こんな気持ちでいられたら

生き方、世の中、家族、医療。あれこれ考えたことを書いています。

いい人生だったと思えるように生きるには

2021年09月22日 | 生き方について考える、あるいは哲学的考察
 昨晩の中秋の名月、月の周りをウロウロしていた雲は夜中のうちに雨を降らせたようで、朝、写真を撮ろうとヴェランダに出たら足を濡らしてしまった。

 ここのところ落ち込んでばかりで、自分でも一体どうなっているのかよくわからない。これもコロナ禍と関係しているのだろうか、1年半以上経って、”ウィズコロナ”の生活様式、社会様式が定着してきて、あれやこれやと私の周りの対外的活動も、以前と姿は違うものの再開してきた。

 この間も原稿書き程度はやっていたが、これなどこれまでの評価の裏返しに過ぎず、これといった評価を下されるわけではない。失敗しても次の依頼が来ないというだけのことだ。これが、研究会とか学会となると、面と向かって批判してくる人はいないものの、比較する対象が出現するためにどうしても自分の非力さを感じて、落ち込む。

 この癖、なんとかならないか。

 人は人、気にしなさんな。

 とよくいう。確かにそうで、落ち込んだところで、では、どうだったら満足できるのかということは明確ではない。

 あの先生みたいに上手にプレゼンできたらなあ、とかあの先生みたいに知識が豊富であったならなあ、とか、数えだしたらきりがない。そのすべてを備えた人間にでもなりたいというのだろうか。でも、そんなことはあり得ない。そもそも自分は自分でしかなく、自分を確固たるものとして認識することでそういう不安、落ち込みというものは発生しないはずだ。

 それにいつまで経ってもこんなことでは、人生を楽しむことができないわけで、それは後々よほどの後悔となってしまうに違いない。死ぬとき、

 ああ、いい人生だったな。

 と思えるように生きるには、どういう考え方でいたらいいだろう。
堅苦しく考えない

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才能のある人、ない人

2021年09月21日 | 生き方について考える、あるいは哲学的考察
 お墓まいりで疲れたのか、渋滞で疲れたのか、帰ってきてからの土いじりで疲れたのか、一昨日の疲れがたまっていたのか、おそらくそれらの全てのせいで、昨夜は10時前に眠ってしまい、夜中に1、2度起きてしまったものの、目が覚めて睡眠時間を確認したら7時間を超えていて、条件が整えば十分眠れると知り、なんだか嬉しかった。

 昨日、私が鉢増しとか、土の入れ替えとか、ニンニクの植え付け(土の中に埋めるだけ)をやっている横で、妻が久しぶりに寄せ植えを作った。最近、寄せ植えは私ばかりがやっていて、妻は遠慮してかほとんど作っていなかったのだが、お花の師範だけのことはありもともとよく作っていた。その妻がお彼岸をモチーフにして作った寄せ植えは素晴らしく、園芸店にもそうそうないような出来で、私など妻の足元にも及ばないと感じた。

 こういうのは、才能の問題で、美的センスというのがもともと違うのだろう。例えば絵であれば、プロ級だった父に追いつこうと思っても遠く及ばず、高校時代文芸の同人会をつくったところで、私より遥かに大きな世界観で小説を書く同級生がいて、バスケットボールであっても医学部のような狭い世界の中ですら遥かに上手な奴がいた。医者になってからは想像のつかない切れ味の頭脳を持つ人というのが世の中にはこれほどいるのかと日々思い知らされながら過ごしている。適材適所で、私にも生きる道があるのかと思って、ブログを日々綴っているが、一向に上手く書けない。洗練された文章を書く人、おもわず見とれてしまう美しい写真を載せている人というのがいて、ここでも才能の違いを感じる。

 どんな優れた才能であっても、それを開花させるまでの努力、それを維持する努力というのがあって、才能と努力が化学反応を起こすかのように開花するのだろう。私も一から出直したら、そこそこのことができたのかもしれないが、その努力を怠ったまま生きてきてしまったように思う。ここで、悲観的になっても仕方がないので、そのことを受け入れ、ここからでも何か一つ努力してみようと考えるのだが、目移りばかりしてなかなかそのことが見つからず、人生の残り時間が短くなることばかり気になってしまって、どうも上手くいかない。
せめて楽しく

