こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

わかったこと、わかっていないこと

2011年04月30日 | 日々思うこと、考えること

今回の病理学会、私にはとても大きな転換期となったように思う。
東日本大震災を経験し、中止になるかどうかの不安、演題が一つ消え、残りの一つを発表。
学会では、エントロピーの増大しきった医学の一端を目の当たりにした。
100回という区切りの年にこのようなことを体験できたのはよかったのだろう。

わかったのは、私が何も知らないということ。
どうしてこんなことわかっていなかったのだろう。

”無知の知”はソクラテスの言と言われる。
ソクラテスがこの境地に達したのはどの様な経緯の末だったのだろうか。

いろいろなセッションで話を聞いて印象に残ったのは、「それはまだ分かっていません」ということ。
一昔前は「これは、〇〇である」と声の大きい先生が言えば、議論も続かず、結論めいたものが出ていた。

今は違う。
仮に、発がんのメカニズムが分かったところで、遺伝学的に、がんにかからないことが分かった人には関係ないし、ましてや心筋梗塞で死ぬかもしれない人にとっては、動脈硬化、心筋機能の研究のほうがよほど興味があるだろう。
ワークショップにしても、シンポジウムにしてもずいぶんそうそうたる経歴の先生がたが話をされていたが、以上のような理由からは、それぞれの先生がやっている仕事は地球に対しての砂粒一つにも満たないことだろう。だから、結論めいたものすら出にくくなってきている。それでも、挑戦し続けるのが学問なのかもしれない。
病理学者たる存在理由になるだろう。

私は病理医。臨床医のための臨床医でありたいと願っている。
昨今の情報過多のなかで、良心的な臨床医はわからない事だらけの中で、よりよい答えを求めて苦悶しているの
だろう。
剖検してもわからないことはままある、とは、あるワークショップでの司会の先生の弁。

わかったことはたくさんあるが、それ以上にわからないことがたくさんあることがわかった。
こんな事ばかり考えた3日間だった。

まあ、四の五の言っていないで、論文の一つでも出さないといけない、ということもわかった。


どう、まとめるのか

2011年04月29日 | 日々思うこと、考えること
私自身、共同研究しているのがエピジェネティクス異常についてなのだが、私がやっているのは、病理組織を見るだけの形態学の範囲。メチレーションの異常だの、インプリンティング異常だのの検索は相方がやっている。

今日の病理学会に出て思ったのは、やっぱりわからないことだらけなんだということ。

爆発的に広がっている生物学のテーマ、それらをひとつひとつやればやるほど分からなくなる。

シンポジウムでは「幹細胞」がテーマになっていたが、何をどうまとめるのかわからない。

発生、発がん エトセトラ

自然科学の目標はあるひとつの真理を求めることだと思うが、ひとつにしていくことはもう無理ではないのか。

弥勒の登場か、最後の審判か、宇宙の終焉か。

私のなぜはますます深まるばかり。

私がただの馬鹿なのか。


第100回日本病理学会

2011年04月28日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
第100回病理学会、開幕。

動く歩道は動いておらず、自粛ムード漂うみなとみらい地区。


天気にも恵まれ、第一日が。始まった。

ベイブリッジもよく見え、気持ちがいい。

大過なく発表を終え、ホッと一安心。さあ、あとは勉強だ。
まずは、森茂郎先生の病理学会100年の話を聞く。なんでも、かつての病理学会は学問オンリーだったのが、認定医制度、病理科標榜となって、診断病理の比重がどんどん大きくなってきたとのご感想。会員数がいまの10倍(2万人)であれば、診断病理と病理学が住み分けられるのに、と、少し残念そうに語っていらしたのが印象に残った。
診断病理志向の強さは、出張本屋(文光堂)のラインナップを見ても、明らか。
各種取扱い規約、各種専門病理診断のアトラスがこれほど大量に刊行されていたとは驚きだ。

