こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

読書は心の潤滑油

2009年11月29日 | 読書、映画、音楽、美術
最近、変な夢をよく見る。
恐ろしい、というよりは、登場人物が生き生きしていて、いろんなことを言ったり考えたりしてる。こんなこと、なかったな、と思ったら、高校生くらいの頃まではこんなだったと思い出した。

原因を考えてみたのだが、仕事がテンパって、気分が高揚した、とか、新築する家のローンが心配で、とか、マンションの管理組合の理事長がめんどくさくて、とか、PTA会長を引き受けたはいいが、満足に務まらない、とか、子供の受験が心配、という訳ではなさそうで、こういったストレスは仕事を始めてから、手を替え品を替えて襲ってくる。

私自身の中で、最近、劇的に代わったことが一つある。読書を再開したのだ。
鎌倉から都内までの遠距離通勤、論文を読んだり、人生のハウツー本を読んだり、と活字を読むことに費やしてはいるものの、文学作品はあまり読まなくなった。
月に、1、2冊読めばいい方で、2ヶ月くらい文学作品を読まないことすらあった。
20代なんてひどいもので、スピリッツが創刊になった頃の青年コミック漫画全盛期にどっぷりはまって、東郷、景浦、浜崎、沖田、山岡などと5日おきに顔を会わせていた。
しかし、30代に入る頃には漫画にも飽きて(マンネリもあるのでは?)、今度は人生のハウツー本を読み始めた。はまるというほどでもないが、今の新書ブームの黎明期みたいなのにちょうどあたっていたのではないだろうか?ときどき、ベストセラー本を読んだりもしていたが、小林も重松も思い出したように読んだ漱石も何となく、見て終わった、感じだった。現在の職場に移ってからは、論文、教科書を以前よりは読むようになって過ごしていたが、あるとき、自分の人生がからからにひからびていることに気がついた。

病理医としての仕事に不満はないものの、趣味と呼べる様なものは(下手な)バスケしかなく、音楽も絵もそんなに上手ではない。私自身が心を潤しているものは何かある?
そこでふと思い出したのが、読書。
中高生の頃は、ずいぶん読んだ。読むのが上手という訳ではないのだが、それでもわくわくしながら、文学作品を読んだ。
NHKで、読書メーターというサービスを紹介しているので、見てみたら、これが、小学校のときの読書記録そのもの。これで、私の本好きの虫が20数年ぶりに目覚めた。

まだ、読み始めて2ヶ月くらいしか経っていないが、変な夢、怖い夢を見るようになった。私の頭の中で、錆びついていた心の歯車が、”読書”という潤滑油をさされて、再び回り始めた様な気がする。
もしかしたら、この年まで私自身の中で、こういった気持ちが無意識のうちで封印されていただけかもしれない。それとも、私自身がやっと文学作品を読める様な人生経験を積んだことによるのかもしれない。

すべての人に普遍的にいえることではないかもしれないが、読書は、心の回転をよくする潤滑油だと、つくづく思う。

おしごと

2009年11月28日 | 日々思うこと、考えること
アップアップになったら空を見よう!  って、自分のことなんだけど。

PTA会長、マンションの管理組合の理事長だなんて、行きがかり上、いったん引き受けると大変なことというのは多い。
順番とはいえ、今年は両方をいっぺんに引き受けている。
PTA会長というのは中学校ので、実務は‘ほとんど‘お母さんたちがやってくれている。心苦しいのは、仕事があるせいで、なかなか普段の活動に貢献できないという言い訳をしているものの、仕事をやりくりしてPTA活動をしてくれている会員の方もいるだろうことだ。感謝するしかない。
マンションの管理組合の理事長というのは、いかに管理会社の言いなりにならないようにするかが、主たる仕事で、大体はほかの役員の人と一緒にいろいろ決める。
こちらのほうは、もうすぐ引っ越すので早晩辞めることになるが、無理やりにでも自分の住処を考える機会があるというのは、よいことなのだろう。
こういったこと、雑用と考えるか、仕事と考えるか。

