こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

少し違って見える風景

2024年01月31日 | 生き方について考える
今朝はいつもより少し早く出た。
妻に駅まで送ってもらうのはいつものことだが、その妻がハンドルを握りながらふと、

 時間が早いと、歩いている人や車がずいぶん違って、いつもと景色が違うわね

と言った。

たしかに、すれ違う車、追い越す自転車、散歩中の犬、ジョッギングする人、一見、似ているようだがどれも違う。
背景としての鶴岡八幡宮にしても段葛、若宮大路はなにも変わらないのに、と考えると不思議なものだ。

人間など、しょせんはこれらの構造物の上を動き回っているに過ぎない存在だと感じる。
さらには、これらの構造物にしてもしょせんは人工物であり、やがて(といってもとてつもなく遠い将来だが)朽ち果て塵埃に帰する。

今日は札幌に来た。
覚悟していた以上に寒いが、今年は例年よりも暖かいという。
何てこった・・・。

それはさておき、すべては、雪に覆われていて、下のものはなにも見えない。
あれこれ作った構造物すらも簡単に隠されてしまうのかと考えるとなんだか儚い気持ちにもなる。
夕食は味噌ラーメン

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人間が生きているうちになすべきこととは何か

2024年01月30日 | 日々思うこと、考えること
能登半島地震ではじまった1月も今日明日で終わり。
あっという間だ。
このひと月の間私は何をしていたのだろうと思い返してみても、これといったことはしていない。
もちろん、日々多くの患者さんの病理診断をして、それぞれの人の命、人生に関わってはいるのだから何もしていないわけではない。
人間というのが何かを為すというのは難しい。

連続企業爆破事件を巡り指名手配されていた活動家が鎌倉市内の病院で70歳で死んだ
この辺りに潜伏していたというのには少々驚いたが、身を隠すのにはこれぐらいの人口密度がちょうどよかったのだろう。
連続企業爆破事件があったのは、1974年頃、私が小学5年生の頃で、報道を見聞きして得体の知れない恐怖を感じたのを思い出す。
その後、超法規的措置とか難しい言葉が続いた。
最近でもときどき高齢者の過激派が捕まっているので、まだ”何か”のために闘っている人たちがいるようだ。
ときどき、かつての活動家なのか、近寄りがたい目力を感じるお爺さんお婆さんがビラを配っているのをみかける。

鎌倉の病院で死んだかつての過激派(と思われる人物)は私と10歳しか歳が違わない。
もちろん、その頃は小学生と大学生ほどの大きな違いだが、としをとれば10歳など誤差の範囲だ。
20歳前後でそういった道に身を投じ、50年という人生のほとんど全てを捧げたのは、”何のための”闘いだったのだろうか。
そして、本人とっては高邁な理想を掲げていたわりに、逃亡犯のまま何も世に問うこともない人生は何だったのだろうか。
最期は自分の名前で死にたかったということだが、ならばもっと早くに名乗り出ているべきではなかったろうか。
死刑が怖かったのか、では、殺された人の恐怖はどうだったのか、それは彼の中でどのように解釈されていたのだろうか。

生きている間に本人確認ななされなかったそうだ。
利他的に生きる

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日本文化の深さと魅力を考える

2024年01月29日 | 読書、映画、音楽、美術
鎌倉は今日も好天、風もなく気持ちが良い。

大河ドラマ『光る君へ』、昨夜もなかなか良い出来だった。
源氏物語関連では、猫と弘徽殿の女御が出てきていたが、他にもあっただろうか。
今回の大河ドラマの原作が源氏物語だというのはある意味日本の文化の質を示している。
これほどの文学を千年以上昔から有しており、その文化をいまだに失わないでいというのはすごい国だ。

通勤時はたいてい音楽を聴いている。
最近のヘビロテは、アンドレア・ボチェッリのCanto Della Terra。
あわせて、サラ・ブライトマンとのTime to say goodbyeも。
ボチェッリの歌を聴いていると、こういう大人が歌う歌というのが日本には少ないのではないかと思う。
昔は、フランク永井とか菅原洋一、小椋佳といった美声の男性歌手がいい歌を歌っていたが、紅白をみるとジャニタレは居なくなったもののあとはロック。
サザンや福山がよくないというのではないが、大人が歌う名曲というのはない(演歌はけん玉のおまけに成り下がっている)。
ジャニーズの戦略に巻き込まれたせいもあるだろうが、日本の音楽シーンというのはずいぶん幼稚なまま成長してしまったかのように見える。

