こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

もっと空いているかと思っていたが

2013年04月30日 | 通勤・交通・旅行
今年のゴールデンウィークは最大で10連休となるそうだ。何かあったときに、頼りにしている医療関係の会社も10連休で、ここのところ困っている不具合の修理に来てくれるのは5月7日とのことで、少々参っている。工場などは、中途半端にラインを動かしたり止めたりするよりは、しっかり休んだ方が効率がいいらしい。それに習ってと言うことかもしれないが、医療関係の機器はちょっとそれでは困るような気がする。

まあ、いずれにせよ、連休の谷間となる今日明日明後日、ほかの会社もずいぶん休みになって、朝の通勤も随分楽になるだろうと思っていたら、そうでもなかった。10日も続けて休んでいられない人も多いと言うことか。
学生は全く休みでは無さそうで、見た目の混雑はいつも通り。
さすがに、いつもより1本前の電車に空席を見つけることができたが、鎌倉駅で一番前に並んでいれば、その電車2回に1回は座ることができるので、特段得をした気持ちにはならない。

切り出しのときについてくれた技師さんに、
「今日、意外と(電車)混んでなかった?」と振ると、
「そうなんですよね、もっと空いていると思っていたんですけど、全然でした」
とのことだった。
なんでも、その技師さん、家で仕事に出たのは一人で、ほかの人は皆10連休とのことだった。
せめて電車だけでも空いててくれれば、溜飲も下がったろうに。

それでも、病院にくれば、休みの間にも診断を待つ検体は出ている。
病理だからといって、休むわけにはいかないし、今日も明日も術中迅速も入っている。
急ぎで結果を知りたいという生検の予約もある。

ちなみに、明日の予演会の準備は、まだである。


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いくつになっても、発表は・・・

2013年04月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
さすがに学会の準備が間に合わなくなってきた。
朝のうちに、フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩を済ませて、今日も大混雑の鎌倉を朝のうちに脱出して病院に向かった。
それにしても、9時半と言うのに鎌倉駅は大混雑で驚いた。
下車してくる人をよけてホームに上るのは一苦労だった。

のんびり歩いて、昼前には病院についた。残っていた診断をして、さあ、学会の準備に取りかかろう、と思った瞬間、首が痛くなって動かなくなった。これがホントの首が回らないと言う状態だ。

まいった。

最近、腰痛とか、肩こりの原因としてストレスが注目されているが、まさしく今のコロ健がそう。
この、首の痛さはまさしくプレッシャー以外のなにものでもない。

今度の学会は、臨床系の学会で、病理診断のコメンテーター。
コメントのポイントは、
「ある遺伝子異常がわかっている疾患で、このような病理所見があったのだが、その鑑別はどのようにすればいいか」
というもので、非特異的病変をどのように説明するかという、とてもややこしい症例の病理診断解説である。

で、これをどう解釈していくかということなのだが、難しい。

今回は、簡単に起承転結形式で話を作ることにした。

起・・・臨床経過と症例の問題点。なんで、病理に相談したのか。
承・・・病理所見
転・・・文献考察
結・・・考察・結語

って、いつもと同じじゃないか。

と思ったのだが、初心に帰って、このようにしてスライドを作ってみるのもなかなか面白い。

などというようなことをやっていたら、いつの間にか首が動くようになっていた。

まずは、明後日、教室の先輩相手に予演会を開いてご意見をいただくことにする。
いくつになっても、いつまでたっても発表というのは、大変で、苦手だ。
一つ間違えると、首が回らなくなるのも仕方ない。

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読書日和

2013年04月28日 | 読書、映画、音楽、美術
大型連休、それぞれの人が思い思いの休暇を取っていることだろう。

鎌倉にも大変多くの人が来た。その人たちと入れ替わるように、私たちは鎌倉を脱出した。
高1の娘のバレーボールの大会があるので、昨日までの親父の個展の手伝い疲れはあったものの、朝から妻と一緒に応援に行った。

地区予選と強化試合とが組み合わさったような大会で、勝ったら当然次の試合に進むが、負けても敗者復活戦に回るので、1日中試合が組まれていて、結局都合3試合応援する羽目となった。

1試合、4,50分で、1試合もしくは2試合空いて、またもう1試合、というような塩梅。
試合と試合の間、読みかけの本を読むことにした。
敷地の広い学校だが、中学高校ということだからか、キャンパス内にベンチなどない。
これが大学だったら、そこここに座るところもありそうなものだ。
仕方なく、植込みの横に腰かけてあわせて2時間くらい読んだ。