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頑張りが続かない

2021年09月20日 | こんきも
 今日も快晴。

 湿度は昨日ほど快適ではないがまずまず。彼岸の入りということでお墓まいりに。私の家と、妻の実家。それぞれのお墓はそれほど離れておらず、いつも半日でまわる。ところが今日は鎌倉周辺は大変な人出だったようで、大渋滞。裏道を通ったら却って混んでいたりして思っていたより少し時間がかかった。
 昨日の疲れが残っているようで、締め切りが迫っている仕事を少ししようと思っていたのだが、気力が湧いてこない。結局帰ってからは土いじりして過ごしてしまった。頑張ろうという気がなかなか出てこない。
 今日はもう諦めていっぱい飲んで早めに寝て、明日の仕事に備えることにしよう。人間には休息が必要だ。

明日明後日働けば

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終わったら汗だく

2021年09月19日 | こんきも
 台風一過で朝のうち雲が出ていたが、すぐに快晴となった適度の湿度のとても気持ちのいい風も吹いているのに私は朝から某病理系研究会の教育研修会のチューターということでほぼ1日閉門蟄居。一昨年までは、全国あちこちでやっていたが、コロナ禍で去年は中止。そして今年は完全ウェブ開催。

 朝から講義があって、私の出番は15時半からのバーチャルスライドを使用しての1時間の実習。終わった時は汗だく。空を見たらカラスがお山に帰ってた。
 終わった時には、自宅にいる。ウェブ開催はとても楽。 
疲れました

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総裁選の討論会で自民党の層の厚さをみた

2021年09月18日 | こんきも
 台風14号の大雨で山が霞んでみえた。午後になって温帯低気圧になったが、半日大雨だった。そのニュースをテレビで見ていたら、新宿駅前、渋谷駅前の様子が映っていて、結構な人出だった。どんな人がと思って見ると、ほとんどが若い人。

 こんな嵐をついて外出しようなんて、この歳になると思わないが、微かな記憶を辿れば台風で増水した多摩川を見に行ったことがあったのをはじめ、災害時でもあまり気にせず出かけていた。若い時は好奇心がいっぱいだったし、災害なんてまったく怖くなかった。こんなことだから、コロナ禍に自粛しろといってもそれを守ることができなかったのは想像に難くない。

 そんなわけで、大雨で外に出るのが億劫な年寄りは引きこもり。ちょうど自民党総裁選の日本記者クラブでの討論会をNHKが放送していていたので、4人の候補の弁を聞くことができた。それぞれ長らく自民党内で政権の中枢近くで仕事をしてきただけのことはあって、しっかりした見識と意見を持っているということがわかった。近い将来この中の誰かが総理大臣になるということで、興味深かったし、自民党の層の厚さというのがよくわかった。

 昨日の続きのようになってしまうが、こんなこと(自民党総裁選)をこの時期にやられてしまっては、野党は痛いところだろう。最後の質問者(橋本五郎)が、

”今の国会論戦は野党との罵り合いとなっている、それを改めるよう、辞めていく記者からのお願いとして聞いていただきたい。”

というようなことを言っていた。安倍さんのヤジはひどかったが、今回の候補者の方々はそのような感じではない。野党ともこうやっていけば受けて立つことができるにちがいない。野党としては、文句ばかり言っているような印象が強くなっては、ますます旗色が悪くなってしまいそうだ。
面白かった

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総裁選挙で自民党は回復したが野党はどうなる

2021年09月17日 | 日本の将来・世界の未来
 シルバーウィークはすでに始まっているのか、今朝の電車は空いていた。今日と来週の火水をいれたら、一週間となるから少し涼しくなった今の時期休むというのもいいだろう。足踏みいた台風14号は結構な勢いのまま東に進むらしく、今夜から明日は大荒れとなるらしい。たしか、2つの偏西風が吹いていたが、あの間を絞り出されるように進んでくるのだろうか。

