こんな気持ちでいられたら

生き方、世の中、家族、医療。あれこれ考えたことを書いています。

鎌倉の紅葉狩りにご案内

2021年12月04日 | 鎌倉
 朝晩の冷え込みが一層厳しくなってきた。
 妻のかつての仕事仲間の親方が紅葉の写真を撮りたいということで、本当は先週来ていただく予定だったのが、今日になった。水曜日の大雨で銀杏や紅葉の多くが落ちてしまったが、紅葉の名所を1ヶ所訪ねた。
 よく知らなかったが、来年の大河ドラマは「鎌倉殿の13人」とのことで、舞台の一つとかの覚園寺を訪ねた。昼間は暖かく、お客さんと妻と私の3人で、のんびり歩き、秘仏も拝観することもできた。
 お会いするのは久しぶりで、たくさん話し、楽しい時間を過ごした。
夜も寒い

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悪いのはJR東日本かそれとも私か

2021年12月03日 | 通勤・交通
 一昨日、昨日、今日と3日間滞りなく通勤できた。こんなこと最近では珍しく、幸せな気持ちだ。

 鎌倉から東京方面に向かう列車は不具合が多い。横須賀線、東海道線、湘南新宿ラインの3線は千葉埼玉と直通運転をしているのでどこか遠くで何かがあっても、離れたところで遅れが生じる。都心のターミナル駅で一度乗り換えるのでその先でも遅れが生じることがある。

 不具合には色々あり、人身事故はもとより、車両故障、異音、踏切内立ち入り、乗客の救護、車内トラブル、緊急停止ボタン、車内警報その他もろもろ、素人の私が思い浮かべるだけでもキリがない。列車はその都度止まったり、減速したりで5分10分遅れるので、毎朝同じ時刻にに乗っているのに、職場に着く時間はバラバラで、遅れのため1、2分の遅刻になることもある。今の職場は出退勤管理が厳しく、遅れたら理由を届けなくてはいけない。カードリーダーは列車の遅延など忖度してくれなどしないのだ。

 もちろん大雨など自然災害で遅れが出てしまいそうな時は私だってちゃんと対応している。幸い遅れることはなかったが、一昨日だって30分ほど早い列車に乗って行った。だが、あれこれのマイナートラブルによる遅延は予想がつかないので、そこそこピンポイントな時間を目指して行くことになるので、1、2分の遅刻というのにつながってしまう。

 さあ、あと少しで到着、

 なんてところで急停車して止まると列車内全体の空気が落ち込むのを感じる。一緒に乗っている人も大なり小なり繰り返される遅延に落胆しているのだろう。

 こういう羽目に陥ることが嫌で、早くに家を出るという手もあるが、乗り継ぎのことを考えると今のタイミングが最善でこれをずらすのは躊躇する。だが、そういうことをしないで文句を言う私もまあ、多分努力が足りてはいないと自覚はしている。

 ある時、立ち往生した列車の中から、妻に向かってラインで、

 また、遅れているよ。

 と嘆いたら。

 あら、JRの人も大変ね。あなたもこころ穏やかに気をつけて行ってください。笑顔でね。

 と返事が来た。鉄道会社の人が困っているということを真っ先に思いやれなかったことを恥じ入った。結局のところ、JR東日本はサボっているのではないのははっきりしているので悪くはない。私としてはビクビクしながらも大人しく乗車し、残念ながら遅れた時にはその都度事務室まで出向き、毎回その旨届け出ている。
999に比べたら

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他人に期待はするなというが、政治家の仕事は”期待される”こと

2021年12月02日 | 日本の将来・世界の未来
 この日本という国に不満があるわけではないが、物足りなさは感じる。ただそれはより優れた政治を求めてしまうからなのか、節制できない国民性にあきれているのかはよくわからない。そうは言っても、中国、北朝鮮を除けばコロナ禍を今の日本以上にコントロールしている国など世界中どこにもない。節制などという言葉、自分の若かった頃の生き方を思い出したら口が裂けても言えない。世界でもトップクラスのマスク着用率がここ数ヶ月の新規感染者数に現れているわけで、国民性だってまずまずだ。だから、物足りなさを感じるものの、これといった不満を上げるのは難しく、まあ、今のままでいいのかと思ってしまう。

