こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あれやこれやと困った1日

2017年11月30日 | 日々思うこと、考えること

今朝は胃痛とともに始まった。

昨晩から少しお腹が張っていたのが気になっていたのだけど、夜中になって痛みで目が覚めた。痛み止めを飲んでうつらうつらしていた。
目覚ましをセットしていた時間になって顔を洗いに起きたのだけど、やっぱりまだ痛い。ここのところ胃が痛くなるようなことはとくになかった、風邪だろうか。胃が荒れているのだろうから口の臭いには気をつけないと。それでも今日は診断当番日。私がいないと何かと困る。これぐらいのことで休むわけにはいかない。



のろのろと支度して、今日はナイトの散歩は中止。鎌倉駅までは妻に車で送ってもらうことにした。そうしていたら、横須賀線が人身事故で運転見合わせ。復旧まで1時間ほどかかるとのこと。泣き面に蜂。京急線の駅まで送ってもらって、振替乗車。満員電車をぼやいていたら、妻からラインで「たまには違う空気を吸って、人間観察。楽しいことを見つけてね!」励ましの言葉。さらには「イライラしちゃダメです!血圧上がります。」とも。確かにそうだと考え、じっと我慢。心が休まる曲集なんてのを聴きながら車窓の外をみていたら、隣を走る満員電車の中の人、職場に向かって歩くたくさんの人なんかが見え、みんな一生懸命生きているのだな、などとしみじみとした気持ちになってしまった。

30分ほど遅刻してしまったけど、朝からの仕事は入っておらず、ことなきを得た。胃薬を飲んで、落ち着いて静かに仕事をして過ごす。人に振り回されることの少ない病理の仕事は、こういう時には助かる。迅速診断が2、3あったが、同僚もいたので、無事済ませることができた。1日、無事当番をやり過ごしたら、次は都内の某大学へ研究の打ち合わせで移動。

これはなんとか無事に終わらせることができて、ホッと一安心。まっすぐ帰ったら、また人身事故でダイヤがあちこちで乱れていて、参った。 夜になってもまだお腹はシクシクしている。下っているわけではないので、なんとかなったけど。明日は今年最初の忘年会。治ってくれているといいのだけど。

お風呂にゆっくり入ってお腹を温かく

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


いただいたメールへの対応はなるべくすぐに

2017年11月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

不肖コロ健、一応病理専門医。いくつかの専門領域、というか得意分野も持っている。といっても、どちらも大したものではないといえば大したものではない。専門医資格なんて、日々仕事を真面目にやっていたら、自然と覚えて行くものだし、自分の専門領域なんていうのも、10年ほどコツコツ打ち込んでいたらいつの間にか他の人よりはできるようになる。というようなことなんだが、こんな私でも、専門家ヅラして他の施設の症例のコンサルトだの、論文の相談を受けることがある。そして、この前ちょっと失敗してしまった。

 

以前、一緒に仕事をしたことのあるとても優秀、かつ礼儀正しい臨床医から、論文の査読で困っているという相談をメールで受けた。

その論文中にある病理所見がよくわからないということで、相談してきたのだ。先方も、「すごくは急いでいないでお時間のあるときに」と書いてあって、その時、私もすごく立て込んでいたので、2、3日返事を待ってくれとだけ返信した。

ところが・・・、先日、「あのメールの件、どうなったでしょうか?」とのメールが来た。

やっちまった。その先生、通常の査読のリミットを越えてしまったので、しびれを切らして催促のメールを出して来たのだろう。

偉そうに、メールの返事を待ってくれなんていうことをしたからこうなった。専門家気取りで少々図に乗っていたかもしれない。本当にはずかしかった。何れにしてもメールで受けた仕事への対応は、その場で解決したほうがよさそうだ。

