こんな気持ちでいられたら

世の中、家族、犬、病理、医療、鎌倉、生き方、読書
日々あれこれ考えたことを書いています。

Servant leadership・・・書き留めておきたい3つの言葉(3)

2019年12月06日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
書き留めておきたい3つのこととして、これまでに”ともに生きる”、”医師は患者のガイドである”をあげた。最後の1つは”Servant leadership”。

”Servant leadership”
ハンドアウトには、
・”Servant leadership”(と)は力づくで引っ張るのではなく、Missionに向かって自発的に歩み始める人を後押しする(こと)。それは使命感に基づいてなされる高貴な行動であり、組織やチームに目標を達成させる大きな力になる。
・”Servant leadership”はまず相手に奉仕し、その後相手を導くものである。

とあった。さらに、”Leadership”とは、

・戦略的思考(Strategic thinking)
・情緒的理性(Emotional intelligence)
よりなり、
・変革への挑戦で、Mission, Passion, Actionを持つ必要がある。
とのことだ。

管理職向けの研修会だったから、最後はこのようなテーマになったのだろう。
リーダーとは何か。リーダーは部下とか研修医、学生といった若い人が、どうしたら、病院さらには日本の医療のミッションを理解してもらい、それに向かって歩み始めてもらえるように気づかせ、それに向かって歩み始めることを後押ししてやれるかということを考えなくてはいけない。
そのためには、自らが使命を持たなくてはいけない。
自分の使命、すなわちミッションはなにか。ミッションを持たずにいきている人には魅力がなく、誰もついてこない。そして、ミッションを持たないリーダーの元では組織は早晩崩壊する。
そして、自らのミッションの実現のためであれば、相手に対して奉仕することは苦にならないし、むしろ喜びとなるだろう。それが”Servant leadership”。
さらに、Leadershipはそれに引き続いて発揮すべきもので、戦略的かつ情緒的に発揮する。私の周りの優れたリーダーは、よく考えているし、よく思っている。
Mission, Passion, Actionとは、具体的にどういうことかと考えていたら、昨日、中村哲先生の訃報を聞き、まさしく中村先生の生き方はその一つのお手本だった。返す返すも残念なことだ。

私のミッションとはなんだろう?
ミッションとは何かということを、これまでにも何度か考えたことがある(私のミッション - 2010年5月13日)。読み返すと、漠然としていてなんだかよくわからない。
では、10年近く経った今の私はどう考えているか。
今回、私のことを誘ってくれた院長にミッションを提示されたから、私はその考えに共感し、私のことをとても大事にしてくれた教室の仲間に迷惑をかけながら大学病院を辞めてきたのだ。前の大学でも、教授は私にミッションを提示してくれていた。それよりも大きなミッションがあると考えたらからこそ、私は今ここにいる。

院長に提示されたミッションも大きなものだが、かつて暗中模索していた頃に比べたら格段に明確だ。決してスケールが小さくなったのではない。
私はこのミッションを常に意識し、情熱を持って行動したい。

やるべきこと

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医師は患者のガイドである・・・書き留めておきたい3つのこと(2)

2019年12月05日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
書き留めておきたい3つのこととして、昨日は”ともに生きる”について書いた。
2つめは”医師は患者のガイドである”。

”医師は患者のガイドである”
ハンドアウトには、
・病気の治療は山登りのようなものである
・医師は患者の山登りのよきガイドでないといけない
・医師は患者とともに歩まなければならない
・ともに生きるところに癒しがある
と書いてあった。
患者さんと直接接する機会の少ない病理医であるが、それは表面的な問題で、私は患者さんの病気そのものに触れていて、やはり医師の一員と自覚している。
病気を克服するというのは難しいことだ。完治を目指すことのできない疾患は少なくない。がんなど、”とってさえしまえば”という考えは間違っていて、その部分の欠損による機能障害が新たに出現する。患者さんにおこるすべてのことを医師は把握するなど、土台無理な話だ。医師はそのことを自覚し、ベッドに縛り付けて患者さんを支配するようなことがあってはならない。
さらに、医師として患者とともに生きるとして
・患者を大切にする「ともに生きる精神」として、
   患者の気持ち、立場を考える
   医療において、患者の利益を大切にする
   患者の悲しみ、喜びの共有
   治療に最善をつくす
     患者もチームの一員として責任を持ってもらう。
という話もあった。
病気をかかえ、対峙し、生きていくのは患者さんであって、医師ではない。医師の役割は患者さんに生き方の選択肢を提示し、患者さんが希望することが実現できるよう、手助けをすることだ。医師にしかできないこと、というのは診断、治療で、これについては最善を尽くすことはいうまでもない。医療資源の有効利用ということも医師は意識していなくてはいけない。