目の前のサッカー場でも気持ちのいい晴天のもと、試合が行われていた。少し先にある野球場からも歓声が聞こえてきた。

私には絶好の読書日和となった。

青空には雲がちらほら見える。

湿度は低く、気温は20度ちょっと。はじめ日陰にいたら、少し肌寒くて、日なたに移動した。

今日の本はビブリア(古書堂の事件手帖)の4巻。鎌倉の描写がたっぷりあって、決してつまらないわけではなかったのだが、読んでいて、あまりの気持ちよさで時々うとうとしてしまった。

ビブリアの4巻、ゆっくり楽しく読了できた。


打ち上げ、金婚式

2013年04月27日 | 家族のこと
親父の絵の個展、盛況のうちに今日で終わりとなった。
玄人はだしの絵をかく医者、というかプロになれるであろう腕があったけど、それほど裕福ではなかったという家庭の事情で医者になった、というようなな親父の絵であったが、大変すばらしい、個展を開催することができた。

個展の打ち上げを、近くのホテルの宴会場で多くの親戚を集めて行った。
両親は今年で金婚式を迎えたということもあり、打ち上げというか、親父たちの金婚式の会を祝う会、というような集まりとなった。

血縁とはいえ遠い親戚も多く、先日作った家系図がとても役立った。

不肖コロ健、ハネムーンベイビーであり、今年で50歳。
両親の結婚の歴史は、私の人生と同じ長さだ。
なんとか、会を仕切ることができた。

50年前の結婚式の写真を引っ張り出して、いろいろ取り込んで、スライドショーをつくった。お袋はずいぶん喜んでくれた。このとき私はまだこの世にいなかったのは言うまでもない。


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また、かかりたい病院

2013年04月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
残念ながら病気になってしまった場合、別な病気、再発にかかわらず、またかかりたいと思う病院とそうでない病院とがある。

自分に命を与えてくれるような医者、というのはいない。すなわち、名医というものは、数は少ないものの、少なくとも一人ではない、ということが明らかになっているので、かかりたい医者というのも取り替えが可能になってきている。
念のためいっておくと、その病気にかかった患者さんの数が多い疾患に関する名医はたくさんいるが、10万人に1人とかしかかからないような病気に精通した医者というのは少ないので、その医者が必ずしも名医でなくても、代わりがみつからない患者さんもいる。

さて、なぜそうなったかと言えば、医療技術があまねく世間に知れ渡り、少なくとも技術的に隠すことができなくなってきているからだ。あとは、経験さえ積めばある程度のレベルに達することはできる。
その経験を積むために、多くの若い医者は多くの患者さんが集まる病院で研修する。
病院側としても、もうけは別として、病院のレベルを上げるためには、多くの医者に来て欲しいし、そのためには多くの患者さんにも来て欲しい。要するに、経営努力が必要となる。

病院にとっての経営努力とは何か。一昔前なら、名門大学附属病院、名門病院といったようなところにかかって、教授とか教授級という偉い先生に盲目的に診てもらっていた。そういう病院でしか知られていない伝統技術、知識というものがあり、他所の病院の医者はそういったことを知らなかったわけだから、やむを得ない。
だが、いまや、そうではない。頑張っている医者、腕のいい医者というのは、どこにでもいる。病院間の技術格差が狭まりつつある。そういう状況になってくると、どこで差をつけるか、ということになる。

重要なのはもてなしの精神だろう。建物が立派で権威がたくさんいても、そこに行って不愉快になっては仕方が無い。
受付が不愉快、看護師がぶっきらぼう、採血で技師が不親切、レントゲンをとるときに恥ずかしい思いをした、掃除が行き届いていない・・・、そして医者が患者を馬鹿にしている。
そんなことが積み重なると、患者さんは簡単に病院を変えてしまう。

病院というところは誰も来たくないところである。だから、そこに働く職員は、愛想良く、明るく、来た人を元気にするようにおもてなししないといけない。

というようなことを考えていたら、何も、病院に限った話ではないということに気がついた。
たとえば、遊園地。先日、東京ディズニーランドが30周年をむかえた。30年前に初めて訪れたときは、働いている人(キャスト)たちの愛想の良さ、明るさに戸惑ったが、それこそが楽しさの元で、アトラクションなど二の次だった。
それまでの遊園地といえば、係員がめんどくさそうにアトラクションを動かし、客は恐縮して楽しませてもらっていた。ディズニーランドは、キャスト全員が、客を楽しませている。

