こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

そのままの私でいるしかない

2015年03月31日 | 生き方について考える

ソメイヨシノは江戸時代の終わりに作出された園芸種であり、挿し木によって広がった。自生地というのはなくて、どれも人の手によって植えられたものだ。人が植えたものであれば、抜くのも人。鶴岡八幡宮の段葛の桜も皆抜かれてしまった。

さて、昨日も書いたとおり今日は勤務先の病院の桜。今年も見事な花をつけてくれた。

この桜の木が植わっているところは、以前古い建物があったところで、先年これが取り壊された。以前、敷地内の別の場所にあって、そろそろ咲くところだった桜の木をバッサリ切られたことがあったので、このときもバッサリと切られてしまうかと思ったが、残してくれてホッとしている。現在は、新しい建物を建てる工事が進められているが、どうぞ、桜の木をよけて建ててほしい。

昨日も少し考えたが、勤め人などこの桜と一緒で、いつどこに植えられて、抜かれるか、など全くわからない。それどころか、偉い人でも、下っ端でもこれは同じで、人生誰も安穏とはしていられない。

古今の歴史をひもとけば、それは自明だ。

不肖コロ健にしても、この先どんなことが起こるか、わかったものではない。それでも、人に媚びること無く生きていきたいと思うのだ。だから、人に嫌われ疎まれてしまうのだろうが、これが私の生きる道、と思えばあきらめもつく。

これまでの私のままでいること、それほど簡単にできることではなかろうが、そのままの私で生きていきたい。

もちろん、改めるべきところは改めるが、それは人に媚びるためではない。

とはいえ、そう、きれいごとばかり言ってもいられないのが世の中だ。悩み多き人生が、死ぬまで続く。

それでも、生きていれば楽しいこともきっとあるし、嬉しいこともある。

美しく咲き誇る桜を見て、一時でも心安らかになれば、それだけで十分なような気もする。

常に覚悟を
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このところ、いろんなことがありすぎて

2015年03月30日 | 日々思うこと、考えること

3月も気がつけば最終週。残すところ、あと1日だ。

昨年の末からとてつもなくいろいろな出来事があって、この3月はそれらがピークに達している。詳しく書いたら、ご迷惑をおかけする人がいるので、あえてここに書くことはしない。言えることは、人間というものが、実にちっぽけで浅はかな存在であるかということを実感したことだ。もちろん、不肖コロ健もそのうちの一人。

そんなこともあったけど、桜は今年も見事に咲いてくれた。東京の桜が満開を迎えたと、昨日聞いたが、半信半疑で出勤してみたら、見事満開。

だって、チラホラ、咲き出したなどといっていたのが、先週の水曜日。それが、翌週の月曜にはこうだからな。上の写真なんて、この時の、”病院近くの公園の手前の桜”。向こうにある木が全く見えなくなっている。

帰り道、夜桜を探しながら歩くと、これはこれで、気持ちがいい。

 

静かな中にたたずむ桜というのは、間のもつ静かな生命力をみるものに感じさせてくれる。

桜は、ヒステリックにもならず、ただただ、そこにあって、静かに花を咲かせ、そして老いていく。

そういえば、ソメイヨシノの樹齢は100年にも満たない。そう考えると、つい人間と比べてしまう。

ある日、突然切り倒されることがあるかもしれないけれど、桜のようなメリハリのある一生を送りたい。

 

明日は病院の桜を
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晴れのち雨

2015年03月29日 | 鎌倉暮らし

午後になって、ずいぶんな雨が降り出した。

午前中のうちはいい天気で、桜を探しに散歩をした。だが、源氏山のソメイヨシノはまだで、満開まではあと一週間というところだった。

でも、山桜はずいぶん咲いていた。

源氏山の頂上からは横浜のランドマークタワーが見えた。

鶴岡八幡宮の桜は五分咲きといったところ。週の半ばに満開となってしまいそうで、少し残念だ。

雨の予報が嘘のような天気だったのだが・・・、昼頃からずいぶん風がつよくなって、午後には雨になってしまった。

夜、車で出かけたら本降りになっていた。

 

