こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

どれだけ生きたら、答えは出るのか

2012年09月30日 | 日々思うこと、考えること
先日、新幹線で広島に向かうときに、途中の大雨で新幹線が止まってしまって、閉所恐怖症の私、コロ健、不覚にも”プチ”パニックになってしまった
その時のショックから1週間以上経つが、なかなか立ち直れないでいる。
そこに、先日の記事、私の人生、堂々巡り。いろんな考えが浮かんでは消えていく。

生物単なる遺伝子キャリアーとか、そんな人類が自らを滅亡させる可能性のある原爆をつくったこととか、出生前診断のこととかいろいろ、考え過ぎなのかもしれないが、考えなくてはならないことは、たくさんある。
本当は、森羅万象すべての事象をひっくるめて考えなくてはいけないのだが、身の回りの始末すら上手にできない私に、そんなことは到底無理。
では、どうすればすべてを考えられるか。

それには、時間が必要だ。

考える時間というのが、十分にあればすべてのことを考え尽くせるだろう。人間には寿命があるので、それができないだけだ。

さりとて、すべてを理解するために、永遠の時間を授かったとして、それは本当に幸せなことか。

人は死に向かって生きている、ということは自明である。とすると、生命にとって“死なない”ということは、“死ねない”ということでだ。

生命にとって、死は目的地である。すなわち、死ぬことができないとは、目的地に永遠に着くことのない列車に閉じ込められるようなものである。と、ここまで来て、新幹線に閉じ込められた時のことを思い出した。永遠の命とは、永遠に目的地(死)にたどり着くことができないこと。

二つのことがわかった。
自分の存在をすべて理解しようとするならば、考えるための膨大な時間が必要である。
無限の時間(不死)が得られても、それは永遠に目的地に着かないということにすぎない。

生きる意義を考えるには人の寿命は短すぎる。だけど、生き続けられればいいというものでもない。

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今、混んでいるんです。

2012年09月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
こんなことになるとは思ってもみなかった。

どこの科からの電話か忘れたが、午後2時か3時ごろ、
「先生、ごめんなさい。いま、病理混んでて、用件は(午後)5時以降ということでお願いします。また、その時何か(緊急の仕事)が入っていたら困るから、一度電話くれますか?」
とか言っている私(コロ健)がいた。

上司が学会出張で不在のため、コロ健が一人病理医状態。上司とは専門領域がずれており、それぞれがかかわる担当科が違う。基本的には全部の臓器を診断しているのだが、普段は自分の得意な分野とでもいうか、専門臓器にかかわる臨床科を相手にしていればいるのだが、そうもいかない。院内の全科を一手に引き受けることになる。

それで、上のようなことになった。
「病理が混んでいるって」、なんだそりゃ?という感じではある。病理と言えば、もの静かで落ち着いた病理医が顕微鏡をジッと覗き込んでいる、というのが私のイメージしているものだが、実際はお大きく違い、マッペは山のように積みあがっているうえに、迅速が入って、蛍光の所見を取って、etc....。

流行っている医者のいる病院なり、開業医にかかると、「今日は大変混んでいます」などという案内が出るようなことがしばしば出くわす。まさか病理をやっていて、こんなことになるとは。

でも、病理は3時間待ち3分診療、ということはありません。
きっちり、診断、ディスカッションをいたします。

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頭が、重い

2012年09月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
台風18号が太平洋岸を北上しているせいだろう、今日は一日北風が強かった。
低気圧が近づくと頭痛が始まるが、それとは別に最近、仕事をしていて、頭がとても重く感じられる。

私の愛機は今何かと世間を騒がせているオリンパス社製のBX53で、接眼レンズ(眼をあてて覗くところのレンズ)の部分を上下に動かして高さを調整できる優れものである。
だが、いくら接眼レンズが動かせても夜には頭が重くなってくる。

どのくらい顕微鏡にしがみついているかが問題だと思うが、その時間、おおよそ午前中2時間、午後3時間プラス夜2時間。
大体7時間くらいは顕微鏡を覗いている計算になる。

そして、その時の姿勢。

まず、両肘で上半身の体重を受けているので、肩が凝る。
背中も、この調子だから背筋が疲れるし、腰も伸びっぱなしだ。

首はというと、この白髪頭をほとんど変わらぬ状態で支えている。
動きと言えば、診断書を入力するときに、少し右を向くだけだ。

時々電話が来るが、各自が持たされているPHSにかかってくるので、通話は顕微鏡を覗きながらする。

一定の態勢を保っているだけでも、筋肉は緊張している。
これでは、体のあちこちが痛くなるのもいたし方あるまい。

夜になると、体中痛くて気持ちが悪くなるほどだ。


(接眼レンズ)



