こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

何事もなくというのはどのような状況をさすのか

2022年10月31日 | 日々思うこと、考えること
10月ももう終わり。
あっという間だった。
11月の間に色々済ませておかないと12月はなんだかんだで何もできないので、大変なことにならないうちに作戦を練っておこう。
それにしても寒い、昨晩は寒さで体が冷えて、布団に入ってもしばらくの間体が温まらずどうしたことかと不安になった。
ハロウィーンで、今夜の渋谷はどうなるのかわからないが、何事もなく終わってほしい。


この、”何事もなく”というのは一体どのような意味合いで使う言葉なのだろう。
なにも人間に限った話ではないが、生きとし生けるもの転がる石(Rolling stone)のように毎日を過ごしている。
石は激しくまわって、あちこちが欠け、崩壊しやがては砂塵と化す。
ある一点にとどまり、そこからまったく動かないでいるということはできない。
仮に動かないでいられるとしても、風雨にさらされ結局のところ風化してしまう。

さて、今日は一体どんな1日になるだろう。
通勤経路の一つの路線には遅れが出ているようだし、着いたら部下とミーティングがある。
先週から残っている症例もあって、仕事もなかなか片付かない。
自分ではじっとしていて、何事もないような気で過ごしているが、私を取り巻く状況は目まぐるしく動いている。

関わる人の多少こそあるが、どんな人にも何事かが起こっているのが世の常だし、バタフライエフェクトを考えると、世界のどこかで起こっていることは、もしかしたら自分の仕業かもしれない。
そんな何事かは生きる上でストレスに違いないが、なければないでストレスだし、それは死んでいるということになる。
そんなストレスと死を天秤にかけることは不可能だし、では死んだ方が楽だとしても死ぬことによって大きな影響を周りに及ぼすわけで、何事もないということにはならない。
とにかく生きること

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若者と渋谷の街とハロウィーン

2022年10月30日 | 日々思うこと、考えること
高校の同窓会の打ち合わせで一昨日の夜渋谷に行った。
渋谷の近くの高校に通っていたので、どこの路地も目を瞑ってでも歩けるぐらいだったが、高校を出てから40年の間に徐々に訪れる頻度が減っていたが、再来年に還暦記念同窓会を開くということで、打ち合わせのためにまたしばしば来ることになりそう。

ハロウィーン前の金曜日の夜なので、アラ還親父はおっかなびっくり、かつての自分の庭も今は昔。
渋谷駅そのものが大きく変わっているので、改札口まで辿り着くこと自体が大変だし、とにかく若者が多い。
私もかつてはこんな風に肩で風を切って歩いていたのだろうが、これほど若者だらけだと、気圧されてしまう。
スクランブル交差点はさっさとわたり、センター街を通ると近道だが足を踏み入れることなどおっかなくてできず、遠回りして打ち合わせに使う馴染みの店に向かった。

朝からテレビで流されている韓国での転倒事故の犠牲者はほとんどが10代20代の若者とのこと。
渋谷も若者の街で、年寄りはあまり見かけないが、明日のハロウィーン当日もすごい人出となるのだろう。
大きな事故が起こらないことを願うばかり。

ちなみに狭い道というと、鎌倉には小町通りがある。
こちらも普段はあまり近づかないでいるが、土日は結構な人出で動きが取れなくなりそうに感じることがある。
やはりこちらも若者が多い。
群衆の形成には要注意

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身体能力の低下にこの先どう対応してゆくか

2022年10月29日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
このところ運転が下手になったとよく感じる。
車両間隔が悪い時があったり、下手くそなドライバーが前を走っているとイライラしたりとか。
これがハイリスクの高齢ドライバーへのはじめの一歩なのだろうが、後期高齢者と呼ばれらまでは運転していたい。
幸いドライバーを補助する機能がずいぶん増えたので、それぐらいまでは、これらの機器の進歩が老化と相殺してくれるのではないかと期待している。