東京では桜が満開になったとのこと

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いい仲間、後輩

2015年03月28日 | 日々思うこと、考えること

いい仲間に恵まれたと思う。

ここのところ、しんどいことが多かったので、気心の知れた仲間と飲みに行った。

あんまりしんどい状況だったので、これまでコロ健がため込んできていた多くの悩みの一部を打ち明けた。

すると、驚いたことに、彼らは異口同音に

「何言ってるんすか、センセー、そんなのどうってことないじゃないですか。そんなことよくあることですよ」と言ってくれた。

肩の荷が降り、ホッとして、なんだか涙が出そうになった。

私の状況をどこからか聞きつけた後輩からメールが来た。

そこには、数名の仲間とともに、私に指導を受けて嬉しかったこと、私の病理医としての姿勢に感銘を受けたと書いてあった。

自分がやって来たことに感謝してくれる人がいるのだと思うと、やっぱり嬉しかった。

逆のことを遠回しに言ってくる人も、もちろんいる。

世の中そんなに甘くない。

だが、八方美人なんてどだい無理な話。すべての人に良く思われるなんてこと、あり得ない。これまでの人生、まわりを気にしすぎていたのかもしれない。

そう考えると、もう少し強く生きてみようという気にもなる。

応援してくれる読者のみなさんもいる
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朝餉の香りをかぎながら

2015年03月27日 | 日々思うこと、考えること

夜明けが早くなり、昨日あたりからは暖かくなって、久しぶりにナイトを朝の散歩に連れていった。

ここ数日は天候の良い日が続くようで、今朝も気持ちのよい朝だった。可愛い葉の咲いている花壇も多く、春の訪れが嬉しく感じられる。

暖かくなって、家々の窓も空いているのだろう、朝食であろう、おいしそうな匂いがときどきしてくる。お弁当の準備も一緒にしているのかな?というような香りもしてくる。

昔は、食事の支度の匂いはしょっちゅうかぐことがあったが、最近ではずいぶん減ったように思う。気密性の高い家やマンションが増えたからだろう。

せいぜい、換気扇からながれてきた香りしかかぐことはない。それでも、家々がそれぞれの朝を迎えていることが分かって、楽しい気持ちになる。

それにしてもいい季節になった。

職場に行く前に、英気を養うにはちょうどいい。いい気を吸ってから、前線に向かう。そんな気持ちだ。

さあ、出かけるか 
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センセーはマジメだから

2015年03月26日 | 日々思うこと、考えること

「センセーはマジメだから、大変でしょ。」と、言われることがある。複数の人から言われるが、人によって立場が違うので、どれも同じ意味に捉えることはできないが、一般的なマジメ、というニュアンスで使われているのだと思う。心の内の実際を知らない人から見たら、コロ健、案外マジメに見えるのかもしれない。だが、「大変でしょ」といわれてもピンと来ない。なぜなら、私は”マジメ”ではないからだ。

この辺のことは、このブログをよく読んで下さっている方には理解してもらえると思う。そして、このブログの中の私は、本当の私と現実の私の真ん中あたりにあると思っている。ただ、本当というか思っている私と現実に行動している個体としての私、どっちがどっちなのかまではわからないでいる。

はたして、思っていることと現実社会での行動が曖昧になっているということが、いいことなのかそうでもないのか。

 

そんなことは関係なく、すくなくとも理想として、私はよりよい人間を目指している。このことが真面目といわれているのかどうかは、よくわからない。

では、私にとって具体的にどういうことが真面目なのかといえば、私としては通勤時間も惜しんで、365日仕事漬けで、ずっと高いテンションで頑張ること、となる。私の周りにこういうように見える医者は多いし、そういう医者には業績もある。で、こういう人間でない私は、不真面目ということになり、日々そのことを悩み続ける。

 

生き方は人それぞれなので、気にする必要もないのだろうが、なかなかそうもいかない。

とはいえ、やっぱり私は「マジメ」といわれるほど、マジメではないことだけはたしかだ。じゃあ、マジメじゃない、と言われるとそれはどういうことを言うのかがわからないので、これまた表現しがたいものだ。

 

