こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

医療費のこと

2008年01月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
医者の世界でもいじめはある。なまじ、知恵が働くもんだから、始末に負えない。
とくに、上のほうにいくと、時間的に余裕ができて暇になるので、自分のことしか考えなくなり、邪魔者を排除する方向にしか知恵が向かない。

小人閑居して不善をなす

いま、焦眉の問題は医療費だ。横須賀の元総理が行った開業医優遇医療費削減で、勤務医が絶滅寸前となっているが、ここでいじめがおきそうだ。
”(開業医の集まりである)医師会”対”病院および勤務医”だ。
開業医は勤務医を自分たちの後方施設として十分利用しておきながら、”開業医の仕事の大変さ、責任の重大さ”を強調して、”開業医優遇税制”と揶揄される勤務医よりきわめて有利な税制を享受し(勤務医はただのサラリーマン)、税込み2000万以上の収入を得ているし、勤務医は経費で(往診用の)ベンツを買うことはできない。だいたい、職住別で、夜中に困った近所の患者が来ることも無い。“大変”というのは自分が倒れたとき(それはそれで大変だが)だけで、そんなの勤務医だって同じだ。
開業医対勤務医。
開業の道があるとはいえ、ほとんど不可能な病理医には関係のないことではあるが・・・

病理医をめざしたわけ  1

2008年01月28日 | あの頃のこと…思い出話

病理の仕事のなかでつらいもののひとつとして、”術中迅速診断”というのがある。手術中に迅速に診断するというもので、けっこうプレッシャーがかかる。今日もあった。
そもそも私が病理医をめざした理由というのが、外科の実習中にこの”術中迅速診断”があったから。患者から摘出した組織を病理組織学的に検索して、その結果で、この先の手術をどうするか、手術を終りにしていいかどうか?といったことを決定する。
その間、外科医や麻酔科医、看護師らはみんな、待っている。そのときは私たち医学生もいたので、手術室の中は患者以外で全部で10人くらいはいたはずだ。そこにいた全員が、病理医の診断、指示を待っていた。結構、空気が凍ったようになっていたのを覚えている。
そして、手術室の中では”御宣託”のように聞こえる”腫瘍、残っていません”の声で、手術の成功が確認され、手術は最大の山を越え、終了へとむかうこととなる。  実際は腫瘍の有る無し以外にも、いろんなことを”迅速”に診断しないといけない。
そんな、診断をする病理医、とてつもなくかっこいー。と思って、病理医になった。
でも、かっこいーと思うのは、自分自身もしくは、手術室のスタッフくらいで、患者自身は寝ていて、病理医の存在まではほとんど意識しないだろう。手術室のスタッフへの連絡も、いろんな手術があるので、いちいち直接伝えにいくわけにもいかないからインターホン越しで、あっちから、“ありがとうございまーーーーす!”なんて、声が聞こえてくるだけで、手術が終わっても、お互い忙しいので、顔を合わせることも無い。
というわけで、結局、あんまりかっこ良く無かった、というか、直接誰かにお礼を言われるようなことはない、大事だけど、地味な仕事であることが判明した。
さらに、最初の憧れが強烈だっただけに、迅速診断のプレッシャーだけは、しっかり残っている。

いい天気

2008年01月27日 | 鎌倉暮らし
今日はいい天気、
用事があって、ちょっと出かけたら、八幡様は結構な人出

源平池のほうに廻ると、渡り鳥がたくさん来ていました

家に帰ると、南向きの部屋はぽかぽか、ちょっと眠くなります。
車の音が無く、空はきれいです。
今日はそんな鎌倉です。

寒い

2008年01月27日 | 鎌倉暮らし
寒くならないんじゃないかと、心配してたが、あにはからんや、十分寒い。
ここ鎌倉も最低気温は1度、昼間も7度くらい。
12月初旬、1月下旬から2月(節分を除く)は鎌倉が比較的空いているので、結構ゆったりしている。お天気がいいとお散歩も楽しい。

