こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

今日から平常生活

2024年03月04日 | あの頃のこと…思い出話
ブログの更新を2日ほどサボってしまった。
先週の土曜日の中学高校の還暦を祝っての同窓会は成功。
世話人代表として皆への招待状に、唯一名前を出した立場上、ホストとしてみんなの間を回って話をした。
妻がしまっておいてくれた制服を引っ張り出して会場で着ていたら、それだけで話題となった。
6年間一緒だと誰ともどこかで接点があって、それぞれ話が弾んだ。

どこかの大学の教授であっても、社長でも、肩書き抜きで名前を呼び合える仲というのは貴重なもので、これが大学、職場となるとこういうことはない。
男しかいないというのも気楽でよかった。

昨日は二日酔いで使い物にならなかったが、今日からはまた復活して平常の生活に戻ろう。
次はいつやろうかという約束はしていないが、それなりの時期が来れば誰かが言い出すだろうから、また神輿に乗ることになるだろう。
声が枯れた

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしく

 PVアクセスランキング にほんブログ村
コメントお願いします!





これでもずいぶん生きてきたものだ

2022年11月20日 | あの頃のこと…思い出話
新型コロナで2年ほど中断されていた地域の防災訓練が再開された。
妻の調子が悪くなって途中で引き上げたが、ご近所さんの顔を見ることができて、また見ていただいたのはよかったかな、と。

そして、夜は小学校のクラス会。
前に出たのは10年ほど昔だからずいぶん久しぶりだった。
残念ながら(?)、私のマドンナは来なかったが、みんなで楽しくワイワイ喋って過ごした。
気がついたら、ずいぶん遅くなっていて、終電近くになってしまったが、無事帰り着くことができた。

卒業したのが12歳ごろだったが今やそれからかれこれ48年、みんなよく生きているものだと我ながら感心してしまう。
それでも、あちこち痛いところ、具合の悪いところが出てきて、身体機能も落ちいている。
寿命というものがちょうどいい塩梅で調整されているものだと、ふと思った。
さすがに変わった

ブログランキング・にほんブログ村へ

応援よろしくお願いします

 PVアクセスランキング にほんブログ村


昔、渋谷でよく声をかけられた

2022年08月05日 | あの頃のこと…思い出話
やや厚い雲によっておおわれて、空気はひんやりしている。
といっても、24度で、一昔前だったら熱帯夜一歩手前で結構な騒ぎだったのではないだろうか、体の順応能力には驚きを隠せない。
毎日、いろんな細胞がいろんな目的を持って変化している姿をみているが、それらの延長が個体の変化であると考えると人間というのがいかに生きるために上手く作られているかがわかる。

安倍元首相の暗殺事件をきっかけに旧統一教会のことがクローズアップされているが、私が若かった頃、わが家ではよくこのことが話題に上がった。
原理とか、統一教会という(宗教というよりは)組織があり、若い人がそこに入信して抜け出せなくなっているという話を聞くから、私(コロ健)も気をつけるように、と両親によく言われたが、具体的にどういうものかはよくわからなかった。
ある地方大学など、学生の半分が原理だなんて噂を聞いた。

昭和4〜50年代というのは、新興宗教が勢力を伸ばすのにしのぎを削っていた時代だったのだろう。
通学の時、渋谷での乗り換えついでに、公園通りのディスクユニオンまで外版レコードを買いに行く途中で、たいてい一人か二人(そしていつも女性)に、

「ちょっとよろしいですか?」

とか、

「鶴をおりませんか」

などと声をかけられた。
今にして思えばああいうのの中には、原理なんていうのもあったのかもしれないが、結局喫茶店とかどこかに連れていかれるというようなことはなかった。
ちなみに、芸能プロからのスカウトもなかった。

カルト宗教といえば、地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教がを思い出す。
講義中に選挙カーから流されて聞こえてきた教祖の名前を連呼するテーマソングはいまだ耳から離れない。
オウム真理教は大事件を起こし自己破滅に向かった。
一方で、マスコミ報道で知る限りだが、統一教会は既存政党に食いついて市民権を得ることに成功したようで、やり方によってずいぶん違うものだ。

今や、ハチ公だのモアイ像だのの辺りをうろうろしても、若者に突き飛ばされるのが関の山でだれも声をかけてくれることはない。
あの頃、それなりに若かったであろう女性たちにホイホイついていかなかったのは、どうしてだろう。
私が女性に興味がなかったからか、それとも、友達と遊ぶこと、部活に打ち込むことで忙しかったからか。
女性に興味がなかったからではないだろうが、その雰囲気に気圧されていた可能性はあるし、これに、後者が加わったのだろう。
そうだとすると人間は孤独にしておいてはろくなことがない、ということになる。
小人閑居して不善をなす、とはニュアンスがちょっと違うが、人間一人にしておくとろくなことにならないというのは確かだ。
互いに声かけ

ブログランキング・にほんブログ村へ

ランキングに参加中。

応援お願いします! 

 PVアクセスランキング にほんブログ村





今年のボツ記事 2020年

2020年12月30日 | あの頃のこと…思い出話
朝からの大雨が昼前にはすっかりやみ、青空が広がりいいお墓参り日和となった。多くのお墓にお花が供えてあって華やかだった。
さて、12月30日は恒例の今年のボツ記事特集。まあ、エントリーの供養のようなもの。古い順にタイトルと書きかけの文章。
『』内がタイトル、続く文章が記事(もちろん書きかけ)。・・・以下は一言コメント。

『こんな考えの人っているんだ』・・・鎌倉であった、傍若無人なおっさんのことを書いたのだが、もし知っている人だったりしたら嫌な目に合わせられるかもしれないと妻が心配するので一旦公開したけどボツに。ほんと、あの時は嫌だったな。コメントまでいただいたiminaineさん、すみません。

『備えあれば憂いなし』
「ああ、今日はちょっと仕事に余裕ができたな」なんて幸運な日があったら、ぼんやりしていないで、自己研鑽に励む。
私のように一人でやっていると、そんな日は気が緩んでしまいがちだが、そんな日こそ気を引き締めて、勉強する。勉強の種は山ほどある。
・・・まだ、2月のエントリー。のんびりしていた。

『反省すべきか、結果オーライか』
先週末、新宿で飲んだ。大恩ある先輩に誘われ、とっておいてくれた店が新宿三丁目の居酒屋の、それも奥の方の席。
新宿の飲み屋街に行くなんて数年ぶりだったし、新型コロナウイルス感染症のせいで人ではないと思っていたらあに計らんや、すごい人出。末広亭の前には並んでいる人がいて、入った店も結構混んでいる。隣の席にはコロナウイルスなんて全然へっちゃらという風態の20代の若いサラリーマンが口角泡を飛ばしながら大声で話し、タバコをガンガン吸っている。これはまずいなと思ったがどうしようもない。
その先輩もマスクを外して店に入ってきた私を見て、「あれ?マスクしないの?僕はまったく気にしてないから」って、たしかにあなたは私からみたらむちゃくちゃ強運の人です。なんて思いながら、数時間楽しい時間を過ごした。そして、十日ほど経ってなんの症状もでなかったのでこの記事を出している。
もし、私が高熱でも出しているようだったらそれは新宿の裏町の飲み屋がクラスター形成をしたというわけだけど、そうならなくてよかった。
・・・3月23日に書いている。少しずつ緊迫してきた頃。

『心の中でお別れを』
先日、今の私を育ててくれた先輩の先生が亡くなられた。コロナのせいではない。
10年ほど前に体調を崩し、それ以来の療養生活ののちのことだった。
・・・今でもしょっちゅう思い出す。

『ストレスがブログの原動力?』
家でじっとしていると、ブログを書く気がなかなか起きてこない。
ストレスを感じているときの不平不満がブログを書く原動力になるのだろうか。
・・・5月1日。緊急事態宣言中。ある意味コロナ鬱の始まりとも言える?

『この先、政治家とは必要なのか』
今では読まなくなったが、さいとうたかおのゴルゴ13に、実は東西の緊張はそれぞれのスパイが作り出していた、というような話(『色あせた紋章』)があった。新型コロナウイルス感染症による人類の危機を目の当たりにして、政治家という人たちの役割というのを改めてかんがえるうちに、その話を思い出した。
人間にとって必要なのは命であって、その次は平和だ。命は健全な肉体と平和で豊かな世の中によって紡ぎ出されるものであるが、健康は医療従事者が担っている。豊かな世の中というのは、生産者消費者の間で行われる経済活動が基盤となって
・・・5月28日の書きかけ。もう、政治家不要感が出始めていたみたい。

『緑、あれこれ』
冬青(ソヨゴ)の木をシンボルツリーにしている家は多い。我が家のソヨゴも12年目、しっかり根付いて2階の屋根と同じくらいの高さとなってきた。そのソヨゴに花がつき始めた。小さな花で新芽のようにもみえてしまう。

以下はシリーズだったが続かず。
『言語を手放しつつある日本人(1)はじめに』
日本という国の凄いところは開国に際して猛烈な量の外国語を日本語に翻訳してしまったということだと思う。そうしたことで西洋からの文化的浸潤を食い止めることができた。独自の言語を持ち、それを使う文化があるからこそ外国人からも興味を持たれる。とても誇らしいことだ。
その、日本の文化が失われてしまうのではないかと、最近各方面で言われている。もう、日本語に直すという努力をせず、なんでもそのまま使っている。
それももともとの発音で正しく使っているのならばいいが元の意味もわからずに略語を使っているのを見聞きすると絶望感に包まれる。
『言語を手放しつつある日本人(2)カタカナ言葉の氾濫』
数年前から言われていることだが、使われても意味がよくわからない言葉が増えている。サステイナブルとか・・・とか、
こういう言葉を使うことが悪いというわけではないけれど、使っている当の本人もこの人本当にわかっているのかな?と思う様なことがある。
『言語を手放しつつある日本人(3)医学の世界での状況』
病理学、という言葉に相当する表現があるかというのを、ある発展途上国の病理の先生に尋ねたら、そういうものはないと言われた。そもそもそういう概念が無いということだった。
日本でも病理学という概念はなかっただろうが、言い得て妙の字を当てることでpathologyを表現することに成功した。
『言語を手放しつつある日本人(4)病理の世界での状況』
病理の世界でも、外国語がよくわからない入り込み方が始まっている。がんゲノム医療が開始され、病理医はそのただ中に立たされる様になった。
『言語を手放しつつある日本人(5)日本語を手放すことは哲学を手放すこと』
開国の時、日本人が外国語を徹底的に日本語化したことで、日本人は固有の文化、考え方、哲学をまもった。
・・・グローバル化の中で日本人はどうやって日本語を守っていかなくてはならないか。改めて考えてみたい。

『価値観の転換・・・”新しい生活様式のもたらす新しい時代”(3)』
金の価格が高騰しているそうだ。30年前に金持ちの友人に金を買うことをすすめられたことがあったが、あの頃はまだ千円台だった。その7倍となると、100万円分購入していたら、今頃700万円。もうすこし頑張ったら1000万円にもなるだろう。残念ながらその頃金を買う余裕などなかった。その話は別として、確かに金はあればあるだけ資産として有用なものだろうが、金それ自体は何もしない。ただ眩く光るばかりの金属だ。
金に囲まれたミダス王は決して幸せになることはなかった。
電子マネー化が進むことによって、貨幣の価値というものを裏付けるものは一体何になっていくのだろうか。中国が強力に推し進めているからには、世界中で元が使われるようになり、基軸通貨をとってかわるかもしれない。やがて世界は元という単一の電子マネーによって統一されてしまうのかもしれない。
・・・これ、なんでやめたのだろう。(1)(2)がマスク関連話で、これが別の話題だったからか。

『私の哲学』
哲学者になりたかった。
以前はそのことを自己紹介にも書いていたが、みっともないのである時からそれはやめた。ただ、哲学者であることと哲学することは同じではない。哲学は哲学者のものではなく、アマチュアであっても哲学しながら生きることはできる。
・・・このこと、いつまでこだわるだろう。それがいやでボツにしたか。

