こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

インドの窮状と日本の明日

2021年04月30日 | 自然災害・事故・感染症
 空は明るく穏やか、少し湿度は高くしっとりした空気に包まれた気持ちのいい朝。でも、家の前の道路はびしょびしょで大量の葉が落ちていて夜半の嵐の物凄さを物語っている。今日も通勤、通学の人は割合いて、電車はそこそこ混んでいて、去年の今頃とは雲泥の差だ。去年は休めたのに、今年はどうして休めないのかわからないが、休むに休めない人というのはずいぶんいるのだろう。ハンコもなくなったはずなのに。
 エッセンシャルワーカーの定義も難しい。今や医療者といえば対コロナ要員ばかりがクローズアップされるが、そのほかにも命のための医療を要する人はいる。そのための要員が確保できないということが医療崩壊な訳だが、じゃあそれはどこまでを指すのかは誰にもわからない。結局のところ、コロナ禍における要不要の判断なんて、本人ならびに周りの状況次第ということになる。


 今、インドでは一旦は抑え込んだと思っていた新型コロナウイルス感染が、第2波となって爆発的に増えている。駐車場だか空き地だかでの火葬の光景(AFPBB News)は悲痛だ。酸素不足は深刻で、工業用酸素の医用転用のため、SUZUKIが現地法人での自動車生産をストップさせたというが、どれほどもつか。

 ワクチンとの競争、という様な感じで推移していたが、ここにきて様相は変わりつつある。新型コロナウイルスは変異を繰り返し、もしかしたらある程度封じ込むことができたかもしれなかった段階をN501Yとなってくぐり抜けてしまった。新型コロナウイルスにしても生存競争は厳しいのかもしれない。

 アメリカでは、新型コロナウイルスワクチン接種者は屋外ではマスクなしでもいいとなったらしいが、現在のワクチンがN501Yにどれだけ効果があるのかがわからない段階で、これは早計だ。ロックダウンなどの措置は必要ないかもしれないが、新しい生活様式の徹底は、継続すべきで、この先日本でも同様だ。インドでのことは他山の石として役立てなくては、オリンピック・パラリンピックの開催など覚束ない。
明日からはおこもり

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町内会の会費集め

2021年04月29日 | 鎌倉暮らし
 朝から大雨、全国的に雨模様だったが、人出は多かった様だ。東京では新規感染者が1000人を超えたそうで、緊急事態が改めてやってきた。

 今年から町内会の役員を仰せつかり、その最初の仕事は年会費の集金。雨が小降りとなった時を見計らって、自分の家の周囲20数軒ほどを妻と2人でまわった。7割方のお宅がいらして、まずまずの出だしとなった。

 自宅でくつろいでいるであろう時にお訪ねすると、みなさんそれこそ普段着で出てくる。こうしてみると道ですれ違ったり、ゴミ出しで会ったりするときは、そんないつものことをしている時でもお互いよそ行きの顔なのだと感じる。

 みなさん、”ご苦労様”と声をかけてくださった。こういう仕事はお互い様。コロナ禍で、去年もそうだったがほとんどの行事は行われない。楽といえば楽だが、そうとばかりも言っていられない。災害時などにご近所で困った人がいたら助けてあげられる様、気を配っていなくてはならない。
明日は電車空いてるかな

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猫も杓子も私もApple Watch

2021年04月28日 | 電脳化社会
 昨夜のピンクムーン(北アメリカ先住民による満月の呼び方の一つだそうで、ピンク色の花の咲く頃、ということだそうで、日本なら桜の咲く頃の月で桜月だろうか)、家に帰る頃には雲もすっかりとれていて無事見ることができた。夜空の写真は手ぶれしてなかなかうまく撮れないで苦労していたが、こんどのスマホは明るさを自動的に認識する様で露出時間を3秒にしてくれていた。長時間露光で、月とか星の写真を撮ることができるようになった。スマホにあってほしいと思っていたのが、リモートシャッター機能で、Apple Watchがリモートシャッターを容易にしてくれた。