うちのマルチーズ、久しぶりに洗ってあげたら、ふわふわになった。

いじめとタバコと飲酒運転 1

2008年01月25日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
やってはいけないものを三つ挙げるとすれば、この三つだと、思う。
今回は、いじめについて。
いじめについては以前書いたのだが、いろんな種類のいじめがあることを最近思うので・・・。いじめはどのレベルにもある。人間は、ストレスの塊だったり、私利私欲の固まりだったり、するから、そのはけ口、解決方法を常に求めていて、そのためだけに生きている。と思うのだが、どうだろう。
私にしても、通勤のとき不快に思うこと(目の前に立っている人のヘッドフォンステレオの音が大きいとか、隣の人の整髪料の臭いがきついとか、車内での携帯電話での会話や化粧)はたくさんある。本人たちは、多少は周りに迷惑をかけているとうすうす思っていても、まさか”不愉快”にさせているとは思っていない。でも私は不快だし、”静かにしてくれ!””においをどうにかしてくれ!”などと、心の中で、憎悪に似た感情を持ったりする。
それが、地域、学校、職場など、匿名性が薄れて、だんだんと”標的”がはっきりしてくると、”苦情”に変わり、それが、”いじめ”へと発展していく。
でも、いじめを論じようと思っても、せいぜい自分自身とその家族を取り巻く環境についてしか、語れない。マスコミで見聞きすることが関の山。
いじめのきっかけは、“意地悪な気持ち”だと思っている。だから、“意地悪な気持ち”を持ってはいけないと思う。
ほんと、このことを考えだすと、情けなくなる。どうすればみんなが幸せに、仲良く暮らせるようになるんだろう。

天と地もしくは紙一重

2008年01月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
NHKの記者がインサイダー取引で捕まった。放送前のニュースを元にネットトレーディングでやったとのこと。それで儲けは三十万かそこららしいのだから哀しい。仕事中に家に帰ってまでやってたというのだから、これまでにも似たようなことはなかったのだろうか?
一方、入力ミスで数十億の儲けを出したことのあるネットトレーダーは、世界同時株安にも関わらず数億の儲けを出しているとのこと。
私は株というのをよく知らないのだが、両者の違いはなんなんだろう。方や報道エリートとしての道を踏み外してまで踏み込んだものの、わずか、30万円ちょっとの金(実際はもっとあるかもしれないが)で会社を首になるかもしれない瀬戸際にあり、方や学生時代からネットトレーディングで200億円近くの金をたたき出した若者。共通しているのは、株取引というシステムで、両者のあいだにはほんの少しの才覚だけではないのだろうか?
人生の幸せ、お金との係わりかた、いろんなことを考えさせられる・・・

社会との距離

2008年01月24日 | 日々思うこと、考えること
社会との距離を遠く感じたり、近く感じたりしませんか。
病理診断という仕事は、患者さんに対して直接接しての診療行為はしないので、人と話すことは一般的な臨床医と比較するととても少ないです。でも、一日中顕微鏡とにらめっこというわけではなく、仕事をする上では、診断を依頼してくる臨床医、臨床検査技師、看護師などと話します。患者さんに関する情報をもらわないと、いったい何のことかわからないし、病理組織の標本を作るにしても、臨床検査技師と打ち合わせて進めなければいけないのです。だから、病院の端っこにいるわけでもないし、仕事の内容をある観点からみれば、中心にいるようでもあります。まあ、それぞれのスタッフがそれぞれの仕事を全うして、初めて成り立つのが医療なので、これは当然で、病理医も見た目とは比べようが無いほど、社会に組み込まれていることがわかります。
考えてみれば、連日満員電車で通勤しているが、これもどっぷり”社会”です。ただ単に満員電車に乗り合わせている人間同士のコミュニケーションがないだけですが、連日、電車が満員だということ社会問題にそこに乗り合わせている全員が巻き込まれています。
社会との距離が遠そうなのは引きこもりとかホームレスの人たちかと思われますが、これらの人たちは、ほぼ毎日マスコミに取り上げられており、ほぼ、社会の中心にいるといっても、過言ではないでしょう。ただ、当人たちは何日も他人と口をきかなかったり、仕事などをしないために、社会と自分が離れたところにあると感じている可能性はあります。
少なくとも生きている限りは、生きとし生けるもの、必ず誰かとは関わっていて、誰かに見られ、誰かを見ています。これが、社会生活であり、生きていくということなんでしょう。
こう考えると、社会との距離を遠く感じて、さびしく思う必要はないんですよね。みなが、社会の中心にいるとおもえばいいのですから。