 自民党は菅総理が事実上の退陣を決め、総裁選、総選挙へと一気に動き出した。今回の総裁選挙では、安倍麻生菅色が薄まり、新鮮な感じがする。神奈川世襲連合がどこまで頑張るか、保守とリベラルの女性候補が、政策通の本命岸田さんにどこまで食い下がることができるかなど興味満載だが、党員ではない私には関係ない。ただ、今度の自民党総裁選挙は遅くとも11月に開催される総選挙に向けての試金石となることは間違いない。

 今度の総裁選のすごいところは、長老級の人が立っておらず、さらには女性候補が二人立ったということ。この総裁選挙で自民党のイメージは一気に変わってしまうに違いない。派閥という”党内党”を超えて、挙党体制で改革に乗り出したというのは、結局のところ自民党に頼るしかない国民にとってもよかっただろう。どんな形であっても、政権与党であり続けるという強い意志がそこに感じられる。権力の前では融通無碍であるともいえる。宝くじで1等を当てるには、1度もあたりの出たことのないような売り場で買うよりも、まずは当たりがよく出るところに行って買う。そう私に向かって指南してくれた人がいたが、自民党にいるということはそんなものなのだろう。

 一方で、”細かな点で意見が一致しない”ということで、とりあえずくっついて、自民党に対抗しようということができない野党は今回の自民党改革によってその存在がますます薄くなっていくに違いない。低いままの支持率で総選挙に突入したら、さらに議席を減らしてしまうのではないか。どうしたら小選挙区制の理念を生かすことができるのかわかっているだろうに、それぞれがお山の大将になりたいものだから、それを生かすことができないように見えるのはとても残念だ。いつまでも同じ顔ぶれで、文句ばかり言っているようでは、さすがに応援する気も失せてしまう。

 それにしても、菅さんという人、コロナ禍という困難の中総理を引き受け、ワクチン接種率は50%を超え、携帯料金は値下げさせ、デジタル庁、こども庁を創設し、さらには今回、こうして自民党の改革を促したということからみるとすごい人だったのかもしれない。これで、滑舌よく、正直で、後ろ暗そうにみえるところがなかったら人気も出ただろうに、コロナストレスの前にはどうしようもなかった。
どうなる日本

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一生会うことなく終わる付き合い

2021年09月16日 | 電脳化社会
 コロナ禍でマスクをつけているのが当たり前になって、老若男女問わず顔としては目から上しか認識できなくなった。テレビではマスクを外した人の顔を見ることができるが、政治家など外していないで映る人も少なくない。毎日電車に乗って思うのは、みなさん、とくに女性だが目がとても美しい。一重、二重に、切れ長、ぱっちり、眉毛も良く整えられている。男の人は、鼻の頭まで出している人がるが、女性は鼻先が出てしまうようなことは絶対にしないので、他人は目だけで顔の全体像を判断するしかない。

 日本人の鼻の形は西洋人のそれに比べると太くて丸い。いわゆる団子ッ鼻だが、マスクのおかげでそれがわからない。歯茎も出ているが、ついでにそれも隠れる。そういう点ではマスクは、日本人にとってはホッとできるアイテムといえるかもしれない。

 リモートでも顔を出す人出さない人は結構いるし、マスクをつけたままという人も少なくない。自分の顔があまり好きではないという人は、そんなところに顔など出したくないと思うだろうし、かといって顔を出せと他のメンバーが強制するわけにもいかない。リモート会議が使われ始めた頃は、カメラはオンにしておいてください、などと呼びかける人もいたが、いまではそんな声を聞くこともない。