ところが仕事となるとそうもいかない。
癌の病理診断はそのうちAIがある程度できるようになるだろうが、人間が解釈しないといけないことがまだまだ多い。
知識と経験でなんとかやっているが、処理能力の低下はいかんともしがない。
さあ、どうしていくかと悩むことが多くなってきた。

いかんともしがたい

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子供たちにこそ多様性をきめ細やかに提供するべき

2022年10月28日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
腰回りに岡山行の疲れが残っているものの今日も元気に出勤、といいたいところだが、休みたいと思う気持ちがないわけではない。
ただ、私の診断を首を長くして待っている腫瘍科の〇〇先生だの、消化器科の〇〇先生の顔を思い浮かべると、”がんばって”行かなくてはならないと、奮起して出勤。

NHKも朝日新聞でも小中学生の不登校が24万人余りと過去最多を更新したということを報道している。24万人というとどのぐらいかわからないが、鎌倉市の人口が17万人なので、その1.5倍近くの子供たちが不登校ということになる。
わかっているだけで61万件ということだが、実際はもっと多いに違いない。
 
これらの数字が尋常ではないことは教育関係者でなくてもわかることで、なんでこんなことになってしまっているのかを大人は考えなくてはならない。
不登校の原因は必ずしもいじめだけでないから、1対1対応で考えることはできないが、深い関係はあるだろう。

私が子供の頃は、学校は行くのが当たり前のところだった。
学校は人間関係を構築していく上のトレーニングの場で、意地悪したり、意地悪されたりということを繰り返していた。
意地悪されたことを覚えているが、意地悪したことも苦い記憶として覚えている。
他愛のない意地悪は、陰湿化していじめと化している、いや、私がかつてした意地悪も、された方からしてみたらいじめだったに違いない。

こういうことを含めて、社会訓練の場としての学校は限界に達していているのではないだろうか。
いじめだけでなく、ただ単に旧来の学校というシステムそのものが"合わない"という子供は少なくないだろう。
そもそも学校が好きだったという人にとっても、では学校の何が好きだったのか。
いろんな人がいるから公立学校がいいなどという人もいるがではそれは社会的ヒエラルキーの中のどこに位置する人の発言なのだろうか。

無知でいたら必ず知識のある人によって搾取されるので、教育は絶対に必要で、全ての人にされなくてはならない。
だが、それはよりきめ細やかにお金をかけてなされなくてはならないことなのではないだろうか。
教育にお金をだそう
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旅のお供は角煮弁当、きび団子

2022年10月27日 | 通勤・交通・旅行
今年は鉄道開業150年だそうだ。
150年というと、もうすぐ60歳の私の人生も日本の鉄道の歴史の4割程度を占めている。
このなかで、新幹線の開業が1964年、私の人生は新幹線が開業してからの歴史とほぼ重なっていることになる。

今日は岡山で講演。
コロナ禍が始まって以来Web参加がほとんどだったが、最近下火になってきたこともあり、現地開催+Web参加のハイブリッド開催が主流となってきている。
時間的余裕があれば、できたら現地に行きたいので、今回もそうした。
私の出番は朝からだったので前泊することに。
病院の近所に角煮の専門店という珍しい店があり、そこの角煮弁当はなかなかおいしく、出張の時に、タイミングが合えば、そこの弁当を買って列車の中で食べることにしていて、昨日も、いつもの時間には昼食は食べず、仕事を全部終えるまでがんばって、弁当をぶら下げて東京駅からのぞみに乗った。そうすることにした。
平日の夕刻で、新幹線は結構混んでいて驚いた。
弁当にビールというのは出張のささやかな楽しみだが、遅い昼食、空きっ腹でビールを飲んだらちょっと眠くなった。
夕焼けに照らされた富士山が美しかったが、雪はおとといに見たよりも減っていたような気がした。
発表スライドのチェックをしたり、メールをチェックしているうちにいつの間にか京都を過ぎていて、あっという間に岡山に着いてしまった。
東京から行くのに新幹線を使うか飛行機を使うかの分かれ目は広島だというが、岡山は遠いようでそう遠くもない。
講演は無事終わり、駅前の桃太郎の銅像の写真を撮って帰ってきた。
お土産と私の旅のお供を買った。
帰りの新幹線もずいぶん混んでいて、びっくりした。