少子化 晩婚化 婚活・離活

2009年11月26日 | 日々思うこと、考えること
子供手当もそう、子育てを頑張っている家庭にお金を投下すれば、それは必ず、子供関連に使われる。私は、そろそろ子育ての後半戦に入ってきて、恩恵はあまり受けられないが、それも仕方ないと思う。今の日本で親になるのは、相当、損だ。だから、これから、結婚して子供を持ちたい、育てたい、と思っている若い人は、相当な覚悟が要る。
私自身は、恋愛と結婚は違うと思っていて、恋愛は、年齢、性別を問わず、幅広く相手のことを好きになることで、結婚は愛し合ったうえで、この人との間に子供をもって、その子供を生み育てるためのものだと思っている。
恋愛の延長で、十分な避妊をせず子供ができてしまい、結婚するカップルがいる。私の周りにもそういったカップルがいるが、避妊をしない男というのは何なんだろう。もちろん、子供を持つことの望んで避妊をしない男を許した女性といるのもいるのかもしれないが・・・一時の無防備な衝動の結果が大事な命とするのは、いかがなものか。でき婚のカップルがあとで離婚すると、それ見たことか、などと嘲りの対象ともなりがちだ。こういう場合、男はちゃんと責任を取らないといけない。妻子に愛情を、特に遺伝子を分かち合った奥さんのことは絶対に大切にしないといけない。
中絶件数は年間30万件というが、これって、どうなんだろう。勘弁してほしい。30万"件"ではなく、30万"人”だろう。病理解剖で死産の赤ちゃんを解剖することがあるが、命を授かったのもつかの間、いろいろな障害があって父母の顔を見れずに死んでいく赤ちゃんに対して、遺伝学的な親の都合によって殺される赤ちゃんが30万人中どのくらいいるのだろう。

いろいろな矛盾が、少子化、晩婚化を招いているが、これを論じているのはマスコミや政治家などのまあ、インテリ層。そういった人たちが上から目線で論じたところで、一向に改善はしないのではないか。婚活にしてもそう。いかにも若い人が結婚したくてもできないような風潮をいっているが、マスコミに出てくるのはそこそこいいセンいっているが、わがままなひとが結婚できないといっているだけのような気がする。もっとさ、本当に結婚したいけどできない、地味でまじめな人って、すごい数いる。そういった人たちに愛の手を差し伸べてあげてほしいのだが・・・

少子化、晩婚化の原因はいろいろあげられるだろうが、私は、団塊世代の子供たちへの教育が悪かったというのもあると思っている。団塊世代の女性についてはよくわからないが、男はひどかったんじゃないのかな?彼らは自分たちが年をとるにつれてさまざまの社会現象(学生運動、海外買春、女子高生ブーム、バブル、援助交際)を引き起こしてきたことをもっと自覚してほしい。遅くはないから、社会に対して反省をして、これから少しでも還元したらどうだろう。でも、まあ無理なんだろうな。この前も、ある新聞の投稿欄に団塊世代とおもわれる一団の、飛行機でのひどいマナーのことが出ていたし。あの人たちって、いったい何者なんだろう???

隠れ蓑

2009年11月25日 | 日々思うこと、考えること
事業仕分け後半戦が進められているが、今日は国立大学の運営費交付金が見直しを迫られた。前半戦では科学技術予算の削減がいわれていたが、またもや教育事業の削減か?と思ったら、違った。
”仕分け人は各大学に多数の文科省OBが「天下り」していることを問題視。”って、またかよ。また、天下り?こういうのって、やっぱり、週に3、4回顔を出して、千数百万の給料をもらう人たちなのかな?
文科省のOBということは、教官は少ないだろうし、仮に教官だとしても、文科省での経験がない様な人では、研究者、教育者としてずっとやってきた教官にはほとんどの人が劣るのではなかろうか。
スパコンにしても子供未来館にしても、こういったものに巣食っているOB連中が問題な訳で、なにも益川さんや毛利さんに意地悪をしようとしている訳ではないだろう、ああいった関連企業でどれだけ金が還流され、さらには、”汗をかかずに”儲けている人がいるかが問題なんだろう。
このことはすべてに共通で、公共事業の見直しだって、本当に必要なものであれば作らなくてはいけないし、雇用対策として必要な時もあるだろう。でも、そこに”汗をかかずに”儲けている人がいてはいけない。現場の職人さん達は頑張っている。あのダムの基礎工事だって、正直言って、すごい。

科学技術の問題も同じだろう。科学の先端部で汗をかいている研究者、技術者はたくさんいる。彼らを矢面に立てるようなことはしないで欲しい。裏で甘い汁を吸っている部分というのは、意外と多いと思うので、そういうところをまず”仕分け”して下さい。