なら、どっちでもいい?
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チラホラ、咲き出した

2015年03月25日 | 通勤・交通・旅行

おととい、3月23日、東京のソメイヨシノの開花宣言が出された。

私の通勤途中にある何本ものソメイヨシノもチラホラ花をつけはじめている。

それにしても、もうすぐ4月か。

何一つ進歩のない私に比べ、時間が過ぎるのはなんと早いことだろう。

駅から5分ほど歩いたところのは5輪程度花をつけていた。

病院近くの公園の手前の桜。

この木の開花は早いと思っていたが、まだだった。

病院近くの公園の桜もまだでした。

これは病院の敷地内の桜。

写真だとどれが花だかわからなくなってしまったが、一輪だけ咲いていた。

今日は北風が冷たくて、帰り見ても大して変わりはなかった。

明日からは暖かくなるとのこと。一気に開花が進むことだろう。

なお、東京地方のソメイヨシノの満開は3月31日とのこと。

 

  一週間後が楽しみです

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ミニバラにホトケノザ(仏の座)

2015年03月24日 | ガーデニング・菜園・花・緑

これまでたびたび取り上げたことがある私のミニバラの寄せ植え鉢に、ホトケノザが根を張っていた。いよいよ春本番となって花を咲かせはじめた。

ホトケノザ、赤紫色の小さな可愛いらしい花だ。葉の形が仏様の座に似ているということで、この名前があるのだと、このたび初めて知った。茎が段々につくことから三階草ともいうそうだ。ちなみに春の七草のホトケノザとは別だそうだ。

ホトケノザ、有川浩の『植物図鑑』を読んだときに名前を知ったのだが、実物がどんなものかこれまで知らなかった。

 

さて、このホトケノザ、こんな調子で花を咲かせ続けては私のミニバラと養分の取り合いになりそうなのだが、せっかく花がつきはじめたところで抜いてはかわいそうだ。

狭くて窮屈だろうけど仲良くやってほしいと、心の中で願いながら今朝も水やりした。

駅を降りてから病院までの道すがら、路傍を見ると、ホトケノザがたくさん咲いていた。

うーん、こんなにありふれた花だったとは。今日まで見過ごしてきた自分はどれほど花に興味がないのだろうと、恥ずかしくなってしまう。

 

 

 

み仏の 円座にすわる 紫を

寄りて見入れば あどけなくもあり

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お墓のスイセン

2015年03月23日 | 家族のこと

お彼岸の墓参り。

以前、妻が砂利のところに植えておいたスイセンが咲いていた。

こんなところで、可憐に咲いてご先祖さまをいたわってくれている。

そんな気がしてうれしい。

「よろしくね」と、心の中で声をかけてしまった。

帰りながらよくみてみると、いろいろと工夫しているお墓がいくつかあった。

それぞれのお家のご先祖様を気持ちが伝わってくる。

 

私が入る頃はどんなになっているだろう
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ちょっとディープな鎌倉散歩

2015年03月22日 | 鎌倉暮らし

久しぶりにすっきり晴れた週末。

お彼岸の墓参のあと、フラットコーテッドレトリバーのナイトと妻と散歩した。

大正5年に建設され、歴代首相の別荘としても使用された、鎌倉三大洋館のひとつといわれる「古我邸」、現在大改修中のようだ。3月に結婚式場としてオープン予定だそうだが、ちょっと遅れているのだろうか、まだ、足場が組まれている。レストランとしても使えるようなので、今から楽しみ。

由比ケ浜のほうに、こんな施設がある。鎌倉育ちの妻が、ついこの間発見したと案内してくれた。

西岸良平の漫画、「鎌倉ものがたり」と「三丁目の夕日」を足して二で割ったような雰囲気の、東大理学部”鎌倉観測所”。なにを調べているのかな?

由比ケ浜の裏道を歩いていくと、しゃれた洋館。妻が、石垣に施された綺麗なリボンの模様をみつけた。

  

こういうお家があるのが鎌倉。

江の電の踏切を何度かわたった。これはどの踏切だったろう?

こんな歩き方も楽しいものです。

 

これで一万歩 
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東京大学理学部附属地殻化学実験施設のホームページへはここをクリックして下さい。

 


一度きりの人生を楽しまなくてどうするの?