『私にそんな資格はない』
日曜にクチナシの鉢植えの手入れをしてたら、大きな蜂が飛んできてびっくりした。だが、蜂にしては羽音があまりせず、よくみるとどうも蜂ではないようだ。
とりあえず、部屋に逃げ込んでから“蜂のような虫”と”クチナシ”で検索をかけたら、オオスカシバ(https://www.insects.jp/kon-gaoosukasiba.htm)というスズメガの仲間だそうで、さされる心配はなさそうだ。ほっとして、作業を続けた。
土いじりをしていると、いろいろな昆虫にお目にかかるが、そのほとんどの名前は知らない。テントウムシやカミキリムシはわかるがそれぞれの正式な名前は知らない。
そんな虫たちは、葉っぱをかじって、ひどいときには丸裸にしてしまうほどで、駆除の対象となる。蚊やダンゴムシ、ムカデも害虫呼ばわりして駆除する。だが、それぞれの昆虫を見ると、それはよくできていて、美しい。
そんな昆虫を、たたき殺したり、薬を撒いたりして駆除しているがそんなこと、私はやってもいいのだろうか。
・・・全ての生き物に生きる権利が。

『過去の栄光に満足するな!』
過去の栄光にすがって生きるようになるのは、認知症の第1歩という話をどこかで聞いた。
iPS細胞でノーベル医学生理学賞を受賞した山中伸弥先生は、日本最高の科学者として、この国の科学技術の発展を牽引している。iPS研究はその後、他の未分化細胞の開発に伴って一頭地を抜くほどのものではなくなりつつあるが、その発想自体が色褪せることはない。

『ソクラテスの弁明は単なる事実か謙遜か』
先日読んだ小説に、”文字で表すことはできるけど、実際には存在しないもの”が主題として提示されていた。
私は知らないことを知っている
私だってそんなこと百も承知で毎日ヒイヒイ言いながら病理診断の仕事をしている。
・・・話が大きくなりそうで撤退。

『仕事が遅いと相手に無礼に』
締め切りまじかの仕事をなんとか仕上げて、メールに添付して送る。
その時のメールを読むと、つくづく無愛想な文面だと思う。礼を欠くようなものではないが、首を長くして待っていた相手に用件と簡単なお詫びだけというのもどうだかと思うが、こっちも切羽詰まっているのでとにかく送ってしまえとやってこうなる。
一応、先方が依頼してきたことだからなんとなくこっちのほうが仕事をしてあげた、というような感じになるのだが、引き受けた時点ではそうでも、ちょっと遅れたという状況ではこっちのほうに非がある。
・・・今となってはなんの話か。

『私の混乱』
今、私がしなくてはいけないことはなにか?
病理医としての医学の研鑽か、より良い世界を手に入れるために自分にできることを考え、そのための勉強か。
過去の偉人も、現代の他の巨匠にしてもそのためのアドバイスは示唆してくれるが、その答えは与えてくれない。
・・・どうしたことか。

『自分が死ぬときのこと』
叔母のお兄様という方が亡くなった。叔母といっても母の弟の連れ合いなので、私と血のつながりはなく、遠い親戚だ。82歳で、がんだったものの、つい数日前まで仕事していたのに、急に容態が悪くなり、そのまま帰らぬ人となったそうだ。
私はどんなふうに死ぬのだろうかと考える。

『中高年男性VSその他 という』
駅のホームに若者の集まりがいた。夏休み中なら当たり前の光景だ
この先の私が降りる駅よりずっと先の観光地に向かうのだろう。みんなお行儀よくマスクをつけているが、帰ってくるときまでにどのぐらいがつけているかはわからない。ちなみに鎌倉駅に帰り着いた時、海から帰ってくる若者の中でマスクをつけている人は少ない。まあ、鎌倉の場合マスクをつけていない不良を気取っている大人も多勢いるので、比較は難しいか。それはさておき、彼ら若者は活動的で、未熟で多くのことを知らない。
新型コロナウイルス感染症(COVID-19)さえなければ彼らはずっと自由に、たくさんの人と関わり言葉を交わすことができただろうに、それができない。それどころか彼らは感染の媒体として大人からは目の敵にされている。重症化のリスクの高い年寄りなどいないところで彼らはのびのびしたいだろうし、彼らにとってはちょっとした風邪程度でこれほどの不自由な生活を強いられているのは我慢できないことに違いない。私が彼らの立場だったならそんな世界を恨むことだろう。
中世で大流行して多くの人の命を奪ったペストは老若男女分け隔てなく襲って中世ヨーロッパを席巻した。だが、COVID-19の標的は中高年男性だ。私にしても、かつての喫煙者で、血圧も高い。感染したら死なないまでも、随分苦労するだろうと思う。結局のところ、私たちの世代以上の持病持ちの男性を守るために他のグループの人たちに犠牲を強いているとも言える。中高年男性>中高年女性>若年男女の3グループに分けた場合、3分の2が割を食っていることになる。
前々から言っていることだがーーーよその国のことは別としてーーーこの国は若者を食い物にして生きている。とんでもない若者もいるにはいるが、そういう輩は目立ちたいから目立つような行動をするので、目立って目につくだけだ。多くの若者は冒頭に挙げたような、未熟で不用意な行動を取ってしまうことのあるおとなしい者がほとんどだと思う。
・・・8月17日のエントリー、もう完成していたのに。

『隷属的服従 という概念』
先日書いた”自発的隷従論”に基づいたエントリー『自発的隷従が今日の私の改造マスク』で、当初私が勘違いして編み出した”隷属的服従”という考え方、案外今の世の中に起こっていることではないかと思って、考えてみることにした。
・・・もっと考えてもよかったのに。

『おこもり生活によるルサンチマンからの解放』
家にいる時間が長くなると、考え方も狭くなってしまう可能性はあるが、かといってこれまでーコロナ前ーのように他人と関わり過ぎてストレスを感じることも少なくなった。
私自身、やるべき仕事は明確になったし、どこそこの誰が教授になったなどということが気にならなくなった。多くの人との関係性がネットを通じて等間隔となったからかもしれない。
もちろんコロナをものともせず、人と人との距離をつめてマウントしてこようとする人がいなくなるわけではないものの、新しい生活様式が提示されたことでそれらの人のプレッシャーは断末魔の叫びのようにも聞こえる。
インターネットの普及した今の社会に降ってきた新型コロナウイルスcovid19はルサンチマンの構造?を大きく転換させていくのかもしれない。
・・・ルサンチマンとは、弱者が強者に対して「憤り、怨恨、憎悪、非難」の感情を持つこと。

『新型コロナと無縁の人っている?』
全世界を大混乱に陥れている今回の新型コロナウイルス感染症、これから無縁の人、というのはいるのだろうか。
全ての存在は関係を持っている統一体だから、皆んな関係しているなんて当たり前だなどというのはナンセンスだ。それよりはもう少しはっきりした、実体としての新型コロナとの直接の関わりという意味で、無縁の人はいるか、おそらくいないだろう。
これってすごいことだ。
いくらキリスト教の宣教師が世界中で布教をしたって、世界中の人に関係を持たせることはできなかったがコロナは違う。南米の先住民の間にもコロナが持ち込まれたため、大変なことになっているというニュースがあったほどだ。
・・・新型コロナは全ての人に襲いかかる。

『ギムザ染色を乾かすときに使うドライヤー』
この前、病理医がたくさんいる病院の病理診断科の部屋で、剖検から戻ってきた若い病理の先生に、少し年長(とはいっても若い)の病理の先生(これも若い)にむかって、
「髪の毛もう乾かしたんですか?早いですね、もしかしてギムザ染色を乾かすときに使うドライヤーを使ったとか。」と冗談を言っているのが聞こえてきて思わず笑ってしまった。
その先生の言い方も面白かったのだが、なんというかそういうなんてことない家庭用のドライヤーをギムザ染色のための乾燥固定標本作成に使っていて、でも、それが命にかかわる診断に結びついているというのが”いかにも病理”という感じがして、面白かった。
なぜって、高価な医療機器を駆使して診断とか治療をする臨床と違って、病理ってホルマリンとかHE染色とか安上がりなものばかり使っていて、本当にコストパフォーマンスがいいと考えると、なんとなくいい気分になった。
・・・内輪話でイマイチと考えたか。書き始めは面白いと思ったのだが。

『顔が覚えられなくなってきた』
この前、女性医師の顔がよくわからないと書いたが、男も40歳前後だとわからないということが判明した。
あの服のせいだと思うが、それにしても区別がつかない。
・・・年のせい。

『私がやってていいのかな』
この前、急ぎの診断をするために、夏休みを一日早く切り上げて出勤したのは臨床的には大いに役立ったみたいで、感謝の言葉をいただいた。私としては病理医として当たり前のことをしたまでで、たまたま息子の結婚式がそう遠くないところで行われ、そのままその地にとどまっていただけだったのでそんなことができただけなので、あまり言われると、患者さんのために夜を日に継いで仕事をしている臨床医に申し訳なくなってしまう。もちろん、彼らは数人の医師団であって私は病院に一人しかいないという違いはあるが。
曲がりなりにも病理医として仕事をさせてもらっているが、それはこのような専門的な医療を行う病院であるからなんとかなっているような気がする。ある意味つぶしがきかない参入者の少ない領域なので、30年近くやっていたら自然と専門家面してやっていることが出来る。これが、ありふれた癌の診断でもをやっていたら、そう目立つこともない。
医者になるには、医学部に入らなくてはならず、昔から狭き門といわれている。したがって、優秀な人材はたくさんいて、天井知らずだ。筑駒開成灘の卒業生はもうそれだけで優秀だし、二番手高校の卒業生でも難関医学部出身者もとても優秀だ。そんな中で私が同じ医者を名乗っていいのだろうかと疑問に思うことがある。決して学歴とか偏差値のことを言っているのではない。当然のことながら、優秀なだけで人間的に使えない医者も少なくないが、それはせいぜい3割ぐらいだろう。1学年100人中の30人が使い物にならなければ、それはさすがに目立つが、製品の歩留まりなんてそれでも十分だ。優秀な人の残り7割ぐらいは普通のコミュニケーションがとれるし、その半分ぐらいはコミュニケーション能力も高いので、どうやっても追いつくことは難しくなる。
もう60が見えてきたところで、こんなことを言っているのもおかしいが、天賦の才とはそんなもの、だれもが同じように与えられるものではない。
・・・若年人口が減ると医学部のハードルも低くなる。

『変に偏差値の高いところを目指したばっかりに』
私はなぜ哲学を勉強する道に進むことが出来なかったのか。今でもそのことを考える。その理由の一つが大学入試だったとしたら、それはバカバカしいことだろうか。
文系の科目は得意だったが、東大の文学部に余裕で入れるような成績ではなかった。そこで、文理どちらに進むかを決めるとき、私は父の勧めに従って”転んだ”わけだが、親に勧められるまま医学部にすすむため、理系にすすみ、そこそこの私立医大にもぐりこみ、何とか病理医となり、現在に至る。ただ、あの時、東大もしくは京大に固執することなく、どこの大学でもいいから哲学を勉強したいと考えるほどの切迫感はもっていなかった。
・・・夢を実現するには、現実的になるべきだったかも。

『学問する意欲』
先日、専門領域仲間の病理医からのメールに、親の介護と専門分野の診断業務だけで毎日が過ぎてしまい、研究はほとんどやっていません、というようなことが書いてあった。
私なんぞ一人病理医で、コロナ禍で切磋琢磨する相手もおらず勉強しに出かける意欲も機会もなく全くダメダメで過ごしている。
最後に勤め上げようと転職してきた病院にももうすぐ1年、
・・・意欲がないのはコロナのせいか。

