こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

市中病院の病理医の1年(冬)・・・病理医に興味のある君へ(5/10-4)

2016年06月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

今日で1年も半分過ぎる。時間はあっという間に過ぎる。今回のシリーズは年度で区切ったのであと三ヶ月ある。春夏秋冬とすると冬は12月、1月、2月となるだろうが、ここでは3月まで含めて終わりたいと思う。それにしても1年を4日で書き切ろうというのはちょっと難しかったみたいで、もっとたくさん書きたかったのに、という思いが拭えない。

暮れになれば忘年会シーズンだ。病理のような小さな所帯にいても、1つか2つは他所の部署の会に呼ばれて顔を出す。でも、ふだん一緒に仕事をしない仲、結局は浮いてしまうので最近はあまり行かなくなってしまった。つきあいが悪いと言われたらその通りだし、そうしていたらますますそれが進んでしまうだろうけどまあ、それでいい。

年末年始は救急部門を除けば臨床も暦通りに動くので、病理もそれに合わせて少しのんびりできる。ただ、最近では一年中何かの研究会があって、なんやかやと忙しい。それに、春先の学会の演題募集は年末から始まる。それらの準備も大変だ。

臨床医から見ると、いつも病理診断科の奥の顕微鏡と診断を打ち込むモニターを前にしてただじっとしているように見えるかと思うが、実はその時々、別なこともやっている。臨床のようにあっちの外来、こちらの病棟といった変化に富んだ毎日ではないが、頭の中ではそれなりにいろんなところへ飛び回っている。とはいえ、いつ行ってもいるので臨床医にとっては捕まえやすいことこの上ない。

 いつでも標本、診に来て下さい

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市中病院の病理医の1年(秋)・・・病理医に興味のある君へ(5/10-3)

2016年06月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

夏の次には秋が来る。梅雨明けが見えてきた今の時期、秋の準備はすでに始まっている。病理学会、臨床細胞学会といった大きな学会の秋期会というのがあったり、中規模の学会の年次総会があったりする。ちなみに、一年中を通して各種国際学会があるが、市中病院の病理医が1週間病院を空けることはできないので、こちらへの参加は無理だ。国際学会に行くことができるのは、人数の多い大学病院、専門研究医療機関、あとは病理医が4、5人いる大病院といったところだろう。

夏の暑さがやっと収まったら、少し遅れ気味だった各種の仕事も進めたいところだ。自分の勉強とか、書きかけの症例報告とかいろいろやることはある。人間、何事もコツコツやるしかない。

秋には剖検の慰霊祭もある。私たち医療者のためにご遺体を調べて勉強させていただいた方々へ感謝の気持をこめて行う。年末に近づくと日本病理学会が編集している剖検輯報というものへの報告書の作成がある。これは日本中の病理解剖を全て集めたもので、日本の医学医療レベルがわかる凄い書物だ。報告形式とか、データベースの検索機能など、まだまだ改善すべき点はたくさんあるがこの伝統を守って未来の日本の医療に資するものとしたいとは、この大変な作業に参加している多くの病理医の思いだろう。

そうこうするうち、日は短くなり、木々の葉も落ちるようになると忘年会の案内がくるようになる。

今年の秋はどうなるか

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市中病院の病理医の1年(夏)・・・病理医に興味のある君へ(5/10-2)

2016年06月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

1人医長、とか部長というのは病理に限った話ではない。小児科とか、産婦人科、皮膚科、精神科そして放射線科など、1人か2人でやりくりしている病院は少なくない。理由は簡単で、子供が少ないとか、お産が少ないので産科は閉じたなどというものだ。それはさておき、古くからあった科に対し、病理診断科は新しい診療科だ。なんといっても、標榜科になってからまだ10年だ。従って、診療者である病理(診断)医の数が少ないのも仕方ない。

とにかく、病理診断科もその人数の少ない科の代表格のようなもので、休みを簡単に取ることができない。責任ある立場にあるのだと思えばそれでいいが、体調を崩すことの無いよう、いつも気をつけていなくてはいけない。そんなこともあって、夏休みも臨床の都合に注意しながらとらなくてはいけない。でも、休みが取れるだけでも幸せと思うべきなのもわかっている。

