こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

この冬一番の・・・

2011年01月31日 | 通勤・交通・旅行

今日はこの冬一番の寒さ、とのこと。
池の氷も九割方凍っている。

空は、とても澄みわたり、富士山がひときわ綺麗だ。


それだけに、帰りは寒かった。

でも、寒さも今夜までのようだ。明日は10度を超える陽気だそう。
同時に杉花粉もか?

病理医の愉しみ

2011年01月30日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
仕事をすればするほど、経験値が上がる、というのはほとんどすべての職業共通のことだ。
だが、体力を要する職業では、年令とともに仕事の能力は下がる。

医者も体力を要する科、さほど必要としない科というものがある。
病理はそのうち、体力をさほど必要としない科だろう。
もちろん、剖検は大変だし、切り出しも老眼との戦いだ。それでも、顕微鏡を見ている間は椅子に座っていられる。
接眼レンズの向こうは自分だけの無限の世界が広がっているので、楽しい。診断書を書く、という”仕事”さえなければ、2,3時間はずーっと顕微鏡を覗いていられる。
細胞1個1個の違いを見て、趣きのある分裂像を発見して興奮する。少し前にみた、副腎腫瘍なんてのも、良悪性の”判断”を求められて診断に難渋したものの、腫瘍そのものを見ていると、いろんな所見が見えてきて味わい深いものがある。

病理医の愉しみ、というのは標本をいつまでも見ていること、そして、年齢を経てその見方に幅ができることではなかろうか。
それが、病理医としての経験値であり、多くは蓄積していく。自分がサインアウトした標本の組織像は結構覚えているものだ。だから、病理医は結構いつまでたっても同じようなテンションで仕事ができる。

こんな私でも、そろそろ後輩にいろんなことを教えていかないといけないと思い始めている。
それは、やっぱり自分が蓄積してきたものが、たとえガラクタの山であっても、(優秀で、すごく吸収がよく、何でもそつなくこなす)後輩よりも多少は役に立つものがある、と思い始めているから。
それというのが病理の面白いところ、愉しいところ、のように思う。


寒ブリ

2011年01月29日 | 家族のこと
「ぶりぶりぶりぶり、今日はそんなお客さんが多くて」
と、若宮大路沿いのいつものおさかなやさんがぼやいていた。

今朝、民放某局が富山県の氷見の寒ブリの特集をやっていて、寒ブリのしゃぶしゃぶを紹介していた。
なんでも今年は氷見の寒ブリが大豊漁だそうで、市場にもずいぶんと出回っていて、これをしゃぶしゃぶにして食べると美味しいという。
食いしん坊の私達夫婦、異口同音に「美味しそう、食べたい」。

ということで、早速大船の大型スーパーへ。
他県で水揚げされたブリは置いてあるが、氷見産はない。
テレビでは、大豊漁で去年の半値。と言っているほどなのに。

そこで、鎌倉のいつもの魚屋に妻が電話。
「いやあ、私もその番組見たけど、あんなのがあると、朝から大変だよ」
とか、なにはともあれ、無事注文を済ませ、夕方取りに行った時のセリフが、冒頭のもの。

「大豊漁だったのは、年末だね。そのことはたしかに安かったけど。でもね、日本海産なんて、なかなか手が届かないよ」

どうやら、今日の番組、少し前の収録だったようで、今はそれほど捕れていないよう。それに、そもそも富山氷見産の寒ブリなんぞ、スーパーに飛んでいくような庶民にとっては、いずれにせよ高嶺の花のよう。

鎌倉の魚屋で出していたのは葉山産、これはこれでとても美味しかった。

あれこれ考える時間

2011年01月28日 | 通勤・交通・旅行
妻の病気の間、自動車で通勤した。これだと1時間近く節約でき、往復の2時間分が一日の中で浮く。その時間を食事、犬の散歩その他の家事に充てた。
おかげさまで、妻もだいぶ元気になって、私はいつも通り電車+35分の徒歩に戻った。