今日も大忙し

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 


秋は深まり、心も落ち着く

2017年11月28日 | 日々思うこと、考えること

日に日に寒さが募る今日このごろ。

東北、北海道では早くも大雪となっているけれど、各地のスキー場では11月からオープンできてほくほくのようだ。

明日一旦暖かくなるけど、明後日はまた寒くなる。寒暖の差が激しくなって、季節は冬へとまっしぐら。

季節の変わり目には体調を崩してしまうことが多いけど、気候が安定してくると体調も落ち着く。

面白いと思ったのは、気分・気持ちも同じだということ。11月になると、早くに目が覚めそのまま眠れなくなり、ブログの記事の内容も沈みがちとなる。でも、やっと最近そのようなことがなくなってきた。

もちろん、来月の国際学会の準備が切羽詰まってきていたりとか、研究が遅々として進んでいなかったりとかで、不安を感じないわけではないけれど、得体のしれない不安感はない。体と同様、心の揺れもスタビライズされ、落ち着いてきたということだろうか。じっくり仕事に取り組んでいこうと思う。

今年の鎌倉の紅葉はなかなかいい、なんて書いてみたけどそれを言うには11月の初旬ではちょっと気が早かったようで、やはり12月に差し掛かったところで木々の葉も本格的に色づいてきた。残念ながら、のんびり散歩をする暇はないけれど家の周りの紅葉を探すだけでも十分楽しい。心も落ち着いてきたことだし、学会の準備にもやっと本腰を入れることができそうだ。

自然体で

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


何年か先の自分を考える

2017年11月27日 | 日々思うこと、考えること

ビジネスの本を読むと、仕事をする上では何年か先の自分をイメージすることが大切だとある。私の場合、年齢的なタイムリミットがあるので、5年後を目処に何をしているかということを考えたいと思った。

高校時代の友人に医師免許を取ったところで、医業には進まず、全く畑違いのことで起業したのがいる。時々、仕事関連の興味深い投稿をしていて充実していそうだ。そんな人もいるにはいるが、私の場合いまさら医師をやめて何かを始めるというのは難しいし、アイディアもイメージも湧いてこない。だから、医師、それも病理医であるという前提でしかものを考えられないが、それは仕方ないことだろう。

医者といえば開業だ。医者として一国一城の主となる開業はひとつの夢だ。大学の同級生の3分の1ぐらいは開業したように思う。同級生の中で一番早かったのは30代半ばで開業していたので、随分早い。流行っているらしく、初期投資も十分回収したと言っていた。地域の医師会の副会長なんてのもやっていて、充実しているようだ。だが、遅れること20年、50歳を過ぎての開業はやや遅きに失した感があるし、そもそも病理は開業が難しい。となると、私の場合これから開業ということはありそうにない。幸いにも、誘われて来た今の職場は人間関係のストレスは少ないし、仕事もたくさんある。それに大学附属病院ということで、多くの学生やら研修医が出入りしているので、賑やかで活気があっていい。職場環境として文句のつけようがない。では、それならここで私は何をすべきか。すぐに浮かんでこないということは、あまり考えていないということになってしまう。

これではいけない。何をするにしても遅いということない。いまがスタートなのだから、5年後、どうしているか、どうしていたいか、ということを少しずつでも考え始めていこう。

まずは健康

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


アメリカに守られている国という実感

2017年11月26日 | 日々思うこと、考えること

横須賀にあるショッピングモールに買い物に行った。行く途中には横須賀基地があって、街には米軍兵がたくさん歩いている。隣の逗子市には米軍住宅もあって、鎌倉市民にとっても在日米軍は身近な存在だ。

神奈川県は沖縄県の10分の1だけど、青森県に次いで日本で3番目に米軍基地の面積が広い。ちなみに、4位は東京都。東京には立川基地があるので、それなりに面積を取っているのだろう。米軍専用施設だと、沖縄(23施設)に次いで2番目(7施設)の数だ。米軍関連施設が一つもない府県は21ある。

