こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

顕微鏡を正面に

2013年02月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
2月も今日で終わり。
厳しかったこの冬の寒さもそろそろやわらぐようで、うれしい。
今朝の鎌倉、深い霧に包まれていて、ベランダからみた夜明けの風景は幻想的というか、現実のものとは思えないほど美しかった。



さて、新年度はひと月先だか、コロ健は一足先に心機一転、机の上の模様替えをした。
Beforeの状態は昨日の記事をみていただければわかるのだが、顕微鏡を使うとき右奥を向いていた。顕微鏡を使うときは両手を使うのだが、これだと右肘が宙に浮くようになる。
ここ最近の肩こりはとくに右肩に強く出ていたので、この態勢と関係しているのではないかと思っていたが、面倒で、あまり考えないでいた。

だが、今朝ラジオでFm yokohama 84.7のDJ栗原治久氏がご自身の肩こりの話をし、そのなかでマウスを右手で操作するということも肩こりに関係しているようなことを言っているのを聞いて気がついた。
たしかに、コロ健も、診断書を入力するときにPCを使い、右手でマウスを操作する。この時も右肘がやや浮いているように思う。

ということで、PCはとにかく、顕微鏡だけは身体の真正面に置くことにし、それにあわせて机の上を整理した。



手前にあった本棚を上に、上にあった本棚を奥に置いて、PCをかこっている台を端までもってきた。
手前にあった本棚をどかしたので、マッペがむき出しになってしまい、崩れるのが心配ではあるが、そうならないうちに診断を片付けようと思う。

物を置いてある範囲が広くなったので、若干面倒だが、横の移動が少し入っていいようにも思う。

一日仕事をしてみたら、右肩のこりはずいぶんと軽くなったような気がする。

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ちょっと、キツい

2013年02月27日 | 日々思うこと、考えること
仕事が片付かない。
朝から晩まで、がんばっているのだが、終わらない。
標本というものは増えるが、私が診断をつけるまで去ることは無い。

油断をしていると剖検の切り出しもすぐ増える。



おまけに肩こり、腰痛、口内炎。
コロ健、ちょっと、マジでキツい状態にある。



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制帽、制カバンの自由化論議

2013年02月26日 | あの頃のこと…思い出話
昨日に引き続き「あの頃のこと・・・」。これまたコロ健が一敗地にまみれた話しで恐縮だが、今日は、たしか高校1、2年の頃の話。

私は都内の中高一貫校に通っていたが、母校のスマートな制服を大変気に入っていた。学校の裏にある日本でトップの国立中高に制服が無いのをみて、”これだけは勝っている”、と誇らしく思っていた。
私はバンカラに憧れていて、制服をいかに崩して着こなすかに日々腐心していた。弊衣破帽とまではいかないまでも、制帽をどれだけ潰すか。中学であれば肩掛けの制カバンをどれだけくたびれさせるか。高校であれば黒皮の制カバンをどれだけ薄くして抱えられるようにするか。というようなことだった。
靴は、もちろん黒の短靴である。
それらをどれだけ格好よく着こなし、渋谷界隈の女子高生に注目してもらうのが学生生活の目標だったのだが、あるとき、制帽、制カバンの自由化(すなわち廃止)論議が巻き起こった。

それを議論するように働きかけたグループはすでに制帽、制カバンなどすでに有名無実化させていたような奴らだったと思うが、とにかく、廃止ということをいっていた。悔しいことに、彼等のグループの方が渋谷界隈の女子高生の注目度は高く、私たちバンカラ派はむなしい日々を送っていたのは言うまでもない。

私自身、制帽、制カバンの自由化ある意味やむなし、と思っていたのだが、このままこの話が進んではいけないのではないかと考えた。

生徒会かどこかだったと思うのだが、私は、「今のまま、廃止に向かっていくのは良くない。一度は、生徒全員がきちんと制帽、制カバンを着用・使用することができる、ということを証明してから議論すべきだ」と発言したが、そんなめんどくさい意見は黙殺され、制帽、制カバンは自由化された。
私はと言えば、制カバンが自由化(廃止)となったものの、ローリングストーンズのラベルを綺麗に貼っておいたカバンと別れるのは忍びなく、しばらくは持ち続けていたが、そのうちその頃流行の布バッグかなにかに持ち替え、軟派になっていったのは、情けない限りである。