評議員会

2008年01月23日 | スポーツ・健康・ダイエット
日本バスケットボール協会、世界選手権の赤字13億円の責任をめぐって、評議員会が7回も流会している。
なんで、普通のマスコミだけが、協会の異常事態に対して報道しないのだろう?バスケ関係のブログも、この問題を忘れてしまったかのようだ。
13億・・・
あの大会、覚えているのは五十嵐と柏木くらいかな?
竹内の会心のダンクというのもあったか。
でも、期待されたシューターは・・・比較的楽なところからうっていたと思うが・・・
すみません、詳細を正確には覚えていません。
アジア選手権での、残り1分でのターンオーバーといい(あれを誰も問題にしないのも不思議)、精神的にきついところで戦えない、日本のレベルの低さを印象付けられた大会だったと思えます。
報道される以外、いったい何がおこっているのか、全くわかりませんが、一部のバスケエリートが発言力を持っているのが、今の評議員会の問題ではないのかな?
今回は、自分自身何もわかっていないのに問題提起してしまったようで、すみません。
でも、この程度のバスケファンてすごく多いと思います。年取って、自分でプレーができなくなってしまっても、日本のバスケ界が盛り上がってくれることが、何よりの喜びになってくると思うのですがね。

もちつき

2008年01月20日 | 鎌倉暮らし
おもちつきのお手伝いをした・・・
キーボードをたたく指も、腕もパンパン。握力は普段の半分くらいに落ちている。明日は仕事になるだろうか???
トッピングは大根おろし、ゴマ、あんこ、いそべ&納豆
私は納豆がだめなので、他の3個を食べた。自分がついたからというわけではないが、どれもおいしかった。
やっぱり、つきたてはいいですね。
最後は、豚汁におもちを2個浮かべて・・・満腹。



こどもが大好き

2008年01月20日 | 家族のこと
私は子供が好きだ、といいたい。
他人にそういうのは少し気恥ずかしいが、子供に向かっては直接いいたい。
私には息子と娘、二人の子供がいるが、二人とも好きだ。日本の文化というのはそういったことをはっきり言ってはいけないようなところがあると思う。子供をだきしめたり、ほめたりすることが簡単にはできない。
そんなだから、”わざわざ子供を抱きしめましょう”なんて、当たり前のことが”子育て本”に書かれてしまう。
子供との会話にしても、子供に興味があって大好きだったら、小さなときからずーっと会話ができているはずで、子供の成長に伴う変化も把握できて、”反抗期”もすぐわかる。子供が成長しようとしているだけで、普段から会話していないに、たまに話して”子供に無視されるようになった”なんて、そりゃないよ。
われわれ大人だって、1日2日でガラッと状況が変わることなんてしょっちゅうっだ。子供だってそう。だから、子供が小さいときから接することが大事だ。
そしてなにより、子供が大好きだ、と子供に伝えることが大事だ。大好きな相手に自分の気持ちを伝えるのは、当たり前のことなんだから。

天災は・・・

2008年01月17日 | 通勤・交通・旅行
電車で座ってうとうとしていたら、突然”ドカン!”と頭の上から厚い本が落ちてきた。前に立っていた人が、網棚から本を取り出そうとして、手が滑ったみたいだ。
それより、「心臓が飛び出るほどびっくりする」のはこういうことかと思うほど、びっくりした。以前にも、びっくりしたことはあるが、こんな思い、いつ以来だろう?免許をとった年の冬に雪で大スリップして、危うくガードレールにつっこみそうになったとき以来か・・・
頭を直撃されなかったのは日頃の行いが良いせいでも、信心深いせいでもない、頭の上でごそごそやっている音が聞こえ、姿勢を正していたからだ。息子が頑張っているボーイスカウトのスローガンは「そなえよつねに」、居眠りしていても、外は外、熟睡しては危険だ。
今日は、阪神・淡路大震災から13年目、昨年の10月からは緊急地震速報も提供されるようになった。天災は忘れた頃にやってくる。だけど、少しだけ普段から注意していれば、被害を少なく回避できることもあるのだろう。