横須賀基地を高速道路から横目に見るたびに、”日本はアメリカに守られているのだな”と思う。

沖縄は日本全国および東アジア、横須賀は首都防衛だ。北朝鮮や中国が攻めてきたら、日本だけの軍事力で対抗できるのか、不安になるが、米軍が守ってくれたらなんとかなるだろう。ベトナム戦争以降、大規模な戦争はなくて、内戦やテロになっている。それでも、いつ戦争が起こるかなんて、わからない。

日本は、わざわざ戦争を仕掛けて行こうなどということは考えていないだろうけど、戦争は常に隣り合わせ。基地も隣り合わせの県民にして見るどこれが安全保障ということだと思うのだ。

日本がアメリカに先の大戦で勝っていたら、ワシントンD.C.を守っていたかと思うと、ちょっと複雑な気持ちになる。

平和と戦争は表裏一体

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 


光を見に

2017年11月25日 | 生き方について考える

目覚ましの 音に起こされカーテンを 開けたら外は夜明け前

曙の 空はほとほと美しく 寒さもいとわず外に出て 息をのんで立ち尽くす

空にはみごとなグラデーション

夜明けの空を 切り取る山は影絵のよう

 

すべては光に照らされて すべてに影が作られる

でも影は やがて光に包まれる

 

光を見に外へ出よう

影として かならず光はそこにある

 

すべてのことに光と影はあるけれど すべては光が作るもの

たとえ今 暗い闇に沈んでいても 光はかならずやってくる

たとえどんなに弱くても 希望とともにやってくる

 

勇気を持って外へ出よう

光を求めて外へ出よう

光がすべてを包み込んでくれるから


ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


筋トレは簡単にできて、体にとてもよい

2017年11月24日 | スポーツ・健康・ダイエット

「筋トレは、がんによる死亡リスクを31%下げる」というタイトルの記事がニューズウィーク日本版に出ていたので、原著を探してみた。論文はAmerican Journal of Epidemiology誌に掲載された、オーストラリアシドニー大学のグループからのもので、タイトルは”Does strength promoting exercise confer unique health benefits? A pooled analysis of eleven population cohorts with all-cause, cancer, and cardiovascular mortality endpoints ”。公衆衛生の論文は難しかったのだけど、ニューズウィークの翻訳の助けも得て読むと、週二回以上、筋力トレーニングを行っている人は、全死因における死亡リスクが23%低く、がんによる死亡リスクも31%低いとのこと。”strength-promoting exercise ”日本語に訳すと筋力増強運動、すなわち筋トレは死亡リスクを低減するという話で、そのメカニズムは書いてなかったけれど、4月からジム通いを始めたコロ健にはちょっと嬉しい話だった。

片道2時間近くかかる”超”をつけてもいいほどの長距離通勤対策で、乗換駅にあるジムに通い始めたのが4月6日。こうしてみると、結構対応は早かったことになる。スポーツジムにはアラフォーの頃にしばらく通ったことがあって、勝手がだいたいわかっていたのがよかったのかもしれない。最初のうちはマシンとランニングだけやっていたが、しばらくして、スタジオに移っていくつかのプログラムをやったのだけどやがて体が慣れてきてしまった。いろんな動きを行うので、頭のトレーニングにはよかったのだけど、体のどの部分が使われているのかが実感としてわからずもどかしかった。あと、ジムが最近はやりの女性対応に力を入れて、プログラムが大幅に変わって、お気に入りだったスタジオプログラムが2本も削除されてしまった。男性会員差別なのだけど、このジムが駅から一番近いのでよそに変えるに変えられなかった。別のプログラムを新たに始めるのも面倒なので、スタジオメニューはほとんどやめてしまった。ただ、ピラティスは体幹トレーニングによいので、体幹の使い方を忘れた頃に行くようにしている。