ところが、楽しい夏休み期間なのだが、最近は各種講習会、勉強会および小さな研究会といったものが増えてきた。春、秋に大きな学会が集中するものだから、端境期であるこの時期に予備校の夏期講習のように開催されるようになったような格好だ。コロ健なんか、もともとは生徒だったのが、いつの間にか講師を任されている。順番とはわかっているが、任せていただけるなんてありがたいことだ。でも、その分、勉強しなくてはならない。それは当然夏休み期間に食い込んでくる。

これといった趣味もなく、夏休みだからといって、とくにやりたいこともない、コロ健これで満足している。そうこうするうち夏は過ぎ、秋の学会シーズンがやってくる。

 準備、他人ごとではない

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市中病院の病理医の1年(春)・・・病理医に興味のある君へ(5/10-1)

2016年06月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

見た目にはいつも病理診断科の部屋で顕微鏡にしがみついてばかりいる病理医だけど、年がら年中いつも同じというわけではない。

毎日のルーティンワークは基本的に同じだけど、春夏秋冬、若干の変動はある。というようなわけで、それぞれの時期、病理医がどんなことをしているのかを簡単に紹介していこう。

病理診断科に限らず4月は多くの診療科でスタッフが入れ替わる。このためか、生検や手術も若干減るようで、ほんの少しだけ、ペースが落ちる。といっても異動などのない科はそんなことどこ吹く風で、バンバン手術を行っているし、異動のあった科も4月も半ばとなれば元通りのペースとなる。

5月前後には日本の多くの病理医が専門医資格をとって所属している日本病理学会総会が開催される。とにかくこの学会に参加して、各種のポイントを取らないと、日本専門医機構の専門医資格が維持できなくなるので、みんな大変だ。資格のための資格になりつつあるようで、将来が心配だ。

病理医の数は少し少なくなるが臨床細胞学会というものの年次総会も春にある。この学会はがん診断のために行う細胞診断技術の向上のために産婦人科、外科、内科、泌尿器科など、病理医以外の臨床医、細胞診断のスクリーニングを行う臨床検査技師などか主な構成員で、これもまた、専門医資格があって、その維持が一苦労となる。この、専門医機構には問題がいろいろあるようだけど、私たち一般学会員がどうこう言えるような話ではないので、割愛する。

さて、二つの大きな学会が終わると、もう6月も終わり。ホッとひと息ということで夏休みの予定をたてることになるが、多くの病院病理医は1人か2人、おいそれとは休みを取ることもできず、結構苦労することになる。

 待ちに待った夏休み(のわけないか)

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明日からまた

2016年06月26日 | 日々思うこと、考えること

今週末、すこしバタバタすることがあったが、それなりにうまくいって、ホッとした。これで明日からまた、仕事に精を出せる。

人間長生きしていたらいろいろある。私も、そう言えるような年になってきたものか。人生は長くて短い。

 明日から病理医シリーズ再開

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研修医を馬鹿にする医者

2016年06月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

先日、とある場所で「研修医がさー!・・・」と研修医を馬鹿にした物言いを連れの女性にしている医者がいた。思わず顔をみたら、30代後半。連れの女性が奥さんか恋人かはわからなかった。

内容までは聞かなかったが、というか聞きたくなかったのでその一言だけが耳に残った。病理にいると臨床研修医と接する機会が少なく、研修医というのがどれほど使えないのかよくわからない。ただ、この「研修医がさー!・・・」という言い方、30代の臨床医がよく使うような気がする。「研修医が」などと言わないで「研修医の誰それ君が」と、名前を呼んであげたらいいのに、そうもいかないのだろうかと思う。

そういう呼び方をしているのを聞くと、“研修医”と十把一絡げにして、研修医という下に見ることのできる存在を作って、小馬鹿にしているようなきがする。30代の若手医師というと、ちょうどいろいろできるようになってきて、自信がついてきたあたりの上級医師。でもまだ、部門のトップにはなっていない、そんな中途半端な立場が、連れの女性によく思われようと、そんな自慢げな言い方をさせてしまうのかと考えた。

学会の準備やCPCなどを通じて研修医と接すると、よくできる研修医もいるし、いまいちなのもいる。常識外れのとんでもない研修医もいる。でもみんな立派な医者であり、それぞれ立派な名前があるのだから、一緒にやるときは名前を覚えてあげたいと思うのだが、研修医というのは思いのほか多く、結局「研修医が・・・」となってしまうのかもしれない。私自身、出来不出来にかかわらず、なるべく名前を覚えなくてはと真剣に思う。

