こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

通勤時間はビジネスメールの整理時間

2017年09月30日 | 日々思うこと、考えること

通勤時間はビジネスメールの整理になるべく当てる。一昔前までは、全てのやりとりをメールで行なっていたけれど、LINEが登場してからは私的なやりとりはLINEかメッセンジャーで、メールは仕事か買い物で使うことがほとんどだ。

今朝も5本メールを出した。土曜日の朝っぱらに出したメールなど、読んでもらえるのは大抵は月曜だろうが、それでもいい。その程度の重要度のメールで、急ぎだったら電話する。この前もそういうことがあった。

受け取ったらすぐに返事を出すという人は少なくないが、日中はルーチンワークで忙しい。もちろん、手元に資料がないと進まないことも少なくないので、そのような場合は職場から返事を出す。でも、大概は資料は普段使っているノートPCに入っていて、大方はそれで用は足りる。

通勤時間が長いことはあまり良くないことではあるけれど、こういう使い方があると思うとちょっと得した気持ちにもなる。

それにしても夜明けの時間が遅くなった。秋分を過ぎたら、私が起きる方がお日様より早くなってしまった。朝起きた時、すでに青空だったのが、朝焼けのピンク色に染まっているようになった。今年の夏は、青空も見えなかったので、それほどの実感はないが。

今月もお疲れ様でした

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研修医さんよ、頑張って!

2017年09月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

私の勤務先の大学病院は初期研修医を多く受け入れている。多ければいいというわけではないが、若い人が多いというのは悪いことではない。プログラムの中には病理診断科へのローテートも含まれている。私なんぞでも、未だに苦しんでいる病理診断のことを短期間で学ぶことは難しいのだが、CPCレポートという病理解剖についての報告書をまとめてもらうことを通じて、病理学のこと、医学のことを学んで欲しいと思う。

そんなある日、助教(以前の助手、30代前半)の先生が病理診断科の部屋の中をウロウロしている。どうしたのかと聞いたら、集合時間になったのに研修医が現れないという。5分ほど遅れて、研修医が現れた。反省するそぶりなど全くなくて、助教の先生を探そうともせず、部屋の中で突っ立っている。

「うーん、ここで注意していいものか・・・」

コロ健、実際の生活でもこのブログに書いてあるような四角四面のことを人に言ってきたが、この職場に来てまだ半年。自分ではそんなこと思っていないけど、強面の体育会系に見えるらしい。声も大きいので、女性医師はビビるかもしれない。でも彼らはもうすでに医者だし、何より学生と違って給料をもらっている立場でもある。

「先生たち、集合時間はもうとっくに過ぎているみたいだけど、それじゃあダメでしょ。それとも、病理は患者がいないから少々遅れてもいいと思っているの?病理だからって、舐めるんじゃないよ。」

あー、言い始めてしまった。せめて、追い詰めないようにしないといけない。

「先生たちの、この先のずーっとある人生の中で、時間を守るっていうことはすごく大事だよ。患者さんがいるとかいないとか、そういうこととは関係なく、時間にはpunchtual(時間を守る)でなくてはダメだよ。」

色々細かいこと、というか時間を守らなくてはいけないことの理由を言いたかったのだけど、頭に血が上ってしまって上手く話せない。中途半端だとは思ったけど、話を切り上げることにして、「じゃあ、あとは、よろしく。」と助教の先生を呼んで引き継いだ。

 

私が彼らに伝えたかったことは、時間を守ることは、他人から信用されるには最も大事なことであり、時間を守るべき相手は患者さんはもちろん、看護師とか検査技師、薬剤師などコメディカルの人も同様だということ。むしろ、自分がその中心であって欲しいとすら思う。将来、人を束ねる立場になった時、自分が時間に対してルーズであったら、下の人たちもルーズになる。少しずつの無駄が、大きな無駄に繋がってしまうことを理解しておくべきだ。時間の重みに職種の違いはない。他職種間の会議があるとき、医者だから遅刻していいという話はない。

そんなこと言っても、わかってくれないだろうとは思っていたが、ここ数日は根を詰めて頑張っているらしい。集合時間前にはちゃんと集まっているらしく、別のスタッフドクターが驚いていた。時間に対してルーズであったことに気がついて、注意されたことを悔しかったとでも思ってくれたら、いい医者を育てる手伝いができたと思えて私は嬉しい。