文化というものをどう捉えたらいいか、どれがいいか悪いかなど決めつけることはできないが、古くからある日本の伝統というものを大事に守っていくことが大切だと感じる。
そろそろ柄本道長の青海波が見たい

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世の中どんどん省力化

2024年01月28日 | 日々思うこと、考えること
午前中は曇り、午後から薄陽が差したが肌寒い一日。
車検がもうすぐなので近くのディーラーのところへ打ち合わせに行った。
車はずいぶん品薄で、原材料費の価格高騰でずいぶん高くなったというような話を聞かされた。

その後、スーパーに買い物に行ったらびっくり。
カートを押しながらその上に乗っているタブレットで会計しながら買い物した。
商品のバーコードをリーダーで読みながらカゴに入れ、最後に店員さんがチェックして、カードで決済。
最後にバーコードでピッピするセルフレジよりもっと簡単で楽。

こうやってレジにかかる人が減ったら人手不足は解消される。
少子化対策というのがこうやって進められているのだと実感。
経費も節約できたら、働いている人の時給も上がる。

なるほと。
そのうちレジ打ちは不要になるか

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身のほどわきまえ豊かな生き方を考える

2024年01月27日 | 日々思うこと、考えること
弟が発熱して施設から病院に行ったという連絡をもらい、母が心配しているようなので顔を見にいった。
とくに問題なく施設に戻ったということで、母ともどもほっとした。
久しぶりに母とゆっくりあれこれ話をしたらあっという間に時間が過ぎた。

この前、あるテレビドラマを見ていたら、登場人物の男性が権力を手に入れたら金も女も好き放題、みたいなことを言っていた。
金というのは、換金可能な何らかのモノで、美食とかそういったものも含まれるのだろう。
女、というのはどういう女性を指しているのか分からないが、金を積めば付き合ってくれる女性ということなのだろう。

富というものは一体何なのか、最近、考えさせられることが多い。
国家レベルの話にするとキリがないので、個人レベルのこととして考えてみると、まずは目白御殿の焼失。
自宅の前から道路を曲がることなく地元までの一本道を造ったという、元総理の富の象徴が線香からの失火で失われたというのは、富の儚さを現しているようだ。
私と同い年(60歳)の売れっ子芸人が、女性への性加害問題で活動を停止している。
手当たり次第だったかどうだったか分からないが、お笑い界の頂点にあって多くの女性を後輩に世話させていたような話を聞くが、そういうのが力を発揮するところだったのだろうか。

そして、自民党のパーティー券収入のキックバック問題。
謝っているんだからいいでしょう、と逆ギレした代議士は、裏金を飲食などに使ったと言っていたようで、映画やドラマの中の話を地で行っていたのかと思うと吐き気を催す。
金を儲け、そしてその金でもって高額な飲食や高級車、そしていい女というような人を自由にするため権力を手にして政治家になったように見えてしまう。

世の中って、こんなものなのだろうか。
私の周りにはそんな人はいないと思っているが、それはその人が私に見せている顔で、実は別な面を持っているのだろうか。

立って半畳寝て一畳、というが、人間それで十分なのではないだろうか。
それとも、金でも何でも手に入るとなれば、もっともっと欲しくなってしまうのだろうか。
多分そうなのだろうが、度が過ぎるとどこかでストップがかかるはずだが、人間の欲というのはキリがなくなってしまうのだろうか。
千と千尋の・・・

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院内に病理医がいることの意義

2024年01月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今朝もまた冷え冷え。
車窓からは真っ白な富士山が美しい。

私は今のところ一人で病理診断科を切り盛りしている。
結構孤独な毎日だが、私に対して意地悪をする臨床医もおらず結構大切にしてもらっている。
これというのは、私の年齢のせいもあるだろうが、それよりは4年近く病理医不在の時期があったことを覚えている人が多いからだろうと思う。
幸い、検体の一部を検査センターに出したり、隣接する総合病院の病理医、ほかの小児医療施設の病理医が一部を手伝いに来てくれていたので、仕事は回っていたが、カンファレンスやCPC、学会発表の準備などはできないでいた。
病理医というのは、診断だけしていればいいというわけではなく、その病院のアカデミックな部分の下支えをするという役割がある。

ただ、一人でいると、煮詰まったり、勘違いして思い込んだりというようなことが起こる。
そんなことを防ぐために、外部の病理医数名にコンサルタントとしてきてもらっている。
昨日はそのうちの一人の先生に来てもらう日だった。
私より5年次ほど上の先生で、いろいろなことをよく知っている。