いずれにせよ、このことはなし崩し的に決まってしまった。
世の中、こうやって物事が進んでいってしまうのか、とがっくりした。今でも、あの時に戻って、少なくとも一度はきっちりやれることを示してから廃止にしたかったと思っている。
大人の社会でも結局こういった人間が押し切ってしまう。
「まあ、まあ、まあ、そう硬いこと言わずに」
どうして、こうもだらしないというかインチキな人間が世の中多いのだろうと思う。

たまに、母校の生徒を見かけると、普通のスポーツバッグを背中にしょっている。黒の短靴というのも、運動靴でいいことになっているようで、革靴を履いている子はあまりいないようだ。通学を考えると、これも致し方ないのかもしれないが、どんな大雪でもローファーで頑張っている女子高生をみると、情けない話だ。


あのかっこいい制服にこの靴、このカバンは似合わないな、と、後輩をみるたびにあの時の議論を思い出し、残念な気持ちになる。

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学用品を学校に置いて帰っていいか

2013年02月25日 | あの頃のこと…思い出話
「学用品を学校に置いて帰っていいか」
小学校3年か4年のとき、こんなことが学級会の議題になった。学用品とは、書道の道具、絵の具セットとかそういったものだったと思う。
私は学用品は教科書同様、毎回持って帰るべきだという「学用品は家に持ち帰るべき」派で、「学用品は学校に置いて帰っていい」派と激論を戦わせた。

ディスカッションは今でいえば、ディベートという感じだったが、どちらかの立場に立って発言するなどというものではなく、自分の信ずる立場に立って発言した。



学用品を持って帰る、というのは建前としてはそうあるべきだろうし、多分に保守的な立場だ。さらに、持って帰るべき、というのは単に家が学校に近かったからそう大変ではなく、持って帰るのが大変な子に対する意地悪の気持ちもあったように思える。三つ子の魂百までであるが、自分の嫌な部分の萌芽がこのような時期に見いだすことができるというのは大変つらい。

対して、学用品は学校に置いて帰ってもいい派、こちらのグループは、どちらかというと、「習字道具、絵の具セットなど、いちいち家に持って帰る必要なんて無いじゃない」という立場で、そもそもどうでもいいことではないか、という感じだった。



何となく、私の方が「どうでもいいこと」を「規則」にしようとしているような感じになり、体制派、非体制派の論争となってしまった。

延々と、議論を重ね、どこでどうなったか途中は忘れたが、最後に私が、
「学校に置いて帰って、泥棒に入られて盗まれでもしたらどうするんですか?」
と発言した。
「誰がそんなもの盗むか」みたいな発言があったが、小学生にとって学用品はきわめて大事なものだ。
そんな戯れ言に対し、私はこう言った
「泥棒が盗んで、自分の子供に使わせます」
この発言で、議論は我が方の勝利に終わったかに見えた。しばらく沈黙があったのを覚えている。



だが、ある子(たしか、私よりも利口な子)が手を挙げて発言した、
「泥棒に子供がいなかったら(学習用具は不要なので)どうなんですか?」
と問い返された。

この発言が決め手になったかは覚えていないが、結局の学用品は学校に置いて帰ってもいい、ということに決まったように覚えている。

私が学級会のそのディベートに負けたおかげで、学期末になるまで書道用具、絵の具セットといったものは学校のロッカーに置きっぱなしでいいこととなった。
もちろん、私も、置きっぱなしにしたのは言うまでもない。情けない奴である。

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僕が三年間してきたこと

2013年02月24日 | 家族のこと
「この大学入試で僕の高校3年間が正しかったことを証明するんだ」
1月の末に息子がぽつりと言った。
高校受験で、第一志望の学校に入れず悔しい思いをしてから3年。
不本意ながら入学した学校だったが、いい友達に恵まれて過ごすことができ、最後には大好きになって卒業することができそうだ。

息子が3年間つらかったであろうことは、部活動をしなかったこと。中学時代地区選抜選手にまで選ばれたくらい、小学校、中学校時代に頑張っていたバスケットボールを部に入ることなく3年間過ごした。私が入っていたクラブチームの練習に月に2,3度顔を出すぐらいで、彼にとってはほぼバスケ断ちといっていい状態であった。
そのおかげと言ってはなんだが、ビーバースカウトのころから続けていたボーイスカウト活動にだいぶ力を入れることができた。ベンチャースカウトとして、冬季のホームレスの支援活動を行ったり世界ジャンボリーに行くことができた。部活には入らなかったものの学園祭の実行委員長を務めて、成功させることができた。部活といえば体育会一辺倒の頭だった私には知りえない有意義な経験ができたようだった。私などから見るとよほど充実した3年間であったように思える。
それに、私の通っていた中高一貫校、部活動といったところで引退は高二の夏前なので、たいしたことはない。高二の夏に三週間もスウェーデンにいく方が、勉強時間は取られる。
とにかく3年間、コツコツと勉強していた。この3年間、勉強しろということは、ついに一度もなかった。