ということで、今はウェイトトレーニングばかりやっている。これは8月から本格的に始めたが、”本格的に”といっても、10年以上前にやっていたメニューをネットで調べ直してやっているだけで、難しいのはやっていない。この先、壮年ボディービルダーでもを目指すわけではないので、内容はたかがしれている。“ものすごい”トレーニングをやっている、“ものすごい”体格の人に混じってやるのは随分気後れしたものだが、白髪半分のおっさんが、ウェイトトレーニングコーナーの隅っこで小さくなってやっているということで許してもらっている(と思う)。仕事帰り寄るといっても、中間点より先で、あまり遅くなるわけにもいかず、行くことができるのは週に2度程度。内容は、軽いダンベルを持ち上げるところから始め、最近ちょっとそれっぽくスクワットとデッドリフトを始めた。でも、ベンチプレスはまだ怖くてできない。あと半年ぐらい経ったら始めようと思う。気がつけば半年、われながらよく続いている。バスケと違って相手のないスポーツだから、誰と比較するというわけでもなくノンビリやることができる。

ジムに行くことのできない日には自重トレーニングをやっている。自重とは要するに手ぶらのことで、今のメニューは家で立ったまま簡単にできるもの5種類。スクワット、ベントオーバー、ラットプルダウン、ももあげそしてつま先立ちをお風呂に入る前の15分ほどを使ってやっている。どれも負荷は軽いけれども、やらないよりはいい。こういうジムに行かなくてもできる簡単なメニューもあるので、筋トレはとても手軽な健康法だ。だけど、私の場合ジムにいざ通わないとなると、トレーニングのリズムがつかめず、元も子もなくなってしまいそうなので、この先もしばらくは通うつもりだ。ただ、今、通っているジム、男性会員差別があんまり露骨になるようだったら、退会して別のところを探そうと思っている。

ところで、その、筋トレで発がんのリスクが減るということだけど、基礎代謝が上がることで、個々の細胞が活性化してNK細胞の活性化が促されて、免疫能が上がるからではないかと、勝手に想像している。

まずは体を動かそう!

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


行きは大雨、帰りは晴天・・・のち曇り

2017年11月23日 | スポーツ・健康・ダイエット

大学時代のバスケット部の創部○十年記念の会の集まりがあり大雨の中東京へ。せっかくの休日に、また東京に出なくてはならないのは残念なのだが、愛する母校のそれもバスケット部の集まりとなれば致し方ない。

考えてみるといつの間にか30年。他の熱心なOBと比べたら微々たるものだが細々とはお付き合いしてきた。今回もまたそのようなものだ。
何事も間遠になると億劫になるもので、今朝も少しいがらっぽい喉のせいもあり、どうしようかと思ったりしたが結局参加した。

会は思った以上に盛会で、さらにはみなさんネクタイ着用で、ノータイは私だけ。しまったと思っても、後の祭りだった。学生時代、ずいぶん怖かった先輩もいまではいいおじさん、かしこまった会だったけど、苦楽を共に過ごした仲間たちと旧交を温めることができた。
会の終わりは恒例のコロ健の校歌とエール。少し間違ったけど、なんとか無事に勤めることができた。大声を出して、血管が切れたらどうしようと心配していたのだけど、大丈夫だった。

多少なりとも後ろ髪を引かれる思いがしたのだけど、老害を振りまくのもよくないだろうと思って、まっすぐ帰ることにした。エールをきって少し筋肉痛になったということもある。会場に着いた時にはどんな大雨になるのかと心配していたが、終わって外に出てみたら青空。高層ビルが洗われたようになっている。早めに帰り明日に備えて、ゆっくり休もうと思う。

帰ってきたら鎌倉は曇りだった。ナイトの散歩がてら迎えにきてくれた妻によると、一旦とてもいい天気になったらしいが、残念。

すみません、晩になって読み返したらおかしなタイトルだったので、本文も合わせて書き直してしましました。

よい部に入ってよかった

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


いい夫婦って、どんな夫婦?