今日のCPCレポートでのプレゼンはまずまず。病理は難しいけれど、君たちが診る病気を目で見える形にしているものだから頑張ってよく勉強してください。

 

”仕事”をしているということを忘れずに

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読む紙媒体は今や新聞と癌取扱規約

2017年09月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

国語辞典を開かなくなってどのぐらい経つだろう。普段は電子辞書を使っているので、広辞苑もステッドマン(医学辞書)も(辞書に入っているので)要らない。どちらも分厚くて重くて使いにくかったのが、嘘のようだ。国語辞典といえば新明解より岩波の方が好きだったけど、電子辞書が手元にないときは、スマホで調べて済ませてしまうようになった。どの辞書がいいとか、好みだとかいう話題は一部の国語マニアの間だけのものとなってしまい、大部分の日本人の国語力は均一化されていくに違いない。一語一語の微妙なニュアンスの違いなんて多くの人にとっては興味も何も浮かばなくなり、一昔前に話題になった辞書の個性というか説明文の違いなんてどうでもよくなってしまうだろう。


医局で世間話をしていても、仕事の話をしていても、少し疑問が生じたらすぐに誰かがスマホを取り出し、ネットで調べてことの真偽を確かめる。若い先生なんて、話が進んでいる間に気がつけば何かを調べている。別に粗探しをしているわけではないし、人の話を聞いていないわけでもない。年寄りが話すことをネットで補完しながら進めようという優しい気持ちがあってのことだということが最近分かって来た。でも、思い出話に知ったかぶりは通用しないし、間違っていることは、すぐに訂正される。

若い先生たちは論文はPDF化してタブレットかノートPCで読む。私も、論文はフルペーパーであれば紙に打ち出したものに、マーカーを引いたり、訳語をつけたりして何度も行ったり来たりしながらバサバサ読んでいるが、アブストラクトとか斜め読みで済むようなものであればモニターで済ませてしまうようになってきた。

そういうこともあって、紙に書かれた文字を読む機会というのが急速に減少していることを実感する。今、紙に書かれている字を読むのはどんな時だろうと考えてみる。朝夕刊を取っているので、かろうじて紙に書かれている字を読むけれど、新聞は無くても生活に困ることはない。実際、新聞を取らない家は増えている。新聞も売り上げが減って大変なのだろうか、紙面に占める広告の割合が半分以上になっているように思える。広告の合間を縫って記事を探すようなこともある。そのぶん、新聞は有料コンテンツとしてデジタル化が進んでいるが、他のもっと簡単なネット情報に取って代わられる日もそう遠くないような気がする。そうなった時に、この国の知的レベルがどうなるかと考えるとそら恐ろしい。


さて、そんな毎日だが、私たち病理医は1日に何度も紙の本を開く。成書を調べるときには病理診断科に置いてある蔵書を引っ張り出す。ある程度の厚さの本だと画像を取り込んでいるという人もいるが、1,000ページ以上もあるようなものを取り込むのは大変な労力だし、瞬時に4〜500ページを飛ばして検索できるのは紙の本のいいところだ。そして、ほぼ毎日一度は開く本がある。癌取扱規約だ。

癌取扱規約というのは、病理医と臨床医、放射線科医などが協力して、癌を説明する上での共通のプラットフォームで、胃とか大腸とか乳腺とか肺とか、諸々の臓器別に何冊もある。そして、それぞれの癌の分類、例えば腺癌とか扁平上皮癌とか、浸潤性乳管癌だとか非浸潤性だとかの癌のことを、この本の中の言葉を使えば、誰もが共通して話すことができるようになっている。ステージ(病期)分類も取扱規約に従っている。

元々は、世界的な基準となっているUICC(Union for International Cancer Control:国際対癌連合)の悪性腫瘍の病気分類を決めるためのTMN分類とか、病理診断のスタンダードとなっているWHOのブルーブック(Who Classification of Tumours)があって、内容の多くはそれらと重なるが、そうでもないところ、すなわち日本独自の部分もある。癌取扱規約にしても、海外の分類、規約のいいところは、医学の進歩に伴って改定されるということだ。従って、規約が改定になるたびに、病理医を含め癌診療に関わる医者は規約を読み直して内容の確認をしなくていはいけない。最近改定されたものに、子宮頸癌取扱規約があるけれど、どう解釈していいのかわかりにくいところもあって難しい。