自分自身、絵合わせ病理医にならないよう、戒めているのだが。つい欲しくなる。

と思いながら”複雑系と医療の原点”というサブタイトルに惹かれ、「穆如清風(ボクジョセイフウ)」なる本を、衝動買い。今月は、1冊も読破できなかったが、何日かで読んでみよう。

不条理ではない、これが現実なのだ

2011年04月27日 | 日々思うこと、考えること
自分のおかれている状況、不条理と思うことが多い。


なぜ、物事は自分の思惑どおりに進まないのか。

なぜ、ホームへの階段を急いであがろうとすると、スポーツサークル風の大学生20人ぐらいの集団が楽しそうに騒いで、私の行く手をふさぐのか。
なぜ、駅を出て道を歩くと、10メートル先の人がタバコを吸っているのか。
なぜ、ブログのアクセス数が気になるのか。
なぜ、ブログなど、毎日書いているのか。

なぜ、人は恐怖を感じるのか。
なぜ、土地の値段は高く、土地を持っている人と、持っていない人がいるのか。

なぜ、病気はあるのか
なぜ、生命は起こったのか。
なぜ、発癌のメカニズムを研究するのか。
なぜ、なぜ、なぜ

なぜ、考えはとりとめもなく、あちこちに飛ぶのだろうか。
何も考えなくても、私は在る。

なぜ、地震は起こるのか。
なぜ、無理矢理住むところを奪われる人がいるのか。

なぜ、私のことを嫌う人がいるのか。
なぜ、人のことを好きになるのか。
なぜ、秘密があるのか。
なぜ、私は存在しているのか。
なぜ、人は生きようとするのか。
なぜ、私は死ぬのか。そして、人がいつ死ぬか、なぜ、そのことを誰も知らないのか。
なぜ、死刑はあるのか。

なぜ、私は、こんなしょうもないことを考えているのか。

すべてのなぜが説明されることはありえない。
今から、1分後に天変地異が起きても、私はそのことを不条理だと思うだろうが、現実として受け入れるしか道は無い。想定の範囲は、私が生きている限りにおいてのみ想定されること。
なぜ、明日の学会で質問されることが判らないのか。
なぜ、質問など来ないかもしれないのにそんなことを心配するのか。


道理の無いことが道理か。

すべては、不条理などではない、すべての人に共通におきている、現実だ。
時空はすべて連続している。生きとして生けるもの、みな同じ空の下。
現実とはなにか。それは、すべてのものが互いに影響しあっておこっていることの無限の連続。
宇宙は無限に存在するのか。
宇宙が尽きたあとも時間は永遠に流れるのか。





座長「そろそろ時間です。続きのディスカッションはフロアでお願いします。ありがとうございました。座長の不手際で、若干時間がオーバーしております。申し訳ありません。
では、次の演題に移らせていただきます。次の演題は・・・」

その時、私はもっと話したい…と思っているかもしれない。

頑張っている人

2011年04月26日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
臨床の科の勉強会に出席。
うちの病院でも新しい治療法に挑戦したいということで、病理も参加。



プレゼンを聞いたら、みんなよく勉強していた。とくに、担当科の一人の医師が、過去の関連症例の治療実績を提示していた。自画自賛ではなく、それなりに、客観的に。

過去数年におよぶもので、コツコツやってきた成果だ。
病理にも検体が出てきていたが、悪性のものでもなく、あまり気にとめることもなかった。
あらためて、話しを聞いて、「ずいぶん立派なことをやっていたんだ」と、思いのいたらなかった自分を反省。と、同時に、こんなところで病理も役に立っていたのかと、少し嬉しかった。

病院の医者は症例の蓄積でしか、情報発信できないが、こうやって頑張っている臨床家をみると、私もまだまだ頑張ろうと思える。
明日からの病理学会、そういった発表を探してみるのもいいかもしれない。

さあ、やるぞ(やっとか?)!

