こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

悲しい年越し

2013年12月31日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと


朝のうちにフラットコーテッドレトリバーのナイトの散歩に出かけた。
鶴岡八幡宮の境内は多くの出店が準備を始めていた。
新年の行事は目白押しである。



これらの道が明日の今頃は人であふれている返っているとは、容易に想像がつかない。


小町通


段 葛


のんびり散歩できるのも、今日まで。松が取れてもしばらくは鎌倉は多くの人で賑わう。
ナイトがのんびり散歩をできるのも今日までである。



午前中のうちに家の用事を済ませたら、病院から呼ばれた。
今年最後の仕事は大みそかとなってしまった。

世の中はクリスマスからお正月へと、おめでたい、うかれた時間が過ぎていくが、そうしたくてもそれらを祝うことのできない人はたくさんいる。
悲しい年越し。

たまたまこの時期に悲しい出来事が起こってしまったといえばそれまでだが、多少ずれていたらよかったろうにと思ったりする。
いや、その逆かもしれないか。



私としては、一年ひいひいいいながらもなんとか生き延びることができたことは喜ぶべきことだろう。
こんきもを続けることができたのも、よかった。

どうぞ、みなさま、よいお年をお迎えください。
来年もよろしくお願いします。



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懐かしさと気恥ずかしさと後悔と感謝

2013年12月30日 | あの頃のこと…思い出話
車の故障で、修理の間その代車を使っている。この車にはカセットデッキがついていて、久しぶりに昔のテープを聞いて楽しんでいる。
なぜ、代車のカセットデッキかといえば、気がついたら、カセットテープの再生装置がわが家からなくなっていたからである。
ちなみに、ベータとか、VHSのビデオテープもわが家ではすでに再生できなくなっている。



さて、私の高校の同期はわりと仲が良いのだが、私のクラスはなかでも仲が良くほぼ毎年クラス会を開いてきたほどだ。
現役時代ももちろんそうで、卒業記念”声のアルバム”のようなものを作った。(クラスの文集というのもある)

その、声のアルバムのカセットテープ2本がこの間、荷物の整理をしていたら出てきた。どこかで聞けないかと思っていたら、この代車がやってきたわけで、ちょうど今日、一人で運転しながらそのテープを聴くことができたのだ。



卒業してしばらくたって一度か二度聞いたが、浪人したせいもあってそれ以来30年近くは聞いていなかったように思う。
当時のヒット曲をバックに、クラス全員、一人一人の声が入っている。教室で録音しているので後ろには他のクラスメートの騒ぎが聞こえるし、余計なちゃちゃ入れするような声も混じっている。

声の主がわかるやつもいれば、まったくわからないやつもいる。
懐かしいと同時に、そのころの皆の青臭さが気恥ずかしくもなる。
私の場合、子供っぽく不真面目な人間だったので、他のやつの邪魔をしたり、くだらないことをしゃべっていたりで、穴があったら入りたいほど。もう少しちゃんとしていればと後悔しきりである。



卒業以来あっていないやつもいれば、もう鬼籍に入ってしまったやつもいる。
懐かしさで涙でも溢れてしまうかと思ったが、そうでもなかった。私の涙腺はあの頃よりずっと堅くなってしまったようだ。
あの頃のことを思い出して、血が騒ぐといったようなこともない。

最後には、先生方からのメッセージがあった。やっぱり、あの時から先生は先生で、未だに僕らは子供のままのように思える。
先生方の声の若さに笑ってしまった。

今にして思えば、大学受験のくそ忙しいときに、このテープを作ってくれた友人に心から感謝する。




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今年のボツ記事 2013

2013年12月29日 | あの頃のこと…思い出話

今年のこんきも、いろいろあった。
6月に1,000日連続での投稿を果たすことができたが、その反動か、後からずいぶんテンションが下がってしまい、先日あたりは"少し休みます"などともう気力が続かなくなりそうに、弱音も吐いてしまった。
それでも、温かい励ましのコメントもあり、しばらくというのも一日でおわり、ボチボチ続けさせていただいている。何よりも大事なことは続けることである。
まあそうはいっても、1年を通じてみれば書きたいことは山ほどあったようで、振り返ってみれば今年も多くのボツ記事が生まれた。