初バスケ

2008年01月17日 | スポーツ・健康・ダイエット
今日は今年初めてのバスケ。
先週は研究会前ということもあり休んだが、実は膝痛で休んだ。
この年になると持久力が著しく落ちていて、2時間足らずの練習のうち、始めの30分くらいは大丈夫なんだが、あとはだめ、せいぜいセーフティーに残るか、こぼれだまをキープするくらい。シュートは途中からぜんぜん入らなくなる。
でも、最初はちょっと入ったので、よしとしよう。
初シュートも入ったことで、今年は幸先いいかな???

左義長@鶴岡八幡宮

2008年01月16日 | 鎌倉暮らし
鶴岡八幡宮の左義長

うずたかく積まれたしめ縄に火がつけられると、あっというまに燃えて、組んである竹が爆ぜてどんどんいう。
うちはどんどん焼き、と言っている(私だけか?)。
あっという間に暖かくなり、顔も火照って、体も芯からぽかぽかしてくる。
最後にお供えのおみかんをいただいて、今年一年無病息災、となりますように。

医師不足と病理診断科

2008年01月14日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

医師不足は産婦人科、小児科、外科だけの問題ではなくなってきている。病理医も少ない。最近では、どうせいないんだから、もう切り捨てちゃえ、みたいなことまでいわれることがある。なんで、こんななのかな、考えてみた。

1.病理専門医の高齢化

病理医のうち、病理専門医の平均年齢は52歳だそうだ。現役を引退した先生方を含めての計算だから、若干上に引っ張られるとは思うが、それにしても高い。

若い先生が入ってくることで、平均年齢は基本的には変わらないと思うのだが、毎年新しく病理専門医になる医師数は70名前後で、年長の病理医の減少がどれくらいのスピードで進むか不明だ。ある程度の年齢までは病理学会の会員だというだけで専門医資格が付与されていたから、病理診断をそれほどやっていない病理学者でも病理専門医になっているからだ。当時の病理学者の多くは病理解剖や病理診断に精通していたが、実験と論文執筆を主たる仕事としていた病理学者も少なからずいて、そのようなバックグラウンドで病理専門医になれた世代を差し引くと、病理医の不足は数字以上に深刻だと思われる。

2.病理診断の認知度の低さ

病理診断はなくてはならない仕事のひとつだということは、臨床医の半分くらいは認識している。おかげで、病理診断科が標榜科のひとつとしてこの4月から認められる。私の勤務している病院でも4月から病理診断科がスタートする。現在の臨床研修でCPCレポート(臨床病理カンファレンス:解剖例を整理報告する)が必修化されたおかげで、必要と思うか思わないかは別として、病理診断、解剖のことをほとんどすべての医師が理解するようになって来ているはずだが、私の実感では病理診断がなくてはならない仕事のひとつだと思っている医師の割合は、外科医の8割、産婦人科医、整形外科医の7割、内科、皮膚科医の5割、小児科医の3割くらいのように思う。しかし、医療従事者全体となると認識はどーんと下がる。これも私の実感だが、看護師の6割くらいは病理医の存在を知らない。薬剤師、臨床工学士あたりとなると2,3割しか病理医のことは知らないと思う。さすがに臨床検査技師に病理の仕事を説明することはないが、同じ医療従事者に病理診断の内容を説明するというのは、いつもながら情けない。

「俺、こんなに認知度の低い仕事をしているんだ・・・」と病院内で思うこともしょっちゅうだ。

さらに、一般の人は、病理医の仕事はほとんど知らない。自分が癌やそのほか病理組織診断が必要な病気になったため、生検や手術で組織をとられた患者さんでも、2割くらいしか知らないと思う。診断の内容を臨床医(=主治医)が説明するからだ。主治医は病理”診断”ではなく、病理”検査”だと認識している。検査結果は自分が診断を”やらせた”上で得た結果なので、臨床医のもので、病理医が出した結果という認識はない。だから、結果(診断)の意味をよく理解していなくても、「あなたはこういう病気です」ということを、自分がわかったつもりになって、患者に伝える。だから、患者さんのほとんどは病理診断を下した病理医のことは知らない。

3.病理診断科の標榜でどうなる?