2011年04月25日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
今週は金曜日が休みということをすっかり失念していた。

病理学会は金土日の三日間の開催と思って、金曜日一日、学会出張させてもらおうと思っていたら大まちがい。
今朝、出張届けを書いていたら、金曜日が祝日、木曜日を学会出張とさせてもらうという状況であるということを知った。

準備期間が一日減った
さらに、私の発表は初日。

月(出勤)、火(出勤)、水(出勤)、木(午前発表)

病理学会以外は小さい学会でしゃべってばかりなので、たまのポスターは準備がきつい。

昨日、(息子が修学旅行のホームステイで不在のため)一人っ子状態の娘の買い物につき合い、結局土(少し早めの衣替え)と日、ほとんど何もしなかったことを悔やんでも、後の祭り。これはこれで、とても、楽しかったのだが・・・

時間はすべての人に対して同じ速さで流れて行く。
いくつになっても、自転車操業。
それでも、私には、回せる車輪があるのだから、幸せだ。

腹をくくって、あと2日、やれること、やるだけやってみよう。

直したい自分の性格は?

2011年04月24日 | 日々思うこと、考えること
直したい自分の性格は? - gooランキング


おお、こんなランキングがあったのかと思い、ひらいてみた。
老若男女、同じようなことで悩んでいるものだ。

1位 面倒くさがり(2963票)
私の中では下の方だと思っていたが…よくよく考えてみるとたくさんある。
くずかごに、鼻をかんだティッシュをシュート。ドアを足で閉める。テレビのリモコンを遠く感じる、締め切り前までに原稿を送れない、学会の抄録締切りは必ず1週間延びるとタカをくくっている…

2位 マイナス思考(2865票)
ブログ、こんな気持でいられたら(こんきも)永遠のテーマ、一生直したいと思うに違いない。

3位 人見知り(1904票)
無いようで、意外としている。とくに男性には多いのではないか。妻の爪の垢でも煎じて飲みたい。
定年後、地域のコミュニティーに溶け込めるか、心配だ。ハイキングコースでの散歩中の挨拶はやっとスムーズに出来るようになった。

4位 短気(1120票)
相手があったり、自分自身のなかでキレたり、と、いろいろな局面である。抑えてはいるが、通勤に関しては1週間に1度、家人に対しては1ヶ月に1度、職場でも1年に1度くらいは怒ってしまう。本人に直接言うより、陰口、で済ませておいたほうがいいのかと思うこともある。

5位 優柔不断(1110票)
「これはない」と思ったのだが。昼食時、A定食(魚)、B定食(豚肉)、C定食(ミックス)もしくはラーメンの中から選ぶとき、結構悩んでしまう。汁物はスープと味噌汁、どちらを選ぼう…

6位以下も興味深い。
それぞれのひとが、それぞれ気持ちが千々に揺れているのだろう。

直したい、と思うのは、向上心の表れ。とくに、人間関係においてよくありたい、ということか。
でも、”よくありたい”=”嫌われたくない”、”浮きたくない”では、ちょっとさびしい。
自分は、まず自分でありたい。

生きとし生けるもの、いや、存在するものすべてとともに歓びを見出し、分かち合っていく、そんな生き方をさがしていきたい。

いろいろな意味で、よい週末に

2011年04月23日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
神奈川県南部には大雨洪水強風波浪雷注意報が出る悪い天気、ナイトも外に出しておくわけにいかず、クレートの中でじっとさせている。

ときどき、家がビリビリするほどの風が当たると、「また、余震?」というほどだが、ランプシェードに目をやると動いていない。

地震ではなかったか。

某学会の抄録1本はなんとか済ませたのに、まだ(締め切り過ぎ)原稿1本はあるし、病理学会の発表原稿もまだ出来ていない。

それでも、土曜日にたどり着くとヘトヘト。歳のせいか、気力も体力もつきている。
自分のことだけでこれだけ大変なのだから、後進の指導に当たる教授職にある先生なんかはよほど大変なんだろうな、などと、いらぬ心配をしながらぼんやりしていると、妻からの「夏物と冬物の入れ替えを」という指令。