 いまだに、一昨年までのように大きな会場で研究会、学会を開催したいという人はいるが、ウェブ開催によるアクセスの容易さ、気楽さ、そして経費の安さを考えたら無理をして巨大な会場を利用しての催しは不要になっていくに違いない。そうすると、人と直接会う機会はますます減り、この先一生対面することのない初対面の人というのが増えていくに違いない。まあ、昔だって書簡のやり取り、文通だけで終わったお付き合いもあっただろうから、今や顔を見て話すことができるだけでもよしとするべきかもしれない。だが、そのうちアバター同士でのやり取りだけとなって、結局のところ一体誰を相手に話しているのかもわからな句なってしまうかもしれないし、さらには自分が誰かもわからなくなってしまうかもしれない。
嫌なら見せない

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暇そうだけど忙しい台風14号と病理医の仕事

2021年09月15日 | こんきも
 台風14号は東シナ海で相変わらずじっとしている。週末まで動かないようで、ずいぶん暇そうだ。台風がじっとしているというのはおかしな感じだが、別に暇にしているわけではないだろう。

 コロナ禍のせいで去年は学会とか研究会といったものはほとんどなくて、ある意味暇だった。先週、先々週と専門領域の研究会があったが、それらは毎年8月の末に開かれていた。やはり今の時期に開催される病理の講習会もなかったので、その講師というのもなかったが、今週末にはしっかりある。止まっていた時計がまた少しずつ動き出したようだ。この、一見暇そうに見える時間を大事に使って飛躍に結びつけた人は少なくないだろう。

 忙しいというのはどういう状況をいうのか。ブロ友のある作家さんも、部屋に閉じこもってばかりで暇そうに見えるがあれやこれやと頭を酷使して大忙しだと書いていた。私と同様、仕事中はじっと机だとか顕微鏡にしがみついているだけなのに忙しいというのが共通していて面白い。病理診断科の仕事部屋からほとんど出ることのない病理医なんていうのは、病棟を駆け回ったり、急患対応をして座る暇もないような臨床医に比べれば石像のように見えるかもしれない。でも忙しい。実際のところ、病理診断の件数も伸びていて、今日診断した症例の提出日は去年だったらちょうどひと月先だった。年末には一体どうなっているか少し心配になるほどだ。

 こうして考えてみると、忙しさというのは物理的な問題ではなく、個人個人の精神的な、考え方の問題にしか過ぎない。だとすると、”自分は忙しい”と追い込む必要はないし、ましてやそのことをアピールする必要もない。私の場合、仕事に追い立てられると、そのことを周囲に言ったり、このブログに書いたりする。それはたぶん追い込まれてパンパンになってしまった精神の悲鳴とガス抜き、といったところだろう。忙しくても、そのことを口に出さずに日常を淡々と進めていく人というのもいて、わたしもそんな風になれたらいいと思う。
生き方は様々

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自由と義務とワクチンと

2021年09月14日 | 自然災害・事故・感染症
 曇りらしい曇り。東シナ海で足踏みしている台風14号、2本の偏西風、そして前線と、いくつもの要因が重なり合っての結果が今日の空、あしたの空。今夜から雨模様となり、週末は大荒れの予想だそうだ。雨続きは勘弁してほしいが、なかなか人間の思い通りにはならない。

 日本国内で新型コロナウイルスワクチン接種完了者の割合が50%を超えたそうだ。3月ごろ、医療従事者ですらなかなか受けることのできなかったことを考えると、ものすごい巻き返しだ。これはファイザーの最高責任者に直談判した菅総理の功績だ。ほかの人だったらあんなことできなかったのではないだろうか。新規感染者数も東京で減少し続けているとのことで、緊急事態宣言を今月いっぱい続けたら100人台まで抑え込むことができるのではなかろうか。それで、11月からワクチン接種証明書の利用による経済活動を再開したら、状況も上向くような気がする。

 ニューヨークでは、ワクチン接種証明書の提示要求を義務化 違反には罰金ということになったらしい。昨日のエントリーでも触れた通り、フランスではワクチン接種証明書について賛否が分かれているそうだ(ワクチン接種証明書の是非で分断進むフランス)。自由を標榜するこれらの国で新型コロナウイルス感染症感染拡大とワクチン接種とがせめぎあっている。おそらく、ワクチンを接種した人であっても、このようなことは私権制限につながると懸念しているのだろう。