癌を含めて病気というのはどれも難しいものなので、それを”規約”という一定の箱の中に収めようというのが土台無理な話なのだが、仕方がない。最大公約数的なところで収めるしかないのだ。それに、UICCのTMN分類と日本の癌取扱規約のTMN分類が違っていて、しょっちゅう確認しないといけないし、WHOの腫瘍分類にしても改定の度に専門家が右往左往する。内容を全て暗記するなんてことも無理なので、結局医局には各種癌取扱規約が置いてある。胃癌、乳癌、大腸癌などという代表的な癌でも、診断書を書くときに記憶があやふやになって取扱規約を確認したくなることは少なくない。


私は、長い間専門医療機関に勤めていて、そこには癌の患者さんというのはほとんどいなかった。だから、癌の診断に関しては経験からしてその道の専門家には及ばない。でも、その、専門家の医者も、規約とか診断基準が改定になると頭をかかえる。隅から隅まで覚えていることはできないから、癌の症例が来たらそれぞれの取扱規約を開いて確認しながら診断書を書く。

私が一般病院の病理医として復帰するときに一年間(徹底的に)指導してくれた尊敬する病理医も、私の診断書をダブルチェックするに際して、時々は取扱規約を紐解いて確認していた。癌取扱規約とか、WHOのブルーブックをPDF化してもいいのかもしれないが、顕微鏡と診断入力用のキーボードとともにタブレットを出して来てそれを確認するというのはどうも面倒くさい。

最初から診断用のPCにテンプレートを入れておくという方法もあるが、規約が改定になる度に作り直すこととなって、その都度結構な手間と労力を要することになる。さいわい癌取扱規約はどれもが比較的薄いので、どのページに何が書いてあるかぐらいはすぐに確認できる。おかげで、われわれ病理医が日に一度か二度は癌取扱規約を開くということは多分まだしばらくは続くだろう。

診断申込書も、手書きだった

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切りのいいところが見つからないでここ数日の話題を

2017年09月27日 | 日々思うこと、考えること

今日の記事、書き出したら切りのいいところが見つからなくなってしまった。ふさわしい写真を撮る暇もないまま帰ってきてしまったので、明日に延期。
かといって、では何を書くかとなると困ってしまう。
ということで今日は最近気になるニュースの見出しを書き留めておいて終わりにします。



・平昌五輪のホームページの地図に日本が描いてなかった。
・アメリカのプロスポーツ界で人種差別への抗議が活発になっている。
・トランプ大統領の娘婿ほかたくさんの人が公用メールを私的に使っていた。
・小池新党に参加する政治家が後を絶たない。
・安倍さん曰く、国難突破選挙。潔い決断だと思う。野党は文句を言っていないで受けてだったらいいのに。
・横浜DeNAベイスターズはCSに残ることができるか。こればかりは最後までわからない。
・大相撲秋場所は豪栄道がひいて日馬富士が締めて優勝。
こんなところか。

さて、ひと月後はどうなっていることやら

 

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弱い人の心を知れば自らの心が豊かになる

2017年09月26日 | 生き方について考える

昨日、障害を持つ家族のいる人のドキュメンタリー番組についての感想を書いた

書いていてタイトルをどうしようかと思った時、最初は、”障害を持つ人の気持ちも考えよう”などとしていたのだけど、随分おこがましいことだと考え直してやめた。考えていくうち自分もまたやがて老い朽ち果てていく、弱い存在だということを知り、タイトルもそのようなものとなった。

少し別の話題になるけれど、人が嫌がることをしてはいけない、これは人間が社会的存在として生きていく上での最低限のルールだ。このことが守れない人はやがて周囲から疎んじられていくことになる。”疎んじる”ということはそれで人の嫌がることかもしれないが、それは致し方ない。近くにいることができなくなるということだ。

人が嫌がること、が何かわからないということはない。”今、人に対してしていることを自分がされたらどうだろう”と考えたらすぐに答えは出る。

人が嫌がることをしないというのは、自分がされて嫌なことをしないというだけの話だ。だが、これは簡単なことではない。

自分以外にこの世の中に、自分と同じ価値観の人は存在しないからだ。では、どうしたらいいのだろう?