よく勉強してくださいね

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“時間がない”とは勝手な言い草

2016年06月24日 | 日々思うこと、考えること

昨日、山のような仕事に音をあげ、“時間がない”などと嘆いてみせたが、あとになって時間は全ての人に等しく流れているものなのにあんなことをいうのはおかしかったと気がついた。



あんなことを言ってみたはいいけれど、結局仕事はいつも通りに進んでいった。手術例の切り出しがあって、途中で迅速診断が挟まり中断し、迅速診断が終わったら切り出しを再開し、やっと終わってホッとして気がつけば昼。昼休みにメールを整理していると、仕事の指令が一つ二つ。いったいいつやればいいのだろうと悩みながら午後の仕事に戻る。標本の山が昨日よりは低いと喜びながらも難しい症例が立ちはだかる。診断を出せるものは出し、そうでないものは追加検査をオーダーして終える。どうしても返事だけはしておかなくてはいけないメールを出していると夏の夕暮れはどこへやら。



それでもこれはほかの誰とも同じ時間軸の上で進んでいること。それぞれの人がしなくちゃいけないことがたくさんあって、それぞれのことをしている。患者さんは手術を受け、外科医は手術を行う。窓の外では選挙カーが走りまわり、九州では大雨が降り、沖縄では慰霊の日の式典に多くの人が集まっている。イギリスではEU離脱の是非を問う国民投票が行われ、どこかの国ではミサイルの発射実験を繰り返している。今も世界のどこかで誰かが生まれ、テロが止むことはなく、誰かがいろんな形で死んでいく。時間は自分だけのためにではなく、同じ空間にいる皆のために進んでいる。



だから、昨日の“時間がない”という表現ははなはだ自己中心的で、不適切なものなのだ。時間は皆に同じく平等にある。それをどう使うかは本人次第で、不平不満をこぼしても意味のないことだ。そんな当たり前のことに気がついたら、問題が一つでも片付いたわけではないのに、心がふと楽になった。時間に追われる必要などどこにもないのだ。

 ナイトにもコロにも

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時間がない

2016年06月23日 | 日々思うこと、考えること

それぞれの仕事の締め切りが近づいてきた。うかうかしていると怒濤の7,8,9月に突入していまう。状況はすでに危険水域に達していて、計画を見直し、整理しなくてはいけない。

というわけで、心静かにブログを書く気にもなれず。今日はこれにて失礼します。

 タチアオイがすべて開く前までに

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懐かしい人たちと

2016年06月22日 | わたしのこと

ここ最近、同窓会が二度あった。

一つは中学高校の、そしてもう一つはずいぶん昔に在籍していた施設の人たちとの食事会。

同窓会はともかく、昔いた施設の仲間との再会は私がそこを辞めてからはじめてだった。

私以外にも半分はもうそこを辞めてしまっていて、互いに懐かしさもひとしおだった。

名前と顔が一致するか心配だったが、なんとかなった。

私より年上だった人はそれなりに年を取っていて、私と同じぐらいだった人はそれなりで、みんな同じように年をとるものだと感じながら、昔話に花が咲いた。

別れ際には、再会できてとても嬉しかったこと、そしてまた何年か後にはこうして皆で集まろうと約束したが、それが簡単にできることではないとは、その場に集まったみんなが思ったに違いない。

そできないことが悪いわけではなく、そうしたことこそが人と人との出会いと別れ、一期一会の大切さであるのだと、しみじみ感じた。

そうやって考えてみると、このブログにもコメント欄を通じていろんな出会いと別れがある。

少し先の話になるけど、コロ健が退職したら、それまでにコメントを入れてくださった方達とオフ会を開いてお話できたらと思ったりもする。

 それまで元気でいなくては

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今年の夏至の夜は月が綺麗でした

2016年06月21日 | 日々思うこと、考えること

日没が午後7時を回ったことを知り、ずいぶん日が長くなったものだと思っていたら、今日は夏至。

梅雨のど真ん中にあるのでいつも、何の気なしに過ぎてしまうのが残念だ。

今日も昼間は大雨で一日中続くかと思ったけど、鎌倉の雨は午後にはやんだ。

 たっぷりの雨は、アジサイにもバラにも、そしてほかの植物みんなに嬉しかっただろう。

 今は月が大きい時期で、昨晩は満月に赤みがかかるストロベリームーンだったとのことだけど、残念ながら鎌倉からはみえなかった。

けれども、今夜は赤く染まった月が東の山から上った。たっぷりの雨と、美しい夕焼けと、赤く染まった月。一日過ぎているのかも知れないが、これはこれでストロベリームーン。