 行動する時に何を起点とするかは人それぞれだ。人権を起点にするにしても、新型コロナウイルスに感染したらある程度の人は重症化して亡くなる、と考えるとき、その亡くなる人の命は、個人の自由に優先するのかということに突き当たる。ニューヨークにしてもフランスにしてもそういう観点で、ワクチン接種証明書の利用を推進することにしたのだろう。イギリスに留学中の娘がこの夏休みにイタリアに旅行した時には、レストランでワクチン接種証明書の提示を求められたそうだ。だから、店内で撮った写真にマスクをしている人がいなかったのだ。ワクチン接種が未来永劫万能ではないにせよ、新型コロナウイルスの感染拡大はどこかで平衡点に達するだろうから、それまでの間、妥協点を探していくことが人類一人一人の義務であると考える。
なぜ抑えこまなくてはならないのか

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今週は忙しいので頑張ろう

2021年09月13日 | こんきも
 薄曇りだが、大船の手前からは富士山のまだ黒っぽい姿が見えた。じめじめして気温の上がらなかった昨日に比べ、何度か上がって30度になるそうだ。
 今週の予定を見るとむちゃくちゃ忙しい。頑張らないと乗り越えられない気がするということで、今日はベタなタイトル。

 この場合の頑張るというのは一体何をいうのか。

 すべての仕事を手抜かりなく行うというだけで、十分頑張っている。質的に頑張るということだが、これに量が加わってくるともっと頑張らなくてはならない。そうはいっても、私の使える時間は決まっていて、1日24時間、今週いっぱいで160時間程度しかない。来週になっても普段の仕事はたくさんあるし、時間が余ったからといって、それで飲みに行くわけでもなく、他の仕事をするだけのことだ。

 ただ、4巻まで読みかけたレ・ミゼラブルの最終巻5巻を読む時間のないのは残念だ。そういえばフランスではワクチン接種や陰性証明提示の義務化反対 大規模デモが起こっているそうだ。さすがは自由の国というところだろうが、こと、新型コロナウイルス感染症に関しては、階級闘争とかそういったものではないので、反対のためのデモまではどうかと思う。接種を拒否する人は接種している人とは別の動線で動くという覚悟も必要ではないか。こういうことが社会の不平等だというが、たしかに一面ではそうかもしれない。でも、コロナを野放しにしておいたら死ぬ人は必ず出るので、多くの人の協力で抑えこまなくてはならず、そのことは社会の不平等とは違うものだと私は思う。人類の一員として、ワクチン接種に協力するということが必要だ。

スイッチオン

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天気予報がはずれて

2021年09月12日 | ガーデニング
 天気予報では雨のち曇りといっていたが、結局1日降ったり止んだり。久しぶりの休みとなったので、朝から土いじりをしようと意気込んでいたのにと肩透かしを食らった。オーニングの下でクチナシ2鉢を植え替えたり、野菜を育て終わったプランターの土を再生させたりとか、ちょこちょこやった。
 ハンギングのヤシの繊維が小鳥とかリスに持って行かれてしまって、土がむき出しになっているのだが、その手当てまではできなかった。
 結局、雨のせいでほかにもそれほどやっていられず切り上げた。
なんだかんだで疲れてしまった

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お役御免といわれるときの気持ち

2021年09月11日 | こんきも
 台風14号の影響もあるのか、朝から雨が降ったりやんだり、さらには青空がのぞいたりしたりと忙しい。妻も洗濯ものを干したり取り込んだりとかで忙しそうにしていた。そんな姿を横目に私はウェブ開催の研究会に参加。臨床系の研究会なので、少しアウェイ感があるが、考え方の違う臨床医の発表を聴くのは有意義だ。

 何年か前からこの研究会の世話人を仰せつかっているので、研究会に先立って幹事会というのがあった。ポロシャツで参加したら、ほかの先生方の多くがワイシャツ、さらにはネクタイ姿でしまったと思ったが、時すでに遅し。幹事会のメンバーのほとんどが大学教授で私のような市中病院から選んでいただいているのはほんの数名、こういう時の身だしなみが違うものだと妙に納得させられた。まあ、襟付きシャツであったのだから、良しとしていただこう。