2015年03月21日 | 妻の名言

忙しすぎるといって、ため息をついたり。

あの人が意地悪するからといって、嘆いたり。

自分の力が足りないからといって、落ち込んだり。

そんな毎日のことを妻に向かって話していたらこう言われた。

一度きりの人生、楽しんだほうがいいわよ。

 

二度三度とあるものならば、それぞれに善し悪しがあるかもしれない。でも、それが一度しかないものだったら、それは善いものでなくてはならない。

楽しむというのは、ただゲラゲラ笑っていればいいというものではないだろう。でも、その意味はなんとなくわかる。

人生を楽しむということを、楽しみながら生きていきたいものだ。

 


 しょせん二度目はないわけで 
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お前がやれといわれてやって

2015年03月20日 | 日本のこと、世界のこと

いやなことは人にやらせるのが一番だ。それが悪事であればなおさらだ。自分の手は汚さないということ。

 

今日はあの地下鉄サリン事件から20年。13人もの人が理不尽に命を奪われ、突然の別れを強いられた。負傷者数は6300人にのぼる。時間は少しだけ違ったものの、あの日霞が関方面行きの丸ノ内線に乗っていた私にとっても消しがたい思い出だ。

そして昨日は、北アフリカのチュニジアで。楽しみにしていたであろう観光地にバスから降りたったところをテロリストに銃撃されて、21人もの人が理不尽に殺された。

テロによる殺人に大義はない。だが、昨今、連日のようにもたらされる悲しいニュースはこの蛮行が決してなくならないものであることを私たちに知らしめてくれる。

テロの実行犯は許しがたいし、その指示をした人間はもっと悪い。テロリストが逃げ延びることがあってはならない。自分で命を絶つか、捕まって裁きを受けるか。いずれにしても、ことをなした時に、その行為の重大さに気がつくのではないか。

お前がやれといわれてやった。それでも責任はとらされる。

 

テロ集団に属した時点でそうなることを覚悟するのだろう。どんな大義があって、そんな運命を選ぶのか。 

いつまでたっても人間は何も見えず、愚かなままだ。

私にはできない、とは言えない
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季節の変化も人生も

2015年03月19日 | 通勤・交通・旅行

急に暖かくなったと思ったら、次の日には雨が降って気温が下がる。

翌朝には晴れて、花粉が舞う。

 

季節の移り変わり目は、いつもダイナミックだ。

だから、日々変化ばかりの人生もダイナミックなのが当たり前。昨日も今日の繰り返しなんてこと、あり得ない。

 

面白いと思っていれば、いつのまにか時は楽しく過ぎていく。

 

 夜明けが早くなってきました
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今年の運勢、こうなるはずだが

2015年03月18日 | 日々思うこと、考えること

昨年来、不調続きのコロ健、なかなか再浮上のきっかけが掴めないまま3月も下旬にさしかかってきた。

不調の理由を挙げたらきりがない。

ただ、それでも踏ん張っていられるのには理由がある。それは、お正月に鶴岡八幡宮でひいた末吉のおみくじ。

淡雪の 降れどたまらぬ 梅が枝に

花は香りて 春風ぞ 吹く

本分を知り、困苦に耐えて清節を守り通しなさい。時には耐え難いほどの忍従があるが、すぐに春風をともなって天与の恵風が訪れ、きっと幸福になる。との意だそうだ。

 

だが、人生、おみくじのようにはなかなかいかない。

それともすでに“天与の恵風”は訪れているのか。判断はなかなか難しい。

梅の花ももうおわり
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私の人生五里霧中

2015年03月17日 | 生き方について考える

昨日、書いた「人間の暗黒面」ということば、ときどき頭をよぎる言葉で、以前にもこんきもで書いたことがあるのじゃないかと検索してみたら、やっぱりあった。

2011年11月19日の”悪口を言ってはならない・・・”という記事

この時には悪口を言っている時の自分が「暗黒面が口を開けているように思う。」と感じている。そして、ポジティブとネガティブであると、ネガティブな人が悪口を言う傾向が強いとも感じている。

 

ということで、昨日の私の記事、似たようなことを言っており、少々がっくりした。

ほとんど進歩していないということだ。

人生、どれだけ生きても、良い生き方の答えはみつからない。堂々巡り。

考え過ぎは良くないという人もいるが、考えない(ノイズを入れない)人生というものにどれほどの意味があるのだろう。

あれこれ考えるからこそ、人生は楽しいとも思える。

 ”人生、こうやって生きてみよう!”というような本が、最近巷に溢れている。

ああいった本が売れるということは、世の中多くの人が悩み、苦しんでいるともいえる。

 

つくづく、人生の指針というものをみつけるのは、難しい。

そしていまだ、私の人生は五里霧中だ。

答えは無くても生きていく
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五里霧中;どうすべきかの方針や見込みがまったく立たないことのたとえ。また、手探りで何かをすることのたとえ。