アフガニスタンで、復興支援のための活動を行なっていた中村晢先生が、銃撃されて亡くなられました。そのご功績に心からの敬意を表するとともに、ご冥福をお祈り申し上げます。

無念

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ともに生きる・・・書き留めておきたい3つの言葉(1)

2019年12月04日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日の研修会での講義の一つに、医療についての話があって、その中に、忘れないように書き留めておきたい言葉があった。こういうことをしてしまうのは、私が付和雷同な人間だから、すぐに影響されて飛びついてしまうからなのかもしれないが、講師の先生も先人から学んだことを私たちに伝えてくれたのだとしたら、むしろその言葉を忘れず、私なりに考えていくことが私の使命ということになる。話の中から私が感銘を受けた言葉を3つ選んだ。
今日は、その1つめ。

”ともに生きる”
ハンドアウトには、
・お互いの生命を大切にし、助け合って生きる
・時にはぶつかることもある
・それを乗り越える情熱を持つ
・さらにより良いものを目指して我慢する
・決して甘いものではない
・一生懸命生きる
・乗り越えた時の喜びは感動を呼ぶ 出会い
・”我と汝”の世界
とあった。
日本語の”生きる”という言葉は、英語の"to live"とは異なり、"to have a life mentally, spiritually, emotionally"という意味であり、英語の”生命を維持している状態(to have a daily physical life)"とは異なり、日本語の”生きる”が日本人のメンタリティーの根幹にあるとのことだった。その延長上にあるのが”ともに生きる”だ。

プライベートでも、仕事でも、人と人がともに生きていくということは大変で険しいことだけど、その険しいことを乗り越えたらそこには喜びがある。生きとし生けるものすべてに共通する普遍的なことでもある。

病気になったらどう考えるか

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研修会、講習会、etc

2019年12月03日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今の職場に来てから、研修会とか講習会をたくさん受けている。年度の前半に受けておけたのもあるから、私のように年度の後半に着任してきた人間は余計に間隔が詰まってしまうのかもしれない。それにしても多い。今日の午後は院外の施設での研修会だった。息子が生まれた頃に住んでいた思い出深い場所だ。新しい建物が増えて、ずいぶんと様変わりしてしまっていたけど、夫婦でよく足を運んだ焼肉屋さんは健在だった。

どの講習会もそれぞれのテーマ、内容は充実している。テーマについては、医療安全とか、医療倫理、感染対策などそれぞれまったく別の分野の話だからどれがいいとか、面白いとかいうことはない。各分野、知見も集積されてきて、講義内容も洗練されてきているということはわかる。講師もなかなか上手で、比較的若い人が積極的に話している。一昔とは大違いだ。
私のように一人病理医だと、予約さえ入っていなければ、時間の調整は比較的つけやすいが、時間のやりくりがつきにくい部署の人などは出席の調整だけでも大変だろうと気の毒になる。先日、「あの先生だけ、講習があって、カンファレンスにでられません」などということがあった。年度の最終の講義まであとまわしにしてしまったらしく、どうしても出なくてはならなくなったらしい。主客転倒といえばそれまでだ。

最近はe-Learningも活用されるようになってきて、学会レベルでは主流になりつつある。もちろん私の病院でもe-Learningで取ることのできる単位もあるが、もっと活用されるようになるといいと思っている。技術的に追いつかないところもあるようで、一律とはいかないみたいだ。
ある程度以上の人間をどこかの会場に集めて、一定時間拘束するということは、それだけの人間がその時間に生み出す対価に見合ったものを提供しないといけないということを意識してほしいと思う。