 先日、以前いた大学の上司であった教授(今は名誉教授)から、ある別の研究会の幹事を辞めてくれという連絡が来た。もともとご縁の薄い研究会で、施設を移ってしまって私がその研究会に貢献できることはあまりないし、精神的に負担となっていたし、研究会からしてみると私がその場所を占めるメリットはほとんどなかった。さらに私の後を襲うのはかつての同僚で、幹事を辞めることに全く異存はなかったし、惜しいとも思わなかったのだが、ちょっと寂しくはあった。こういう時の感情というのはどんなものなのだろう。

 何もしない、というかできないような人間がそこにいたら邪魔なだけで不要だ。不要であることがわかっているのにそこにいたら、それは害悪以外の何物でもない。それなのに、こういう時せっかく手に入れたのにもったいないと思ってその場所にしがみつこうとしてはいけない。守らなくてはいけないものもあるが、そうでもないものもある。そうでもないものはさっさと手放すべきだ。さらには、多少惜しいと思えるようなものであってもより適任と思える人がいたら、その人に場所を譲るべきだ。お役御免と言われる時はそれなりに寂しい思いをするだろうが、そうとばかりもいっていられない。常に自分の力量を客観的に判断し、身を引くべき時にはそうできるようにしていたい。
しがみつかない

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あなたがその程度だからちょうどいいのよ

2021年09月10日 | 妻の名言
 昨日の大雨のせいもあるのだろう、ちょっとジメジメしている。目が覚めた時には雲に覆われていた空も、家を出る頃には青空がのぞいていた。天気予報では今日はいい天気になるとのこと、というかなって欲しい。日照不足で発育が今一つのプランター菜園のナスやトマト、そして草花に光を。少し暑さがぶり返してくるらしいので、久しぶりの半袖ワイシャツで出てきた。

 このところ講演・講義の資料の締め切りが次から次へと迫ってきていて、アップアップだ。このブログを書いている時間もないはずなのだけど、まだ書いていられるのだからそうでもないのかもしれないが、これはこれで頭の切り替えだからまあいいか。

 頼まれた仕事を断らないというのは、亡くなった父のモットーで、それは私も踏襲している。

”一度断ったら、次は頼んでもらえないよ”

というのは、多分本当だと思っている。そのせいで、父は膨大な仕事を抱え込んでいたが、なんとかなっていた。その足元にも及ばないが、私も分野は違うがあれこれ仕事を引き受けている。だが、泥縄とも言える仕事の回し方には少々不満がある。

 そもそも、それほどの力量がないのに、人様に読んでもらったり、聞いてもらったりすることをするなんてことはおこがましいと自覚している。困るのは再度仕事を頼んでくる方で、なんで私なのだろう、とその都度思う。

 妻に相談したら、

”あなたが、その程度だから、いいんじゃない?”

と、教えてくれた。

 ”頭のいい人の話って、却ってわからないじゃない。それよりはあなたみたいなレベルの人の話の方がよくわかるのよ。”

 私が凡庸であるからこそ、私が書いたり話したりする相手にわかってもらえるのだという。知のトップクラスの人と話すには足りない力量も、私のレベルを求めている人もいるということだ。確かに、雑誌にしても講演にしても、

 ”わかりやすく解説していただき、ありがとうございました”

と司会者に締めくくられる。私が唸ってしまうような講演のあとで聞く賞賛の言葉とは違う。

 そんなふうに考えてみたら、これまでやってきたことを見る人はみていて、このような仕事であれば、あいつに任せようということになるのだろう。確かに、私が受ける仕事は書き物が主体で、取りまとめとかそういったことはない。それ相応のレベルというのがあるということだ。