 先日載せた学会場の前での写真は右手を伸ばして撮った自撮り写真だが、昨日書いた病理の雑誌にはApple Watchを使ってリモート撮影したものを載せた。顕微鏡の前に座って少しにっこりして撮った写真、妻には好評で、この先あと5回は読者の目に触れることになる。

 そもそもこのApple Watch、この冬に息子が私たち夫婦にプレゼントしてくれたものだ。私たちがダイエットを頑張っているようだから、健康管理の一助にしてほしいということでくれた。まさか、私がスマートウォッチを使うようになるとはと驚いたが、リモートシャッター以外にもいろいろ機能があって役に立っていて、親父の形見の腕時計をつけることはほとんどなくなってしまった。どの機能がどういいか、というとくどくなるので割愛するが、例えるなら昔のアニメ、特撮物の腕時計型多機能ウォッチが実体化したものだろう。まあ、なんでもできる。携帯PCとしてのスマホが重くなったのは玉に瑕だが、機能を考えれば致し方あるまい。
 手洗いにぶら下げてあるカレンダー、花を生けている人の写真が印刷されているのだが、その手首にApple Watchをみつけた。使っている人はとても多く、いろんな人がつけている。若い人はもとより、私と同世代の人も使っているが、やはり健康管理だろうか。猫も杓子もApple Watchという感じで、この先利用者はもっと増えていくことになるだろう。かつては、セイコー、シチズンが世界の多くの人の腕に巻かれていたであろうことを思うと、ちょっと寂しい。
Apple一人勝ち

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雑誌の連載、後半戦に

2021年04月27日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 起き出した時には雲が出ていたが、朝食をとってからクリーンステーションに行く頃にはすっかり雲は取れていた。今日も湿度は低め、昨日のような強風もなく過ごしやすい1日となったようだ。夜は雲が少し出てしまい、残念ながらピンクムーン(?)を拝むことはできなかった。

 昨日、私の書いたものが掲載された病理の月刊誌が献本として届いた。その雑誌の別々の連載もの2本を書いたのだが、それがたまたま同じ号の続けての項に載った。

 目次には、

  特集
   ・・・・・
  連載
   〇〇病理の肉眼診断
      コロ健
   〇〇のコツ
      コロ健
   ・・・・・
  コラム
   ・・・

 というような感じであって、この間の病理学会のプログラムもそうだったが、目次に名前が出るとけっこう目立つ。本文中でも、数ページを隔てて著者近影なんていうのが当たり前だが同じ顔で載っている。ダイエット後、痩せた痩せたと言われるので、せっかくならと新しく撮り直したもので、Apple Watchのリモートシャッター機能を利用し病理診断科の部屋で自撮りした。まあまあに撮れているものを選んで、原稿と一緒に送り、昨年まで使ってもらっていたものと差し替えてもらった。二稿、同じ写真を続けるとは芸がないと思ったが後の祭り、”ダイエット前”、”ダイエット後”にしたら面白かったのにと、せっかくの笑いをとるチャンスを逃した。

 どういう風の吹き回しで私程度の病理医に依頼が来るのかよくわからない。まあ、やっていることがニッチで細々とやってきたわけだが、それなりに見てくれている人は見てくれているのだろう。今や分子病理学の時代。多くの病理医は癌の診断技術を向上させることのみならず、腫瘍、さらには患者個々人の遺伝情報の理解および治療法まで勉強しなくてはいけなくなったので、私のやっているような稀少症例とか非腫瘍症例とか、そういったものに手が回らなくなっているということもある。お役に立てているうちはまあ頑張ろう。

 今回の連載のうち1つは半年(6回)続く。毎月の月末が締め切りでヒイヒイいっているが、これまでになんとか3本書き上げた。でも、今月の4本目は苦戦している。いまは、過去の学会報告とか講演で使用した資料をひっくり返し(検索し)(こういう時、PCは本当に便利だ)、
 
 おお、こんな(表、図)があった!

