こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

第70回 国連総会

2015年09月30日 | 日々思うこと、考えること

こんな書き方をすると、どこかの学会参加とおなじようにみえるが、もちろん違う。

国連総会が9月26日~10月2日の間、開かれているとのこと。

第70回というのが日本の敗戦後の年数を無言のうちに表していて哀しい気持ちとなる。さて、テレビや新聞で国連総会における演説、議論に関することが連日報道されているが、これらを見聞きしていると、人間の営みというものが、大なり小なりみな同じようなことを考え、同じように行動しているるものだとわかる。

狭い地球の上でともに暮らしていて、仲良く過ごすことなど最初からできるわけない。仲良し、仲間はずれの合従連衡、妥協できることがあればいいものの、そうでなければ喧嘩になる。

妬みも嫉みもミクロレベルからマクロレベルまで。すなわち、諍いは家の中からはじまって、ご近所、町内会、市、県、国まである。このことは仕方ない。人間は利己的な存在なのだから。だが、あれこれは仕方ないこととあきらめ、人を憎み、恨むということだけはしないでいたいものだ。

人を憎むこと、恨むことが生み出す負のエネルギーは、莫大で、結局自らを滅ぼす。

これも、どのレベルでも同じこと。

 

ご近所から国まで。結局はこんな小さな世界で喧嘩をしても、仕方ないのに。

It’s a small world.
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


いろいろな?とアンサー

2015年09月29日 | 電脳化社会

Yahoo!知恵袋とか、教えて!gooとか、わからないことがあった時にはネットに質問を投げかけ、その答えがすぐにたくさん返ってくる。私自身は、これらを使ったことはない、というか、疑問に思ったことはすでに誰かが聞いていてその回答、”ベストアンサー”、というやつですでに解決済みだからだ。

一昔前だったら、あれやこれや事典を調べたり、役所で調べたりしていたのに、そういったことが今ではほぼ正確に、それも丁寧にわかりやすく教えてくれる。自分で調べて結局間違っていたなんて時にはがっくりしてしまうが、今ではそんなこともずいぶん減った。

昨日の記事で、文明の利器が発達したせいで、今の人は人間やものをよく見なくなったのではないかと心配したが、はてさて節穴のような目でいくら見たり、調べたりしたところで何も見えないと考えると、モノは使いようということになる。

ネット上では本当に価値のある情報を無料で得ることはできないというが、少しレベルの低い情報ならもうどうやったって手に入るようになってきている。文献検索で、少し頑張って資料を読めば、その分も補完される。いまでもそうだろうけど、こういった?マークや疑問詞が付いた文が収集され解析されていくのだろう。そして、疑問文を書いた途端、回答がいくつも出てきたりするようになるのではなかろうか。

この先、こんな傾向はますます強まっていくに違いない。とすると、生身の人間がするべきことは一体なにが残されるのだろう?

考える前に、答えが返ってくるようになったら、人間だれも考えなくなってしまうように思えて、少々心配である。

ナマケモノ
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


よく見て生きる

2015年09月28日 | 電脳化社会

昔の人は、現代人に比べたら人間をよく見ていたのではないかと思う。というのも、今の世の中誰かと一緒にいても、電話やメール、ラインがはいってきたらそちらに気を取られてしまって、一人の人とじっくり語り合うことが事実上不可能になっているからだ。だから、目の前の人のことをつぶさに観察するということができない。

私などは、携帯メール出現過渡期の人間だ。だから、話している途中でメールをチェックする人をみて最初はたいそう面食らった。今では、自分にラインが入ってきたら、とりあえずはスマホの画面に目をやるようになっている。その瞬間、目の前の人との関係は中断されている。これでは、相手の人のことなどわかりはしない。

もちろん、大事な話のときはスマホを切っておくなどするが。

で、こんな文明の利器がなかったころの昔の人たちは、人間のことをよく見ていたのではないかと思う。この文明の利器が生み出されたことが人類にとっていいのか悪いのかはわからない。

ただ、こんなものがなかったら人間観察のみならず、自然観察にしても今よりずっと深くなされていたのではないかと思う。

人間をよく見たら、人間に対して優しくなれるし、自然をよく見たら、自然に対して優しくなれるのではないか。

だから、それらをよく見ることが難しくなっている現代社会というのは他者に対して優しくなることが難しくなっているのではないかと思えて、困ったものだと感じる。

大切なのは利便性ではなく
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


月見で一杯

2015年09月27日 | 鎌倉暮らし

今日もあれこれいろんなことを考えながら過ごしていたら、日が暮れた。今日は旧暦8月15日。

昼間は雲も多く、十五夜お月様など拝めないと思っていたら、午後8時過ぎから雲がやっと切れた。

中秋の名月。千年前の平安貴族はどうして月を愛でていたのだろうと思いを馳せる。

大船駅のルミネで月見団子をススキ付きで売っているのをみつけ、これを買って帰った。組み立て式の三方も一緒についているスグレものだ。

 