昨日も頭がこんがらがってしまっていた複雑な症例を一緒に考えてもらって、ずいぶん助かった。
もちろん、仕上げは私がしなくてはならないが、何事においても多角的な見方をすることは大切だ。

昨日は、反町隆史演じる病院病理医が主役のグレイトギフトというドラマの第2話だった。
自分に降りかかってきた火の粉を落とすために、仕事そっちのけの感があるが、それでも講師からいきなり教授になってしまうという、相当無理のある展開だが、若手の病理医を失ってこの先、完全な一人病理医になってこの病院の病理診断は大丈夫だろうかと他人事ながら心配になる。
それとも検査会社に外注するのかもしれないが、それでは臨床医は困るだろう。

なにも検査会社の病理診断というのが悪いわけではない。
専門医資格を持った病理医が診断するし、専門領域の臓器診断をする病理医もいるので、精度はそちらの方がむしろ高いこともある。
それでもやっぱり院内に、いつでも相談できる病理医がいるというのは大切なことだと思うのだ。
内科医とか外科医とかいるのが当たり前と思っていたらいつのまにかいなくなってるなんてことを想像してみれば、案外それと同じことだ。
一人の知識ではカバーできない

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脳の歯車が急に止まってしまうのはなぜ

2024年01月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
ゴミを出しに行っただけで、手袋をした手が冷えてしまった。
若い頃はこんな時分でも自転車で駅の駐輪場まで平気で通っていたのに今ではすっかり妻の送迎に頼りきり(冬場に限ったことではないが)。
車載の温度計の表示はー1.5度、長い黒髪をなびかせながら自転車をこぐ学生を追い越しながら、これはさすがに寒いだろうと気の毒になるが、たぶん平気なのだろう。
被災地ではもっと寒い上に大雪に見舞われているのだと思うとやりきれない気持ちになる。
できることといえば寄付ぐらいしかないが、せいぜい役立ててもらいたい。

同じテンションで仕事(病理診断)をしているつもりでも、急に思考が止まってしまうことがある。
脳を動かしている歯車のようなものの回転速度が急に遅くなってしまうような感じだ。
昨日も、迅速診断で希少症例の診断ができて、そのほかの症例も比較的スムーズに進んでいたのだが、ちょっと苦手な検体が来たら途端に止まってしまった。
その感覚を自覚して、これはどうしたことかと考えた。

こういうことは臓器によらずしばしば(!)起こる。

病理診断は大きく分けると腫瘍性疾患の診断と非腫瘍性疾患の診断となる。
私の勤務先は小児周産期の専門病院なので、腫瘍でも癌の診断はほとんどなくて小児がんで、あとは非腫瘍性疾患の診断となる。
このうち非腫瘍性疾患の診断というのは、例えば潰瘍性大腸炎とかクローン病といった炎症性腸疾患の診断、腎炎の診断とか移植腎の拒絶の診断などだ。

しばしば長考を強いられるのは移植腎の診断と炎症性腸疾患の診断、あとは他院から病理学会を通じてコンサルテーションケースとして回されてきた症例の診断。

このうち腎生検の診断では細い生検組織が5種類の染色がされていて診なくてはならない標本というのが5倍になって、それぞれについての意義を解釈して、染色同士の意義づけを行わなくてはいけない。
これがさらに移植腎となると頭がこんがらがってしまうのだ。
炎症性腸疾患というのも難しくて、私の勤務先では、消化器内科が上部消化管(食道から十二指腸まで)6ヶ所、下部消化管(回腸から直腸まで)9ヶ所を取ってくるので、都合独立した15ヶ所の所見をそれぞれ記載して総合的に考えて診断する。

どんな標本でも、まったく所見がないということはなくて、ちょっとした所見も見落としてはいけない。
幸い見落とさなかったからといってそれがどれほど病的なのかとるにたらないものなのかは分からない、などとというようなことを考え出すと、にっちもさっちも行かなくなる。

そして、ただ単に、無茶苦茶深く集中しているだけなのだが、はたからだとただ単に石のようになって顕微鏡にしがみついているだけに見えるみたいで、相談にやってきた臨床医の、

  先生、今ちょっとよろしいでしょうか?