わずか4日だったが、連続して自動車で通勤してみてびっくりしたことがある。
電車にのっている時間、歩いている時間というのが自分にとってとても大切なもんだったこと。

電車にのっている時間、好きな小説を読んだり、論文を読んだり、発表の準備や、論文の準備をしたり。仕事中はどうしても診断のための絵合わせが多く、本を読むにも断片的になる。
休み時間はメールの整理が大変だし、結局は自分の頭を休ませる時間というのをあまり取れない。
歩いている時間はもっと大切な事に気がついた。
いつもと同じ道でも、木の芽、花のつぼみを探しながら歩いていると、毎日の変化が実感できる。空も四季それぞれの色だ。冬空を見上げながら、昨夏のあの暑さを考えたりする。
霜柱を踏みながら歩き、池の氷の厚みを眺める。

そして、なによりこうした時間こそがこのブログに載せることを、あれこれ考えるに最適の時間だということ。

自動車通勤でも、あれこれ考えるが、人との接触がない。
車同士では車の価値はなんとなく分かっても、相手の息遣いも匂いもわからない。

そんなふうに、考えてみると、往復の時間というのもまんざら、無駄ばかりでもないようだ。

つかの間の慌ただしさ

2011年01月27日 | 家族のこと
妻が寝込んで4日目。
今朝も犬の散歩、弁当作り、を精力的にこなし、7時半に車で出勤。
週の初めに、妻の付き添いで半日ほど休んだことが尾を引いて、マッペの山に閉口しつつも、急ぎのものだけは片付け、夕刻のカンファレンスはレジデントが頑張ってくれ、19時過ぎには仕事終了。
20時には病院を出て、21時に帰宅。さて、頑張ろうかと思ったら、妻が結構元気になっていて、夕食の準備をしてくれていた。

それでも、犬の散歩まではできなかったようで、くつろぐ前にナイトの散歩。

源平池も、段葛もひとけはなく、ずいぶん寒々としている。

真冬というのは、こういうものだなと。

いつもと違う生活スタイルも、今日で終わりだ。
どうやら私にも、家事の手伝いをよくしてくれた子供達にもインフルエンザは感染らなかったようだ。

なにはともあれ、妻が元気になってくれてよかった。
つかの間の慌ただしさだったが、家族の健康がとても大切に思える4日間だった。

病み上がりなので、妻には無理しないで欲しい。


妻の大病

2011年01月26日 | 日々思うこと、考えること
妻が3、4日前から熱を出した。一時は40度を越したので、さぞつらかったことだと思う。
床から起き上がれないので、私は、自動車通勤(1時間半浮く)にして朝の家事をやることに。

子供達もよく手伝ってくれるので、比較的楽に推移している。
ゴミ出しも、家中のゴミを集める、というのは結構めんどうなのだが、娘がサッサとやってくれた。
資源ゴミのまとめ、とかも手際よく分別して、束ねているので、私はやることがあまりない。
風呂の準備、洗濯物をたたむのはだいたい娘がやってくれる。

朝夕食の用意と、息子の弁当作りとナイトの散歩くらい。
息子の弁当も2日続けて作って、そこそこだったので、自分の分も一緒に作った。


夜は、鍋を2回作って、翌朝はこれを各自食べて体を温め直して出かける。
鳥鍋と豚しゃぶ鍋をつくったので、あとはすき焼きか?って、鍋ではないので、やめておこう。妻も食べられないし。

さて、ナイトの散歩。
休みなら1時間半くらいかけられるが、さすがに30分足らず。
そんな短い時間でも、満開の梅の花に出会ったり。
水仙もたくさん咲いていたり。
春はすぐそこまで来ている、と実感できる。が、寒い。

それにしても、町内を一周するだけで、神社仏閣の多さを改めて実感する。
(最近、マテができるようになった。)

妻は検査の結果、インフルエンザA型であった。
今日は、37度を切ってきたようだが、少し動くだけでもつらいようだ。吐き気も続いているようで、本調子ではない。
私も、ここのところ悪寒があったりして、そろそろかな?
ワクチンは受けてあるので、軽くて済めばよいのだが、妻も受けていたということで、効き目に個人差があったりして、と、日々戦々恐々としている。


とてもうれしかったこと

2011年01月25日 | 家族のこと
某研究会で、見ず知らずの先生から、薮から棒に「あの、以前お嬢さんからお礼のお手紙を頂いたんです。」
一体何のことやら、と話の続きを聞いていると。
「以前に、お嬢さんから、見ざる言わざる聞かざるの絵の書いてあるお手紙です。」
一体、何のことだ?この人はなにを?
「いや、お嬢さんがいらっしゃるときに、お父さんのお名前で手紙をいただいていましたが、それが、先生だったとは。いや、びっくりです。」
やっと、わかってきたのは、娘がアナフィラキシーショックを起こすタイプのアレルギーを持っているので、北関東への修学旅行の際に、アレルギー反応を起こしたときに受診できる病院に、何かあったときにはよろしくお願いします。という手紙を書いた。

