こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

どこからでもlock-on

2017年07月31日 | 電脳化社会

少し前まで、”LINE一本”で休みの連絡を済ませるというのが、顰蹙を買うようなことがあったけど、今やそれも普通になりつつある。

メールなら良くて、LINEならダメという基準はそもそもない。職場で、住所はおろか電話番号の交換もしないのが当たり前の世の中になってきて、そんなのでどうやって連絡を取れるのだろう、もう、他人とは連絡が取れなくなってしまう時代が来るのではないかと思っていたら、案外、そうでもない。

先日も、急ぎの電話を職場に入れたかったのだけど、病院の代表電話番号しかわからず、いつまでたっても繋がらずに、根をあげてとりあえず、Facebookのmessengerにメッセージを入れたらそちらの方で先に連絡がついたという同僚がいた。

今や、どんなところからでも、いろいろな方法で連絡がつく。

”職場”には実体がある。病院には患者さんがやってきて、臨床医がいて、同僚の病理医がいて、コメディカルの人がいる。でも、その人たちはその”場”を離れたら、それぞれの繋がりはなくなる。職場以外での繋がりというのは極端に薄くなっている。

誰がどこに住んでいて、どのような家族構成でといったようなことは、もはや意味を失いつつある。とても遠くにいる友人や知り合いの動静の方がよほどよく知っているということにすらなっている。

一人一人の人間は、アドレスとか、IDに置き換えられている。マイナンバーにもそのうち”連絡のつくメールアドレス”なんていうのができて、携帯の番号とともにある意味、その人の存在を定義するような時代が来るのではないか。

そして、最終的にそれぞれの人間はいろいろな方法で固定化されて、身動きが取れなくなってしまうのではないだろうか。

がんじがらめ

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初収穫

2017年07月30日 | ガーデニング・菜園・花・緑

ここのところ、土いじりから随分と遠ざかっていると思っていたら、タネから育てた大葉が大きくなっていた。

いっしょに始めたバジルもそれなりの葉っぱをつけていたので、いっしょに収穫することにした。

素人菜園というと、まず妻がやっているが、お向かいさんはそれより数倍熱心で、時々お裾分けをくださるほど。

職場にも、毎週様々な野菜類を持ってきてくださる同僚がいる。

そういった人に比べたら、まあ、小学生の理科の実験程度なのだが、タネから、ということが個人的には嬉しい。

大葉は昨晩切ったキャベツの千切りに、妻の作ったミニトマトとオリーブの残りといっしょにしてハムサラダ。バジルはまだ小さかったので、チーズオムレツの具にした。休日の朝の食事としてはまあ、こんなもので十分だろう。

バジルを大きくしなくては

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不倫をしたら陰で悲しむ人がいる(下)

2017年07月29日 | 愛と女性とジェンダーと

昨日からの続き)

 ある講演会で、円満な夫婦生活(カップルライフ)を続けることは健康の維持に繋がる、という話を聞いた。日本は世界で最も頻度が少ないといわれるセックスレスが問題となっている。その原因は住居の広さや、教育、古くからのセックスに対する考え方など様々だろうが、夫婦間の性交渉はある程度の頻度必要とのことだった。ただし、セックスが男性の健康維持にいいからといって、それは夫婦間のものに限ったものだそうだ。それが婚外恋愛での性交渉となると逆に、健康被害が生じる頻度が高まるとのこと。昔から、腹上死という言葉があるほどだから間違いない。

 良いセックスには相手への敬意というか大事にしようという気持ちが必要だ。肉体だけでの関係では充足感は得られない。不倫関係だからといって、相手に対して敬意がないというわけではないが、突き詰めて考えると夫婦間のそれよりは薄いように思う。ラブホテルでそそくさとすませるようなセックスではなかなか充足感は得られないだろう。夫婦の関係は冷めきっていて、今離婚調停中、などという使い古された言い訳をするようなら、まずは相手に心配をかけないように準備をしておくのが正道だ。相手への敬意というのはそういうものだ。でも、好きな人ができたから離婚してくれ、と言ったところで相手がすぐに応じてくれるとはなかなか考えにくい。それと、両方とも好き、なんていう人もいるだろうけど、違いがそういう関係を望む人というのはそう多くない。

