こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

あれこれの生き方指南にちょっと食傷気味

2024年06月18日 | 生き方について考える
朝から大雨。
1日降り続くとかで、行きも帰りも交通の便が心配になる。

最近Xづいているということを書いたが、その後もそれは続いている。
こういうのは中毒性があって、まんまと引っかかっているのだが、いったい今の時点ではどんなところが刺激されてこうしているのか。
ブログを書いて刺激されるのとはちょっと別の部位なのだろうが、その明確な違いはわからない。

Xの中には色々なジャンルがあるらしいが君子危うきに近寄るべからずと、Xを始めて間もない頃からフォローしている一部の政治家とか評論家、生き方指南と、最近増えた(おそらく若手の)病理医の投稿などを主に読んでいる。

このうち、生き方指南は、アドラー関係と筋トレ関係を以前から読んでいたが、最近は、こうして生きると良いとか、メンタルが弱った時は、とか、そんなのが多い。
いちいち目を通し、なるほどそう考えたらいいのか、そうかそうだったのか、とか、早速やってみようとかいろいろあって面白い。

でも、最近はそれらの指南にはちょっと食傷気味だ。
そもそも、こういうのは本として駅ナカの書店にたくさんあり、これまでずいぶんたくさんの本を買ってきた。
Xはそれらのエッセンスが出ているのでコスパ、ダイパがいいということになる。

それはさておき、どれもその時々には瞬間的に役立つものの、それらの考え方を永続させるのは難しい。

お経のように毎朝毎晩唱えたらいいのかもしれないが、それでは思考の自由が奪われてしまう。
よりよく生きるための考え方、というのは決して悪いものではないが、それに束縛されてしまうと、また新たなプレッシャーを感じるようになってしまう。
こういうのは実はメンタルが強くないと読めないのかもしれない。

そこに列挙されている考え方は、どれも悪くはないのだが、では、それで楽しい人生が得られるかというとこれまた微妙な話だ。

結果として、勝手に軌道修正して元の木阿弥となってしまう。
生きるというのは難しいものだ。
あれこれ気にせず

ブログランキング・にほんブログ村へ

 PVアクセスランキング にほんブログ村

もうちょっと上手くできたんじゃないかとよく思う

2024年06月07日 | 生き方について考える
少し蒸し暑い朝で、じわじわと梅雨の足音が聞こえてくる。

最近、仕事の調子が今ひとつ。
いろいろなところでの小さな失敗が目につく。
良かれと思ってしたことでも、別の立場に立ってみればそれは良くないことだったり、少なくとももっとやりようがあったと思ったりすることがある。

具体的にどれがどうというわけではない。
ブログやXの記事などでもそう思うことは少なくない。
ましてや仕事とか、職場でのこととなるともっとたくさんになる。

生きていく中でつまずいたり、突き当たったりすることというのは、自分で蒔いた種による自縄自縛なのか。
それとも不可抗力で遭遇してしまうものなのか。

こういう時、自分を救ってくれるのは一体なんだろう。
自分か、自分以外の誰かか、それとも神か。
といっても、神様もいろいろいらっしゃる。

アカウントぐらいなら簡単に消去できるが、人間同士のことや仕事のことはそう簡単にはいかない。
いろいろごちゃごちゃしているので、どかかでリセットしたい。
生きているだけで丸儲け

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!










どこまでが大目にみてよくて、どこからはダメになのか

2024年05月22日 | 生き方について考える
今日も薄曇り。
昨日ほどは暑くならないそうだ。
またまたエントリーをアップし忘れて、今日のこのブログを書こうと開いたらおとといのエントリーがトップにあってそのことに気がついて急いで先ほどアップした。
日付が昨日の夜11時になっているのであまり多くの人には気がついてもらえないだろうが、仕方ない。
それなりになるほどということを書いているので、もしよろしければ昨日のエントリーもこの後読んでいただければ幸いです。

このごろこの間の盗撮犯取り逃しの時に痛めた左薬指の痛みがやっと引いてきた。
1ヶ月以上経つので全治2ヶ月の負傷ということで結構なことだったことになるが、だれにも評価されない。
犯罪の被害に遭うとか、それを防いだり救ったりとかそういうことはずいぶん割に合わないことで、犯罪には巻き込まれたくないものだ。
それにしても犯罪を犯す人間というのはどうして自分のことしか考えなくなってしまうのだろうか。