いよいよ、その3年間の仕上げの試験が明日ある。
私がこのブログの記事を入力している斜め前で最後の勉強をしているのを見ると、体調はまずまずのようなので、是非、この3年間頑張って蓄えた力を十分発揮してもらいたい。

なお、息子は私が彼についての記事を書いていることなどつゆほども知らず、淡々と最後の勉強をしている。


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だから、そうじゃなくって

2013年02月23日 | 生き方について考える
 午前中、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩で妻と一緒に歩いていたら、少年野球チームの練習が目にとまった。ほぼ毎週、熱心に朝から晩までやっているチームで、思わず、「今日も朝から、大きな声で、一日中か・・・」と漏らしたら、妻が、「どうしていつもいつもそうなの?そうじゃなくって、『今日も、元気のいい声が聞こえて、こっちまで元気がもらえるわ』でしょう?」と叱られた。

 たしかに、どうしてそういうふうに考えられないのだろう。そちらの方がよほど楽しくなる考え方で、自分自身が幸せになれるのはあきらかだ。

 なぜ、ものごとをいつも否定的に捉え、口にしてしまうのだろう。




 少し考えてみたら、わかった。
 私はものごとを否定的に捉えてなどいなかったのだ。少年野球を見ても、『ああ、いいな』と思っていたのだけど、それをそのままま口にすることができないでいたのだ。
 ものごとは肯定的に捉えていて、そのことを人に言いたい。だけどそれができなくなっていた。どうしてか。
 それは、自己肯定感が無かったから。

 自分が口にすることに自信が無い。何かを口に出していったときに、否定されたり、批判されたりするのが怖いので、もっとも否定的なことを言う。
そうすれば、そのことを否定されることはない。


 みんながみんな、そういうわけではないだろうが、私は自己肯定感の欠如が、自分以外の事物への皮肉、否定につながっていたのだと理解した。
 自己肯定感の欠如は、さまざまな原因で起こる。
 私の自己肯定感の欠如の原因をここでいうのは気が引けるが、少なくとも自分の育ってきた環境によるということは間違いない。

 自己肯定感をいまさら取り戻すことはできないだろうが、少なくとも自分を否定するのはよしてみよう。






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イクメンは自然体で

2013年02月22日 | 家族のこと
今から、18年ほど前、現在高3の息子が生まれたとき、私は育児休暇をとることができなかった。
教室の下っ端で、まだ博士号をとる前でもあり、毎日夜中まで病理の勉強と実験をしていた。
妻が妊娠して、泣く泣く退職してもらい、私が家計を支えることになったが、息子や3歳違いの娘が生まれてから3歳くらいまでの、人間として最高にかわいらしい期間にあまり面倒を見てやれなかったのはとても残念だと思っている。
最近、このようなことを男が言っても変に思われなくなってきたのが嬉しい。

男女共同参画社会が実際のものとなりはじめて、男が育児に参加しなくては、女性のキャリアを守ることができないという事態にいたって、やっとこのような風潮となってきた。妻にしても、今の女性がうらやましいと言っている。
これが、医者についても適用されるようになるといいのだが、職場で育児休業をとっているのは女医さんしかいない。男性医師は休みたくてもまだまだ休めるような状況ではない。

子育てにおいて親がどれだけ子供に愛情を注ぐか、ということはとても重要なことで、私は十分できなかった分、子供達の幼稚園の弁当を作った。ついでに私の弁当も作ったが、たこウィンナーは子供の弁当箱にだけ入れた。その他にも、動物の顔を作るとかいうのは、技術的にも時間的にも困難なものがあったので、学芸会や運動会、遠足など、各種イベントの時は真打ちである妻に作ってもらった。今でも子供達のおむすびくらいは機会があれば作っている。