『病気とはいつから病気なのか』
ぎっくり腰の痛みは治ることなくまだまだ続いている。こうしょっちゅう痛めてしまうということは、痛めやすい状態になっているということであり、その部分の神経が傷害されているということだろう。そういう意味では私の腰痛は慢性化しているといえるだろう。
病気とはどのような状態を指すのだろう。カンギレムという人は病気はその状態を指していうとしたが、果たしてそうだろうか。たしかに新型のような感染症は感染した時点で病気の状態が始まるからわかりやすい。だががんはどうか。発癌のメカニズムはいまだ不明な点が多いが、多段階発癌という考え方に従えば、癌は一発で癌なるわけではない。
・・・これも難しい話題、もう少し考えないと。

『ガラスの天井』
男女雇用機会均等法により女性の社会進出は一定の結果を見ることができたように思う。少なくとも医者の世界では男女比は半々に近づきつつある。通勤途中にすれ違うのも男女比は6:4といった感じだ。今後はガラスの天井をどう打破していくか、男女間の競争が公平になされるようにするのはまだまだ難しいだろうから、クオーター制など男女の固有枠を設けての登用を考えなくてはならないだろう。男性にしても女性にしても働きたい人は働く、子育てをしたい人は子育てと、そんな社会が実現してくれるといいのだが、まだそれには時間がかかりそうだ。
・・・女性の地位向上は喫緊の問題。

『社会規範のハードルの高さの低下』
いろいろな考え方があることが明らかになってきて、自分と同じような考え方をしている人が他にもいるということを知り、そのことで自分を正当化することが昔よりも容易になってきている。社会規範のハードルが、いい意味でさがってきているわけだが、屁理屈、自己正当化にもつながってしまうわけで、考え方は難しい。
・・・お手本となる大人のいない社会。

『休日って、』
朝の空模様にはがっかりしたが、昼前からやっと晴れた。

『妻の弁当』
今の職場に移ってから1年以上経つ。食堂の昼食のシステムがよくわからず、食べたいと思っているのにありつけないとか、孤食よりも技師さん達と一緒に食べてコミュニケーションをとったらいいのではと、妻に弁当を作ってくれるように頼んだ。
それからかれこれ1年がたつ。毎朝私だけのために作ってくれている。
・・・1週間後に別に”毎日のお弁当に感謝”というタイトルで書きました。

『人間だけがわがままで』
夜、ヴェランダに出てみると静か。
自分の存在を感じる。
昼間、あたりをウロチョロしているリスも雀もいない。
ふと思う、彼らはこんな家も何もなく野山で暮らしている。ほんの小さな巣とけもの道さえあれば十分だ。人間だけが自分の体の何倍ものスペースを使って生きている。
・・・もっと謙虚に生きよう。

『”老いては子に従え”って、いつの間にやら自分が老いてた』
何でも知っているような気でいたが、実はもうそんなこと全くなくなっていた。最近、病理診断を取り巻く環境も急速に変化していて、ただ、標本を診て形態像から診断していたらいいという時代ではなくなった。
・・・年のことが多い。

『ご本人はどうだったのかわからないが』
新型コロナウイルスに感染し、2日に退院した歌舞伎俳優・片岡孝太郎(52)が3日、ブログを更新。医療従事者への感謝を記した。  孝太郎は11月22日未明に微熱があり、PCR検査を受けたところ、陽性が確認された。2日のブログでは「当時軽度との診断でしたが入院を希望しそのまま減圧隔離病棟へ入らせて頂きました」と説明していた。約1週間は発熱を繰り返し、平熱状態を72時間経過したため、2日午前に退院できたという。  3日夜に更新したブログでは、「減圧隔離病棟の四人部屋」に入院していたこと、シャワー以外は部屋から基本的に1歩も出ることができなかったこと、部屋に入る度に看護師さんが防護服を着脱していたことを伝えた。  「正直四人部屋で窓も開けられず皆んな咳込み 夜になると皆体温が上昇し自然と咳も出ますし 朝まで咳込み続ける患者さんも」いたという。  さらに「隣の患者さん」が「あんな飲み会でうつるくらいならヤバイよ」「俺死にかけたけどレムデシビルで助かったよな アレいくら?」と話していたことを明かし、「正直腹わたが煮えくりかえりました」と告白。「看護師さん医師の方が命懸けで働いてくれているのにコイツは…、と」いう思いだったという。  世話になった看護師さんが、食堂で「うつるからこないで」と差別を受けていること、クルーズ船の感染者から対応をしている看護師さんがいたこと、などを伝え、「一番お世話になった身で恐縮ですが是非皆さん一緒に医医療現場の方に感謝しこの日本を守って頂けたらと改めて考えさせられる今日この頃です」とつづった。  なお孝太郎は後日、この投稿を削除している。(※一部加筆しました)。
・・・真相がよくわからないので。

『政治家が先導する新型コロナ感染拡大』
・・・タイトルだけ
ボツ記事、39もあったか。世に出すことはできなかったけど、この先のブログ作成の糧にはなるでしょう。
あと1日

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします










今年のボツ記事 2019年

2019年12月30日 | あの頃のこと…思い出話
毎年恒例のボツ記事特集。今年はボツ記事は少ないと思っていたのだが、こんなにあったとはびっくり。このなかから復活してくるテーマはあるか?
並びは、古い順ですが、シリーズ物(くずれ)など、書いた日が前後しているものがあるので基本的に日付はつけません。どれも出来損ないの拙文ばかりで申し訳ありませんが、私の備忘録のようなものですのでご容赦ください。
『』内がタイトル、続く文章が記事(もちろん書きかけ)。・・・以下は一言コメント。

『私は年をとらないの』・・・まったくすごい人。
私の義母は妻の遥か上を行くポジティブシンキングの人だ。
新年の挨拶をしていたら、ずいぶん元気のいいことをいったのを妻が聞いて「もう、いったいいくつなのよ、歳を考えて」と言ったら、義母は「あら、私は年なんてとってないわよ、周りの時間が過ぎていくだけなのよ」と妻に反撃していた。
すごい・・・

『いまさらなんだが恐ろしい』・・・ブログ、ツイッター、FB、全部合わせたら・?
昨晩、NHK総合テレビで、SNSからいろいろな情報が取られ、

『”国民的”とはどういう基準なのか?』・・・マスコミは機能しているか?
嵐というグループがあと1年11ヶ月で活動を休止するということが発表された。解散でもなく、ただ単にメンバーの長期休養というようにしか聞こえないが、それはさておき、嵐が”国民的”グループのニュースだということでNHKまでが大ニュースとして取り上げたのには驚いた。
私は嵐というグループが5人だということを、櫻井くんのコメントで初めて実感したぐらいで、相葉くんがスポーツに詳しいらしいというのは、やっぱりNHKの番組で知っただけで、それ以外のことは知らない。大野くんがリーダーだということは薄々知っていた。松潤と二宮くんはテレビドラマ以外で観る以外はあまりよく知らない。そもそも、この5人でいいのか、あと一人ぐらいいたのではないかと自信が持てなかったので、念のためググって確認した。スマップが解散したのは去年だか一昨年だったが、あのグループの方が”国民的”だったように思う。”国民的”美少女コンテストなんていうのもあった(いまでもあるのか?)が、後藤久美子以外だれが選ばれたのかは知らない。

『人の出入り』・・・みんながハッピーになれるといいね
今年度いっぱいで、何人かのスタッフが職場を去る。
それぞれの人にとって新たな道を進むことになるので、それぞれの人にとって必要かつ正当な進むべき道なのだろう。

『誰が10日も休めるの?』・・・9連休でもまだまともに休めていない私
天皇即位に際しての10連休の話題がたくさんある。
そもそも10日も休んで、日本は大丈夫なのだろうか?お休みは即位の日だけでいいように思うけど、どうしてそうしないのだろう。
私の勤務先は祝日は従来の暦通りで営業する。まあ、しょうがない。病気はいちいち休んでくれない。
それはさておき、この10連休、

『タバコ、一日60本で40年』・・・タバコは今日からやめましょう
という人の組織

『この前、本屋でおどろいたこと』・・・何に驚いたのか、残念ながら忘れた
本屋さんには

『医学用語は難しい?』・・・日本人はすごい
”どうして医学用語 難しいのですか?”という質問をいただいた。コメントに対する答えでもよかったのだけど、書いたらずいぶんな量になる。せっかくなので記事としてあげることにする。美咲さん、ありがとうございます。さて、医学用語がなぜ難しいかというと、まずは日本語と外国語がチャンポンになっているからでしょうね。
西洋医学が入ってきたときに、当時の優秀な医学者は臓器名を日本語に翻訳してしまうという離れ業を成し遂げてしまったので、

『医学用語が難しいという件(2)日本語の医学用語』・・・ドイツ語と英語は似ている
文明開化の時期に様々な医学用語を日本語化してしまったために、日本人は外国語で医学を勉強する必要がなくなった。
Stomachは胃、Lungは肺であ

『医学用語が難しいという件(3)医療者が気をつけなくてはいけないこと』・・・わかる言葉で話しましょう
ガンをカルチという医者が多いのは、なぜだろう。
私は、ガンはガンという立場なので、自分からカルチだなんだとは言わないけれど、誰かがそう言ってきたら問題視せず、応じてしまう。

『大人になれば』・・・大人、恐るるに足らず
大人になれば、いろんなことの道理がわかって、悩みなんてなくなるものだと思っていた。
ところがそんなことはなかった。悩みはなくなるどころか、むしろ増えているような気がする。

『ナイトの思い』・・・これは4月23日の記事でした。
フラットコーテッドレトリバーのナイト、去年大病をしたけど今のところ再発もなく元気だ。
9歳だから大型犬(いつも一緒にいると大型に感じないのだが)としてはよく生きてくれた。

『椅子取りゲーム』・・・自分はどうだったかは覚えていない
おととい都内で銀座から渋谷に移動した時に地下鉄を使った。乗る時にけっこう若めの人たちが我先にと空いている席に座ろうとして、のんびり乗り込んだ私と妻は並んで座ることができなかった。10分足らずの距離だから別々に座るよりは二人で立っていた。
妻に、最近気になって

『目の色の違い』・・・私は色黒だから、瞳も真っ黒だと思っていた
白髪の感じが良くなってきたわね。もともと健ちゃんは色が薄いからいいのかもしれないわね。
僕の色が薄い?そんなことないよ。
ううん、あなたは瞳の色だって茶色だもの。親子でそう。」
え?どっち?」とたずね返したら娘のことだという。いわれてみたら娘の瞳は茶色い。
私たちの目は黒いの」と、妻と息子は黒いそうだ。そういわれて妻の目を覗き込んでみたらたしかに真っ黒だった。
その晩、自分の瞳をマジマジとみたらやっぱりちょっと茶色い。
欧米人ほどのバリエーションはないけれど黄色人種も瞳の色はそれぞれ違うし、みる人はみているものだ。

『座ってばかりの病理医なのに』・・・運動不足のことを書きたかった?
長時間座っていると

『tingible body macrophage と 点字ブロックは似ているか』・・・ダジャレのようではずかしい。
リンパ節という組織があって、体の免疫能を支えている。そのリンパ節にはリンパロ法という構造があり、そこにtingible body macrophageという形態の組織球がいる。そして、その細胞の有無が、濾胞性リンパ腫の診断の時に重要な所見の一つになる。この細胞そのものは、昔から知られていたありふれた細胞で、私も昔から知っている。
それで、このtingible body macrophageなんだが、どうも点字ブロックに音が似ているような気がする。
駅のホームで、駅員さんが、「まもなく、横須賀行き電車が入ってきます。お待ちのお客様は、tingible body macrophageの後ろでお待ちください」と言っているように聞こえるのだ。tingible body macrophageは点字ブロック、ではなく、ティンジブル・ボディ・マクロファージ、と発音する。ティンジブル・ボディ・マロファージ、駅員さんによっては、ティンジボロックとも聞こえるのだ。
ただの空耳なんだけど、駅のホームに立つたびにこの用語を思い出すというのはそろそろ終わりにしたい。