 これは、1ヶ月ほど前に行われた総選挙で、自民党が圧勝した安心感とか、終わってみたら一体何が言いたかったのかわからなかった立民の議席減とか、維新の躍進とか、政治体制が落ち着くところに落ち着いたから感じるのかもしれない。落選した人や、落選した人を応援していた人を除けば、国民の多くはこの選挙結果を受け入れているだろう。投票率が55%だったからといって、半分近くの人は投票に行ったし、残りの人は”投票に行く人に白紙委任”したと考えたらいいような気がする。

 人との付き合いで、

 他人には期待してはいけない

 とはよく言われることだが、個人的なレベルでは他人に期待してはいけないが、政治家の仕事とは、”期待されること”であって、選挙とはその期待度の尺度だ。

 今、政治に期待することはたくさんあるが、新型コロナ対策を軸とした政策、新型コロナありきの政治というものを行って欲しい。そういう点でも総裁選での岸田総理の弁は記憶に残っていて、政争にかまけることなく、国民の期待に応えるべく、より良い政治を行うことに邁進してもらいたい。
自分でもできることを考える

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師走に入りクリスマス飾り

2021年12月01日 | こんきも
 師走の始まりは大荒れで、寒冷前線の通過に伴う嵐には夜中何度か起こされた。朝になってようやく小康状態となったが、周りは落ち葉の絨毯、庭の紅葉はあらかた吹き飛ばされてしまったようだ。昼間は晴れるが、北風が入って寒くなるらしい。

 去年の12月は一体何をしていたのだろうかと思い出そうとしてもよくわからない。ブログを読み返すとほぼ毎日が新型コロナの話で埋められていて、新型コロナの前に立ちすくんでいた1年だったということがわかる(すべてがつまらなくそして味気なくなっていく   2020年12月10日 )。今、東京都の新規感染者数が50人を下回る日が続き、ずいぶん落ち着きを取り戻したかと思っていたところで、新規変異株(オミクロン株)の出現。今年はこじんまりとしていてもいいから忘年会を開こうと思っていたが、詳細がわかるまで飲み会はしばらくお預け。

 12月に入るということで、昨日技師さん達が帰った後、病理診断科の奥の私の部屋の入り口にクリスマスツリーを置いた。星が大きすぎるのはご愛嬌で、以前大きなツリーに使っていたものだから。ツリーを置いたのは標本置き台の上で、普段は小さなフィカスを置いているが、25日までは交代。私の使っている顕微鏡越しに見るとこんな感じで、外からはちょっと部屋を覗き込んでくれたら見える。ツリーにつられて入ってくる臨床医がいたらもうけものだ。外廊下から見えるところにも何か置こうか。
 年内に片付けないといけない仕事はまだまだたくさんある。忘年会がない分体調管理は楽そうなので、寒さ対策に気を使って日々過ごそう。

 そういえば、去年の12月にはこんな記事もあった、


 色づいた葉がまだ残っていてくれるといいのだが。
穏やかな年末となりますように

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祇園精舎の鐘の声、

2021年11月30日 | 生き方について考える、あるいは哲学的考察
 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。 たけき者もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ
平家物語

 2日続けて何か気取ったつもりはないのだが、某大学の理事長が脱税で逮捕されたという話を聞き、平家物語のこの一節が頭をよぎり、こんな書き出しとなった。件の人物の噂はたびたび報道されたが、いつのまにかうやむやになる、そういったことが繰り返されてきた。今回の騒動も尻切れトンボになるのではと思っていたら、検察の描いていたシナリオはそんなことでは収まりそうにないようだ