 不倫の結果が、その最中で起こった重篤な心血管系疾患による、脳梗塞や脳出血、心筋梗塞では、表面的には楽しそうであっても実はそう幸せではないように思う。あの世から、自分の遺体を挟んで妻と愛人が言い争っているのを見たければ別だが。おそらく、不倫をしている男性の多くはそんなこと、自分に起こるわけがないとたかをくくっているに違いないが、油断しないほうがいいだろう。

 

 少しでも多く自分の遺伝子を広めたいというのは、人間という弱い動物の本能だろう。今、そうしておかなくては、いつ猛獣に喰われるか、寒さや飢えで死んでしまうか、などと考えたら、相手構わずと考えるようになるのも仕方あるまい。その結果が、男性の浮気性という性質だろう。これに従って、あちこちの女性に手を出すということは、死に急いでいるような話で、長生きしなくていいということを言っているようなものだ。未婚の男女が、結婚相手を探す段階で、そういう付き合いをして相性を確認するということは大事だから、結婚前に幾人かの人とセックスの経験があることを否定するものではない。

 問題になるのは不倫だ。不倫について、以前考えたことがある(「不倫について思うこと(上)(中)(下)」。こういうことを考えること自体、自分の中にも女性に対しての悩ましい思いがあるということだろう。そういうことに、堕ちてしまいそうな自分を戒めるために書いているような気がする。そして、こうやって不倫をしていない自分が、正義ぶって不倫をしているカップルを責めるということは、ある意味褒められたことではない。

 恋愛は当人同士の勝手ではある。けれども、不倫となると話はちがう。どちらかに、連れ合いがいて、その人を裏切っているという行為が不倫の実体だと思う。不倫をするからには、妻とか夫とか、さらには子供とか、二人の勝手な恋愛感情、肉体関係の陰で悲しんでいるということを、知っていなくてはいけない。

 しつこくなるので、この話はこれまで。

だから、不倫は体に悪いのだ

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不倫をしたら陰で悲しむ人がいる(上)

2017年07月28日 | 愛と女性とジェンダーと

 夜、家に帰る途中や犬の散歩の途中、ちいさな公園やコンビニの横のちょっと暗いところで電話で話している中年の男性が時々いる。 

 わざわざこんな時間にこんなところでと不思議に思う。同居人に聞かれて困るようなことを話しているのだろうか?

 覚せい剤とかの取引かもしれないし、事件とか仕事の失敗のもみ消し工作かもしれない。そんなことを考えると、サスペンスドラマの情景も浮かんでしまうが、むしろ考えてしまうのは昼メロ。というのも、どの人もそれほど深刻な話をしているようには見えない。というか、ほとんどの人は、周囲をはばかりながらもけっこうニヤニヤしながら話している。もちろん見た目はいかにも既婚者だから、それが奥さんに聞かれてはいけない話をしているのだろうと思う。だから電話の相手は婚外恋愛の対象者、すなわち不倫相手だと勘ぐってしまう。

 

 あっちもこっちも不倫騒動で世の中かまびすしい。不倫相手が美人だったりすると、マスコミネタとなって大騒ぎとなる。世の中、美人というだけで噂となるが、そんな手の届かないところにいるような美人に対しての憧れと、不倫相手の男への嫉妬心が週刊紙の部数を大幅に伸ばすのだろうか。


 不倫報道に触れて思うのは、不倫は男と女のどちらが悪いのか、ということだ。私は、たいていは、男性の方が悪いと思っている。何らかのアプローチをしなければ女性が応じるということはまずないはずだ。そんなの、NHKの動物番組”ダーウィンが来た!生きもの新伝説”を見たらわかる。動物の世界では、常にオスが巣を用意して、メスを呼び込み、カップルが成立する。人間は乱交できてしまうが、それでも男女の立場は変わらない。だから、不倫騒動では女性はある意味被害者のように感じる。でも、まあ、結婚している人を愛してしまったら不倫になってしまうとわかっているのに応じて、それが他人の知るところとなったら、それなりのことが起こるのは覚悟しておかなくてはいけないのは女性とて仕方ない。

 結婚という制度が生物学的に正しいものかは別としても、結婚した以上、相手の伴侶のことを考えると、不倫はやっぱり許せないことだ。結婚というのは、一つの契約であり、契約中は相手に対して不実を働いてはいけないということも契約項目にある。形式だけ結婚しているというカップルもいなくはないかもしれないが、そういうのは稀だ。だから、不倫も始めは男が悪いかもしれないが、最終的には不倫相手の女性も悪いということになる。

(明日に続く)

不倫は健康問題も生じる

 

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PPDはタバコの数え方

2017年07月27日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
診断申込書にタバコを3PPDって書いてあるんだけど、なんのことだろう、先生知ってる?