2017年11月22日 | 家族のこと

11月22日は語呂合わせで、いい夫婦の日というそうだ。ずいぶん前から妻がそう言っているのは聞いていたが、それは語呂合わせが好きな妻が勝手にそう言っているのだと思っていた。でも最近、テレビなどでも聞くようになるになって、どうもそうでもないということを知った。

"いい夫婦の日"をウィキペディアで調べてみたら、1988年に財団法人余暇開発センター(現日本生産性本部)で提唱された日だそうで、30年近い歴史があることになる。妻は30年前から知っていたのだろうが、私は知らなかった。官製記念日でどうもいま一つの感がある。翌日の勤労感謝の日とリンクして有効利用したらいいのにと思うが、どうもそのようなこともない。1999年からは「パートナー・オブ・ザ・イヤー」とかいうカップルを有名人の中から選んで来たそうだが、そのカップルの中には不倫騒動で騒がれている人もいて、なんだかなと思う。

いい夫婦の日

それはさておき、その”いい夫婦”だが、何をもって”いい”と言うのだろう?いい夫婦ってなに?いい夫婦って、どんな夫婦?いい夫婦についての明確な定義がないのに、こんなことを言われても、25年以上なんだかんだと続けて来た夫婦者としては、自分が果たしていい夫婦の片割れを無事務めているのかわからず、プレッシャーがかかるだけだ。

夫婦とは生まれも育ちも全く異なる二人が、偶然(結局は必然なのだが)出会って結ばれてできるもので、その行く末は様々だ。どちらか一方が死ぬまで添い遂げる夫婦もいたら、その前に別れる夫婦もいる。血が繋がっていたら、いつまでも縁を切ることはできないが、夫婦はしょせん他人。簡単に縁は切れてしまう。それだけに、夫婦というか、婚姻関係を続けるには互いの努力が必要になる。

これが職場であれば、初めは一緒に仕事ができて楽しい、幸せだと思っていた上司や同僚がいつの間にかストレスの対象になることがある。そうなるとトラブルが生じたり、誰かがやめることになる。それぞれの人の努力が足りないのだろうけど、努力をする気も最初からないのかもしれない。あんまりわがままな人ばかりが集まると職場は上手くいかない。夫婦も互いにわがままだったりすると、残念ながら長続きしそうもない。離婚が悪いこととは、全く思わないし、むしろ上手くいかないのなら残りの長い人生のためにさっさと別れたほうがいいのだろう。でも、離婚はずいぶんなエネルギーを使う面倒なことのようなので、できたらしたくない、というかされたくない。

夫婦の形を示す言葉に、割れ鍋にとじ蓋というのがある通り、わがまままな連れ合いを包み込む、もしくは連れ合いにわがままをされるのが好きな人などというのもいる。周りから見ると少々心配だけどこういう関係で長続きしている夫婦は結構いる。夫唱婦随という言葉もある。これは婦唱夫随と入れ替えてもいいだろう。夫婦のどちらかの個性があまり強くなく、その分パートナーの個性が強くて、引っ張っていく、のようなイメージがある。個性の強い方が、連れ合いに対して暖簾に腕押しで物足りない、と感じたら終わりだし、逆にそういう人がもともと好きで結婚したのであれば、互いに楽しく幸せにいることができる。

結婚する人が減っているけれど、その理由の一つに、”結婚相手の理想像”というのがあるような気がする。容姿端麗とか頭脳明晰とか稼ぎがある、なんていうものを相手に求めたところで、互いの相性はそんなところにはない。人間性とかそういうわかりやすい言葉では表現できない、はるかに不思議なご縁でくっついているのがいい夫婦なのかもしれない。

いい夫婦の日には、互いのいいところをたたえて、互いの努力をねぎらうのがいいだろう。とすると、勤労感謝の日は夫婦者にとっては夫婦を維持するための努力への感謝の日ともいえるかもしれない。