というわけで、強風のなか藤沢のトランクルームへ一往復。悪天候のせいか、鎌倉周辺の道路はガラガラ。
江ノ島周りでのんびり到着。コンテナから茶箱を出して、またいれて、ついでに息子の五月人形も出してと、この作業、延々と続く。なんとか、立体パズルのように荷物を無事押しこみ、帰ってきたのだが、大雨で荷物が降ろせない。
これは明日に回そう、ということで、疲れて昼寝。

目が覚めれば、もう夜。
今日一日、あっという間に終わってしまった。このあとは、妻と娘と宴会、というか、夕食。原稿書きは明日に回そう(病理学会の原稿も)。

こういうのが、普通の生活、と思うのだが、こういう(甘ちょろな)生活を送っているようでは、出世はおぼつかない(大学に戻るわけではないので関係ないが)。
それでも、いろいろな意味で、良い週末を過ごせたように思う。
ナイトにはちょっと退屈だったかもしれないが。

口が堅い人、口が軽い人

2011年04月22日 | 日々思うこと、考えること
もちろん、医師としての守秘義務のような職業上のものではなく、一般的な意味での話。

口が堅い人には何種類かあるように思う。
私も、妻も、口は堅い方だと思っている。

私の場合、病理医という仙人生活を送っているためもあって、奥の院(病理鏡検室)まで来る人以外とは話さない。
ということで、話し相手がいないので、口が堅い。
というのもあるのだが、情けないことに、他人に興味が無い。
あとは、多少のことは自分がすでにやってしまっていることなので、「だから?」になってしまう。
たいがいのことは、心の問題が残るものの、時が経てば表面上修復されるので、「だから?」

妻は口が堅い。みていて、確かに口が堅い。いろいろ、友人に相談を受けているらしいのだが、ほかに漏れることはない。10~20年単位で黙っているように見える。
よくこれだけ、抱え込んでいられるものだ、と思うほど偉い。あまり口が堅いので、いろいろ相談されて、秘密が増えているようで少しかわいそうだ。
夫婦の気安さから私にべらべらしゃべらないというのも偉いと思うが、それは多分、私が他人に興味が無いからだろう。妻が仮に何か話してきても「だから?」で終わる。だから、私には話さないようだ。
もちろん、日々の生活のこと、人生のこと、子供のこと、社会のことといったことは話す。

人に興味が無いから口が堅い、という私。
相談してくる人のことを思って口が堅い、妻。
口が堅いのにも、いろいろある。


口の軽い人というのも見ていて面白い。
学生時代とか、「ここだけの話」をあちこちで話している友人というのがいた。
最終的に、うざったがられて誰にも相手にされなくなっていた。
私も昔は口が軽かった。人に取っての秘密など、どうでもよかった。最低の人間。

人の秘密など、知ったところでたかが知れている。そもそも自分の利益になることはほとんどない。
秘密を利用して何かしたら恐喝だし。秘密を商売に使っていいのは、芸能記者。芸能人はプライバシーと引き換えに芸能人になっている。だから、芸能人を引退するとマスコミはさん付けで呼び、基本的に秘密は明かされなくなる。山口百恵は気の毒だが、旦那さんが芸能人ではいたし方あるまい。政治家も同じようなものか。

口の軽い人には誰も何ももたらさない。
私の場合、そうしてくれると有り難い、と思っているうちに他人に興味が無くなってしまったのかもしれない。


妻とナイトと片瀬山

2011年04月21日 | 犬との暮らし

妻から「今日は遠足日和でした」というメールが来た。
この冬、スキーに行った時に、私が竹箒でボンネットの上の雪かきをしたせいで作ったキズを隠す;ポリマー加工というものを、馴染みのガソリンスタンドの紹介でやってもらうために、ナイトと一緒に車を預けに行き、その帰りに散歩してきたそうだ。あんまり楽しそうだったので、今日のブログに。( )内は、私。

今日は遠足日和でした。

ガソリンスタンドに車を預けて、出発。大きなマンションの裏側から森林公園を通って片瀬山へ行きました。母の家(実家に相当、正確には妻の育った七里ケ浜の実家は引きはらい義弟夫婦と義母が現在住んている家)のすぐ近くに出たので給水に寄りました。ここまでナント20分(近くて驚きました)でした。

ナイトと一緒にお水を飲んで、玄関先で15分くらい喋って、片瀬山出発!