修学旅行からは無事帰ってきて、娘がその病院にお礼状を書いた。
その先生は、その病院におられた先生で、お願いのお手紙の主と私が同一の名前で、娘の父だとわかった、ということ。
「観光地を抱えているせいもあって、これこれの疾患のある子供が修学旅行などで来るので何かあった時はよろしく、といったような手紙は、教育委員会などからもよく来ます。でも、ご本人がお礼状を書いてきてくれるなんて、無いです。職員、みんなすごく嬉しく、今もナースステーションに張ってあるんですよ。
看護師さんなんか、きっとしつけがいいんでしょうね、なんて言ってる人もいるんですよ。」
と、まあ、ずいぶんの褒められようだった。

でも、こういうのは、とても嬉しいし、誇らしい。
我が子が、こういうときにお礼の気持ちを伝える、そういうことを知っているということ。そして人様に褒めていただき、喜んでいただく、なんて言うのは本当に嬉しいことだ。
子は親の鏡、良い子に育ってくれてよかった、と思う。

鎌倉住まい

2011年01月24日 | 鎌倉暮らし
同僚に引越しのことを相談された。
もちろん、臨床医。

お子さんが二人おられて、上の子が小学3年生、下の子も今度小学校に上がるそうで、上の子が女、下の子が男の子だそう。今は、病院の近くに住んでいるが、狭いとのこと。異性の子どもが大きくなったら、一緒の部屋でというのもどうかと思うので、少し遠くなっても、一軒家の購入を考えているのだが、どうだろう?と。

検査技師で、神奈川県内に在住の人に、こんなことを相談されたんだけど、どう思う?
と尋ねたら、
「臨床の先生でしょ?絶対無理ですよ(先生みたいに病理ならともかく)通うのなんて」
みたいな返事をされた。

臨床の先生と言っても、どの科の誰とまでは言っていないのだが、頭ごなしにこんな返事をされると、多少カチンと来る。

医局にいるといろんな臨床医がいる。就業時間ぴったりで帰る医者も多い。
一方で、何時までたっても医局にいる医者もいる。

病理の場合、待機時間というものがあまりない。
せいぜい、承諾書のとり忘れで、サインを待つか、検視待ちか。頻度はそれほど高くない。
患者さんの容態が急に変わる、ということが無いので、危なそうだからと言って拘束されることはない。ここが臨床との大きな違いだが、患者さんの容態が急に変わるかもしれない、なんていう科は良く考えてみればごく一部だ。むしろ、容態が変わってばっかりいるような科(ICUだとか、救急)はシフト制がしっかりしている(ハズ)。
内科、外科、小児科、産婦人科の一部の医者だけが、大変なので、そういう科には人が自動的に行かなくなってきている。そういった科の医者も、40位の脂の乗ってきたあたりで、オフィスクリニックで開業。まあ、病理なんて、ツッコミどころの多い科だからいろいろ言われるんだろうけど。

・・・と、話がそれてしまった。

今回は、鎌倉に住んで、都内の病院勤務ができるか?ということだ。臨床医で。
別に臨床医というわけでなく、鎌倉に住んで都内に勤めをもっても大丈夫か?という話なわけで、そんな人、山ほどいる。

私の場合は、5時半起き、電車で1時間、歩きが35分で、病院に着くのが8時過ぎ。
8時半始業で、昼休みを挟んで、17時過ぎの終業時間を過ぎて、カンファレンスだのを含めて、腹ぺこになってこれ以上続けられないとなるのが、20時過ぎ。この間、昼休みの1時間を除くと、ずーっと顕微鏡を見ているか、診断書を書いている。そのほか、剖検、会議、臨床の相手、がエキストラで診断の時間を分断してくれる。根を詰めて10時間くらいは仕事をしていることになる。
21時前には病院を出て、また歩いて、電車に乗って、家につくのが22時半。

問題となるのは、当然ながら通勤時間。
電車に乗っている時間が往復で、2時間あまり。歩きが往復で70分。合計3時間半位を通勤で使っていることになる。前後を含め4時間が通勤。