と、タバコを吸わない同僚病理医が、横で仕事をしていた若い病理医に尋ねている。

 元喫煙者の私にとっても初耳。聞き耳を立てていたら、その若い先生がすぐに答えた。

   ああ、それって、Pack per Dayです。

一日にタバコを何パック吸っているかっていうので、最近、呼吸器(内科・外科)の先生たち、よく使っていますよ

   へぇー、そうなんだ。

で、そのタバコ1パックって、何本なの?

 と、タバコを吸わない年長の病理医がさらに尋ねた。

あれ?タバコって、1パック何本だろう?10本かな?

なんだ、タバコの本数も知らないのか、と、タバコなんて一度も吸ったことのなさそうな二人のことを内心バカにしながら、元喫煙者の私が登場した。

1パックは基本的に20本ですね。だから、3パックだと60本。

3PPDって一日60本だから、結構な本数ですね。

でも、その(呼吸器の)医者もどうだろう。だって、ショッポ(ショートホープ)なら一箱10本だし、缶ピー(缶入りピース)なら40本だったりするし、種類によって違うから、やっぱり本数の方が正しいですよね。

などと、1.5PPD喫煙者だった頃の反動なのだろうか、タバコを吸わない人たちに向かってどうでもいいうんちくというか、喫煙者同士でしかウケない話をひとしきり話した。

あっけにとられている二人の顔に気がつき、恥ずかしくなって話はそこで切り上げた。

こんなこと知っていても、喫煙と無関係に生きていたら、普段の社会生活にはまったく役に立たない。

私はいまだにタバコに心が囚われているのだと知り愕然ともした。

ニコチン中毒は死ぬまで続くのだ。

 

それはさておき、PPDとは面白い数え方だと思った。

私が喫煙者だった頃には無かった(と思う)。一日何点何パックなどと端数が出たら少し面倒だけど、大まかな本数は一日何パック消費するかの方が概数を掴みやすい。吸っている方も、本数だと割り引いて申告してしまうけど、パック数だとすぐに出る。「1パックから2パックかな?」なんていうときは、40本近く、いやそれ以上は吸っている。

ニコチンの血中半減期がおよそ一時間。

そこで中毒症状が出てくるから一日20本というのはよく計算された本数で、それは現在も維持しているようだ。

喫煙者はニコチンによって行動までもがコントロールされている。

若い世代がタバコについての一般的な知識がないということには驚いた。

周りに喫煙者がほとんどいないということなのだろう。

喫煙を開始するきっかけは、男性であれば親や友人が吸っているからそれをもらって、女性の場合付き合っている男が吸っていてそれをもらって、ということが多い。

ニコチン中毒は連鎖して広がっていく。

今タバコを吸っている人が禁煙運動家を恨むのは筋違いで、自分にタバコを教えた人を恨んだ方がいい。

一人が中毒から抜け出せば(タバコを吸わなくなったら)、五十人は中毒にならずに済む。

問題は受動喫煙だけではない。

ニコチン中毒は伝染病と同じ!