 

必要なのは、弱者の気持ちを知ることではないだろうか。

身体的弱者、知的弱者、社会的弱者といった人たちの立場や気持ちに思いをいたして、自らをその人たちに置き換えて世の中を見る。そうすることで、やがて自らが謙虚になることができる。

人間はいつも誰かと比較して生きて、優越感をどこかで感じようとする。どうして人間がそんなになってしまったのか、その原因がどこにあるのかはわからない。少しでも安全なところにいたい、少しでも美味しいものを食べたい、少しでも楽しいことがしたい、そんなことから始まったことかもしれないが、何が根本的な原因かはわからない。ただ、そうしたことがあるからこそ今の人間世界が成り立っていることだけは確かだ。

まだまだ自分には永遠の命があって、なんでもできると思っていられた若かりし頃、私は傲慢だった。その時、同世代に様々な弱者がいたことを知らないでいた。いや、障害者施設には毎月のように行っていたのでそんなことはなかったはずだが、心の目で見ることはなかった。全く残念な話だ。

その頃からそういう気持ちを知っていたら、私の人生はもう少し豊かなものになっていただろうと思うととても残念に思えてならない。なお、自分の心が豊かになるということは、他人との比較ではない。

嫌なことをされたら嫌でしょう?

 

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誰もが老いという障害を持つようになる

2017年09月25日 | 家族のこと

昨晩放送されたNHKスペシャル「亜由未が教えてくれたこと~障害者の妹を撮る~」は色々なことを考えさせられるドキュメンタリー番組だった。重度の知的障害を持つ23歳の妹がいる、NHKに勤務する3歳違いの兄が1ヶ月間、妹の介護をし、その様子を撮影して妹とのこと、家族とのことを考えるという内容だった。妹との1ヶ月間を淡々と撮影し、両親、妹の双子の姉妹に妹とのことをインタビューしただけで、取り立てて何か変わった趣向があるというわけではなかった。

でも、ところどころで、涙が溢れ、夜中に目が覚め、自分なりに色々なことを考えさせられた。

 

それぞれの人の言葉で印象に残ったことがある。

母親の「できることなら、リセットしたい」

父親の「(妹のいる生活が)当たり前」

もう一人の妹の「(妹が)いつも気にしてもらっているのが羨ましかった」

どれも障害を持った家族がいる人だからこそ感じ、発することのできる言葉だと思った。そして、障害者の家族への思いを言葉にして表現することができるなんて、この家族すごい人たちだとも思った。たとえ言葉にすることはできなくても、私はダウン症の弟のことをこの人たちほど考えたことはあっただろうかと自問もした。

家族の誰かに障害を持って生まれてきて欲しいとは誰も思わないだろう。でも、もし、障害を持った人が家族にいるからといってその人は家族に不幸をもたらすわけではない。

できたら、障害はないほうがいい、だからリセットしたいとは思う。けど、家族はいるのが当たり前で、障害を持っているからといって何かが変わるわけでもない。さらには、同じような立場にあって愛情を注いで欲しい人にとっては、むしろそのことが疎ましく感じられることがあってもおかしくない。

この番組を作ろうとしたきっかけは、1年前に神奈川県で起こった障害者施設での殺人事件だそうだ。犯人がなぜ、生まれつき障害を持っている人のことを、不幸せをもたらす人であるかのような考え方をしたのか、私にはわからない。そしてこの番組を作ったNHKの彼も、改めて妹の介護をしてみて、犯人の考えはやっぱりわからなかったに違いない。「妹がいて、不幸だと思ったことはない」と言っていたし、これから先もそうだろう。

何をもって完璧というかはわからないけど、人間、誰しも何か欠けたものを持って生まれてきている。眉目秀麗、頭脳明晰であったとしても、すべての人に好かれるわけではない。たとえ、神様のような存在があったとしても、悪魔は常に存在する。

私の弟は、人のことを陥れようとか、意地悪しようとか、そういったことは考えない。少なくとも、そういうことをしたのを見たことがない。弟がいた施設には、暴れて物を壊す人もいた。でも、それは体が勝手に動いてしまうからで、誰かを困らせてやろう、不幸にしてやろうということでしているのではない。障害のある人は、悪魔から一番離れた存在、神様のような心の持ち主なのだと思う。

それは、彼らが他人の手を借りなくては生きて行くことができない、ということを彼ら自身が知っているからかもしれない。だから、控えめに生きることを余儀なくされ、自己主張をしない、わがままを言うことができない、ということかもしれない。