木漏れ日

2009年11月22日 | あの頃のこと…思い出話
学会の帰り道、少し遠回りして、近くの公園の中を歩いた。
この公園は私が子供のころに開園し、私も親に連れられて何度か来た。
サイクリングコースで自転車の練習をしていたときに転んで、前歯を折ってしまうという、今で言えば訴訟にでもなりそうなこと(安全の確保をしなかった)があり、それ以来行かなくなったが。

子供のころ、といっても幼稚園から小学校1、2年生のころ、ちょっとしたことで、すぐ涙ぐんでしまうほど私は泣き虫だった。いじめられていたという記憶は無いものの、なんだか心の中で泣いていた思い出が強い。

弟が知恵遅れだったのが関係していたのかもしれない。なんとなく被害者意識みたいなのがあったような気がする。今にして思えば、弟に対して失礼な話だ。障害者を身近に持つ人には、どうしても被害者意識が生じているような気がする。
障害者の人というのは、いわゆる"健常者"のシステムに合わせるのが困難な人である。そういった人は、家族にとっては当たり前の存在であるが、世の健常者に合わせるために苦労が生じる。そのために、"健常者世界"からの被害者みたいになるのかもしれない。

私自身、あの頃、何をどう思っていたのか、よく覚えていないが、どこへ行くにも両親は弟も一緒に連れて行ってくれていたように思う。
一緒に写っている写真もたくさんある。

弟は、最近少し頑固になってきたが、40歳を過ぎても元気で、時々あったときには、兄弟げんかをしたりしている。

私が自転車で転んだおかげで、弟の遊び時間をとってしまったのだろう。悪いことをした。

交通事故

2009年11月21日 | 通勤・交通・旅行
ある朝の東名上り。
用賀の手前で車が一台もいない!少し神奈川のほうを見ると、パトカーの赤灯がついている。事故だ。3車線ともふさがっているので、相当な事故だろう。乗っている人たちに、怪我はなかっただろうか?急いでいたのかもしれない。朝だから通勤や、荷物の届けとかだろうか?そして、その後ろに並んでいる数百台の車にもいろいろな状況を抱えている人がいるだろう。これだけの渋滞だと、都心に行くにはこの先2時間くらいは余計にかかってしまうのではなかろうか。どうしても車を使わなくてはならない人もいるだろうに、気の毒だ。

交通事故というのは、本人がしたくてするものではない。だから、犯罪といっても、ほかの犯罪とは異なるようだ。
私は、昔、事故を起こしたことがある。わき見運転をして、追突してしまった。
追突した相手の車の人をむち打ち症で、2週間も入院させてしまった。
いくら、最悪の学生時代とはいえ、自分自身のことだけでは済まず、大変申し訳なかった。それ以来、車の運転には気をつけていたが、反則金は何度かとられた。

そんな私だが、今度の誕生日でやっと、優良運転者になれることになった。先日、早速書き換えた。近所の警察で手続きをしたので、現物はまだ届いていないが、裏には”優良”のハンコ。憧れのゴールドカードだ。免許を取って以来27年、15年前にゴールド免許が導入されて、やっとだ。70歳まで25年と、自動車運転のほぼ半分のキャリアのところで切り替わったことになる。こういうことがあると、自分の人生がまた少しだけ、上向いたような気がする。

事故を起こさないよう、スピードは出さず、あおってくる車がいたら、おとなしく車線を譲るような安全運転を心がけていこう。さらに、遅い車がいてもパッシングなどせず、減速して車間距離をとって後ろを走ろう。
のんびり、楽しく、しっかり、そんな運転者になれればいいな。