世の中普通に動いている

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岸田さんは自民党に立ち直る機会をもたらすのではないか

2022年10月26日 | 日本のこと、世界のこと
スッキリした青空になったが、北風が強くてまったくの冬空。
(いつものことだが)朝から電車が遅れ、ホームで待つ間も寒かった。
締切間近だった英文論文の査読、面倒なので英語の堪能な娘に私の下手くそな英文の校正をしてもらった。
主語は?目的語は?と、学生時代の英作文の試験での苦い思いを蘇らせつつ、私の言わんとするところを伝えると、不思議なものできれいな英語になっていた。
そんなわけで、朝のうちに出版社にメールで送って無事終了してホッとした。

就任を発表する演説は大変しっかりした頼もしいものだった。
有色人種が欧米主要国のトップになるのは、米国のオバマ大統領以来ではないだろうか。
世界の人の動きはどんどん加速しており、優秀な人間が肌の色に関係なく躍進していて、今回の新首相の誕生は英印の関係にも影響を与えるに違いない。
日本人もこういった流れの中に入ってもらいたいのだが、なかなかそういかない。
それにしても、このイギリスの首相交代劇をみると政治というのがいかに難しい高度な仕事であることを思い知らされる。
もちろん、日本の政治だって大変で、誰がやっても難しいに違いない。

今、岸田首相の手腕が問われているようだが、正攻法で行ったらこんなものではないだろうか。
旧統一教会の問題は国会は少し空転させてしまったが、大臣を信じていたら、こうなるだろうし、そもそも、ちょっとしたことでいったん任命した大臣の首をすぐにすげ替えていたら首相の信用問題となる。
今回更迭された大臣の資質が想像以上のレベルの低さだったのが想定外だったので、いい勉強になったのではないだろうか。

岸田首相は正攻法でどれも突破しようとしている。
ある意味性善説であり、人を疑うということをせずにこれまでやってきたのではないだろうか。
大臣の事実上の更迭についても謝罪したというし、これはこれでわかりやすい。
安倍ー菅政権では、どんなことがあっても謝るようなことはなかったわけで、その結果、役所も濁り、自殺者まで出した。
そんなふうに考えると、この政権はそう悪くはないのではないか、私が求めていたのはこんなふうに曲がりなりにも正直に正攻法で困難な時代に立ち向かっていく政治家だったのではないかと思うし、これまでの政権運営の方針もなんとなくわかる。
生き馬の目を抜くような世界では新しい資本主義”もなかなかすぐには機能しないのかもしれない。

安倍ー菅政権の時のような、裏社会に手を回すようなことのできる汚れ役を買って出る参謀がいなければこんなものなんじゃないか。
なにかやるとタイミングが悪いというか、マスコミに突っ込まれるネタを提供しているものの、自民党が正攻法でいくことを決意し、“清浄”になったら、案外うまくいくのではないか、そんなふうに楽観的に考え期待している。
円安も考え方次第だし

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日々の研鑽を怠ることなく前進する努力

2022年10月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨日のくりかえしのような空模様だが、風が強く吹いている。
気温は1ヶ月飛ばして12月並みとかで寒く、妻の助言通りにマフラーを巻いてこなかったことをが悔やまれる。
医局の机の窓から外を見たら、富士山が真っ白になっていた。
昨日はまだ真っ黒だったから、初冠雪で一気にこんなになったのだろうか。
今年の冬は寒くなりそうという予報は当たりそうだ。
なぜだかわからないが、仕事は相変わらず忙しい。
私を必要としてくれることが多いということは、それだけ多くの患者さんの役に立っているということで、病理医冥利に尽きるが、多ければそれなりに診断に苦慮する症例も増えて悩みも増える。