天気のすぐれないことの多い夏至にしては、幸せな夜を迎えることができた。

水不足も少しは改善したかな

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鎌倉のアジサイは名所だけではなく

2016年06月20日 | 鎌倉暮らし

土曜日の午後、仕事を終えて鎌倉に帰ってきたときに、横須賀線の車窓からみえた北鎌倉の駅周辺の混雑はすごかった。

アジサイ寺として有名な北鎌倉の明月院への参道がまるで原宿竹下通りのようになっていた。

こんなところ、よく歩くきになると思うほどの混み具合。

そうまでしてアジサイを見に行かなくてもいいような気もするが、せっかく来たからには見に行かないではいられないのだろう。

かくいうコロ健、別の時期ならば明月院に行ったことはあるが、残念ながらアジサイは見たことがないので、あれこれ言う資格はない。

とてもきれいなお庭だったから、満開のアジサイはさぞきれいだろう。

鎌倉のアジサイはお寺のお庭のだけがいいわけではない。

鎌倉は三方を山に囲まれて、谷戸が多い。

そして、それぞれの谷間にアジサイがたくさん咲いている。

ここ数日、ブログにのせてきたアジサイの写真もそんな谷戸のアジサイたちだ。

だから、アジサイの名所見物に気が引けるようならば、わざわざそのようなところに行かないで、谷戸の奥に咲いているアジサイを探しに行くのも悪くない。

そんな谷戸を歩いていると、とても良い香りのヤマユリがたくさん咲いていたりしてとても嬉しいものだ。

ところで、そろそろクチナシの季節なのだけど、意外と鎌倉にクチナシは少ないように思う。

 わが家のアジサイはこれから育てます

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市中病院の病理医の1日(夜)・・・病理医に興味のある君へ(4/10-4)

2016年06月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ルーティン業務が終わると、最後はコンサルテーション症例の診断とか、自分の研究用の時間になるが、これはもう就業時間をはるかにすぎたころとなる。業務外のことだから、仕方ない。最後の力を振り絞って少しだけ前に進む。こういうことは毎日毎日コツコツとやるしかない。

 

もろもろ終えて、病院を出るころにはへとへとだ。20代30代には夜中まで実験をやっていたり、仕事帰りに仲間同士で飲みに行っていたことなんて夢のまた夢。気力、体力とも、年齢とともに著しく失われている。とはいえ、それを知識と経験でカバーするしかない。あれ?いつの間にか私の話になっていた。

年の話のついでとなるが、同世代の臨床医が、50代に入ると、当直業務に体力の限界を感じて、次々と開業し始めるが、病理は当直業務がないので、年をとってからでも一線の病院で頑張っていられるというのはなかなかいい。

 

帰りの電車で勉強したり、ブログを書いたり。家に着いたら一杯飲んで明日に備える。飲み会は疲れるので、最近はなるべく家飲みにしようと思っている。

 さあ、明日からまたがんばろう

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市中病院の病理医の1日(午後)・・・病理医に興味のある君へ(4/10-3)

2016年06月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

こうしてあわただしく午前中が過ぎたら何はともあれ昼休み。楽しくお昼を食べたあと、メールの整理、スケジュールの確認などしてから、少し伸びをして午後の仕事に備えて気合いを入れ直す。

こんな風にいつものんびりする時間が10分でも15分でもあったらいいけれど、病理解剖があったり、迅速診断の時間がちょうど重なっていたりしたらそうもいかない。迅速診断は基本的に予約制なので、少しホッとしていられるが、飛び込みで依頼が入ることも時々ある。こうしている間にも病理医、さらには患者さんのために働いてくれている臨床検査技師がいてくれることを忘れてはいけない。