 こういう人は程度の差こそあれ世の中には大なり小なり、はいて捨てるほどいる。強欲であると言われても、その人自身は自分が強欲だなどとは思っていないわけで、捕まって自分のどこが悪事であったかもわからないでいるだろう。ごく当然のことをしているだけだから、自分が妬まれ、羨ましがられているということももちろん知る由も無い。

 だが、これは他人ごとではない。こうしてのほほんと日々ブログを書き連ねている私自身の人生も、人から見たらおごったものであるかもしれないが、それがどのようなものであるかを知ることはできない。わからないならわからないなりに、自らがおごった人間にならないよう戒めて生きることが唯一の道だが、それは難しい。

 昨日思った方丈記(13世紀初頭)にせよ、この平家物語(14世紀初頭)にせよ、いつの世も人は無常感を抱えながら生きているということが伝わってくる。人は誰しもいつか死ぬ、世界は無常であるということを自覚すれば多少は道は開けるかもしれないし多少は心を落ち着けて生きることができるかもしれない。
人間としてのあり方を考える

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ゆく川の流れは絶えずして、

2021年11月29日 | 生き方について考える、あるいは哲学的考察
 ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。 よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
鴨長明『方丈記』


 夜明けの空は昨日と同じではなく、日の出は少し遅くなる。南アフリカで新たな変異株が確認され、すでにヨーロッパ、オーストラリア、香港に入っているそうだ。詳細がわかるまではしばらくかかるだろうが、危機管理としては最悪の状況を想定して対応する必要があるから皆さん一苦労だろう。無常ということを感じないではいられない日が続く。

 すべてのことが平穏無事に過ぎ去っていくということがどれほどありがたいことか、この2ヶ月間を振り返りしみじみ思う。細々とでも日々の営みを繰り返し、やがて老い、死ぬ。そんなごく当たり前と思っていたことがどれほど困難なことであるか、想像することは難しいが現実は苦しく、悲しい。

 人生は出会いと別れ、様々な局面で色々な出会いがあり、色々な別れがある。コロナ禍は出会いの機会を減らしたが、別れの機会を極端に減らした。このままの状況が続いていけば、2度と会うことのない人は増えこそすれ、減ることはないだろう。ましてや新たに出会うことなどできるだろうか、寂しいものだ。

 人の目に見えるものなど、ほんの些細なことでしかなく、微視的な視点が必要なものから、巨視的な捉え方をしなくてはいけないものまで多々あり、それらを考えると私たちは何も見えていないし、何も知らない。そのことを自覚して生きることが人にとって一番幸せな生き方かもしれない。
今を生きる

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固定電話の持つ意味とはなんだろう

2021年11月28日 | 電脳化社会
 よくよく考えてみると今日はもう11月28日。昼間は暖かだけど、夜は冷えるようになった。とくに何かをするということもなく、1日過ごした。

 夜、電話をするのは初めてという方に、自宅の固定電話から携帯に電話したのだが出てくれない。改めて携帯から電話したら出てくれた。

 ひとしきり話して電話を切ったが、固定電話の持つ意味とは一体なんなのだろうと考えた。

 そういえば、店で自分の連絡先として書くのも携帯の番号。公的機関にはまだまだ固定電話の番号を届けているか、この先どうなるだろう。
FAXもだいぶ使わなくなった

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久しぶりに都内でデート

2021年11月27日 | 家族
 もう12月になろうというのに、アイスバーグがよく咲いている。地植えのバラも蕾をつけていて、まだしばらくの間は楽しめそう。今日も昼間は小春日和だが、夜は寒くなるらしい。

 来月の母の誕生日祝いを買いに都内に出た。品物は妻に選んでもらうことにして、私はその間このところ忙しく行っていられなかった床屋に行った。
 店のある外苑前で降りたら強い風が吹いていた。天気予報の通り木枯し1号かと思ったがどうやらそれほどの強さではなかったらしい。せっかくなので、絵画館前の銀杏並木を歩こうと見に行ったらすごい人出で、青山通りから写真を撮ってそれだけで帰った。ほんの少しだけだが都内でのデートとなった。
 プレゼントの値段が予算よりもだいぶ高かったのをボヤいたら、