 

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福祉というもの(2)・・・命の重みを比較してはいけない

2017年07月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

神奈川県相模原市の障害者施設で、多くの入所者が殺されるという痛ましい事件が起きてから、今日で1年。被害にあった方々のご冥福、健康の回復をお祈りする。

私には”いわゆる”障害を持った家族がいる。今は、両親とともに暮らしているが、以前は施設に入っていたので、まだ学生だった頃には送迎をしたり、施設の行事に参加したりしていた。障害者といっても、そこには色々な障害を持った人が暮らしていた。障害の種類によるもかもしれないけど、そこにいた人たちみんなとは顔見知りになり、言葉を交わすことができるくらいにはなった。

今、あの頃のことを思い出すと、現代社会における”障害者”と勝手に片付けている人たちとは一体なんなのかという疑問が生じる。単に、現代的な社会生活が困難だから、障害者という括りを作って区別しているだけのように思える。

 

読み書きができ、掛け算99が言えて、日本の首都を知っていて、朝顔を咲かせることができる。そういうことが、上手にできないからといって、区別して除外しているということが、障害者という言い方につながっている。そうやって区別された人の中には感性の豊かな人はたくさんいるし、優しい心を持った人も少なくない。会話しているうちに、自分のあり方とか、命について深く考えるようになることも多い。

それぞれが独立した存在だから、社会的弱者を比較することはできない。でも、弱いから社会のお荷物だなんだということはない。私自身、身体が不自由になったり、認知症になったということで世の中のお荷物扱いをされたくはない。だから健康な今、税金が社会的弱者といわれる人に使われることが間違いと思わないし、そのために働いているともいえる。

同じ人間、命に軽重をつけるということをしてはいけない。理由はいくらでもあるが、まずは、自分が弱者になるかもしれないということから考え始めてはどうだろう。

 しなくてはいけないこととは何か

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スマホ育児にみる子育ての変容

2017年07月24日 | 電脳化社会

子育てに答えはない、というのは常々このブログの中で言っていること。”自分が子育てしていた頃なんて”などという言い方にはほとんど意味がない。時代の変遷とともに子育ては大きく変遷するのだ。だから、電車の中で、ぐずる子供にスマホを持たせてポケモンGOをやらせる母親を目撃したからといって、反射的に眉をひそめるということをしてはいけないのだろう。そもそも自分が子育てをしている頃にポケモンGOのような大人も一緒になって楽しめるようなスマホゲームがあったら、きっと一緒になってやっていたに違いない。

では、何歳からスマホを子供に持たせていいのだろうという議論もよく聞かれる。さまざまなソフトが開発されている昨今、それにも答えはない。そのうち、その子の特異的な能力を発見、伸張させるするソフトでもが開発されるかもしれない。今、話題の天才棋士だって、主戦場は将棋であり、ソフトでずいぶん棋力をあげたという。将棋ソフトはスマホではないけれど、AIの世の中、世界中の棋譜を集めて学習していったら、まだまだ強くなっていくだろう。将棋に限らず、子供でも持てて、操作できるスマホは学習には最適な装置となった。付属機器を加えて、VRなどを組み合わせていったら、もっと可能性は広がる。

今日の記事のカテゴリー、最初は”家族”にして、スマホ育児に見られる危険性などについて書こうと思っていたのだけど、書いているうちに”電脳化社会”になってしまった。これというのも、子育てを含め、人間社会が電脳社会に移行しつつあることを示しているからだ。それに棹さし、子育ては別とばかりに息巻いても仕方ないだろう。もう、子育てがほぼ終わった人間がしなくてはいけないことは、スマホ育児についても客観的に捉えて、次の世代が楽しく家族を作っていけることを応援するしかない。

それにしても、さっきまでぐずっていた子供が、まるで魔法をかけられてしまったかのように、スマホを持たされたと同時に母親とも(ポケGOのことについて)楽しげに会話するのをみると驚く。いよいよ電脳世界が人間の実体世界の一部を置換し始めたということなのだろう。ほぼ毎日ブログを更新している自分自身がこれほどまでにズッポリと電脳社会の一員となっていることを省みると、もう、戻りたくても戻れないところまで世界は来ていると考えざるをえない。

あと、10年も経てば、人間の代わりにAIがこのことに答えを出してくれるかもしれない。

人間の知能は不要になる?