どういうきっかけで犯罪者になるのだろうか。
手口がわかっていたから特殊詐欺の被害を未然に防ぐことに貢献できたのかもしれない。
それまでにすでに悪事に手を染めていたかどうかはわからないが、良心というか正義を守ろうという気持ちはどこかにあって、”それとは別の次元”で犯罪を犯したのだろうか。

私だって、いつ邪念に支配されるかわかったものではないと思う。
そもそも邪念の範囲だってよくわからない。
人それぞれだし、それぐらい大目に見てよ、という大目ですませる人もいるだろうし、それはちょっと針小棒大というようなことが当たり前の人だっている。

人を一人二人殺したところで、戦争で人を殺すよりはよほどマシ、と本気で考えている人はいるだろうし、それとこれとは別という人もいるだろう。
この間のナントカりりちゃんなんて、恋愛感情につけこんだ詐欺をしたと裁判にかけられているが、美人局に始まりロマンス詐欺、ホストへの入れあげとか何がどれだけ犯罪になるのか線を引くのは簡単なことではない。

ちょうど今、NHKの連続テレビでは女性法律家が主人公の話をしている。
見ていると法律というものは自分目線で利用するものなのだと感じるが、確かにそうだし、では法律が絶対に正しいかといえばそうともいえないのは当然だし、それを簡単に変えるわけにもいかない。

法律に頼るのは当然、というかやむを得ないこととして、それより何より大切なのは、まず、自分が間違ったことをしないということが生きてゆく上での大前提となる。
自分に嘘をつかない

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



いつまで人類は成長し続けなくてはいけないのか

2024年05月16日 | 生き方について考える
小雨混じりの朝、少し蒸し暑くなるらしい。
5月というのは新緑の清々しい季節を考えてしまうが、結構雨がちだ。
このまま、あとひと月もすれば入梅だ。

最近小説ばかり読んでいてあまり勉強をしていない。
医学への知的好奇心が失われたわけではないのだが、若かった頃と違って新たな知識を取り込もうという気概が減少しているように感じる。
最近の科学の進歩はずいぶん遅くなったように思う。
DNAの二重らせん構造が提唱されたのが、1953年で、私が大学院で研究をしていたのが30年ほど前の1990年代。
その頃はすでに、私のような素人でもDNAとかRNAといった核酸をいじることができるようになっていた。
それ以来セントラルドグマ(DNA⇨RNA⇨タンパク質)の概念を大きく変えるか飛躍的に推進する理論、発見は無く、ブロック1個1個を積み重ねるような努力が進められている。

目をほかに転じてみると、音楽。
ビートルズ、ローリングストーンズさらにはサザンオールスターズやユーミンといった昭和の音楽を超えるものはなく、リバイバルがいまだに多い。
文学、美術もほとんどの手法が使われてしまっているようで、出てくるものの多くは陳腐だ。
今後はインターネットで瞬時に類似性を指摘されてしまうから、クリエーターという人たちも大変だ。

経済成長という言葉を聞くが、地球から、資源、自然を搾取し続けてそれを達成する必要があるのだろうか。
これ以上の発展をやめたら、格差の拡大も地球温暖化も進まないのではないか。
全ての領域で、プラトーにあると考えてはいけないのだろうか。
それなのに、新たな発展を目指すから世界からは戦争が消えないし、環境破壊は終わらない。
もう、この辺でいいような気がするが、そうもいかないのは人間の宿命なのか。
他の動物にはそんなことはないように見える

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



無限大だった可能性は歳とともに減ってしまうが

2024年04月19日 | 生き方について考える
爽やかな1日になるということで頑張ろう。
今週は早かったような、ちょっと遅かったような感じだったが、振り返ってみるとまだやり残したことはたくさんあって、結果としては時間は足りない。
時間が足りない、時間が早く過ぎると感じるのはなぜだろうか。

体感時間を自身の移動する時間に例えるとすれば今の私は60キロ。
一般道なら快適なスピードだ。
でも、この考え方だと死ぬまでスピードが上がり続けることになって、最後は息切れしてしまう。