継続は努力

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 


不平不満は気の持ちよう

2017年11月21日 | 生き方について考える

不平、不満は気の持ちようだ。

広辞苑によると、”不平”とは、”心が穏やかでないこと”、”不満に思うこと”で、よく不平をいう人を”不平家”という。

”不満”とは、”心に満たないこと”、”満足しないこと”をいう。

心が穏やかでないと、いいことは一つもない。注意は散漫になるし、悲しい気持ちになって、血圧だって上がってしまう。

不平ばかり言っていると笑顔は減り、怒りっぽくなる。人を羨んだり、恨んだりするようにもなり、人との関わりも失われてしまう。不平家にはよく出会うが、一緒にいて楽しいことは何ひとつない。そういう人には、何がそんなに不満なの?と聞きたくなるが、その質問を逆手にとってさらなる不平をいってよこすので放っておくしかない。人の振り見てわが振り直せ、で自分は不平家にはならないようにと自戒する。

不満というのも、いいものではない。自分の置かれた状況というのは、自分に対する他者からの正当な評価であって、それ以上でもそれ以下でもない。自分に対する評価が低い、とか、陥れられたとかいったような自分の目線だけを頼って生きている限り、不満は次から次へと生じるばかりだが、それは自分中心の考え方からに過ぎない。理不尽に思えることは、世の中でしばしばあるけれど、つまるところ、それらは自分が歩んで来たことに対する他人からの評価だ。自分の目しか信じることはできないが、俯瞰的に自分を捉えることが何より大切だ。

不平や不満を抱えて生きるということは、百害あって一利なし。嫉妬や羨望も同じだ。

まあ、実際にはぼやく程度ならいいだろうけど、そのあたりはどこまで言うかの程度をよく考えなくてはいけない。

なによりも現実を淡々と受け入れて、平坦に生きていくことを心がけていくことが、結局は自分のためになる。

いつも笑顔で

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


それぞれの人のそれぞれの寒さ

2017年11月20日 | 日々思うこと、考えること

今日はこの冬一番の寒さで、年末年始並みとか。

先月訪れた青森は積雪28センチとのこと。びっくりだ。

先週までは、ジャケットにマフラーで頑張っていたけれど、さすがにコートを引っ張り出した。手袋はしなくてもまだ大丈夫だが、手もけっこう冷たくなる。

網棚の上に、マフラーがぽつんと忘れられていた。満員電車の中、暑くて外して網棚に乗せ、そのまま降りてしまったのかもしれない。暖かそうなマフラーを無くしてしまった人、今頃、首元も、心も寒そうで気の毒だ。

今日の記事のタイトル、週刊誌の見出しのようになってしまったけど、このマフラーに限らず、つくづく人それぞれだと思う。

国会はいよいよ論戦が始まるけれど、質問時間の調整だの例によって本質とはやや離れたところで戦いが繰り広げられている。そもそも、史上2番目の短さの所信表明演説に対してどれほどの質問ができるのだろうか。年末調整の書類を先日職場に提出した。景気が良くなったというのなら、住みやすい社会を実現してくれるはずなのに、どうもそのことが感じられない。税金は一体どこに使われているのだろうか。

拉致問題にしても、被害者家族の老齢化を考えたら待ったなしなのに、一向に進展がない。自分の身をそこに置いてみたらなんともやりきれない気持ちになる。

東芝は半導体部門を売却して再生を図るということだが、そういうところまで来てしまっているというのはなんという悲劇だろう。神戸製鋼製品は原子力発電所にも使われているということだし、日産、すばるの検査員不正。挙げたらきりがないが、そこで気の毒なのは、日々の仕事を一生懸命やっていたのに、そういったことに巻き込まれてしまった人たちだ。また、合理化とかそういった言葉で、それまで取り組んで来た仕事を取り上げられて、本意ではない仕事をやらされるようになってしまったり、やめさせられた人も少なくないだろう。具体的にどうなのかはわからないけれど、世の中は理不尽で悲しいことが多い。

明るい話題を提供してくれるはずのスポーツ界も今ひとつ。フィギュアスケートの絶対王者の怪我は心配だし、大相撲は暴力騒動、負けが込んで来た横綱の話でどうもぱっとしない。

冬だから、こんな話ばかりになってしまうのも考えものだが、マスコミが先頭を切ってこういう暗い話に向かっているような気がする。いい加減、元気の出る、かつ公平中立な記事で紙面を埋めてほしい。

私もね

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


一年経っても何も代わり映えのしない私

2017年11月19日 | 妻の名言
 
それは冬に向かっているからよ
ここのところ、また少し早めに目が覚めてしまい、そのまま眠れなくなることが多くなってきた。 一人で抱え込んでいても仕方がないので妻に相談したら、 「これから冬に向かっているからそんな......
 