でも、人は所詮一人では生きていけないのだ。

人は生まれた時、全く無力な存在で、放って置かれたらそのまま死んでしまう。そして、そのようなことは人間の一生を通じていえる。人間誰しもやがて老い、病を得て朽ち果てていく。その時、人は誰の助けも得ないで生きていくことはできない。だから、障害を持つ人のことをあしざまにいう人がいるとしたら、それはその人自身が身の程知らずであり、そのことが自己否定であることがわかっていない不幸な人だ。そして、自分自身が悪魔のような心の持ち主であることがわかっていない。

あの忌まわしい事件のことは、忘れてしまいたいと思うが、昨日の番組を見て、忘れてはいけないことだということがわかった。私たちが直面している問題は障害者だけのことではないのだ。

全ての弱者は自分自身

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秋はキンモクセイから

2017年09月24日 | 鎌倉暮らし

昨日、いい香りがすると思ったら、お隣のキンモクセイだった。私の好きな花は初夏のシクラメンと初秋のキンモクセイ。

どちらも普段は地味な庭木だ。でも、それぞれの開花時期はまさしく花形だ。

勤め先が駅近になったおかげで、駅からほとんど歩かなくなり、お庭を見ることがなくなり、キンモクセイの香りを嗅ぐこともなくなった。

でも、今日はお休み。鎌倉市内を歩いてキンモクセイを探した。探すといっても簡単で、甘い香りがする方への歩いていけばいいだけだ。

今日は、新しいキンモクセイの生垣を見つけた。美しいお庭でよく知られるお宅だったが、生垣がキンモクセイだったのかと驚いた。

お彼岸が明けたらいよいよ本格的な秋、大きな台風など来ないで欲しい。

でも、総選挙、にミサイル、穏やかに行くのは難しいかもしれない。

そろそろ萩も

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結局泣くのか

2017年09月23日 | 日々思うこと、考えること

いよいよ解散総選挙。週末になってマスコミも、ブログ界もツイッターもその話で持ちきりだ。

千載一遇のチャンスと受けて立とうという姿勢よりも、大義だなんだと屁理屈ばかりの野党には失望してしまう。政権を取る取らないというのは、戦国時代であれば命のやり取り、一体どういう覚悟なのだろう。

それはさておき、不祥事というか、お粗末というかで、格好のテレビネタとなっている女性代議士のお二人も残念だ。

お二人のしゃべり方を聞いているとなんだかな、という感じ。かたや学大付属、かたや桜蔭からともに東大、そして検察官と厚生官僚。そういう人たちが不倫、暴言・暴力。社会進出する女性の中の理想を体現したようなお二人、ズッコケはまあ誰にでもあること、個人的な問題として片付けておくとして、お二人とも釈明会見で、泣いている。

女性だからどうというわけではない。男性でもつい先日大泣きしている地方議員がいた。

大人の人間たるもの、仕事に関することでそう軽々に泣かないでほしい。泣くほどのことであれば、その仕事を辞する覚悟が欲しい。

ただ、女性代議士二人が相次いで泣いていると、”女は結局泣いて済ませる”と言われて、地位向上が遠のいてしまうような気がする。それとも、泣くのが当たり前で、泣くのを我慢するのがおかしいということになるのだろうか。

まあ、光源氏は良く泣いていたので、男も女も泣くのが当たり前なのかもしれない。

 

泣かない、という生き方のほうが変なのか

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元SMAP3人の新しい地図

2017年09月22日 | 日々思うこと、考えること

随分苦労したんだろうなと思う。アイドルとかトップ芸能人が属する社会のことは想像もできないが、トップもトップ、日本を代表するグループを解散するにあたっては、渦中にあった人たちに苦労がなかったとは言えないだろう。今日の朝刊に載っていた、"新しい地図”という、元SMAPの3人が立ち上げたサイトの全面広告が目に飛び込んできた瞬間、そう思った。

解散に至るまでに何があったかなんて、全くわからないし、考えるのも無駄だ。でも、いくら純粋培養されたアイドルとはいえ、5人はそれぞれ立派な大人で、香取慎吾が40歳、草なぎ剛と稲垣吾郎は43歳だそうだ。それなりの決意があっての行動だろう。何も考えがないような人たちだったら、そもそもこんな騒動にはならなかっただろう。芸能界という中で仕事を続けるということには変わりないのだから、業界内での転進ということになる。私自身がここ数年で職場を二度移ったことを重ね合わせると、その都度面倒なことがあったのではないか。でも、その反面、必ず味方になってくれた人はいたし、新しい出会いもたくさんあったに違いない。転進というとあまり聞こえが良くないが、人生には二歩下がって三歩進むという道もある。