秋の病理学会

2009年11月20日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
大学院でお世話になった先生が大きな発表をするので、そのお話を聞きに出ることにした(なんと言っても病院勤務医が平日病院を抜け出すのは至難の技なので、昼を挟んだ3時間を捻出するのが精一杯)。
大学で研究をしていたのも遠い昔、いまでは臨床症例をコツコツ貯めて発表するのが関の山で、分子生物学的な研究はとてもできない。
病理のように標本が作れるとかある程度、設備があっても人手がない。私の病院の専門医は上司と私二人。実験助手なんていないし、スケジュール管理も自分ですべてする。研究会の事務仕事だ、来月の学会のコンサルタントだ、などといっていると、じっくり行う研究など、普通の生活をしようと思っているようでは無理だ(家庭を捨てれば別だが)。まあ、病院病理医の道は、そもそも私が選んだことなので、楽しんでいるが、学会に行くと、ちょっと寂しい気もする。
それにしても、病理学会に行くと先輩の先生が多い。私も医者として折り返しだが、折り返しをすぎた先生の方が圧倒的に多い。私よりも若い先生はなかなかいない様な気がするが、どうなんだろう。病理医不足とかナントカいっている状況ではない。本当にいなくなっちゃうんじゃないだろうか?会場を見回して、真剣に思った。
しかしながら、最近、私の周り(だけだが)では女性医師を主として女性病理医が増えているように思えるがどうなんだろう。女性が増えれば男も増える、といかないところが医者の世界で、金が増えなくては、人は増えない。ある程度の規模の病院には病理医は専門医3人、レジデント2人くらいいていい。”一人病理医”などという言葉は一日も早く死語になって欲しい。
病理診断(病理医の部分)の点数を上げることで、病理医の地位を上げ、人気を上げないと、大都市圏(多分東京だけ?)の大病院に病理医が増えるだけで、全国的には絶滅しちゃうんじゃなかろうか?
まあ、ダンピング診断などという、病理医が病理医自身の首を絞めることをしているようでは、夜明けは遠い。

2009年11月19日 | 家族のこと
私の好きな鍋は、鳥鍋。平凡だが、スープが一番おいしくなるんじゃないのかな。
野菜はキャベツ、ネギ。あとは豆腐を入れて、これだけで相当おいしい。
キャベツとネギがとろとろになって、すこし白く濁った汁が甘くておいしいですよね。お酒もたっぷり入れておくと、よーく眠れます。
鳥は、骨付きの方が、おいしいおだしが出ていいんでしょうが、柔らかくなりすぎると骨が崩れちゃうでしょ。で、私は、骨付き3:骨無し7くらいの割合にします。

一緒に飲むのは、辛口の白ワイン。
奮発して鴨鍋にしたとき・・・ほとんどない、もしくは鴨肉団子・・・は赤ですかね。ボジョレーも出たから、鴨鍋にするかな?

ヒトの目

2009年11月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
携帯で撮った写真だと富士山はよく見えない。もちろん、私の携帯カメラの機能が低いせいもあるが、写真機は近くのものも遠くのものも同じ情報として捉える。ヒトはこのとき、富士山だけを抽出してその美しさを楽しむことができる。

このようなことを繰り返すのが病理診断だと、最近気がついた。
後輩の病理医が病理を始めたばかりの頃、「これって、すごい膨大な情報が目の前に広がっているんですよね。」と呆然としていたが、まさしくそうだ。
細胞の形態、核の形態、各成分の形態、そしてそれらが一緒になって構成する臓器の形態、いろいろな形態を正常と非正常とに分類して、再構成していく作業を、一気にこなし(検討)、文章化(診断)する。
ヒトの目の抽出力、というのはこのような病理診断をする際にもきわめて重要である。
なんて、こんな当たり前のことに気がつくまでに、何年かかったんだろう・・・
毎日、ぼんやりしていると、こういったことにすら気づかないですぎてしまう。

金華山

2009年11月15日 | 日々思うこと、考えること
昔、稲葉山城と言われていた岐阜城、すごい眺めだった。
岐阜に着いた日にタクシーに乗ったら、山の上のライトアップされていたお城が見えて「すごいですね、あれ、なんですか?」と尋ねたら、岐阜城とのこと、是非登ってみるように勧められた。
日の暮れる5時まであと、1時間半というところで、意を決して登ることにした(帰りのタクシーで、「お客さん、岐阜城登りました?え、登らなかったの、残念でしたね」といわれるのが嫌で、という、情けない決意からだったのだが)。

濃尾平野一望、朝までの大雨も嘘のようにやんでいて、とてもきれいな夕焼けの中、長良川と木曽川が見えた。すごく雄大な景色だった。感動の一語。
昔はもう少しでこぼこがあっただろうけど、それにしても平野というのは真っ平らで、果てしなく広がっているように見える。
時代劇で、丘の上に陣を敷くのをよく見るが、なるほど昔はこんなだったのかと、よくわかった。

最近、よく思うのは、技術の差こそあれ、昔の人も同じ様な考えをしていたのだな?ということだ。
今、生きているわれわれは、そういった昔からの積み重ねに感謝して生きていかないといけないのだろう。

岐阜

2009年11月14日 | 通勤・交通・旅行
学会で岐阜に。
臨床系の学会だが、専門領域なので‥
名古屋で病理学会の国際ミーティングがあるがこちらに来た。
岐阜は初めて。
主催者の先生は、何もない岐阜ですが、どうぞ。とおっしゃっていた。
駅は早くもクリスマスのイルミネーション。織田信長の像があるらしいが、夜来たのでよくわからなかった。
新快速で名古屋から二駅目で降りるということから受ける印象としては、東京に対する千葉。といったところか。