それにしても、頭とはこんなに重いものだったのか。

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たとえ病気を抱えていても

2012年09月27日 | 日々思うこと、考えること
安倍晋三元首相が自民党の総裁をやることになった。再登板である。
安倍さんが総理大臣をやめたのが、2007年。その時のことを記事にしていた(責任を持った人生)。

安倍さんは潰瘍性大腸炎(Ulcerative colitis; UC)という難病患者であるということを、公表している。UCは病理医にとっても診断の難しい疾患の一つで、診断にはしばしば苦労する。
最近、良い治療法が開発されて、患者さんのQOL(クオリティーオブライフ;Quality of life)も著しく改善してきている。
フォローアップの病理診断をしていても、以前より確実に病気が抑えられている患者さんが増えているように思う。完治するかはわからないけれど、病気を抱えていても是非、自民党総裁の重責を全うして欲しい。

病気とともに生きるということは、健康な人からは想像がつきにくい。

私は病理医なので、患者さんの苦悩、苦痛を直接聞くことは少ない。それでも、カルテに書かれた患者さんのつらい生活というのは想像に難くないものである。いまのところ、そこに我が身の無いことを有り難く思うしか無い。

癌であったり、感染症であったり、自己免疫性疾患であったり。いろいろな病気を抱えながら生きている人はとても多い。少なくとも病院に来る人は、皆そうであるし、今、一見健康そうな自分自身も、病気の予備軍である。

安倍さんが、自身が難しい病気であることを公表したうえで、激務であることを承知で再登板したということは、命をかけてのこととも思える。
それはさておいても、病気を抱えながらでも患者さんが社会生活を全うできるように、私たち医療従事者は労を惜しまずに患者さんに寄り添いっていかなくてはいけない。


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生まれた時からひとりぼっち

2012年09月26日 | 犬との暮らし
動物愛護管理法が改正され、生後ある程度の日数を経過しなくては親から離してはいけないこととなった。
親から早く引き離した犬というのは人間を噛むなどの問題行動が出る場合があるとのこと、確かに犬にだって心はある。
守ってくれる親がいなければ自分のことは自分で守るしかない。
この法律の施行で、動物を売ったり買ったりするする側、すなわち、人間にもこれまで以上の動物に対する高いモラルが要求されるようになるだろう。

マルチーズのコロに出会ったのは、家の近くのショッピングセンターの一角のペットショップ。
夫婦共々犬好きで、常々犬を飼いたいと思っていたものの、マンション住まいでなかなか難しかった。
管理規約が整備されて、ある一定の大きさであれば犬を飼うことができるようになり、6年前のクリスマスに犬を探しにそのペットショップに行った。

子犬が入れられたショーケースを見比べて歩いてみると、おびえているだけの犬、寝ているばかりの犬など、様々だった。
ただ、その中で、子犬のクセをして、胸を張って、しっかり座って私をじっと見すえているマルチーズがいた。
それがコロだった。

あとで聞いたら、コロは妻とは目を会わせることは無かったそうで、私だけ見ていたらしい。
「衝動買いはよくない」と、一度別のフロアに行って全く別の店を冷やかしてから、もう一度その店に戻った。
コロはやっぱり私のことを見ていた。

ペットショップの店員さんから説明を受け、その日のうちに家に連れて帰ることにした。
ちょうどクリスマスの時期で、娘へのプレゼントということで、飼うこととなった。

今にして思えば、これは全くの衝動買いだったといえる。
大変危険なことで、ナイトの時のように、数ヶ月悩んで飼うのが本筋だったろう。
少なくとも、家族会議があっても良かった。

娘が甘いものに目がないということで、もう亡くなってしまった義理の父が「あんころ餅、という名前はどうだい?」と言い出した。
さすがに、それでは長過ぎるので、あんころ餅から一部とって、コロと名付けた。

一緒に暮らすうちに思うようになったのは、
「こんなに小さいのに、コロは一人ぽっち。お母さんに会いたくても会えない。」ということだった。
動物の多くはそうとはいえ、このように身近なところにいる生き物が、一匹で頑張って生きているのだと思うと切ない気持ちになる。
だから、飼い始めてしばらく経ってから、コロが私たちの手をしばしば噛むようになっても、それはそれで、一匹で生きていくからには彼なりに自分を守る上で仕方の無いことだと思って、がまんしてきた。