医療関係として今年は”医療不信について考える”というタイトルで、いくつか書いてみようと思っていた。
(1)”原因を明らかにしないで済む医療”
(2)患者さんは本当のことが知りたいだけ
(3)傲慢な医者は日本の歪んだ教育の産物か
(4)病理医のみなさん、楽しく仕事をしていますか?
(5)おわりに
それぞれ、バラバラに途中までは書きかけていてるのだが、さすがボツ記事、どれも今ひとつしっくりこない。語り手がひがみっぽくなったり、攻撃的であったりすると、読む気にならない。

ちなみに、”医療を哲学的に考える”シリーズは、尻切れトンボにはせず、年が改まっても続けるつもり。書きかけた記事があるのだが、これはボツにしたほうがいいだろう。
タイトルは”患者はあなたのものではない”、”医療者の立場から”そして”医者は理系か文系か”というようなもの。どれも、つまらないことを言いかけて、途中で続かなくなっている。
やっぱり、一度ご破算にした方がいい。



さて、これらとは別に、前々から書きたいテーマというのはあった。それは、”恋愛論”。
「人を愛すること」と題して、1年かけて書こうと計画していた。そのタイトルは
7月 愛はどうしてはじまるのか・・・初恋を覚えていますか?
8月 愛情はなぜ薄れるのか・・・倦怠期という言葉でごまかしてはいけない
9月 結婚はなんのためにするのか・・・あらたな二人の愛のために
10月 不倫はなぜ”不倫(いけないこと)”なのか・・・生物学的な観点から
11月 男性の愛情・・・なんで美人に弱いのか
12月 モテキとは・・・生きていればそういうタイミングもある
1月 男女の間に友情は存在するか・・・職場の異性との関係を含めて
2月 愛に年の差は関係あるか・・・年の差婚から始まる二人の人生
3月 親子の愛1 親からみた子供への愛
4月 親子の愛2 子供からみた親への愛
5月 これまでの記事を振り返って
6月 愛することと生きること

うーん、どれも興味深いが、これほどのタイトル、一日2、30分で書けるような話ではない。
企画倒れに終わってしまった。

このあと、「浮気をしてもいいけれど」というタイトルで、3回で終える、各論的な話を組んでみたもののこれもうまくいかなかった。
やはり、ボツである。



まだまだボツ記事はある。なんせ、今日現在で40タイトル以上が草稿のまま。

カテゴリー別にタイトルだけ挙げると、
こんきも・・・”大嫌いな人”、”時間の作り方・・・時間貯金”、”表現方法の違い”、”公訴時効と心の時効”、”個体差”、”美輪明宏の回答とこんきもへのコメント”、”日本(および世界)の脆さ””我が子のことのように”。
生き方について考えてみる・・・”表現方法の違い”、”メンターに頼らない人生”、”発生学的見地から考える人間の心と体”、”なぜ、女性を差別してはいけないのか。”、”ストレスで心を折らないで”。
通勤・・・”女性に道を譲ってみた”、”足が止まるとき”、”私の富士山ポイント”、”マナー違反にはペナルティーを”。
電脳化社会・・・”それぞれのブログ”、”ブログもやれば棒に当たる”。
あの頃のこと…・・・”切手収集が子供のたしなみだった頃”(逓信総合博物館が終わってしまった!)
読書・・・”読書自粛”
コロ&ナイト・・・”コロの家出”
病理のこと・・・”専門を早くに決めすぎ?”、”そもそも医療費とはなんなんだろう?”



よくもまあ、これだけつまらないことを考えて、書きかけたものと思う。今日、その書きかけを読み返すと、どれもその時々の心情が思い起こさせられる。それぞれの記事に対して愛着すら覚えてしまう。
だが、どれも私の乏しい人生経験、文章力では手に余るテーマだし、時間的にも十分な文章を書けるものではない。

ここは心を鬼にして、すべて”削除”するしかない。
世に出してあげられなくて、ごめんね。



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さよならクロックス(crocs)

2013年12月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
私の勤務先、だらしのない格好の医者が多く、いささか参っていた。
以前からジーンズ、Tシャツはだめだとレジデントに言っていたら、「先生のところにはコロ健コードがあるの?」などと、よその病院の病理の先生にからかわれていたりした。
だが、例の青い服が日本中の病院を席巻してしまい、老いも若いもあれを着て、ジーンズ、Tシャツを超える状況になっていた。

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そう思っていたのは私だけではなかったようで、先日、ドレスコードが発表された。以下に一部を抜粋する。

