こんな気持ちでいられたら

初老まぢかの病理医が日々思うこと。
人の気持ちを思いやり、プラス思考で笑顔で楽しく生きていこう!

災害から学ぶ。奇貨居くべし

2018年09月05日 | 東日本大震災・自然災害

昨日の台風では関西地方に甚大な被害が出てしまったようで、災難に見舞われた方々にはお見舞い申し上げます。

台風は日本海を駆け上がって行ったわけだけど、今年の日本列島への自然災害のひどさは尋常ではなかった。天災は自らの意思でどうにでもなるものではないだけに、被害が出てしまうと、なんともやりきれない気持ちになる。

色々な意味で、これがいまの日本への自然からの警鐘だとしたら、これからのこの国土を見直し考えていくよい機会としてうまく利用することはできないだろうか。まさに奇貨居くべしだ。

関空が水没したことから何を学ぶか。多くの建物から物が引き剥がされてしまったことから何を学ぶか。

いつかやってくる巨大地震に備えることはできるか?

関西だけの問題ではない、日本中が試されている。

同じことを繰り返さない

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判断のズレにご注意を・・・強力台風21号来襲

2018年09月04日 | 東日本大震災・自然災害

今朝、家を出るとき雨は小康状態、というか降っていなかった。強力な台風21号がやってくるというのは朝から付けっ放しのテレビニュースの天気予報で散々聞かされていたのに、その時だけ油断して傘を持たずに出てしまった。ナイトの散歩はないので家から車で送ってもらううち、急に本降りとなってしまった。

この時間、ナイトの散歩でよくすれ違う人の何人かが犬と一緒に雨宿りしている。雨が止んでいるからと、出て来てしまったのだろう。

駅で車を降りるときはもう土砂降りで、濡れながら予備のビニール傘を取り出し、電車に乗り込んだ。

台風の時は、ちょっとした時間差で天候が大きく変わる。皆さんもくれぐれもご注意ください。

仕事は仕事で行かなくちゃ

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外遊の取り止めと災害対応

2018年07月10日 | 東日本大震災・自然災害

総理大臣が外遊を中止した。国益にかなう重要な目的があるのだったらば、今回の、犠牲者が百人を超えてしまったという、戦後最悪の豪雨災害という国内の問題は担当大臣に任せて赴くことも必要だったのかもしれないが、それは適当ではないという判断となった様だ。もともと、今回の外遊には疑問の声も上がっていたらしいから、賢明な判断だろう。

この様な大災害が起こるたびに思い出すのは、東日本大震災での当時の枝野官房長官の奮闘ぶりだ。未曾有の大災害に対し、国民の先頭に立って対応していた。当時の菅総理も頑張っていた。その時の判断が間違っていたということを言う人がいるけれど、あの時の為政者たちは国難を乗り切るため、何が最善策であるかを探るために必死だったことは確かだ。今回の災害では国のトップの人が何を考えているのかがわからず、不安になる。

私たち(国民)はあの人たちにとってどの様な存在なのか、ということが見えてこない。国のトップに泥かきをしてほしいなんて誰も思っていない。それよりも、こういうリーダーがいるからこそ、安心して復興に取り組むことができる、また立ち上がろう、という気持ちを持たせてほしい。

家々に流れ込んだ土砂をあっという間に綺麗に流し去ってくれる魔法なんてない。復興には気の遠くなる様な時間と根気がいる。そんな時にこそ、政治家は復興の先頭に立って国民に元気を与えなくてはいけないと思うのだけど、どうもこの国のおじさん政治家たちは、そのような術は持ち合わせていないようで、脱力してしまう。

洪水に見舞われた知り合いが、「逃げたいけれど、様子見している」、というようなことをFacebookに書き込んでいるのを読むと、災害対応の難しさを痛感する。 亡くなられた方々にはお悔やみ申し上げます。