先日、6歳を迎え、コロもずいぶん良い年のおじさん犬になってきた。
以前は背中をなでても唸るようなことがあったが、ここ1,2年はそういうこともずいぶんと減った。
実際、上2枚の若い頃の写真に比べると、最近はずいぶん落ち着いたように見える。

なんでも、マルチーズのような愛玩犬というは、その昔、貴婦人の腕の中にいたわけで、そのご婦人に変なちょっかいを出そうという輩でもがいると、それを追い払うためにすぐ噛み付くのだというような話を聞いたことがある。
コロも情緒不安定というよりは、もともとそういうキャラを持った犬種であるからと思いたい。

ちなみに、先日亡くなれた北杜夫氏のエッセイ、『マンボウ最後の家族旅行』に家族写真が載っていて、コロという名前のマルチーズが一緒に写っていてとてもびっくりした。
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【改正動物愛護法が成立】ペット販売時は対面説明を 生後間もない犬・猫の販売規制も
ペット販売時の対面説明の義務化や、生後間もない犬と猫の販売規制などを定めた改正動物愛護管理法が29日、参院本会議で可決、成立した。 
インターネット上などでのペット販売が広がり「写真と実物が違う」といった苦情が出ている。改正法が施行されれば、ネット販売であっても顧客に直接、動物の状態を見せ、対面して飼育方法などの必要な情報を提供するよう業者に義務付けられる。
また、親から早く引き離した犬や猫に人間をかむなどの問題行動が出る場合があると指摘されているため、改正法は生後56日を経過しない犬と猫を繁殖業者が販売のために引き渡したり展示したりすることを禁止した。
ただし激変緩和措置として、施行から3年間は生後45日、その後は49日と段階的に期間を延長する。56日への変更は施行後5年以内とした。
地方自治体が販売業者から犬や猫の引き取りを求められた場合、相応の理由がないと拒否できることも規定。都道府県がまとめる動物愛護管理推進計画に、災害時の動物の適正飼育や保管のための施策を盛り込むよう定めた。
改正法は公布から1年以内に施行する。同法は5年に1度の見直しを定めており、与野党が議員立法での改正を議論していた。
29日午前に参院本会議で採決予定だったが、野田佳彦首相に対する問責決議案をめぐる混乱で午後にずれ込んだ。(共同通信)

クイーンが美しいからナイトも立派に見えます

2012年09月25日 | 犬との暮らし
先日、帰宅すると妻が、ニヤニヤというか、ニコニコしている。
何か話したいことでもあるのだろうと思って、
「何かいいことでもあったの?」と、尋ねた。
すると、「別に、“いいこと”っていうわけではないんだけど。でも、やっぱりいいことかな
「もったいぶらないで、教えてよ」
というようなことのあと、やっと話し出してくれた。

なんでも、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩の途中、下馬の交差点で信号待ちをしていたら、同じく信号待ちをしていた素敵なオジサマがナイトのことをさして、
「この犬は、なんという名前ですか?」と聞かれ、
妻は、「ナイト、っていうんですよ」と答えたそうだ。
そうしたら、その御仁、
「そうですか、ナイト、ですか、良い名前ですね。それに、クイーンが美しいので、ナイトもますます立派に見えますね」とおっしゃったそう。
妻も、「ありがとうございます」と礼(?)を言った、というようなやりとりがあったそうだ。
それは、当然、私にも報告したくもなろう。

鎌倉にはこういう、現役時代、丸の内の一流企業に横須賀線のグリーン車で通っていた元超エリートのカッコいいおじさんが多い。こういう人、仕事もさることながら女性のあしらいも上手だったのだろうなと、つくづく思う。
ちなみに、そのおじさんは着物姿だったそうな。



