こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

悲しすぎる出来事・・・生きとし生けるもの互いにいたわりあって

2012年01月31日 | 日々思うこと、考えること
あまりにも悲しい出来事があったので、記事を引用する。
それも1月3日とは…

世の中には、どうしてこんなひどいいたずらを思いつく人間がいるのだろう。
車で集合したとは、運転免許を持っているということ。少なくとも18歳。
なさけない。

相手は、無抵抗のサルたち。逃げ場もなく、かわいそうな限りだ。
猿だったら何でもやっていいのか?
自分が猿のような存在で、花火を住処に投げ込まれたら、どんな思いか。
人間など、より大きな存在によって生かされているに過ぎないかもしれないのに。

人間はほかの存在を傷つけなくては生きていけない。
それでも、さらにこんなことをしないではいられないのだろうか。

花火を投げ込んだヒト達は、何を期待してそんなことをしたのだろう。

そして、そこで何を見たのだろう。

そして、そのヒト達は、何を得たのか。

そして、そのサル達をみていて面白かったのだろうか。

以下、記事(写真挿入はコロ健)。

サル山に花火 防犯カメラに5人組 閃光、煙「まるで空爆」
産経新聞2012年1月30日(月)14:56

 京都府福知山市の市動物園で新年早々、信じられない事件が起きた。ニホンザル26頭が飼育されている同園の「猿ケ島」に、火がついた大量の花火が投げ込まれたのだ。中には顔にやけどをしたサルもおり、同園から被害届を受けた京都府警福知山署は、器物損壊の疑いがあるとみて捜査している。一体、誰がなんのためにこんなひどいことをしたのか。「いたずら」と言うには度が過ぎるあまりにも卑劣な犯行の真相の解明に、注目が集まっている。(江森梓)
 「まるで空爆みたいや…ひどすぎる」。猿ケ島に設置された防犯カメラの映像を見ながら、同園の二本松俊邦園長は怒りの表情でうめいた。
 
 1月3日午前6時15分ごろ、開園前の猿ケ島。暗闇の中に突如閃光(せんこう)が上がり、あたり一面に煙が立ちこめる。閃光は数秒おきに次々と走り、寝床へ逃げ込むサルたちをも襲った。

 「空爆」は緩まる気配を見せず、約15分にわたって続いた。猿ケ島の外周を囲む手すり付近には5人の人影が確認された。
 同園が異変に気づいたのは、同日午前9時ごろだった。飼育員が猿ケ島の中に約30本の花火の残骸が落ちているのを発見した。その後、同園が設置している防犯カメラの映像で一連の犯行を確認、福知山署に被害を届け出た。

 猿ケ島は、同園の敷地から南西に約100メートル離れた場所に位置し、入園料を払わなくても、飼育されているサルたちを見ることができる。周囲は侵入防止用のフェンス(高さ1・2メートル~1・8メートル)で囲まれ、午後5時~午前9時の閉園時間帯は3カ所の入り口が施錠される。

 同園によると、防犯ビデオの映像から、犯人らは2、3台の車に分乗して猿ケ島近くに来て、駐車。懐中電灯のようなもので足元を照らしながら、飼育員らがサルに餌を与えるときに通る狭い裏道を通り、フェンスを乗り越えて侵入したことが判明した。

 府警は防犯カメラの映像の解析などを行い、犯人特定へつながる手がかりを捜査している。

 この事件で、猿ケ島ではボスに次ぐポジションの「ナンバー2」(オス、年齢10歳)が顔面に全治2週間のやけどをした。さらに、ふだんは人なつっこい他のサルたちにも異変が現れた。事件から数日間は、来園者からおやつを投げ込まれても、何が投げ込まれたか分かるまで近寄らなくなった。

 捜査関係者は「こんな事例はこれまで見たことがない。なぜ犯人たちはこんなことをしたのか。今の時点では何とも言えないが、地道な捜査を尽くして一日も早く検挙し、真相を解明したい」と話した。

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みんなで仲良く遊びましょう・・・小学生の頃の遊び エピローグ

2012年01月30日 | あの頃のこと…思い出話
裏技三題、長馬缶蹴り独楽回しということで、小学生の頃の三つの遊びの記事を書いていて、考えたことがあった。

あのころ私たちはみんなで仲良く遊んでいたか?