それよりも人生を短く感じてしまうのは残りの人生で選ぶことのできる選択肢が減ってしまうからではないだろうか。
人生にはさまざまな局面でそれぞれの選択肢と可能性がある。
生まれた瞬間には選択肢・可能性は無限大だ。
人生80年として、1歳ではそれが80通り、10才で70通り、となって、今の私には20通りの選択肢しか残されていない。
年をとり、毎年選択肢が限られてゆく。
かつては無限だったものが限られてしまうことで、この先の人生を短く感じてしまうのではないだろうか。

だからこそ、その限られた選択肢をより良いものにするというのも人生のありかただし、むしろその方が効率は良いかもしれない。
などと、しょうもないことを考えている暇があったら、今日やらなくてはいけないことをやらなくてはいけない。
残り時間がわかるといいが・・・

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

人生の楽しみとか喜びというのはどんなものなのだろう

2024年04月13日 | 生き方について考える
穏やかな朝。
鶯の声を探していると、突然けたたましいガビチョウの声で遮られてしまう。
それでもまあ、それなりに彼らも頑張っているわけだから許容していかなくてはならないのだろうと思いつつ、ホーホケキョの声を待つ。
今日明日はオンライン形式の学会がありの、この間の還暦同窓会の幹事会の打ち上げありで、いろいろあって落ち着かない。

昨日から娘夫婦が来ているが、娘婿が、

 日本では土日に学会というのは当たり前なのか

と聞いてくるので、

 そう、ウィークデイは働かなくちゃならないからね

と応えた。
この春から勤め始めたラボの同僚に聞いてもおなじような答えだったそうだ。
何か言いたそうだったが、これが日本だからとそれ以上私も何も言わなかった。

欧州人の彼の目に日本人のこんな働き方はどう映るのだろう。
少なくとも人生をそれほど楽しんでいるようには見えないのではないか。
では、人生を楽しむ、というのはどういうことなんだろう。

自分の好む土地に住むことか、でも、週末以外はそこにおらず、普段はそこから往復4時間をかけて通勤することはそれほど楽しんでいるとは思えない。

起きがけに、テレビをつけたら、NHKで”あの人に会いたい”というプログラムで、青色LEDを開発してノーベル物理学賞を受賞した赤崎勇さんのことが紹介されていた。
この人は大きな成果を挙げて、人生をさぞ楽しんだ事だろうと思ったが、そのことと引き換えの努力もあったはずだ。
失敗から学ぶこと、役立つことがあるとも言っていたから、失敗すらも楽しみ、歓びだったのかもしれない。

それぐらいじゃないと、そもそも生まれてきた意味もないのかもしれない。
自慢の一つにもならないことだが、私は失敗の多い人生を歩んできたし、今でもしょっちゅう失敗している。
そんな失敗でも役に立っていると思えば後悔などせずに楽しむことができるかもしれない。
楽しけりゃそれでいい?

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

人間は時間の波に乗って生きている

2024年04月12日 | 生き方について考える
今日は暖かくも寒くもないちょうどいい天気とのこと。
妻はどんな格好をしていたらいいのかわからないとこぼしていたが、その点男は羽織るもの一枚でどうとでもなるので楽だ。
父が残してくれたヒポクラテスの木の末裔(プラタナスの木)に新芽が出たと思ったら、あっという間に葉っぱが出てきた。
新緑の季節、コナラにも天ぷらにしたくなるような芽がたくさんだ。

それにしても1日の過ぎるのが早い。
昨日にしても、切り出しをしていたら、新任院長の巡視が聞かされていた時間より早くにあってちょっと中断し、その後数例を診断していたらあっという間にお昼。
久しぶりの病理外来で汗をかき、そのレポートを書き終えたら、エキスパートパネルがあり、これまたいつもより症例数が多かった。
そうこうするうち終業時間。
この間、臨床医が何人か顔を出しにやってきていたはずだが、内容は覚えているが、それが昨日のことだったかそれとも一昨日のことだったか正確には思いだせない。
こんなことでいいのかと心配になってしまうが、時間なんてこんなふうに飛ぶように過ぎていってしまうものだ。
時間を無駄にするな、という言葉があるが、ならば有効な使い方とはどんなものをいうのだろう。
大学受験、試合に勝つために、そのための勉強、トレーニングを1分1秒無駄にせず行うとしても、休息は必要で、その時間は一見無駄のように見える。
昨日の私にしても昼休憩はしっかり取ったし、仕事の合間に世間話という無駄話をする。