月見で一杯と飲んでいるうち、いつの間にか寝てしまった。

風邪をひくからと家族に起こされ、やっとこさ、この記事を書くには書いた。

 

明日はスーパームーンとのこと

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


コロの近況

2015年09月26日 | 犬との暮らし

マルチーズのコロ、先日めでたく9歳の誕生日を迎えた。早いもので、ペットショップでコロの眼力に射すくめられて、その日のうちに連れ帰ってから8年あまり。早いものだ。

小型犬とはいえ犬の9歳というと人間では52歳相当とのことで、そろそろ老化も始まる。

というより、しばらく前から老化に伴う症状はいろいろと出はじめていて、すでにいくつかの病気を抱えている。

小型犬に多いクッシング症候群になった。投薬治療をしていて、今日はその検査だった。若干データが悪かったのと、脱毛も目立ってきたので、薬を増量することとなった。また、治療費がかさむ。

ペットというもの、かかるのはエサ代だけだと思っていたが、そうではなかった。家計を考えると後悔先に立たずという気がするがあとの祭り。

ペットを飼うことの善し悪しはともかく、今は神様からお預かりした命を大事にするしかない。それが飼い主の義務だ。

近所の小学生がコロの絵を描いてくれた。真っ白な犬を上手く描いてくれた。

元気で長生きしてね 

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


 

 


秋の花の季節

2015年09月25日 | ガーデニング・菜園・花・緑

最近の気候は夏と冬ばかり目立って、春と秋はいつの間にか終わってしまうという。たしかに激しい暑さや厳しい寒さは年を追うごとにひどくなっているような気がする。

そんな夏だって、今年はずいぶん中途半端に終わってしまった。

それでも季節はめぐり、花は咲く。

昨日からの雨はけっこうな降りとなったが、せっかくの秋の花の季節、遊歩道とか公園とか花の多い通勤路を選んで歩いた。おかげで、足元はびしょぬれになってしまったが。

キンモクセイの生け垣を発見した。何度となく通ったことのある道だったのに、気がつかないでいた。もちろん今日気がついたのは花の香りのせいだ。

帰り道、暗くて花は見えないが香りからキンモクセイの場所はわかる。

それにしてもキンモクセイとは普段、どれだけ目立たない木なのだろう。ちなみに、我が家のキンモクセイは未だに花を咲かせない。去年植えたばかりで、今年は駄目なのかと、残念な気持ちになる。

こうして、花壇や生け垣をみるにつけ、花を愛している人がたくさんいるのだと思え、とても嬉しくなる。

花より団子とは言うけれど
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


連休で考えたこと

2015年09月24日 | 生き方について考える

大型連休がおわって、またいつもの生活が始まる。

せっかくなので目覚まし時計を休み前より10分早めて、新しいリズムで過ごすことにした。これからしばらくは、いつの間にか咲きだしていたキンモクセイの香りを探すつもりで起きようと思う。

朝の散歩には11月頃までは行けるのではなかろうか。

連休中、体調を崩した弟の看病に行ったり、大病をした親しい知人と会うことができたりもし、自分の来し方行く末についていろいろと考えた。もちろん仕事のことも。これまでの人生、生き方についてずいぶん学ばされてきた。

この先の人生、けっして楽なものではないだろう。私は裏表なく生きることしかできないので、これまでずいぶん損をしてしまったが仕方がない。自らの欲望を実現するために、あれこれ策をめぐらし、結果として人のことをおとしいれたり、裏切ったりすることは私にはできないのだ。

それはそれで仕方ない。

この先も、何度もくじけそうになるだろうけど、自分の考えをしっかり持って生きていけば、人生なるように動いていくに違いない。

私は私でしかない
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


好かれているか、嫌われているか

2015年09月23日 | 日々思うこと、考えること

人にどう思われているかなどわかりはしない。

仮に、少しだけわかったとしてもその人のすべてがわかっているわけではない。だから、他人にどう思われていようがそれで自分の人格が規定されることはない。

しかし、あまり多くの人に嫌われていると、社会生活を営んでいく上で何かと不都合が生じるので、人には嫌われないように生きるのはそのような観点からは得策かもしれない。だから、少なくとも嫌われないように生きていきたい。

人に好かれる必要があるかというと、どうだろうか。

人に好かれるという場合、おそらくは自分のごく一部を好いてくれているだけで、全体を好いてくれるわけはない。したがって、多少チヤホヤされることがあったからといって、自分が人気者だとかいい人間だとか勘違いして自惚れないほうがいい。

