こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

蛍狩り@鎌倉

2016年05月31日 | 鎌倉暮らし

鎌倉には蛍の生息地がいくつかある。私の家の近くにもそんな小川があって、毎年少なくとも一度は犬の散歩がてら蛍狩りに行く。
今年も蛍が飛びはじめたというので、仕事帰りに見に行った。子供たちが小さかった頃は連れ立って何度も行ったものだが、今では声をかけても親についてくることはない。「今年はどう?」なんて、帰宅したあとに私たちの報告を聞いてくるのが関の山だ。

橋の上から川を覗き込むと蛍が何匹も見える。一目10匹ぐらいは飛んでいるようだ。近くの道まで出てきているのもいる。

それに、平塚の方に住んでいる職場の同僚も言っていたが、あっちでも蛍が出てきたようだ。今年の蛍は気が早いようだ。

気候変動のせいか、たまたまか、それはわからない。

橋に行くと、近所の親子連れがたくさんいる。ああ、こんな頃もあったな、などと昔を懐かしんだりするが、それが、息子を連れてきたときのことか、娘を連れてきたときのことか、二人一緒に連れてきたときのことか、思い出すことができない。子どもが成長するのは早いし、親が年を取るのはもっと早い。

 どんな水が甘いのか

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はじめに・・・病理医に興味のある君へ(1/10)

2016年05月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

多くの病理医にとって業務上大きな春の学会2つが終わった。この先は、自分の専門分野に特化した学会、研究会が続いていく。結構な労力と時間、さらにはお金を払って勉強をする。忙しいものだ。もちろんその間にも、日々の診断業務は途切れることなく続く。

 先日、病理医になろうかと思っているという医学生から、一般の病理医のことがよくわからないというようなコメントをいただいた。そこでコロ健、病理医の仕事内容とか意義、やりがいを紹介しようと思っていたのだけど、じっくり考えてみると、内容は多岐わたっていて、一筋縄ではいきそうにない。5月中に始めようと思っていたのだけど、ほぼひと月遅れになってしまった。

ともあれ、大学とか研究所とかで活躍している病理学者と違い、市中病院の病理医がどんなことをして、仕事と向き合い、自分の人生を考えているのかを紹介していきたい。一応見出しは全部で10としてみようと思っている。 もちろん病理医といっても十人十色、これはコロ健という病理医の1例に過ぎないということをあらかじめ、お断りしておく。

 いつもの記事をとり混ぜて

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学会でおつかれさま

2016年05月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

臨床細胞学会@横浜、二日目。

学会に参加すると当然のことながら疲れる。私の場合、その原因を3つ挙げるとしたら以下の通りになる。

まずは出番があると、それだけで疲れる。自分の発表があったらそれこそ大変だし、座長でも結構疲れる。

次に、聴講。勉強するというのは当たり前のことだけど、疲れる。もちろんお尻も痛くなる。

そして、最後は人間関係となる。

今回の学会もやっぱり疲れた。でも、私の出番はなかったので、1番目は関係がなかった。

次の聴講。好きな講義だけ聞くのならそうでもないのだろうけど、日本専門医機構の専門医資格更新用のプログラムも考慮して何を聞くかを決めなくてはならず、よけいに疲れる。おかしな話だと思う。

そして、人間関係にしても軽々しい口をきかないように注意しなくてはならず、結構疲れる。誰かとすれ違っても挨拶するだけにするのが一番だろう。とにかく今回の学会はこのことでとても疲れた。

 

 

なんだかんだと二日間、よく晴れた横浜での学会が終わった。もちろん空を見たのはセッションの合間のごく一瞬だった。

 

 せっかく横浜だったのに

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横浜での学会

2016年05月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

第57回日本臨床細胞学会および国際細胞学会2016が今日からパシフィコ横浜で始まった。臨床細胞学会が出している細胞診専門医資格というのは、病理専門医以外には、臨床現場にでることの少ない病理医がとることのできる数少ない資格のひとつだ。



なかなか勉強する機会もないので、年次学会は大切だ。そんな学会が、横浜で開かれると、鎌倉市民としては少し嬉しい。毎日遠路都心まで通っているのが半分の横浜で済むというのはなんだか得した気分だし、何より神奈川県民としてホーム感があるのがいい。



学会場を一歩出ると全くの観光地。コロ健にとってはこの観光地感がまたしっくり来る。

 参加費には頭が痛くなります

 

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自分が書いた本を読む勇気

2016年05月27日 | 日々思うこと、考えること

この間出版した本のことも落ち着いた、というか、Facebookでも騒がれることもなくなったのでそうなんだろうと感じている。今はAmazonの売れ行きランキングのようなものもあって、自分の出した本がどこに位置づけられていて、どんな状態なのかがわかって、面白い。新品の在庫がないと、倍の値段で中古で売っていた。こんなところにも市場原理が動くものとは驚いた。


学術書なので、もともとベストセラーを狙ってはいるわけではないけれど、お世話になった編集者、出版社の方達にご迷惑にならないぐらいは売れて欲しい。
発売されたすぐ後は乱丁落丁誤字脱字があったらどうしよう、とおっかなかったが、たまたま本を買ってくれた病理医がいて、サインがてら標本を見て欲しいということがあったので、本を開きながら解説したら、問題はなかった。それなりによく書けていそうなので、そろそろ勇気を出して読もうと思う。

 論文よりもある意味怖い

 

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サミットはどこで?