(去年お父さんがなくなってから、お母さんも)
 一人で頑張っているのだからいいじゃない

 と返された。
 妻が欲しいだろうに、そういうことを言ってプレゼントできるというのは、ずいぶん優しい人と結婚したものだといまさらながら実感した。
妻のおかげで

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人の命は儚いものなのに

2021年11月26日 | こんきも
 昨日、また大きな交通事故があり、2人の命が奪われた。鎌倉の隣の戸塚区でのことで、テレビに流れる画像は記憶にあるものだ。事故を起こした人は事故を起こしたくて起こしたわけでは無いが、結果として取り返しのつかないことをしてしまった。同じ運転免許証を持つ身としては他人事ではない。無防備な人の間を凶器ともいえる自動車を運転することの重大性を改めて考えなくてはいけない。

 新型コロナウイルス感染症の感染が拡大した初期の段階では多くの方が亡くなり、著名人も含まれその恐ろしさを多くの人が実感した。日本ではこれまで、170万人あまりの人が感染し、18、349人が亡くなっている。感染拡大は奇跡的に終息し、治療法もほぼ確立されて、新規治療薬の開発も進んで、もはや亡くなる人はほとんどいない状態だが、新たな変異株がでてくる可能性もあって油断できない。

 エチオピアでは内戦状態となっているそうだ。広大なアフリカ大陸には多くの民族がいて、互いに反目するようなこともあるのだろう。内戦だの紛争は世界中に溢れるほどあり、日々多くの人が命を落としている。人間にどうして言葉の差異、民族の差異、肌の色の差異が存在するのか、詳しいことは知らないが、だ、同じ種としてほぼ同じ時期に地球上に存在していることからは同種の生物といっていい存在なわけで、殺し合うということは互いの存在、ひいては自らの存在を否定することにつながってしまう。

 薄皮一枚纏っただけの脆弱な存在である人間は、膨大な命の上で生きながらえてきたが、その命運など一寸先は闇で、どうなるかなんてわかったものではない。いつ頭上にミサイルが飛んでくるか、テロに巻き込まれるか、車が突っ込んでくるか、知らないところで恨みを買っていて殺されるか。天寿を全うするなど覚束無いことと覚悟して生きなくてはならない。

 とはいうものの死ねと言われてハイそうですかと死ぬのも嫌だ。だとすれば、他人を自分と同じように尊重して生き、自分は自分で身体を労わって生きることが求められるのだが、どちらも言うは易し、行うは難しだ。
いくら生きてもわからない

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命のあり方がどんどん変わっていく

2021年11月25日 | こんきも
 昨日、移植臓器の診断を行なっていたら不思議な感覚に襲われた。

 腎臓とか肝臓、心臓、骨髄その他多くの臓器が移植手術によって人から人へと移しかえられている。その臓器、移植された人にとっては一旦廃絶した機能を代替してくれるありがたい存在だが、元々は他人のものだから拒絶反応が起こる。その拒絶反応を抑えるために免疫抑制剤を使うが、大抵の場合副作用が生じる。免疫抑制剤は一生使うので副作用が起こっていないかを、生検で一部を採取して定期的に診断するのだ。

 私が診ていたのは、脳死の方から採取された臓器とのことで、診断申込書に書かれたその文字を見た刹那、

 臓器を提供した人は、すでにこの世にないといえるのに、この患者さんの体の一部として生きながらえているのか。そうすると、この患者さんはこの臓器によって生きているわけで、では、この臓器とは一体誰なのか。

という考えが頭をよぎった。こんなことは、臓器移植が始まって何十年も経ち、当たり前のこととして言葉では理解していたのに、昨日は妙に頭の芯が揺さぶられるような感覚がした。それは、ここのところ毎日のように起こる殺人や紛争のニュースをつうじて感じる人の命の軽さを感じているからかもしれない。