昔、私たちがやっていた遊びというのは、大体が外遊び、これには、怪我や事故の危険が常にあった。
私も、高オニをやっていて、友達の乗っていた大きな石が、友達ごと足の上に落ちてきて、骨折をしたことがあった。

そして、外遊びには強い子、弱い子の差が出やすい遊びが多い。
鬼ごっこにしても、草野球にしても、運動神経のよい子、要領のよい子というのがどうしても勝ってしまう。

そして、遊びには子供特有の陰湿さも背中合わせに潜んでいた。
強い子、というのはどうしても、弱い子をいじめてしまう。
自分の優越性というか、そういったものを確認することで、自我を確認するために。
弱い子をいじめから守る子の存在というものも結局は、弱い子の存在があって成り立っていた。

環境の差というのもあった。私は草野球がへたくそで、大事なところで代打を出された(代打と言っても、ただ、私の番を飛ばすだけ)。私は野球チームには入っていなかったし、私を飛ばして代打で出る子は野球チームに入っている。今でも悲しかったのを覚えている。

今の子の遊びは圧倒的にゲームが多いのだろう。
ゲーム機(またはソフト)さえ持っていれば、先天的な資質とか、環境というものによる差はあまり出ない。それよりは、そのゲームにかけた時間が大事で、少々へたくそでも膨大な時間をかければクリアできることが多い。
相手がゲーム機(またはソフト)であって、生身の人間でない、ということも大事だ。これだと人間同士の感情のぶつかり合いというものが存在しない。
いくらダメでも、それはゲーム機(またはソフト)に対しての自分であって、競争と言うか、攻略すべきはゲーム機(またはソフト)であり、友人ではない。
いくら上手な友人がいても、それはある一つのゲーム機(またはソフト)に対してだけで、知らないゲーム機(またはソフト)に対しては全くダメかもしれない。


みんなで、仲良く遊ぶのに、人と人が直接接触して戦う外遊びは向いていない。

最近の子供が外遊びをしないということが話題になるが、外遊びをすると、そこには危険もいっぱいある上に、どうしようもない、体力、知力の差というものが存在してしまう。

外に出ずに、家でモニターの前にみんなで横並びで座っていれば、そちらの方が、案外仲良く遊べるのだろう。子供達が家の中にいれば、親達も安心だ。怪我や交通事故、誘拐の心配など無い。

結局、子供達を家の中に囲い込んできたのは、子供達にゲーム機を与えてきた今の大人達である。
外遊びしない子供達を責める資格は、そんな大人達にはない。

外遊びから学べることはとても多いのに、それが失われてしまって残念だ。
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少しだけ、無常という言葉を実感する

2012年01月29日 | 生き方について考える
生きているだけで、瞬間瞬間いろいろなことが起こる。
今、自分がぼーっとしているだけ、眠っているだけ、そんな間にも世の中は動いていて、自分を取り巻く環境というのは刻一刻と変わっている。

マクロ的には宇宙の動き、地球の動き。ちょっと小さく見れば政治経済のあれこれ。家族のこと、そして、自分のこと。怪我ひとつなく、健康と思っていても、自身の体すらもある程度の年齢からは細胞の老化が始まり、あちこちにほころびが生じる(これがいわゆる病気で、これに抗うお手伝いをするのが医者という職業)。
家にこもっていても、自分以外の動きから逃げ切ることはできない。

一瞬ののちには、消え去ってしまうもしくは台無しになってしまうような不可知なものがつきまとっているなかで、はたして、自分のいる場所というのは実体を伴っているのだろうか?
明日に向かって、一生懸命生きる。
すべてのことがほぼリアルタイムでわかるよう(な感じ)になってきて、わが身の行く末もなんとなくわかる。
そう、希望というものが、なかなか持てなくなってきている。

諸行無常。
すこしだけ、この言葉の意味を実感できる年になってきたのかもしれない。


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みなさんよく御存じで

2012年01月28日 | 鎌倉暮らし

名越、大町方面へナイトと一緒に遠征したので、その山歩きについて先日来、2度ほど書いた。

その時、巡礼古道だとか平成巡礼道とかを書くにあたり、参考にしようと思って、大町だ、ハイランドだ、というキーワードでネットを検索したら、あるわあるわ、鎌倉の裏道についてが詳細に記載されているブログがたくさんあった。。

個人的には子どもたちと石碑めぐりをしたときに大変参考になった、鎌倉史跡碑事典。石碑がいったい、どこにどれだけあるのかわからなくなっていたところ、このページにたどり着いた。

鎌倉市内ならともかく、稲村ケ崎のほうとか、朝比奈の奥の方とか、大船なんて、これがなくてはとても見つけられなかった。それにしても、83か所とは我ながらよく行ったものだ。

さて、今回、参考にしたのは鎌倉手帳(寺社散策)と、鎌倉を歩いて、走って、食べる!

