こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

リナリア(姫金魚草)の植え替え

2021年02月28日 | ガーデニング・菜園・花・緑
うちの横は坂道で、そこを通る人からベランダが丸見えになる。目隠しに鉢植えを置いているが、昨年からリナリアを植えたプランターを置いている。
去年植えたリナリアは切り戻していたらまだあまり伸びず、妻が苗を買ってプランター2個を新しく置いた。プランターは3個用意してあって、残りの1個は去年野菜用のプランターに植えていたのをまとめることにしていた。
そして、今日その植え替えをすることにした。
右の2個が去年のプランター2個で、やっと蕾も目立ってきた。左の白いプランターに詰め込む。丸い野菜用プランターにいれてある再生土を使う。掘り起こして、寄せたりほぐしたりしながらなんとか植え込んだ。奥の手すりの上に置いた。
来週あたりには花も咲き始めて、目隠しになるだろう。
今日も寒かった

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寒くて活動性低下

2021年02月27日 | 日々思うこと、考えること
真冬並みの寒さで、活動性が低下してあまり動かなかった。
植木の手入れをしている時にお日様の日を浴びても温かくならない。
散歩に出ても風が強くてすぐに戻ってきてしまった。

終わってみるとぼーっとしていた1日。
まあ、こんな日があってもいいか。
明日も寒いみたい

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Twitter投稿数で表彰

2021年02月26日 | 日々思うこと、考えること
 今日、関東地方に広い範囲で雨が降るという予報は残念ながらはずれてしまった。太平洋岸では降っているということだが、少なくとも鎌倉を出るときは降っていなかった。栃木足利の山火事は一向に鎮火していないらしい。人的物的被害ももちろん心配だが、森やそこに住む動物たちのことを考えると、一刻も早い収束を願うばかりだ。

 一昨日、病院の事務方から院長表彰の連絡がきた。何かで注意されることはあるかも知れないが、表彰を受けるようなことは思い浮かばず、恐る恐る読んでみると、Twitter投稿件数が多かったことによる貢献に対してだそうだ。

 私の勤め先の病院では広報活動の一環として病院としてTwitterでの”つぶやき”を昨年から始めた。Twitterといえばトランプ前米国大統領の投稿とそのアカウント停止が話題となったほどで、海外では多くの著名人の意見発信に利用されている。

 昨年、病院としてTwitterを始めるので投稿を募集すると言われて、病理医の知名度向上を日々心がけている私としては喜んで応じることにした。1本わずか140字で済む原稿は私にとってはそれほど苦にならず、毎月1日と15日の月2回、定期的に投稿してもらえるように一年分ほど提出した。記事は幹部のチェックを受けてから、投稿される。

 ”こんにちは!病理医@〇〇病院です”という書き出しで、病理のこととか病気のこととかをツイートしている。画像も載せていいというので、最近は顕微鏡写真も載せている。それほど多くの方に読んでいただいているわけではないのだが、そもそもフォロワー数が2300人あまりなのでこんなものだろう。ただ、読んでくださるのは患者さんやその家族も多いだろうから、情報提供になればとせっせと書いた。

 もう数ヶ月分を提出してあるがそろそろ続きをまとめて書こうと思う。興味のある疾患についての簡単な解説を書いて、それを140字以内に分割できるようにして、写真をつけて出すのもいいかも知れない。それで5疾患程度書いたら2、3年分にはなる。あんまり書きすぎると自分の投稿が終わる前に自分が退職してしまうかもしれない。それでは幽霊病理医になってしまうので、気をつけよう。

 自分もTwitterのアカウントを持っているがそれほど熱心にはやっていない。少ない字数で自分の思いをまとめるのがあまり上手くないことに加え、ブログで手一杯ということもある。
FBは別の意味でちょっと

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幸せであることを言葉にするのは難しい

2021年02月25日 | 日々思うこと、考えること
 今日も1日晴天となる予報。夜には雲が出て、明日は雨のようだが、栃木県の山火事終息のためには雨雲には少しでも早くやってきてほしいと願う。