 などと、日々一喜一憂している。

 でも、それももう限界に近い。”読者の利益になる”教育的な症例が底をつきつつある。こんな分野でもさらに得手不得手があって、苦手な、というかもっと得意な人がやっていることには手を出したくない。ただでさえ最薄な知識が露呈してしまうことになる。そうすると、ただでさえ狭いストライクゾーンが、もうピンポイントになってしまうわけで、なんだか泣けてくる。

 そんな調子だが、これが病理医としての私の師の目に止まったらしく、

 ””をみたら、貴君の論文が二つ続けて出ていますね。ご活躍、なによりです。

 というメッセージがLINEで届いた。その先生の背中を追ってやってきたので、励みになる。残り3本、頑張ろう。
搾りかすからもう一搾り

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コロナ禍の前になすすべもなく平板化する心

2021年04月26日 | 日本のこと、世界のこと
 空気は少しひんやりとしているが、雲ひとつない快晴。ゴールデンウィークの気持ちのいい季節がやってきて、心も少し浮き立ってもいいはずだが今年はそうはいかない。3度目の緊急事態宣言が連休に合わせて発出され、2年続きでたくさんの人の楽しみは消えた。

 コロナ禍以降”感動する”場面に遭遇する機会が極端に減った。昨年、わが家では息子の結婚という喜ばしいことがあったが、結婚式はコロナ対策のため両家の者だけでささやかに行われた。ほかに、心が動かされるようなことは、何かあっただろうか、記憶はほとんど無い。もちろん、以前よりよほど木々の緑、花の美しさに心癒されることは増えた。そんなことに出会えるというだけでも十分幸せだが、もう少し、”従来型”の感動にも触れたい。映画、コンサート、スポーツ、美術、そんな当たり前の経験の記憶はもう1年以上無い。

 東京の寄席の組合が”演芸は社会生活の維持に必要なもの”として、休業要請には応じないことにしたそうだ(都内の4つの寄席 感染防止策行い公演継続「社会生活の維持に必要なもの」スポニチ 2021年4月26日)。たしかに、このまま笑いの文化が消えてしまったら、ポストコロナは笑いの失われた社会ということになってしまう。多くの芸人、役者、演奏家、アスリート、そういった人たちが”エッセンシャルではない存在”とされ、苦しい立場にある。でも、そういった職種の人がいるからこの世界には感動があって、喜びと涙がある。だから、大活躍する大谷なり松山に声援は集まるのだ。

 でも、そうやって聞こえてくる感動はごくわずかで、身の回りにあるのは喜びよりも、怒りと不安が圧倒的に多い。新型コロナウイルス感染症を前に、私たちにもたらされる感動は少ない。やがて心は感動を忘れ、起伏がなくなってしまい、平板化してしまうのではないかと心配になる。これがコロナ鬱の実体なのかもしれないが、人類はこの状況を打ち破って、新たな感動を起こすことを考えなくてはならない時期に来ている。ただ、ソーシャルディスタンスを維持したマスク越しの交流で、以前のような人間同士の結びつきをどれだけ再構築することができるか、前途は多難だ。
あらたなる挑戦

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投票日和

2021年04月25日 | 日々思うこと、考えること
 今年度から町内会の役員を仰せつかり、回覧板の準備をして意気揚々と回したら、いきなり間違いをしでかした。でも教えてくださった方の親切に感謝してのほろ苦い(?)スタートとなった。

 曇りから雨という予報にかかわらず、晴天。投票日和という言葉が似合いそう。鎌倉市議会議員選挙には選挙公報を読んでそれなりに考えて一票を投じた。選挙委員会からの発表だと投票率は48.7%と、そこそこ高かったようだ。あとは、私が託した方が当選してくれるといいのだが。
 東京は緊急事態宣言が施行され、これはまた神奈川に人が押し寄せるかと心配だったが、横浜川崎などとともに鎌倉も”まんぼう”の対象地域となってホッとした。その甲斐あってか、今日の人出はそこそこ少なかった。このまま連休中もあまり多くの人には来ていただきたくないところだ。
 明日も仕事。なんだか元気が出ない毎日が続くが、それでも張り切っていかなくては。大学生は連休休みだろうか。せめて電車は空いていてほしい。
野党に託すのか、自民がダメなのか