ところで、今日の講習会だが、とてもためになるものだった。

講師も大変だろう

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2019年10月の読書記録・・・犬の気持ちが知りたくて

2019年12月02日 | 読書・映画・テレビ
いまさらながら、犬の気持ちが知りたくなって、それらしい本を読んでみた。多くの、犬もしくは猫、それどころか人間以外の動物と関わっている人は、彼らの考えていることを知りたいと思っているに違いない。でも価値観がまったく異なる動物に人間の価値観はほぼ通用しない。そしてそんなことを試みたところで、人間(飼い主)は自分の都合のいいようにしか考えられない。ペットの場合、野生動物とは違い、自分自身で生きていく力は乏しい。でもそれも人間が生物学的に変えてしまったからだ。いまや、世界中の野生動物すら人間が支配している状態だから、アフリカの自然公園が大きな動物園に見えてしまう。世界の漁獲の3分の1が無駄になっているという話を聞くとなんともやるせない。
人間は動物の権利をもっと尊重していくことができるだろうか。

読んだ本の数:6
読んだページ数:1409
ナイス数:63

生命式



表題作は星新一の「テレビショー」を彷彿とさせる。ほかには小松左京の「地球になった男」的な話もある。この手の話は筒井康隆が「俗物図鑑」ほかの作品で既に散々試みているので、新鮮味は無い。帯にはいろいろ書いてあって、余計に期待してしまった。これまでの作品を集めただけという感じが否めず、高いお金を払って買ったのにと残念な気持ちになった。
読了日:11月28日 著者:村田沙耶香

源氏姉妹 (新潮文庫)



源氏姉妹 (新潮文庫)感想林望の謹訳源氏物語を読んだのが4年前、ずいぶん忘れてしまったからまた読もうかと思っていた時、出会ったのがこの本。あの大作をわずかこのページ数で解説してしまうとはあっ晴れ、酒井順子。できたら、宇治十帖、浮舟と匂宮の物語を濃密に描いていただけると・・・、などと今の世の男はまったく馬鹿な発想しかできません。
読了日:11月18日 著者:酒井 順子

続・星守る犬



一作目に続けて読んだ。犬が人間と同じような思考回路にあるとは思えないけど、数千年の歴史のうちにお互いを考え合うタイミングというか距離感みたいなのができたのだろうか。寂しくて辛い生き方をしている人ばかり。その人たちの人生に犬が関わるだけで彩りが加わり幸せな気持ちになった。犬は自分だけでは生きていけない。だから飼い主の責任というのはとても大きい。
読了日:11月09日 著者:村上 たかし

星守る犬



たら、れば、が許されたら、お父さんにももう少し別の運命があったかもしれない。でもこの国はそういうことはなくて、お父さんは逝ってしまった。そしてハッピーはいつもそばにいた。犬のこと、もっと大切に、優しくしてあげたいと改めて思った。お父さんに、奥津さんに犬がいてよかった。
読了日:11月08日 著者:村上 たかし

犬とハモニカ (新潮文庫)



飼い犬と主人の心温まるお話しかと思っていたのだけど、全く違って笑ってしまった。いろいろな人がいろいろな人生を紡ぎながら生きているという話。みんな、というかほとんどの主人公は立派な?大人。なのにみんな手探りで生きている。不安を感じながらも、その時々を楽しく。人生なんてどれも同じようなものかもしれない。
読了日:11月07日 著者:江國 香織


共に生きるとは

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あれとこれとが重なって

2019年12月01日 | 家族
街はすっかりクリスマス。
息子が婚約したので、相手のお嬢さんのご家族とお昼を一緒にいただいた。おめでたい話で、私も妻も娘も喜んでいたのだけど、半月ほど前にフラットコーテッドレトリバーのナイトが倒れてから、この日を無事に迎えることができるか心配していた。お祝い事だから日延べするわけにもいかないし、でもそうしている間にナイトに何かあったらどうしようと、添寝しながら妻も私も葛藤していた。
ナイトのボランティア仲間の方に相談したら、老犬専門のペットシッターさんを紹介していただいた。そしてたまたま今日、キャンセルが出て、お留守番をお願いすることができた。
お食事会は無事おこなうことができて、ナイトも無事落ち着いて半日、留守番してくれてた。
シッターさんによると、コロも一緒にナイトの面倒を見てくれて寂しくありませんでしたとのこと。