2016年05月26日 | 日々思うこと、考えること

今日からサミットが始まった。昔のように経済強国がああいえば、こうなるという時代ではないが、それでもそれなりのおおごとだ。勤務先は都心で、ニュースによれば外は厳戒態勢らしいけど、顕微鏡の横の小さな窓から見える空は曇っていて、首都高速の外壁に特段変わったことは見えない。



でも、世界でなにか大きなことが起こっても、今、私が診断している患者さんにはあまり関係のないことかもしれないと考えると、なんだか妙な気がする。
病気だからといっても、実際はいろんなことを考えているだろうけど、もし自分が手術後だったり、化学療法中だったりでしんどかったらそうなってしまうのではないかと思うのだ。病気とはそれほど深刻なことだし、天下国家、世界平和を考えるには、まず健康が必要ということか。

 

まずは目の前の仕事

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過労死しては仕方ない

2016年05月25日 | 日々思うこと、考えること

先日、仲のよい某大学の臨床医学系の教授と話したとき、彼に「先生、仕事のしすぎには注意して下さいよ、先生はとても大事な人なんだから」と言ったら、「そうなんですよね、毎日一時、二時まで仕事していると、過労死って、この先にあるのかと思えたりするんですよね。」などとかえされた。彼には教室員もいるし、何より家族がいる。仕事にせよ家庭にせよ、死んでしまったら元も子もない。少しペースを落としてやっていって欲しい。


彼の足下にも及ばないが、私もこのところちょっと忙しくしている。忙しい自慢は何の足しにもならないということを自覚しながらやっていくしかない。これはなにも医者に限った話ではないだろう、世の中の中高年層みんなに共通の問題だ。

最後に彼が「幸い、ヒューマンストレスはないんですよね。」と言っていたのは何よりだし、今の私にもそれは無い。

 ほどほどに

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CPCの準備 by 病理医

2016年05月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

もうすぐCPC(Clinicopathological Conference. 臨床病理症例検討会)があるので、準備を始めた。

そう、緊張することではないのだけど、新しい施設でのデビュー戦なので準備は念入りに行いたい。上司がやってきたプレゼンテーションの方法を踏襲するのもいいけれど、多少は私なりのカラーも出したい。

だが、そう言いだすときりがない。力の入れ方が難しい。

 

 とにかく仕事てんこもり

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今日は日曜、お休みだ

2016年05月22日 | 日々思うこと、考えること

今日は日曜。

今年度から土曜も仕事日となり、昨日も仕事だった。こうなると、休みのありがたさがよくわかる。

というわけで、天気のよい今日はゆっくり休んだ。といっても、原稿の仕上げをしてからだが。

それはそれでいいことだろう。来週末は学会で休みもないし、CPCも近い。

ところで、桂歌丸さんの跡を継いで笑点の新司会者となる春風亭昇太さんは、56歳。若作りなので驚いたが、私より年上。大喜利がうまかったのも当然だ。

彼は彼で、歴史を作っていくことだろう。そして私は私で自分の歴史を作っていこう。

オリーブの花

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デジタル化時代でのヴィンテージとは

2016年05月21日 | 電脳化社会

帰りがけ、ホームから見える風景を撮った。そのまま載せるのも芸がないので、画像処理をしてみた。“ヴィンテージ”というそうだ。印画紙に焼き付けた写真だが、こんな色褪せた写真、わが家にはたくさんある。



家族写真を見ると、ある時期からデジタル化されている。私と妻が付き合っていた頃の写真は今やまるっきりヴィンテージだ。この間、デジタル化しておこうと写真立てに飾ってあったのを取り込んだが遅かった。修正しても今撮ったようにはできなかった。
子供たちの写真のうち小さい頃のはやっぱりヴィンテージだ。一番可愛かった頃の画像が色褪せていってしまうのは切ないが、だからこそヴィンテージということなのだろう。大きくなってからは恥ずかしがってなかなか撮らせてくれなくなった。残念なことだ。
それはさておき、デジタル化が当たり前となり、100年も経ったらこのような画像処理に郷愁を感じることはなくなるだろうし、意義も分からなくなるに違いない。