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多くの出会いを楽しみに

2017年07月24日 | 妻の名言

会社で営業の仕事をしてあちこち飛び回っている人や、移動することの多い仕事の人、接客する機会というかそれがほとんどの臨床医などからみたら、「なんだ、そんなことで」と言われてしまうようなことかもしれないが、私は仕事で”あちこち飛び回る”のがあまり得意ではない。

朝、病院に行って、病理診断科の部屋であれこれ朝から晩まで仕事をするのに慣れてしまっていて、研究の打ち合わせとか、学会・研究会で一日のうちに数ヶ所移動したりする予定だったりするとそれらの段取りとか、それぞれでしなくてはいけないことが気になり、全てをこなせるか心配になって、憂鬱になることすらある。決して人と会うのが苦手というわけではないのだけど、移動が加わると、ちょっと苦手となるのだ。

先日も、そんなことがあって出かける前にブツブツ言っていたら、妻に「いいじゃない、いろんなところに行ったら、いろんな人との出会いがあるのよ。それを楽しみにしないでどうするの?」と言われた。おまけに「朝からそんな風に考えていたら、血圧だって上がっちゃうわよ」と追い打ちをかけられた。

人との出会いというのが、好きだったのだが、最近では億劫というか面倒と考えることが多くなってきた。人と関われば関わるほどにストレスが生じて、軋轢となってやがて衝突するに違いない、というような思考パターンに陥っているような気がする。そんな結末ばかり、考えていたら、生きること自体が辛くなってしまう。

人間は一人では生きていけない存在だから、人と関わるのは必然だ。他人と関わる量に多少はあっても、一切関わらないで生きるということはできない。

ならば人と関わること、すなわち人と会うことを否定してはいけない。それどころか、どうせならそのことを良いこと、楽しいこととして捉えるのがいい。

一人になって、いろんなことを深く考えることは大事なことだから、それはそれでそういう時間を確保しなくてはいけないのは当然のことだ。

 

そもそも、私に用のない人がわざわざ会ってくれるわけがない。誰しも忙しいのだ。

その期待に応えなくてはいけないというプレッシャーはあるものの、さまざまな人と会う機会、その都度それを楽しみにしていきたい。

遅刻厳禁

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知を地に堕とすクイズ番組

2017年07月23日 | 日々思うこと、考えること

テレビ番組で、つまらないと思うものの一つにクイズ番組がある。知的な雰囲気をしているけれど、知識を娯楽に供しているだけで、全く知的ではない。

どういう基準で選ばれたのかよくわからない出演者どうしの知識量を競い合わせたところで一体何が面白いのかよくわからない。視るほうにしても、出演者といっしょに自分の過去の知識を引っ張り出したところで、一体どうなるというのだろう。知識とか知恵というのは、自らが経験を積み、本を読んで少しずつ積み重ねていくもので、クイズ番組で「ふーん、なるほど」なんて、うなずいたところで視聴者の血肉には到底なり得ない。私はクイズ番組を見て利口になろうと考えてはいないが、個人の知識を芸の一つというか商品化しているのが気にいらない。

芸能人の出ているクイズ番組というのはいい。東大出でも、医者でも弁護士でも芸能人ともなればそれが商売なのだから。でも、学生を連れてきて〇〇脳とか言って、知識量を競い合わせているような番組はどうなんだろう。”勉強ができる”ということが芸とか特技の一つに置き換えられている。これは、”大学生”という、本来学問をするために最高学府に進んだ人間の芸人化だ。あの大学の学生さんはよくできる、その学生同士を競い合わせたら面白い。クイズ番組を作る人間はそういうところに目をつけ、いわば”知の芸人”と仕立て上げて、大学生という存在を地に落とした。視ているほうは入試の偏差値の高い大学の学生の芸を”視てやる”ということで、その大学生達を上から見るという構図となって、優越感に似たものを感じることができる。

出ている学生はこれまで得てきた知識を開陳して、勝てば嬉しいだろう。受験戦争を勝ち抜いてきたはいいものの、入った大学には自分と同じレベルの学力の人間ばかり。そんな中ではそれまで感じてきたのほどの優越感を得るのは難しい。自分より優秀な人間もたくさん。そういう学生にとっては、いい息抜きとなるだろう。

だが、本人にとっては息抜きのつもりかもしれないが、バイト感覚で早押しクイズに出て、”知を地に堕とす”ようなことに加担している暇があったら、論文の一本でも読んで欲しいものだ。