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うらやましいけど頑張れない

2021年04月24日 | 生き方について考える
 午前中は風もなく、穏やかないい天気。

 今日の病理学会(最終日)はリモート参加。
 内容の濃い発表、活発な質疑、現地にいなくても高度なディスカッションがされていることがよくわかる。そこで話している人たちがうらやましくなる。そこにいる人たちは、それ相応の努力をしたからであって、それはその結果求められる人となっている。
 うらやましいと思う一方で、では、私は頑張ろうと思うのかというとそうでもない。それなりにやっていたらいいじゃないかと妥協してしまう。これまでの人生、いつもこんな程度だ。以前、私と仲良くしてくれていた大先輩が、

 ”俺なんて、ずっとスランプだよ”

 なんてことを自嘲気味に言っていたのを思い出した。あの人もがんばらなくっちゃと思っていても、今日の私と同じように空まわりしていたのだろうか。
 残りの時間は少ない。一体自分は何をなすべきかということを考えていかなくては。
ヤキモチではなく

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第110回日本病理学会総会@京王プラザ&ウェブ

2021年04月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 学会出張のためいつもより少しだけ遅く家を出た。門を出て後ろを振り返るとモッコウバラの生垣越しに裏のお宅の満開のツツジが重なって見える。4月も下旬となってあっという間に緑が濃くなってきた。日中の気温は高くなるが、空気は乾燥していて気持ちがいい。

 昨日から始まった今年の病理学会総会は京王プラザホテルで開催されている。発表演題の多くは現地会場で収録されて、後日オンデマンド配信される。私も自身の発表はポスターセッションで、それはPDFを登録して、閲覧してもらう形式となっている。講演や口演発表は現地開催で、のちに配信するコンテンツを録画しているようなものだ。現地&ウェブの両方を利用したハイブリッド開催でそれなりにいい感じだ。

 新型コロナウイルス感染拡大防止のためには、いわゆる”人流”を止めなくてはいけないなどと口では言っているくせになんでわざわざ東京、それも新宿まで出て行ったかというと、このうちの口演発表のセッションの座長を仰せつかったから。別のセッションでは、座長もリモートでやっているのもあったが、新宿まで直接行って帰ってくるだけにしておけばいいだろうと、久しぶりにネクタイを締めて現地に行った。小さなセッションで、会場は閑散としていて、少々拍子抜けしたが、豈図らんやセッションにアクセスしている人の数は数十人あり、日本中から参加しているのだと実感。PCの向こうも意識して進行した。(年賀状のやり取り程度の)おつきあいのある先生の講演も会場で拝聴することができ、大変有意義だった。

 この学会では懇意にしてもらっている先生にお会いして旧交を温めたかったのだが、コロナ禍で猛烈に忙しくしているうちに体調を崩されたとかで、残念ながら、こちらにはいらっしゃらないという。リモートで参加しておられるのだろう。仕事で抜けられないとか、この先生のように体調を崩したとか、いろいろな事情があることを考えるとこの形式も悪くはない。もう、”一堂に会して”、なんていう時代は終わった。私たちの場合、つい気が緩んで”せっかくだからじゃあ一杯”なんてことにならなかったと考えたら、却ってよかったのかもしれない。
明日はリモートで

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不機嫌な人が増えたと感じる不機嫌な私

2021年04月22日 | 日々思うこと、考えること
 せっかくの気持ちのいい朝なのに、気分は今ひとつすぐれない。
 それは大型連休を前に緊急事態宣言が発出されるという重苦しさのせいなのかもしれないし、ただ単に日々の生活に疲れているだけなのかもしれない。おそらくはその両方が合わさってのものだろうし、悩みなど言い出したらきりがない。ちかごろ夢見がよくないのも、関係しているかもしれない。そして、私は自身が不機嫌でもあると自覚している。