病理診断は患者さんの病名を確定することでその一生を決めてしまうことだというプレッシャーを感じることがある。
臨床医は血液検査や画像診断とともに病理診断の情報を総合して治療方針を決める。
そういう意味では病理診断だけで患者さんの命が直ちにどうこうなるわけではないが、いったん癌と診断したらその人は”一生”癌にかかったことのある人となる。
もちろん、病気は癌以外にもたくさんあって、病理診断にはそんな症例が山のように持ち込まれてくる。

画像診断だからAIにやらせたらいい、というのはもっともで、一部の組織像が正常から逸脱しているかどうか、それはどんな種類の病気であるかというようなことを調べてもらうととても助かる。
病理医はそれらの情報を統合して、より複雑な情報を臨床医に送り、適切な治療方針の決定に結びつけることができる。
ただ、私のやっているような希少疾患の多い領域の病理診断は、大腸癌とか胃癌のようなありふれた疾患と異なり、AIに学習させるだけの症例数がなくて、まだまだ時間がかかりそうだというのが現状だ。
そのためにこれまで色々と勉強してきたが、まだ見たことのない病気に遭遇したり、見たことのあるはずの病気が姿を変えていたりとかで日々悪戦苦闘しているが、レンズの向こうにいる患者さんのことを思うと、引退するまでは奮起して頑張らなくてはならない。

病理診断以外の仕事もどんどん舞い込む。
原稿だの、論文の査読だの、学会のお世話だのと、私以外にいくらでも適任者がいるのになぜだか私に仕事回してくださる方がいる。
希少疾患が主戦場のニッチな領域だからだろうが、それにしてもしんどい。
そろそろ現役としての終わりが見えてきているので、これ以上勉強するのも億劫だが、頼まれた仕事は断らないという父のモットーを、結局私も守っている。
いったん勉強することをやめるとあっという間に知識は陳腐化して、診断能力は落ちる。
結局のところ、日々の研鑽を怠ってはいけないということだ。
がんばれコロ健

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自分は世界をどこまで知っているのかと考える

2022年10月24日 | 日本のこと、世界のこと
朝から雨が降ったり止んだりで、午後からは本降りとなり、明日まで続くとの予想。
寒さは進んで、11月並みになるとのことで、セーターを着て出てきたが、正解だったみたい。
こう、寒いとロシアによるインフラ攻撃に苦しむウクライナの方たちが気の毒でならない。
朝日の朝刊に宝島社の全面広告が出ていた。
”世界を敵にまわして、生き残ったヤツはいない。”というコピーで、右下には小さく世界も試されているとある。
これがロシアに対するアピールだということは、”一般的に考えられている世界”の側にいる日本人ならわかるかもしれないが、果たして親ロシアの人、もしくはそういった国々の人たちはどう読むだろうか。

もちろん、戦争を直ちにやめよという優れた広告だし、こうして声をあげ続けることは、私たち日本人に対してとても大切なことだ。
だが、世界情勢はいわゆる西側、言い換えれば”旧宗主国”側が正しいという図式はもはや崩れてしまっている。
そして、この全面広告の指す”世界”に中国は含まれていない。
そう考えると、私は自分の考える範囲、思考パターンそして、自分の世界というものがとても限定的であり、その中で話を簡単にまとめてしまっていてはいけないということを知っておく必要がある。
自分の知らないこと、自分の知らない世界というものが、無限に広がっているという思いをいつも心に持ってなくてはならない。
人間は常に井の中の蛙

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休みが1日だとあれこれ忙しい

2022年10月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
すっきりした1日。
夏のような陽気となって、気持ちよく過ごすことができた。