こればかりは結構楽しくやっていたが、子育てはこれだけではない。ここまで育ててきて、果たして妻のようにできたかと言われると、全く自信はない。育児休業をとりたかった、などということ、結局のところ、過ぎてしまった今だからこそ言えることなのかもしれない。
世の中には、専業主夫としてどっぷり子育てを頑張っている人もいる。また、子供のことが好きになれない人もいるだろう。
イクメンの度合いにもいろいろあるし、母性と父性の違いもある。頑張りすぎず、自然体で楽しみながら育児をすることが大切だと思う。

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いつも笑顔でいるように

2013年02月21日 | 生き方について考える
私が尊敬している先輩、つき合いたいと思う同輩、後輩。
こういった人たちに共通していることがある。それは、笑顔。
みんな、素敵な笑顔を絶やさない。
「何が楽しいのですか?」
と、尋ねたくなる。そして、会話が始まり、楽しい輪は広がっていく。
笑顔は人を惹きつける。

逆に言えば、親戚、ご近所、職場でも、笑顔のない人には近づきたくない。

そして、最近の私がまさしく、この笑顔のない人だった。

笑顔のない人に近づきたくないのは誰も同じだから、私はさぞ近寄りがたい人間だったに違いない。
そして、私は、どんどん孤独になっていたのだろう。

思い返すと、仕事を除いて口をきいた人は数えるほどだった。

笑えなくなってしまったことを、しばらくの間は気がつかないでいたが、あるときふと気がついて、あわてた。
妻は前から気がついていたようで、映画に誘ってくれたりしていたが、私は気付くのが少し遅かった。
それでも、こんきもの読者の方々からの励ましとか、元気の出る本を読んだりとかしていたら、少しずつ笑顔が戻ってきた。

笑顔を失う、というのは自分自身が悲しくなるだけでなく、自分の居場所自体失いかねないということだ。
だれともかかわらなくていいのだから、却ってそっちのほうがいい、などとうそぶくつもりは私には毛頭ない。

最近読んだ本にはこんなことが書いてあった。
自分が人生を楽しむには、一緒にいる人にも楽しんでもらわなくてはならない。

笑顔を大切に、そして忘れずに。

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つい忘れてしまうこと

2013年02月20日 | 生き方について考える
私はこれまで、多くの人に好かれ、私のことを嫌いな人などいないと思っていたが、どうやら違っていたようだ。
とくに、何か嫌なことがあったというわけではなく、当たり前のことを急に理解した、ということに過ぎない。

よく考えてみたら、いじめられたことは幾度となくあるし、奸計に嵌まったこともある。
だが、そういったことはしばしば容易に忘れてしまう。
人間、嫌なこと、本当に怖いこと、というのは考えたくないし、忘れる。死ぬことなどはその最たるもので、ついつい忘れがちになる。病理医など多くの患者さんを送っているのに、我が身のこととなると違ってしまうようだ。

だが、そうではよくない。
死ぬことは、忘れていてもやがてはやってくるものだからいいが、自分の立場、置かれている環境、というのは常に意識していなくてはならない。とくに、家族仲が良く、職場の人間関係にも恵まれている、というような状況の時こそ、自分が尊大になっていないか、傲慢になっていないか、ということを深く自省する必要がある。

今までにも、なんだか調子のいい時ほど、周りの人への配慮が欠けてしまうようなことがあったような気がする。すべての人が同じ体温でないのと同じように、すべての人の心は同じではない。

周りの人のことを少しでも意識しながら毎日を送れば、結局は自分が救われるような気がする。
それが、謙虚とか、優しさ、といったことではないのだろうか。

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人に気持ちを伝える時は

2013年02月19日 | 日々思うこと、考えること
ブログというもの、どんな気持ちの時に書き始めるかで、テーマ、タイトルが同じでも、内容は大きく違ってくる。なるべく、いつも同じようなテンションで書こうと思っているが、なかなかうまくいかない。
私、コロ健の場合は、テンションマックスを100として、普段は50前後で書いているように自分では思っている。そして、大体の場合、これが下方に振れる。30とか20とか。

このこんきもをよく読んで下さっている方からすると、「コロ健、何書いているんだ、結構調子に乗って、テンション高い時もあるじゃないか」などと、思いたくなる時もあるかもしれないが、苦悩する中年病理医自身はそう思いたくない・・・。などと、くだらないことを書いていても仕方が無いので本題に戻る。

つまり、ブログを書くとき、その時の気持ちが大切である。ひいては、ブログに限らず人に何か語るとき、伝えるときに、その内容が同じであっても、その時の気持ちが大切、ということになる。