災害の惨状<<政治の惨状

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安倍首相、11日からの外遊取りやめで調整=豪雨対応を優先(時事通信 2018/07/09-13:27)

安倍晋三首相は9日、西日本を中心とする豪雨災害への対応を優先するため、11日から予定していた欧州・中東訪問を取りやめる方向で調整に入った。豪雨による死者・行方不明者が多数に上り、被害規模も拡大すると予想される中、国内を不在にすれば批判を招きかねないと判断した。11日にも被災地を視察する方向で調整に入る。立憲民主党など野党からは海外出張を延期するよう求める声が出ていた。
首相は11~18日までの日程で、ベルギー、フランス、サウジアラビア、エジプトの4カ国を訪れ、ブリュッセルでは欧州連合(EU)との経済連携協定(EPA)の署名式などに臨む予定だった。
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備えよ常に

2018年06月19日 | 東日本大震災・自然災害

日本の建築物はしっかりしているので、よほどのことがなければそれ自体が倒壊することはないだろう。
津波に対してはなかなか厳しく、防ぎようもないけど、落下物や火災による被害の発生は防がなくてはいけない。

昨日の大阪北部地震では倒れた塀の下になって亡くなった方がおられたようだ。リスクは身近なところにある。

ある意味、私たち日本人は安全ボケ、平和ボケに陥っていたのかもしれない。戦争や内戦、テロが常時起きているような国にいる人たちは、神経をすり減らしながら生きている。地震大国と口では言いながら喉元過ぎれば、では元も子もない。

災害に対して、私たち自身が常に備えなくてはいけないのはもちろんだが、自治体レベルぐらいで身近なリスクを低減させることに取り組む必要がある。

昨日は通常の仕事が忙しすぎて、学会の準備が何もできなかった。いつもだったら、くどくどと今日のテーマを書き連ねるのだけど、今日はこの辺にして準備に取りかかります。

学会の準備も備えていたのだけど結局直前

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静かな海を見て思う

2018年03月11日 | 東日本大震災・自然災害

変わりやすい春の天気。朝のうちは少し雲が多かったけれど、昼前には綺麗な青空となった。

ナイトを連れて海を見に行った。

風は強かったけど、海面は比較的穏やかだった。

その時、地震が起こって、津波が来たらどうしよう、とは全く思わなかった。今日が3月11日だというのに。

帰って来て、テレビで東日本大震災を振り返り、防災への取り組みについての番組をみて、これではいけないと思った。

7年経って、いつの間にか海の怖さをすっかり忘れている。私の中で、3.11が風化しつつある。さっき、地震が起こったとして、私はナイトを連れて山へ向っただろうか?

7年前の大地震で命を失った人たちが残してくれた様々の教訓を無駄にしてはいけない。

そなえよつねに

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遅い夏期休暇もおしまい

2017年10月08日 | 東日本大震災・自然災害

夏休み休暇を使っての旅行は今日でおしまい。妻と青森まで車で行った。

常磐自動車道で帰還困難区域を抜けた。浪江村を通った時、人は誰もいなかった。前後の場所も、除染作業だろうか、作業員の人の姿がちらほらと見えただけだ。海の方には原発の煙突が見える。これほど広い範囲が汚染され、人の住めない場所となっている。汚染土を包んだ黒い袋がところどころに集められて、山積みとなっていた。田んぼのあったところはそのままの形の荒地となっていて、ススキと黄色の花をつけたセイタカアワダチソウが競うように咲いていた。

今度の総選挙の争点の一つでもあるけど、原発のことは、よくよく考えないといけない。


帰りに松島に行ったら、津波の時の写真が飾ってある店があった。

東日本大震災は終わってなかったし、そこから新しい歴史が刻まれつつあった。

往復車はやっぱり疲れた

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そなえよつねに・・・平成28年熊本地震

2016年04月15日 | 東日本大震災・自然災害

熊本地震で被災された方に、お見舞い申し上げます。



熊本は二度訪れたことがある。整備された熊本城は気高く美しかった。だが昨晩の映像で湯気のように白煙がたっているのが見えて悲しい予感がした。案の定、夜が明けての映像は昨晩以上の悲しさだった。

