こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

人生にはね、いろいろあるんだよ

2018年02月28日 | 日々思うこと、考えること

人生にいろんなことが起こる。

たとえ、面倒なことを避けたいと息を潜めて生きていても、無駄なこと。天変地異はいうに及ばず、転んだり滑ったりだってする。人と関わりたくなくても誰かと全く接することなく生きていくことは不可能だ。何かが起こったら、それらは全てそれぞれ別個のイベントとして経験され記憶される。

いいこと、嫌なことと捉えることもそれぞれだ。いいことと思っていたら、いつの間にか嫌なこととなってしまっていることはままあるし、その逆もある。人生には正負の法則があるというけれど、全くその通りで、最終的にはプラスマイナスゼロ。というか、最初から最後まで人生そのものにいいも悪いもないのかもしれない。

自分自身のここ数年のめまぐるしい変化を見ているとそんな風に思う。

今日は元気ない

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「感謝」と「ポジティブシンキング」

2018年02月27日 | 日々思うこと、考えること

NHKで平昌オリンピックの総括をしてい。その時の解説員が挙げたキーワードが「感謝」と「ポジティブシンキング」。メダリストが揃ってこのような言葉を口にしていたという。これまで支えてくれた家族や指導者、そういったもろもろの人たちに囲まれ、育まれてきたということをオリンピックの大舞台に立って初めて実感し、それを重圧としないで力に変えてメダルを勝ち取った。

選手のほとんどは、小さい頃、少なくとも小学生ぐらいからその競技に関わって育てられてきた。親御さんたちの苦労は推して知るべしだ。私の知り合いにも、ある競技で一家総出でお子さんを応援していた方がおられた。練習環境を求めて引っ越して行くことまであると聞かされ、ずいぶん大変なものだと思った。金額の多寡にかかわらず、子供のスポーツ教育には莫大な時間とお金がかかる。その労を厭わず応援するというのはたとえ親といえども大変なことだ。多分、そういった家族の苦労を理解しないでいたような選手は、最後の最後で日本代表になれず、もちろんメダルにも縁がなかったのだろう。コーチなどの指導者への感謝も同じ。ただの教え好きと、教える能力の高い人、というのは違う。多くの素晴らしい才能が、無能なコーチによって潰されてきたことだろうけど、そこで素晴らしいコーチに巡り会えて、才能を花開かせた選手が頂点に立つことができた。そこでも、そのコーチとめぐり合うことができた自分が恵まれているということを最後に自覚することが勝利のためには大切だった。

だからこそメダリストたちはそれらの人への感謝の気持ちを、ポジティブシンキングに変えていくことができたのだろう。破れた選手の中には自分のことしか言わなかった選手もいた。そういう選手を見ていると一体何様?という気にもなる。これまで海外のテニスやボクシングのチャンピオンが、インタビューで家族への、指導者への、自分を支えてくれたチーム全体への感謝を口にするのをよく聞いてきたが、日本にもやっとそういうことを口にすることができる選手が育ってきたということだろう。この先も、幾多のアスリートが生まれてくるだろうけど、こういう考え方ができる人でなくては勝ち抜いていけないということだ。

オリンピックの放送をぼんやりと見ていると、こういうことに気がつくことはあまりない。一生懸命、人生をかけて戦っている若者の姿から、自分の生き方を考える機会にしたい。なんで、私は今こうしていられるのか。当たり前のことだけど、私は周りのみんなに感謝して生きているか。

 

自分だけの力だと思ったら大間違い

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今週はキツキツ

2018年02月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

昨日は、平昌オリンピックフィギュアスケートのエキシビジョンを観た後、弟の引越し第2弾で東京へ。底冷えする寒さの中、大きな荷物を運び込むことができた。大きな、といっても男手は私一人で十分な程度なので大した量ではない。何はともあれ弟の入居は3月1日なので間に合ってよかった。

というか、ここで、エ?次の木曜が3月1日!?というのが正直な感想。毎年のことなのに、わずか2、3日がこれほど大きく響いて来るとは。

春休みに入り息子は高校時代の友人たちとスノボツアーに出かけて行ってしまった。娘は大学のプログラムで先々週からインドに行っている。というわけで、夫婦水入らずで家飲みし、オリンピックの閉会式を観ていたらそのまま寝てしまった。出張の疲れもあったのだろうけどずいぶん早くに寝てしまったものだ。寝床に入り直したのだけどふと目が覚めてしまう。やっぱりずっと眠っていられない。