まあ、鎌倉住まいの人は、だいたいこんなものだろう。
始発で出て、終電で帰る、なんていう豪傑もいるようだが、それも若いうちだけ。
威勢のいいことばかり言う人って、世の中に多いが、私なんかはそんな人がいると、プレッシャーを感じてしまう。

結局、考え方の問題だからね。

その臨床医にも言った。
「先生が通えるんだったら、引っ越したら?」

冬の由比ガ浜

2011年01月23日 | 犬との暮らし
毎日、晴天が続く。
朝晩の冷え込みは相変わらずだが、日中日当たりだと暖かい。
妻と、一緒に由比ガ浜へ。
最近、由比ガ浜大通にずいぶん新しいお店が増えた、などと話しながら歩いて行く。
ほんとに、小物屋や、たい焼き屋などずいぶん増えた。ペットグッズショップも2軒もある。

さて、久しぶりの海。

合衆国大統領の車列を見に来たときは、砂浜に降りなかったのでそうとすると、コロとナイト一緒に来て以来だから、もう二月以上経っているのか。
あの時より、ずいぶん寒い。
でも、冬の海、ずっと青みが濃くなって、、空気もきれいなので、海面がキラキラと美しい。

海藻の茎を投げると、海の中まで探しに行く。
海岸に来たときのために、長いリードを買っておいたので、それをつける。

夏の喧騒が嘘のように人けがない。
それでも、きている人は、思い思いに楽しんでいるようだ。


冬の日差しとはいえ、帰ってみるとずいぶん火照っていた。

いじめ、そしてもっといじめ

2011年01月22日 | いじめ飲酒とタバコとギャンブル
BBCが二重被爆者を笑いの種に 日本大使館抗議(共同通信) - goo ニュース

こっちでいじめられ、逃げて行った先でも、いじめられ。

核兵器を持つ国のおごり。そして、それは文明がわずかに進んでいたというだけで、世界中の富を収奪した過去の記憶が、刷り込まれている人たちの論理だ。

敗戦国であるための負債は、この先も、少なくとも私が生きているうちは、背負わされていくだろう。
なぜなら、戦勝国は国際連合に基づく、現体制の維持こそが存在の目的であり、生き残る最後の手段だからだ。
ついには、戦勝国のうち1位と2位の経済大国が手を結んだ

このことは、仕方がない。

しかし、今回のことは、戦争の勝ち負けには関係ない。
平時において、過去の戦争のことを引き合いに出して笑いものにする、というのはいじめっ子の論理に過ぎない。

無抵抗のものを、笑い、あげつらう。

教室で哀れな友人を裸にして、さらにこれを笑う。
そこには、自分が何をしているか、冷静に見つめる目がない。

勝った人間が、何をそれ以上負けた人間にしたいのか?

国営放送=その国の考え方。謝罪したところで、国や国民の考え方が変わるわけではない。

私は、日本人として誇りを持って生きていきたい。
がんばろう日本。
われわれ日本人はそのようないじめに、心が負けたりするようなことは決してない。







ありがとう

2011年01月21日 | 日々思うこと、考えること

今、はまっているビアスの「悪魔の辞典(西川正身編訳.岩波文庫)」をまねすると、『ありがとう  自分ではない人(犬の場合もある)が、自分ではやりたくないことを、自分のためにしてくれた時に、そのことを行ってくれた人(犬の場合もある)に対して、自分から述べるその時の気持ちを表す言葉。そのことを行ってくれた人自身に多少の個人的利益があっても問題にはならないが、自分が負い目や卑屈な気持ちを持つような場合は、多少アクセントを変えたり、語尾を小さくして発音してもかまわない。』


そういう意味で、最近、「ありがとう」と言われることが少ない。
理由は簡単。「ありがとう」と言われることをしていないからだ。そして、「ありがとう」と言ってもいないからだろう。
商売だったら、「ありがとう」も商売のうちだが、私はいわゆるそういった職業にはついていない。

したがって、普段の生活の中で、ありがとう、といえることを探さないといけない。妻のように人を喜ばせることが大好きな人も世の中にはいるようなので、気を付けないといけない。そういう類の人に、(心からの)親切をしてもらったときに、「ありがとう」と素直に言えないようだと、どうやら幸せまでもが逃げていくような気がする。