地球にしてみたら、日本のどこも区別などついていないのだろう。日本は北から南までグラグラと揺れる不安定な板かなにかの上に乗っていて、あっちが揺れ、しばらくたつとこっちが揺れで、いつまでたっても落ち着くことはなさそうだ。日本に住むということは、そんな危険と背中合わせということだろう。

先日、鎌倉の津波シミュレーション(鎌倉市津波シミュレーション動画)が公開されて、反響を呼んでいる。鎌倉消防署の屋上に何人上れるのかわからない。そもそも救急車、消防車がみんな流されたらどうするのか、NTTの防波堤があっさり流されたのち、鎌倉警察が使い物にならなくなった時に大船警察からすぐに応援がきてくれるのか、とか心配はいろいろあるが、とにかく海の近くにいるときに大地震が起きたらひたすら逃げるしかないことだけは確かだ。 これは鎌倉に限った話ではなくて、日本に住む人すべての問題だ。

 身の回りを改めて点検

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5年経って私は

2016年03月11日 | 東日本大震災・自然災害

今年の3月11日は5年前と同じ金曜日。

コロ健は相も変わらず、同じ職場に出勤し、同じような仕事をして一日を終えようとしている。少々、つらいこと、面倒なことはあるものの、家族皆が健康で、雨露しのげる屋根の下で暮らしていられることがどれほど幸せで、ありがたいことなのか、感謝しながら生きている。だが、感謝と同時に、この間、私は何をしてきたのか、何を考えてきたのか、どう成長してきたのか。そんなことを改めて考えると、日々生きることの繰り返しの中に自分が埋没してしまっていることを知って驚く。

ここ数日、このブログの記事に物足りなさを感じる。もちろん、マスコミ報道だの、ネットでの話題をとりあげていったら、“ネタ”には困らない。けれど、一つ一つのことについての意見には賛否両論あって、そういうことにいちいち首を突っ込んでいたら自分が振り回されてしまうし、私がここで声高にそれぞれのことに対して意見を主張しても、社会的影響は乏しい。自分のしていることに意味が無いとは思わないけれど、そういう、政治的、社会的、思想的なテーマについて考えて書き出すのは、私の考えている情報発信の形とは違う。

ブログなんて、自分勝手に好きなことを書けばいいのだろうけど、ふと目にした人が不愉快な気持ちになるようなものは書きたくない。でも、そんなことがないようにといくら気をつけたところで、不快になる人がいるのは、時々そんなコメントをもらうことからよくわかる。記事に物足りなさを感じるのは、自分が考えていることがよくわからない、というか、少なくとも考えていることが言語化できていないことが原因の一つだと思う。仕事を含め、人間社会のストレスを言葉にしているうちは いいけれど、そういった視点から離れてしまうと、自分の本質ということがいまだにわからない。そんな風に感じるのだ。毎年の3月11日の記事を読んでも、私は少しも成長していないようにみえる。もう少し心を豊かにしていかないと、せっかく生きながらえている命を無駄にしているように思える。

 今年は天気が悪かった

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どこにも逃げ場は無いわけで

2015年05月31日 | 東日本大震災・自然災害

「地震のとき、どこにいた?」と娘に聞かれた。私は都内にいて、車の運転中だった。JRの駅前の信号待ちをしていたら車が揺れているのに気がついた。「あ、地震だ」と思って外を見ても、歩いている人は気がついていないのだろうか、みんな平静に見える。FM放送はクラシックを流しつづけていた。AMにしたら地震速報が流れていて、確認できた。

小笠原を震源とする地震だが、津波の心配は無いということでホッとした。娘が通っている塾は海抜の低いところにあるので、地震がきたらどうしようといつも心配しているからだ。

 