ナイトはまだまだ

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ナイトとコロと私と命

2019年11月30日 | コロ&ナイト
空気は冷たいけれど、青空が気持ちいい。
フラットコーテットレトリバーのナイトは、自力ではほとんど動けなくて、昨日からお腹で荒い息をしている。
昨晩は娘が添い寝した。ナイトが夜中におもらしをしてしまったとかで、一人で随分頑張って世話をしてくれたそうだ。
もう、ヘトヘトの妻と娘を出かけさせて、私とマルチーズのコロとでナイトの面倒をみることにした。
コロはナイトの調子が思わしくないことがわかっているのか、付かず離れずいてくれる。
コロはさっきまでナイトのそばで日向ぼっこをしていた。十分お日様を浴びて気が済んだのか、コロがどいたので、今度は私がここにきてこの記事を書いている。日差しが暖かい。コロは家の中で一番気持ちのいい場所を知っているのだ。
ナイトの手を私の膝の上に置いている。手も足もほとんど力が入らないようで、腕を持つとブラブラさせるばかり。まだ、9歳だから、体格もまだまだいいし、毛艶もいい。それでも、がんはコントロールできなかった。
からだを撫でてやっていると、少し呼吸の調子が変わる。まだまだ私のことがわかる。
”いいこだね”とか、”グッドボーイ!”などと褒め言葉を耳元で囁いてやるのだが、そうしていると、元気だった頃の思い出が次々と湧いて出てきて、泣けてくる。
「みんなと一番一緒にいたいのは、ほかならぬナイトだよ」という娘の言葉はそうだと思う。命あるもの、少しでも長く、愛する人と一緒にいたいと思うはず。

ナイトは犬だから、わたしたち人間とはまったく違うだろうけど、この子はこの子なりにそんな思いをしているのではないかと、ナイトの冷たい手を握りながら私は考える。

命ある限り

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顔のむくみとリバウンド

2019年11月29日 | スポーツ・健康・ダイエット
昨晩、病理と関わりの深い某科が私の歓迎会を開いてくれた。新しい職場で戸惑っているところで、こうやって私のことを気にかけてくれる人がいるというのはとても嬉しい。
嬉しくなって、調子に乗ってあれこれ喋りすぎ、さらには飲み食いもすぎた。勧められるがままに、飲んでしまい、さらにはつまみも食べて、と、楽しいひと時だったのだけど、ダイエット中の身としては大失敗。一日で3000キロカロリーを超えてしまい、ダイエットアプリ”あすけん”にも、”たべすぎ!”と判断された。

そして今朝。起きたら顔がむくんでいる。顔がむくむ原因はとしてはいろいろあるようだが、わかりやすいのはアルコールによる血管拡張と、塩分の摂りすぎ。拡張した血管に水分が溜まる上に、酒のつまみに使われている塩分のせいで、これを薄めようとして余計に血液量が増える。脳も腫れて頭痛もする。これが二日酔い。とにかく体が悲鳴を上げている。こんな飲み方を飲み会のたびにやってきたかと思うと、余計に頭が痛くなる。
飲みすぎたことによる、体に申し訳なく思う。

ダイエットを始めて2ヶ月ちょっと、先日ついに、5キロ減量を達成した。ペースが早すぎるという人もいるが、糖質ダイエットとかそんな極端なことはしておらず、減塩を心がけ、1日の目標カロリー量(2300キロカロリー前後)を守っているだけだ。
最近、何も意識しないで生活していた頃と違い、体の変化がわかるようになった気がする。こんな歳でも、そんな変化がわかるようになったとは驚きで、ダイエットの思わぬ副産物で、よかった。ただ、それがわかったのがお酒のせいでは情けない。

さて、残念ながら、むくみのせいだろう、体重は少し増えた。リバウンドといえばそれまでで、この数百グラムを取り返す(?)のにはまた数日かかる。忘年会が数回あるので、その度ごとに飲み食いは自制心を持って適量を守ろうと思う。