 昨日のエントリーでは緊急事態宣言をさっさと出したらいいのになどと、それによって損害を被る人のことも考えずに軽々しく書いてしまった。思ったことをよくよく吟味しないまま書きつけるなど考え方も乱暴になっている。次の選挙までは今の政府に任せるしかないのだから、ここでいくら声を大にして批判しても仕方ない。もっと別の考え方をしよう。

 神奈川県から都内まで電車を使って毎日通勤していると、車内には不機嫌そうな人が増えたように思うのは私だけか。ソーシャルディスタンスを取ることが推奨され、座席には一つおきに座るのがデフォルトとなっているが、混んでくると空いている席にも座る。そして、隣に座られる方も、座る方も一瞬緊張する。マスクを外しているような人がいたら、一言も喋っていないのに抗議の目で顔を見てしまう。以前だったらそんなことを感じることはなかったのに、今では誰もがウイルスを持っているような気がして漠然とした恐怖をいつも感じる。

 他人との接触が制限されるようになった今は目に見えない鉄格子を嵌めた狭い独房に閉じ込められて過ごしているようなものだ。ウィズコロナという終身刑を科せられ、機嫌よくしていることなどできない。不満のはけ口を政治に求めても、政治家にしても無策だから詮無いことだ。自分の仕事に逃げ込めばいいのかもしれないが、それはそれで厳しく長続きさせることは難しい。唯一の心の避難場所は、今やこのブログしかない。どう向き合うか考えながら書いていきたいが、この先どれだけ続けることができるか、最近では自信がなくなりつつある。
生きる目標は見えるか

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せっかくのこれまでの努力も風前の灯

2021年04月21日 | 自然災害・事故・感染症
 そろそろいい季節がやってくるであろうことを期待させてくれる好天。帰りも、北風が強かったが、心地よい温度。

 大阪では新型コロナウイルスの感染拡大に歯止めがかからず、いよいよ3回目の緊急事態宣言が発出されるようで、東京圏もそうなりそうだ。自治体レベルで悲鳴を上げているのに、なぜすぐに発出しないのか、よくわからないが、下々から突き上げられてすぐにオタオタするようではいけないということか(首相、東京・大阪などへの緊急事態「今週中にも決定」)。そんなだから却って打算が透けて、もはや国民は従わなくなっている。

 この第3波、お年寄りだけでなく、若い人にも感染が広がっているというのに、その若い人たちは春のスタートで元気に移動しまくっている。小池都知事のいう”人流”を抑制するということの本質的な意味は、”人が動くと、一部の人は行った先ではおとなしくしていても、用事が終わった後、飲み食いに集まるのがよくない”ということだろう。野球やサッカーも悪くはないが、数千人の観衆のうち、1割にも満たない100人程度でもが祝勝会もしくは残念会を開いたらあっという間に感染は拡大してしまう。

 ”そんなことわかってるよ”と開き直る人は少なくないだろうが、そうやっているうちに当の本人が感染してしまうわけで、そのことをもっと強く知らしめる必要がある。若い人の”路上飲酒”というのも感染拡大に一役買っていると問題になっているが、本人たちは自分が感染したら、脱毛、味覚異常、嗅覚異常などの後遺症に苦しむ可能性があることを知らないでいる。事故でも怪我でも病気でも、いざなって初めて辛さがわかる。インスタでもツイッターでも使ってそういったことをもっとアピールすべきだ。

 巣篭もり生活は苦しいから限界に達しつつある人はとても多い。そんな中には感染してもいいや、と思って会食、カラオケ、接待を伴う飲食店などに行く人はたくさんいるはずだ。でも、ダムは蟻の一穴から崩壊する。家の前の舗装された道路のひび割れに蟻の巣穴を見つけると、それを塞ぐことなどできないと思うが、コロナ禍の広がりも同じようなものだと、暗澹たる気持ちになる。
水は漏れはじめている