昨日の地震、震源が地中とても深かったために、程度の差こそあれ日本列島、北から南まで揺れたみたいだ。日本中どこにいても地震からは逃れられないということを悟らされた。

東日本大震災までの数年、日本には地震が少なかったことが不思議だったというようなことをいう地震学者も多い。いまやすべての地殻が連動して動き始めているようだ。映画だったらこの状況をことさら強調して観ているものを不安に陥れるのだろうが、現実世界ではどうしようもないのでそのようなことはしない。

 

いつの間にか、摩天楼よろしく高層ビルがニョキニョキ建っているのを見ると、日本は地震に対して安全というような錯覚に陥ってしまう。たしかに技術力で少々の地震では建物は倒れないが、火山の噴火や津波にはさすがに勝てまい。一昔前は、地震、雷に対する一種の諦めのような感覚があったが、今はみんなそれを忘れている。

今一度、そういう国土で暮らしているということを自覚して、防衛論議よりも防災論議を考える国になってほしいと思うのだが。どうだろう。

 

 

そなえよつねに 
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台風一過と大地震

2015年05月13日 | 東日本大震災・自然災害

 日本列島、今の時期には比較的珍しい台風の直撃を受けた。ちなみに5月に台風が日本に近づいたのは4年ぶりのことだそうだ。その台風6号は時速70キロを超える猛スピードで、あっという間に日本列島を縦断していった。

 昨日は良い天気にもかかわらず傘を持って出かけた。日中はもとより、就業時間を過ぎても雨は降らなかった。帰り道、風は強かったものの、小さな雨粒を時々感じるだけで、傘を差すほどのことにはならなかった。さすがに夜、鎌倉に帰り着いたときには台風の雨となっていたけれど、駅まで妻に車で迎えにきてもらったので、結局一日傘は差さずにすますことができた。夜中のあいだずっと暴風雨が吹き荒れていたが、さいわいい倒木やら、裏山の崖崩れはなかった。

そして台風一過の今朝、すこしばかり雲は残っていたものの夜来の雨風がうそのような晴天の朝を迎えることができた。 

ところが、さあ出かけようというところでテレビで緊急地震速報が流れた。マルチーズのコロがけたたましく吠える。

東北地方で震度五強の揺れがあったそうで、横浜あたりも少し揺れたらしい。津波の心配はないというのでほっとしたが、東北地方の方はさぞ不安だったろう。一週間ほどは警戒が必要とのことで、しばらくは落ち着かない。

 日本という国、火山の心配も絶えないが、これほどダイナミックな自然現象、気候、地形の国土だからこそ魅力的に感じる。さまざまな災害に毎日備えているのも気苦労が耐えないが、考えようによっては日々軽く緊張していることが、脳への刺激になっているのかもしれない。

とはいえ、大災害だけには決してならないでもらいたいと祈ってしまうのは、都合がよすぎるか。

地球も生きている 
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それでも私は生きていく

2015年03月11日 | 東日本大震災・自然災害

東日本大震災から今日で四年。毎朝通る、私と同い年の石灯籠が倒れた神社で、震災で亡くなられた多くの方々のご冥福を祈って手を合わせた。

四年経ち、不肖コロ健、いまだ生きている。

人間というものは、社会的な存在でいるしかないという点で、極めて矛盾に満ちている。自分が存在するために他人は必要なのに、しばしば他人は邪魔になる。

そして、人と人とのいさかいは尽きることなく、身近なところも含め、あらゆるところで日々悲劇が起こる。

だが、そのことがいやだからといって、おいそれと退場することもままならない。

人は生きるために生まれてきたのであると、自分の存在を肯定しながらも、死ぬために生きているのだと、自らの生を否定しながら日々を送る。

それでも、きっと、私たち生きながらえているものは生きていかなくてはいけないのだろう。

いつ死ぬかもしれない、生というあやうい状態を延ばすことができるのであれば、そうしたほうがいいに違いない。

 残念ながら私にはその正しい理由はわからない。

だけど、四年前の今日、津波に巻き込まれて亡くなっていった人、寒さで亡くなっていった人、火災で亡くなっていった人、そのほかいろいろな、理不尽な亡くなり方をした人たちのことを思うと、今ある自分の命を粗末にしてはいけないと思う。