 昨晩、NHKのニュース番組で、身体中の筋肉の機能が徐々に低下する難病ALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者さんが体の様々なパーツを人工臓器に置換させ、AIの力を使ってサイボーグとして新たな命を得ようとしていることを伝えていた。生きようとする強い意思を感じたと同時に、肉体という余計なものを脱ぎ捨てつつある新たなる命のあり方が現実になりつつあることを知った。

 コロナ禍によってもたらされたバーチャル世界は人が実際に”そこ”に行く必要性を激減させた。互いがその場に存在することは重要ではあるが、そんなふうに考えること自体、やがては時代遅れとなっていくのかもしれない。

 移植医療、殺人、AI、バーチャル世界、人間社会では全ての事項が同時並行的に渾然一体となって進行し、命の軽重とその定義づけも急速な変化を遂げている。私たちの誰もがそのような”命のあり方の変化”に直面しているということを自覚して生きるべきなのだが、その全体像が見えてこない今、それはまだ難しいことかもしれない。
永遠の命とは

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家の敷地とマイ国家

2021年11月24日 | こんきも
 冬の寒さが一気にやってきたようだ。風も強く、薄手のコートを羽織って出てきた。

 このところ新聞・テレビで中国の話を見ない日はない。”友好国”ロシアのプーチン大統領が北京オリンピックに行くとか、芸能記事を規制するとか、不倫を訴えたテニス選手の安否が依然不透明とか、話題には事欠かない。どの内容もこうして気楽に日々ブログを綴っている身からみると不気味で、国民は不自由そうに見える。

 あんなにたくさんの人間を、どうやってどこまで締め付けることができるのかわからないが、3000年の歴史から見たら、中国共産党支配がこの先、100年か200年続いたところで、ほんの一区切りに過ぎないわけで、しばらくはこのままびくともしないだろう。国家というシステムを一旦確立してしまったら、上層部が腐敗しなければうまく存続する。独裁国家はトップが清廉潔白、尊敬できる人間でありさえしたら国民は案外安心して暮らしてしまうかもしれない。

 星新一の作品に”マイ国家”というのがある。自分の家のある敷地を独立国家と考える人で、外部との接触は整合性を保っており矛盾はない。自分の家の敷地にしても国の領土にしても、そこを支配する人間は為政者としてさまざまな方法で統治する。恐怖による支配、搾取による支配、教育による支配などが主流のようで、システムとして機能させている国は多い。その方がいいという人もいれば、そんなのはまっぴらだと思う人もいるだろう。

 これは家庭レベルでも同じで、そういったシステムの無い家、システムが不要な家、むちゃくちゃ”厳しい家”なと様々あるに違いない。昨今の家庭内での悲劇がどのようなことで生じているのか、到底伺い知ることはできないが、同居人が自分を殺そうとしているなどと考えただけでも恐ろしい。国家間の争いに端を発する戦争はナンセンスだが、家族間の憎しみもナンセンスだ。話し合うことで、殺し合いを避けることもできるだろうからその努力を怠ってはいけない。

 それぞれの家のあり方に文句を言ってはいけないのと同じで、それぞれの国体を軽々しく評価してはいけないのだと、あれこれの諍いを見るとつくづく思う。人間社会とはかくも難しい。
まとまりがつかない

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鎌倉に冬の寒さがやってきた

2021年11月23日 | こんきも
 一昨日までの小春日和は昨日の寒冷前線の通過とともに消え去ったようで、今日は晴天で、土を運んだりなんだのしてほんの一時汗を掻く程なのになんとなく寒々しかった。いよいよ鎌倉にも冬がやってきたようだ。10日ほどの前に作った寄せ植え、そろそろ根が落ち着いただろうということで今日デビューさせた。ハート形のは私が作ったうちの1個で、両脇のは妻が作った。もう一つは平置きで玄関先に置いた。