生物の中で時間の概念のあるのは人間だけではないだろうか。
正確に言えば、時間という概念に”縛られている”のは人間だけなんじゃないかと思う。
暗くなったら動く動物、明るくなったら開く花、あらゆる生物は自然の相互関係の中で生きているが、人間だけはそれは関係ない。
関係しているのは時間だけで、昼間だろうが夜だろうが忙しく活動する。
人間がこんなに忙しくなってしまったのはいつからなのだろうかと、睡眠時間6時間確保に汲々としながら考えてしまう。
<   >

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



好事魔多し、人間万事塞翁が馬、一喜一憂、泰然自若

2024年03月26日 | 生き方について考える
今日も雨で、さらには朝より気温が下がるということだ。
そんなことで結局今日もダウンジャケットを着て出てきたが、中にセーターは着ないでおいた。

昨晩も段葛を歩いたが、桜の蕾はずいぶん大きくなっていたものの、案の定1輪も咲いていなかった。
明日には気温が上がるというので、桜もチューリップも一斉に開花してくれることを期待している。
電車で外国人観光客がつまらなそうな顔をしているのをみると気の毒になる。
ここ数年であれば、今頃はもう満開なのに、アテが外れるにしてもあんまりだ。

朝食を食べていたら、大谷翔平選手の会見というのがあって、経緯を説明していた。
じき真相は明らかになるだろうが、彼の身の潔白を信じようと思える内容だった。
それにしても彼も気の毒だ、1000億円もの契約を取り付け、結婚もし、新天地で全力を発揮しようと思っていたところでの”側近”による金の使い込み、プレーに雑念が入らないわけがない。
彼がこれまでに積み上げてきた実績は本物だからそれが傷つくことがないことを願うばかりだ。

好事魔多し。
人生どこで何が起こるかなんてわからない。
時としてささやかな幸せすら突然奪われてしまうことがあるのはその人が悪いのか、それとも理由などなく理不尽なだけなのか。

物事を多面的に捉えたら良くみえる点もあるかもしれないし、人間万事塞翁が馬という言葉だってある。

では、自分のこの先の人生はどんな風に転がっていくのだろう。
あれやこれやに一喜一憂することなく、結局人間最後は死ぬと思って、泰然自若、それまでたっぷり人生を味わってゆきたい。
こんなものなのだ

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!




必要なのは能力よりも気力

2024年02月27日 | 生き方について考える
今日も快晴だが、空気は冷たいまま。
そうはいっても、陽の光をたっぷり受けたら地面はずいぶん温まるに違いない。
今年は閏年で、2月は29日まであるがそれでも残り3日。
時間があっという間に過ぎていく。
あれほど先のことと思っていた還暦祝いの同窓会も今週末に迫ってきた。
世話人会の仲間たちの協力のおかげで準備万端、あとは当日を迎えるだけだ。

毎日、時間は猛烈なスピードで過ぎて、止まるところを知らない。
やらなくてはいけないこと、考えなくてはいけないことが大量にあり、整理が追いつかないように感じるのは、実際にそうなのかただ単に認知力が低下しているからなのか。

ただ、後者である場合、それは私に限ったことではないわけで、高齢の政治家、企業家はいくらでもいて、実際見ているだけで怪しげな人はいる。
そうしてみると、必要なのは能力よりも気力なのかもしれない。

父が亡くなった時もそうだったが、先日亡くなった叔父も最期は生きようとする気力が見えなかったといとこが言っていた。
もう十分生きた、と思って亡くなるのが穏やかな死というものかもしれない。

今の私が心の底から生きたいと思っているのかどうかよくわからないが、とりあえず、人からの頼まれごとがあるうちはそれらをうっちゃるわけにはいかないので、それらは済ませようと思う。
やる気を失わない

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!