せっかくの何もない日曜日だというのに、5時前に目が覚めてしまった。昨日の朝も実はそうで、昨日はそのまま起きてしまった。

今朝は空の雲が綺麗だったので、写真を撮りそのあと寝床に戻った。でもなかなか眠れないのでスマホを起動したら、gooブログからのメールがあった。gooブログは一年前の記事というのを毎日送って来る。そこで、そのメールを開いたら妻の名言だった。読み始めたら今日の私のことが書かれていた。一年経って、何も進歩していない。毎日毎日より良い自分になろうと書いているのに、代わり映えのない自分というのも情けない。

冬は気持ちが沈む季節だからといって、それに流されていてはいけない。それよりも、一歩一歩進んでいくことを考えたい。

まあ、そうだと考え、あれこれ何も考えずに二度寝することにした。

次に目が覚めたら、妻も起きたので、この話をしたら「何も変わらなかったわけね」と苦笑された。

来年こそ

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


鎌倉、ちょっとブルブル

2017年11月18日 | 鎌倉暮らし

今日は雨という予報があった。この間のように、タイミングが悪いと雨に降られてしまうから降る前にとナイトと鶴岡八幡宮まで散歩に。

散歩に出かけたら、ひんやりする。犬を散歩させている顔見知りとすれ違った時に、「今日は寒いですねー!」などと挨拶する。「そうですねー!」と返事をしてもらう。

天気予報では、12月下旬の気温とか。なるほど、寒いのもうなずける。

段葛まで歩いて、家に帰りつく頃には体も少し温まった。

家に帰ってきたら薄日も差していた。今日もまだ、七五三のお参りに来る人もいるだろうから、大雨にならないでほしい。

夜には回復、明日は晴れ

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 


それだけ行ったら、それだけの人と会えていいじゃない

2017年11月17日 | 妻の名言

少し前、朝昼晩とあちこちで用のある忙しい日があった。

忙しいのが得意かどうかは別として、昔、何度か午前午後と用事を入れてうまくいかなかったことがあった。そのうち、同じ轍を踏まないようにしているうちに忙しいのが苦手になった。そんなわけで、40歳あたりかは、こなさなくてはいけない用事は1つしか入れないようにしている。

で、その日、「あー、今日は忙しくて嫌になるな〜。」などと愚痴ったら、「それだけのところ行くのなら、それだけの人と関わることができるのでしょう?それぞれの場所で、それぞれの人と楽しく接したらいいじゃない」と返された。

多くの出会いを楽しみにと言われたのは、つい先日のことなのに、忘れてしまっていた。あれこれ言い方を変えて諭してくれるというのはありがたい。

中学生の頃、私は外交官か商社マンになって世界中をあちこち飛び回りたいと思っていた。営業職のようなものが好きだったのだろうけど、それは人との出会いが楽しみだったからかもしれない。最近、人と出会って新たな関係を築くのがめんどくさいと思うようになってきていたが、それは自分の世界をどんどん狭めることにしか過ぎない。

犬も歩けば棒に当たるで、人との出会いを棒とすれば、それがいい展開をもたらすものか、よくない展開をもたらすものかは別。まずは人との出会いを大切なものとして行けば、あちこちに用があるというのも悪くはないはずだ。

こんにちは

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく


見なかったことにして、何も言わない、気にしない

2017年11月16日 | 電脳化社会

”理由はどうであれ、暴力はいけない。”