この命が何かの役にたてばと思うことは、私が生き延びることの目的になるだろうか。


来年の三月十一日に

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夕食はみんなで一緒に

2015年03月10日 | 東日本大震災・自然災害

わが家では夕食は基本的に四人そろって食べる。もちろん誰かが外食をするというのなら、それは別である。

 

妻以外の3人それぞれが学校もしくは塾なり仕事なりから帰宅し、少しくつろげば、あっという間に食事の開始は11時過ぎとなる。

この、家族みんなで一緒に食事をするということが、私の減量の妨げとなっているのは明白だが、それ以上に大事なことなのだとふと気がついた。そして、これを実行している妻には信念があったということにも。

結婚して妻と暮らすようになってからは二人一緒に食べ、息子が生まれてからは三人一緒に食べるようになり、娘が生まれてからは四人一緒に食べている。当たり前のことのようだが、なかなか実行するのは難しい。それでも妻は、家族それぞれの行動パ ターンにあわせて、みんないっしょに「いただきます」「ごちそうさま」ができるようにしている。

人と人はいつ別れることになるかもしれない、だから一緒にいることができる時は、できるかぎり共に過ごす。妻はそんな信念を持っていて、夕食をみんなで食べるのは、それを貫いた生き方の一つの表れのように見える。

今日は70年前に東京大空襲で十万人もの人が亡くなり、明日は4年前の東日本大震災で一万五千人以上もの人が亡くなった。そして、世界中のどこかで、今も多くの命があらがいようもなく、突然失われている。

人はいつか死ぬ存在だから、生きている限り死は突然やってくる。それは仕方のないことだろう。だからこそ共に生を分かち合える機会は大切にしなくてはいけない。

 

人の生き方にはいろんなスタイルがある。だから、毎夜の夕食を一家でとる必要などないという考えだって、あって当然だ。

ただ、生きるかてをともに口にできる幸せを誰かと分かち合うのも悪いことではない。

それは家族との食事であったり、職場の飲み会であったりする。

そのことがつらいという人も少なくないようだ。少しでも多くの人がその場を楽しんでくれるようにお互い気を使いたい。

神さまに感謝して 
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家族との食事が辛い…拒食と過食、摂食障害に向き合う

ノーツマルシェ 2015年3月10日(火)22:00

■ 摂食障害で受診した患者は推計1万2千人

先月2月26日付『朝日新聞』朝刊の社会面に次の記事が掲載されました。「摂食障害 治療して向き合えた」。この記事の中で、美人の姉に対して劣等感をもち、過食と拒食を繰り返すようになった女性が登場しています。

摂食障害とは、食事に関する行動の異常が特徴である精神疾患であり、過食しては吐く。また極端な食事制限で体重が激減するなどし、患者の9割以上を 女性が占めるといわれています。 この疾患については様々な原因や理由が挙げられますが、家族の影響があることも以前から指摘されています。

■ 家族が顔を合わせる夕食が苦痛

通常、家族団らんといえば食事やテレビを見たりすることですが、楽しい思い出がないという人もいます。母娘関係改善カウンセラーの筆者に寄せられる 相談の中には、食事といえば父親が酒に酔い怒りだす、暴言を吐くなどしていつも怯えていた。または父親不在の中、母親の愚痴を聞きながら食卓についていた という話もあります。さらに、兄弟姉妹の中でつまはじきにされ、自室でとるようになった人もいます。