両方とも、すごい。鎌倉の裏の裏まで歩き尽くしているのではないかというほど。
本当に、みなさん、よく御存じだこと。鎌倉裏山道歩き、なんて、まったくちゃんチャラおかしい。

まあ、一時すたれたとはいえ、千年の歴史のある町のこと。歩く場所が数限りなくあるなんて、当たり前といえば当たり前か。


かくなるうえは…東京で見つけた鎌倉。なんて・・・やっぱり、ダメか。

  
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レコード屋に行って驚いたこと。そして、残念だったこと。

2012年01月27日 | 日々思うこと、考えること

先日、ビートルズのCDを買いにレコード屋、今で言うCDショップに行った。

ちょっと前に話題になったデジタルリミックス版というのを買いたかったのだが、なかなか買う暇がなかった。というのも、レコード屋、夜9時頃には閉まってしまうので、平日仕事帰りに寄ることができない。

とはいえ、やっと行って、探してみたのだが、どれがその「すごい、CD」なのかが、よくわからなかった。NHKでも大々的に広告、否、報道していたほどだったのだが、値段もタイトルもすべて忘れてしまっていて、CDの棚の前に立って、何枚かひっぱりだしてみたところで、よくわからない。

そこで、手持ち無沙汰そう立っていた店員に聞いたら、「検索いたしますので、こちらへどうぞ」と、カウンターに連れて行かれ、「どうぞおかけください」と、腰かけるように促された。

これには驚いた。

学生時代から、レコード屋なんていうものは、行って客扱いされたためしがない。客に勝手にレコード棚からパンパン探させ、カウンターに持ってこさせていたものだ。
本屋とレコード屋はそういう意味で威張っていた。

それが、CDを店員がネットで検索してくれるという。

だが、考えてみれば3,000円もするような代物、このご時世、結構高値といえる。
3,000円だったら何を買うことができるか?ネットでひいてみれば花に始まり、インテリア、服、何でも買える。100均に行けば、それなりにたくさん買えることは知っていたが、そうすると3,000円なんて、大金持ちの領域だ。それに、3,000円で飲み食いするのもずいぶんなごちそうが食べられる。

昔、レコードは2,500円の時代が長かった。渋谷近くの高校に通っていたので、公園通りのDISK UNIONで外国版レコードを買っていた。そのうち、CISCOの方が少し安いらしいことがわかったので、CISCOでも買ったが、DISK UNIONの黒っぽいビニール袋の方がCISCOの紫色っぽい袋より好きだったのと、店が広く、接客もよかった(もちろん、カウンターまで持って行ってからの)ので、少々割高だったが、DISK UNIONで2100円くらいの外盤を買っていた。

それでも、2,000円を超えていたわけで、レコードというもの、ずいぶん高かったと思う。
あれは一体、いくらで仕入れたものだったのだろう。

最近はCDの売れ行きが悪いようだが、それはそうだろう。
殿様商法で、これまでずーっと高い値段で売りつけていたわけで、いまさら椅子をすすめられてもあまり行く気にはならない。
どんなにヒット作でも新譜1,000円くらいが妥当ではないか?

そんな違和感を感じながら、店員が探し出してくれたのが、THE BEATLES 1

あまりにしょぼい(内容ではなく、値段が)CDだったので「これが、最近話題になったものですか?」
と尋ねてみたが、「ええ、最近でたのは、これです」と、モニター画面を指し示す。

そうなんだ、NHKでも取り上げられたほどのCDだが、ずいぶん安いものだったんだ、と思いながら、2,600円を払って、購入した。


あとで、ネットで探してみたら、私が欲しかったのは「ザ・ビートルズ・ボックス」というものだった。


アマゾンだと、値段は十倍ほどの3万円足らず。
「おお、そうだ、高くて衝動買いできなかったのだ」と、そのNHKでの報道を思い出した。

結局、商品知識の乏しい店員に2,600円のCDを買わされて終わった
いまさら、ザ・ビートルズ・ボックスを買う気は・・・起こらない。
まあ、私がみすぼらしい恰好をしていたのもいけなかったのかもしれない。