たしかに、そう。

それが目上の者から下の者に対してのものであったりすれば、それはなおさら。となると、目下の者、後輩に目に余る行状があったとして、たとえ良かれと思ってそれに対して意見したくても、何もしないほうがいい。正義感が強くて、気の短い人だったりしたら、相手がスマホに気を取られれ自分の話を聞かないような失礼な態度をとったら思わず手が出てしまうことがあるかもしれない。あと、叱責の言葉も受ける方が暴力だと言われたらそれまで。

今の若者を見ていると、人の話なんて聞いているのかどうかわからない。こちらが大事(だと思っていること)を話している時でも、片時もスマホを手放すことはなく、そっちがブルブルいったら、こちらのことなんて二の次にして画面を覗き込む。目の前の人のことなんて、一瞬見るか見ないかで、一瞥して”くれたら”喜ぶべきなのかもしれない。

e-mailが登場した時、電話と違って相手の時間を妨げないことが利点の一つとして挙げられていた。ラインとかメッセンジャーもそのはずだけど、実際のところは違って、”連絡を受けたい!”と願っている人は常にチェックする。一対一の連絡であれば、仕方ないこともあるだろうけど、ツイッターとかフェイスブック、インスタグラムなどでは、誰かが発信した情報を大量に集めて、多対1的なメッセージのやり取りとなっている。”情報の横溢”といったふうだ。ツイッターは2006年、フェイスブックは2004年、インスタグラムは2010年の開設だそうで、今の若者、というか自分で自由に扱うことのできるスマホを持つようになった人たちが1990年代以降の生まれとすれば、ちょうど思春期からその世界に触れるようになったと言える。私のような今の中年世代は、そのような電子機器の登場前の”古い”生活スタイル、倫理観を知っているけれど、今の若者はそのこと自体知らない。でも、思い出してみれば、私たちだって、目の前に人がいるのにかかってきた電話に出ることはあった。サザエさんの中での固定電話の使われ方を見たら、それはよくわかる。

この前、スマホ育児にみる子育ての変容(2017年7月24日)という記事を「(自分自身が)電脳社会の一員となっていることを省みると、もう、戻りたくても戻れないところまで世界は来ていると考えざるをえない。」と結んだ。世の中は急速な勢いで変容していると感じていたら、先日、6歳以下の子供の2割がほぼ毎日スマホに接するということがベネッセから報告された。こうなると、近い将来はスマホとともに生まれ育った世代だけの世の中になる。こういう人たちを相手に、「人の話を聞くときは、スマホの画面じゃなくて、人の目を見ろ」とか、「人が話している時ぐらい、スマホを置いておけ」なんていうことを話しても、理解してもらえないだろうと思う。

なぜなら、スマホはそこにあるから。そこにあるのが当たり前だから。

社会的倫理規範は今後、電脳化の進歩とともにもっと変わっていく。スマホに変わるハードも生み出され、”今の”スマホ世代も時代遅れになる時が来るはずだ。

星新一のショートショートに「肩の上の秘書」というのがあったけど、他人とのコミュニケーションなんて全部ロボット、すなわちスマホの未来形、にやらせるようになるだろう。そして、そのうちそんなもの体の中にでも埋め込まれてしまって、全てなくなってしまうかもしれない。となると、相手のことをあれこれ考えるとかそういったことは拒絶されるし、あれこれ口を出されたくないという権利も発生する。権利があれば、それは拡大解釈されて無限に増大するから抑えようがなくなる。

個人個人の人権はネットという誰もが平等な世界によって守られるようになったかのように見える。倫理観は変容し、価値観は急速に変貌している。

今、”先生””先輩”だのと呼ばれている人たちは、自分の意見を他人を強要しようなどということを考えてはいけない時代なのだ。

動物園に行こう!

ブログランキング・にほんブログ村へ応援よろしく

 

ボッコちゃん (新潮文庫)
星 新一
新潮社

 

毎日スマホに接する乳幼児2割 4年前より倍増
毎日スマホに接する乳幼児2割 4年前より