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新型コロナウイルスワクチンの副反応

2021年04月20日 | 自然災害・事故・感染症
 私は新型コロナワクチンの接種は感染拡大防止に効果があり、副反応があるものの、接種は推進すべきだと考えている。そして、副反応というものを闇雲に怖がらないで、”そういうものだ”と捉えて過剰な反応をしないでいただきたいと考えたので、私なりにここで情報を提供させていただく。
ーーー
 先週末、新型コロナウイルスワクチンの2回目を接種してもらった。その前の日にやはり2回目の接種したコメディカルが発熱で欠勤したという話を聞いたので、少々怖いと思いながらも、明日は休みだから発熱しても大丈夫だろうと意を決し、10時過ぎにうってもらった(もちろん注射そのものの痛みはほとんど無い)。今回は15分ほど待機室で静かにしてアナフィラキシーショックを起こさなかったことを確認してから、病理診断科の部屋に戻ったが、しばらくしてから頭がなんとなくクラクラというか頭痛がするようになった。

 ”ああ、(副反応が)出たな”と思っているうち、12時ごろに迅速診断の検体が出てきた。標本作成の処理をしながら、検体を持ってきた担当医に”さっき、ワクチン打ったら、なんだか調子が悪くなっちゃったよ”とボヤいたら、”2度目の方がきついっていうから、そうなんですかね”と言われた。”おっさん(57歳)だから大丈夫だと思っていたんだけどね”などと返した。幸い診断に影響するほどではなく、ホッとした。

 午後になってから外科の医者が別の用でやってきて、そのついでに”先生(副反応は)大丈夫ですか?”と聞かれた。

 噂、千里をかける。

 もともと病院なんてところは閉鎖空間で、さらには医療従事者同士の情報交換が必須だからいろんな話があっという間に広がる。病院として新型コロナウイルスワクチンの集団接種を行なったので、職員同士の共通の話題としては興味深い話だ。それほどひどい副反応が出ることはないとわかっていても、やっぱりそれは軽い方がいいに決まっている。新規開発されたワクチン、医療従事者だって大なり小なり漠然とした不安は持っている。何はともあれ、この話は”噂というのはあっという間に広がるものだね”ということで終わった。

 さて、終業時間になり、頭痛もだいぶ収まり、無事帰宅した。もちろん、15時ごろからは打った場所の痛みが始まったが、これは1回目とどっこいどっこいかそれより強いぐらいだったが、想定の範囲内。寝るときに打った場所を下にしないだけで対応可能だった。翌日は発熱もなく、打った場所の痛みも軽減して、翌々日にはすっかり改善した。痛みの引きは1回目よりもよほど早かった。

 新型コロナウイルスワクチン接種の高齢者への接種がやっと始まったものの、それはいまだ限定的。医療従事者に対する接種が完了していない状況での接種開始については賛否あるだろうが、病医院というところを”清浄区域”にしておかなくては何かあったときに大変なことになる。医療現場というのは当然のことながら感染リスクは高く、それでいてクラスターを起こしてはならない。ワクチン接種がそういうリスクの高い施設、医院に勤務する人に対して優先的に行われるべきなのは仕方ない。

 あらためて、こうして自分がさっさとワクチン接種を済ませたことをここにあげるのはどうかと思ったが、副反応に関する報道があまりにも少ないことに危機感を持ち、冒頭に述べたような考えに基づいて報告することにした。

 ワクチン接種の説明書には副反応として、注射した部分の痛み、頭痛、関節や筋肉の痛み、だるさ、寒気、発熱等があり、これらのほとんどは数日から1週間以内に自然に回復します”と書かれている。そもそも副反応の起きることを隠してはいないし、実際のところ院内の追跡調査でも大体そんなところだったようだ。

 接種部位の疼痛はほぼ必発で、痛みに慣れていない人にとってはそれは激痛と感じられるかもしれない。アレルギーの既往のある人は、アナフィラキシーショックを起こす可能性がないとは言えない。でも、これは決してネガティブなことではなく、そういうものなのだ。副反応を上回る利益があるので、ワクチン接種に反対するようなことはしないでいただきたい。接種されるのが嫌だという人は黙って受けなければいいだけの話で、他の人の選択を邪魔するようなことはしないでほしい。