という声に、飛び上がるほどびっくりして我に帰る。
これは決して大袈裟ではなく、その証拠に声をかけた当の臨床医の方も恐縮して謝ってくる。

自分で不思議に思うのは、なぜ同じ頭で考えているのに、スラスラ診断がつく症例とそうでない症例があるのかということだ。
これは、移植腎であっても、消化管生検であっても同じことが言える。
結局のところ、患者さんは十人十色、症状も所見もそれぞれで、自分の中で理解しやすい症例とそうでないものがあるとしかいえないのだが、30年以上も病理診断をやってきているのに、いまだにその理由がわからないでいる。
それともただ単に処理能力の低下だろうか。

病理学会から回ってきたコンサルテーションケースの話はまた明日。
今夜はグレイトギフトの第2話

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地球には境界線などもともと無いのに

2024年01月24日 | 日本のこと、世界のこと
昨日の朝より5度以上低い。
出がけに妻が、

 今日は、空気がキンキンしていて気持ちがいいわね。

と言っていたがその通りで、この季節はこんなでないとどうも調子が出ない。
まあ、それもすぐに暖かいところに潜り込めるからのことであって、虫のいい話だ。
日本海側では大雪だそうで、小さな日本でこれほど違うというのがいまだに信じられないが、自分の目で見て確かめようという気にはならない。

その日本海という表記について韓国では東海という言い方を提唱している。
韓国から見たら東だが、日本から見れば西で、やはり地名をつけたほうが落ち着きが良い。
ちなみに東シナ海、南シナ海はそれぞれEast china sea、South china seaだが、これについて中国は、東海、南海と呼んでいるそうで、この辺の呼称はそれぞれの国ではどうなっているのか、フィリピンやインドネシアの人に教えてもらいたいところだ。

この小さな地球上に目に見えない線を引き、それぞれが取り合い、ときには戦争をする。
誰が何のために、と考えるとよく分からなくなる。
でも、まあ、家だって広ければ広いだけ住み心地はいい。
そして、その続きで土地を広げることになる。
広い土地があって、仮に今は役に立たなくても、そのうち何かに使えるかも知れない。

隣の家との境界線から国境線まで人間は線を引きたがる。
線を引かなくてはならいところは必ずあるが、線を引く必要のないところもある。
そんな、共有できる領域というものを少しでも広げていくことができるといいのだが、なかなかうまくいかない。

鳥にだって縄張りはある

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米国も世界への責任を自負ではなく自覚し、責任を果たすべき時ではないか

2024年01月23日 | 日本のこと、世界のこと
今朝の気温も7度。
少々生暖かくて気持ちが悪いほどだった。

早くも流氷がやってきたというニュースを聞いて、もう北極の氷が溶け出したのかと暗い気持ちになる。
今夜から寒さも戻るみたいだが、三寒四温にはまだ早い。
地球温暖化は止まるところを知らない。

大規模な油田が発見されてから百年余りのうち、人類はそれを燃やし続けてきた。
化石燃料を燃やすことが地球温暖化にどれほど直接関わっているのかは専門家でないので分からないが、全く関係が無いわけではないはずだ。

その中で、石油を最も大量に消費し、その恩恵を得てきたのは米国であることは間違いない。
私が留学したときに、ここには世界の富が集中していると感じたが、それは山本五十六も同じだっただろう。
そして、その富の源泉の多くは石油が占めているに違いない。

米国がその歴史を振り返って自省することがなさそうなのは、トランプ氏を支える岩盤支持層を見たらわかる。
そして、世界中のほとんどの国は米国にそれを促すこともできず、その富のおこぼれを得るためにあの手この手でご機嫌を取るばかり。
その米国に対して物申すと立ち向かっているのが中国とロシアであるというのはなんとも皮肉な話だ。

米国による石油禁輸措置に対して、戦争を仕掛けた日本は真珠湾にあった燃料補給基地を、そんなことは下衆のするような作戦だと、攻撃しなかったそうだ。
でも、その日本だって中国に対しては無差別爆撃を行って多くの民間人を殺したのだから、日本はただのええかっこしいなだけかもしれない。
それはさておき、米国がすべて悪いというわけでは無いが、今の世界秩序を形作ったのは間違いなく米国であり、自らの歩みを振り返る余裕があってもいいと思う。
いまさらのことだが
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SNS上で感じるくびきというか拘束感

2024年01月22日 | 電脳化社会
気温は7度と、この時期には暖かい朝。
腰痛さえなければ気持ちよく起きられるのだが、残念ながら今日も腰の奥の方がしくしくするので湿布を貼って出てきた。
来週からちょっと忙しくなるので、少し余裕のある今週はそのためある程度貯金をしたいところだが、他所の施設からのコンサルテーションがたまっていて、そんな悠長なことも言っていられない。