 私の住む街鎌倉がNHKの全国ニュースで報じられるほどの災厄に相次いで見舞われた。いわゆる旧鎌倉という地域で、東西南北を山と海に囲まれた地域だ。先週、駅の近くの商店の並ぶところで大火事があり、何軒かの家が消失し、亡くなった方もいた。そして、昨日は山側の閑静な住宅街で殺人事件が起きた。犬の散歩コースにあるお屋敷で、つい先日も高所作業車で庭木の剪定が行われていたのを見て、

 ”これほどのお庭を維持するのはずいぶん大変だろう”

 などと、妻と話した。

 犯人が捕まっておらず、まだ心配だ。昼間、ハンギングを据え付けていたら警察犬を連れた警官がやってきて、裏山の方を確認していった。市街地の防犯カメラに姿は捕らえられていなかったのだろうか。山の方に逃げこんでしまったら見つけることは難しいかもしれない。

 一昨日、買い物に出かけた際に、件の火事現場の前を通った。焼け出された家の一つには妻の知り合いがいるというこで、心配していた。近所には今回の事件のお宅をご存知の方もいる。まさか、こんなに身近なところで、こんなことが起こるとは全くの驚きだ。故人のご冥福と、事件の1日も早い解決を願う。
南無阿弥陀仏

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みなさんのブログを訪問

2021年11月22日 | こんきも
 今日は夏休みの日、コロナ対応で夏期休暇取得期間が11月末までとなっていたためで、旅行はもう軽井沢に行ってしまったので、今度の4連休は家周りのことをして過ごしている。

 天気予報通りの大雨。小節とはいうものの、南風が入っって暖かな空気が入っていた。明日は晴れるということで、楽しみ。

 時間があったので、ブロ友さんのブログを訪問。最近、人のブログを読むことが面白くなってきている。

 今日はいい夫婦の日、二人で飲みすぎてしまい、ブログの更新が遅くなり、あんまり上手く書けなかった。
いい日でした

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明日は大雨とのことで

2021年11月21日 | ガーデニング
 父の形見のプラタナスの葉がだいぶ黄色くなってきた。コナラの黄葉してきた。近所のもみじの紅葉もだいぶ進んで、鎌倉もいよいよ紅葉の季節となってきた。明日は、5コマ目の夏休みなのだが、あいにく大雨とのこと。残っていた庭仕事をやることにした。

 去年、100個近く採れたレモン、今年は7個(うち1個はしぼんでいた)。近所のお宅もレモンは不作だったらしいが、鎌倉の他のところはどうだったろう。
 15時過ぎまでせっせとあれこれやっているうちに、いよいよ雨が降り出してしまい、切り上げた。結果、今日は一度も敷地の外に出なかった。
コロは妻と散歩に行った

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こんなに小さな地球で争うのはなぜ

2021年11月20日 | こんきも
 中国とロシアの戦闘機や軍艦が日本の周りをウロウロしている。台湾は一瞬即発。それぞれ住んでいる人にとってそれぞれ都合があるのでそれまでを無視しなくてはならないとは言えないが、殺し合いまでする必要があるかというとそうではないように思う。

 今期のNHKの連続テレビ小説は先の大戦をまたいでいて、今週来週は出征、空襲と前半最大のクライマックスに差し掛かっている。考えてみると、こんなに多くの”素人”を戦争に駆り出したということはどう見てもナンセンスだ。そもそも兵士・兵隊という人たちも、戦うこと、人を殺すことを目的として生まれてきた存在ではない。

 人工知能の発達により、今後の戦争は機械による代理戦争が主流となっていくだろう。空中戦は戦闘機よりも無数のドローンを弾幕のように張ってしまった方が効率的なようだし、軍艦もタンカーのように数人で操船して、戦闘は遠隔でやったらいい。歩兵の代わりはなかなかできないだろうが、それも早晩ロボットが肩代わりするようになるだろう。

 結局のところ、戦争なんてなんのためにするのか、そもそもこんな小さな地球上の何を争うのか、そしてなんのためにするのか、なんのために争うのか、そのことをいま一度人類皆で考えることはできないだろうか。
殺し合いは馬鹿馬鹿しいこと

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