『満員電車のゲーム小僧』・・・人の背中にスマホを置くのが流行りらしい。
朝夕のラッシュ時の満員電車は時々気持ちが悪くなるほどだ。
ぎゅうぎゅうなのはもとよりだが、最近はスマホゲームがとてもストレスになる。
ゲームのために、スペースを確保しようとするので、どうしてもその人の前30センチぐらいが必要となる。そういう人が後ろにいると背中を手で押されてとても嫌な思いをする。
それでも、片手で遊んでいるぐらいならいいのだけど、両手でやや大きな画面のゲームをいじっている人がいると、怒りたくなる(が、ぐっと我慢している)。

『病理も女性医師がずいぶんと増えた』・・・科によっては女性医師の方が多い。
昨晩は近在の病理医が集まっての勉強会があった。仕事が終わってから集まるので、始まりは19時とやや遅い。それでも、2、30人の病理医が集まり、ミニレクチャーを聞いて勉強し、持ち寄った症例についてディスカッションした。
病理医がある程度まとまると、その時々の人数構成もある程度わかる。
最近よく思うのは、病理も女性医師が増えたものだということ。
もともと、病理医は時間をコントロールしやすい科の一つだ。さすがに、放射線科や麻酔科ほどではないが、人の手当てさえしておけば病理医の仕事は時間通りに進む。
突発的な仕事として、病理の場合は術中迅速診断や病理解剖が入ってくる可能性があるが、そのことを見越しておけばなんとかなる。外科系の科も毎日大きな手術をしているわけではない。病理解剖は余程のことがない限り、日勤帯に行う方が精度が上がるので、わざわざ夜中に行わないで、翌日の朝から行うべきだ。
病理医の集まりで女性医師が増えたのは、医師全体の中で女性医師が増えたからで、このこと自体は驚くことではない。それでもなんとなく地味な印象が強くてあまり人気のない病理医を目指す女性医師が増えてきているということは、病理のワークライフバランスが比較的良いということがあるのだと思う。

『せっかくのお休みなのに・・・』・・・今年の大雨。
滝のような雨がつづく、とか、7月1ヶ月分の雨量になる、とか、恐ろしい話ばかり出てくる。

『案ずるより産むが易し・・・とにかくやってみよう』・・・どうせやるならやる
昨晩、出席するかどうか悩んでいた会合があった。
55歳にもなって、悩むも何もあるかと、若い人には思われるかもしれないが、55にもsれなりの人間関係があって、それなりに悩むこともある。
それで、結局半日ほど逡巡したあげく参加することにした。
来てみたら、皆さん優しく接してくれる。もちろん自分から挨拶をしまくったあげくのことだけど、これはこれでよかった・つぎにあうときは申

『簡単に泣くなよ』・・・いい大人が泣きじゃくるな。
泣くことが悪いとは言わないが最近、泣く人をテレビでよく見る。
私はスポーツの試合で負けて泣く選手のことが好きでない。この前あった、女子サッカーのW杯でもベテランと言える選手が泣きじゃくっていたのが放送で流されていて、あまりいい光景ではないと思った。どうして彼女はあれほどまでに激しく泣くのだろう、というか、泣いてしまうのだろう。まさか、女子だから”涙がでちゃう、だって女の子だもん”ということはないだろう。男子でも負けて泣く選手がいる。巨人の星でも飛雄馬は涙を流していた。負けて泣くのはいいが、泣きじゃくるほどは泣かないほうがいいのではないか。
さて、吉本興業のドタバタでは、大の男三人が泣いていた。
見るからに強面の社長が泣いて、それとは別に芸人二人も大泣きしていた。どちらもニュースなどで編集された映像を見ただけだから彼らがどれだけ泣いたのかはよくわからないが、見苦しい泣き方だ。
芸人二人の泣き方は、泣くことでお詫びしているというか、許しを乞うているようだけど、人前で泣いたことで、彼らが糾弾されている過去が変わるわけではない。それに、あんな泣き方、廊下に立たされた小学生のようだった。何か勘違いしているのではないかと思う。
吉本の社長、彼はなんで泣いていたのだろうか。今や名門芸能プロダクションの有名社長となって順風満帆の人生が、自覚の足りない芸人によってひっくり返されそうになってしまったことへの恐怖だろうか?芸能記者にいじめられて悲しくなったのだろうか?
いずれにしても、そこは泣くところではないだろう。毅然とした態度で、会見に臨み、経緯と決定事項を淀みなく話せばいいだけで、これまた何か泣くことで許しを乞うているようにみえた。
卑怯に見える泣き方というのはよくない。ああ、この人、泣いてごまかそうとしているな、と思われたら、泣いたことは全く逆効果だ。
涙を流すのは、人や可愛がっていたペットが死んだ時か、嬉し涙で十分だ。
あとは、何かに感動した時。そんなものだ。

『順位をつけなくてもいいんじゃない?』・・・オリンピックは国境を作るためのもの?
この前、東京オリンピックでのメダルのデザインが発表された。
それをみて、なんだかなぁと。しょせん、地球というとても小さな星の上の、多くの生物のうちの人間という種族内でわざわざ順位をつける必要があるのだろうか。オリンピックに出られるほど、というか標準記録をクリアできるほどであればもう十分ではないかと思う。そういうと、では標準記録とは何か、なんのためのものか、ということになるので答えはなかなか出ない。
テレビをつけると、オリンピックの話題がすぐに出てくる。
スポーツはテレビにとっては視聴率を稼ぐことのできる有料コンテンツだから、オリンピックには盛り上がってもらわなくては困る。まあ、だから一生懸命盛り上げるのだが、この歳になってくると、その商業主義の露骨さがよく見えてきて嫌なものだ。

『夫婦という不思議なつながり』・・・努力しているかしていないか自分ではわからない。
朝、目がさめると妻がそばにいて、おはようと声をかける。こういう生活を私は25年以上続けてきた。妻以外にこういうことをするのは祖父母、両親、子供だ。この人たちとは血が繋がっているが、妻とはそれが無い。夫婦とは不思議なものだと最近強く思う。
夫婦というと男女のカップルになるが、同性同士のカップルでも同じことだ。元々は縁のない二人の人間が奇跡的に出会い、カップルとなる。そこまでは比較的容易かもしれないが、その後数年から数十年続けるというのは結構大変なことだと思う。

『電車の降り乗りはすみやかに』・・・乗る人のことも考えて。
電車を降りる時は足元に注意していなくてはいけないので走って降りる必要はないけど、人が乗り始めたところで慌てて降りてくるのはやめてほしい。
大抵はスマホに夢中になって降りそびれた人で、困る。

『大学病院で私が学んだこと』・・・いろいろありました。
先月までいた大学病院といっても分院だった。

『忙しいけど、大丈夫かな?』・・・バーンアウトには要注意。
新しい職場に移ったばかりだからだと思うのだけど、一昨日、昨日と忙しい。
今度私が来た病院はいわゆる専門病院なのだが常勤病理医不在だった。専門性が高くなると将来的なこともあって、なかなかその道に進む人がいない。”癌が専門”なんていう病理医はどこからも引くてあまただけど、私などはやっている領域は患者さんが多くはないので、ポストも少なく、専門にしにくい。そして、私、コロ健がその小児・周産期病理を専門にしていたということで白羽の矢が立ち、ここに来ることとなった。1年前に、この病院に病理医がいない(というかやめてしまった)ということは知っていたが、まさか自分が来ることになるとは思ってもいなかった。
病理医がいなかったということで、病理診断は検査会社に外注していたらしいが、専門家が診る訳ではないから、質はイマイチとなる。しばらく前から手伝いに来る様になって、専門的な疾患だけ診断していたのだけど、時間的余裕がなくて、症例はたまる一方だった。
赴任したらどうなるかなんて、わかっていても良さそうなものだけど、わかっていなかった。少なくとも、もうちょっと早く終わると思っていたのだが、先週までと変わらない。
この先、溜まっている症例の診断が片付いたら、多少は楽になるだろうか・・・。

『人生はなるようになる』・・・あれこれ考えてもしょうがない。
今度の病院への異動を決めた時から、辞令をもらうまで、"自分は本当に大学病院を辞めて異動することができるのか"と、何度も心配になった。
自分がどれほど大切にしてきてもらったのかということを感じたからで、この人たちと別れて私は後悔しないか?と思ったことがまず第一。

『大きなお世話か?嫌なオヤジか?』・・・観光客が多すぎて。
鎌倉は谷戸といって、
行き止まり

『今週からお弁当』・・・ダイエット&節約。
一昨日の日曜日、ささやかながらいただいた2年半分の退職金の一部を使うということで通勤鞄を新しく買った。心機一転の意味もある。少し大きめになったので弁当箱も入る。
昼食は前の前の職場では職員食堂で上司や技師さんと食べていた。前の職場では休憩室で同僚や技師さんと食べていたのだが、今度の職場では一人病理医。

『吉永小百合のプロフェッショナル』・・・ファンです。
昨晩、エディジョーンズヘッドコーチ率いるイングランドがオールブラックスを撃破した。イングランドの選手たちは凄かったし、そこまで、2年半、かけて作戦を練ってきたエディジョーンズはもっと凄い。事実上の決勝戦といわれる試合で結果を出せたというのはまさしくプロフェッショナルだ。
そして、そのあとNHKで吉永小百合スペシャルと銘打って、プロフェッショナルが放映された。名実ともに大女優の生き方が余すことなく描かれていて、感銘を受けた。

『運転免許証の更新』・・・あっという間に歳をとる。
先日、運転免許証の更新に行った。早いもので5年ぶり。視力検査の時、少しだけよくわからない不安がよぎるのも年齢のせいか。待合室に貼ってある手数料の変更案内のポスターに、高齢者講習とか認知機能検査の文字が見える。ああ、自分も早晩これらのことに該当するようになるのかと余計に不安になった。気がついた時、突然老が目の前に立っている。
無事故無違反免停などにならないで優良運転を続けたら次は5年後60歳。

『応援してたのに』・・・失望失望大失望。
ジャパンディスプレイの横領事件に引き続き、今度は幹部が不正経理を指示していたとか。
個人的にだけど、私はジャパンディスプレイをオールジャパンとして、心から応援していた。、

『妻が倒れて思ったこと』・・・ナイトが逝ってしまう直前に書いた記事でした。
妻がインフルエンザで倒れてから一週間ほど経った。先週末に、インフルエンザの予防接種を受けた日に、どうもその病院でインフルエンザに感染したようだ。
息子の婚約にかかわる、顔合わせのお食事は乗り切って、他の方はだれも発症しなかったようだ。
もちろん、娘も私も発症しないで、ナイトの看病と家事をした。
昨日、だいぶ元気になった妻に留守番してもらって、グリーンファームに買い物に一人で出かけた。
ゼラニウムからひげ根が出てきたので、いよいよ鉢植えにすることにしたので、そのための土とか鉢を買いに来たのだ。妻に元気を出してもらおうと、花束とポインセチアの鉢植えも買った。
帰りながら、「もしかしたら、妻はこうやって毎日家族が笑顔になってくれたらいいなと思いながら、家を綺麗にして、お花を生けてくれていたのか」と思った。
今週は弁当もわたしが作り、昨日今日は食事も私が準備した。メニューを考えるのも一苦労。

『新宿の発車番線ホーム、渋谷の乗り換え、武蔵小杉のダイヤ』・・・渋谷がどうもしっくりこない。
今朝は相鉄線が遅れたというニュースを見て、ついに始まったかと思った。
新宿駅にはJRだけで、何番線まであるのだろうかとおもって、調べてみたら、もあった。
渋谷は私が高校時代に山手線から井の頭線に乗り換えて使っていたが、とてもわかりやすかった。階段を上がったら銀座線だったし、階段をあがって下りたら東横線だった。
武蔵小杉にいよいよ相鉄線が乗り入れることとなった。