医療技術(=アトラクション)に差がつきにくくなった今日、病院では医療従事者(=職員=キャスト)全員が患者さんに対して明るく、元気に接しないといけなくない。めんどくさそうに働いている、ネガティブな人のいる病院には誰も来たくない。そんな病院からは、患者さんは別のところに移ってしまうだろう。
なお、前提となる医療技術は高くて当然である。

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病院というところ

2013年04月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
病院というシステムは、病める人を癒し、治すために成り立ってきたものだ。注)

人はだれしも、いつも健康でありたいと思っていて、病むことを忌み、嫌う。もし病んだ時にはなるべく早めにその元を治して欲しいと考えている。
そのために、病院に来て、医者の診断、治療を仰ぐ。
現状より健康になりたいという人は、スポーツジムに行ってマシンやプールで汗を流したり、ウォーキング、ランニング、サイクリングをせっせとこなす。心を休ませたければ、観光地に行ったり、湯治に行けば良いだけの話である。
病院というところに来たい人、というのは、基本的にはいない。好き好んで、病院になど来る人というのはいないのだ。だから、自分自身が病気であったり、検査であったり、お見舞いであったり、病院に来ている人というのは、ほとんど人が仕方なく、やむを得ず来ているということになる。
ただし、産科で赤ちゃんが生まれたときは別である(だから一時期、私は産科医になりたいと思っていた)。

誰も来たくないところ、などというところはそれほど良い場所とはいえない。
従って、病院は負のエネルギーが多いところといえるし、そういうところに、私たち医療従事者というものは勤務している。
当たり前のことだが、なかなか気がつかないことだ。
そういう意味では、精神的にもしんどいことは多い。
病理医をやっていても、しんどいことは多い。診断の正確さを求められるのは当然だが、そこで私たちがする診断によって、患者さんの治療方針が決まっていくとなると、その責任はいつもいつも重大である。病理外来で、患者さん本人や、ご家族に病気・病状を直接説明するときもある。

だけど、私たちは、その道を選んだのだから、負の場所で負の存在であってはいけない。
そういうところで、常に明るく、ポジティブな存在でなくてはならない。

病院というところが、どんなところで、どうあるべきか、毎日、忘れずに考えて仕事をしないといけない。

注)西欧ではもともと教会に附属した巡礼、浮浪者、貧しい病人、困窮者の収容所(hotel)に医師が常駐するようになって、近代的な病院(hospital)になった(川喜田愛郎「医学概論」より)。


子供にあれこれ言えるのか

2013年04月24日 | 家族のこと
息子も大学生になり、それなりに忙しそうに過ごしている。

たまに、話す機会があると、「大学はどう?部活はどうした?」なんていうことを聞く。
勉強しろとはさすがに言わないが、家で食事をしないときは連絡をしろとか、少しは家の手伝いをしろとか言ったりする。

フラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩にしたって、名付け親なのだからして当然である。

子供扱いと言えば、それまでだが、言った後で気がついたことがあった。
息子に何か言う資格が私にあるか、ということ。

そもそも私と言う人間、人様になにか言えるようなものを持ち合わせてはいない。
そうすると、息子に対してだって何か言ってやれるようなものは無い。
これから先、なにかしら名を残すようなことができれば多少はそんなこともできるかもしれないが、難しそうだ。

とすると、そもそも私には子供にあれこれ言う資格などそもそも無かったのではないかと思う。

「いや、小さい子供にはそれなりに必要だ」という考えもあるかもしれないが、その時々に親は子供に差し出せる語ることのできる“何か”がなくてはいけないように思う。

そしてそれは子供が小さくても同じである。

幼い子供のことをしつけだ指導だと、虐待するような親に“何か”があるとはとても思えない。
これが子供のことを叱る資格が自分にあるか、ということだ。

だが、私をはじめ、世の親の誰がどれほどのものを持っているだろう。

可能性が無い、という点からすれば子供たちの方がよほど大きな“何か”を持っている。
だから、子供にあれこれ言う前に、私は私で”何か”を持っているかを確認し、もし何も無ければ自分自身が“何か”を持った上で、子供と対峙なければならない。そうでなければ、子供を馬鹿にしていることになる。

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5時19分

2013年04月23日 | 日々思うこと、考えること
今朝も5時19分に目が覚めた。ここのところ、しょっちゅうだ。
スマホのアラームは5時40分にセットしてあるので、少しだけ睡眠時間を損した気分になる。