摂食障害というと、ダイエットをきっかけに始まることが多く、痩せるのに執着するあまり、拒食、過食を繰り返すといったイメージがあります。です が、筆者のところに来られる相談者の中には、痩せたい理由ばかりではなく、家族との食事が苦痛だったことから食べる意欲がわかないという人や、食事という と嫌な思い出ばかりで嫌悪感が募るという人もいます。

自室で取るようになると、惣菜を捨てることもでき、親に隠れて食事を制限することができます。しかし成人になって結婚した後も、その状態が続くこと も。一方、娘が摂食障害であることを全く知らない親もいます。摂食障害は心の病と密接な関連があり、メンタルケアを通して改善されたケースも多数もありま す。隠し続けるのは本人が一番つらいことであり、ぜひ相談できる人や場所を探して自身の問題と向き合うことをお薦めします。

[執筆:真香(母娘関係改善カウンセラー), 2015年3月10日]

【参考】※ 『朝日新聞デジタル』「摂食障害、治療して向き合えた 過食のち絶食、何度も食品万引き」2015年2月26日


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時が戻せるものであるならば

2014年03月11日 | 東日本大震災・自然災害
東日本大震災とそれに引き続いて起こった福島第一原発の事故から今日で三年。
あの日の悲劇の記憶はおそらく長い間、私たちの心に残るだろう。
もし、一度だけ時間を戻せることができるのであれば、3年前の昨日に戻したいと思う人がいるかもしれない。だが、それでは足りないと思う人もいるだろう。原発が作られる前に戻したい人もいるだろう。大震災とは関係なく、9.11前とか、原爆投下前とか、そういったときに戻したいと思う人もいるだろう。



そういうマクロレベルから、もっと個人的なレベルで時間を戻したいと思う人もいるに違いない。
十人十色である。
全ての人がそんなことをしたらとても収拾がつかなくなってしまう。



だが、心配しなくても、誰にもそんなふうに時間をいじることはできない。
時間は一方向にしか進んでいかない、

悲しい思いにしても、悔しい思いにしても、時間とともに過ぎ去っても、それを消し去ることはできない。
時間を元に戻せないのだから、仕方がないのだ。
そう考えると、泣けてもくる。



人間は起こってしまったことを糧として日々を生きていくしかないけれど、それができるからこそすばらしい存在であるともいえる。
明日を良く暮らそうとすることが、希望というものかもしれない。


罹災したすべての方の明日がより良いものになりますように 
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『空飛ぶ広報室』と東日本大震災に関わる私の記憶

2013年06月24日 | 東日本大震災・自然災害
TBSテレビの日曜劇場『空飛ぶ広報室』の放映が昨日で終わった。最後まで、一家で楽しませてもらった。一テレビドラマの感想をただ書き留めるというのはどうかと思ったが、最終回を観て、どうしても記憶しておかなくてはならないことがあるのだとあらためてわかった。

2011年3月11日に起きた東日本大震災のこと、私は少し忘れていた。

ドラマを見終わったあと、あの時の不安、混乱を思い出し、心がざわめいてなかなか寝付けなかった。震災に関連したメールは、未だに捨てずに保存している。
最終回冒頭のメールのやり取りのようだが、私が関わったメールをいくつか挙げておきたい。



妻へ送った1本目のメール。一番最初のメールは、発生から1時間後だった。

送信日時:2011年3月11日 15:51 タイトル:収まったかな
(親子)3人一緒だったんですね。
安心しました。
医局の本棚から少しノートが落ちていましたが、すぐ戻せました。
ひどい人は、ずいぶんひどい状況です。
電車が動くようになるまでどうするか、考えます。
返信メールは携帯に下さい。