『血圧も何とかしたいのだが』・・・まずは減塩。
ダイエットは順調なのだけど、血圧は残念ながらなかなか下がらない。測定するときに、あれこれ考えてしまうのがよくないのだろうが、加齢に伴う動脈硬化はどうしようもない。これまでの不摂生もたたっている。さて、どうしよう。

『年末年始、あるいはダイエットの壁』・・・だらだら食べるのも良くない。
クリスマスも終わったが、食生活を元の調子に戻すのはなかなか難しい。

『オリンピックは持ち回りの役員のようなもの』・・・金持ちの国にしかやれない。
来年の東京オリンピック、総経費は3兆円に迫ろうとしているそうだ。

『ネズミが消えた遊園地』・・・ナイトに失礼か。
ナイトが

『病理診断はAiにとってかわられるか』・・・早晩そうなるだろう。
画像診断

まで、ボツ40タイトル。1ヶ月分のストックは書いてあったということで、駄文にせよそのこと自体はすごい。
来年もいい記事をたくさん書きましょう。
いろいろありました

ブログランキング・にほんブログ村へお願いします


ふと、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド

2019年04月26日 | あの頃のこと…思い出話
FMヨコハマを聞いていたら、昔よく聴いていたフランキーゴーズトゥハリウッドの”リラックス”、が流れてきた。
”おー、なつかしい!”と聴き入ってしまった。やっぱりいい曲(歌詞はいただけないが)。
平成が終わろうとしているけど、この曲が大ヒットしたのは1983年、昭和58年の曲。私の感覚はまだ昭和のままということで、こんなんで令和に突入していっていいのか、不安になる。
カルチャークラブの”カーマは気まぐれ”も1983年だというし。じゃあ、a-haの”テイクオンミー”は?と思ったら、1984年。わたしゃ化石か。
ここで改めて、平成元年はいつかというと30年前の1989年で昭和64年。うーん、1980年代というとずいぶん最近のような気がしていたのだけど、やっぱりずいぶん昔ということになる。それで、令和元年は2019年。平成の30年間をまたいで生きることができたというのは、幸運だと思う。人の命は死と背中合わせということを忘れずに生きていたい。

そんなんで、ムキになってググってみても、出てくるのは1980年代が中心。つぎに当たったのはユーリズミックスの”スウィートドリームス”これまた、1983年。やっぱり二十歳前後が一番記憶に残っているのだろうか。

これより前となると、ローリングストーンズ、キッス、クイーンとなるのだが、これらの私がハマりまくっていたバンドはさすがに昭和。”ボヘミアンラプソディー”(1975年!)がリバイバルヒットしているということを考えると、昭和は良かったといってもバチは当たらないだろう。

令和になってもいいものはいい

この頃のできごと(備忘録のつもりで)

2019年01月25日 | あの頃のこと…思い出話

平成最後の冬、起きていたことを書き留めておく、5年後、10年後にこれらのことはどう変わっているだろう。

思い出すかはわからないけど、もしかしたらたまたま今日のこの記事を読むことがあるかもしれない。

新聞・テレビの見出しようになってしまうけれど、備忘録のつもりで10個ほど挙げておく。

1)日韓関係が悪化・・・韓国の人の中では、慰安婦、今度は徴用工と先の大戦の清算は終わっていない。レーダー照射とか、軍事問題も起こってきた。

2)北方領土問題・・・日露の連携を深め、平和条約を結ぼうという両国の意図はいいのだけど、その前に領土問題がある。ロシア側から見て、領土問題がすでに解決済みの問題としたら、なにをいまさらという話になる。双方の認識の違いという点では日韓関係と同じかもしれない。

3)安倍政権と統計処理問題・・・厚労省の手抜き仕事が明るみになった。不祥事が頻発しているのに、大臣も官僚も誰も自ら責任を取ろうとしない。こうなってしまったのは、総理大臣みずからの問題をうやむやにしてくきたからだろうと思う。

4)野党・・・自民党に選挙で負けるのは、野党が乱立しているからだと分かりきっているのに、百家争鳴というかそれぞれが勝手な主張をしていて、自民党への対抗軸を作れないでいる。このまま参議院選挙に突入したら、やっぱり負けて自民党政権が延びていよいよ憲法改正へと進んでいくだろう。

5)災害・・・天災は忘れた頃にやって来る。関東地方に大災害が起こっていない今こそ、防災意識を強く持って日々を送らなくては。

6)大坂なおみ・・・全豪オープン決勝は、いよいよ明日。黄金時代の幕開けとなるか。

7)大相撲・・・稀勢の里が引退してしまったのはとても残念。白鵬も絶対王者かと思っていたが、ほころびが少しずつ見えてきている。5年後、10年後の横綱は今の誰なのだろう。

8)ブレグジット・・・イギリスは本気でEUから離脱したかったのか。国民投票という手法は果たして本当に正しかったのか。そしてEUはどこへ進んでいくのだろうか。

9)トランプが変えたアメリカ・・・世界の一等国という座から降り、世界でいちばん自分大事の国となってしまったアメリカ。

10)中国とGAFA・・・GAFAは電脳社会から世界を支配していくのだろうか。それを追い越そうとする中国。GAFAのソフト面に対して、中国は監視カメラとか、タクシーの配車とかいう、後発技術で追いついてきた。日本のタクシーの動きは中国の監視下に置かれることになるわけだけど、考えてみたら、GAFAはすでに、それぞれの人間の位置情報を持っていたわけだ。

雑駁な話となってしまったけど、皆さんは今の時期の話題としてはなにを選ぶだろう。

生々流転

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→


今年のボツ記事 2018

2018年12月30日 | あの頃のこと…思い出話

さて、恒例の今年のボツ記事、今年はそんなにないと思っていたけど、案外ありました。

並びは、古い順ですが、シリーズ物(くずれ)など、書いた日が前後しているものがあるので日付はつけません。どれも出来損ないで申し訳ありませんが、私の備忘録のようなもので。

『』内がタイトル、続く文章が記事(もちろん書きかけ)。・・・以下は一言コメント。


『わたしはしあわせ』・・・本記事『分相応であるべし』と比べると、こっちの方がお気楽でよかったかな。

新年明けましておめでとうございます。
 今年もこんな気持ちでいられたら、よろしくお願いします!

 それにしてもブログ主、不肖コロ健、しあわせです。
 こんなにたくさんの読者の方に支えていただき、かれこれ10年

『ネガティヴ・ラヴ』・・・ホント、出だしは傑作だったんだけど。小説書くのって、難しい。

「先生さ、自分の年、考えたことあるの?そこそこイケメンのつもりかもしれないけど、どうやったってこんな若い子の恋愛対象になれるわけないじゃない。地位とか金とかに寄ってきているだけで、先生が自分で考えるドキドキするような恋なんて今さらできないんだからさ。こんなところでいつまでもクダ巻いてないで、早く帰って奥さんと昔話でもした方がいいよ。」
 こんな出だしの恋愛小説を書こうと思ったのだけどやめた。残念ながらこういう状況に対して気持ちが動くことがなくなっているためで、日常生活では多少の下心のようなものを感じることはあるけど、それを増幅させての不倫小説なんかはなかなか書けない。

『こんな雪の中お仕事ありがとうございます』・・・これ、頑張るべきだったのでは。

予想通り、関東地方は大雪に見舞われ、私も帰宅難民になりかけたけど、なんとか家に帰りつくことができた。

首都圏の交通が雪に弱いというけれど、これほどの過密ダイヤにもかかわらず、30分程度の遅れで運行しているなんて、驚異的。鉄道各社の努力に感謝します。道路を走る車は少ないけれど、路線バスはがんばって走っている。ありがたいことだ。

便利さを当たり前のように享受しているけれど、それぞれの人が仕事をしてくれるから私たちはやっていられる。

『他人の足を引っ張る』

他山の石として自ら気をつけなくてはいけないことはたくさんある。

最近気をつけているのが、卑怯な手段で他人の足を引っ張ること。ライバル、競合者というのはいつも突然に出現する。商売をしている人ならそんなことしょっちゅうだろうけど、医者の世界でもしばしばある。もし私がそんなことに巻き込まれたとしても、インチキなどしないで対抗しようと思う。もちろん、斬新な発想、とか仕事上の工夫は尽くさないといけない。

『ちゃんと働いたらそれだけのことを』

ブラック労働が問題となって久しい。
 医療の現場は、残業代度外視の医療従事者の働きが半分くらいを占めてきたが、労働環境の見直しが始まり、大混乱をきたしている。大学病院、名門病院に労基署が指導に入り、残業代の支払いで経営危機に瀕しているところもあるらしい。

『日本の愛国心のありかた』・・・日本人としての誇りが揺らいでいる。

昨日、ロイアルウエディングとのことでイギリスのハリー王子の結婚式が中継されていた。その中でコモンウェルスという言葉があるしばしばでてきた。
 これは言わずと知れた英連邦、すなわち旧植民地に発するイギリスの富の源泉のことだ。何ということはない、数百年前から、イギリスは世界を征服し、英語は共通の言語となっている。その、コモンウェルスを愛国心の象徴としている。
 第二次世界大戦後の枠組みは、戦勝国が作ったものであり、負けた日本はこの枠組みの中ではいつまでたっても敗戦国だ。かといって、非核保有国で新しい国際的な連合体を作ったところで、核保有国によってバラバラにされて終わりだろう。
 戦勝国側はナチスドイツ、悪魔のような日帝から世界を救ったという自負があるから、堂々としているし、それへの誇りが愛国心日本繋がっている。
 一方で、敗戦国である日本はどんな愛国心を持ったらいいのだろう。
 幸い、昔からの日本の国土はほぼ残されて、分断もされなかった。そうした日本への愛情を、私たちはどう持っているだろうか。

『やってはいけないことをやってしまったら』・・・政治家が責任を取らなくなって久しい。

この国、日本は法治国家で、民主的な方法で選ばれた政治家が公明正大な政治を行っていることになっている。だから、政治家は不公平なことをしてはいけない。不公平なことは政治家としては犯罪なのだ。

 犯罪者は犯罪を犯したらその罪を認めて償わなくてはいけない。そしてその場からは退場する。

『母は強くて頼りになる、はずなのに』・・・お母さんはどうして止めることができなかったのか。

5歳の女の子が継父に虐待され、死に至ったという痛ましいニュースが流れている。


『私のプレゼンテーション考(1)私は何を伝えたいのか?』・・・このシリーズは復活させたいが。

大山鳴動鼠一匹となってしまった、「私のプレゼンテーション考」改めて書いてみようと思う。

『私のプレゼンテーション考(2)テーマと内容』

昨日、”何を伝えたいか?”ということについて考えたのだけど、その”何”とはすなわちテーマだ。

『私のプレゼンテーション考(3)発表内容に関する制限』

”発表内容は先生のご判断に任せます”と言われても、大まかなテーマが決まっている場合、判断なんてそうそう簡単にはできない。

『私のプレゼンテーション考(4)プレゼンの技術』

手が震えるかもしれないから、レーザーポインターは両手でしっかり握る。とは、むちゃくちゃ厳しかった指導教授の言葉。

発表はハンズフリーで、は発表をイロハから直接指導してくれた先輩の言葉。

両方とも、しっかりいまでも覚えていて、体に染み付いている。

『私のプレゼンテーション考(4)プレゼンの技術』

手が震えるかもしれないから、レーザーポインターは両手でしっかり握る。とは、むちゃくちゃ厳しかった指導教授の言葉。

発表はハンズフリーで、は発表をイロハから直接指導してくれた先輩の言葉。

両方とも、しっかりいまでも覚えていて、体に染み付いている。

『私のプレゼンテーション考(5)聴衆と幸せな時間を共有する』

講演では会場にいる聴衆とともに、その幸せな時間を共有する。

『許せない心』・・・テーマが大きくなりすぎるとまとめられなくなってしまうう。

人を許す、許さない、というのは結局は自分の心一つだ。
 無差別テロは世界中で起きている。
 オウム真理教事件、秋葉原通り魔、無差別銃撃、自動車テロ。規模の大小、関わった人間の数はまちまちでも、結局はそれぞれの人の身勝手な思い込みが、それまで何の関係もなかった無辜の人々の命を奪う。