昔も、レコードを買うときに勘違いしたことがあったが、それは自分で選んでのこと。
これほど商品知識のない店員がいるようでは、音楽業界の先行きもダメだろうな。
これが、残念だったこと。
日本の音楽業界、崖っぷち。

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ネットワーク依存症 2・・・インターネット依存度テスト

2012年01月26日 | 電脳化社会
国立久里浜病院は現在、国立病院機構久里浜アルコール症センターとなっている。

ここにはネット依存治療研究部門(TREATMENT OF INTERNET ADDICTION AND RESEARCH)という研究部門がある。そのホームページの下の方には、インターネット依存度テストがある。

5分ほどで終わるので、この記事が目に留まった方は、インターネット利用者の一人として依存の心配の有無にかかわらず、一度、試されたらいかがだろう。

このテストを受けてみて思ったことがある。それは昔、私、コロ健がタバコを吸っていた頃、”タバコによる肺がん発症の危険性”といった、これと同じようなテストを受けたときに、喫煙年数、本数を控えめに申告してしまったことだ。アルコール依存度の検査を受けた時も同じ。
さすがは、”長年の依存症治療の実績にもとづく治療”を謳っているだけのことはある。

テストに答えているうち、そうやって、それぞれの項目について、過少申告している自分か恐ろしくなった。最終的に、すべての項目について1ポイントずつ加算して判定を出した。

結果というか、私について明らかになったのは、インターネットとのつき合い方、インターネットというものがどういうものなのかを、考え直さないといけない局面にきているこことのようだ。


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小学生の頃の遊び・・・裏技三題 独楽回し、長馬、缶蹴り  その3 缶蹴り

2012年01月25日 | あの頃のこと…思い出話

記憶にとどめておきたい、小学生の頃の遊びの裏技、最後は缶蹴り。

これは、衝撃的だった。

小学5年か6年だったと思う。誰かの家の近くのちょっと広めの公園で7、8人で缶蹴りをしていた時、それは実行された。


オニが誰だったか覚えていないが、いじめられっこではなく、結構しっかりしたやつだったはずだ。
缶の場所は公園の広場の真ん中辺りで、オニに有利な状況。
オニは缶からあまり離れないで、焦らずに逃げ手を探している。
私はというと、序盤でオニにつかまって、虜囚の身。
捕まっていないのはあと二人か三人という状況で、拮抗状態に入っていた。

そこで、私は信じられないこと(技)をみた。

すでに捕まったうちの一人が、暇をもてあまして自転車に乗って、広場内をうろうろしているようだったのだが、やおら、急速に缶に近づいてきたのだ。

オニは、すでに捕まっていて缶を蹴る権利の無いにもかかわらず、そいつが缶に近づいてきたものだから、念のため缶の近くに戻ろうとしたが、ときすでに遅く、次の瞬間、思いっきり缶が蹴られた。

驚いた。

自転車は二人乗りだったのだ。
まだ捕まっていなかったやつが、後ろに隠れるように乗っていて、缶を蹴ったのだった。
オニからそいつは見えなかったし、自転車を使ってはいけないというルールはなかった。

すごい技だ。当時の小学生の考えるレベルを遥かに超えていたといえよう。

究極の裏技、である。
あの時の光景、衝撃は今でも、ありありと思い出される。

だが、実際のところ裏技というか、これはひどい。
この時は、オニが気の毒になって、シラケてやめてしまったはずだ。



最近の子供は缶蹴りをするのだろうか。
捕まりさえしなければオニにならずに済むので、必ずしもいじめられっこがオニになったわけではないように記憶しているが、いったんオニになると結構続いたような気がする。
オニがかわいそうですぐに捕まってあげて、いざ自分がオニになったらいつまでたっても終わらなかった、なんてこともしばしばあった。
そもそも、一人がオニになる遊びというのは、いじめにつながりかねないので、もう流行らかもしれない。

スチール缶に代わり、アルミ缶が出てきて、ジュースの缶は一発で潰れてしまうようになった。何度か、アルミ缶を蹴ってみたが本当にあっけなく潰れ、二度と立ってはくれなかった。
スチール缶はコーヒー用だけになってしまい、コーヒーを飲まない子供には入手しにくくなってしまった。昔は、公園のくず入れには缶蹴り用の缶がたくさんあったが、今では缶の入手も難しかろう。そもそも、公園のくず入れが、家庭ゴミ持ち込み対策で、どんどん減っている。
心ない人たちのために、世の中はどんどん味気なくなっていく。だが、何が、正しくて、何が、誤りなのかわからず、いつ自分がそのことをしてしまう側に立ってしまうか恐ろしい。