若い時にしか吸収できないものがある。

 いまさらの感はある

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早起きについて

2017年07月22日 | 日々思うこと、考えること

鎌倉に住むようになって、20年以上経つが、相変わらず人に会うごと、「通勤大変でしょう?」と言われる。東京大田区育ちの私にしてみたら、都内に住んでいた頃より今の方が空気がよく、それを差し引けば、通勤時間の無駄もトントンかむしろ来てよかったぐらいなので、そう聞かれてもどうとも思わない。でも、人間なので通勤のため1時間ほど早く起きなくてはいけないのは辛い。このブログでもこれまで何度も”早起きばなし”を書いている。

早起きは三文の得という。この”得”、”徳”でもいいように思うが、”文”がお金の単位だから、やっぱり”得”なのだろう。

三文というのが、いくらぐらいになるのかよくわからないが、落語「時そば」の中で、少々具の載った蕎麦が十六文だ。駅の立ち食い蕎麦屋の蕎麦が四百円ぐらいだから、一文二十五円で、三文は七十五円となる。

どのぐらい早起きすれば”七十五円”の儲けになるのかはよくわからないが、いくら早起きしても誰もお金を恵んでくれることはない。それでも、朝の通勤時間帯であれば早い電車に乗れば座っていけるので、七十五円以上の価値はあるように思う。でも、今日のような土曜日にはそんなに早く起きてなくても座れるので、普遍的な意味での”得”はない。

それでも、今日は早起きしてみた。ここのところ、めっきり歩かなくなった私の歩数稼ぎのために駅まで歩くため、そのお伴にナイトを連れていくからだ。

去年のように(たぶん)夏バテなのに、心臓病だなんだと言われてはたまらないので、今年は人間と同じように熱中症による夏バテには気をつけている。このため、炎天下に散歩をさせるわけにはいかず、夏の間は日の出と競争で5時台に散歩させている。ここ数日は、妻が散歩させるようになってしまったが、今日は早く目が覚めた。犬と一緒に暮らしているのに散歩にも行かないというのはどうも残念な話だということで、妻とナイトに遅れないように、身支度と朝食を手早く済ませ、一緒に出かけて来た。

途中、鶴岡八幡宮に寄り、源平池にハスをみに行った。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくる、極楽の蓮池というはこんな感じなのではないかと思える美しさだった。整備した成果だろう、ハスの生育の具合がとてもいい。人出もそれほど多くなく、見に来てよかった。これで、七十五円ならば安いものだ。

考えてみれば、一度の早起きで、1万円分得するのであれば、もっと多くの人が早起きするようになるだろうし、早起きもインフレとなって、価値は結局暴落して、七十五円ぐらいになってしまうに違いない。このぐらいがちょうどいい。鎌倉に限った話ではなく、朝早くにはこういう風景がどこにでもあるはざだ。

妻とナイトに見送られ、改札を通り過ぎた。

今日はどんな一日になるだろうかと思うと、楽しみだ。

チリも積もれば山となる

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楽しいことを考えて

2017年07月21日 | 生き方について考える

心の暗黒面、というかネガティブな面を野放しにするとそれらはどんどん増長する。心がざわつくことなんて、世の中には掃いて捨てるほどある。

それも大小様々。ニュースに流れること、FacebookやInstagram、誰彼の噂話。

妬みや嫉み、得体の知れない不安からは何も生まれてこない。ワラ人形に釘を打っても何も変わることはないのだ。

それならば、自分のことを見つめ直して、前向きに進むしかない。

「プラス思考で前向きに、笑顔を絶やさず楽しく生きていこう。」と、タイトルにまで入れているのだから、私自身それを実践していきたい。

いつも物事を楽しく考える。楽しいことを考えながら生きる。

楽しいことを思いつかなかったら、せめて笑顔だけでも作ってみる。

 

おかしな感情が出てきたら、深呼吸(鼻から息を一息吸って、三倍ぐらいかけてゆっくり口から吐き出す)をして、ケータイにダウンロードしてある好きな音楽でも聴きながら、目をつぶって、「自分は今、幸せなんだ」と言って聞かせる。三度ぐらい言ったらいいか。