『ナンパをしている若者を見て思うナンパのテクニック』・・・他人をネタにするのは、よほどのことがないと文章にできない。

とある駅前で、友人と待ち合わせて立っていたら、真横で大学生ぐらいの男が高校生ぐらいの女の子を口説いている。

二人がどのような状況でその場に連れ添っていることになったのかはわからないけど、わかるのはその男がその女の子を”お持ち帰り”しようとしてるということだった。なにせ、真横なので口説き文句も聞こえてくる。

男「ウチに来たら、親もいるから安心しなよ」女の子「・・・」男「今日はもう遅いからさ、ウチに来て寝てって、それで明日の朝早く帰ったりいいじゃない」あれこれ考えたのだろうか、女の子がやがて家に電話しているが、「ママ、出ないなぁ」とかいっている。男の方はあとひと押しということであれこれ一緒に帰ってくれるよう懇願している。

大したものだ。人を見かけで判断してはいけないけれど、その男それほどパッとした風貌ではないしかといって遊び人風というわけでもない。それでもそうやって”お持ち帰りしたい”という一念でそこまでやるかという感じだ。そういえば、私が浪人している時に、憧れていた女の子をやすやすと持っていった男がいたが、ちょうどそれを思い出した。彼女のことが気に入っていると言ったら、その1週間後には肩に手を回して私の前を歩いていた。そういう、天性のナンパ野郎、というのはどこにでもいて、この私の横で必死に口説いている男もその口なんだろう。

女性は、男性とそういう関係になる時には”なんらかの理由が必要”だというけれど、この男はそれを実践している。

『次のミッション』

一昨日のプレゼンはまあまあよかった。一度に二つも三つもの仕事はできないので、結局、次の仕事はこれからということになる。

『PPD(Pack per Day)というよりは』

タバコの数え方としてPPDという方法があることを話題にしたことがあった(PPDはタバコの数え方 2017年07月27日)。

『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(4)魂を感じ、コントロールする』・・・このテーマも大きくなりなりすぎた。

”人生”が大きくて長い真っ暗闇のトンネルのようなものであることを思いついてからというもの、そのことの意味をよく考える。とくに、心に乱れを感じたとき、目をつぶって、自分はトンネルの中にいるだけなのだと思い出す。でも、ここでいつもそう思うことの邪魔をしてくるのが、肉体だ。私が魂を感じ、コントロールすることをまるで邪魔するかのように、刺激を送り込んでくる。それは、匂いであったり、音であったり、触覚であったりする。さらには、痛み、空腹感のみならず様々な精神的苦痛といったようなものも、”気を散らす”ように襲ってくる。

心頭を滅却すれば火もまた涼し、という言葉がある。極端な暑さや寒さは別だが、それ以外の大小の刺激ですら、なかなか除外することは難しい。逆に肉体と魂を分離するということにこだわる必要なんて無いという考え方もある。心休まる音楽と香りに身を委ねて全てが渾然一体となった中で過ごすのも良い。それはそれでとてもいいことだけど、自分自身の魂のありか、というか存在が純化されない危険がある。自分の世界がその中で閉じてしまって、暗闇の中の自分周囲が照らし出されるだけで、もっと広い世界に心が広がっていかない。

自分の知覚を自分の存在する周囲に限ることなく、もっと広くしなくてはいけない。世界は広く、果てしないということを意識しなくては、魂を解放することはできない。自分の魂、感覚を内向きのものにしてしまわないためにも外部からの刺激を切り分ける術を身につけたい。その一つが瞑想だろう。瞑想といっても、それほど難しいものではなくて、静かな場所と椅子があればできる。そういうところで、目を閉じて鼻の頭あたりを見つめて、自分の心の中にある魂を感じる。寝てはいけない。

そうするうちに、自分が大きく長いトンネルの中にいるということが感じられるようになる。やがてはその外により広い世界があることを感じることができるようになるかも知れない。

『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(5)肉体を解放するには』

魂を感じ、コントロールし、やがて解放することができても、でも肉体はどうやって解放したらいいか?

芸術とかスポーツとかさらにはゲーム、賭博は魂と肉体を結びつけてします。

『”人生”という大きくて長いトンネルの中で(6)肉体は消滅に、魂は解放へ』・・・でも、なんとかまとめないと。

矛盾した関係

『麺類の食し方』

私は蕎麦が好きだ。学生の頃はうどんが好きだったが、ここ20年ほどは8対2ぐらいで蕎麦を食べる。お腹の調子が今ひとつの時は消化の良いうどんを食べる。だから、月曜日には妻にうどんを作ってもらって食べた。

『国際学会に行ける人、行けない人、行かない人。』・・・ひがみっぽい文章もダメですね。

今年の国際病理アカデミー年次総会が中東のヨルダンで開催されている。日本からも多くの病理医が参加していて、早くもFacebookに死海の写真をアップしている人もいる。どうやって休みをとって、渡航費を捻出しているのか教えて欲しいが、先生方それぞれなのだろう。残念ながら、私の場合は貧乏暇なし、とても1週間も仕事に穴をあけることなんてできない。それに海外に一人で行ってもそう楽しくない。

国際学会では、公用語が英語で、英語がそれほど流暢でない私はつい二の足を踏んでしまう。学会場では英語が上手でないことは、ディスカッション能力がかけているということで、よほど良い論文でもを持っていなければ、英語が下手な人は下に見られてしまう。語学力でしたに見られるというのもなんだか悔しいので呼ばれなければ行かない。

何しに行くのだろう?と思える人もいる。とくにこれといった研究をしているわけではないのだけど、とにかく勉強目的で行く人なんて、すごい。

私は、国際学会に行こうと思えば行けるけど、諸般の事情で行けないというか行かない人だ。国際学会に行けないのならば、せめて論文を書いたらいいのだけど、ここのところ書いていないというのは良くない。全部ただの僻みになってしまうので、気をつけたい。

『スイカもパスモもイコカも対象に?』・・・消費税、どうなるんだろう。大混乱じゃない。

消費税増税に際して、軽減税率が話題となっている。

『笑顔はなぜすぐ忘れてしまうのか』・・・いつも笑顔で。

油断すると、すぐ仏頂面。
 誰かが、ちょっと気にさわることをすると、きつい目で睨む。私はなんてつまらない人間なんだろう。

(ありがとう 平成 @海ほたる)

『自分の歳を考えよう』

人が誰かと接する時、年齢差が問題となることは少なくない。

スポーツとか将棋や囲碁のようなゲームならば同じルール内で戦うので、年齢差はほぼ関係ない。でも、一般社会では”年齢”を相手に対して優位に立つために利用する人は少なくない。

私が小学生の頃、担任の先生は30代、40代、50代といたように思うが、それぞれ同じようなおじさんおばさんだった。大人なんて、子供の目から見たらそうだ。中学、高校あたりになると、若い先生、年配の先生の違いぐらいは認識できるようになってくるけど、やっぱりみんな大人だ。結局、いつまで経っても年上の人は、みんなある程度年配者であり、自分から見たら”ずっと”年上の存在だ。

でも、自分の立ち位置はあまり変わっていない。いつも自分が一番若くて、自分より年上の存在が重しというかプレッシャーになってある。

『一度死んだと思えば』・・・交通事故は怖い。

私は一度死んだ。
 そう考えることにした。
 奇しくも55歳の誕生日に私は一度死んだのだ。
 だからといって、また死にたいとは思えない。少なくとも(あの時のように)意味もなく死ぬのは遠慮したい。

『たとえ、週一だとしても』

ここのところ、スポーツジムには週に1度程度しか行けていない。

『タバコの匂いはどこからくる?』

スポーツジムのあるエリアでは

いつか書こうと思っていただけなんだけど

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→


ああ、そんなこともあった

2018年11月12日 | あの頃のこと…思い出話

昨日、55歳を記念しての中学高校の同窓会があった。前回は2016年だったから、開催頻度は高い。それでも50人近くの人が集まり、盛会となった。

同窓会の企画といえば、思い出話に思い出の品といったところだけど、今回もそれなりに面白い話や品物が出てきて楽しませてもらうことができた。

中1の時、私が校内誌に新入の喜びを書いていた記事が出てきた(下欄に添付)。この時から書いている調子が基本的に今と大して変わらないので笑ってしまった。”たり”の使い方が間違っているなど、推敲の跡がほとんどないという点でも今と変わらず、情けなくなる。文章というものは残るものだ。どんなものでも心して書かねばならない。それにしても、ずいぶんな喜びようだ。

再認識したのが担任の先生方が若かったということ。学年主任の先生はすでに50近かったはずだが、その他の先生たちはせいぜい30歳だったということ。私の中一の時の担任の先生は母校に就職してから初めて担任として受け持ったクラスだったというし、他のクラスの先生も副担任の先生たちも同じ様な年だった。そう考えてみると、よくあんな生意気な中学生を曲がりなりにもコントロールしていたものだと思う。学校の先生というのは大したものだ。

多くの先生が定年まで勤めあげられたが、高三の時の担任の先生は早期退職で陶芸家となり、山あいの集落で作陶に励んでいらっしゃる。先生の人生もいろいろある。

10年近く前に私たちが学んだ校舎は取り壊されてしまったので、かつての面影は校門へのアプローチに植わっているイチョウの木だけとなってしまった。それでも、ここに立つと新しい校舎の向こうにかつて私たちがかけずり回ったグラウンドが浮かび上がってくる。6年間毎日通った思い出が褪せることはない。

次は還暦を記念して会うことを約束して別れた。

健康に気をつけて

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→

 


私がお世話になった先生の訃報

2018年10月05日 | あの頃のこと…思い出話

Googleのトップページを開いたら、今日10月5日は”世界教師デーWorld teachers' day)”とあった。教師といっても、いろいろな教師がいる。

わたし的には、小、中、高等学校の教員を教師といって、大学の先生は教員、幼稚園の先生は先生と区別している。なぜなら”教師”というと、朝礼で出席をとってそれから板書しながら教えを施す、そんなイメージを持っているからだ。小学校時代、中学、高校時代それぞれにわたしが影響を受けた先生、教えを受けてありがたい先生は何人もいる。今でも同窓会などにお招きして昔話に花を咲かせることもある。だが、教師はもちろんそれだけではない。

先日、わたしが留学していた大学の先生の訃報を耳にした。その先生の教えを乞うてお願いしたら、幸運にも受け入れてくれた。期間中は日々、先生の病理診断を見学し、それ以外の時間は日本から持参していった先生の書かれた分厚い教科書を読み、わからないところを色々と教えていただいた。その時に学んだことは今でもわたしのスペシャリティーとなっている。

わたしも遅ればせながら、去年から大学教員になって、一病理医であることに加えて教師となった。毎日研修医や医学生が次々とやってくるが、そういった人たちに色々と教えなくてはいけない、というかそういう人たちの相手をしなくてはいけない。ただでさえ人一人を預かるのも大変なのに、英語が下手くそな日本人を預かり、先生はさぞかし大変だっただろう。わたしにとって大恩ある教師だった。Dr.B

のご冥福をお祈りする。

わたしもわたしなりに自分の持っているものを後進に伝えるつもりで、手を抜かないでやってやっていきたい。

師はいたるところに

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→

 


