こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

第99回 日本病理学会総会 @京王プラザホテル

2010年04月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

いつものことだが、学会に出ると刺激を受ける。
10年前は、すごく偉い先生の立派な話に感動していたが、最近では同世代や若い先生達の発表内容にもおおいに感銘を受けたりしている。

自己肯定感の乏しい私は落ち込むことも多いのだが・・・

それにしても、今回の第99回日本病理学会総会、すばらしいお話が二つ聞けた。
一つは、癌研究所顧問の菅野先生による病理学会百年史。日本病理学会の輝かしい歴史、というか、これまで頑張って来た歴史を振り返ることができた。
なかでも、専門医資格を導入したら、ほとんどの病理学者が病理医になってしまった、というのには苦笑してしまった。
もう一つは、元東大総長(もちろん病理学者)の森先生のこれからの病理解剖のお話。納得のための病理解剖、というお話がとても印象深かった。
患者さんの納得が、癒しにつながる。臨床医の納得が、次の医療へとつながる。そういったことだろう。具体的なポイントを見いだせなかった病理外来、とくに剖検の説明、を行う上で、大変参考になった。


端午の節句

2010年04月28日 | 日々思うこと、考えること
いよいよ明日から大型連休。この連休、5月5日が最終日。原稿、どのくらい書けるかな?
といっても、ルーチンの診断もたくさん残っているし。

それにしてもなんで病理学会は大型連休の直前になってしまったのだろう。

いつもこの時期っていってもねぇ。

もう…

2010年04月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
もうすぐ5月だ。
これに似た看板、2月に見たばかりなのに・・・
病理学会の準備もあるが、原稿だなんだで、どうしようもない。

こんな調子だから、いつまでたっても落ち着いた仕事ができない。

本当に困ったものだ。

入部 ~ある一つの決断

2010年04月16日 | 家族のこと
娘がバレーボール部に入部した。
バレーは学校の授業でやっただけで、あまり好きではない。
ネットの向こうとこちらという、なんだか、長距離砲同士の戦いのようで、肉弾戦好きの私としては好きになれない。
とはいえ、入りたいというので入部届けにサインをした。
ああ、この子はこの時点の決断で、一生バレーとつながるんだな。と思った。

私は、バスケだが、私の場合は、多少屈折していて、中1の時点で陸上(短距離)をやりたかったのだが、親父に「お前みたいに協調性のない奴は、チームスポーツをやるべきだ」といわれ、お袋の友人の息子さんが先輩としていたバスケット部に入った。

社会人になると、決断をせまられる場合に遭遇することが多いように感じられるが、実はこんな細かい決断の連続があとになって大きく跳ね返ってくるのかもしれない。


先見の明

2010年04月15日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
学生の頃、産科医になりたかった。病理医になったあと、あまりの大変さに転科を考え美容外科を真剣に考えた。

というところで、産科医は産科医不足のおかげで脚光を浴び、人も集まるようになり、分娩手当も出るようになった。
美容外科などは私が転科を考えた頃の、倍以上に増えている。収入は当然、数千万円だ。

というようなことで、リスクは同じとしても、結構先見の明はあったように思われる。

医療も商売、流行り廃りはあるものの、病理が脚光をあびるようになるかは、甚だ不透明だ。唯一の希望はワークライフバランスがいいという点で、女医さんが増えているということか。

スランプ

2010年04月15日 | 日々思うこと、考えること
最近、何も書けない。
忙しすぎるのが原因だが、これは物理的な問題ではない。心に余裕がないために、テーマが見つからない。テーマがあってもふくらませることができない。

ブログを書き続けるというのも、大変だ。
私の知り合いで、かれこれ3年、毎日欠かさず書いている人がいて、最初は1年毎日、つぎは2年と、コツコツやって、その度に喜んでいたが、大したものだ。

トラックバック練習帳にすら対応できないというのは、なんだろう、ブログを続ける情熱が失われつつあるのか。
情報発信は論文とかでやるべきということか。

春は一気に

2010年04月13日 | 日々思うこと、考えること
新芽が一気に吹き出した。
この木もあと1ヶ月もすると、緑に覆われ枝が全く見えなくなるのだろう。

春はすばらしい。

長い冬を経て、こうして緑があふれてくるのは、奇跡としかいいようがない。

ゴメン!