送信日時: 2011年3月30日 10:48  タイトル:「東北地方太平洋沖地震」被災地支援へのカレンダー送付ご協力のお願い

各位
平素より、お世話になっております。
さて、「東北地方太平洋沖地震」被災地支援へのご協力のお願いを致したく、個人的にメールを出させていただきました。
今般の大地震では、多くの方が被災されたことは皆様ご存知のことです。すでに、皆様方、様々の方法で支援活動を行っておられることと思います。
さて、被災地では、たくさんの家財道具のうち、カレンダーも消失し、大変困っているとのことです。長引く避難生活により、日付の感覚が失われるということは、阪神淡路大地震の際にも問題になったそうです。
そのようなことで、私どもは被災地へのカレンダー送付を準備しています。
今年のカレンダーで、余っているものがありましたら被災地への送付をご検討ください。
すでに、行っておられるようでしたら、いいのですが、もし、カレンダーの余りがあるのに、送る手だてが無いという状況でしたら私にお預けください。
責任を持って被災地に送ります。
送る方法は、
(中略)
私まで、お届けくださる場合は、さしあたり、4月8日(金)までにお願いします。
量の多寡は問いません。カレンダー一部あれば一人、いえ、もっと多くの人が助かります。
また、皆様の周りでもカレンダー送付の輪を広げていただければ、幸いです。
ご無理の無い範囲で結構です。
被災された方へのご支援、よろしくお願いいたします。
用件まで。

この時のカレンダーは、お役に立っただろうか。このあと、妻らで企画した復興支援イベントのお手伝いをした。



あの日は金曜日。夜に高校の同期会を開こうということになっていた。その中止の連絡が来た。
高校のメーリングリストに投稿されたメールのいくつか。

送信日時:2011年3月11日 17:37  タイトル: Re:
宮城の○○、大丈夫かな?
××

約1週間後、返事があった。

送信日時: 2011年3月17日 23:23  タイトル:無事です。(○○)
同級生の皆様、この度はご心配いただきましてありがとうございます。○○です。私の自宅は宮城県□□市にあり、この度の大地震で自宅から300m付近まで津波がきました。仕事場は宮城県△△市で海岸から400m位離れたビルの2階にありますが、1階が津波で床上浸水しました。仕事場は地震の揺れにより中はめちゃくちゃで、器材の交換工事等を行うため回復するまでは1ヶ月位かかりそうです。自宅は2日前に電気が開通し、本日固定電話が開通しましたが、依然として水道とガスが不通です。仕事場はライフライン全て不通です。皆様がテレビ等でご覧になっているとおり、津波の被害は甚大です。私は現在自宅にて過ごしてますが、自宅も仕事場も本当に紙一重で津波から逃れることができ、たいへん運がよかったと思ってます。今も余震が続いていますが、関東地方も地震が多発する様になってきているようですので、ご注意ください。ライフラインが一瞬にして全て通じなくなるのはたいへん怖いです。さらに、地震で怖いことは揺れで室内が散乱することよりは、火事により煙に巻き込まれることと津波です。地震発生日の夜は、火事と津波からいつでも逃れられるように車内で過ごしました。救いは家族全員が健康なことと、停電で町中が暗いと星空がたいへんきれいに見えることです。

石油会社に勤めている友人からのもの。

送信日時: 2011年3月30日 21:23  タイトル:燃料供給状況
☆☆です。■■に会社組織の中で応援に行きましたが、◎◎のスタンドもかなりの数が津波の被害に遭いました。支店の社員が連日被災した販売店さんを訪ねて、今後燃料供給ができるのか確認に回っていますが、ご家族の安否が不明の方もいますし、ご家族を亡くされた方もいます。スタンドが津波で跡形も無くなり廃業を決めた販売店さんもいます。状況の悲惨さには本当に辛いものがあります。

良い話としては◇◇県内のガソリンスタンドも徐々に立ち上がり始めています。供給量はすぐには回復できませんが、タンクローリーでスタンドにガソリンが入れば、その量により車は台数制限があるので並ぶのですが、20L前後は1回に入れられるようです。元売各社でガソリンを融通しあい、できるだけ広い地域に満遍なく行き渡らせる動きもあります。緊急車輌は緊急車輌専用のスタンドが割り当てられていて決められたスタンドでの給油が必要です。燃料供給支援はまだまだ継続的に頑張る必要があります。
できることは限られているので、できることを一所懸命にやるのみ、それしかできませんしそれで良いと信じています。
☆☆