こういうのは、自己評価の高い低いではない。そもそも他者の観点から自分を評価しようとするのが問題なのであるということを、理解しておく必要がある。

また、明日から職場に戻る。いろいろな人間関係が再開する訳だが、他人の考えに流されず、しっかりと生きていくことが自分の人生にとって必要だ。

自分の人生は自分で評価する 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


鎌倉満員

2015年09月22日 | 鎌倉暮らし

墓参に行くという先輩が鎌倉に来たので、ご案内した。

と、簡単に言うことができるような話ではなくて今日の鎌倉もすごい人出。

江の電は40分待ち、ってなに。電車に乗るのに40分待つとのことで、改札制限のため、乗車待ちの列は裏駅の向いまで列が延びていた。

これではらちがあかないということで、江の電沿線にあるお寺さんのお墓まで歩いていくことにした。40分待つのなら、歩いても電車でも同じ。

お墓参りが終わってから、大仏様にお参りした。ここもすごい人の波。

今日一日でどれほどの人がお参りしたのだろう。鎌倉は満員という感じだった。

こうしてみると、鎌倉という街自体がひとつのテーマパークで、その中を人があちらこちらへと歩き回っているようにみえる。

表通りはどこも車があふれていて、裏道を歩いて鎌倉駅の近くにもどって、精進落とし。

仕事のことだの、ペットの犬のことやらで話は盛り上がり、あっという間に夜は更けた。

明日もよい天気のようで 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


どうやって死ぬのだろうか

2015年09月21日 | 生き方について考える

今日は敬老の日。日本人の80歳以上が一千万人を突破したということだ。日本人の一割が80歳以上。

昨晩、テレビで老衰死についての番組があった。

もうすぐ、52歳となる身としては、親のこと、そして自分自身のこととして観た。もちろん、先日亡くなった祖母が亡くなったときのことを思い出す。

自分が死ぬ時はどんなかなどということは想像もつかない。

どう死にたいか、ということを考えるのも難しい。

墓参りに行き、ご先祖の墓前で、死ぬことを考えた。

午後、先日大病をした知人が遊びに来てくれた。

人生を嘆くことのない、明るい笑顔にホッとする。

どんな死に方がいいのか、よくわからないが、神様に生かされている今を大切に生きるしか無いのだと思う。

大渋滞のなか、ありがとうございました 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


人の嫌がることをしない日

2015年09月20日 | 日々思うこと、考えること

一日中、人のいやがることをしないでいたらどうだろうと思ってやってみた。

とりあえず一日ぐらいなら何とかなるだろうとやってみたら、少々ぎこちなかったものの何とかできた。そしてなんとなくいい気分になった。そして、私の周りの人みなが穏やかに見えた。

二日、三日と続けてみた。

そうしたら人のいやがることをやらないでいるということが、何でもないことをしているということがわかった。

人のいやがることをしない。

なんて簡単なことに気がつかなかったのだろう。

これというのは、自分がされて困ること、いやなことをしないということと同じ。当たり前のことをしていただけだった。

当たり前のこと。

どうしてこんな簡単なこと、できてこなかったのだろう。そして今日一日も、人のいやがることをせずに過ごすことができた。

 

まだ続いている
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


ナイトの里帰り

2015年09月19日 | 犬との暮らし

フラットコーテッドレトリバーのナイトの生まれたところを見に行った。もちろんナイトを連れてだ。

先日、ブリーダーさんに電話をしたら、どうぞどうぞということで、連休初日の今日訪ねることになった。

幸い、昨日の雨もすっかり上がってよい天気。

ドライブがてら、箱根仙石原を通って行った。ススキが美しかった。大湧谷のほうから煙が上がっているのが見えた。

ブリーダーさんの犬舎は人里離れた山奥。

森の中の道を進み、こんなところにあるのだろうかと心配になったあたりで、急に視界が開けて犬舎があった。

ひと月ほど前に、子犬が生まれたとのことで、かわいい子たちがたくさんいた。3、40センチの子犬は、突然の来訪者に驚くことも無く、私たちの足下に集まって来た。

子犬はみな、まだ産毛に包まれ、にゃあにゃあ啼いていた。

ナイトもこんな感じで育てられたとのこと、2、3ヶ月は兄弟といっしょに暮らす。その後それぞれの家庭にもらわれていったり、ナイトのようにペットショップにいくそうだ。

ペットは飼い主のところにいろいろな経緯でやってくる。

飼い主には、一度引き預かった命を最期まで大事にしてやる責任があるのは当たり前のことだ。

出会えて良かった 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 

 