病理の古い顕微鏡写真は35mmスライドになっていて、古いのは褪色してしまっている。必要に応じて古いパラフィンブロックから標本を作り直したらまた元のに近い標本ができるので、古い症例のデジタル化への以降も可能だ。だが、最近ではスペースの関係で、大昔のブロックの処分が歴史のある施設では問題になってきている。ヴィンテージどころではない。貴重な症例を財産にすることができるのか、未来を見ながらも処分していくのか、難しいものだ。
なお、今はバーチャルスライドシステムというのがあって、スライドガラスをそのまま丸ごと取り込んでデジタル化することができる。

 私もそろそろヴィンテージ

 

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早起き鳥のさえずりをききながら

2016年05月20日 | 鎌倉暮らし

朝、いったん家を出たら帰ってくるのは夜遅く。それほど遅くなくても、明るいうちに戻ってくることはできない。家にはただ寝に帰るだけ、いることができるのは日曜日だけという毎日だと、都内まで通勤する人間がわざわざ鎌倉なんかに住む必要などないのではないかと思う。娘も高校を出て子育て環境を考える必要もなくなった。



最近、よくそんなことを考えるが、夜明けが早くなり、少し考え直すことがあった。それは小鳥たちの声。今朝のようなことがあると、鎌倉ならではのことかと考えたりする。
年をとると、朝早くに一度目が覚めることが多い。冬場はまだ真っ暗なのでそのまま二度寝に入ることができるが、今のように明るくなっているとそうもいかない。この時期だけだが、朝の空気は湿度が低く、爽やかだ。せっかくなので窓を開け、空気を入れ替える。そしてもう一度布団に入ると、小鳥たちの声が聞こえてくる。
今朝の早起き鳥は二羽のウグイス。裏山から声が聞こえてくる。一羽が「ホーホケキョ」とさえずると、少しの間を置いてもう一羽がこれに応じるかのように「ホーホケキョ」。さえずりにはいろいろと抑揚もあって、聞いていて飽きない。互いに意識しているのかいないのか、競い合うかのように情感たっぷりにさえずっている。
しばらくの間、そんな風にこの二羽だけがさえずっていた。私からは二羽それぞれが同じぐらいの距離にいるように聞こえる。時々山から出かけるカラスが慌ただしく「行ってきます!」と言っているように鳴いたり、「朝ご飯だよー!」と合図をしているかのようなシジュウカラの声が聞こえてきたりもする。それに混じって新聞配達のバイクの音。人も起き出してきた。それぞれの音がいったんおさまると、あの二羽のさえずりが続いている。びっくりするほどほかの音は聞こえてこない。東の空が明るくなってきたけど、少し雲がかかっている。顔を出して裏山を探すが、ウグイスは用心深い鳥、姿はもちろん見えない。



そんなさえずりを聞いているうちウトウトしたら、目覚ましの音。いつの間にかすっかり明るくなっていて、多くの鳥たちがにぎやかにさえずっている。ご近所も起き出して、また一日が始まった。このあと、一つのびをしたら、身支度をして、朝食を済ませて出かける。都内まで満員電車に揺られ、通勤客でごった返すターミナルに突っ込んで行く。通勤時間や通勤のストレスのことを考えたら、職住近接が良いに違いないと判っていても、今朝のようなことがあると少なくとも体力が持つ間はこのまま頑張ろうと考え直したりする。

 ナイトが元気な間は引っ越せないか

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バラ育ての勉強

2016年05月19日 | ガーデニング・菜園・花・緑

今月のNHK趣味の園芸のテキストの特集は『バラの季節』。仕事帰りに買い、帰りの電車で読んだ。バラ育てが長い人にとっては当たり前のことと思われるようなことがたくさん書いてある。



バラの種類、名前は知っているともっと楽しそうだ。人間も同じで、バラの病気を知ることで、それを予防することができる。もちろん、土や肥料のことは子供を育てるのと一緒だ。ただ、切り戻しについては今ひとつ分からなかった。一株ごとに条件が異なるため、普遍化するのは難しいのだろう。基本的な方針に沿ってやっていくしかなさそうだ。
これまで、シーズンが来るたびに見よう見まねでやっていたけど、こうして少し勉強するだけでずいぶん違う。結局のところ、何事も勉強だ。ドイツの宰相ビスマルクの言葉に「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」というのがあるそうだが、“歴史に学ぶ”とはすなわち勉強するということだ。経験だけではどうしても限界がある。



シーズンはじめについた花を一番花というのも知らなかった。そして、これからの手入れ次第で次々と美しい花を咲かすことができるようだが、早くも何枚かの葉には黒い点が。梅雨の季節を乗り切るのも難しいようだ。勉強するとかえって怖さがよくみえて来もする。あれこれ不安を感じながらも、できるだけ手をかけていってやろうと、美しい花を見ながら思う。

 鉢はどこまで大きくしたらいいのか?