巨大芸能プロダクションを離れた人が随分苦労したという話を見聞きするが、それは程度の問題だ。残った2人と見えることはまずないだろうが、気にすることはない。相手にしなければいいだけの話だ。幸いここは日本で、今のところ日本のネット社会は人間を消滅させることはできなくなっている。今回、彼ら3人がサイトを立ち上げたということは、ある意味テレビ依存からの脱却を模索しているようにもみえる。今でも、ネット上で芸能人が発する言葉と引退した芸能人が発する言葉の重みに差異はない。こういうビッグネームが挑戦することで、芸能界というシステムそのものの改築が行われるかもしれない。そのこと自体、とてもチャレンジングなことで、わくわくする。40歳代前半というのは、もう一仕事できる年だ。これまで以上に、仕事に精進し、楽しい夢を見せて欲しい。

頑張ってください

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いよいよ秋がやってきた・・・最近のあれこれ

2017年09月21日 | 鎌倉暮らし

彼岸の入りとともに気持ちのいい季節がやってきた。これから、10月いっぱいほどは秋の清々しい日が続いて欲しい。もうすぐ秋分。夜明けの時間と起床の時間が重なってきた。朝の駅までの歩き、少し歩くだけで汗ばんでいたのに、それももうほとんど感じない。

先日の台風の翌日に稲村ガ崎から富士山を眺めたら、雪のない黒い富士山が見えた。9月の末には山頂に雪が積もるので、この姿もあとわずかだ。

新聞、テレビニュースを見ると、あれこれ大変なことが次々と起きている。何より気の毒なのはメキシコの大地震だ。多くの建物が倒壊して、たくさんの人が生き埋めになっているらしい。一人でも多くの人に助かって欲しい。

北朝鮮に対する国際社会の包囲網は狭まっているようだけど、経済的に結びつきの深い中国や、極東開発を北朝鮮人労働者に頼っているロシアが、”ハイそうですね”と言って簡単に同調するとは思えない。自国内に損害の出る人がたくさんいるだろうからその補償だって必要だ。トランプ大統領が拉致被害者の方について正しく言及してくれたことには、私も感謝する。日本人の政治家でああいう言い方をした人はこれまでいただろうか?外交も防衛も外国頼りの日本の政治が情けなくなる。それにしても、トランプ大統領というのは、演説が上手だ。あれで、多くの日本人の心を味方につけてしまっただろう。

そして、解散総選挙。予想通りというか、野党は今回もあたふたしていて、一体何がしたいのかよくわからない。森友・加計問題を追い風にできない体たらくぶりだ。小選挙区制だからといって、野合では仕方なく、選挙戦が危惧される。ここまで、政治家の品格が堕ちてしまってはもう一体誰に託せばいいのかわからないが、人物本位で選ぶしか私たちには道は残されていないような気がする。自民党はいよいよ憲法改正も視野に入れた公約を打ち出すらしい。これを含め、有権者はよく公約を確かめて、投票しないといけない。投げやりになってはいけない。

鶴岡八幡宮の横の道の彼岸花は満開をやや過ぎてしまったが、今度は萩の紫色の花がちらほら咲き出している。秋はお花の季節でもある。

今年の秋は歴史が動く

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千葉-鎌倉 1時間37分 忘れ物を取りに

2017年09月20日 | 通勤・交通・旅行

横須賀線の中にメガネを入れたメガネケースを忘れてしまい、千葉まで取りに行った。

帰りは千葉から鎌倉まで1時間半あまり。千葉まで行くことを加えたら2時間にもなった。この前、学会出張で福島に新幹線で行った時がやはり1時間半、これとほぼ同じだけかかったことになる。新幹線の時間を在来線である総武線快速・横須賀線と比べるのはナンセンスだが、忘れ物を取りに行くということが随分な労力を必要とするものであるのかを実感した。去年、やはり横須賀線でお土産のお菓子を忘れたことがあったのだが、その時は取りに行く暇もなく回収を断念したということがあった。今回も、ケースだけだったら諦めただろうけど、中身のメガネそのものがあっては仕方ない。いくら安売り店で買ったメガネとはいえ、電車代の方がずっと安い。それに、メガネを新調する時の煩わしさもある。