送信日時:2011年3月19日 13:27   RE:◆回生の皆様へ
◆回生の皆様、ご無沙汰しております。
★★です。
同窓会には参加出来ずに大変残念でした。
私は現在、※※国に在住です。
こちらにはNHKプログラム中心の日系ケーブルテレビがあるのですがいつものように夕食後、退屈な番組を観ていたときに地震速報が流れて状況を知りました。
そのまま番組は街々が津波に飲み込まれている姿を流し続けました。
結局、そのまま今日の午後(8日間休み無く)までコマーシャル無くNHKのニュースを24時間流しておりますのでもしかすると日本で仕事をこなしながら生活している皆さんよりも状況把握しているかも?
(中略)
ボランティアへ伺おうと考えているのですが、被災地は未だ入れる状況に無くただただ離れた地から手を拱いているばかりです。
そこでお願いですが、何方か猫の手でも借りたいを言う方いらっしゃいませんか?
玄関でも貸して頂ければ寝袋、食料持ってでも伺います。
後方支援等、なんでも必要とされているからどうかご一報ください。
★★

彼はその後、被災地で連日黙々と、大変な活躍をされたと、Facebookで知った。
ほかにも多くの旧友、知人が震災復興へと走り、いまでもそれを続けている人もいる。

もっと、いろんなメールを載せたいが、とてもではないが載せきれない。
メールを読み返すと、いろんな人がいろんな思いで大震災を受け止めていたことがわかる。その事実を覚えてもいる。だけど、少し忘れていたこともあった。

先日会った被災地在住の友人が「だんだん、忘れられてきているんだよね」と、さびしそうに言っていた。

『空飛ぶ広報室』の最終回でのメールのやり取りは、最後に東日本大震災を忘れてはいけない、という重要なメッセージを私に送ってくれた。

なお、震災の日のこんきもの記事は『大地震』だった。
残念ながら、机の上はあの日よりも汚くなっている。

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失うということ

2013年03月11日 | 東日本大震災・自然災害
仕事に疲れて伸びをして天井を見ると、2年前の今日、壁と天井の境にできたひび割れが目に入る。
外壁や廊下の修繕は済んでいるが、部屋の中などには地震の爪痕がまだ残っている。
本棚から落ちた資料類の片付けも終わっていない。

14時46分、院内に放送が流れ、病院全体で黙祷を捧げた。
黙祷の1分間はあの時の揺れに比べてずいぶん短い。
終わって外を見ると明るい。あの日は、何度も余震が来ていたのと、迅速診断を行っていたので、気がついた時、外はずいぶん暗かった。
あれから2年。

夜中、急に目が覚めて、寝床を出る。
妻の寝息が聞こえ、息子や娘の部屋の壁の向こうに感じる気配。ちょっと歩くとマルチーズのコロが軽く吠え、フラットコーテッドレトリバーのナイトのいびきが聞こえる。
もし、これらすべてから引き離されてしまったら、私はいったい、どうなってしまうだろうと想像してみる。

あの震災の津波で多くの人が家族と死別した。その悲しみはいかばかりだろうか。
絶望から立ち直ることはきわめて難しいに違いない。

そして、地震に引き続いて起きた原発事故。
住み慣れた家、町、ふるさとが放射能で汚染され、そこから引き離される。

手入れをして住んでいた家から離され、花の手入れもできなくなってしまう。

失うということは、なんとつらいことだろうか。
あの日、私たちは多くの命と心を失った。

現実の社会で、このような不条理が起こる。

被災された方々はいまだつらい生活を強いられている。
季節は春だが、本当の春は残念ながらまだ遠い。

何もできないまま、また1年が過ぎてしまった。

真面目に仕事をして、税金を納める。今のところ、それしかできない。

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