それはさておき、ナイトの名前(血統書の正式名ではなく、通称)だが、名付け親は息子である。

そもそも、マルチーズのコロのトリミングに連れて行っていたペットショップにナイト(その頃は名無しのフラットコーテッドレトリバー)がいて、それを見た娘がひと目惚れしてしまった。1ヶ月、2ヶ月とコロのトリミングに通うごとに大きくなっていくが、いつまでたっても買う人がいない。
そろそろブリーダーさんのところに返すかどうかなんですよ、なんてことをお店の人にいわれた頃にその店でナイトに初めて会った。妻はなに喰わぬ顔でコロの餌を購入していたのだが、「ああ、この子、とっても可愛いのよ」などといって、紹介してくれた。結構、可愛かった。
それから2度ほど、コロとは関係なくそのペットショップを訪れた。もう、5ヶ月くらいになっていてずいぶん成長していた。さすがにこのくらい成長してくると、逆に値段は下がる。そろそろ手が届くぐらいの値段に下がってきた、そんなある日、家族会議を開いた。

話し合いの結果、そのフラットコーテッドレトリバーを飼いたいのは娘、コロのことを思うと忍びなくて飼うのに反対というのが、戌年生まれの息子。家を建てたので、これで室外犬を飼えると思っていたが、やっぱり2頭は多いのではないかと消極的な私。というところまでは判明したのだが、妻の旗色がわからない。妻はもともと大の犬好きで、当然娘と一緒になって飼いたいと言うだろうと思っていたら、何も言わない。結局、家族会議で結論は出なかった。

商売ということもあろうが、ペットショップから、いよいよフラットコーテッドレトリバーの子犬をブリダーのところに返すという連絡が来た。仕方ないかと思っていたら、朝、出がけに娘に「パパ、お願い、ちゃんと世話するから、あの子飼いたい」とねだられた。
「うーん」私ももともと犬は好きである(というわけで!)。結局、私が賛成にまわった。



そんなこんなで、2年前の私たちの結婚記念日に、そのフラットコーテッドレトリバーの子犬(というにはずいぶん大きくなっていたけれど)がわが家にやってきた。

で、その名前。
これまた、家族会議。クロだの、なんだのいろいろ言っていたのだが、息子の『ナイト』の一言で、決まってしまった。
黒犬なので、夜のナイト(Night)、娘を守ってくれる騎士のナイト(Knight)をかけて、日本語で『ナイト』。

それ以来、ヒバチップでドッグランをつくったり(これはこれで雑草が生えないので別の意味で良かった)、しつけ教室に通わせたり(結局合宿までになってしまったが)、と、いろいろ大変ではあるけれどわが家の一員として仲良くやっている。

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堂々巡りのような毎日の中で

2012年09月24日 | 日々思うこと、考えること
週が明けた。
濡れた地面が週末の荒天を知らせてくれるが、空は新しい一週間の始まりにふさわしく清々しい。

と、ここで引っかかることがまた一つ。

“新しい一週間”とは、何?

人が勝手に決めた、日々のサイクルが始まるのが月曜日。地球にとっても、宇宙にとっても、人が決めた曜日というものに、何らの価値もない。
人々の営みに、曜日も多少の影響はあるかもしれないが、私の勤務先でも、いくつかの命が生まれ、いくつかの命が失われていく。そして、そのいくつかに病理医も関係する。

でも、このことは、先々週も、先週もあったこと。多少の数の増減があっただけに過ぎない。

別に、新しい一週間ではなくて、月初めだろうが、新年だろうが、すべて同じ。
年々歳々、同じことがどこかで起こって、時間ばかりが過ぎ去っていく。
いくつかの事象が自分に降りかかってきて、いくつかは他人事。

こんな堂々巡りのような毎日のなかで、人は生きている。
前に進むことのみをよしとする世の中だが、人類の幸福というものが、果たしてその先にあるのだろうか。


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ちなみに、今日9月24日は、マルチーズのコロの誕生日。
この子には自分の毎日、一週間、一ヶ月、一年という概念はあるだろうか。

そんなこと、わかるわけが無い。
コロはコロだし、私は私だ。思いを重ねることなどできるわけがないし、だからどうなるというものでもない。
もしかすると、この子にとっては、フラットコーテッドレトリバーのナイトが合宿中でいない”今”こそがもっとも安寧な時なのかもしれない。

忘れかけていた秋が来た

2012年09月23日 | 鎌倉暮らし
大雨警報が5時前から出ているという、鎌倉市防災情報メールで早朝(5時13分)から起こされる。
外を見ると大雨だ。
低気圧のせいか、体調も今一つだ。