なにごともほどほどに

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税金の使われ方がとても気になるここ最近

2019年11月28日 | こんきも
納税者として、私はこれまで税金の使われ方にあまり関心を持っていなかったような気がする。政治家とか官僚が不適切なお金を使い方をしても個々の事象ばかりを気にして、それらがそもそも税金という、その人たちに預けたお金だということを考えていなかった。でも、消費税率が10%となり、さらに社会保障費も上がって、ずいぶんお金を払っているという気がするようになった。
私(たち)が支払った、というか託したお金が適切に使われるということが前提であるのだけど、これはどうなの?と思ってしまうことが少なくない。

マスコミをにぎわしているそれぞれのことは検証中のことだから、憶測だけでそれらをあげつらうことはしたくはない。だけど、説明を聞いていると???と思うことがたくさんある。それなりの役所に就職して、それなりの立場になったのだから、マスコミ対応をしていたりするのだろうけど、そんなに偉い人がそんなこと本気で言っているの?と思う。隠し事があるのではないかと思ってしまう。
関係者が包み隠さず真実を話してくれるようになればそれだけで世の中はずいぶん良くなるだろう。板挟みになって自殺までする人がいるけど、そういう人はある意味職務に忠実なのだろうけど、それは誰を向いての職務なのだろう?そして、命をかけて守るほどのものとはいったい何なのだろう。
人の目をごまかすことができても、お天道様をごまかすことはできない。仮にそれが権力者に蹂躙されたものだとしたら、それは納税者への裏切り行為でしかない。

天網恢々疎にしてもらさず

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通勤でのスマホのストレス

2019年11月27日 | 通勤・交通
歳のせいなのだろう、通勤中に気になる事が増えた。この、通勤中に思うことというのはこれまでにもたびたび書いてきたので、ずいぶん前から精神的に老け込んでいたとともいえる。ただ、このブログを書き始めたのが40をすぎてからだから、すでに感性は中年男のそれではあった。とにかく、学生時代、通学を苦にしたことはなかった。いまさら、目新しいことはないが、思い出したようにここに不満を述べたてて日々の通勤ストレスのガス抜きをしているだけだと言われたらそれまでかもしれない。
毎日手を変え品を変え私を襲ってくる、それぞれの出来事に対して、いちいち目くじらを立てていたら血圧が上がりっぱなしになってろくなことはない。そんなことわかっているのだけどそれにしてもマナーというか周囲への気配りというものが失われてきている。そして私自身もそうしているのだから始末に負えない。
通勤に関し、以前と大きく変わったのはスマホの出現とそれによる環境の変化だ。ずいぶん長い間ガラケーで記事を書いていたが、推敲、誤字脱字のチェックなどスマホを使うようになってずいぶん楽になった。車内を見回すと私を含め7割前後の人がスマホの画面を覗き込んでいる。私のもそうだが、何がそんなに入っているのかわからない大きなリュックを前に抱えて周りから文句を言われないようにと気を使いながら自身の小さな世界を守っているようにみえる。
そして、そのスマホのマナーが時々とても気になる。最近気になるのはスマホの突き出し。狭い車内で画面の文字がよく見えないからか、少し遠目に見る中高年の突き出すスマホが背中にぶつかってくると困る。覗き込んでいる画面を押し返すわけにもいかず、かといって体をずらしても鬱陶しそうに睨まれる。「そもそもあんたが!」と心の中で叫びながら、次の駅でドアが開くのを待つ。

あとはホームでのこと。ラッシュ時に駅のホームを歩くにはホームの端を歩くしかないのだけど、先頭には立っている人のほとんどがスマホをホームに向かって突き出している。一歩下がっていてくれたらいいのだけど、ホームから人がこぼれそうになっている状況だから点字ブロックギリギリに立ってスマホを突き出している。目の不自由な人が気の毒だということもあるが、健常者にしても、肩がぶつかりやしないかとひやひやしながら歩かなくてはならず、はなはだ迷惑だ。などと思いつつ、さらにはホームに落ちやしないかと冷や冷やしながらホームの端を歩いている私もあまり褒められたものではないし、自分が先頭に立っている時に邪魔にならないように常に意識しているか、心配になる。
たぶん、私が今時の学生だったらこんなことまったく気にならなかっただろうと思うと、若者が変に偉く見えてしまうのは若さへの劣等感か。

人の振り見て我が振り直せ

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