とはいえ、休みが日曜日だけだと1日であれもこれもとなって忙しい。
午前中は”寄せ植え直し”をした。
去年から持ち越してきた宿根草と新しく買った苗を合わせっている。
新しく買った苗はふるさと納税の返礼品。
税金のおまけと考えたらお得だが、売れ残りの寄せ集めのような感もあって複雑な感じ。
今の時期のパンジーとかビオラはさっさと植えてしまうのだが、よく知らない花はどれとどれを組み合わせたらいいのかよくわからない。
結局、今咲いているのを集めて、今後に期待。
もう少し寒くなったらハンギングを準備しよう。
後片付けをしてから秋バラを見に横浜イングリッシュガーデンへ。
線路側にあるので、時折電車の音が聞こえてきたが、それを忘れさせてくれるほどの圧巻の花の数、そしてよく咲かせていた。
ハロウィンイベントで、ハロウィン飾りの中、思い思いのコスチュームに身を包んだ子供や犬が写真に収まっていた。
<締めの一言>

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「昭和が終わった日」に立ち会えなかった病理医の物語をみて

2022年10月22日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
昨晩は夜中じゅう雲にうっすらと覆われて、カーテンを開けて空を見ながら頑張ったのだが、残念ながらオリオン座流星群を観察することは叶わなかった。
流れ星は、おととい1個みることができたのでよしとしよう。

今日はセッションをひとつを任せてもらった学会が都内であり、朝からお出かけ。
臨床系の学会だが、会長が病理診断にとても熱心で、おかげで病理医にとっても興味深いプログラムとなっていた。
臨床医も病理学的な研究を熱心に勉強している人は私などよりよほど詳しく、1日よく勉強させてもらった。

昨晩、NHKのアナザーストーリー「昭和が終わった日」という番組で、昭和天皇の病理診断についての話があった。
主人公である、昭和天皇の病理診断をした当時東大の病理学教室教授だった浦野順文先生は、病理医としての大先輩であることのみならず、病理のそのまた私が専門としている領域の草分けで、直接お会いすることはかなわなかった(浦野先生は昭和天皇の診断を残したのち、天皇より早く・・・昭和が終わる前・・・に亡くなった)が、そのお名前を研究会の古参の先生方が尊敬の念とともに口にするのをしばしば聞かされてきた。
ちなみに浦野先生のご子息(昨日出演していたのは弟さんで、私が知っているのはお兄さんの方)というのが、大変素晴らしい人物(私の論文執筆でも大変お世話になった)なのだが、彼も病理の道に進み、今では米国で大変立派な仕事をされている。

それはさておき、昨日の番組は期せずして病理診断、そして病理医のことがクローズアップされたという点で感慨深かった。
病理診断の何たるかを一般の人に知ってもらうのは難しいし、どのように説明したところで、病理医の苦労や苦悩を理解してもらうことはできない。
臨床医だったら、医療ドラマでそういったことを描くことができるが、いつも顕微鏡を覗き込んで常にじっとしている病理医はテレビには全く向かない。
なにせ、1時間ぐらいほとんど動かないでいることなどザラなのだから仕方がない。
もちろん、肉眼所見、顕微鏡所見を映し出してディスカッションする様子は、病理診断に興味のある臨床医なら少しは見てくれるかもしれないが、一般視聴者にはやっぱり受けないだろう。
そいういう意味で、昨日、NHKが番組の中でそのことを丁寧に描いてくれたのは画期的なことで、わかる人はわかってくれているのだと、単純に喜んだ。

今日の学会の担当セッションの相方は臨床医で、その先生の仕切りを横でみて視点の違いというものがよくわかった。
ちなみに、それぞれのセッションの司会者が二人というのは、どちらかが当日来れなくなった時の保険で、たいてい、前半後半で分担を分ける。今日のセッションは6題だったので、3題ずつ。
私はいつも、”臨床医が知りたいことを診断書に書く(これは、臨床医がこうあって欲しいということではない!)”ことを心がけているが、こうやって臨床の先生方とある意味ひざを交えてのディスカッションができたということはありがたかった。
やはり会場で直接話すのはいい