 残念ながら、国民全員へのワクチン接種の目処が立つのは9月ごろになるようだ。あと半年程度は我慢を強いられることになるが、ワクチン接種を受けたから、どこにでも行ける自由を得られるわけではない。”軽くかかった状態のキャリア”となって周りの人にうつしてしまうかもしれない。なんといっても、ウイルスのほうも変異を繰り返して、ワクチン耐性株が出現してくるにちがいない。結局のところ、ワクチンを接種されたからといって、マスク・手洗い・個食といった生活様式を変えることはできない。それでも皆で協力して、新型コロナウイルスを抑え込まなくてはいけない。
オリパラには間に合わないか

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この国を守るために今私たちができることは何か

2021年04月19日 | 日本のこと、世界のこと
 ほんの少しの冷気を残した朝の空気。もう少し眠っていたいという体をシャキッとさせるにはちょうどいい。
 朝、鎌倉駅に着いたら市議会議員選挙の候補者がわんさかいた。まるで大学の入学式の日の新人部員の勧誘のようで苦笑してしまった。これならかえって江ノ電のどこかの駅前に立った方がインパクトはありそうだ。

 プーチンに批判的な野党指導者が拘束され、生命の危機に瀕しているというのと、ミャンマーで日本人ジャーナリストが軍によって拘束された、という2つのニュースをNHKで聞いた。プーチンもミャンマー国軍も都合の悪いことは発信させないという強い意志があるのだろう。

 公的機関、すなわち権力者にとって社会秩序を守ることと自分たちの組織を守ることは等価だ。そして、そのためにはなりふり構わずなんでもする。自浄作用がある組織であれば内部からの改革が行われて、それなりに国民は幸せでいられるかもしれないが、独裁的な政権下で自由がないことは結局のところ不幸になる。

 インターネットによる情報公開、情報共有が著しく制限されている国は少なくない。インターネットによる情報発信から弾圧を加えるということが今や当たり前だ。日本はいまのところそのような状況には陥っていないが、国がそのようなことをしようと思えばすぐにできる。

 日本では言論の自由が守られているが、それは憲法のおかげだ。ただ、その憲法も解釈の仕方はいくらでもある。”常識的に”という行動は”独善的だ”とされてしまうかもしれない。たとえ形骸化していても憲法は守っていかなくてはならない。そのために、政治家になる素質のない私にできるのは投票行動であり、選挙の際には少しでも多くの人が投票所に向かうことだと、ここ数日強く思うようになった。政治への無関心は、自分たちの不自由となって跳ね返ってくる。
半年以内に総選挙

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鎌倉市議会選挙がはじまった

2021年04月18日 | 日々思うこと、考えること
昨日の大嵐はおさまって、風は強かったが1日日差しが届いた。
今日から鎌倉市議会選挙の選挙戦がはじまった。4年前は鎌倉花火大会に関して市議会と観光協会が対立したことが争点の一つとなったはずだが、今年はなんといってもコロナ禍となるだろう。選挙カーからは候補者の名前が連呼されている。選挙ポスターの掲示板を見ると、今回もずいぶんたくさんの人が立候補している。みなさん、よくやってくれる。

私は、政治に興味はあるが、政治家になろうとは思わない。小学生ぐらいの頃に政治家になりたいとほんの少し思った記憶はあるが、それよりは別の道の方が興味深かった。その後はマンションの理事会の理事長をやっただけで、自分にはすべての人に納得してもらえるような仕事など到底できないと感じた。

政治家というのは税金で生活しているのだから、納税者すべての望みに応えなくてはならないし、失敗は許されない。だが、そんなことは不可能。そして不可能だと思う私のような人間は政治家にはなれない。

そんなわけで、政治には選挙に行って貴重な一票を投じることで参加する。たった一票ではなく、私にとっては大きな一票だ。選挙公報を読んで私の一票の行方を決めることにする。
人任せというわけではない