しばらく前に、懇意にしてもらっていたブロ友さんからキツイことを書かれて、きっぱり訣別したのだが、それ以来ブログ書きが心なしか楽になった。
どうもそれまではその方の目を、気にしていたようで、別れてしまったあとだと何も気にすることがなくなりのびのびと書かせてもらっている。
無意識のうちに、くびきというか拘束感を感じていたのだろう。

こんな小さなブログ、バズるとか炎上などという言葉とは縁がないと思っていたが、実はそれなりにそういったものに囚われているのだと知り今更ながら驚く。

先週から始まった病理医が主人公のドラマを(ささやかながら)私なりに宣伝しようと久しぶりにXに投稿したり、自負と偏見、街とその不確
かな壁、と立て続けに長い小説を読んだことを読書ノートに書き込んだりしたりしたらいいねが来て、他人の反応が気になるようになった。

表を歩くときには人目を気にするわけだが、SNSの世界にいても人目を気にせざるを得ない。
こういうくびきというか拘束感など気にせずに自由にやったらいいのだろうが、茶々を入れてくる人というのはどこかにいる。
SNSの世界でも常識のある無し、言葉使いの上手い下手、語彙の多寡といったものが結構重要になるのは現実世界と同じなのかもしれない。
言葉を磨く

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寒い1日に村上春樹をやっと読了

2024年01月21日 | 読書、映画、音楽、美術
朝から雨で寒い1日。
午前中のうちに食料品の買い出しに南部市場まで。

帰ってからは何をするというわけでもなく、ごろごろ。
昨日の疲れが出ているようだし、日頃の疲れもたまっている。

せっかくなので、村上春樹を読み終えることにした。



気がついたら、時計は針を失っていた。
しばらく余韻を楽しもう。
無事読了

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リアルな夢は小説のせい?

2024年01月20日 | 読書、映画、音楽、美術
いよいよ大寒、朝から雨で、夜半には雪になるかもしれないということだ。
土日はゆっくりしているが、あれこれあって今日も出かける。
話を聞くともっと忙しくしている人はいくらでもいて、よくそんなに動けるものだと思う。

そうはいっても移動の時間でブログを書いたり、本を読んだり、講演の準備ができるから、まんざら悪いことばかりではない。
読み進めるのに難渋していた村上春樹だが、3章立ての第2章に入ってからは俄然スピードが上がって、残り100ページあまりとなった。
今度の作品は、まだまだ読み終えたくない、というような展開ではないが、読了前にワンクッション置くことにして、今日は家に置いてきた。

その村上春樹の小説は、例によって夢か現かというような話なのだが、そのおかげか昨夜は私もなかなかリアルな夢を見た。
あまり楽しい夢ではなかったので、妻にちょっとその話をしただけで、ここには書かないで忘れてしまおうと思うが、これも小説の影響を受けているのだろうか。

夢には2種類あって、現実世界を整理するものと、それこそ未来を夢想するものとがあるようだ。
このところは、整理する夢ばかりのような気がするが、これももう未来が少なくなってきたせいだろうか。
そのうち天国の夢でもをみるようになるのだろうか、それとも地獄か。
夢などしょせん頭の中でのことで、生物学的にどうこうというわけではないので何も心配することではないのだが、内容は気になる。
現実と意識の間

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病理医の仕事、ほぼ正しく描写されていたので一安心

2024年01月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
雲に覆われていたせいかあまり冷え込まずほっとして出てこられた。
昨夜から、反町隆史演じる病理医が主人公の『グレイトギフト』というドラマが始まった。
医療サスペンスといった趣の内容で、そういう目で見たら面白いのだろうが、ちょっと拍子抜け。

病理医の仕事内容は比較的正しく描写しているので、違和感は感じない。
細菌に詳しいというのも、感染症病理が専門であったらお手のものだろう。
波瑠演じる、検査技師が病理学会のPathology International(PIN)を広げている場面があったが、あれなどPINの編集委員から、査読者にお知らせが来ていたほどで学会としても注目している。
そういえば、病理医の娘がワーカホリックで家庭を省みない父親に向かって、「(お父さんなんて)顕微鏡ばっかり覗いていたらいいじゃない」と文句を言っていたが、丁寧に作られていることがわかる。
あと、定時に終わるから病理医になったという若手医師もいたが、この辺りはまさしく今の病理医事情をよく表している。