模試に出かける息子を鎌倉駅まで車で送ったあとは、家で仕事。
たまっていたメールの整理をし始めると結構時間もかかる。

あっという間に、午後になり、一息ついて外を見れば、相変わらずの大雨。
気分も沈む。
まあ、一日中こんなものだろうと、ボサノバを聞きながら積読本を読む。

今度は、ハープのレッスンに行く娘を車で送る。
大雨にもかかわらず、若宮大路の人出は結構なものだ。鶴岡八幡宮では結婚式もあるようだ。あいにくの雨にもかかわらず、多くの人が駆けつけて、祝っていた。

午後の鎌倉市の気温は21度。
とても涼しい。
風邪をひかないように、少し暖かくして過ごそう。

秋なんて、いったいいつ来るものかと忘れかけていたが、見回してみれば赤い実が目立つようになっていた。
たしかに、1年経てば忘れてもしまうか・・・


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ダウン症の人のこと、もっと知ってください。

2012年09月22日 | 家族のこと

先日、学会で広島を訪れた時、路面電車で修学旅行の小学生と乗り合わせることがあった。その時、ちょっと驚いたのだが、30人くらいの生徒の中に少し小柄な子が一人いた。

「あれ?あの子、ダウン(症)だ」誰にでもすぐわかる特異な顔貌。

どうやら、ダウン症の子が一緒のグループに入っているようで、静かに電車に乗っていた。

これは、とてもいいことだと思った。

 

 

私の弟に限らず、ダウン症の子はとてもおとなしく、明るく、礼儀正しく、きれい好きだ。奇声を発したり、暴れたりすることはないので、普通学級で一緒にいても、先生が学級運営に困ることはまったくない。

そんな、ダウン症の子と一緒に旅行をしているというのは、染色体数が46,XYである大多数の人にとって、染色体数が47,XYのダウン症の人を知るいい機会だ。

その子もほかの子たちと一緒になって談笑することはできないが、一生懸命(ダウン症の人は、なんでも真面目にするのでこちらが泣けてくる)電車に乗っていた。

 

ほかの子たちも、行儀が悪いとは言えないが、普通の小学校6年生の無邪気さで電車に乗っていた。その子たちはダウン症の人の礼儀正しさに、今は気がついていないだろうし、永遠に気がついてくれないかもしれないが、それでもダウン症の人が危険な人ではないということは知ってくれるだろう。

 

ダウン症の出生前診断が、血液検査だけからできるようになり、これまで以上にダウン症の出生前診断率が上がることになり、ダウン症と診断された胎児の中絶率が上がることになるかもしれないという。

 

高齢出産の女性には自分の遺伝子を持った子を持つチャンスというのはそれほど残ってはいない。もし、その数少ないチャンスの一人だった子がダウン症だったらどうするか。ということだ。NHKスペシャルでも先日、そんな特集を組んでいた。

 

今日のこのブログのこの記事で、私は命の軽重を論じたいのではない。無軌道な検査医学技術の発展も科学の進歩の一つの姿であり、致し方無いと思っている。

私が一番残念なのは、「ダウン症児=よくない子」という扱いをもっていられるということだ。

何度も言うが、ダウン症の子が一緒にいても、学級崩壊にはつながらない。それに、ダウン症の子が義務教育の過程を終わらせることができるほどではないにしても、生まれつき、自分たちと違う子がいるということを学ぶことは大切だと思う。

唯一心配なのは、学級崩壊させるような子がダウン症の子をいじめることだ。

決して、ダウン症の子は、人をいじめることはないのに。ひどい話である。

いじめをしたり、非行をして、学級崩壊をきたす子は普通学級に通い、そういった心配の全くないダウン症の子は、普通学級に進ませてもらいない。というか、そうすることで、普通学級に通う子はダウン症の子が特殊な子供に見えてしまう。

 

医療経済を含めた議論も大切とは思うが、まずは、ダウン症の人のことをよく知ってほしい。

そして、高齢出産とか染色体の不分離とかそういう単なる現象面のことではなく、なぜ、ダウン症の子が生まれてくるのか、私たちの遺伝子が何を語っているのかに思いをはせてほしい。

 

 

 

 

 

 

 

ダウン症の出生前診断:来月から妊婦血液検査を試行

毎日新聞201208291157分(最終更新08291249分)

 

妊婦の血液だけで、胎児にダウン症などの染色体異常があるかを99%の精度で調べる米国の会社が開発した新型の出生前診断を、国内の2病院が来月から試験的に開始することが分かった。流産の危険があった従来の検査に比べ、安全に調べることができる一方、異常が見つかれば安易な人工妊娠中絶にもつながることから、カウンセリング体制の整備などが課題になりそうだ。