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日本はもはや時すでに遅しか

2022年10月21日 | 日々思うこと、考えること
しばらくこの晴天は続きそうで、そういう意味では元気も出るが、日本の置かれている経済状況は厳しい。
経済音痴の私にも、1ドルだいたい100円だったのが150円になれば、外国産のものが5割増しになったということはわかる。
資源も食料もないこの国の現状は厳しい。
今はまだ、燃料も食料もあるが、ウクライナでの戦争が2年3年と長引いたら、その頃の日本はどうなっているだろうかと考えると暗澹たる気持ちとなる。

厳しいのは人材の問題もある。
公教育をおろそかにしてきたツケで、教育格差は広がり、幅広い層から優秀な人材を集めることができていない。
そういえば全国学力テストで、自治体ぐるみかのような試験対策が行われていたとか、自治体のために試験対策の勉強をやらされていた学生さんたちがかわいそうになる。
日本に来てくれる外国人も円安で減っている。

以前、知り合いの代議士に、研究者の待遇を良くしてあげてほしいと伝えたことがあるのだが、この間、駅前で立ち話をしたら、「今年はノーベル賞がゼロでしたが、これはやっぱり研究者を育ててこなかったからなんでしょうね。今のままでは立て直すには10年はかかりますよ。」と言っていたが、10年どころが50年でも足りないだろう。

時すでに遅し。

失われた20年とか30年というが、この時間が社会システムとかそんなのを強靭化するのに使われていたのであればまだしも、そうではなかったというのは残念でならない。
ではどうするか

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星空とISS(国際宇宙ステーション)と流れ星

2022年10月20日 | 日々思うこと、考えること
久しぶりの晴天。
何日ぶりだろうかと、このブログの写真を見るとスッキリした空の写真は10月4日が最後で、かれこれ16日ぶりとなる。
この間、気分はずいぶん落ち込んでしまったが、今日の晴天で少しは挽回したい。
ひと月ほど前に植えたサフランの芽が勢いよく伸びた。
1グラムの収穫に150本も要るというが、うっすら黄色い程度でいいので、一皿ぐらいはパエリアを作ってみたい。

明け方近くに目が覚めて手洗いに行き、もうひと寝入りしようと思ったら、妻も目を覚ましていて、

星が綺麗よ、

と教えてくれた。
窓を見るとカーテンが開けられていて、大きなオリオン座がガラス越しに見えた。
これまた久しぶりの美しい星空をひとしきり眺めた後、改めて寝ようとしたら今度は、

あれ、ISSじゃない?

というので、南の空を再び見ると点滅せずに空を横切る光り輝く点が見えた。
今度は、二人してベランダに出て東の空へと真っ直ぐに飛んでいく国際宇宙ステーションを見送った(#きぼうをみよう)。

(写真中央のちょっと大きめの点がISS)

妻は以前からISSファンで、折を見て#きぼうをみようをチェックしているが、今日は偶然だったようだし、南の方に見えるのも珍しいとか(ちなみに明日は北の空を飛ぶので我が家からは見えない)。まあ、私のお陰とも言える。

ISSを仰ぎ見ながら、妻は、

あそこに、人が乗っているなんて、信じられないわね

と横で呟いていた。

宇宙ステーションからでなくとも、飛行機からみたって地上に”国境”などという線は見えないのに、その線をどうするか、その上に暮らす人間をどうするかということで争いが絶えないというのが、全く愚かなことだ。
今のISSのクルーは日本の若田光一さんほか、米露欧からの宇宙飛行士だそうだ。
往復をロシアに任せておくわけにはいかないと、米国は何とかスペースXを飛ばし、自力での往復を可能としたが、なんとなくネガティブな意味での宇宙開発であって、なんとも虚しい。