浄水タンクの脇を抜けて西鎌倉小学校の前のバス通りに出て正門の横を上り(これはけっこう急で長い)、鎌倉山ロータリーまで行きました。ロータリーから左に曲がり、ほぼ頂上で新しい木の階段発見!
夫婦池までの散策コースでした。

たしか「水際の散歩道」って名前でした。そこを下って写真の所に出て、あおぞら園の横から笛田公園に入り、ちょっと休憩!(あの辺りは、鎌倉中央公園はじめ、公園が多い)。

このあとは八雲神社から真っ直ぐ歩き、税務署の横を曲がり美容院の横から出て、八幡様を通って帰宅しました。全部で2時間半。

新緑も綺麗で、桜吹雪もあちこちで見られて良かったわよ!
でも、ちょっと疲れました。

とのこと。
羨ましい。車の修理とナイトの散歩、実家の母の様子見と、一石二鳥か三鳥くらいのことをしてくれているわけで、すべて主婦の仕事のうちだ。
でもやっぱり羨ましいな。

でもって、帰りがけに車を回収しに行くのは、ボンネットにキズを作った私。
藤沢まわりで帰ることに。

住宅街と、飲屋街が隣接する不思議な町。でも、飲み屋はやっぱり閑古鳥?

おお、傷跡は全く見えず、以前と変わらぬ状態に戻っていました。ヨカッタ。
これからもっと大事にします。


わが子を嫁に出す気持ち

2011年04月20日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
こんなことがあった。


某科の医者(少なくとも私より一回り年下)

「先生、明日大学の講義頼まれちゃって、その時にいいマクロ写真一枚出したいんですが、すごい!というようなのもらえませんか?」
「は?・・・自動販売機じゃないんだけど
しばし呆然とした後、「あのさ、先生、それどういう事?先生、この病院来たの、この4月でしょ?先生の症例なんて無いよ。第一、これまでの症例だって、先生の先輩たちが丁寧に出してきたものだし、切り出しとかだって、どれほど丁寧にやっているかわかってる?
「(しばし無言)」
何を考えているのだろう・・・

「いや、ホントはその講義、某科の部長が頼まれたんですけど、その先生が行けないっていうんで」
「それで、先生にお鉢が回ってきたと
その部長には私は恩義があり、しぶしぶながら応じることにした。
「じゃあ、一緒に探そうか」
マクロ写真だったら、病理診断支援システム内に保存してある写真から適当に選べる。

「病理に来ればこう言うのがいつでもすぐに手に入るなんて思ってちゃだめだよ
「ハイ、分かってます」
とか言いながら、すでにUSBメモリを差し出している。
その手を眺めつつ、『しめしめ判った、これからも使わせてもらおう』だろうな?と思いながら。
「じゃ、この写真でいいね。わが子を嫁に出す気持ちだよ
「ハイ、ありがとうございました。これからもよろしくお願い致します。」
「せいぜい良い講義をしてください

こういう、「病理医=自動販売機」的思考の臨床医への対応は不可能なので、今日のところは、感想なし。これでおしまい。



二十年め

2011年04月19日 | 家族のこと
1991年に結婚して、今日は20年めの節目の結婚記念日。

これまでのことがいろいろ思い出される。何にもまして幸せなことは、妻ともども生きていることだろう。

私の前半生は最低の人生だったが、妻と出会い、救われた。
いまだに、動かせない過去を思い出しては落ち込み、相変わらず仕事には自信が持てず、人生なるようにしかならないと、諦観めいたものを持って、毎日を送る。
春先になったというのに鬱からもなかなか脱することもできない。ブログの記事にしてもどちかというと、ネガティブなものが多いし、さもなくばネガティブな自分の考えに打ち勝とうという思いから、自らを鼓舞するようなものだ。