変わらない景色、変わってしまう風景

2018年02月15日 | あの頃のこと…思い出話

先日の弟のグループホームへの入居の手伝いは午前中のうちに終わらることができたので、午後には妻とドライブをした。

結婚前からよく行っていたところで、葉山の少し先。

畑の間の農道を歩いていると急に目の前が開けて海が一望できるところがあって、ここが私たちのお気に入りの場所だ。

手前の藪も、向こうの小さな漁港も、30年前とほとんど変わらない。

結婚してからは子供達も何度か連れてきたことがある。いつの間にか、その子供達は大きくなって、4人一緒にここを歩くということももうなさそうだ。

漁港の近くの魚屋で安くて美味しい地魚を買い込み、家で食べるのが楽しみだった。その魚屋も変わらずある。東京あたりからも、プロの料理人が買い付けに来るとかで、結構繁盛しているようだ。

ここには写しこまなかったけど、この左手は大規模な開発が行われて、緑は半分ぐらいになってしまい、景色は随分と変わったものになっている。

人口が減少していく社会で、なぜ、豊かな緑を伐採して大規模な宅地を開発しなくてはいけないのか全く理解に苦しむ。新築の家を建てたいのならば、今ある古屋を更地にして新しいものを建てたらいいのに、どうしてそうできないのだろう。業者さんとしては大規模に開発してまとめて売る方がいいのはわかるが、残り少ない自然を守る手立てはないものだろうか。

それにしても、人間というのはなんとまあ地球にとって迷惑な存在だと、なんともやりきれない気持ちになる。

歴史ドラマの中の景色が羨ましい

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→


35年ぶり、でもそれは昨日のことのようで

2018年01月22日 | あの頃のこと…思い出話

週末、友人に会った。友人といっても旧友で、会うといっても35年ぶり。

彼とは浪人時代のほんの半年ほどの付き合いだった。医学部志望ということで、同じく浪人していた私の高校の友人を通して顔見知りとなった他校卒の同じく一浪生だった。なぜかウマが合い、いろんなことを話し、いくつかの大学は一緒に受け、合格発表も一緒に見にいった。浪人生活は互いに一年で切り上げ、大学は別の大学に進み、そのまま疎遠になってしまったが、折に触れてどうしているだろうと思い出すことはあった。とくに大学受験の季節となると必ず一度は思い出していたのではないか。

半年ほど前、高校時代の同級生(彼とは年に1、2度集まりがあって会う)が、「オマエ(コロ健)、〇〇って、知っている?あいつ今、俺と一緒のところで仕事しているんだよ」と、「え?」と二の句を継げないでいたら、「オマエのこと、あいつに話したら是非会いたいって、どう?」ということになり、35年ぶりの再会となった。

はたからみれば50代半ばのおっさん3人だが、お互いの目には若かった頃の顔が重なる。その旧友も、浪人時代の思い出の中にあったままの笑顔だった。35年というと随分の年月のように感じられるが、不思議なもので、つい先日あったばかりような気がする。積る話をいちいちするほど時間はなかったが、仕事上の繋がりもあって、再会を約束して別れた。

彼はそのまま大学に残って今では某科の教授だという。母校とは遠くなってしまった私とは大学進学後に歩んだ人生は大きく違う。それでも、お互い、健康と家庭に恵まれたということが、この再会を素晴らしいものにしてくれた。

語らなくていいことは語らない

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→


今年のボツ記事 2017

2017年12月30日 | あの頃のこと…思い出話

毎年恒例にしていた今年のボツ記事、いざ書こうと思ったら去年の書きかけ記事がたくさん出てきた。そこで、『今年のボツ記事 2016(!)』を1年遅れで書いた。と言っても書きかけていたものをコピペしただけだが。

いよいよ、これが本当の今年のボツ記事。やっぱり、記事にならなかったのはそれなりに原因はある。

『捨てる神あれば、拾う神あり』

今回、東京都知事選挙に出馬した、小池百合子さん。自民党から見捨てられ、応援を得られず、それでも自らは自民党員として頑張った。
 彼女のインタビューで、「捨てる神あれば拾う神あり」と、党には見放されたけど、応援してくれる人がいたことを述べ、それを頼みとして頑張り通したのだろう。

『病理のこと・・・シリーズ集』(という、これまでの病理関連記事をまとめようとした)

病理診断科のこと

(1)・・・2007-11-21   (2)・・・2007-11-24  (3)・・・2007-11-25

 病院で死ぬことと病理解剖

注1) 日本の医療はなぜ、何も変わらないのか?・・・2010-01-30

注2) なぜ、私の代わりの病理医はいなかったのか?・・・2010-01-30

注3) 病理解剖は何のために行うのか?・・・2010-01-30

 病理医になるための勉強

2012年02月18日2012年02月19日

 医療を哲学的に考えてみる

(1)(2013年08月05日) (2)『医療』の定義、医術(2013年08月07日) (3)『医療』の定義、病気(2013年08月08日(4)『医療』の定義、治す(2013年08月14日)  (5)『医療』の定義(2013年08月23日) (6)『哲学的に考えてみる』の定義(2013年09月12日) (7)患者の願いはなにか(2013年12月03日)

病理医になるには

『久しぶりにお相撲をみて』

昨日、一昨日とお相撲をテレビ桟敷で観戦した。

たっぷりみるといって、42人中13人が外国出身だった。

『継続は力になるかな?』

このブログが書けなくなりそうになると、「継続は力なり、頑張って続けてください」というコメントをいただいたことがある。

『自分の周りにあることしか話さない人』

昨日、私の歓迎会があって、二次会にカラオケにいった。この前も書いた通りカラオケは好きで若い頃はずいぶんと楽しんだ。だが数年ぶりとなると何を歌っていいかわからない。なんせ、私の半分くらいの歳の人もいる。結局、自分のオハコを何曲かうたって、温かい拍手をいただいた。だが歌いながら別の私が

 あのさー、お前、なん年前の曲を、歌ってるの?それも立て続けに。
 心の奥からそんな声が聞こえてきた。
 "自分の周りにあることしか話さない人。"
 コロ健のやってることはそれかい⁉︎なんて、思ってしまった。

 私は芸能人でもなんでもないので、あまり余計なことを考える必要なんてないのだけど、年をとると余計なことばかり考えてしまう。宴会は参加している人みんなが楽しまなくては意味がない。

『医学と医療と病理学』

『ヤンキーの方が、勉強ができただけで出世したような人よりも、よほど礼をわきまえている。』

この歳になるまで気がつかなかったことがある。「おい、みっともないからやめなよ。」なんて周囲のことを気にするようなことを大人が言ったら何となくその人はヤンキーっぽい。

『"こんな人たち"の生活とバラマキのために私の収入の多くを税金として納めている。』

税金を納める、ということは国を支える人間の一員として義務であることはよくわかっている。国民の誰もが税金を納めなくなったら国体護持は叶わない。

『そんなに不機嫌にしていたら、誰も近づいてこないわよ』

先日の出張の朝、忙しくてイライラしていたら「そんな顔で行ったりしたら、周りの人に嫌われちゃうわよ!」と妻に言われた。

これには続きがあって、「わかっている?”私”だからあなたがそんなでも耐えていられるけれど、そうでない人だったらあっという間にどこかに行ってしまうわよ。それでもいいの?」というものだった。

以前、私は”仕事がいっぱいいっぱいになると、イライラして周りの人が怖くて近づけなる”と言われたことがあった。妻も、そのことは知っていたようで、あまり言いたくはなかったようだったが、先日はよほどひどかったのだろう。私に対して忠告しないではいられなかったようだ。

たしかに、最近また忙しくなってきた。世の中には私などよりもっと忙しい人、多くの仕事を抱えている人というのはいくらでもいる。だが、私には現状が大変なのだ。この歳で新しい職場に4月に移り仕事に慣れてきたところで、学会の仕事やら、研究のことなどとあれこれある。

私でなくてもできるようなことばかりだろうけど、もっとふさわしい人はいるだろうが、私が適任者の一人であることも間違いない。そんな私が引き受けたことでいっぱいいっぱいになっている。そして不機嫌になる。

これまでにも、そういったことはたしかにあった。だから、それを思い出して妻は私に忠告したのだろう。

『初期研修医への病理診断学の指導』

医師臨床研修制度が10年前に始まった時、私は専門病院に勤めていたので、研修医というと後期研修医すなわち将来の方向性がある程度決まっている医者のことだった。医師国家試験に合格してすぐに来る初期研修の医者というのがどんな存在、というか何を考えているのかよくわからないでいた。昨年、一般病院に勤務し初めて初期研修医に接して、どんな感じか少しわかった。今年は、初期研修医指導の2年目、新しい大学病院に移ってからは初めてだ。

初期研修医が病理診断学の研修プログラムの中で学ぶのは、CPCレポートという病理解剖の所見をまとめることで、これを病理医が指導する。病理解剖は病理医として初歩の初歩であり、究極の仕事でもある。研修期間という限られた時間しかない中でそんな大それたことをマスターするなんて土台無理な話なのだけど、病理診断学のさわりだけでも学んで欲しい。

初期研修医なんて学生の延長みたいなもの、なんていうことをまだ初期研修医を知らなかった頃、小耳に挟んだことがあったけど、そんなことはなくて、皆さんよく勉強していて感心した。これが、1年目の医者だったらどうだったかわからないけど、ここでは2年目の医者というのもある程度臨床的なことを理解しているという点では良いのだろう。

そんなことより、嬉しかったのは熱心に病理医のいうことに耳を傾けてくれること。医療の現場で何かとないがしろにされている感を感じるけれど、この研修期間に病理診断学の重要性を少しでも教えることで、そういったことも解消されていくだろうと思える。

『ご恩は忘れずに』

昔お世話になった人。

『考えれば考えるほど悲しくなる国』

昨年、パナマ文書というのが漏れて大騒ぎになって先日は、某国のジャーナリストが暗殺されてニュースになったが、今度はパラダイス文書

ケイマン諸島の租税回避地での文書が漏れた。アメリカの高官だとか、有名歌手、日本の有名漫画家がお金を預けていたということで騒ぎになっている。超富裕層の税逃ればかりではなくて、仙台では勤務していた医師のみならず病院ぐるみで、公正であることが絶対条件である治験に絡む医療機器会社の未公開株を利用しての売却益を得ていたということも話題になっている。一億円以上儲けた医者もいるということだ。その会社が租税回避地に登記していたということで蓄財が明るみに出た。

稼いだ金の一部を税金として支払うのはなかなか辛いが、結局のところ、その国にいる限りはその法律に従うしかない。無駄な税金は払いたくないけど、一定のものは仕方ない。でも、会計検査院の決算報告で国の無駄遣いが874億円というのには涙を禁じ得ない。トランプ米大統領の訪日に合わせてのイバンカ基金への寄付だの武器購入ももちろん税金。女性の起業、国土防衛のためになるのであればこれらを頭ごなしにダメとは言わないけれど、今目の前には貧困で苦しんでいるシングルマザーや被虐待児がたくさんいるし、紛争国では難民が大量に発生している。そちらの方に回すお金は足りているのだろうか。

 トリクルダウンという言葉がある(『金持ちがもっと金持ちになると、貧乏人も金持ちに・・・なるわけない(2008年10月20日)』)けれど、あれはどこまで本当なのだろう。お金持ちは儲けた金をこぼしたりしない。儲けたら儲けた分を溜め込んで、それを周りの人や物に使うということはないのではないか?