途中で、またまたおかしな感情が湧いてきたら、目を開けてもう一度やり直し。今度は、心も空っぽに。

そういう感情が出てきてしまうのは仕方ない、同居してエネルギーに変えちゃう人もいるけど、それはなかなか難しいし、疲れる。

モグラたたきみたいなものなのだろうけど、その都度退治していくしかない。

そいういうのは、自然なことだけど、のさばらせる必要はない。

 クヨクヨする他にすることはある

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癌の病理診断(2)・・・Group 5

2017年07月20日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

「癌の診断を下し、診断書を書く。その診断書から、人一人の癌との戦いが始まる。」

二週間ほど前に、そんなことを書いた(「癌の病理診断」)。

胃や大腸の生検組織診断で、癌には Group 5 と付記する。

診断文の書き方は流儀があって施設によって異なるが内容は一緒で、

Stomach, biopsy

- Adenocarcinoma、Group 5

といった具合に書く。

これを

胃生検

- 腺癌、Group 5

と書いてもいいのだが、そういった診断書は見たことがない。

それはさておき、この診断をつけるときはとても緊張する。

そこにある組織が100%癌とわかっていてもだ。

数日間は、その組織像が目の前に浮かんでくる。

あれで、正しかっただろうか、とその都度思い返す。

ちょっとした嘔気でもがあって受診し、念のため内視鏡検査をしてみましょうか、ということで診てもらったら、小さな潰瘍があり、見た目では良性悪性はわからないから、念のため生検(組織の一部を内視鏡を使って取ってくる検査)をして、病理医が診断してみたら、そこに悪性の病気すなわち癌が見つかる。

 

その組織が「癌です」と診断書に書くのは大変なことだ。

1日に診断する件数が多い日などは、2、3人にそのような診断を下すこととなる。そして、胃、大腸には"Group 5"を付記する。

それぞれの人が、その時からそれまでのとは全く違う人生を歩み始める。癌細胞はそれよりずっと前から巣食っていたのだから、”その時から”という表現は適当ではないかもしれないが、そのことが露見してそこから戦いが始まるのだ。

病理医の仕事は孤独だ。

臨床医であれば、まず当事者である患者と共に戦うことができる。

手術ともなればチームがいる。

そもそも、臨床医は一人でできることは少ないのだ。

それに対して、病理医は常に一人だ。顕微鏡があれば、標本の山を片付けるしかすることはない。

最近では、ダブルチェック体制が普及してきたので、別の病理医との連名での診断も多くなってきたが、依然として一人で診断書の署名をしている病理医は少なくない。

そして、病理医は一人であっても、胃癌や大腸癌に遭遇したら、癌と診断してGroup 5と書く。

なかなか辛い仕事だけど、それぞれの人の人生のために、病理医なりに尽くすのが使命だと思っている。

診断能力の維持が肝要

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レジナビに思うこと・・・今の学生さんは大変だ

2017年07月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

この前の日曜日、レジナビというものがあって、研修指導係の私の教室の教授も駆り出されていた。

このレジナビ、医療関係の人材派遣会社が研修先を探す医学生向けに、研修医を募集する側の(研修指定)病院を集めて、リクルート活動をする場を提供するイベントだ。病院側はブース使用料、出店料、を支払い、訪れた医学生に研修内容を説明し、いい学生にきてもらうようアピールするようだ。

参加するのは、医学科の5年生が主となるようだが、4年生もちらほらいるらしい。

ここで、気に入った病院が見つかれば、その病院への就職活動が始まる(らしい)。

(らしい)というのは、私が医者になった30年近く前には、医師の養成システムが違っていて、こんなものはなかったのでよくわからないからだ。6年生ともなると夏休みは国家試験のための勉強をしていたけど、5年生は現役最後の夏とばかりに、部活に燃えていた。ちなみに私はバスケットボール部だった。今でも、5年生、さらには6年生で部活に参加する学生はいるが、幹部学年は4年生となっているところが多いようだ。医者の本分は、より良い医療ができるようになるために、たくさん勉強することであって、部活は人格形成には大事だが、それほど本気になってすることではないように思う。健康な体を作ることができたら十分だろうから、オリンピック級の才能に恵まれた人は別としたら、医学部における部活のあり方というのはこんなもので十分なのだろう。