いつの間にか息子が帰宅していたのを知り、この物音で目が覚めたのだろうと考え直したが、今日からのスケジュールを考えるとどうやっても時間が足りない様に思える。それでも、あそことここに隙間がある、と考え、まずは寝ることと思ってなんとか眠ることができた。

これというのも仕事を引き受けすぎなのかもしれないが、あと5年、60ぐらいまではきた仕事は断らずに自分でやろうと思っている。

寒さにも要注意

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オリンピックも無事おわり

2018年02月25日 | スポーツ・健康・ダイエット

日本のメダル獲得数が過去最高となった平昌オリンピック。平和の祭典も無事終わってなにより。

今日はフィギュアスケートのエキシビジョンがあって、その時にとても嬉しいシーンがあった。

エキシビジョンに参加した選手たちが最後羽生結弦選手に集まった。そのあと、羽生選手がイタリア選手にリフトされたとかいうのも話題になっているけど、私としては、選手が観客に挨拶するところで、一旦開きかけた輪の中でフィギュア女子金、銀のザギトワ選手とメドベージェワ選手が羽生選手から離れないでいたというシーンが嬉しかった。

羽生結弦は世界のスーパースター、フィギュアの女王にとっても羽生選手はアイドルというのは、自分のことでもないのになんだか日本人男性としてとても嬉しい気持ちになったのは、ちょっといけないかな?

スーパースターは大モテ

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写真はいずれも朝日新聞から


”怒り”を感じながら”怒り”を考える(下)

2018年02月24日 | 生き方について考える

昨日からの続き

このテーマ”怒っている間”に書き上げようと思っていたら、数日経ったら”怒り”も収まってきてしまった。

なんだか、笑える。


でも、まあ、そんなこと言ったら、挙げた手を下ろすところがなくなってしまうので、京都での学会帰り、発表も無事終えた帰りの新幹線という血圧が普段よりよほど低い状態で仕上げようと思う。

”怒る”というのは、誰かに対して怒るのであり、自然に対して怒る人は少ない。

なぜ、怒るのか?それは、怒ることで相手が自分に合わせてくれる、変わってくれると期待しているからだろうと思う。怒れば、誰かが自分の方を向いてくれて、考えを改める、というか自分に同調してくれる様な期待をする。だから、怒るのだ。怒りを自分の中に収めている人もいるけど、誰か、何かに対して怒っているのは変わらない。

でも、過去と他人は変えることはできない。

怒っても、自分が期待している様に相手は自分に合わせてなんてくれないんだよ。残念ながら。

みんな、自分のことで一生懸命、というか自分のことしか考えていないから、他人の言うことなんてどうでもいい。仮に責任問題が発生しても、真の被害者は怒っている当人で、怒られている人は何も悪いことはしていない。それが悪いことだとしても、やりたくてやったのではないから、そんなに悪いと思っていない。

あと、”やりたくてやった”としたらそれはそれで悪いと思っていない。

こうして考えてみると、”怒り”って馬鹿馬鹿しいし、なんだか物哀しい行為だ。

無闇に怒ったところで、それはあまり自分のためにならない様だし、”相手のことを思って”なんていうお為ごかしの言い訳をつけて怒る必要もない。何かアドバイスを与える時に”怒り”は必要ない。

経時的にみれば、最初の怒りは5〜10秒で80パーセントはおさまる。そして、残りの18パーセントぐらいも翌朝起きるまでにおさまる。

全体の2パーセントぐらいは、結構残っていたけど、3日か4日でⅠパーセントを切ってくる。

1週間もしたら99.9パーセントはおさまるだろう。そうしたら、怒るのも後々のことを考えたら馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。

(このテーマ、おしまい)

喉元過ぎれば熱さを忘れる

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”怒り”を感じながら”怒り”を考える(中)

2018年02月23日 | 生き方について考える

昨日からの続き

”怒る”チャンスを発見し、それを爆発させる瞬間、そこには圧倒的な自己正当化がある。

私が、そのトラブルを発見し、”猛烈な怒り”を感じながらも、なんとか怒りを抑えて、相手に冷静にそのことを伝えることができた。それでも、伝えている間、”怒り”が制御できなくなりそうになるのを何度も感じた。話しながら声が震え、トラブルによる累が自分へと及ぶことへの不安まで感じる。

でも、なんとか心を落ち着かせ、全体像を客観的に見ようと試みた。

何が起こったのか?