少し違って見える風景

2024年01月31日 | 生き方について考える
今朝はいつもより少し早く出た。
妻に駅まで送ってもらうのはいつものことだが、その妻がハンドルを握りながらふと、

 時間が早いと、歩いている人や車がずいぶん違って、いつもと景色が違うわね

と言った。

たしかに、すれ違う車、追い越す自転車、散歩中の犬、ジョッギングする人、一見、似ているようだがどれも違う。
背景としての鶴岡八幡宮にしても段葛、若宮大路はなにも変わらないのに、と考えると不思議なものだ。

人間など、しょせんはこれらの構造物の上を動き回っているに過ぎない存在だと感じる。
さらには、これらの構造物にしてもしょせんは人工物であり、やがて(といってもとてつもなく遠い将来だが)朽ち果て塵埃に帰する。

今日は札幌に来た。
覚悟していた以上に寒いが、今年は例年よりも暖かいという。
何てこった・・・。

それはさておき、すべては、雪に覆われていて、下のものはなにも見えない。
あれこれ作った構造物すらも簡単に隠されてしまうのかと考えるとなんだか儚い気持ちにもなる。
夕食は味噌ラーメン

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!



人それぞれの時間に合わせて生きる

2024年01月14日 | 生き方について考える
研究班の会議があって午後から東京へ。
午前中のうちに、水やりと野鳥たちへの給餌をした。
バードフィーダに餌がいっぱいになると、鳥たちがどっとやってくる。
鳥たちは、餌が増えるのを一日中待っているのだろうか。

たまにはネクタイを締めようと思ったら、ずいぶん下手くそになっていた。
ダブルノットはやめてシングルノットにしようとしたらネクタイが長くて、断念。
少し手こずったが、予定していた電車に乗り遅れることはなかった。
”東京へ”といっても、今日の会議場は東京駅の近くで、勤務先よりも近い。
ウェブ参加も可能だったが、久しぶりに研究仲間にも直に会いたかった。

鎌倉東京間は55分。
昔はちょうど1時間だったので、5分ほど短くなっていて、その分電車内での準備時間も短縮される。
そういえば、昨日の大学共通入学テストで、一部の科目で15秒ほど短くなってしまい、再受験の措置が取られることになったそうだ。
話を聞いた時、たったの15秒、と思ったが、その15秒が”たった”どころではないということを思い出し、再受験になった受験生たちに対して申し訳なく思った。

時間の流れというのは人によって全く異なる。
2時間半ほどの会議の間、自分がプレゼンをしたり、他の研究者の話を聞いたりしていると時間はあっという間に過ぎる。
そして、帰りには日はすっかり傾いている。
例えば、同じ時間を駅前でぶらぶら過ごして潰そうと思ったらそれはずいぶん長い時間に感じるだろう。
銀座に移動して映画でも見たら、やっぱりあっという間だろうし、それどころか時間は足りなくなる。
人それぞれが時間を持っていて、私の人生は今のところ時速60キロ。
自分だけ早くても遅くてもだめで、みんなと調和させていかなくてはいけない。
案外これって難しい。

今週末はろくに休むことはできなかったが、いろいろ頭を使って過ごすことができたので、ヨシとして明日からの仕事にむすびつけていこう。
人生をゆったり生きる

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

人間いくら歳を重ねても自分に対して甘くて怠惰だ

2024年01月05日 | 生き方について考える
久しぶりに寒い朝。
明日は小寒なのだから、こうでないと調子が出ないが、能登半島の方々のことを思うと、今年の冬は少しでも暖かくあってほしい。
地震のせいにしてはならないが、ちょっとぼんやりしているとあっという間に時間が過ぎる。
何もしないでいたら、小寒どころかあっという間に大寒、立春となってしまう。

まず考えなくてはいけないのは今年の抱負。
人生の残り時間なんてまだまだあると思っていたが、同期の友人の訃報を聞くと、自分だって一体いつ死ぬか、死なないまでも体調を崩して伏せってしまうかなどわかったものではないと実感する。
だからこそ、毎日を充実したものとして生きなくてはもったいない。
それなのに、相変わらず無駄なことばかりしながら生きている。