 

無事、私の元に帰ってきたメガネとメガネケースを見ると少し拗ねているようにも思えた。それなりに愛着がある。


それにしても、千葉から東京を経て鎌倉というのは遠かった。ずっと座っていたが、一晩明けてもまだ腰や背中が痛い。東京湾をぐるりと回るので当たり前なのだけど、夜だから、車窓からの景色も見えず、全くの移動だった。こんなのだったら、いっそ木更津まで行ってバスで東京湾アクラライン経由で戻ってもよかったと思ったが、時間が時間がだけにそれは諦めた(ちなみに、東京湾アクアラインへはまだ行ったことがない)。

私がボケているだけなのだろうが、年をとると通勤というものがそれなりのリスクを伴うようになる。電車にしても、バスにしても、車にしても、人間移動するということは何らかの危険を伴っていて、忘れ物の他にも、階段で転んだりとか、ホームと電車の間に足を取られたりとか、以前では考えられなかったことが次々と起こる。いつも注意深く行動する必要がある。

忘れ物対策としては少なくとも、降りる直前にあたふたと荷物をまとめるようなことはやめ、一駅手前で全て終わらせることにした。

東京-名古屋は1時間41分

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今年のシルバーウィークは

2017年09月19日 | 日々思うこと、考えること

シルバーウィークというのは日程が定まっていないのでどうも予定が立てにくい。今年のように、敬老の日も秋分の日も暦通りだったりすると例年と変わりばえせずありがたみも少ない。ただ、お彼岸が過ぎたら一気に秋が深まるので、それまでの夏の疲れを癒すためには何よりの休みなので、もったいないことは言えない。先週来の台風18号のあとなので、ありがたみはひとしおだ。私自身、先週末は学会で福島に行ったので、少々疲れは残っている。体力は急速に落ちていて、グリーン車で往復ゆったりというわけでもなく、一度出張すると体力はなかなか回復しない。それに、休みの分仕事はたまるし、そろそろ出張もよく考える必要が出てきたように思う。

昨晩は老親を囲んで外食をした。まだまだ、元気にしていてくれるが、こうして一緒に食事ができるのもあと何度あるかと思うようにもなってきている。

孫となる娘も一緒だったが、若きと老いがともに語り合うというのもいいことだ。私が若かった頃、祖父母と一緒に食事をしたりしていた時、あまりそのようなことは意識しなかったけれど、今ではそれがよくわかる。娘もそのうち・・・あと30年ぐらいたったらそのことがわかるようになるだろう。歳を重ねるということは自分自身を見つめ直し、周りのことを思いやることができるようになるということだ。そして、自分が死ぬまでにやらなくてはいけないことがなんなのかを知るようになる。

いまさら何ができるかなんて、それほどよくわからないが、最終的には死ぬということだけはわかるようになった。死ぬことは人間にとって避け難いことなのだから、わがままになって傍若無人に振舞うことなく、居住まいを正し、それに向かってよりよく死んでいきたいと思う。

心おだやかに

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すごい台風だった・・・日本人の原体験

2017年09月18日 | 日々思うこと、考えること

台風18号が日本列島を縦断していった。

昨晩は、暴風雨に加え、稲妻も光っていて驚いた。家がミシミシいっていてどうなることかと心配だったが、結局眠っていた。

目がさめると、風は強かったけど雨はすっかり止んでいた。

一日中、強い風が吹いていたが、鎌倉にはたくさんの人が来ていた。

フェーン現象で30度ぐらいに気温が上がって暑かったが、車にかかった塩水を落とすことだけはしておいた。

雲ひとつない夕方の空を見ていたら、昨日の晩の怖かった思いが嘘のような気持ちになった。

日本中で、台風の被害が出た。今回の18号は沖縄から北海道まで縦断した。

今回の台風は少々特別だけど、台風が1個来ると、南から北まで大なり小なり影響を受ける。

日本人にとって台風は共通の体験だ。どの台風も対岸の火事ではない。

被害が心配

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解散するなら今がベストかもしれない

2017年09月17日 | 日本のこと、世界のこと

朝刊を見たら、”年内にも総選挙か?”という見出しが躍っていて少なからず驚いた。

今、総選挙をしたら、自民党と野党、結構五分五分のような気がする。

教育利権に国有地の払い下げ問題に端を発したスキャンダルだらけの自民党。このまま、数の論理で多くの政策を推し進めようとせずに総選挙に打って出ようという総理の考えは潔いように思う。