日本はもう借金まみれのお金が無い国だ。そんな国なのに、過去(ほんの20年前)の栄光を忘れられずに無理をしているように思える。

『国を背負う人たち』

先日、東南アジアのある国の病理医数名が私の勤務先に視察としていらっしゃった。

『ルイヴィトンとかグッチは日本に無い』

いわゆるブランド品、日本人女性の10人に1人は愛用しているだろう。男性でも財布とかネクタイは一つぐらい何か持っている人は少なからずいるのではないか。
 かつて日本製品が世界各地で受け入れられていったのはその品質の高さ故だった。いわゆるブランド品はその品質を保持するためにたゆまぬ努力を続けている。どこかで手を抜いてしまったのか、最近とんと見なくなったブランドもある。

『ブログを夜書き始めると元気が出ない』

週末の学会の準備が遅々として進んでいないのに、通常の仕事、というか本業の方が忙しくて、何も進まない。さらに、今日ショックなことがあった。

その学会ではセッション一つのお世話をしているのだけど、そのプログラムが主催者側のミスで落丁。全く参る。erratumを出してもらったところで、国際学会なので相手の先生方が気を悪くしないでくれたらいいのだがと心配になる。セッションの場ではホスト国を代表して謝るのは私になるので、私の拙い英語でお詫びの気持ちが伝わるだろうか、今から心配だ。国際問題というのは、意思疎通が上手にできないために生ずるに違いない。

それにしても忙しい。ヘトヘトだ。

こういう時は免疫力も落ちやすくて、先日来の風邪がまた悪化しそう。といっても、誰も助けてくれはしない。私は私で踏ん張らないとならない。


なんてことを、帰りの電車の中で書いていると、なんだか自分が哀れに思えて来る。夜になってからブログを書き始めるということはあまりないので、こんきもは比較的元気なブログだと思っている。だから、こういうのはあまり良くないのだが、今日のプログラムの件はさすがに落ち込んだ。
 でもまあ、そうは言ってももう仕方がない。主催者だってやりたくてやったみすではない。今夜無事に眠れたら、寝て起きたら気持ちを変えていくしかない。
 というか、準備しろ。これでは逃げているだけだ。

日に二度更新というのもどうか

『一昨日の夕食の献立』

一昨日、夕食は家でとった。
その時のメニューはなんだったか、直ぐには思い出せない。
 これは作ってくれた人に対してとても失礼なことだ。

『コロの復調』

先日来、ご心配をおかけしてきたマルチーズのコロだが、おかげさまで復調の兆しが見えてきた。

3系統ともの高度の貧血になって、精も根も尽き果てたようになっていたのだけど、クッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)に対する薬を休薬したら症状が改善してきたのだ。薬剤性の副腎皮質機能低下の状態だったのではないかと推測している。

今回のコロの経過は、脱毛と多飲多尿、皮膚の張りの低下などからクッシング症候群(副腎皮質機能亢進症)が疑われ、検査をしたらACTHが高いことがわかって、クッシング症候群と診断された。クッシング症候群は犬でもしばしばみられる病気で、副腎からのステロイドが多く分泌されることで、前記のような症状が出る。したがって、このステロイドが副腎で合成されるのをブロックする薬を飲んで、症状を抑える。

薬物治療の効果は良かったのだけど、どうやら長期投与が良くなかったようだ。

『病気が急によく見える瞬間』

こういうことを書くと、お前は一体何年病理医をやっているのだ、と呆れられてしまいそうだけど、やっぱりそういう時はある。

病理診断をしていると、病気の成り立ちが急に分かる瞬間がある。もともと、誰もが知っていることなのだろうけど、自分で病気の本体を理解しない限りは自分で診断したことにはならない。

癌の診断をする時、その腫瘍の顔とか浸潤の広がりとか、そういったものが理解できていないといつまでたっても癌取り扱い規約に振り回されることになる。

それ以外の病気でもそうだ。

病理標本をじーっと診ていると眼前に患者さんの病態が一気に広がって見えるのだ。そして、それを文章、すなわち診断書に記載する。

『従軍慰安婦問題について考えること』

韓国が従軍慰安婦問題についての日韓合意を見直そうという動きがある。

この問題については、双方の国、いや世界中で風化させることなく語り継ぐ必要があるだろうけど、他国の大使館の前にその問題を象徴するような像を置くというようなことは礼を失していると思う。

日本のニュースでは割と大きい問題として報道されているが、韓国でもやはりそうなのだろうか。行きすぎた対応は両国間の関係を悪化させる以外ない様に思う。

それぞれいいテーマではあった

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→


あの年のクリスマスイブ

2017年12月24日 | あの頃のこと…思い出話

まだ、新婚の頃のクリスマスイブ。妻も私も仕事が終わらなくてお互い家に帰り着いたのは夜の10時ごろとなった。

それぞれの職場から自宅に帰りつき、顔を見合わせて「クリスマスイブでも、一人で電車に乗っている人って、結構いるんだね」など同じことを言ったことがあった。電車は結構空いていて、確かに一人で乗っている人が目についた。もうバブルは崩壊していたけど、余韻は残っていた。今思えば、無茶苦茶な言い方だったけど、恋愛至上主義のような時代だったから出たような言葉だった。

子供はまだいなくて、二人でクリスマスケーキを食べた。

結婚して2年ぐらいは子供を作らないでいた。妻も仕事が忙しかったということもあったし、子供にあまり興味が持てなかった。それでもやがて、子供を授かり3人、4人でクリスマスを祝うようになった。でも、まず兄がクリスマスイブに出かけるようになり、今年は娘もいない。二人ともどこかでクリスマスパーティーとのことで、久しぶりに妻と二人で過ごすクリスマスイブとなった。

つい昨日のよう

ブログランキング・にほんブログ村へ←いいね!のかわりに→


私のロック名盤ベスト10

2017年06月11日 | あの頃のこと…思い出話

6月9日がロックの日いうことで、gooブログでこのようなお題がでた。お題にはあまり応募していないけど、私も若い頃は御多分に洩れずロックにハマったクチなので、久しぶりに参加することにした。

あれが一番これが二番というのは無理なので、10枚あげることにする。どれも若き日にカセットテープが擦り切れるほど聴いたアルバムだ。少し時代考証を少し加えてあげてみる。 アーティスト一組につき一枚挙げてみた。それぞれのアルバムについて、ちょっと調べてみたら、ユーチューブで曲まで聴くことができてうれしかった。

まあ、私の青春の10枚です。

ローリングストーンズ

ホット・ロックス1964-1971
 The Rolling Stones  1972年
USMジャパン

ストーンズは、1963年生まれの私が物心つく前から、おっさんたちの集まりだった。だから、中学生で初めて聴いた時はもちろん、大人の集まりで、アイドルではなかった。特に、大人っぽかったのはキースとチャーリーで、ミックはただの不良っぽい兄貴だったように思う。中3ぐらいで初めてサティスファクションを聞いた時の衝撃はもうなんだかよくわからなかった。よくわからなかったけど、あっという間にファンになって、随分いろんなアルバムを買って聴き込んだ。この後に挙げるアルバムそうだけど、あの頃は、アルバム1枚が完成品として存在していた。もちろんジャケットもアルバムの一部をなす重要な作品だった。そういう意味では、『レットイットブリード』も、『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』もいいのだけど、どっちみち『サティスファクション』はリアルタイムでは聞いていなかったので、ズルしてベスト盤を選ぶことにした。私にとっては、ストーンズから1枚だけ選ぶというのは土台無理な話だ。

ビートルズ

サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
 The Beatles 1967年

Universal Music

ビートルズもリアルタイムで聴いていたわけではない。初めて聴いたビートルズはHey Jude。そもそもロックとの出会いがこの曲で、ラストの方のシャウトで衝撃を受けたのが、私とロックンロールとの出会いだった。ビートルズから1曲選ぶとなると難しいけれど、アルバムだったらこれしかない。曲、構成そしてジャケット全ての点で完璧だ。曲だけで選ぶのなら、レットイットビーかもしれないし、アビーロードもやっぱり名盤なのだろうけど、一枚となれば、これでしょう。

イーグルス

Hotel California
 Eagles  1976年
Rhino/Elektra

まあ、なんというか、何もいうことはありませんね。この曲が出た頃は、毎晩ラジオから流れていたな。かけているDJも聴くたびに涙流していたような気がする。中1でラジカセ買ってもらって、エアチェックして、テープを何度も聞いて。You tube で聴き直しても、やっぱりかっこいい。ホテルカリフォルニアだけ聞いていたけど、さすがに聞き飽きてNew kid in town以下の曲を聞いたら、これも良くて、お気に入りのアルバムになりました。

クイーン

華麗なるレース
Queen 1976年
USMジャパン
 
 

 

 

 ボヘミアンラプソディーの入っている、『オペラ座の夜』とどちらにしようか迷ったけど、TEO TORRIATTEの入っているこちらをクイーン一押しとしました。初めて聴いた時にはまさか歌詞の一部が日本語だなんて思いもよらず、空耳かと思ったのだが、そうではなかった。余計に感動してしまった。アルバムとしての完成度は、神がかっていますね。芸術です。

エイジア

時へのロマン
 Asia 1982年
Geffen*

この記事を書いて初めて知ったのだけど、こんな邦題がついていたのか、知らなかった。このアルバムが出たのは私が浪人していた年。なんで、そんなこと覚えているかというと、思いっきり振られたから。相手の子も浪人生で、真面目な子だった(受験生なんだから当たり前か)。何度かデートしたけど、勉強が大事だからと言われてフラれた。可愛らしい子だったな。

ということで、Heat of the momment の、じゃっ、じゃっ、じゃっ、じゃっ、じゃじゃー、がどこかから聞こえてくると、内心あの時のことが思い出されてしまうのだが、妻と一緒の時は、ちょっとどぎまぎしてしまう。もちろん、妻は私のそんな思い出など知らない。

キッス

地獄の軍団
 KISS 1976年
USMジャパン

私は、エースが一番好きだったので、4人がそれぞれのアルバムを出した時もエースのをまず買った。キッスが好きになったのは、もちろんハードラックウーマン Hard luck womanからで、このアルバムに入っているベスといい、ピーターのファンになっても良さそうなのだけど。結局、大人になって、コンサートに行ったら、やっぱりポールのかっこよさが一番いい。だから、ラブガンもいいのだけど、キッスはデトロイトロックシティーだよな。

スーパートランプ

BREAKFAST IN AMERICA
 Supertramp 1979年
A&M

10枚を選ぼうと思って、あれこれ思い出していたら、Breakfast in Americaがすぐに出てきた。何度聴いてもいい曲だよな。声もいいし。ジャンボで海を渡ってアメリカに行ってどうするんだろう?なんて、そこしかわからないのだけど、歌詞を理解しようともせず聞いていた。The Logical Songもいいメロディーですね。

そういえば、トランプを超える、なんて名前なんだなどと思ったら、トランプ大統領の名前はDonald Trumpだった。

ピンクフロイド

Dark Side of the Moon
Pink Floyd  1970年
Pink Floyd Records

このアルバムに出会ったのはもう高校生になってから。プログレッシブロックなんて、難しい言葉の意味、あの頃わかっていたのかな。イエスも、活動していましたね。このアルバムの邦題は『狂気』。確か、このアルバムは輸入盤を買ったので、邦題にしても歌詞にしても知らずに聞いていた。

これも、完成度の高いアルバムだったなー。いつから、一発一曲当てたらいい、みたいになっちゃったんだろう。やっぱりCDが普及するようになってからだろうか。

レッドツェッペリン

レッド・ツェッペリンIV
 LED ZEPPELIN 1971年
ワーナーミュージック・ジャパン

レッド・ツェッぺリンを知ってから、バンドのメンバーの来歴というものに興味を持った。ジミー・ペイジがいたというヤードバーズなんて全く知らなかったのだけど、エリッククラプトンやジェフベックがいたということを知って、すごいものだと思った。それにしても、ロバート・プラントの声はすごい。

ツェッぺリンの他のアルバムもいいけれど、階段+Rock and rollということで、この1枚に。

ドゥービー・ブラザーズ

Minute By Minute
The Doobie brothers  1978年
Warner Bros / Wea


最後の1枚は、ドナルドフェイゲンとどちらにしようかと迷ったけど、What a fool believesのドゥービー・ブラザーズにした。

こうしてみると、大ヒット曲が1つあって、その曲を軸にしていかに完成させるのかがアルバム制作の手法だったのだろう。

 

それそれの時代にそれぞれの思い出が

にほんブログ村 病気ブログ 医者・医師へ