太宰治ではないが、恥の多い生涯を送って来たわりには、われながらいけしゃあしゃあと生きているのはなんなのだろう。
学生時代、もっと勉強したらよかったのに、とか、タバコなんか吸わなければよかったのに、とか、バスケットボールをしていた頃1本でも多くのシュートを打っておけばよかったのに、とか、研究に際してはもっと論文を読んでおけばよかったのに、とか、病理診断の勉強をもっとしておけばよかったのに、とか後悔ばかりしているが、かといって、今それを取り返そうともしていない。
後輩や他人にも、もっと頑張れ、ああしろこうしろとせっつくのに、いざ自分がそうされたら嫌に決まっている。

やればやっただけの結果が出ることはわかっているのだから、頑張ったらいいのに、なかなか頑張れない。
ダメだダメだと思いながらも、自分に対しては極めて甘い。
人間いくら歳を重ねても自分に対して甘くて怠惰だ。

そんな自分に対して、プレッシャーをかけるのが”抱負”なるものなのだ。

そんな今年の抱負は何にしよう。

・人の生き方(=考え方)を受け入れ、人と争わない。
・丁寧な生活を心がける。
・努力すべきことは努力する。

・そして、なによりもこういうことを呑気に考えていられる今の自分の状況に感謝する。

今、ここにこう書いてみてもすぐに忘れてしまうから、紙に書き出して机の前にでも貼っておこう。
自分に対して厳しくも優しく

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!

好きなことをお金に換算するようになったらおしまい

2023年12月05日 | 生き方について考える
寒い朝、お日様は厚い雲で遮られて、気温はあまり上がりそうにない。
週の後半には気温が上昇するらしく、辛抱するのは明後日あたりまでか。
昨日、歯の詰め物が取れて、歯科に駆け込んだら虫歯ではなく接着剤の劣化とのこと、ホッとしたもののこれからはこういう体の劣化があちこちに始まるのかと思うと、先が思いやられる。

”政府は少子化対策の財源確保に向け、75歳以上の後期高齢者の医療費の窓口負担引き上げを社会保障の改革工程の原案に盛り込む”とかいうよくわからない社会保障改革を行うそうだ。
お金は天から降ってくるものではないので、何かに使うときはどこかから撮ってこないとならないので、これはこれでそういうことなのだろう。
後期高齢者の医療費を少子化対策に使うというのも聞こえはいいが、果たして有効に使うことはできるか。

それはさておき、その医療費、先日知り合いの病理医と話していたら、医者の収入もどんな科で何をやっているかでずいぶん違うということ、ずいぶん儲けている人もいればそうでもない人もいるというような話になった。
病理医の場合、ごく例外的な開業病理医でない限り、純粋に病院からの給料しかもらっていないので、儲けるということとは縁遠い。
それなのに、もっと余録があって儲かる別の科に移らなかったのは、やっぱり病理の仕事が好きだったからで、後悔はない。

 ”結局ね、好きなことをお金に換算するようになったら、その時点でそのことは好きなことではなくなっているんだよ。”

彼がそう言ったところで、この話は終わった。

私人逮捕が話題になっているユーチューブ。
あれだって、最初の頃は好きなことを録画してネット上に流して楽しむということが目的で、収益目当てで始めた人などいなかっただろうが、あっという間にユーチューバーとかいう職業が生まれ、今や”やらせ”のような逮捕劇があり、話を聞いていると恐ろしくなる。
ああいう人たちは、最初っから収益を上げることを目的としていたのかもしれないが、世直しが好きで始めたというのであれば、それが収益目的となった時点で好きなことではなくなったということか。

昨日のブログについてのこともそうで、好きなことをお金と引き換えにすると失うものも大きい。
好きな仕事にしても、分相応の報酬で満足しておかないと失ってしまうかもしれない。
その辺りの見極めこそが好きなものを守るためん大切なことなのだろう。
貧すれば鈍する

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!




アマテラス粒子発見の報と私の日々

2023年11月24日 | 生き方について考える
昨日のドライブの疲れが残っていて腰のあたりが少しだるい。
でも、2週間ほど前に悩まされたひどい腰痛はほとんど治ってだいぶ楽にはなっている。
今朝は南風が吹き込んでいるらしく生暖かく、コートの下にセーターを着ることなく仕事に出てきた。
今夜には気温がずいぶん下がり、明日はずいぶんと寒くなるらしく、服装の調節が難しい。
飛び石連休のせいか、電車は空いていた。
学校は通常通りあるみたいだが、会社は休みかリモートか。
とはいえ、世の中のうごきなどどうでもよくて、私は自分の乗っている電車さえ遅れなければそれでいいと思っているのだが、乗り換えの時、ちょっと太った人がドアを塞いでいたので押しのけて乗ろうとしたら睨まれ、おまけに電車も遅れて、朝から嫌な思い。