それにしても、5年生から就職活動を始めなくてはいけないなんて、今の医学生は大変だ。どこかの大学の医局に入って、そのまま教室人事であちこち行っていたらいいというわけではない時代になっている。だが、そうやってきたから、何も考えないで生きていた医者も少なくない。将来のことを色々と考えるというのも、受験勉強だけしてきた若者が、社会性を身につけるといういう意味ではいいことかもしれない。同時に、自動的に若い医者が送られてくることに慣れきっていた病院にとっても。

幸い、うちの病院にもそれなりに学生さんがきてくれて、教授も行った甲斐があったようだ。

日本病理学会もブースを出していたらしいが、病理医志望の学生さんは顔を出してくれただろうか。

将来どんな医者になりたいか

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日本は幸せな国なのか

2017年07月18日 | 日本のこと、世界のこと

日本はいつの間にか休日の多い国になってしまった。日本人があんまり働いて経済が発展するものだから、他国から「休め休め」と、圧力をかけられてきた結果だろう。でも、一昔前、日本経済がすごかったといっても、その頃から一人当たりの経済性にしてみたらそうたいしたことこなかった。国としては豊かだったけど、そこに住んでいる人はそれほど豊かではなかった。休みが増えて、働かなくなって、それでもやっているということは、この国は豊かになったということなのだろうか。働かなくなって、資源の無いこの国がどうなるのか心配だが後にはもう戻れない。

今、アジア周辺諸国の経済が発展して、これらの国々との経済格差はもっと縮まるだろう。それなのに、なんとなく多くの人は日本が他の国に先んじた素晴らしい国だという幻想を持ち続けている。

日本のいいところは、数え上げたらきりがない。いいところはきりがないほどあるけど、それらの一つ一つが確実なものであるのかを検証する必要があるのではないかと最近よく思う。

というのも、私は経済のことはよくわからないが、経済は結局のところあまり良くなっていないようにみえるからだ。このまま、高齢化社会が進んでいったら、私自身の老後も危ういものになるだろうということは火を見るよりも明らかだ。それより何より、若い人の貧困問題は深刻だ。高齢者が若者に働かせるだけ働かせ、さらに金を巻き上げる。そんな時代になって来ているように見える。

私自身、日本の成長停止があまりにも長く続くものだから、最近では経済優先であることがいいものばかりと、そのような政治を応援して来たような気がする。その政治家たちがどうも最近怪しいのが気になる。

国の方向を決めるのは、政治で、政治家を選挙で選んで来たのは私だ。その都度、風だなんだということに流されての投票行動が多かったように思える。それらの多くは、マスコミが作って来たものだった。今更何をやってもしょうがない、というのではあまりにも芸がない。

これまでの日本が歩んで来た道を政治の恣意の入らないところで検証し、日本が幸せな国なのかそうでもないのか結果を国民に知らしめることが必要だと思う。

そして、どうしたらこの小さな島国が幸せな国になれるのかを、その検証結果から考え始めてはどうだろう。

泥縄はやめよう

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家事への対価

2017年07月17日 | 家族のこと

窓から見たら、まだごゴミの収集車は来ていなかった。朝のうち家中のゴミは集めて犬の散歩の時にすでに出しておいた。

ひと段落して、朝食を食べたらもう少しゴミが出た。そこでゴミの集積所を見たのだ。そして、急いで集め、一番小さな袋にまとめて出しに行ったら、集積所はたたまれていた。

こういうことは、日々家事をやっている人には珍しいことではないだろう。たまたま、ハッピーマンデーに家事を手伝っただけで、こんなことを取り立てていうのは、滑稽に過ぎない。

ゴミ出しというのは、家中のゴミ集めから始まるものだから、こういうことは多分、よくあることだと思う。洗濯物を干していたり、掃除をしていたり、超多忙な朝の始まりに、こういうことをタイミングよく、というか効率よくこなすということはとても難しい。

小さい子供がいたりしたら、大変だろうとも思う。

家事に、対価をつけると300万円とか500万円とか1000万円を超えるとか、色々な意見がある。何れにしても、それに対する報酬がどこからも出ないというのはおかしな話だ。扶養手当というのがそうなるのかもしれないが、非正規の状態で働いている人などにはそういった手当も無いだろう。

これまた、言い出したらキリのない話ではあるけど、なんだかな、と思ってしまう。

目安は600字

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