午後のルーティンワークは、通常の病理診断検体の診断が主なものとなる。午後の早い時間に前日作成した標本が染色されて上がってくるのだ。ここからが病理医最大の仕事となる。1例1例おろそかにすることなく診断する。30例、40例、同じような検体が積み重なっているけど、それはそれぞれの患者さんの人生そのものだ。1例も油断することなく、全身全霊を傾け診断する。大きな手術の症例だったりすると、1例を診断するのに一時間以上かかる。こうしている間の病理医は固まってみえる。というか、顕微鏡にしがみついたまま何もしていないようにみえる。時々、マーキングのためにペンをとるか、取り扱い規約を開くかぐらいしか動かない。病理医はヒマと勘違いされるゆえんだ。傍からはそう見えても、病理医は時間と空間を超越するほどの集中力で所見をとり、診断しているのだ。

もちろん、この間にも迅速診断が入ってきたり、臨床からの学会発表の顕微鏡写真の依頼、他院からのコンサルテーションの依頼などが舞い込んでくる。集中力はその都度途切れ、そのたびにテンションをあげ直すのにくろうする。そして、そうこうするうち、気がついて外を見ると日が暮れている。

 今日(土曜日)は半ドン

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市中病院の病理医の1日(午前)・・・病理医に興味のある君へ(4/10-2)

2016年06月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理診断のための検体は採取されると一晩ホルマリンに漬けられたあと、すなわち固定(標本を作りやすいように組織を固くする)されたあと、翌日処理される。この処理を切り出しといい、病理診断の1/3ぐらいを占める重要な作業となる。切り出しがいい加減だと、いくら知識量の多い病理医でも診断に苦労する。病理医の一日はこの切り出しから始まる。これはあくまでも私の勤め先の病院の場合で、午後から切り出しをやっている施設もある。

さて、その切り出し、例えば各種臓器に発生した癌を例にとってみよう。臨床医の希望は癌の診断(確認)に加えて、その癌の生物学的特徴、臨床的に術前に解析した画像や検査データとどれほど整合性があるか、手術は成功していたか、化学療法、放射線治療には効果があったか、といったようなことを調べてもらうことなどもろもろある。だから、顕微鏡用の標本からいつでも肉眼所見に戻ることができなくてはいけないので、受け取った検体を適当に切り刻むのではいけないのだ。

そんなわけで、手術検体1例の切り出しであっという間に3,40分が過ぎてしまう。大きな手術がいくつかあった日の翌日だったりすると、あっという間に半日すぎてしまう。

それでも、静かに手術検体の切り出しだけ行っていられるならいいが、そうは問屋が卸さない。切り出し中にも、様々な仕事が入ってくる。
例えば、病理解剖の依頼が来ることはよくあるし、11時頃になると朝一番で始まった手術の術中迅速診断が入り始める。こうして気がつくといつの間にか13時近くになっていることも少なくない。こうして、病理医の午前中は慌ただしく過ぎていく。

 さあ、今日も一日頑張ろう

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市中病院の病理医の1日(臨床検査技師への朝の挨拶)・・・病理医に興味のある君へ(4/10-1)

2016年06月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

病理医というのは一人ではなにもできない。もちろん、それぞれの技術を習得すればなんとかなるけど、そんなことは現代の医療ではありえないこと。餅は餅屋で、それぞれの技術的プロフェッショナルの力がいる。看護師が臨床医を助けるのと同じで、病理医のことは臨床検査技師が助けてくれる。病理医が仕事をするには臨床検査技師の助けなくしてはなにもできない。だから、病理医の一日といったところで、臨床検査技師がいなくてはなにもはじまらない。
病理部門での臨床検査技師の役割は病理標本の作製、検体管理、受付、病理解剖の介助、病理検査室・機器の維持管理などなど多岐にわたる。臨床医との連絡連絡までやってくれる技師もいる。


先日、NHKのサラメシという番組で大相撲の呼び出しさんのことを放送していた。土俵造りから触れ太鼓、もちろん本場所でも忙しい。それをみていて、病理における臨床検査技師と同じだなと思った。ちなみに病理医は行司。臨床医は土俵上で病魔と闘う力士。もちろん審判員は患者さん本人だ。医者というのは土俵上で大きな顔をしているが、実際は多くのコメディカルの人の協力で仕事が達成できる。そういうわけで、病理医の一日は臨床検査技師への朝の挨拶から始まる。

 気持ち良く仕事を始めよう

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