何が原因なのか?

何をするべきか?

本当にしなくてはいけないのは、これらのことを正しく把握して、善後策を立てることで、”怒ること”ではない。

 

 昨日、”9対1”でと書いたけど、私にだって少しは責任がある。人間同士が営む社会。互いに支え合って行くのが求められる。だからといって、泣き寝入りというか相手には責任をとってもらう必要がある。『何かをしなくてはいけない』のは相手側だ。そして、その処理さえしてくれたら”必要はない。

そして、私はこの、”怒る事が(私なりに)正当化されうる状況”という滅多にないチャンスを得て、コントロールがつかなくなる事が多いのが悩みのタネの”怒り”について、考えてみようと思った。

もちろん、その考えをまとめる場は、このブログ。どうやってまとめよう。

明日に続く

今日の発表は無事終了

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”怒り”を感じながら”怒り”を考える(上)

2018年02月22日 | 生き方について考える

人間は自然の猛威に対して怒ることはない。怒っても仕方ないとわかっているからだ。少なくとも人間は、長い間そうやって自然の気まぐれを受け入れてきた。

本当はそうなのに、最近では自然の猛威に怒りをぶつけるような言い方をよく耳にする。どうやらそれは、森林伐採、化石燃料の消費によって変えられてしまった地球環境に対して漠然とした不安の混じった怒りをそれぞれの人が抱いているからではないかと思う。

なぜそうやって、”怒り”に満ちた気持ちを自然に対してすら抱くようになってしまったのかと考えたら、その向こうに、”人間”がいるからだと気がついた。

なんでそんなことに気がついたかというと、9対1ぐらいの割合で、私の方に分があるトラブルが最近あった。

その事態がわかった瞬間、まさしく怒り心頭に発す、という感じで、自分の心臓の鼓動が聞こえ、血圧も一気に上がるのがわかった。血管が切れるというのはまさにそんな時のことをいうのだろう。


でもそこで、「あれ?俺(コロ健)怒ってるの?」と気がついた。

仮にその場で私が怒って、私が言いたい放題言っても、相手は返す言葉もなく、ただ聞くだけ詫びるだけの一方的なものとなることはわかりきっていた。

血圧を上げてまで怒りをぶちまけて、かえってこちらの寿命を縮めて何になるのだろう、と、それじゃあまるで憂さ晴らし。

せっかく健康に気をつけてジムにまで通うようになったのに、そんなことではもったいない。怒りは5秒だか10秒でおさまるというのも思い出し、まずは心を落ち着かせようと、深呼吸した。そして、今度は頬を軽く叩いて爆発したくてウズウズしている怒りを抑えた。

それから、相手に相手のミスでトラブルが起きたことを伝えた。

そして、今沸き起こった気持ちこそが”怒り”だと感じた。この”怒り”を分析したら、私は”怒り”をコントロールできるのではないかと考えた。

明日に続く

怒りを向ける相手は人間

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眠りが浅くなってきた

2018年02月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

年明け早々の2月から3月まで続く大きなイベントのうち、1月締め切りの原稿は先日、2週間遅れで脱稿した。でも、一難去ってまた一難。次は明後日の症例検討会。

診断困難例をどう解釈するか、本当に診断困難なのか、見落としはないかというのを改めて検討する。こう書いただけで、いかにも難しそうで、実際難しい。

病理組織像からは代謝性疾患のようなんだけど、それだけでは臨床経過が説明できない。遺伝性の因子の関与を考慮しなくてはいけないのだけど、この分野は専門というわけではなく、少々苦戦を強いられている。

 