日の出が早くなり、私の部屋の薄手のカーテンでは春の朝日を遮ることができなくなったせいもあるかと思うが、休みの日は、早くても7時頃までは目が覚めない。やはり仕事のせいで体が緊張していて勝手に目が覚めるのだろうと思う。
それに通勤も比較的空いている電車に新人さんたちが集中しはじめていて私もうかうかしていると座ることができないという緊張感のせいもある。

いずれにせよ、そもまま寝続けることはあきらめて、起きる。
顔を洗って、コーヒーをいれ、フラットコーテッドレトリバーのナイトを起こして、水を換えるといういつも通りの作業をしても、いつもより20分早いので、その分時間が余る。

二度寝しようとしても、そう簡単には眠れない。

だが、窓を開けて、朝の清々しい空気を吸い、鳥達の声に耳を澄ますと、ずいぶん得した気分になる。
今年のウグイスは始めから歌が上手なので、結局、この目覚まし時計の声を聞きながら、寝ぼけた頭をすっきりさせていくことになる。
やがて、スマホにセットした5時40分のアラームが鳴る。

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寒の戻りとはいうものの

2013年04月22日 | 日々思うこと、考えること
先週末は北海道から東北の上空に4月としては数年に一度の強烈な寒気が流れ込んだそうで、昨日は一日中寒かった。昨日の午後には鎌倉市議会議員選挙の投票のために、フラットコーテッドレトリバーのナイトを連れて、ちょっと外出したが、とても寒かった。
東北地方では積雪があったようで、Facebookでそれを嘆く友人のコメントが数多く出ていた。
まあ、寒かったおかげで、家系図を無事完成させることができたので、文句は言えない。

今日も、引き続き寒く、都内に入ってからは強烈な北風が吹いていた。
風で体温が奪われるという状態に陥って、背広だけでは寒さをしのげないほどだった。
病院近くの公園の鯉のぼりもピンと泳いでいたが、気持ち良さそうと言うよりは紐にしがみついているのが大変といった風だった。

今年は、桜の花がずいぶん早く咲いたが、若干寒くて花の時期は2週間ほどあった。
そのまま、暖かくなるかと思ったら、今度の寒の戻りだ。
寒の戻りとはいうものの、昨日は寒すぎた。

やっぱり、4月は4月で、やっぱり春で、そこここの新緑に惑わされてはいけないようにしないと、体調を崩してしまうこともありそうで、気をつけないといけない。



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家系図

2013年04月21日 | 家族のこと
親父が長年の趣味であった絵の個展を開く。その最終日に、親戚で親父を囲む会を開こうということになった。
コロ健と妻とでその会を準備することになったのだが、案内状を出していて困ることがあった。誰が誰だか、わからない人が多いのだ。
これでは、親父が中心とはいえ、少し遠い親戚だとお互いわからないことになるだろう。

出席者皆さんに名札を付けてもらうというところまで考えたのだが、自分がどこにいるかはあまりよくわからない。
以前、親戚の一人が詳細な家系図を作ってくれていたので、これをもとに、お袋や、妻の家系を加えて新しい家系図を作ることにした。

昨日から、作り始めたのだが、やってみると思っていたよりもずいぶんと大変で、やり始めてすぐに後悔した。だが、今日は2月下旬~3月の寒さということもあり、結局二日がかりで作ることとなった。

最初は、A4の紙を4、5枚くっつけてかいてみた。それを見た息子が「世代ごとに書いてくれたほうが、わかりやすいんだけど」などと、難しい注文を言ってきた。
しかしながら、それの方がいいのは私にもわかったので、息子たちの世代が一番下にくるようにした。

大判のスケッチブックに下書きがてら鉛筆で書いていった。
最初のうちは、上下左右がうまく収まらず、何度も書き直す羽目になったが、最後はコツのようなものもわかってきて、なんとか親父を中心とした家系図を完成させることができた。
息子からさかのぼること8代、148名。
名だたる名家に比べればささやかなものだが、ご先祖様に思いをはせるには十分である。

筆ペンで字をなぞり、線を引いて結びつける。
ちょっと、字を間違えたり、線を引き間違えたりしたが、まずまずのものができた。

こういうのは、正しくて当たり前、全体から見れば些細なミスでも自分のこととなると、気になってしまう。修正ペンで直しても、間違った跡は残ってしまう。
完璧ではないものを親戚の会に持っていくのはやや気が引けるが、仕方ない。
何か言われたら、謝るしかないだろう。