 ならばこの先も気楽にやっていったらいい。私の力量に見合った仕事が周りの人に期待されていることだし、私もそれを続けることが無理がなくていい。

まずは力を自覚する

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東京2020パラリンピックがARIGATOであり、未来

2021年09月09日 | 日本の将来・世界の未来
 日照不足による野菜の値上がりをテレビニュースで報じているのを視て、レタスが手に入りにくと妻が嘆いていたのを思い出した。今日も結構な降りで、雨のち曇りが、一日中の雨になるらしい。南洋では台風14号も発生しているとかで気が気ではない。

 昨晩、NHKのクローズアップ現代を見ていたら、新装なった国立競技場のバリアフリー対策について取材していた。”目指せ!世界標準のバリアフリー 東京2020大会の先へ”というタイトルで、各種団体の意見も取り入れてバリアフリー化に取り組んだという内容だった。新国立競技場については、安普請で税金の無駄遣いだ、などと文句をネット上に書いている人がいたが、こういう事業費を含めての建設費と考えたら仕方のないような気もする。もちろん、それらが適切に使われたかの精査は必要だが。

 昨日のエントリーで、私は”さよならオリパラの夏”などと書いてしまったが、じつは”さよなら”なんかではなかったと反省している。国立競技場の目指したバリアフリーは、老若男女、障害のあるなしにかかわらないものであり、誰もが折々に直面する多くの問題に対する挑戦だったといえよう。駅のバリアフリー化についても取材していて、一緒に見ていた妻と、

「これから年を取っていく僕らには助かる世の中になるね」

と話した。

 バリアフリー化といっても簡単ではなく、例として点字ブロックの高さが車椅子の人にとっては気になるものだという話が出ていた。障害者と一概にいっても、十把一絡げにして言い訳ではない。少なくとも誰もが”老いによる運動機能の低下”を前提として、誰もが障害者になるということをもっと真面目に考えなくてはなるまい。東京パラリンピックは終わってしまったが、私たちは”さよなら”ではなく、その記憶をとどめ、余韻が消えないうちに新たな共生社会へと一歩を踏み出さなくてはならない。そのことを教えてくれたパラリンピックにARIGATOと伝えたい。
みんな老いる

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さよならオリパラの夏、そして第5波の夏

2021年09月08日 | こんきも
 昨晩も涼しく、気持ちよく過ごすことができた。夜明けごろに目が覚めたので窓を開けて空気を入れ替える。そのあとほんの少し二度寝するが、うとうとしているうちにセミが鳴き出す。ところが今朝は静か。秋の虫も明け方には鳴き止むのでまったくの静寂が続き、そののちいつのまにかまた寝てしまった。あらためて起きて、新聞を取りに玄関に出たら一匹だけ蝉の鳴き声が聞こえた。夏の終わりはいつも蝉がパタリと鳴き止むことで知らされる。

 今年の夏は、東京2020すなわち、オリンピックとパラリンピックで過ごした人は多いだろう。オリンピックではスポーツの持つ力を見せつけられ、パラリンピックではさらに共生の意味を考えさせらた。誰もが周囲の助けを必要としている、そんなことを私たちは言葉として知ったのではないか。オリンピックが中止になっていたら、パラリンピックが中止になっていたら、私たちは何も考えるきっかけを持たぬままこの夏を過ごさなくてはならなかった。

 多額の税金が投入されることになってしまったようだが、延期の挙句中止になった大会としてよりも、あの時の感染症蔓延にも関わらず、感染拡大防止対策を十分に行うことで、感染拡大を最小限にとどめて開催した大会として歴史に名を刻んだと思う。100年後、オリンピック、パラリンピックが存続していたら、その時は、東京大会の文字を見て誇らしく思う人もいるのではないか。大会組織委員会、東京都の方々には労いの気持ちを送りたい。

 今年の夏は新型コロナウイルス感染症の第5波とともに過ごした夏でもあったが、オリパラが感染拡大を引き起こしたとはとても思えない。なにごとも叩くのは簡単だが、評価することも大切ではないか。物事の表層ばかりに心を奪われることは時として危ういことかもしれないが、素直に受け止めることも必要だ。大人であればいろいろなことを取捨選択し、裏を知りつつも表を認める、そんな勇気も必要ではないか。
大人でいようよ

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