患者さんが病理医から直接、診断の説明を聞くことができるようになるのが、今度の病理診断科が標榜できるようになる利点である。「何で私はがんなの?」「何で私は膠原病なの?」といったことを病理医から直接聞ける。「なんで、あなた(病理医)は私をこう診断したの?」ということだ。

患者の前に立つということは、病理医にとっては大変なことだ。病理診断はこれまで大切な仕事だったが、医師として行わなくてはいけない”患者さんへの説明”の部分を臨床医に任せていたからだ。これがわれわれ病理医がやらなくてはいけなくなるとき、われわれ病理医自身は診断の意味をよく理解しているか、ということをいま一度自戒して精進しなくてはいけない。

病理診断科が標榜科となると、患者さんから自分で組織を採って、自分(または検査会社=衛生検査所という)で標本を作って、自分で診断する医者も、病理診断科を標榜するようになる。このあたりは、皮膚科、消化器内科、消化器外科、腎臓科、婦人科あたりの医者がやるようになると思う。このへんの領域の医者はトレーニング中の一時期病理学教室で勉強したことのある人間がいたりして、その道だけならそこらへんの病理専門医よりよっぽどできたりする。さらに、皮膚科や腎臓科あたりになると病理学とは別のワールドを形成して、病理総論(病理学総論)すなわち奇形とは?変性とは?循環障害とは?炎症とは?腫瘍とは?といったようなことを理解していなくても、自分の患者への治療がある程度できるので、病理医には何も求めないという領域まで出現している。病理総論というのは、それぞれ奥深いもので、医学の根源に近いもので、これらの意義を理解することは大変難しい。私たち病理医は病理医という仕事の訓練の一旦として、病理総論を病理解剖を通じて学ぶ。他の臨床科と同様に患者さんから学ぶ。病理解剖を通じて、人一人の一生を見直し、人類の来し方まで思いをめぐらす。”病理診断科”とは、そのような訓練をつんだ医者のみしか行ってはいけない。そんな思いが、病理医自身へのプレッシャーとなる。認知度の低さとあいまって、病理を続けることがつらいと思う医師は多い。私自身何度か病理をやめたいと思ったことがある。

4.医師間の格差

美容、アンチエイジング、サイコセラピー、コンタクトといった、さほどの訓練が必要ではなく、”楽にはじめられ”て、何よりも”お金になる”分野に転向しようと思ったことがある。自分たちが税金の助けを受けて得た医療技術を転用して、その分野で巨万の富を得ている医者は多い。この間、やせ薬を医師でないものに処方させた疑いでつかまった医者も、何のために医者になったんだか、わかりゃしない。彼は名門の医学部の出身だが、医者になるために自分が血税を使ってもらったことなんて、ほとんど意識してないのではないか。ホームページをみたが、そこには私が、「これをやれば金になるだろうな」と思ったことのほとんどが載っていた。医師という医療技術を駆使した錬金術の極致だ。格差社会の頂点の領域である富裕層から金を巻き上げ、自分も富裕層に入る。富裕層内での金の循環で、格差は完成する。もちろん、富裕層は金を貧困層から収奪している。

だが、医師は金のためになる職業なのだろうか。ヒルズ族のエースとして一世を風靡して、数千億の富を築いた実業家が「金で買えないものはない。金で買えないものは、差別につながる。血筋、家柄、毛並み。世界で唯一、カネだけが無色透明で、フェアな基準」といっていたが、たしかにそういった差別から抜け出る手段として金を得るために医師になる人も多いだろう。

