた私が三度の落とし物を経験して感じたことを記事にした、「落とし物・・・情け(親切)は人のためならず」は、人間社会の業が巡ることを示していたと思う。

そして、昨日の「どうすればいじめは無くせるのだろう」
単なる私の懺悔ではなくて、”どうすればいいのか”と考えてみた。

私の結論は、おせっかいと言われるかもしれないが、いじめを知ったらやめさせる、だ。

子供同士のいじめもいじめであるが、そこに私たちが直接関わることはまず無い。

私の言う”いじめ”は、大人がするいじめである。
親から子への躾というには度の過ぎたいじめ、夫婦間のDV、職場でのいじめ。
そういったものを私がみたり、自分がしていたりしたら、それは改めなくてはいけない。

そのためにはどうしなければいけないか。

それは、まわりのことに無関心にはならないということ。
”無関心”こそが、最大の危険なのではないか。

目の前で起きていることを目をつぶってやり過ごす。
それもあり、という人もいるし、非力であればそれもいたし方あるまい。

でも、それでも、何かはできるはず。と、私は思う。
いろんなことに、関心を持って、問題意識を持つこと。まずは、そこから始めてみよう。

考えれば考えるほど、そしてこれまでのことを思い起こすほどに、つくづく、私は大したことができる人間ではないと思ってしまう。
けれども、それを嘆いてばかりではいけない。少しでも、いい人間になっていきたいと思う。
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どうすればいじめは無くせるのだろう

2012年07月18日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル

大津市の中学生2年生がいじめられて自殺した事件。

もう2度とこういうことが起きないようにしようと、大人は考えるが、それはとても難しいことだ。
朝日新聞の朝刊に、「いじめられている君へ」「いじめている君へ」「いじめを見ている君へ」という、いじめに関わる人へのメッセージが連載されている。
だけど、どれほどそれが役に立つか。
これまでに、私コロ健も、いじめはいけない、と5年前にも記事にしていたが、誰にも読まれない小さな記事、全く役に立たなかったように思う。
役に立たなかったのは、小さな記事だったからではない。いじめに関わっている人のほとんどがこのような記事を読んでも自分に関わっていることとは思わないからだ。


いじめはなぜいけないことなのか、私なりに自分のことを振り返り、いろいろ考えてきた。
私は心優しい友人に対していじめをしてしまったことがこれまでに2度ある。
1度は中学生のとき。その時は、友人がそのことを担任の先生に伝え、先生が母に電話で注意し的た。
電話で先生に注意された母は、すぐに学校に駆けつけ、先生に頭を下げ、友人の親御さんにも謝った。
そして、当然のことだが、私はそのあと両親にこっぴどく叱られた。しばらくの間、いじめはしなかった。


でも、もう1度があった。それは高校生のとき。別の友人に対して。
その時は、いい加減耐えかねた友人が、私に立ち向かってきた。力的にどうなったというわけではなかったが、それでも反撃を受けていじめる気が失せた。
勝手なものである。その間、自分がいじめをしているという意識はほとんど無かった。
そのときに、一緒になっていじめをするバカな友人が、私にはいなかったのが不幸中の幸いだった。
あれを何人かでやっていたら、と思うと身の毛がよだつ。

いったい、いじめの心理とはなんなのだろうか。
深く考えて、その時の気持ちを思い出せば良いのかもしれないが、こればかりはつらくてなかなかできない。両方とも、私が死ぬまで消すことのできない汚点である。
一つだけ、確かなことがある。
「いじめられた人は、いじめられたことを、ずっと忘れない」。
クラス会で友人に会うと、恥ずかしい思いをするのはいつも私である。立派になった友人を前に、目をあわせることが難しく感じる。


いじめをしている側にいじめをしているという認識は無い。だから、そのことに関する新聞記事も、私の記事も役には立たないかもしれない。読んでいる本人はいじめているとは思っていないから。

それでも、いじめはやめさせないといけない。なぜ、いじめをしてしまうのか原因はまだわかっていない。
様々な形の差別(逆差別も)がなくならないことを考えると、人間誰しもいじめの芽を持っている。
子供だとか、大人だとかの問題ではない。
分別のある大人と言っても、社会的には良くても家庭的には良くない場合、そして逆の場合だってある。ついこの間まで、人種差別がまかり通っていた大国があるし、いまでもそれが完全には解消されていない。

ならば、どうやっていじめを無くせるのか。それは、非力な人間同士が力を合わせてやっていくしか無い。まずは、身近なところから。


いじめをみたら、誰かに伝える。

いじめは絶対に悪いこと、まわりの人はすぐにやめさせないといけない。

そして、いじめはかっこわるいということを共通に認識する。

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7月の富士山

2012年07月17日 | 通勤・交通・旅行
関東地方、梅雨明けが宣言された。
例年に比べると4日ほど早いそうだ。春に植えたカサブランカも今日、咲いた。

昨晩のニュースの天気コーナーで気象予報士が言っていたが、7月中に東京から富士山が見える日というのは珍しいそうで、平均1.1日とか。

昨日はその数少ない貴重な1日であったが、見ていない。神奈川湘南に住んでいれば年中見えるのでとくに意識しないでいたが、東京から見えるか、となれば話は
違う。さて、今朝はどうかと思って見たら、見えた!
残雪のわずかな黒い頭の富士山が遠くに見える。

毎朝、駅から病院まで歩く道の途中にあって、通学路ということもあり毎朝お巡りさんが角に立っているこの交差点は、関東の富士見百景の一つになっているほどの名所である。
冬の間は、ほぼ毎朝見ることができるのだが、本当にここのところ見ることができなかった。

このように見える時というのは、南風で雲が飛ばされたため、ということらしく、熱い風が同時に吹き込んできたということだ。

朝の通勤時、日差しが強くて、暑くて汗だらだらだが、最近は塩分補給飴といったようなものが、各種発売されていて、私も数種類購入して、熱射病対策にカバンに常備している。
40分近くかかるが、その間、2個くらい舐めている。


でも、これって、せっかく(ウィークデイの)ビールを控えている身には、別の意味で太る原因となってしまって、元の木阿弥となってしまうか。

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