 

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私とコロの共通項(4/4)同病相憐れむ

2016年05月18日 | 犬との暮らし

コロの高血圧の原因は複合的だ。病院受診で緊張する白衣高血圧が一番、そして、心臓の不調が二番目にあるが、私はそればかりではないと思っている。コロが今回高血圧を示した原因の一つに例のダックスフントを抱いた美女とはしゃぎすぎたせいもあると思っている。マルチーズのコロにどこまで人間の女性に対する審美眼が備わっているかはわからない。たまたま近くにいた彼女が、犬好きだったのがすぐにわかっただけかも知れない。それでもあのお尻ふりふりは恥ずかしかった。

後日、再診したところコロの状態はそれほどひどくはないということに落ち着いた。だが、先生から「コロちゃんはガラスのハートの持ち主ですから、気をつけてあげて下さい」と言われた。私たちが思っている以上にナイーブな性格なのだろう。 それに、コロはいつも家中のことに気を配っていて、先日ナイトが戻したときも、一生懸命吠えて、異変を人間に知らせてくれた。緊急地震速報のときなど大騒ぎになる。というように、常に緊張していたら、美女の有無にかかわらず血圧が上がってしまうのも無理はない。

私にしてもコロにしても、年齢に伴う変化が押しよせてきている。経年劣化とでも言ったらいいだろうけど、そういうものがあると、まわりの環境の変化にもストレスを感じ易くなる。生き物の命というものは、薄い氷の上に乗っているようなもの。簡単にひびが入って割れてしまう。コロと私、互いにいたわりあって生きていくことができるといいのだけど、気難しいコロと付き合っていくにはいろいろ気を遣わなくてはならない。

 

そうはいっても、互いに緊張しやすく高血圧という共通項があると思うと、同病相憐れむで仲間意識のようなものを感じることができる。かれこれ10年、ペットではなく同居犬、そんなつもりで一緒に暮らしているけど、神様が引き合わせてくれた家族の一員、大切にしてやっていきたい。 ところで、私の健診の時、受付をしていた事務の方が綺麗な女性だったということが私の血圧に影響を与えた可能性はないと考えている。

 私ははしゃいだりしないから

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私とコロの共通項(3/4)白衣高血圧

2016年05月17日 | 犬との暮らし

おかしな咳の原因の精査のために行ったレントゲン写真と超音波検査の画像を見せていただきながら、コロの病状説明を聞いた。コロの診断名は『僧帽弁閉鎖不全症』。そして、このため高血圧を呈しているという。僧帽弁とは、肺から心臓に戻った酸素をいっぱい含んだ血液が入る左心房というところから、全身に血液を送る左心室との間にある弁のことで、これが閉ましにくくなってしまうのがこの病気だ。弁が閉じにくいものだから、血液を左心室に全て送れず、左心房に戻ってしまう。このため、左心房が大きくなって気管支を圧迫している可能性があるという。犬と人間、同じ哺乳類でも体型が違うので症状の出方も違ってくる。それにしても、それぞれの体型はどうしてできあがってきたのだろう。

 

 

先生が続ける、「あとは、血圧ですね。」

 

そう聞いて、コロ健ギクッとした。私もつい先日、職場の健康診断で血圧を測ったら高かったのだ。元々少々高いところに、私は白衣高血圧がひどい。軽く20は上がってしまう。結局、3度計り直したが高血圧の範疇に入ってしまった。そんなことを思い出して、また血圧が上がるのを感じてしまった。

 

先生は、「コロちゃん、緊張しやすいので、もしかしたらそのせいもあると思いますが、心臓のほう(僧帽弁閉鎖不全症)が原因になっている可能性もありますね。」と説明してくださった。

コロも白衣高血圧。私とコロにそんな共通項があったなんて、コロに今まで以上にシンパシーを感じてしまった。小さいときに親から離され、ペットショップのショーウインドウの中から飼い主を求めるようなことをしていたのだから、心もすさむだろう。コロはとくに大柄だったので、人気もなかったらしい。だから、私たちがコロを連れ帰るときに、ペットショップの店員が「(その時もう一匹いたマルチーズをさして)あっちのこのほうが先に売れて、この子(コロ)はダメ(売れない)と思っていたんですよ。よかったねー、マルちゃん」と言っわれていた。子犬心にさぞつらかったろう。そういう過去があるので、緊張しやすいのではないかと、一瞬思った。でも、本当にそうか。

(明日につづく)

 コロにとっての人間

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