○白衣は、襟や袖口が汚れていない清潔なものを着用し、ボタンは全てきちんととめる。
○手術室の術衣のままで、あるいは、手術帽を着用したままで外のエリアに出ない。
○靴は、緊急時の対応や感染を考慮して、足全体を覆うものとし、サンダル・スリッパ・クロックスは禁止。
○清潔感のある髪型とする。
○不精髭は、厳禁。
○爪は、いつも清潔にして伸ばさないようにする。マニキュアは原則として禁止。
○イヤリング・ネックレス・指輪等のアクセサリーは、事故・感染防止の観点から原則として禁止。
○名札は、相手から氏名が見えるようにつける(シールを貼付したり、小物類をぶら下げたりしない)。
○ポケットに手を突っ込んで歩かない。



まるで、どこかの中学校の校則にでもありそうな文言で笑ってしまう。
逆にいえば、そのレベルの医者(大人)が院内にあふれている、ということになる。

だが、読んでいて、重要な文言があった。
『クロックスは禁止』
私は、これまで3、4年ぐらいクロックスを使っていた。他人ごとではない、あれあれ、私も服装の乱れに加担していた、ということか。
妻に、ドレスコードが発表されたこと、クロックスが禁止になったこと、を話したら、
「よかったわね、だらしなかったから」とのこと。もちろん、妻は私が職場でクロックスを愛用していたことを知っている。以前からあまりよく思っていなかったということか。



実は、この年末に新しいクロックスに変えようともくろんでいた。だが、このようなことを言われては仕方がない。
「病理は患者さんの前には出ないから、これまで通りでいいじゃない」などと、ウソブクことはやめ、今日、さっそく捨てた。

さよなら、クロックス

いずれにせよ、これで院内の風景が多少なりとも変わってくれるのであればいうことはない。



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半世紀報を書いてみよう

2013年12月27日 | 生き方について考える
今日で、コロ健仕事納め。
残念ながら仕事がすべて片付いてはいないので年末も出てこなくてはいけないし、年末年始はオンコール当番でもある。
そんなことをいっていたらきりがない。結局、どこかで区切りをつけないといけない。

なぜ1月1日は1月1日なのか。
これが、3月3日でもいいんじゃないかと思うが、古代ローマのあたりから決まってきたもののようで、今更変えることはできない。

暦というもの、一年毎で数えたり、12年一回り毎で数えたり、いろいろあるが、50になった今年は半世紀生きたという区切りになった。

職場には、毎年年報を提出するが、50年生きた私は半世紀報を作ってみるのもいいかもしれない。
提出先はもちろん私自身であり、誰かに評価してもらおうというものではない。

問題は、50年生きてきたものの、何か書き込むほどのことがあるか、ということである。

クリスマスからお正月へ

2013年12月25日 | 日々思うこと、考えること
東京から富士山をみると手前に丹沢山系がある。12月も中旬が過ぎて、その低い山々の頂にも雪が目立つようになってきた。



クリスマスを過ぎると、日本の街は一気にお正月へと装いを変える。

なんとも、金遣いの荒い国である。

この時期、予算編成が話題になる。
来年度予算は、過去最大となるらしい。私の関わる医療費はその中で3割近くと、大きなウェイトを占めている。
その意義をいろいろな意味で、考えて自覚している必要がある。


哲学は過去と共に、科学は未来と共に

2013年12月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
このような難しい問題を一言で片付けるのはいささか乱暴なことだが、少なくとも一部は正しい。

というのも、哲学とは先人たちの積み重ねてきた知恵、考え方を学ぶ学問であり、その先人たちは常に私たちの傍らにいる。

すなわち、哲学は常に過去とともにある、ということになる。


一方、科学は未来とともに、というのも当然で、既に発表されたことは現在の科学の基盤ではあるものの、価値はない。
新知見こそが科学の目指すところである、という意味である。


温故知新という言葉がある。
過去を振り返りそこに学ぶことでもあり、過去の誤謬を改めることでもある。

哲学と科学が表裏一体であることを表しているように思える。


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この3日

2013年12月23日 | 日々思うこと、考えること
今日は天皇誕生日。天皇陛下は今年で傘寿。私の父より上である。
ちなみに、不肖コロ健は先日50歳になった。
30年後、天皇陛下ほどエネルギッシュにしていられるか、はなはだ心もとない。