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スマホの機種変とても疲れた

2021年04月17日 | 日々思うこと、考えること
 朝からほぼ1日雨だった。
 今日はスマホの機種変更。なんだかんだと時間がずいぶんかかってしまった。どれがIDでどれがPWだかこんがらがって、最後の方はぼーっとしながら契約した。一応、今払っているよりも安くなるということだから、いいのだろう。
 横浜の量販店に行ったのだが、ものすごい人出。なら行かなきゃいいがそうもいかない。この程度の用事というのは要不要どちらか。若い人が多かったのは、やはり彼らにとって、コロナは”ただの風邪”だからだろう。大阪ではいよいよ医療崩壊となっている。知事さんは緊急事態宣言の解除時期を見誤ったと言わざるを得ない。
あれこれ設定が・・・

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コロナは新しいマナーをもたらしたけど

2021年04月16日 | 自然災害・事故・感染症
 もうしばらくは天候の移り変わりに我慢しなくてはなさそうで、今夜からまた荒れるなるらしい。今日の天声人語に、コロナ禍襲来以来、人との会話が減ったことが書かれていた。数日前、私が思ったことと同じようなことを誰もが感じている(人付き合いの仕方がわからなくなってきた - 2021年4月13日)。

 昨晩、駅前の飲み屋の固まったところを抜けたら、談笑する人の声が聞こえてきた。それだけで新型コロナウイルスが飛んできそうな気がして嫌な思いがしたが、ああいう人たちはすでにコロナに対して無防備でいることを選択したのだろう。それでいて、感染して症状がでたらやっぱり入院加療となって、医療資源を使うことになる。自分は平気でも家庭内感染を引き起こすかもしれない。いずれにしても無駄な話だ。まあ、さすがにそんな風に大声で話す人というのはとても減ったし、くしゃみを聞くことも同様だ。相変わらず電車内でくしゃみをする人もいるにはいるが、花粉症の季節が終わればこれももっと少なくなるだろう。

 去年の5月、1度目の緊急事態宣言が解除された頃はノーマスクの人がけっこういた(布マスク配布を一刻も早く全世帯に! - 2020年5月27日)。今から振り返ると、アベノマスクの効果もあったようで、街中でノーマスクの人を見ることはほとんどなくなった。咳、くしゃみエチケットにマスク着用、そういったコロナ禍における新マナーが浸透してきている。国民の大部分がこの基準を満たしているというのは大したものだと思われるが、それに従わない人も一部には残っている。それは、まあ仕方のないことなのだろう。ワクチン接種が進んだら、今度はワクチン打ったから大丈夫、みたいなバカなことを考える人がわんさか出てくるに違いない。ワクチン耐性株はもうだいぶ出てきていると思われ、いま打っているワクチンの効果はとても限定的だろう。

 地球上の誰もが経験のしたことのないウイルスとの闘いは、誰も知らない未来へと歩んでいるということだ。前歴踏襲ができないという点では、全てが新しいことであり、誰にも先を見通すことはできない。まさか、大阪の知事も感染者が1日1000人を超えるなんてこと予想だにしていなかっただろう。大阪の医療崩壊は目前で、東京神奈川千葉埼玉もそれに備えなくてならない。現実は想定を軽々と超える。昨日、小池都知事が「(医療従事者などの)エッセンシャルワーカー以外の方は東京に来ないで」、「テレワークで出勤者を最大3割に削減」、「買い物は3日に1回」というようなメッセージを出したが、今朝も通勤電車は混んでいる。全ての人が直行直帰なら問題とならないが、夜の街がその人たちの足を引き留める。

 ロックダウンを可能とする法案の討議がされないまま1年が過ぎ、実効性のない(いつまでも)緊急事態宣言とか蔓延防止など(等)重点措置なんていう小手先の対応しかなされていない。そういったことの法制化が難しいというのなら、コロナが生み出した新しいマナーである”新しい生活様式”を守らないことに対する罰則規定を設けてもいいかもしれない(新型コロナウイルスを想定した「新しい生活様式」の実践例を公表しました)。

でも、厚労省があれでは

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