対する野党。民進党は代表選挙が終わったと思ったら、いきなりの、というかまたぞろ不倫騒動の上の離党ドミノでずいぶん弱っている。でも、これは自民党のせいではない。

小池新党には時間がないかもしれないが、風だけで押し切ろうというのも虫のいい話だし、きちんとした論戦を行なって欲しい。

他の野党はすぐさま統一会派を作るようなところもあるようで、必死だ。

北朝鮮のミサイルの問題があるけど、それはずっと続く。それはそれだ。

総選挙の争点は憲法改正。今度は隠しようもない。もし、年内、この状況下で総理が総選挙に打って出たら、この選挙は日本の未来を決めるものとなる。

誰が何を考え、どう動こうとしているのか全くわからない。政治家たちも右往左往していることだろう。

私たち選挙民も、覚悟して選挙に参加しなくてはいけない。

神奈川4区はどうなるか?

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病理医とコンパニオン診断

2017年09月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨晩、福島の友人と深酒をしたせいで、目が覚めた時は少し頭が痛かったが、朝食をしっかり食べたら治った。会場が宿の隣なので、仕事とはいっても学会、ずいぶんゆっくりできた。

病理の学会なので、当然のことながら演題は病気の診断についての話がほとんどだ。

病理診断は治療のための診断であって、診断のための診断ではない。治療のための診断というのは、診断によって次にどんな治療を行うことができるかを知るために行うものだ。

遺伝子解析技術の進歩によって、ものすごくたくさんの病気の遺伝子の詳細が明らかになっている。悪性腫瘍の遺伝子診断などはその主戦場だ。顕微鏡を覗いて、病気の病理診断すなわち、それが癌かそうではないか、ということをしていたらそれで十分だった頃と違って、今では様々な疾患について色々なことを調べる。というのも、癌の治療は切除が第1選択だが、転移していたり、浸潤が広かったりしたら切除以外のこともしなくてはいけない。切除以外の治療、化学療法とか放射線療法だけど、そういったことが有効かどうかを調べるのだ。

癌細胞が産生するタンパク質を抑え込む治療が開発されたから、そのタンパク質に関連する遺伝子を探す。とか、遺伝子発現のパターンによって同じような腫瘍でも予後とか、治療効果が違うかどうかということを、調べたりする。有名なのだとHER2とかPD-L1とかがあって、そういったタンパク質の発現を調べるのを、最近ではコンパニオン診断という。


どこからどこまでが従来の病理診断で、どこからがコンパニオン診断に相当するのか、線を引くのは難しい。

乳癌の診断でHER2が陽性か陰性かということを調べるときに、同じような組織像でも陽性の乳癌と陰性の乳癌がある。経験を積んだ病理医の中には組織像だけでもその違いがわかる人もいるようだけど、やっぱり、HER2の免疫染色は必要となる。経験に客観性は担保されないのだ。だから、どんなに経験を積んだベテラン病理医でも、コンパニオン診断を行う必要があり、こういったことがどんどん増え続けていて病理医がしなくてはいけない仕事は増加の一途だ。

リンパ腫なんかになると、疾患数がどんどん増えていて、診断するだけでも大変なのに、これにコンパニオン診断が加わってきたら、一体どうなるのだろう。

免疫染色だけでいいというのではなく、遺伝子解析も合わせて必要だ。そうやって疾患概念はどんどん広がっている。ナントカ遺伝子陽性ナントカ腫瘍なんてなってくると、ついていくのも一苦労だ。まあ、癌だって、人それぞれではある。個々人の遺伝子プロファイルをデータベース化して、それぞれの人にできた病変を分類したら、それぞれの人の病名がついたりするようになるのだろうか?

さすがに私が生きている間にそうはならないだろうけど、技術の進歩は想像以上だから油断できない。いろんなことをキャッチアップするために、学会に参加するわけだが、今回も終わった頃には、頭が痺れるほど疲れてしまった。帰りの新幹線の中で、なんとか書き終えたけど、おかしなことを書いていたら、ご意見をください。   って、学会の続きみたいな文章になってしまった。

Brown pathologist

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