いろいろと溜め込んでいた仕事、昨日おとといと頑張ったおかげでだいぶ片付けることができた。

病理医という仕事は、標本がある限り仕事を終えることができない。
ひたすら、診断をつけていくしかないのだが、神様でもなければそうそうすべての診断をつけることなどできない。
ましてや近頃の学問の細分化はこの傾向をよけいに強くしている。

何も病理に限った話ではなく“だいたい”ということは許されず、”よそに行ったらもっといい診断(・治療)をうけられるのに”というのは医療全体が抱えるジレンマである。
と、話がまた訳の分からない方に行きそうなので、この辺でやめる。

たいした知恵もないのに、こんなことばかり考えているから、ブログを書くのが億劫になる。
昨日は、仕事帰りに公営のプールでウォーキングを中心として体を動かした。
何も考えずに水中で歩いたり、軽めに泳いだりしていると気が楽になる。



これなら年末年始の休みを使えば、ある程度キャッチアップできそうというところまできたと勝手に決めて、今日は家掃除の手伝い。
大学1年生の息子と一緒に、ウッドデッキの塗り直しをした。
二人であれこれしゃべりながらやっていたら、あっという間に終わった。最近なかなか二人で話す機会がないと思っていたが、ひょうたんから駒といったようなこととなってうれしかった。




夜、妹宅に呼ばれ、両親と私たちとで、クリスマス会兼忘年会を開いた。
今年も、このまま何事もなく、終わってくれたらいいのだが。



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続けるために。

2013年12月20日 | 日々思うこと、考えること
もう、一週間が経ってしまった。
時間は誰に対しても均等に過ぎているはずなのに、決してそうではない。
あっという間だった。
それでも、紅葉はますます深まる。



先週の金曜日は、都内での研究会の後、家のベランダで空に流れ星(双子座流星群)を探していた。
だが、このあたりからおかしくなってしまった。一日休んだらすこし元気になった。

低空飛行のままだが、写真だけでも載せてこんきもを続ける。



でなければ、このブログがこのまま無くなってしまいそうだから。

これから行く道、振り返ってみる道

2013年12月19日 | 生き方について考える
関東平野部、大雪になるかと思われたが、気温は心配していたほどは下がらず、みぞれにもなることなく、ことなきを得た。

ブログを書けなくなってしまったのが、冬に向かうこの季節のせいなのか、多くの混乱を露呈しながら進んでいく世相のせいなのか、それともいっこうに片付かない山積みの仕事のせいなのか、全部が一緒くたの原因であるのか、私にはわからない。

今朝、歩いていたら、眼前に雨に濡れていつもとは違った美しさの紅葉と椿があった。



そこを通り過ぎてから振り返ってみた。ついさっき見たとは違った美しさがそこにあった。

人生というものも、こんなものであって欲しい。



コメントをくださった方、またそうでなくても気にして下さった方、ありがとうございました。コロ健、うれしかったです。

少し休みます

2013年12月17日 | 日々思うこと、考えること
ブログが書けなくなったらどうしよう。
書きたいことが無くなる、書きたい意欲がなくなる。もし、そんなことになったらどうしようと、不安になる。

なぜ、日々の思いをブログで記録しなくていはならないのか、よくわからない。個人的な記録であれば、わざわざオープンにする必要は無い。
なのに、オープンにしてともすれば独りよがりな考えを吐露する。
その行為の正当性というか、妥当性、そういったものがわからず、これまでにも幾度となく同じことを考え、悩んできた。
またその繰り返しである。

いったい、私はここから誰に向けて、何を発信しているのだろう。



それに私は文章を書くのが下手だ。
出来上がった文章が、稚拙なままなのは、推敲する時間がないからかと思っていたこともあるが、そうではない。
ただ単に、考え方が幼稚なのだ。
文章を書くのも才能であれば、私には才能が無い。

ブログをやっていて、しばしば嫌になる。


そんなわけで、少し休むことにしました。

そんなこと言ってて、明日にはやっぱり書きますといけしゃあしゃあと書いているかもしれないですし、これっきりずっと書けないかもしれません。

毎月二日の読書記録だけは、本を読んでさえいれば書けるので、続けます。

今朝は雲がとても綺麗でした。明日から天気は下り坂になるそうです。





豆腐のケンちゃん

2013年12月16日 | 日々思うこと、考えること
先日、スーパーに買い物に行ったら、こんなお豆腐がおいてあった。



「おお、ケンちゃん」
不肖コロ健、残念ながらすでに中年の50オヤジであり、ラベルのケンちゃんのような男前ではないものの、名前に感動して、木綿豆腐と絹ごし豆腐、両方を買ってしまった。

