こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

やめどき

2007年09月29日 | スポーツ・健康・ダイエット
残暑もおさまり、少し涼しくなってくるとふしぶしが痛みます。好きなバスケもそろそろ引退なのかな。
体のことだけではなく、最近燃えないんです。ゲームでも練習でも。
シュートが入れば楽しいけど、そのたびにひざも足首も痛むし、痛みのほうがつらい。まぁ、このレベルじゃ、最初っから参加していなかったみたいでもあり、参加していたにしてもすでに引退していたのかもしれないし。
でも、自分の中で、やめる必要があるかといえば、やめないでがんばる必要もない。
バスケ(趣味)とは自然にながーく接していられればそれがいいんだろうね。

あのときに帰ったら(2)  そんなバスケなんだけど・・・

2007年09月26日 | あの頃のこと…思い出話
 中学に進学したあと、部活はどこにしようかということになった。運動神経は鈍いほうではなかったので、まあ、体育会系を選ぶことにした。小学生の頃足が速く、自分でも小五、小六とすごく伸びてきていたのがわかっていたので、陸上部に入ろうと思っていた。もともと、人付き合いがいいほうではないし、自分を追い込むのがすきな、少々ナルシスシックな性格だったので、結構本気だった(まあ、これがスポーツに対してで、勉強に対してはまったく自分を追い込まなかったのは別の意味ですごく残念だが・・・)。ところが、そのときになって親父が「お前は協調性がない性格だから、個人競技はだめだ。どうせやるのなら、団体競技にしろ」といってきた。「協調性がない云々」は今でも覚えているほど、いやなことばだったし、実際今でも協調性はあまりない。周りの人にちやほやされることが多いのと声が大きいので、なんとなくリーダーシップをとっているように見えるが、まったくそんなことはない。私は一人が好きだし、親父もそれがわかっていたのかもしれない。ただ、中一の少年にそのことをわからせようとする必要はあったのか?
 あのとき、陸上( 短距離)を選んでいたら、私の人生はどうなっていただろう。インターハイくらい行けていたかもしれないけれども、それは“かも”だし、陸上の世界も厳しい。バスケで、死ぬほどフットワークをやらされたから、足が速くなったのかもしれないし・・・いずれにせよ、私はバスケを選ばされ、結果として、四十三歳で、名古屋まで行って、いまだにバスケをやっている。私は今、たぶん幸せなんだろうね。

第16回日本医師バスケットボール大会

2007年09月24日 | スポーツ・健康・ダイエット
 昨日今日と全日本医師バスケットボール大会@名古屋、がありました。

 この年(44歳)にもなって、依然としてバスケなどという比較的激しいスポーツをやっていることに対して多少、気恥ずかしさを感じていたのですが、まだまだ甘かった。

 集まったのは、70チーム、一チーム7,8人平均としても500人以上は集まっていました。実際、昨晩の懇親会はホテルの大広間びっしり・・・こんなにもバスケ好きの奴がいるのかとびっくりしました。なおかつ、全員が医者。参加名簿を見るとけっこう大病院の勤務医もいて、みんな、苦労してでも時間を作って参加してるんだなあ・・・と、なかばあきれつつ、わが身を振り返った次第です。

 結果ですが、現役(といってもOBチームだが) 級のV(victory)リーグは一回戦負けで、後輩たちは、昨晩散々飲んでいました。私が参加した超OB級のE(enjoyのE)リーグ、昨日は負けたものの、今日は、堂々の勝利。まあ、ちょっとけが人とか多かったものの、Vとあわせて一勝一敗一引き分け。今年初参加のチームとしてはこんなもんでしょう。

 このまえ、怪我する前に帰れたら、なんて思っていたこともあり、昨日、今日とプレーは控えめにしました。ほんと、怪我して仕事に差し支えたら、本末転倒ですからね。あくまでも、バスケはバスケ、熱くなる必要はありません。

 それにしても、昔(若い頃)というのは、なんだったんだろうね。ほとんどけんか腰だったけど、今では少々ファールをされても笑って許せちゃうんだからね。まぁ、負けてもいいと思ってやってるんだから、競技ともいえないかな???とにかく、もう、バスケで熱くはなれなくなってきました。引退というか、バスケはエンジョイできれば十分です。

 とにかく、怪我しないで帰ってきたんだから上出来だね。今日の試合は、出場時間のわりに点を入れられなかったけど、後輩たちが勝たせてくれました。ありがとう。

あのときに帰ったら(1)