ただ、800床の大学病院に病理医二人、というか、この先生が万年講師ということは教授も准教授もいるはずなのだが、そういう人たちは現れない。
私と同じ総合病院の病理診断科といった感じで、設定に違和感を持つ。
何はともあれスケールの大きいドラマなので、登場人物が多く、そのあたりの描写が追いつかず序盤はなにがなんだかわからず、スタートダッシュとはいかないだろうが、その辺をなんとか乗り切って、病理の知名度向上に貢献してもらいたい。

腕は良さそう

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顕微鏡は見るものではなく覗くもの

2024年01月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
ある方のブログに冬のバラは長持ちする、ということが写真とともに載っていたが、なるほどわがやの玄関のバラもずいぶん頑張っている。
大晦日に、薔薇の好きだった義父のために園芸店で3本1束で売っていたものを買ったもので、1本を妻へのお土産にした。
それ以来だからもう3週間近くになるが、2、3日前に連れてきたような姿を保っている。
できたら今月いっぱいは楽しませて欲しい。

今夜からテレビ朝日で病理医が主人公のドラマがスタートするというのでちょっとワクワクしている。
反町隆史が主演というのも話題になりそうで、長瀬智也主演で、視聴率も高く、続編も期待していた、「フラジャイル」が共演女優さんの妊娠でそれが叶わなかったので、こんどこそ日陰の病理医が表舞台に立てたらと期待している。
そんなこともあって、アクセス数が激減するのも厭わず、ここ数日病理ネタを続けている。
このブログの読者を除けば病理医なんて誰も知らないし、そもそも動きが少なくてテレビドラマには極めて不向きだ。

朝日のテレビ欄でも取り上げられていたが、顕微鏡ばかり見ている病理医、と紹介されていたのにはちょっと苦笑した。

私もかつて、顕微鏡を見る、と言っていたが、上司に、

  顕微鏡は、”見る”ものではなく、”覗くもの”だよ。

と、指摘され、それ以来使い方を気をつけている。

具体的には、顕微鏡のメンテナンスなどのためには見なくてはならないが、標本を視るためには鏡筒を覗き込まなくてはならない。
大抵は先輩病理医に指摘されたか、誰かがこの言葉を使っているのを聞いてきがついたのだろうが、この使い分けをしている病理医は結構いる。

まあ、どうでもいいと言えばどうでもいいことなのだが、病理診断は言葉を大切にする仕事だから、こだわっておきたい。
これを見てても始まらない

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夢と現と病理診断

2024年01月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今日も気温は1度、連日寒い日が続く。
今年初めてメールのやり取りをする人への挨拶も寒中お見舞い仕様に変えて、寒さが厳しくなってきましたが、という書き出しにするようになった。

村上春樹は小説の中に夢を多用する。
夢というのはなんでもありの、小説にとっては飛び道具ともいえるようなもので、使うのは簡単だが、それを読者が納得する形で収めるのは難しい。
それができるのが村上春樹だが、それを使ってしまうためにノーベル賞文学賞が取れないのではないかとも思う。
それでも、夢というのはその人の人格に直結しているし、荒唐無稽な設定の中に放り込まれたとしても、覚醒時の行動パターンが崩れるわけではない。
それは、意識下での意識、というようなもので、覚醒時の意識から連続しているのではないだろうか。

病理診断の仕事をしているとしばしば難しい症例に遭遇する。
私の専門領域である胎盤の病理診断でも、症例によって所見は異なり、いったい何が起きているのかわからず、どのようにまとめていいかわからず、途方に暮れることもある。
そんな時は、その症例はいったんよけて、別の症例の診断をする。
そして、しばらくたってもう一度見直すと、急に病気の本体が目の前に浮かんでくる。
しばらくといっても、これは1,2時間程度のこともあれば数日のこともある。
そして症例によっては夢の中にまで出てくることがある。

時間の長短は別として、この寝かせるというかそういった一旦標本から離れるという作業はまるで夢の世界と現実世界を行ったり来たりしているような感じがする。
実際のところは、夢の中で診断業務を進めているわけではないのに、目が覚めると診断が思いつく。
これは別に夢の中でなくてもよくて、いわば意識下で病理診断を進めているということだ。
同じようなことはほかにもたくさんあって病理診断に限ったことではない。

こんな感覚をより詳細に言語化したら面白い小説の一本も書けるだろうが、残念ながら私にはそのような能力はなく、日々の病理診断書の中で目の前の事象を書き表すことに勤しむしかない。
また一例難解症例が

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