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注意できない社会

2013年04月20日 | 日々思うこと、考えること
通勤電車内でのマナーの悪い人の多さに連日閉口していることは、こんきもで私の愚痴にお付き合いいただいている方はご承知と思うが、あらためてどうしてこんな動物園の動物の檻の中のようなところに入ってまでして、日々通勤しなくてはならないのかと、悩んでしまう。

このあいだの朝も、横須賀線の中で、私と同じくらいの年、すなわち50前後のいい年をしたおじさんたちが喧嘩していた。先に乗って立っていた人と、後から乗ってきた人とが、次に座れるように自分の前のスペースの取り合いをしたのだった。

なんで、電車の車内が動物のような感情であふれるようになってしまったのだろうか。原因を考えてみると、社会システム(さっきの場合は満員電車)の高度化、複雑化もあるだろうが、社会の持っていた相互監視の機能が消失してしまったからではないかと思った。

マナーの悪い人に対して、誰も注意しないものだから、注意されないのが、マナーの悪い人にとってはそのことが当たり前になる。マナーの悪いことが悪いと感じられない社会。

さらに、人間としての価値観はそれぞれ異なるということが明らかになってきたので、一つの価値観を押し付けることはできない。すなわち、悪いことが本当に悪いことかわからなくなってきた。

結果として、悪い(と思われること)をしても、誰も注意されない社会が生じる。

別に、通勤電車に限った話ではない。
地域でもそうだ、カミナリオヤジなどは絶滅危惧種である。
子供が悪いことをして、というか、大人から見て眉をひそめるようなことをしても、その親がいいと思えば、叱られることはない。
近所のオヤジが怒ったころで、その子らの親が逆切れしてくるだけだ。

何が悪くて、何がいいのか、わからない。だから、人を正すという行為がどうあるべきか、不明になってきている。そして、誰にも注意ができない社会が生まれている。
そして、自分自身がどうあるべきか、注意してもらうこともできなくなっている。
耳に痛いことであっても、他人から忠告を受けられなくなるというのは、残念なことだ。

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また、誰かの人生に触れる

2013年04月19日 | 読書、映画、音楽、美術
長引くことの多いカンファレンスが、昨晩は珍しく時間内に終わった。
カンファレンス後に仕事の予定を組んでいなかったので、いつもより早く病院を出ることにした。
駅前にある大型書店がまだ開いていたので、後輩がFacebookのなかで薦めていた医学書を探そうと入ってみた。

書店に入ってすぐの棚に、村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』が数冊残っていた。
「もう、追加の入荷ができたのか!」と驚いたのだが、今のコロ健本など読んでいるヒマなど一切無く、論文を読まないといけないことを思い出し、新刊は見なかったことにして、棚の前を素通りした。
あと10分で閉店なので、さっさと医学書のコーナーにいったものの、目的の本は見当たらなかった。
あきらめて、そのまま帰ろうと思った。だって、「今の私に、本など、読んでいる暇はない」のだから。

だが、ちらっとみると、まだあった。村上春樹。
1、2、3、4、5、6冊。
今日を逃したら、また、しばらく手に入らないだろう。
『1Q84』の時がそうだった。
英文抄録は出せたし、最初の発表は5月11日で、その予演会も1日。時間なら少しある。

というわけで、結局、購入してしまった。


これまでの村上作品に比べると拍子抜けしてしまうほどの薄い本。
無理をすれば、一晩で読めそうな厚さだ。

だが、ゆっくりと一文一文、ゆっくり読むことにした。



本を開けば、そこには誰かの人生があり、それに触れることができる。

難しいことはよくよく承知しているが、いつか、私も自分の人生の物語を、素敵な主人公を生み出して、紡ぎ出せればいいと思っている。

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私を取り巻くすべての出来事の集束と拡散

2013年04月18日 | 日々思うこと、考えること
連日の通勤ストレス、いまだに投稿できない英文抄録、なかなかまとまらない剖検報告書、そして、腰痛に膝痛。ざっと挙げてもこれだけのトラブルを私は抱えている。
これに加えて各種の欲望、願望などを挙げていった日には、孤独と戦いながら顕微鏡など覗いていることはできない。
こういった、私を取り巻くすべての出来事というのは、私という“点”に集束してきているものなのか、それとも私という“点”から時間的、空間的に拡散していっているものなのか、どちらなのかと悩んでしまう。