ISSが東の空に消えようとしたところで、視界の端から流れ星が見えた。
落ち着いた雰囲気で、ドリフターズが大人のグループだということを子供心に感じさせてくれた、仲本工事さんが昨夜交通事故が元で亡くなった。
とても残念でならない。
ご冥福をお祈りします。
車は身近にある凶器
道路の横断には要注意

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暗いまま寒い季節に向かうこの国の未来

2022年10月19日 | 日々思うこと、考えること
いつまでたっても空はスッキリとしてくれない。
全国的には晴れの予想なのに、関東地方は蚊帳の外といった感じで、こちらの気分は曇りがちになる。
先日から、ポインセチアの短日処理を始めた。
去年は一鉢だったが、今年は大小四鉢。
大きいのは古株で、今年の夏の強い風に4、5回倒されて満身創痍となってしまったが、なんとか生き残っていて、あとは折れた枝から株分けしたのが2鉢根付いて、楽しみが増えた。
うまくいったら誰かにプレゼントしようか、それとも職場に持っていくか。
夕方を知らせる鎌倉市の防災放送が聞こえると、妻が玄関の物入れに鉢を入れてくれる。
よほどのことがない限り、夜中の間このドアは開けないで、朝、出勤時に私が外に出す。
私の出かける時間が早いので、もう少し長め(14時間)に入れた方が良いのかもしれないが、私も参加しなくては意味がなく、これで行こうと思う。

円安が進み1ドル150円となりそうな勢い。
コロナが収まったらハワイに行けるかと思っていたが、いまや夢のまた夢となってしまった。
いつの間に、貧乏な国になってしまったのかと思うが、今実際にそうなのだらか仕方がない。
いくら頑張って仕事をしても、外国産のものはどんどん高くなり、税金は安くならないので、手元に残るお金は乏しい。
コロナ対策でお金をばら撒いてきたから国の借金は膨れるばかりな上に、ロシアリスク、チャイナリスクが加わって八方塞がりの状況だ。
だが、ローンを抱える身としてはここで金利を上げられても困る。

ウクライナ情勢は依然として出口が見えないまま彼の地は寒い冬に向かっている。
ロシアはウクライナのインフラ設備に対してミサイル攻撃を仕掛け、民間人を苦しめている。
北風と太陽ではないが、いくら苦しめられてもゼレンスキー政権を倒すことはできないだろうし、万が一ウクライナがロシアに武力によって制圧されたとしてもそこは不毛の大地にすぎない。
ロシア強硬派は核兵器の使用を考えているようだが、不毛の大地をさらに放射性物質で汚染したところで何の利益にもならないことまでは頭が回らないのは、保身のためか野心のためか。

中国では共産党大会が開かれている。
共産党という一組織でありながら、世界中に影響力を与えるようになり、その動向には常に注意を払わなくてはならない。
彼らが何を考えているのか、以前は比較的容易に想像できたが、最近はそうもいかなくなってきた。
一つ確かなのは、武漢ウイルスの汚名を晴らすために行なっているかのような、”ゼロコロナ政策”は中国の勢いを削いでいること。
この政策を続ける限り、それまでのような中国の躍進はあり得ない。
結局、新型コロナは身から出た錆となるか。
早く認めて世界中の協力を得ていたら、世界はもっと仲良くしていられただろうにと、詮無いことを思う。

こんな暗い空気の中で、日本は寒い季節に向かう。
経済、外交とこれまでに経験のしたことのない難局に、現政権は立ち向かっている。
誰がやっても支持率は下がると思われるが、政治的空白を作るわけにいかない今、知恵を寄せ合い少しでもいい方向へとこの国を導いてほしい。
ボディーブローは効く