曲がったスチール缶を片足でよく立てていたものだ。なぜ、缶を手で立ててはならなかったのか、ゲームの本筋(逃げ手を見つけて、名前を言って、缶の頭を抑える)からいけば、それでもよかったような気もする。スチール缶も妙に曲がっていると、折角逃げ手を見つけて、缶の頭を抑えようとしたら倒れてしまったなどということもあった。自爆。

そういえば、逃げ手5、6人が多方向からいっせいに缶に殺到する、というのもあった。オニが、名前を呼んでいるうちに、呼ばれていないやつが缶を蹴る。
あれも考えてみればひどい戦術だ。





これで、小学生の頃の遊びの裏技三題を閉じるが、まあ、どれも他愛も無いと言うかろくでもないと言うか。
実際にやったら嫌われてしまうだろうし、今の時代、親まで出てきてしきり始めかねない。子供の遊びに明文化されたルールなどは無く、そんな経験を通じて精神的に成長していく。

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原稿の締め切り

2012年01月24日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

”依頼原稿”

よくわらかない名称であるが、多くは、商業誌といわれる医学雑誌の特集だとか、ある分野についての書籍を出版社が出すにあたり、出版社から企画を持込まれた元締めとなる大家が、その道の専門家と思われる人に依頼し(割り振っ)て書かせる原稿のことである。
ほとんどの人は依頼される側であり、依頼する側になることはまず無い。
従って、依頼(された)原稿である。

元締めとなる大家は、その道の大御所であり、いずこかの名門大学の教授であったり、名門病院の院長などの有名医師である。いっぽう、依頼されるのは、だいたい、中堅どころの医者で、玉石混交、その道の明日を担う優秀な若手であったり、教授の弟子筋であったり、弟子ではないが学会でお世話になったことがあるとか、さらには当初依頼された人から頼まれた孫請けのようなこともままある。
いずれにしても、この依頼原稿というもの、頼まれるとなかなか断ることができない代物で、試験対策委員なみの大変さである。

不肖、コロ健もそのような依頼原稿を頼まれることが、まれに、ある。
元来、人様に読んでいただけるようなたいそうな専門知識を充分に持ち合わせているわけでもなく、文章を書くには大変な苦痛と苦悩を伴うこととなる。

そして、時間だけは飛ぶように過ぎ、締め切り日が来る。

先日、締め切り日を過ぎたら、その3日後に某出版社から、「締め切り日までに原稿が届きませんでしたが、大丈夫でしょうか」という、はがきが来た。
出来上がっていたら、とっくに送っている。

この前など、別の原稿の催促で、毎日電話が来たこともあった。
この時はさすがに参って、妻にこぼしたら、
「サザエさんの、伊佐坂先生とノリスケさんの関係よ、あまり気にしなさんな」
と、妙な慰められ方をしたが、当人にとっては気にしないで入られない。

こんなこと、プロの小説家からみれば、チャンチャラおかしいかもしれないが、本来、私の仕事は文章を書くことではないわけで、文章がすらすら出てくるわけがない。

そうはいっても、多少なりとも他人様のお役に立てるかもしれない。そう考えて愚考を並べ立てるのだが、いざ印刷された駄文を読むと、赤面もので、穴があったら入りたくなる。



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なんだ、これは。ものすごい雪。

2012年01月23日 | 通勤・交通・旅行


関東平野部、今夜は大雪になるとの天気予報。
この曇天なら、それもあるだろう。

週明け、月曜、始まってみれば切り出し-術中迅速診断-病理解剖-カンファレンス-術中迅速診断
忙しけりゃいいってもんじゃないけど、病理は、考える時間がないとよい診断はできない。考える時間が欲しい。