プレゼンテーションの事が気になって、夜中に何度も目が覚めてしまう。起きたからといって、そこから仕事に取り掛かるわけではなく、手洗いに行ってくる。幸い、また眠る事ができるのだけど、また1、2時間で目がさめる。この繰り返しで朝を迎えるというのが、ここ数日続いている。

今日などは少し開き直ってきているのだけど、今度は週明けの合同カンファレンスでのプレゼンテーションが気になってくる。年に数回ゲストスピーカーとして呼んでいただいているのだけど、それはそれでハイレベル。自分自身の勉強のためにもとても有意義なカンファレンスなので、いつも頑張っているのだが、今回は時間がない。これまた眠りが浅くなる原因だ。

まずは目の前の仕事を

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お詫びというか注というか・・・:

今日(22日)の記事を書いていたら、昨日書いたこの記事をアップしていなかったことに気がついた。

うーん、しっかりしろ、コロ健!

ということで、くだんの症例検討会は明日


うう、またこの季節・・・花粉飛散の3K

2018年02月20日 | 日々思うこと、考えること

目が少し痒く、喉の奥も痛い。
口の周りもなんだかカサカサするし、頬もかゆい。頭も痛い。
以前だったらこれは風邪をひいたかと思ったところだけど、もうこれが花粉症の症状だということは素直に受け入れられるようになって来た。都民の40パーセント以上が花粉症だとかで、もうほとんどの人は花粉症ということだ。
こうして、電車に乗っていたら左右どちらかの人は花粉症だし、目の前に立っている3人のうちの一人は絶対にそうだし、実際一人はさっきからずっと鼻をすすっている。

天気予報だと今日は、大山鳴動鼠一匹、雨や雪は降らず、天気は3月中旬並みになるとか。そして、快晴(K)・乾燥(K)・気温(K)が高いで、花粉が飛ぶ3Kの条件がそろうとのこと。こういう時は、目の前を大量の花粉が飛んでいるのが目に見えるようだ。

こういう時、病理医は部屋にこもって仕事をして過ごすことができることに感謝する。

 

花の季節は楽しみだけど

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笑顔は無敵

2018年02月19日 | 日々思うこと、考えること

平昌オリンピックをテレビ観戦していて思うのは、選手の笑顔の素晴らしさ。

全力を出し切り、勝利を手にしたときの心からの笑顔は本当に素晴らしい。喜びの爆発というところでは、お国柄もあってちょっと違和感を感じることもあるけれど、笑顔は皆共通でとても素晴らしい。

勝利に届かなくて、悲しい顔を見ることもあるけど、そんな状況でも"やりきった!”というようなさっぱりした笑顔を見ることもある。これもまた素晴らしい。今できること全てを出し切って頑張った清々しさは何物にも代え難い。

全ての笑顔は見る者に大きな力を与えてくれる。笑顔は無敵のエネルギー源だ。オリンピックから力をもらうことができるというのは、本当のことだけど、いつも勝者は一人、数多くの選手が辛い思いをすることになるけど、悔いのないよう、国の違いを超えて全ての選手に頑張ってほしい。

私も脱稿できてニッコリ!

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もう、2月18日

2018年02月18日 | 日々思うこと、考えること

平昌オリンピックが佳境を迎えてきたところで、気がついたら2月も半ばすぎ。

家に仕事を持ち帰ったけど、天気が良くてついのんびりしてしまって、ほとんど進まなかった。

羽生結弦選手と宇野昌磨選手の金銀フィニッシュをみせられたら、仕方ない。あと、カーリングも面白い。明日から、頑張ろう!

早春

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明るくいく

2018年02月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

結局、昨日のうちに仕事は片付かず、というか仕事を整理してみたら、ほかにもなんだかたくさん出てきてしまった。引き受けすぎちゃったつもりはないのだけど、どれもこれもが時期的に集中してしまっている。

暗く考えても詮無いこと、羽生結弦選手と宇野昌磨選手のスケートをみて、元気をもらって私も明るく、頑張っていこう。

なるようにしかならない

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体に悪いことは早く終わらせてしまおう

2018年02月16日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

朝は放っておいても血圧が上がるので、ゆったりとした気分で起きるといい。

それは分かっているのだけど、原稿を催促される夢で起きた日にはもう朝から心臓の鼓動まで聞こえてきそうだ。

実際、昨日催促のメールが来て、まずいとは思っているのだけど、どうも最後の仕上げができないでいる。私だって、それなりに頑張っているといいたいのだけど、頼んで来た方もプロで、プロがプロに頼まれた仕事だという自覚を持って引き受けたのだから、頑張らなくてはいけない。