2010年04月11日 | スポーツ・健康・ダイエット
後輩の名前を忘れてた。
というのも、中学高校のバスケット部の顧問が定年退職ということで、教え子が集まった。
我々の学年は、上と下が強くて狭間の学年であまりいい思い出もなく、仲間もずいぶんやめてしまった。

というようなわけで、行ってみると結構、覚えててもらった。
というのも我々の間で結構大事な体育祭というのがあり、その時の優勝団長だったということで、ずいぶんと多くの後輩が私のことを覚えていた。

だが、今日は、ごめん、みんなの名前を殆ど覚えていなかった。
昔から、人の名前を覚えるのは苦手だったのだが、これ程とは。

ひどいのは、[〇〇です、覚えていますか?」「ああ、うん」などと生返事をしていると、「ほんとですか、おぼえていますか?」などと聞かれ、「ごめん、ちょっと覚えていない」
なんて、本当に申し訳なかった。

うーん、人生取り返しがつかない。人の名前は覚えよう。

最近の横須賀線

2010年04月08日 | 通勤・交通・旅行
横須賀線にはグリーン車がついている。今夜は宴会があって、ちょっと飲み過ぎたので使ったのだが、そんなに遅い時間ではなかったにもかかわらず、混んでいて、座れなかった。ショック(実は遅かったのかな?)。
それにしても横須賀線が以前より混んでいるような気がする。東戸塚で半分くらいの人が降りていたのが、最近は戸塚までは結構混んでいる。これには武蔵小杉の開業が影響していると思われる。JRの営業努力もあるのだろうが、混んでる電車よりは空いている電車のほうが助かる。せめてグリーン車くらいはと思うが、昔と違い、敷居が低くなったのか、座れない。まあ、タクシー代程度で、ゆったり座れたら、疲れている時とか、眠い時は使うのは当然。

鎌倉に引っ越して15年。車両が変わり、埼玉と直結し、ついには新しい駅もできた。横須賀線のイメージって、こういうのではなかったんだけど・・・仕方ない。

そこにいれば そこにふさわしく

2010年04月05日 | 家族のこと
新年度になって、院内でのポジションが変わった。
人手不足は解消されておらず、上司と私とレジデントの三人のままは同じなのだが、肩書きがかわったのだ。
妻に言わせれば、成りたくてもおいそれとなれるものではない。
だが、なってみると、やっぱり大変で、ならなければよかったと思え、複雑な心境だ。

いずれにせよ、後戻りはできないわけで、あとはやめるしか道はない。

アラフィフとでもいうのか。今年で47歳、子供も二人。自分には無責任でいられても、周りに対しては無責任ではいられない。

人生そのものがやり直しのきくものでもないわけで、仕方の無いものなんだろう。

人を見てこそのマネジメント・・・2010年3月の読書記録

2010年04月03日 | 読書、映画、音楽、美術
原稿書きでほとんど読めなかったな・・・

2010年3月の読書メーター
読んだ本の数:5冊
読んだページ数:1052ページ

■もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら
マネジメントだけではうまくいかない、人間の不条理さ、不思議さを織り込んでいるところが秀逸。職業人としては後半にはいった私の人生、真摯にやっていきたい。
読了日:03月22日 著者:岩崎 夏海
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5446560

■日本人の知らない日本語2
判りやすい比較文化論。日本と日本語に誇りが持てた。と、同時に、日本と日本語をいつのまにかおろそかにしていた私に対して自己嫌悪を感じてしまった。。
読了日:03月21日 著者:蛇蔵,海野凪子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5433412

■夢をかなえるゾウ
人生 生き方 自己啓発
読了日:03月19日 著者:水野 敬也
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5411272

■日本人の知らない日本語
敬語に自信がなくなった
読了日:03月18日 著者:蛇蔵&海野凪子
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5393302

■老師と少年 (新潮文庫)
46歳の私は、老師たりえず、もちろん少年の悩みも持てない。1年に3万人以上もの人が自殺する国で、果たして私はどうすれば生きることを肯定できるのか。師たりうる人はおらず、自らの中にそれを見いだすことも、難しい。
読了日:03月09日 著者:南 直哉
http://book.akahoshitakuya.com/cmt/5270861


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