それでも、自分が伴侶とともに生き長らえていることが、いかに幸せで喜ぶべきことかは、いまさら確かめる必要などない、自明のことだ。


妻との出会いが無かったら、おそらくはとてもつまらない人生を送っていただろう。
怖いもの知らずで、自堕落な生活を好んで続け、周りに迷惑をかけるだけの困った人間。
仕事に関しては、プライドばかり高く、ほとんど勉強しない、ただの嫌な医者。もちろん、病理医などにはなっていなかったろうし、なったとしても続けられなかった。
自制心の無い人間なのでタバコも決してやめることは無かったろう。
今でも、多少そうした芽が、心の中に見えると、すごく怖い。

妻は若い頃目指していた道を断念せざろう得なくなった、挫折も経験している。
それでも、日々前向きに生きている。そういう日常の中で、こんな私に生き方を教えてくれる。感謝しなくてはいけない。
妻以外の女性と結婚していなかったらどうだっか、ということに意味は無い。過去を変えることはできない。
これからも、永く一緒にいられるよう、お互い、努力を続けていこう。


なるようにしかならない

2011年04月18日 | 日々思うこと、考えること
過去を変えることはできない。

そして、過去の上に現在はある。

この先、自分自身を含め、なにが起こるかはまったくわからない。
そしてそれは自分の意志でどうにかなるものでもない。


病気というものから、このことを考えてみる。
病理医として、日々診断業務にいそしんでいるものの、果たしてその追求する病気とは一体何か。発生・発達異常、感染症、腫瘍、炎症性疾患、変性疾患、循環障害。ある病態はそれまでの生活習慣に原因を見いだすことができるが、遺伝性疾患は自らの意志にかかわらず発症する。感染症に至っては赤の他人にうつされることがほとんどだ。
病気というものを正常から逸脱した状態、と定義する。そうした場合、正常とははたしてどのような状態を指すのか。人間長く生きていれば、がん細胞も生まれてくるし、動脈硬化も起こしてくる。それは自然の摂理だし、起こってしかるべきことだ。
老化は病気か。
不老長寿を願う人は多いが、受精卵の状態にとどまることを望む者はいないし、あまり幸せでない状態が繰り返される状態も望まないはずだ。
とすると、人は老い、病にかかり、死ぬのが、正常となる。
その過程に個人差はあるものの、生老病死という基本的な流れは、誰しも一緒だ。

すべては時の流れに委ねられ、なるようにしかなっていかない。

祇園山ハイキングコース・・・東勝寺橋から八雲神社

2011年04月17日 | 鎌倉暮らし
妻は知人と逗子の料理教室、娘は部活の友達と横浜へ映画&ショッピング、そして息子はホームステイで2週間アメリカへ。
一方私は、昨日の二日酔いからも復活、病理学会の準備およびその他もろもろ、病院に行かなくてもいいように、資料を持ち帰っていたので、家で書き物をと思い、留守番。
天気予報では今日は平年並みの気温になるとのことだったが、全くハズレ、鎌倉は気持ちの良い快晴。鶯の声も冴えわたる。
となると、ヒマそうにごろごろしているナイトと散歩、ということに。

今日は、全行程比較的楽な祇園山ハイキングコースへ。

まずは、辻説法の道(小町大路)から美鈴の角を曲がる。

新田義貞に攻められた北条氏が滅亡したときには川面が血で染まったという東勝寺橋をわたる。

放置自転車回収所(?)の横を通り、ハイキングコースへ入る。


上の子が幼稚園、下の子がまだ2歳くらいの頃は、妻と4人で、歩き、私は下の子をショイコに背負って歩いていたのだが…今ではナイトに引っ張ってもらう体たらくぶり。
10年経つと、これほど違うか。

途中、八幡宮がよく見えるところがある。

介助犬のレトリバーは引き戸を引いたり、車椅子を引いたりするのをテレビで見たが、私もナイトに、「引っ張って」というコマンドを密かに教えている。リードを少し向こうにやりながら「引っ張って」というと、ガンガン引いてくれるので、結構助かる。おそらく、コマンドよりも、ただ、前に行っても叱られないからとは思うのだが…