2007年09月16日 | あの頃のこと…思い出話
自分の人生の中で、あのときに戻れたら、と思うことは何度かある。
「あそこでああしていれば」「あそこであんなことしなければ」
今では・・・
なんてね、でも、今は今、この先しか考えることはできない。この先の人生のために”あの時”に戻ってみたい。

最初は、バスケ。
最後の東医体、リングを楽勝でつかめるようになっていた私は、練習でダンクシュートに挑戦した・・・見事失敗、それどころか着地に失敗してすごい捻挫、決勝戦でちょっと出してもらったけど・・・万全の足ではなく、満足のいくプレーはできないまま大会は終わってしまった(チームは優勝)。馬鹿だよね。ホント。
今でも、「あのときダンクシュートなんかに挑戦しなければよかった」と思う。
人生、変わってただろうな。バスケが一番上手だったときに、遊びで大怪我。
スポーツ選手に怪我はつきもの。ちょっとした油断、驕りで一生取り返しのつかないような怪我をする。
一ヶ月ほど前ラグビーW杯の代表選手が練習中にアキレス腱を切った。息子が昔所属していたミニバスチームのコーチは肩の脱臼で引退に追い込まれた。少しだけ走るコースが、立ち位置が違っていれば、怪我をせず、違った人生を歩むことになったに違いない。
私の東医体も、全日本とはいわないが、私の人生の中の最大の大会だった。今でも胸が張り裂けそうになるけど、でも、今でもバスケが好きだ。ちっちゃな大会で、いつも一回戦負けでも楽しい。あの頃よりもバスケットがよくわかるようになったと思っている。ある意味では、進歩だよね。
あのときに戻りたいというのは、今の(別な面で)進歩した私(の能力)があるから思うだけなのかもしれない。

責任を持った人生

2007年09月15日 | 鎌倉暮らし
鶴岡八幡宮の例大祭の季節です。町内会もこれにあわせての秋祭り、昨晩はおみこしを担ぎました。町内一周はとてもしんどかった。見た目はそんなに大きくなくても、誰かが手を抜くとずっしり肩に食い込むのがわかります。
でも、みんなで一緒に担ぐと楽しいね、”神輿を担ぐ”っていうのがよくわかる。
一人や二人では担げないし、担がれたほうも何人にもの人に担がれているという自覚を持たないといけない。
総理・総裁から(ちょうど今、安倍さんが辞めて次の総裁を麻生さんと福田さんが争っている)、クラスの学級委員まで、人間誰かを担ぐか、担がれることって、一生のうち一度くらいは遭遇する(担ぐか担がれるかはどちらでもいい)。そういうとき、自分の意見を持って、行動しないといけない。責任を持って担がないと、神輿は傾く。担がれるほうの責任も自明です。
こういうのって、最終的には自分の生き方につながっていくんでしょうね。そして、責任を持った人生は、持たない人生よりも豊かで奥深いものとなるんじゃないでしょうか。

みんな、大変ですよね・・・

2007年09月10日 | 通勤・交通・旅行
朝の通勤、大変ですよね。
みんな、先を争って階段を駆け上がって、ホームを走って・・・
一瞬の油断で理不尽に自分のスペースが狭くなっちゃったり、挙句の果てには席がなくなっちゃったり。そんなときは仕方なく、次の列車を待ったりするけど、列の一番前に並んでても、次の列車のドアが開いたらすかさず車内に流れ込む。
運よく座れたら、肩をすぼめて、股を開かず、両隣のひとの迷惑にならないように座りましょう、そして「みんな、大変ですよね!」って、心の中で思って、お互いゆずりあう。と、なんとか心は落ち着きます。
だが!!そんな私を無視して足も新聞も大きく広げている隣のおじさん・・・
勘弁してよー
うーん、満員の通勤電車相手だと、なかなかいい言葉が思い浮かびません。

人にはやさしく、そして自分を幸せに

2007年09月09日 | 家族のこと

台風一過の涼しさもほんの一瞬で、暑さが戻ってきた。
というか、湿度が高いんだね。
一昨日、昨日と小さな研究会があって、まあまあ忙しかった。
今日は、娘とべったりと思っていたら、「(娘は食器の洗い方が下手だから)手伝わなくていいよ」なんて、せっかく手伝ってくれようとしていたところをくじけさせてしまった。
妻に促されて、一緒に洗って、あやまったけど・・・傷つけちゃったね。

昨日の研究会のときもちょっとあったけど、ちょっと、ここんとこ人に冷たく当たってしまっている。反省。

人にやさしくできれば、じぶんが幸せになれるのに。つい忘れてしまいます。
今日一日、家族にも、道行く人にも優しく接してみます。