こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

新年会

2009年01月28日 | 通勤・交通・旅行
もうすぐ立春ですが、新年会やりました。
久しぶりに飲んで、帰ってきたら下駄箱の木札がかばんの中にあった。
前後不覚で、病院の近くから、鎌倉まで!!タクシーで帰ってしまった。

悲しい…

あと30分早く出ていれば。

あの曲とこの曲を歌わなければ。

タクシーの運転手と、「鎌倉まで」「タマプラ(たまプラーザ)ですね」「違います、鎌倉までお願い」「え、鎌倉ですか?わかりました」などという会話したのを最後に、「お客さん、鎌倉ですがどの辺ですか?」といわれて目が覚めたら、すでに私の家のすぐそば、通り過ぎないでくれて助かった。

料金は…目が飛び出た。

やっぱり、帰りは、電車がいい。
でも、楽しかった。


道具は使うもの

2009年01月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
私たち病理医は、形態学者である。
数多くの正常、異常な臓器を観察して、診断すべき症例について、病的か病的でないかを見いだし、診断していく。

そういう作業はある点、機械的なものに感じられる部分もあるが、実は、機械にはとうていできないことである。

「人間って、こういう判断ができて、すごいですよね。機械には絶対にできませんよね。」などという、後輩がいたりする。

”標準化”の名の下、病理診断を行う機械を導入して病理診断を客観的にしようという試みがあるが、これは絶対無理だと思う。機械が病理医にとってかわるとかそんなんではなく、機械はあくまでも道具だ。

はじまりは石器だった人類の文明は長足の進歩を遂げ、私たちの身近の道具は進歩してきた。だが、あくまでも使っているのは人間で、逆立ちしたって機械が人間の判断力、経験の蓄積力に取って代わることはできない。

それなのに、「人間ってすごいですよね、機械じゃできませんよね」と、人間が機械に対して優位であることを確認しなくては不安になってしまうほど機械が発達した社会になりつつあることが、とても恐ろしい。

殺したくなるほどの気持ち

2009年01月17日 | 日々思うこと、考えること
なぜ人を殺してはいけないか。
わたしはその理由として、自分がしてほしくないことを人にしてはいけないから。と考えている。
動物は共食いをしない。 これは、種の保存本能が、共有されているからだろう。だから、人間も本能的にお互いを殺すということはないに違いない。
だけど、人間は利己的な存在だから、自分が幸せになるためには目的を選ばない。物質的に、精神的に、ちょうど良いバランスが取れるところで、落ち着く。
そうやって、ほとんどの人間はなんとかお互い譲り合いながら生きている。

でも、その落ち着くところがないと、殺人へと向かう。
なんで、人を殺したくなるほどの気持を持てるのだろう。

戦争では比較的わかりやすい。自分が殺されないように、相手を殺す。でも、相手を殺すことができずに、死んでいった人もたくさんいるように思う。
虐殺は権力によって行われることがほとんどで、戦争と同じで、意味がない。

いっぽう、個人レベルの殺人は種々の理由から行われる。
金か異性関係がほとんどだと思うが、そんなことで人を殺すか?
とくに、痛ましいのが強姦目的で殺すというもので、絶対に許せない。

殺人は人類のもっとも犯してはならないことの一つだ。
なぜって・・・あなたは殺されたい?

2009年の富士山

2009年01月02日 | 通勤・交通・旅行
今年も富士山はりりしくそびえたっている。
神奈川からは富士山はどこからでもよく見える。これが都内に入ると若干小さくなる。写真に撮るともっと小さくなる。すみません。

富士山の絶景ポイントというのはあまたあるが、私の個人的なというか、最近の絶景ポイントというと、
1位 国道134号線、坂の下の由比ヶ浜から稲村ケ崎に抜けたところから、江の島を手前にしてみる富士山。冬の晴れた日の朝焼けの中でみるとそりゃもう、感動です。
2位 小田急江ノ島線で、六会のあたりからみえる富士山。
3位 横須賀線で新川崎の手前から見える富士山。
4位 鎌倉山から見える富士山。
って、どれも通勤途中からの風景なわけだが。
そうそう、新幹線からの富士山もいいよね。中央高速の山梨あたりからの富士山も結構渋い。

今年もふと、富士山を見るとき、ほっとするんだろうな。