 

検査を始めるのは国立成育医療研究センター(東京)と昭和大学病院(同)で、いずれも臨床研究として行う。対象は胎児の染色体異常のリスクが高まる35歳以上の妊婦などで、費用は21万円程度を予定している。日本人での検査の精度を調べるとともに、専門医によるカウンセリングのあり方を検証し、この検査が国内に普及した場合の課題やモデルケースを探る。31日に2病院や今後導入を検討している病院の医師らが研究会を発足させる。


情けない孫

2012年09月21日 | 日々思うこと、考えること
先日の敬老の日、学会の準備ということで96の祖母のところに行けなかったのが、どうも気になっていた。妻も同じだったようで、夜、都内の老人ホームに祖母を訪ねた。

ホームに入るときに本人との関係を記入する欄があるのだが、私の場合、そこに

「孫」

と書くわけだが、一瞬、字が出てこなかった。正しくは、へんが出てこない。
中学生だか、小学生が学ぶ字だ。情けなくなってしまった。


ホームの職員さんに手元を見られながら、書きこんでいると、

「絶対に間違ってはいけない」というプレッシャーもあって、ビビってしまった。

「どうしよう、間違ったら絶対に恥ずかしい」と、祖母の名前、私の名前、妻の名前と順に書き込み、最後に『孫』のところに来てしまった。

「この前来た時は、スラスラ書けたのに…」だが、あきらめた。

結局、情けないことに、(本当に情けないことに)、「まご」とひらがなで書いてしまった。
これでは、知性のかけらもない、ただのバカなオッサンだ。

今度は、「孫」と立派に書けるよう、練習してから行こう。
(それとも、左手の手のひらにでも書いておくか…)

だが、そのうち、叔父や叔母のところに行くようなことがあったらどうなるか…。

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それにしても、最近、情けないことが多すぎる。

広島平和記念資料館再訪と戦争の記憶

2012年09月20日 | 日々思うこと、考えること

今回の学会、会場は原爆ドームの近く。
駅前のビジネスホテルに投宿していたので、三日間とも、広電の「原爆ドーム前」で降り、原爆ドームの横を通って会場に通った。

平和記念公園の中には広島平和記念資料館がある。
広島の原爆被爆の記憶が詰まっている。

10年以上前に一度見学したことがあったので、再訪することもないと思っていた。だが、原発事故のこと、竹島、尖閣という近隣国との紛争問題、そして何よりもオスプレイを安全であると言わされる米国との関係を考えるのにいい機会だと思って、昼休みに会場を抜け出し、訪れた。

一番印象に残っているのは爆心地の上空で炸裂している赤い火の玉と、原爆ドーム以外になに一つない広島の市街地の模型。
以前訪れた時と変わらずあった。

ところが、今日はなんだか気持ちが変だ。展示されていた罹災した中学生、高校生のボロボロになった服をみているうちに、自然と涙があふれてきてしまった。
戦争に対して、何の責任もない子供たちが消し去られるように死んでいったのかと思うと原爆という兵器を生み出した人類の愚かさはもとより、戦争のむごさというものを改めて認識する。

今、中国とも韓国とも地域紛争があり、上手に解決できなければ戦争になってもおかしくない状況だと思う。さすがにそうはならないで欲しいが、原子力を保有していることが技術的な戦争の抑止力になっていると発言する政治家が被爆国である我が国にいることを考えると、なにがどう転がっていくかなんてまったくわからない。

十数年ぶりの訪問で、戦争の恐怖を思い出すことができた。
この資料館もやがては戦争の遠い記憶の一つになっていってしまうのだろうか。
それが、記憶の風化であり、人類がまた過ちを繰り返すことにつながる。

私達一人一人が今、できることはなんだろう。

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学会場、入ってしまえばどこでも同じだけど。

2012年09月19日 | 日々思うこと、考えること
朝から学会場へ。
今日は天気もよい。
さすがに、猛暑も終わりに近づいているのだろうか、風も気持ちいい。

慰霊碑に手を合わせてから学会場に入った。

会場に入ってしまえば、場所も、天気も関係はないのだが、それでも気分は大きく異なり、外が天気がいいとなればやっぱり気分はいいものだ。

時間が空いたので外に出てみたら、もう夕方。
修学旅行だろうか、学生さんの団体が大勢訪れていた。

もう一息勉強して、明日帰ろう。

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けっこう、アセッた

2012年09月18日 | 通勤・交通・旅行

新幹線で、一路西へ。
静岡県に入った辺りで、大雨による遅れが生じるとのアナウンス。
静岡を過ぎたところで止まってしまった。掛川駅で停止。でも、ドアは開けてくれない。