妻に見せたら、「今までにも何度か出していたわよ」とのこと。その都度名前をいわれていたようだったが、覚えていなかった。
おそらく、ラベルを見せてもらっていなかったかもしれない。

ヒト以外にヒトの名前をつける、というのは不思議な感覚である。
ご飯がススムなんていうキムチもあった。名前がついた食材など探し出したら、きりがないほどある。

ただ、日本語のほうが、英語圏ほどは人の名前を付けないような気がするがどうなのだろう。

機関車ヤエモン、なんかは多分、機関車トーマスより先だから、そんなことないか。

あと、犬とか猫といったペットに名前をつけるときはどの程度までの人名を与えていいのだろう。
タロー、ジロー、タマはいいかもしれないが、もっと難しい名前をペットにつけると、違和感を感じる。


(この冬初めて氷が張った!)
 

だが、この豆腐のケンちゃん、不思議と違和感はない。
グッドなネーミングである。

味、食感ともによく、また、スーパーで再会したい。

頭が動かない

2013年12月15日 | 日々思うこと、考えること
記事を書こうと思っても何も思い浮かばない。
こんなことは、別に今に始まったことではないが、またそんな時期にはまってしまったようだ。

ネタ切れ、というわけではなく、思うことが少なく感情が平たんになってしまっているというような状態だ。



こういう時は、散歩でもして、と思って鶴岡八幡宮まで足を延ばしてみるものの、やっぱりなにも湧いてこない。
心も頭も疲れているのだろうけど、私には私の天命がある。
すこし、体に鞭をいれて頑張らなくてはならない。



ちょっとのんびりして、それよりちょっと頑張る。
大それたことは考えないで、流れる時間の中で、ちょっとづつ。



頭が動かない時もある。
こんなとき、ナイトは何を考えているのだろう。

別府地獄巡り

2013年12月14日 | 日々思うこと、考えること
先週末、学会で大分の別府を訪れたが、ただ単に別府で学会があっただけという感じで、思い出らしい思い出がない。ただ、学会終了後、別府地獄巡りという半日観光バスツアーに行ったので、その時の記録をここに残しておく。
巡ったのは、血の池地獄、竜巻地獄、鉄輪温泉郷経由海地獄。

(1)血の池地獄


もう少し、赤みが強いかと思っていたのだが・・・。



おりからの紅葉が美しく映える。



記念写真は残念ながら逆光でうまく撮れなかった。

(2)竜巻地獄

待つこと、15分。いよいよお湯が噴き出した。間欠泉で、30~40分に一度吹き出すそうだ。


これだけ多くの人が、お湯が噴き出すのをひたすら待っているというのも面白い光景だった。



バスの窓から眺める鉄輪温泉郷 鉄輪と書いてかんなわと読むそうだ。建物の間から立ち上る湯煙が温泉郷らしい風景とのこと。

遠くには、野生猿の餌付けで有名な大分市の高崎山が見える。

(3)海地獄
小学生の頃、家族旅行で裏磐梯の五色沼に行ったときに、溶けている金属によって様々な色を呈することを知ったが、今回は久しぶりにそのようなものを見たということになる。


単身だったのは残念。まあ、学会のついでなので仕方ない。



足湯につかったがけっこうな湯量で楽しめた。

ホテルでは寝る前と起きてからと、各15分ほど温泉に入った。
別府という街、天国のようなところだった。


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さすがの師走、目が回る

2013年12月13日 | 通勤・交通・旅行
さすがは師走だけのことはある。朝から頑張っても、いつの間にか外は真っ暗。
忘年会は極力減らしているのだが、中には断ることのできないものもある。
今夜は臨床系の研究会に参加。忘年会ラッシュに巻き込まれないうちにと、勉強だけしてさっさと帰ったら、久しぶりにナイトと散歩ができた。

写真ブログではないけれど、朝晩のほっとするひとときのものということで。
今日は神社ルート編。


駅を降りて15分ほど、ちょうど病院までの行程の半分ぐらいのところに地元の八幡宮がある。



さて、私の人生、この階段でいえばどのあたりか?



この間、天命と思った3つの目標、「(いまさら)親に心配をかけない、病理医としての責務を全うする、人に意地悪しない」を神前に誓う。



今日の富士山、残念ながら雲をかぶっていた。




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