いつも、明るい気持ちでいれば、どんなことでも明るく前向きに語ることができるだろう。
逆に、暗い気持ちで言葉を吐けば、どんなにいいことであっても、とてもつまらない話になってしまうに違いない。
気持ちは言葉に乗って人に届く。

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ネクタイが苦しい

2013年02月18日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 CPCがあるので、今日はネクタイを締めて来た。
 病理医というもの、週に何度も外来があるわけでもなく、患者さんと接することはほとんど無く、自然とネクタイをする必要がなくなる。
 いつもそうだとなんだか気合いが抜けてしまうので、病院の大切な行事・・・とくに病理医にとっては・・・であるCPC(で、なおかつ私がプレゼンテーター)の時は、ネクタイを締めて出勤する。

 ちなみにCPCというのはClinico-pathological conferenceの略で、臨床病理検討会と訳される。臨床医と病理医が合同で行う討論形式の症例検討会のことで、主に剖検をさせていただいた症例について検討をして、診断、治療について話し合う。症例によって担当科はいろいろ変わるが、病理はすべての科の患者さんの剖検にかかわるので、すごく大変である。

 さて、そんなわけで、気合いを入れてネクタイを締めて仕事をしていたのだが、昼過ぎ辺りから、首の周りが痛くなってきた。

 以前にも、ネクタイを締めてきたときに首が回らなくなってしまった。
 学会などでは平気なので、どうやら、”ネクタイをしたまま顕微鏡を覗く”という作業が良くないようだということに気がついた。
 顕微鏡を覗くのに首を固定し、さらにネクタイで首を締めている、という状態が悪いのだろう。
 思い出してみると、ネクタイをぴしっとしたまま病理診断をしていた先生は、私の教室の先輩では少なかったし、ネクタイをしていてもゆるめていたりとかだった。今では、ネクタイを締めて病理診断をしている病理医は私の後輩ではいないのではないだろうか。
 というか、臨床医でもネクタイを締めている人は以前よりずいぶん減ったように思う。


 結局、CPCの前に気分が悪くなっても困るので、ネクタイを外して、少しストレッチをして仕事に戻ったら、いつもどおりの仕事のペースに戻ることができた。

 もちろん、その後のCPCではネクタイを締め直してプレゼンをした。
 今日は、担当科の努力もあって、結構な盛況となり、50人くらい出席だった。ちゃんとした格好をしていてよかったと、自分では思う。





まだまだ寒いけれど

2013年02月17日 | 鎌倉暮らし
昨日からどんどん気温が下がって、今朝は氷点下。まだまだ寒い日が続く。
娘の引退試合の応援があるので、朝のうちにフラットコーテッドレトリバーのナイトと散歩に出かけた。
寒い寒いといいながら、朝の鎌倉を歩くと、あちらこちらに春がやってきているのがわかる。
まずは梅、ほぼ満開で、かぐわしいにおいをあたりに漂わせている。今年はまだ、病院の近くの梅林まで足を延ばしていない。明日の朝、天気が良ければ寄ってみよう。

足元に目をやれば水仙が可憐な花を咲かせている。我が家でも、冬のうちに植えた水仙が咲いた。
若いころは花など女性への贈り物としか考えていなかったが、花を楽しむということをしてこなかったのはずいぶん損をしてきたものだ。とくに、四季折々の花の変化を知らずにいたのは本当にもったいなかった。
水仙など、年がら年中あってトイレに飾るものだと思っていた。いったい、あの頃みていた風景というのはどんなものだったのだろう。いまとは全く違うものをみていたのではないかと思う。

20分ほど歩いたら、あっという間に日が高くなった。背中に太陽を浴びながらナイトと一緒に家までの坂を上がる。平日は私が出勤前に慌ただしく餌をやるのだが、今朝はその前に散歩に出たので、ナイトも腹が空いているのだろう。家に帰れば餌にありつけるとわかっているのだろう、いつもよりも強くリードを引っ張る。

私たちが帰ってきた気配を感じて、マルチーズのコロが家の中から吠えてくる。春が来たとはいっても、寒がりのコロを散歩に連れて行くのにはまだ早い。

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ため息は周りの人にうつるから

2013年02月16日 | 妻の名言
先日、例によって、「はぁー」などとため息をついていたら、妻に「ため息はみんなにうつるわよ」と言われた。

いわれてみればもっともな話で、私の場合は、妻がポジティブシンキングの人間なので助かっているが、私につられて一緒にため息をつくようだったら大変なことになっていたように思う。