恥ずかしながら、コロ健、閉所恐怖症のきらいがあり、それまで快調に走っていた新幹線が止まった瞬間、急に不安になり出してしまった。体中が暑くなり汗が出る。
でも、原因がそうとわかっていたのですぐに手洗いに行って、出てからしばらくストレッチをして席に戻った。
50分ほど停止したあと出発。
名古屋を過ぎたあと、その集中豪雨のあった岐阜羽島のあたり、たしかに真っ暗だった。


新大阪を過ぎ、柿の葉寿司も買って腹ごしらえ。


広島駅には40分遅れで到着した。路面電車に乗って、原爆ドームの前を走り抜けて、会場へ。


止まってしまったときには間に合わないかと、結構焦ったが、なんとか、ポスターを無事貼り、発表には間に合った。



こういう会では近くに来た人にはどんどん売りこまなくてはならない。立ち止まってポスターを眺めてくれる人にはこちらから説明をする。
5人ほどに、質問を受け、無事、発表を終わることができた。

けっこう、騒いだけど、おわってみれば上出来かな?
頑張った甲斐もあったというものだろう。

近くのポスターでは、チェルノブイリ後の医学状況の発表があった、それぞれの地域で、いろんなことがある。

日本は平和か、そうではないか。学問というものが、政治・社会状況によって大きく左右されていることが実感される。
さて、学会は明日明後日、よく勉強したい。

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祝 走行10万キロ

2012年09月17日 | 日々思うこと、考えること

わが家の足、Volvo V70 XC が走行10万キロを迎えた。
4年あまりでの距離なので、まあまあ乗り込んだ方ではないか。

今日まで無事に走ってくれて、ありがとう。

安全神話を信じて子供が生まれてからずっと同じ車種だ。息子も大学に進学できたら来年にも免許を取るだろうから、まだしばらくは頑張ってもらう予定だ。
ディーラーさんにいわせると、ことあるごとにメンテナンスしているので、まだまだいけるとのこと。

なによりも、事故を起こしたことが無いということはいいこと。
今日も、無事病院まで連れて行ってくれた。

明日からの学会のポスターもほぼ出来上がった。残念ながら、カッコいい1枚ポスターは作れなかったが、これがいつも通り。
つづりをチェック、写真をチェック、これでいいだろう。
光沢紙にプリントアウトして無事持ち帰った。


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ナイトの合宿

2012年09月16日 | 犬との暮らし
フラットコーテッドレトリバーのナイト。
最近、無駄吠えが多くなってご近所迷惑。先日など、裏のおじさんに「うるさいなー」などと、露骨にいわれてしまった。おとなしくさせようと、いろいろやってみたが、なかなかおとなしくならない。
そもそも、“知恵者”マルチーズのコロにそそのかされて(いるように見える)、一緒になって吠えていたのだが、ついにお手上げとなった。

以前通っていた横浜にある犬の訓練校の委託訓練に1ヶ月間預けることにした。預けてから2週間、面会の許可が出て、病院に行く前に会いに行った。所内はとても広々としていて、犬の訓練にはうってつけの場所だ。ペットホテルなどがあり、数十頭の犬がいる。警察犬の訓練学校でもあるので、ナイトよりよほど大きいシェパードもたくさんいる。
大きいのなど、ライオンのようだ。

久しぶりの再開に、ナイトも大喜びかと思ったら、結構淡々としている。
通いの訓練の時は、ほかの犬も一緒だったが、今日はナイトのほかには2,3頭しかおらず、一番広いところはナイトの独り占めだった。家から持ってきたボールで遊んで、大いに疲れたようだった。



犬の訓練士さんに、ナイトの様子を教えてもらい、娘と妻と私とでしばらく遊んだ。
かわいい子には旅をさせよ、というが、ナイトも、ここでほかの犬と一緒に暮らして、少し大人になったように見える。
フラットコーテッドレトリバーにしてはおとなしい、とお褒めの言葉もいただき、あと2週間、お願いして、お別れした。

涙のお別れになるかとおもったら、あにはからんや尻尾を振りながらひかれていたった。
がんばってね、ナイト。


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