妙本寺への分かれ道を過ぎ、見晴台の手前に杉木立があり、そこがちょっとした広場になっている。

すこし、遊んでから祇園山の山頂へ。

由比ヶ浜が一望でき、結構なパノラマだ。

ここから八雲神社へと降りると普通の町並み。
本当に鎌倉というところは面白い。

帰りがけに、勝烈庵で、カツサンドを買い、今日もすごい人出の鎌倉市を抜ける。

今日は、流鏑馬。震災復興祈願を行うとのこと。



これでも、1時間半ほどの行程だったが、結構歩いた気がする。
ベランダで、一人ALL Free(美味しくてびっくりした)とカツサンドを食べる。

さて、もうすぐ、15時、裏山が迫っている我が家の日の入りは早い。洗濯物を取り込んで、仕事にとりかかろう。



深夜急行バス

2011年04月16日 | 日々思うこと、考えること
ここのところ、気をつけていたのだが、乗り過ごした。今乗っているのは逗子行きの深夜バス。

某科の新人歓迎会に参加し、若い先生を前にくだを巻き、しこたま飲んでしまった。
それでも、無事会費は払ったらしく、おとなしく店をでた。
22時頃(と思っていたのだが、写真の記録を見たら22時50分だった)渋谷で山手線に乗り、品川へ向かった。


少々、時間が遅れていても、23時半頃には横須賀線に乗っているはずだったのだが・・・気がついたら、池袋。どうやら3/4周してしまったようだ。この時点で、45分経過していたことになる。
一瞬、何のことかわからなく、ホームに飛び出した。
より、品川に近い方に乗り換えないといけない!!

でも、ここは池袋。「どっち周りでも(ほぼ)一緒じゃん・・・」
で、結局、新宿渋谷周りで品川へ・・・そして、気がついたら、田町。

この時点で、0時20分。すでに横須賀線も、東海道も終電はない。
それでも、とりあえず、品川に戻り、ひとけのない横須賀線、東海道へと向かう通路をみて、電車の無いことを確認する。

「帰れない」。しばし呆然としたのだが、酔った頭で思い出したのが、京急の深夜バス
鎌倉に住むようになって、鎌倉育ちの妻が教えてくれた究極の便利便。
「あなたには、あまり教えたくなかったのだけど、いざとなったらこれを使って」と、教えられ、以来、年2,3度使っている。
少なくとも、帰る気があり、品川にたどり着いている場合、だいたいこれには間に合う。下手に横須賀線や東海道の終電に間に合って、久里浜や小田原で目が覚めるよりも、鎌倉で確実に降りれるのでこれのほうがずっといい。ここ、しばらく使っていなかっておらず、存在を忘れていたのだが、思い出してよかった。
0時55分、時刻通りバスがやってきた。
先客は30名くらい。二人席の一つずつが全て埋まっている。

前の方の席(通路側)に座ることもでき、あとはぐっすり、の、はずだったのだが、このバス、しばらく使っていないうちに逗子行になっていた。

以前は鎌倉行きだったので、眠り込んでも大丈夫だったのだが、これでは(さらに)乗り過ごさないために緊張していないといけない。
携帯のアラームを2時にセット。
冒頭の2行をかろうじて打ち込んだのだが、あとの記憶はなし。
それでもなんとか、鎌倉駅で目が覚めた。ほかの、5,6名の客と共に駅前に降り立った。

夜は雨の予報だったが、深夜の鎌倉、雨はもう上がっていた。
自転車を押して、段葛の夜桜の下を歩く。
暗くて、あまり良く見えない。

そんなこんなで、無事我が家にたどり着いたのだが。

さて、酔いが冷めて、二日酔いの頭で思うのだが、こういう状態で、災害にあったら大変だったろう、ということ。
少なくとも外では、前後不明になるほど、飲んではいけない。

酒はあくまで嗜みである。酒は飲んでも飲まれるな。
まったく情けない話ではあるが、酔が覚めるととてもつよくそう思う。