私を取り巻くすべての出来事というものが、私に集束してきているものと捉えれば、観念的には私という存在がこれらのことの良し悪しを決定できるということになり、評価する視点は自分のものだけでいいこととなる。
逆に、すべての出来事が私を起点として私から拡散しているもの、と考えた場合、私という存在は拡散されたものを受け止める側によって評価されることになる。そして、言い換えれば私は周囲のあらゆるものの目にさらされているということになる。

もちろん、どちらも極端な捉え方であり、現実はその中間か、それよりは自分寄りということになるだろう。
こういったことが自分の中から出たり入ったりして、あるときは人とかかわり、あるときは自省する。

すべてのことは、一塊になっているのかバラバラなのかもわからない。おそらく、一部でくっついていて一部ではほつれているだろう。

こうやって、毎日いろいろ考えて、書き出していると、だんだんと同じようなことに集束してきているような気がする。
それが真理であるのか、思い込みなのかはわからないが、私という存在を規定するものであることは間違いない。

ただ、私という存在がDNAのキャリアに過ぎない(ヒトにおける身体の存在意義・・・ヒトはどこから来てどこへ行くのか(3)2012年08月04日)ということを思い出すと、私を取り巻くすべての事象のどれもこれも、深刻に考え込むほどのことではないといことは確かである。
だから、もう少し、気楽にやりたいのだが、生きている場面にストレスは溢れている。
一体、どういうことなのだろう。


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魔法の飲み物?

2013年04月17日 | 日々思うこと、考えること
胡麻麦茶にカテキン茶、黒ウーロン茶。最近売店でよく購入する飲み物だ。特定保健用食品といわれる類いの飲み物だ。
一昔前だとこういう飲み物はまずくてとても飲めるような代物ではなかったが、それぞれ最近はどれもそれなりにいい味でうれしい。

胡麻麦茶などは、緩やかな利尿作用があるようで、今日のように外来があるようなときは終わってから飲むようにしないといけない。

カテキン茶は黒ウーロン茶と交互に購入している。ただ、パッケージが綺麗なので、最近はカテキン茶が多い。昼飯を控えればいいのだが、そうはいかない。午後の仕事に腹ごしらえは欠かせない。そのための助けである。

こういうものは、能書きにもある通り、飲めば飲んだだけ健康になるわけではないが、気休めというよりは多少効果があるような気がする。

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やっぱり混んできた

2013年04月16日 | 通勤・交通・旅行
去年の今頃は病理学会の準備であまり気にならなかったようだが、今年はずいぶんと気になる。
電車が混んできたのだ。

とくに、東横線が副都心線、西武線と直通運転をするようになってから人の行き来が複雑かつ膨大になってきているように思う。さらには、武蔵小杉の著明な人口増加もある。
そこに、通勤に馴れてきた新人さんがだんだんと定時に乗るようになり特定の列車に人が集中する。
ここまでは、まあいい。想定の範囲内ということにしておこう。
だが、今の時期、都内の混雑した電車に乗るのが下手な人が増える。新人さんに限らず、電車の乗り方のマナーの悪い人は許せない。私が許せないマナー違反を3つ挙げるとすれば、次のようになる。

まずは、リュックをしょったままの人。荷物は前に抱えろと、車内放送でさんざん言っているのに理解できない。通路を二人分の幅で占めてしまうので、その人の周囲でやたら混んでしまう。本人はそんなこと気がつかない。にらみつけると、逆ににらみ返される。意味が分かっていないのだろう。

次は、ヘッドフォンからの音漏れ。これは、新人さんに限らず、誰でもそうだが、困る。
満員電車で5人くらい向こうにそういう人がいると、行って注意するわけにもいかず、ひたすら目的地に着くのを待つころになる。通勤がつらいと感じることの一つの原因だ。

最後は、スマホをいじりながら歩く人。電車の乗降のとき、エスカレーターを歩いているときなど、駅の構内、ホームをスマホをいじりながら歩くなど、到底信じられないほどの危うさだ。自らの危険も、人とは違うペースで歩いている迷惑などいずれも顧みず、夢中になってスマホをいじっている。前後方注意どころではない。そういう状況に陥っているのはわかるのだが、そうなる前に自制心を持つような教育をしていかないといけない。



まあ、毎年のことで、来年の3月あたりにはまた、電車は多少空くし、電車に乗るときのマナーも良くはなっているはずだ。

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