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丁寧な字を書くことから丁寧な生活は始まる

2022年10月18日 | 日々思うこと、考えること
明日からは天気も良くなるというので今日一日もう少し辛抱しよう。
とはいえ、病院に入ってしまったら昼休みを除けば外の天気をみることはまずないので、関係ないといえば関係はない。
朝のゴミ出しは私がなるべくするようにしているが、このところめっきり涼しくなって、寝起きのような格好ではもうふるえてしまう。
遠くの山を見るともううっすらと色づき始めているが、まずは黄色くなって、そのあと赤くなるのだろうか。
アオハダの実も真っ赤。
気がつくごとに秋は深まっている。
ご近所の金木犀で毎年楽しみにしている木の花が咲き出してあたりにいい香りを漂わせている。
金木犀の第2陣で、病院の生垣でもすっかり花を終えた先発隊と並んで咲いている。
側溝の蓋の隙間に育った千日紅、1、2輪で終わると思っていたのが豈図らんやむしろ花が増えている。
花壇にも植えていたのにそこには育たないのに不思議なものだ。
この株から種をとって撒いたら元気に育つだろうか。

仕事では考えをまとめたり、備忘録にしたりにA4版のノートを使っている。
手を動かして”書く”という作業が記憶に残したり、現在の問題を全体的に俯瞰するのにいいと思っているのだが、最近、漢字が書けなくなってきて困っている。
昨日は”縦隔の縦”のつくりが書けなかった。
従うのつくりが徒のつくりと混じってしまったようで、自分のノートとはいえ、ひらがなを残すのは癪なので、最後はスマホで確かめて書いた。
同じことは、半年ほど前にも書いていて、これはおそらく老化が原因である可能性が高いが、自分の手を動かす機会が減っているからということもある。

せっかく字を書く機会があっても雑に書いてしまっている。
心を落ち着けてゆっくり書いたらいいのに、なぜか走り書きになってしまうが、これはどうしてだろう。
というよりは、写経とはそうした心の乱れを落ち着けるためのものなのかもしれない。
日々丁寧な生活を送ることで、日々平和に暮らしていられることに感謝することができるし、それが外の世界に目を向けることへの余裕につながるのではないかと思う。
一字一字

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アラ還が自己肯定感について考えると

2022年10月17日 | 生き方について考える
小雨まじりの曇天で、一日中降ったり止んだりとか。
昨日のような気持ちのよい陽気は、その気持ちよさと相まって楽しかった懐かしい思い出も蘇ってくる。
そして、今日のような天気だと、気分は塞ぎ気味になってしまう。

おとといのようなことを書いてしまうのはいつもの秋の深まりと共に訪れる鬱っぽい気分のせいだろうが、それに加えて私自身の自己肯定感の低さのせいもあるのかと考えてしまう。
こんなアラ還が自己肯定感もへったくれもないが、このまま人生が終わっていくのもどういうものかと考えてしまう。
この先、自己肯定感を高めていくにはどうしたらいいだろう、それともそもそもそんなもの不要なのか。

50歳を過ぎる頃には自分の能力、適性、才能、性格、そういったものが大体わかり人生の大半は決まっている。
情報化社会の発達により、以前より格差もはっきりと目に見えるようになっている。
この先の人生では、それらを受け入れていくしかない。
新しいことを始めるといってもそれは全く新しいものではなく、それまで生きてきた経験なり糧というバックグラウンドがあってこそできるものだ。
それでも生きていかなくてはいけないのが人間であり、そこに価値を見出さなくては意味がない。

自己肯定感とは、まさにその価値に対する自己評価で、生きる意味に通じる。
どれほど頑張って(頑張ったつもりであって)も自分なりに満足のいく結果が得られないまま生きてきたとしても、それはそれで終わってしまったこと、やり直しのきかないことだ。
自己肯定感を上げるとは、自分の人生に対する自己評価を上げるということで、採点官は自分自身だ。
採点を甘くするのも辛くするのも自分であるが、どうせなら甘くしてもいいのではないかと思うが、なかなかそうできない自分がいて、秋の深まりと共に考え込んでしまうのだ。
わんこもいないし

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