今日も生かしてくれてありがとう。
今日も食事をさせてくれてありがとう。
今日も話を聞いてくれてありがとう。

そう、思って生きていると、毎日が楽しい。

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手みやげ

2011年01月20日 | 妻の名言
先日、この4月から一緒に仕事をすることになる若い先生が挨拶に来てくれた。
そのとき、とても美味しそうなお菓子を手みやげに持ってきてくれた。
よくできた青年だな。と思った。

私は、手みやげを持っていく、ということがどれほど大事かわからないまま育った人間で、若い頃のことを思い出すと、本当に恥ずかしい。両親にそういったことを教えてもらった覚えは無かったし、自分でそういったことをしようという気になったことも無かった。

結婚してから妻に、「お医者さんなんて、人からもらうばかりで、自分からどうこうしよう、なんてことないでしょう?普通の社会では、こうやってどこかへおうかがいするときには必ず、何か持っていくのが礼儀なの」と、教えられ、びっくりした。これが、20代後半。

それ以来、自分自身、どこかへうかがう時は、手みやげを忘れないようにしている。
時々、忘れてしまうこともあるが、駅の売店で買うことができる。
駅の売店になんで、おせんべいとかクッキーの詰め合わせがあるのか、そのときになってわかった。
虚礼廃止は、世の流れでもあるが、潤滑油程度のものはあってもいいかもしれないと思う。

私の場合、あらかじめ用意する場合は、だいたいが豊島屋の鳩サブレー
なんと言っても、自分の大好物を差し上げるのが何よりだ。
勤務先の近くにある美味しいお菓子屋さんのクッキーということも時々ある。

話がそれてしまったが、手みやげが大事、なんていうのは、普通、誰かに教えてもらわないと気がつくものではない。だから、今度の先生も、誰かに、「ちゃんと手みやげ持っていけよ」なんて言われたのだろうか。

そういったことを教えてくれる人がいる、というのも、とても幸せなことだ。
そしてそれをちゃんとする、という姿勢も大切だ。

普段、こういったことになれていないのか、こういう時は『これ、皆さんでどうぞ』なんていったりするが、「これ、おみやげです」って、ちょっと可愛いよね。

ボーイスカウト

2011年01月19日 | 家族のこと

息子が、ボーイスカウトのプログラムで、ホームレス訪問(体験)をしてきた。
JR沿線某駅周囲で、ホームレス支援の活動をしている人と一緒に、ホームレスの人の様子を見て、声がけをして、食料を配る。ずいぶん寒かったようだが、帰ってきた息子の顔は、私から見てとても立派に見えた。

少子化のせいもあり、ボーイスカウト運動に参加する子供はずいぶん減っている。
息子の入っている団も前途多難ではあるが、先日の餅つき会では、久々に多くの人が集まった。

宇宙飛行士の旦那さん(病理の先生ではありません)もOBにいて、お子さんを連れてきてくれた。

ガールスカウト団もあって、一緒にお餅をついた。

いつの間にやら息子は、団一番の力持ちになっていました。

ナイトウォークや、単独キャンプにホームレス訪問。安全が確保できる範囲内でプログラムを組み、若いときに知っておくべきことを年齢を越えて体験させる。今度の夏休みには第22回世界ジャンボリーが待っている。

こんなことに費やす時間があれば、勉強をさせた方が、将来的にはいいのだろうが、どうしてもそうとは思えない。
ただ遊んでいるだけのように見えたビーバースカウトのころから、応援してずーっと続けさせてきて、ここまで来たが、精神的にずいぶん成長したように思える。

私が「ホームレスの人って、なんでホームレスのままなの?生活保護を受ければいいのに」と尋ねたところ。
息子の回答は一言「ホームレスの人は、自由なんだよ」。
ここで、ホームレスの社会的是非について議論する気はない。ただ、16歳の息子が、この体験を通じ、いろんなことを考えた上で、その言葉が出てきたわけで、私の知らない世界について、彼は知っていて、考えているということだ。

小さなお子さん(女の子でも入れる団はあります)がいらっしゃる方、一度近所のボーイスカウト団をのぞいてみてはいかがだろう?また、そういうところを知らないというのなら、野山でハイキング、駅前で募金をしているスカウトに尋ねてみるといい。必ず、話の分かる大人(リーダー)が近くにいるので、ご近所のボーイスカウトを紹介してくれると思う。そうはいっても、続けるのは大変だ。