それでも、終わってみれば、今日も21時半。
もうひとがんばりするという外科を残して一足先に病院を出る。

外に出てみれば、本降りの雪。
さすがに駅までは歩けず、タクシーを拾う。
どちらが拾ってもらったのかもわからない状況だ。

まだまだ、電車は頑張っていて、なんとか鎌倉にはたどり着けそうだ。

横浜では、遅れた横須賀線を待つうちに、みぞれが雪に。

鎌倉は、これから雪。

明日は、無事出勤できるだろうか。

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ちょっと歩きすぎたかな・・・鎌倉平成巡礼道

2012年01月22日 | 犬との暮らし

ナイトという名前のフラットコーテッドレトリバーを飼っている。この犬種、少なくとも1日1時間ほどは歩かせてやらないといけないようだ。
そうはいっても、今日は原稿書きの日と決めてあったのと、鎌倉もあいにくの空模様。
20分ほどで帰って来るつもりで散歩に出かけた。この時、雨はぱらぱら。
ここで折り返そうときめていた平成巡礼道の入り口の四つ角で、先日、鎌倉裏山道歩きといって、巡礼古道のことを記事にしたのを思い出し、この平成巡礼道も入り口だけ写真に撮ってブログに載せようと思いたち、ちょっと奥に入った。


左奥にはやぐらがある



ここで油断したのがいけなかった。
山道に入ろうとするナイトに引っ張られるようにしてハイキングスタート。
ああ、原稿はどうするんだ???と思いながらもひとけのない山道に。
学生時代、試験期間中に、ちょっとだけ、とゴルゴ13を読み始めて、気が付いたら5冊ほど読んでいた、というのと同じだ。
一度山道に入ってしまうと、なかなか戻れない。


衣張山の頂上までほとんどが登り坂。



杉の木がぎしぎしと互いに擦れあって音を立ている。

誰もいない山奥で木が倒れても、その音は音といえるか?ということを何度か考えたことがある。一度は自分の生き方についてもう一度は部屋で一人で仕事をしていた時
今日は、ナイトと一緒にそんな音を聞いた。ナイトも聞き耳を立てている。



やっぱり音はしているのだと考える。それが、たとえ、誰かの鼓膜を震わせなくても。すべての営みはそれぞれに意義があるに違いない。音のすることに意義があるのではなく、”何か”が起こることに意義がある。”音”はその表現型の一つにしか過ぎない。


など、考えつつ、すべりやすいどろどろの道を上る。「お前、いい介助犬になれるな」などとおだてて、ナイトにリードを引っ張らせ、汗だくになりながら衣張山の頂上についた。



稲村ケ崎が祇園山から見るよりもずいぶんと小さく見える。

少し、進むと今度は名越から逗子が見える。



ここまで来れば、あと一息でハイランドだ。
だが、ここまで、誰ともすれ違わない。ちょっと不安にもなる。



コロはお留守番。



左ひざが痛くなって、バスケができなくなってしまったが、これくらいの歩きならまだまだ大丈夫そう。それでも下りの木道、階段は目が悪くなってきているので、慎重にしなくてはならない。
日々いろいろなことに出会う、という意味では年を重ねるのは楽しいことだが、それと引き換えに老いを重ねる。


ハイランド側の入り口。巡礼古道より、わかりにくい。



名越に下って、大町に出るころには、雨も本降り。私もナイトもずいぶん濡れてしまった。家にたどり着く手前で、ボーイスカウトの餅つきの手伝いに行く息子と、バザーの引き継ぎに行く妻とにすれ違った。腰痛持ちの私は、餅つきなどできそうになく、遠慮させてもらった。

というか、早く家に帰ってさっさと原稿を書き始めないと!


ただいま、コロ。



結局2時間。今日は少し歩きすぎたけど、ナイトは満足してくれたようだ。

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愚痴を聞いてくれる先輩

2012年01月21日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

一週間ぶりにナイトと散歩。一週間、ほんとうにあっという間だ。

今年二つ目の研究会。昼から氷雨降る中、都心へ。

研究会のあと、別の病院で働いている教室の先輩が、「ビール、一杯飲んでいかない?」
断る理由はあまりなかったので、二つ返事でお供した(妻の顔がチラッと頭をよぎった事は念のため記録しておく。いろいろな意味で。)。

飲むうちに、私の仕事の愚痴を聞いてもらうこととなってしまった。

はたから見れば、中年オヤジ二人が、KIRIN cityの片隅で愚痴を語り、語られている。
まったく絵にはならないが、こんなオヤジの愚痴を聞いてくれる人だからこそ、お供したいし、一緒に飲ませていただく。