ニュースで、アマテラス(天照)粒子という、わずか1グラムで地球が破壊されるほどの巨大なエネルギーを持つ宇宙線が発見されたということを知った。
わずか1グラムといっても、宇宙線をそれだけ集めるのはとても大変なことだろうから、そう簡単に発生するものではないだろうが、ヤマトの波動砲の様なシステムなら作ることができるかもしれない。
そんな、一円玉程度の物体に地球を破壊できるほどのエネルギーが宇宙のどこかから降り注いできたら一体どうなるのだろう。
宇宙線にせよ、巨大隕石にせよ一度そんなものに襲われたら我々のいる地球などひとたまりもなく、諍いをしている場合ではないはずだが、一向に平和がもたらされることがないのはなぜか。
杞憂と言ってしまえばそれまでだが、その確率はゼロではない。

どこまで突き詰めて考えるかは人それぞれだが、しょせん世の中こんなものと色んな意味で大所高所からの視点をもったらもう少しましな方向に持っていくこともできるはずだ。
でもまあ、そうなったときに考えたらいい、という向きもあるだろうから落としどころはなかなかみつからない。

私自身、しょせん人はいつか死ぬものだし、天変地異などいつきてもおかしくない、と嘯いているにもかかわらず、職場の人間関係やら、親戚付き合いやら、電車がしょっちゅう遅れることなどで日々あれこれ悩んでいるのだから世話がない。
一瞬にしてパッと

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく


それぞれの人のそれぞれのちょっとした理由

2023年11月10日 | 生き方について考える
晩秋の寒さがやってきて、今シーズン初めてセーターを着て出てきた。
今日はまた午後から雨が降り、寒さが本格化するようだ。
さすがに夏日はやってこないだろうから、もうこのまま冬になっていくのだろう。

明後日の講演の準備、なんとか目処がたってきて、ホッとしているのだが、髪の毛が伸びているのがどうも気になる。
前髪はいいのだけど、襟足がボサボサになっていて、微妙なところで、床屋に行こうと電話をしたらいつもお願いしている人が入院してしまったという。
これは困ったと、妻に連絡し、彼女の行きつけの美容院を紹介してもらったら、快く引き受けてくれた。
七里ガ浜にあるので、病院を早退し、久しぶりに江ノ電に揺られ、営業時間ギリギリに間に合った。

 今日は無理を聞いてくださってありがとうございます。
 急に歯が痛くなって歯医者さんに駆け込んだようなことになってすみませんが、よろしくお願いします。

と挨拶した。
かれこれ20年は美容院には行ったことがなく、フットレストが引っ込まない寝椅子に仰向けに座って洗髪してもらうのも久々でちょっと戸惑ったが、親切なスタッフのおかげで恥ずかしい思いをすることはなかった。
それにしてもさすがは美容師、”ブリンケン(米国国務長官)さんみたいな颯爽としたおじさん(彼とは1歳違い)になれるような髪型を”、というリクエストをしたら見事なカットで応えてくれて、別人のようにしてくれた。
それなりの出来だったようで、

 大丈夫ですよ、堂々と(講演を)やってきてください

と励ましてもらった。

何も知らない人の目には、海の横の美容室で優雅にカットしてもらっているオジサンに映るだろうが、私にとってはそれなりに大事なことだった。
早退できたのも、昨日の午後に入っていた外科とのカンファレンスが、彼らに緊急手術が入って1時間はやめてくれと頼まれたというのもあったし、妻の担当の美容師さんが出勤していたというのもあった。
そもそも、週末に講演なんかなければ、髪の毛なんか少し伸ばしていただろうし、仮に行きたいと考えても床屋さんが退院するのを待っていただろう。

それなりに大事とはいっても、どうでもいいっちゃどうでもいいことだ。
要は人それぞれ理由というかそういうものがあって、それに従って生きているということ。
人に接する時には、相手なりの立場、考え方があるということを常に意識していたい。
屁理屈ではなく

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!