職場でも、気丈な上司が意気地なしの部下を叱咤激励してくれるが、「そうだね、どうしようかね」なんて、一緒になってため息をつくような人だったら、やっぱり大変だったように思う。

「士気にかかわる」という言葉があるが、多くの組織において弱気な人間は厄介だ。
ため息が伝染していったら、組織の気力、活力が低下してしまう。

少なくとも、ため息は呑み込まなくてはいけない。
困ったこと、弱ったこと、そんなことがあるときには、すぐに誰かに相談すればいい。

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移動速度と思考量の関係

2013年02月15日 | 日々思うこと、考えること
駅から勤務先の病院の間を、毎朝毎晩40分足らずかけて歩いている。運動不足解消のために数年前からはじめた通勤路だが、一年前あたりから同じような道を使う人が増えてきた。若い人が多く、私はどう見ても最年長だ。歩く速さはとても速い人、遅い人様々いるものの、年相応やっぱり私が一番遅い。
いつも遅くて、しばしば追い越されるが、いつもそうでは悔しいと思い、今朝は私を追い越していった人と同じスピード、というか歩数で歩いてみた。

一番速く歩く人に歩数を合わせてみたらまるで走っているようだった。1、2キロ追ってみたが、ついていけなくなってしまった。そのまま追いすがるのもなんだか癪にさわるので、途中から、道順を変え、スピードダウンした。それでも、いつもよりずいぶん速く歩き続けていた。すると、あることに気がついた。

歩いている間なにも、考えていなかったのだ。
私にとって、考えること、そして、そのいろいろ考えたことをこのブログ(こんきも)に書き残すということは、とても大切なことだ。だが、速く歩いていると、“速く歩くこと”ばかりに気がいってしまい、考えること、周りの風景を見ること、といったような大切なことができない。
思い起こしてみれば、学生時代体育祭やマラソン大会はもとよりバスケット部の練習でのランニングなどで走っている間、いずれも“無心”だった。身体感覚の変化のようなものは感じたが、考えることといえば、せいぜい次の大会だの、試験のことだので、基本的には“走ること”を目的として走っていた。
“速く歩く”のも同じで、“速く歩くこと”が目的化していて“考えること”はどこかにいってしまっていた。



これを図にしてみると上のようになる。
自動車で移動したあとなど、当たり前だが何も残っていない。ほかのことを考えているようでは危なくてしょうがない。電車や飛行機も、思索にはあまり向いていないように思う。むしろ、考えたことを文章化する、整理する、というような時間であり、“新しい思考”は実のところ浮かびにくいように思う。
図の左、すなわち寝ている間は何も考えていないが、それよりちょっとあと、寝たくても寝れないでいるような状態は結構しんどい。こういう時は、長めに風呂に入って、軽く酒でも飲んで寝てしまうのが良いだろう。

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情報飽和社会

2013年02月14日 | 電脳化社会
調べものがあってネットをググると、最近は日本語でもずいぶん多くの情報が得られるようになった。
多少の予備知識があればそこにあることが正しいかの検証も併せて行うことができる。
なんといっても、PubMedによる文献検索がなくては、科学論文は書けない。
あと、10年後くらいには翻訳機能は格段に向上して、科学論文程度の翻訳であれば、100点満点で90点くらいの翻訳が自動的にできるようになるだろう。
そうすると、日本は言語的科学過疎地であり続けることはできなくなる。

いずれにせよ、私たちのまわりには、情報があふれている。
はっきりいって、飽和状態だ。
あまりの情報過多に、息が詰まりそうになることがある。
このブログもそうだが、個人個人の情報発信も爆発的に増えている。

これらの情報は一つ一つは断片化されているようで、実は現実社会全体の一部である。
一つ一つの情報は現実社会を構成する一つ一つのピースであり、情報が飽和した現代社会ではそれぞれのピースであれば、容易にアクセスができる。

情報飽和社会において、私たちはどうやって身を守っていくか、大変難しい。
大量の情報の取捨選択、情報そのものの信頼性の評価。
自分自身の情報もコントロールが不能になりつつあるし、情報の管理そのものが困難になりつつある。
「どうせ隠しても隠しきれないものだから」などと言って、自分のことをあからさまに表に出したら大騒ぎだ。
開き直りが効かない世の中となっている。

どうしよう。

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