年をとり、いくつになっても、挫けてしまう時はいくらでもある。
そんな時、家族とは別の意味で、頼れる人というのが年とともに、ずいぶんと減ってしまった。

そんなでも、頼れる先輩がいるなんて、私は結構幸せだ。


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都知事の引退…といっても芥川賞選考委員

2012年01月20日 | 読書、映画、音楽、美術
石原慎太郎都知事が、1995年下期から務めてきた芥川賞選考委員を退任するとのことが、19日付の日経新聞に記事が出ていた。
記事から引用すると、石原知事は「いつか若い連中がでてきて足すくわれる、そういう戦慄を期待したけど全然刺激にならない。自分の人生にとっての意味合いの問題だ」
最近の文学作品について「物書きとしての緊張感を覚えさせてくれる作品がない」とのこと。

今年の芥川賞の作品がどのようなものか、読んでみないとわからないが、まあ、彼にとってはそういうことなんだろう。


私の読書録(読書メーター)を見直してみると、最近出版された本で、これは!という感想を書いている本が少ない(それにしても、最近、本読んでないな)。

子供達には、「読書をすることで、いろいろな人生を歩き、いろいろな人と出会える」などといって、読書を勧めているが、この年になると、「ヘエ、こんな人生もあるのか」というような内容ではつまらない。まあ、感動する感性が年齢とともに失われてしまっているのかもしれないが、それでも、未読の古典を読めばまだまだ感動する。

どの小説家も、技術的には大変素晴らしい。だけど内容は、ダメダメ人間というか、奇人変人をこれでもか、という感じで繰り出してくるだけの様に思えてしまう。
不肖コロ健、この程度のダメダメ、十分やってきたので、「ヘエ、こんな人生もあるのか」で終わってしまう。
あと、ネット。世界中の隅々から、変な人、小説より奇なる事実や人間模様が情報として発信されてくると、なかなかこれといった人生、というのはでないか。

小説も新しい局面を迎えつつある。
石原都知事を見返すような小説家の出現を待ちたい。


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ネットワーク依存症 1・・・ネトゲ中毒の主婦についての記事

2012年01月19日 | 電脳化社会
今朝のNHKニュースで、ネットワーク依存症患者が数十万だか、数百万人いるということが放送されていた。
私、コロ健もこのところ、この こんきも の記事をずいぶん熱心に書いていて、読書か、論文を読もうと思っている電車内でも、記事の推敲などしてしまっており、
「ちょっと、まずいんじゃない?」と思ったりするが、まあ、日記だし、趣味だし。
と、今のところやり過ごしている。

さて、ちょっと前に気になって、こんきも に載せようととっておいた記事がある。
昨年12月13日の朝日新聞の記事で、リレーオピニオン「ゲームのお作法7」にでていた、ネトゲ依存症の主婦の話で、タイトルは「『報われたい』すがる主婦」。
私はネットワークゲームの経験がないので、具体的にはよくわからないが、どうやら「(それほど技術を要さないで)頑張れることを頑張ると、仲間に褒めてもらえる」、そういうシステムがあるらしい。想像すると、25年前に家庭教師先の9800でやった「信長の野望」の「訓練」みたいなことか。これなら時間さえかければ済む。
挙げ句、ゲームにはまり、子育てまでも両親に任せて、家事を放棄してしまう人までいるようだ。ネトゲ廃人。

学歴社会に情報化社会が加わって、自分の価値というものが比較的客観的に正しそうな尺度で点数化されるようになり、「自分はよくやっている」と思ったりとか、「褒めてもらう」ということがきわめて難しくなってしまった。
昔は、週刊誌のたぐいがその役割を担っていたが、今やネットが何でも知らせてくれる。一旦ネットを開けば、カリスマ主婦に始まって、才能あふれる子供の親、旦那は高給取り、芸能人の高額の慰謝料などなど、知らなくて済んできたことが、嫌でも目に入ってる。
そして、そのセレブな人たちに比べて、自分はどうよ・・・
となれば、ゲームの世界で、数人の仲間の役に立てば、けなされることが無いばかりか、確実に「お褒めの言葉」がある。

わかる気もするが、ネットの世界は、やはり脳内で完結していること。実世界とは異なる。
バーチャルな世界は、そこに存在していても、そこに実体として入り込むことはできない。