それにしても、あっちも、こっちも、通勤時間は混んでいて嫌になる。
なんか、人が極端に集約化されているように思えるが、どうなのかな。

気まずいというか、なんというか

2009年11月08日 | 通勤・交通・旅行
通勤電車でのこと。

帰りの通勤特急の中で、少々酔っぱらったおじさんと向かい合わせになった。そのおじさんのカバンが少々邪魔で、少し迷惑そうな顔をしていたら、あちらも”フンッ”という感じで、気まずくなった。と、そこで、急停車。そのおじさん、バランスを崩して、手すりにつかまろうとしたのだが、少々遠かったのか、思わず「吊り広告」を掴んでしまった。
あわれ、吊り広告は留め金からはずれ、おじさんは大きくバランスを崩して、横の人にぶつかってなんとか体勢を保った。しかし、その右手には吊り広告が。
20センチ目の前で繰り広げられた、この状況を笑う訳にもいかず、大まじめな顔をしたまま、私は奥の方へ移動した。
下車駅はおじさんと一緒で、おじさんは律儀にも吊り広告を捨てずに手の中に握りしめたまま、エスカレーターを上っていた。私は、何も悪いことはしていない、と思う。

この時間

2009年11月07日 | 通勤・交通・旅行
立冬にしては暖かかった今日、夕焼けが見れた。
通勤の往復、朝焼けは見ることがあっても、夕焼けを見ることはできない。

桃色に少し赤の入った空。空の青さはもうない。
気温は、この時間帯の、急速に寒くなる前の、昼間の暖かさの残るうちがいい。

子供のころは、これに土の匂いも付いていたのだが。

人間失格、再読・・・2009年10月の読書記録

2009年11月01日 | 読書、映画、音楽、美術
10月の読書メーター読んだ本の数:6冊読んだページ数:1413ページ体の贈り物 (新潮文庫)体の贈り物 (新潮文庫)社会全体で不運な人を救おうとするアメリカという国がうらやましい。だけど、世界中の富が集中している国だからこそ、やれているような気もする。富があってはじめて人間の尊厳を守っていけるのではないか。アフリカのエイズ患者でこのような扱いを受けている人はどれほどいるだろう。読了日:10月30日 著者:レベッカ ブラウン

腎臓病の話 (岩波新書 新赤版 1100)腎臓病の話 (岩波新書 新赤版 1100)客観性にいまいち欠ける文章。今ひとつ、エビデンスが伝わってこないのが残念。逆に言うと、日本における腎疾患を取り巻く環境がこの程度なのか。読了日:10月28日 著者:椎貝 達夫

人間失格 (新潮文庫 (た-2-5))高校生のとき以来、2度目。内容はほとんど忘れていたけど、 人間、失格 で、かつて読んだことがあるのが確認できた。それにしても、わかったような気がしていたあの頃は何だったんだろう。40代になってやっと理解できた様な気がする。ただ、小説としては傑作だけど、失格の理由がこれでは、人間の根源的な部分までは到達できていないのではないか。読了日:10月28日 著者:太宰 治   

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)上巻にあった若き天才科学者のがむしゃらな生き様は、年とともに失われてしまっていて、ユニークな大科学者の後半の人生といったところか。頭のいい人、ってこう、なんにでも興味を持ち、なんでもこなしてしまう、”すごい”人が多よね、っていうところか。読了日:10月20日 著者:リチャード P. ファインマン

ご冗談でしょう、ファインマンさん〈上〉 (岩波現代文庫)久々に再読した。「下から見たロスアラモス」は私がこれまで読んできたいわゆる゛理系本”の中の最高傑作ではないだろうか?研究者個人としての頑張り、研究者同士のディスカッション、研究環境の大切さ、など科学研究を行う上で理想的な状況というものが具現化されている。しかし残念なのは、その人類史上歴史に残る研究の内容が原爆開発であり、そのために多くの命が失われ、未だに人類自身を苦しめているというのは残念としか言いようがないし、一つの罪を負ってしまったといえる。読了日:10月08日 著者:リチャード P. ファインマン

宇宙のかけら大人が読むには物足りない。子供(小6)に読ませたが、つまらなかったみたい。読了日:10月05日 著者:竹内 薫

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