私だったら、ステキな段ボールハウスを建てるわ

2015年09月18日 | 妻の名言

仕事とか、人間関係とかでいやなことがあると、残念ながらすぐ弱気になってしまう。

そうしたら妻に、「一体どうなったら、その考え方はやめられるの?」と言われた。

「べつに、悪い考えではないと思うけれど」と言い返したら、

「それじゃあ、一体、どうなったら安心するの?偉くなったらなったでどう?昨日の国会でみたでしょう?総理大臣だって、大変よ。」

「宝くじが当たったら大丈夫?」と言われ、「いや、使い切ったらどうしようと思う」と答えた。

「それで、どうするの?」「なんとかする」。

「じゃあ、私がいなくなったら?」

「それは困る」

「それは困るって言っても、私がいなくならないとは限らないでしょう?考えたことある?」

「いや、そんなことない」

「お金も仕事もなくなって、私も子供たちもいなくなったら、どうするの?」

「・・・、なんとかなるよ」

 「なんともならないわよ、いつまでもそんな考え方を続けていたら、どうやったって生きていけない。ホームレスの生活だってできないわよ。

私だったら、そうなったら段ボールだってすぐもらって、素敵な段ボールハウスを建てようぐらいのこと考えるわよ。」

こんな発想というのは全くなくて驚いた。

生きることを楽しいと考えられる妻のことをうらやましく思った。

なにをやっても、うまくいかない自分の人生を否定的に考えてしまうこのくせ、何とかならないだろうか。

原因の一つとして、自己評価の低さがあると思うのだが、これをどうしたらいいか悩んでしまう。

段ボールだって、上手に集めることはできないだろう。そういったことについてもダメだなと思ってしまう。

せめて、自分の人生そのものを楽しく生きていきたい。

こんな記事も上手にまとめられない
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ

 


弟の体調不良

2015年09月17日 | 家族のこと

私の二つ下の弟はダウン症で今年50になった。その弟の体調が少し悪かった。一時期、飲まず食わずとなってしまったので、ずいぶん心配した。

今夜は、少し息抜きをしてほしいと思い、両親を実家から追い出し、私が留守番に来ていた。弟の調子はすこしずつよくなってきていて、今夜、動けなくなってから初めて手洗いに行くことができるようになった。ホッとした。両親も喜ぶだろう。

ダウン症の人の程度は様々で、先天性の病気(心臓病が多い)や白血病などダウン症の人のかかりやすい病気がある。幸い弟はこういった病気にはならずこの年まで元気にやってくることができた。そのせいもあるのだろうが、いざ弟の調子が悪くなった時の対応がわからなかった。

もちろん、熱が出るだの、心音とか、呼吸音が悪くなるだのといったことだったらわかるのだが、今回はそのようなことは無かった。症状からは免疫異常を含めいくつかの疾患が考えられたのだが、確定診断は困難で、結局、”どうも”なにごともおっくうだったようで終わりそうだ。

ダウン症の人のなかにはミュニケーションをとるのが比較的容易な人もいれば、そうでもない人もいる。弟は、授産施設で働くことができたぐらいなので、意思疎通はずいぶんできたほうだったが、今度ばかりはいろいろと難しかった。

おふくろは、弟がこんなことになって、誰か同じような経験をした人がいないかと、ほかの高齢のダウン症の人の親御さんに相談したようだったが、結局、どのように対応したら良いかはわからなかった。人それぞれだし、このような人のこういったことへの対応方法の情報というのが集まっていないらしい。

弟のような人の高齢化が進んでいる。その親は同じく高齢であり、そういう家庭への対応というものを考えないといけない時期に来ている。

難題山積 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ


人生、思わぬときに転んでしまう

2015年09月16日 | 鎌倉暮らし

今週は、鎌倉鶴岡八幡宮の例大祭。14日(月曜日)早朝の浜降式から始まり、昨日は例大祭で御神輿が出た。

祭り囃子が聞こえる。

今日は、流鏑馬。騎馬武者が鶴岡八幡宮の境内を東西に走り抜けながら的を射る。

当日の朝、予行演習をするのを知っていたので、散歩がてら見に行った。

数騎の騎乗をみた。見事的を射抜いていた。昼にはさぞ混雑すると思えるが、朝のうちに見ることが出来てよかった。

その時は、ナイトも大人しくみていた。

帰り道、もう一度近くでみようと行ったら、ナイトが馬に興奮したのか吠えてしまった。普段は大人しいのだが、吠え声は低くて大きい。

馬のほうは大丈夫だったが、迷惑になってはと思って、ナイトをあわてて引っ張って後ろに下がろうとしたらナイトが立ち上がってしまった。

不覚にも、後ずさりしていたら、側溝の蓋に足を取られて仰向けに転んでしまった。

情けないことに、転んだところをナイトに乗りかかられてしまった。あたりの人に見られてみっともなかったが、ナイトもそれ以上は吠えたりせず、大騒ぎにはならずに済んだ。

それにしても、予想外のシチュエーションで、予想外のことがおこる。

人生というのは、思わぬときに、思わぬことが起こる。どこかで聞いたような話だ。

横の道の彼岸花が咲き始めた。いよいよ本格的な秋がやってくる。 

ついた右手がまだ痛い 
にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