ネット依存について検索したら、去年の2月のNHKの記事でこういうのがあった。
<8問中5問以上チェックがついたらネット依存>
1.インターネットに心を奪われている。
2.より多くの時間を費やさなければ満足できない。
3.使用をコントロールしようと努力し、失敗した経験がある。
4.使用をやめようとすると、落ち着かなかったり意気消沈する。
5.予定よりも長時間オンラインでいる。
6.仕事・学校などの大切な人間関係を、ネットが原因で失いそうになった。
7.ネットについて、家族やセラピストにウソをついたことがある。
8.現実逃避や落ち込んだ気分を盛り上げるため目的で、ネットを使う。

程度の問題もあるが、大なり小なり当てはまるところがあるのが恐ろしい。
精神的に弱くて、すぐに依存症になってしまいやすい私としては、その実体を知りたい。
このテーマ、何回かに分けて考えてみようと思う。

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小学生の頃の遊び・・・裏技三題 独楽回し、長馬、缶蹴り  その2 長馬

2012年01月18日 | あの頃のこと…思い出話
長馬、小学生の時だけでなく、中学に入ってもやっていたような覚えがかすかにある。
いずれにしても、40年近く昔のこと、細かいことはなかなか思い出せない。

長馬のやり方は、遊びの大図鑑というブログがあったので、参照していただきたい。馬が動いていいという以外は私の記憶と同じである。
長馬、ほとんどの女子には馴染みのない遊びだろう。スカートの間に頭をつっこむなどということは女子同士でもできなかったのではないか。男らしい遊びだったと自負している。
ちなみに女子と一緒にしたのは単騎で並ぶただの馬跳び。これは体育でもやったが、たいして面白くはなかった。長馬のことを馬跳び、と誤って言っている女子がいてとても違和感を感じた記憶がある。

さて、長馬においてもっとも重要なのは、いかにしてじゃんけんをしないか、ということに尽きる。
一旦乗る側になってしまえば、あとは馬を潰し続ければいい。そうすれば、じゃんけんにまで持込まれることなく、いつまでも乗っていられる。

ということで、当然のことながら、ここでいう裏技、というのは、いかに馬を潰すかという技である。
だいたい、5、6人くらいづつに別れてやったのではないか。したがって、馬は4、5人。馬を潰すためには、この中で弱そうなところにおもいっきり飛び降りる。
馬の上に立ち上がったり、歩いたりするのは当然のことながら反則なので、馬に飛び乗る時に逆立ちせんばかりに乗り、そのまま尻から思いっきり背中に降りる。そうすると2回に1回、馬は潰れる。

なぜ、百パーセントではないかというと、飛び降り方が悪いからで、例えば、狙ったやつの尻の方に飛び降りても、足を突っ張っているので、なかなか潰れない。首の付け根も案外ダメで、背中の真ん中辺りを狙わなくてはいけない。

それにしても、思い起こせば相当危険な遊びだった。
馬の先頭で立っているやつはよく大腿骨を折らなかったし、先頭で頭をつっこんでいるやつはよく首の骨を折らなかった。背中のはるか上方から飛び降りられて潰されたやつも背中は痛かったようで、いつも潰されていたにもかかわらず、一緒にやっていた(一緒に遊ばざろう得なかったのか)。

もちろん、私も背中の上から飛び降りられて、何度か潰されたので、そのひどさも思い出せる。


昔は、危険な遊びがそこら中にあった。だが、いずれも身体感覚を伴うもので、テレビゲームと違って、リセットボタンは無いことをみんなよく知っていたので、無意識のうちで、怪我をさせないように手加減していたと思う。

こう思い出してみると、こんな遊び、やる子供は今でもいるのだろうか。
今やったら、いじめだなんだと、潰されたやつの親が出てきそうだ。

ところで、こんな邪道でなく、ちゃんとした長馬必勝法は何かって?
そりゃ、じゃんけんに勝つことです。

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治りました・・・ナイトの組織球腫

2012年01月17日 | 犬との暮らし


フラットコーテッドレトリバーのナイトの組織球腫、先週、良性腫瘍として無事診断も確定し、抜糸も終わり、完治となりました。

動物病理の先生の立派な診断書もいただき、病理診断が確定して安心です。
病理診断の大事さをしみじみ感じます。こうやって、病理診断の大事さを実感すると、自分がずいぶんと大それた仕事をしていると、逆に怖くなります。



手術の痕とそのまわりの毛を剃ったところが残っていますが、元々黒いのであまり目立ちません。
ですが、妻の作ったネックウォーマー、気に入っているのか、外そうとしません。
可愛いものです。


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