天玉そば450 円

2011年01月18日 | 日々思うこと、考えること
先日の研究会で、都心に行ったときのこと。
すこし小腹が空いていたので、始まる前に腹ごしらえと思って、ファストフードの店を探した。

まず、目につくのは価格戦争の激しい牛丼店。なんといっても、一杯250円だから、安い。激安だ。さすがに昼時でほぼ満席。だが、その裏に豚丼一杯560円で売っている店があった。店の外に行列もできている。値段は倍以上なのに。美味しければ、いくらでもお客はつく、ということか。

立ち食いそばファンの私は、立ち食いそば屋へ。天玉そば450円。
若干、うすよごれた感じの店だったので、あまり期待しないで一口・・・食べてびっくり。すこぶる美味しい。
めんつゆも、そばも美味しいし、ゆで加減もちょうどいい。かき揚げも大きく、ネギもたっぷり。


さすが、都内の、駅前のファストフード激戦区。立ち食いそばも十分美味しいということか。
牛丼屋の消耗戦、敵が違うんじゃないかと思ってしまう。
美味しい牛丼を食べることが出来るのなら、450円払うが・・・
牛丼ファンの取り合いをしているようにしかみえないが、牛丼ファンは牛丼だけ食べてるのかな?

それにしても、日本の食文化は驚くほど豊かだ。
たかが、ファストフード、されどファストフード。
はじめは寿司なのだから、当たり前か。


朝の腹具合

2011年01月17日 | 通勤・交通・旅行
またまた、びろうな話で恐縮ですが・・・


いつもの駅で、便所に入った。冬場はとくに寒いので、歩き出す前に”小”を済ませておく。
家を出る前に大小済ませておくのは当然なのだが、途中1時間もあると、家を出る時は万全と思っていても、どこで催すかなど、わかったものではない。
朝の腹具合ほど悩ましいものはない。
一晩寝たあと、1時間足らずで家を出るわけで、必ずしも全部を出しきってはいない。

今日もそうだったが、”大”の方はいつも混んでいる。月曜の朝は特に混む。”小”の方は私のほかに使う人間はいなかった。
この駅のトイレは”小”5、”大”3+1の割合。”+1”は車いすも入れる大きい部屋。

当然、一回あたりの時間も長いので、どうしても混んでしまう。

私も”大”の方に、並ぶこともあるが、あの緊張感は思い出すだけで冷や汗が出る。
みんな真っ青な顔で”大”の扉の向こうからの洗浄音を待っている。
わかる。もう限界というところで、みんな頑張っているのだ。
一心不乱に本を読んだり、音楽を大音響で聞いていたりする。
小学生とかが、ぶるぶる足をふるわせて待っている姿など、涙を誘う。

そう言いながらも、いざとなると、順番は譲れない。ある時、私が列の一人で頑張っていたとき、次が私の番というところで、横入りしようとした小学生がいて、「ちゃんと並べ」と言って、自分の番を守ったことがあった。罪滅ぼしと思って、すぐに(本当にすぐに)出たら、まだ列は動いておらず、最後に入った私が一番最初に出たことになった。その時!私の後ろに並んでいた、すなわち次の番の男性が、その小学生に一言「先に使いな」。
なんて、太っ腹。尊敬すると同時に自らのケツの穴の小ささを恥じ入ったことがある。もちろん、その小学生はおもらしせずに済んだ(と思う)。
でも、今度またそういう事があったときに、その男性のように言えるか自信はない。

気になることとして、駅の便所がタバコ臭くなっていることが多いが、用を足すわけでなく、喫煙所代わりに使っている人間がいるとすれば、言語道断だ。

駅以外でも、朝の通勤経路途上の公衆便所の場所は、当然のことながら把握している。
この前、駅を出るときに、嫌な予感がしていたのだが、どうせ混んでいると思って歩き出したのが運の尽き。途中でお腹が痛くなってきてしまった。というようなことがあった。詳細は割愛するが、無事だった。
かように公衆便所の存在は、とても大切だ。

幸い、帰宅時に催すことは無い。帰宅時の駅の便所の”大”は空いていることからは、ほかの人も大丈夫なのだと推察される。

ことほど左様に、朝の腹具合ほど悩ましいものはない。