なんとか、今日中に終わらせたい。

といっても、今日は診断当番。なるべく早く終わらせて時間を作って、その催促されている仕事だけでも終わらせようと思う。何といっても、これでは体に悪いばかりだ。

他にも先延ばし案件が・・・

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変わらない景色、変わってしまう風景

2018年02月15日 | あの頃のこと…思い出話

先日の弟のグループホームへの入居の手伝いは午前中のうちに終わらることができたので、午後には妻とドライブをした。

結婚前からよく行っていたところで、葉山の少し先。

畑の間の農道を歩いていると急に目の前が開けて海が一望できるところがあって、ここが私たちのお気に入りの場所だ。

手前の藪も、向こうの小さな漁港も、30年前とほとんど変わらない。

結婚してからは子供達も何度か連れてきたことがある。いつの間にか、その子供達は大きくなって、4人一緒にここを歩くということももうなさそうだ。

漁港の近くの魚屋で安くて美味しい地魚を買い込み、家で食べるのが楽しみだった。その魚屋も変わらずある。東京あたりからも、プロの料理人が買い付けに来るとかで、結構繁盛しているようだ。

ここには写しこまなかったけど、この左手は大規模な開発が行われて、緑は半分ぐらいになってしまい、景色は随分と変わったものになっている。

人口が減少していく社会で、なぜ、豊かな緑を伐採して大規模な宅地を開発しなくてはいけないのか全く理解に苦しむ。新築の家を建てたいのならば、今ある古屋を更地にして新しいものを建てたらいいのに、どうしてそうできないのだろう。業者さんとしては大規模に開発してまとめて売る方がいいのはわかるが、残り少ない自然を守る手立てはないものだろうか。

それにしても、人間というのはなんとまあ地球にとって迷惑な存在だと、なんともやりきれない気持ちになる。

歴史ドラマの中の景色が羨ましい

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浮気はいいけど、不倫はダメ。やっぱりどっちもダメ!

2018年02月14日 | 妻の名言

二月になって、ずいぶんチョコレート売り場が目だってきたと思っていたら、いつの間にやら今日はバレンタインデー。
妻と娘だけからしかもらえなくなって10数年になるが、今年はいよいよ妻だけしかくれなかった。いつかこうなるとはわかっていたが思っていたよりも早かった。

先日妻が「テレビのお悩み相談みたいなので、夫の浮気に困っているっていうのがあったの。それへの回答は"旦那さん、家には帰ってくるんでしょう?ならいいじゃない。どんと構えていたらいいのよ、妻の座ってそういうものよ"とかいうのだったの。」などと言いだし、「浮気ぐらいはいいけど、不倫はダメよね」と言ったので、コロ健すかさず「え、浮気ならいいの?」と、驚いて聞き返した。すると少しだけ考えてから、「やっぱり、どっちもダメ!」と返されて終わった。



まあ、たしかに浮気というと、あとくされのないサッパリした関係のようにも聞こえるけど、たいていはそうはいかない。一度そういうことがあると、どちらからともなく(男からの方が多そうだが)「また今度会わない?」となり、結局不倫になだれ込む。不倫といえば渡辺淳一だけど、あの人の周りの人を無視しての自分たちばかりを正当化した小説はどうも気持ちが悪くなるが、だいたいはあれが本当のところだろう。でもまあ、だから人の道に外れることとなるのだろうけど、やっぱりやってはいけないことのように思える(『不倫をしたら陰で悲しむ人がいる(上)』『不倫をしたら陰で悲しむ人がいる(下)』)。ということで、ちょっとのつもりだった浮気がいつの間にやら不倫になってしまう。義理チョコもらって鼻の下を伸ばすのも悪くはないが、悪ノリしておかしな浮気心を出したりしないように気をつけていなくてはいけない。

最近人気の近所のチョコレートやさんだそうた

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