お金を追いかける医者がいるのは仕方ないし、そういった医師が増えて収入格差が広がれば、そういう医者は増えこそすれ、減りはしないだろう。医師不足の深刻化を医師会は、政府の診療報酬抑制が原因だとしている。確かにそうだが、まずは一般病院に勤務する医師の収入を開業医の8割程度くらいに引き上げることが大事ではないのだろうか。一般病院でもひどいところでは、医者は使い捨て、だ。人件費が安い若くて、”理想に燃えた”医者をぼろぼろになるまで使って、人件費が上がってくる40歳前後には辞めてもらうのが、儲かる”病院の理想”だ。

今朝のNHKニュースで患者やその家族によって医療従事者に対して振るわれる”院内暴力”が取り上げられていた。医者を含め、医療従事者はただのサービス業となっている。拝金主義の医者、医療関係の業者(介護関係の会社にもこの傾向が見られると思う)がこれだけはびこれば、これもむべなるかなである。サービスをうける人(=患者さん)はそれなりのサービスを期待するのはいたしかたない。でも、サービスの料金は全国一律だ。大都市の一等地にあるホテルのような病院も、自治体の財政難から設備のメンテナンスにも苦労するような地方の病院も・・・そして、そこに勤務する医療従事者も全国一律のサービスを要求される。

勤め先の病院からは”使い捨て”扱いされ、患者からは暴力を振るわれる。開業医の多くは勤務医の二倍近い高い報酬を得て比較的悠々とした生活を送る。というのも最近は自分の家で開業する地域密着ではなく、職住分離のオフィスクリニックがどんどん増えているからだ。とすれば、国公立やこれに準じた公的病院が主となる、地域の中核病院に勤務する清貧医師はどんどん減少する。仙人じゃないから、霞を食っては生きていけないし、自分の生活、ましてや身体的不安もあるからだ。

客観的な立場からの医療行政の見直しを図らないと、医師不足は解消されない。今のカリスマ的野球日本代表監督が民放で勤務医の大変さをコメントしたら、官僚出身の司会者がそれをさえぎるようにして、話を終わらせたときには、何らかの政界マスコミ一体となった医療回への圧力を感じざろう得なかった。マスコミだって、情報の多角化に対応するには、視聴者に迎合するのか、行政側に立つのか、立ち位置をしっかり持っていかなくてはいけない。一方で、医師不足を、一方で、医療費の高騰を責め立てては、いったい何がなんだか、わからない。

5.病理医として、医師として

私の病院は給料が高くない。病理医を雇っているような病院は良心的で、病院全体として儲かっていない(病理=不採算部門と考えられているから)。良心的とはいっても、病理医を3,4人やとう余裕のある病院はないので、病理はいつも人手不足となる。病理診断科となったところで、医療従事者を含め、認知度はたいして上がらず、医療の中ではこれからも決して表舞台に立つことはないだろう。病理の仕事は日々進歩する医学をキャッチアップしていかなくてはいけない苦行だ。他の科もそうだが、病理はすべての科の進歩を知らなくてはならないから余計だし、それぞれの科には、病理解剖を通じて病理総論を学んだことはないけど、ある特定の臓器領域だけに長けた、臨床医で病理も大変できる大家の先生方との軋轢もある。病理医自身に関しても、自分をえらく見せたいという病理医が他の病理医の診断に難癖をつける。ディスカッション以前の、病理医同士の足の引っ張りあいもよくみる。

構造的に、病理を志そうという医師は増えないと思う。だけど、自分は逃げ出さない。「(本当はもっと認知度の高い科に入りたかったのだが)だまされて病理に入りました」などと自嘲的にいう病理医がいるが、そんな病理医をつくらないようにしたい。内科や外科ではこんな医師はいない。病理診断科も誇りを持ってやれる科のひとつだと、そういう気持ちでがんばりたい。

あとがき

今日は、ちょっと時間があったので、病理診断に関して普段から思っていることをながながと書いてしまった。次は混迷を続ける日本バスケットボール協会についてかな・・・


連休中日

2008年01月13日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今の職場に移ってから、週休二日になった。楽なことにはすぐに慣れるもので、ハッピーマンデーがある週=三連休と反応できるようになった。
今週のように学会で二日家を空けても、なんとか残り一日で挽回できる。
さて何を挽回しよう…
自分のこと?家族のこと?仕事?そんなの家族のことに決まっているか。
丸の内の地下街にはだーれもいなかった。