 おかげさまでほぼ毎日エントリーを書いている。ブログという手段でネット上に自分の心情を載せることが自分の心の備忘録としてなのか、自己顕示欲の一表現型であるのか、私にはよくわからない。幸せに思ったこと、その反対に不幸せに思ったことを書いていると、幸せなことを表現するということがずいぶん難しいと感じる。

 これはブログという表現の場に参加するということが他者からの共感を得ることを目的としているからかもしれない。怒りや不安、今なら政治不信、官僚不信、新型コロナウイルス感染症に関すること、が多くの人の共通の問題であることを前提として自分なりの考えを述べたら同意してくださる方は少なくない。それにしても、怒りとか不安を表現する言葉というのはずいぶん多くあるものだと思う。これはそれだけ人間が生きていく上で怒りや不安から逃れる必要に迫られているということを表しているのだろう。どう怒っているのか、何が不満なのか、SOSは少しでも多くの人にわかってもらわなくてはいけないから微に入り細を穿ってそのことを表現するのだ。

 一方で、幸せな気持ちを言葉に表現すること、書き出すことは難しい。
 誰かが”こんなことがあって私は幸せです”というのをストレートに書いてあるのを読んでもあまり面白くない。もちろん、長年フォローしているブロ友さんが結婚したとか、子供が進学した、就職したなんてことはこちらも嬉しく読ませてもらうことができる。でも、自分でそんなことを書くとなると、どう書くかは難しい。
自分はどうして嬉しいのか、どうして幸せなのかを考察してから書かないとただの聞いて聞いての自慢話に終わってしまう。

 そもそも幸せとか嬉しさを表現する言葉というのも、不幸を表現する言葉にして少ないように思う。

「私のことどのぐらい好き?」

と聞かれて言葉に窮するようなもので、人を呪う言葉はいくらでも出てくるのに、最愛の人であってもその人への気持ちを表現するための言葉は少ないものだ。

 自分の幸せを言語化する場合、その幸せの本質がどこにあるのかを見極めてからでないとうまくはできない。なぜ、自分は幸せでいられるのか、そのことをまず考えてから表現することが大切だ。おそらくは、感謝の気持ちを常に持つこと、他者に優しくすること、そういったことを考えたうえで表現することが大事だろう。スポーツ選手が勝ったときに仲間のへの感謝を真っ先に口にするのはこのような理由だからだ。これがただ「やったー、勝ったー、うれしー」では共感してもらうことは難しい。スポーツ選手ならずとも、普段の生活で常にそうするよう心がけていれば、文章にもそれが反映されるようになるだろうか。
謙虚でいれば

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ご飯が上手に炊けると

2021年02月24日 | スポーツ・健康・ダイエット
 今日からまた寒くなるというが、三寒四温、この時期の寒さは去りゆく冬を心に留め置くにはむしろちょうどいいのかもしれない。ここ数日の暖かな日差しはすっかり土を温めていて、ずいぶん多くの虫たちも目を覚ましたようだ。気温は下がっても、この土が冬の冷たさに戻ることはない。

 ここのところ土いじりでしゃがんでばかりいるものだからか、足がだるい。昨日は原稿書きもあってマルチーズのコロの散歩で近所をぐるっと歩いただけで歩数も8000歩あまりで、血行もあまりよくないのかもしれない。とは言っても、フラットコーテッドレトリバーのナイトが死んでしまってからというもの1年近くはあまり歩かなくなり、10000歩を超えることがほとんどなかったことを考えたら、大きく変わった。

 昨晩、ご飯を炊いたらあまりにもいい香りで美味しそうだったので、一口、大さじ2杯ほどを食べた。ウィークデイは妻にお弁当を作ってもらっているが、炭水化物ダイエットを始めてからというもの妻はご飯を口にしないので、ご飯は私が自分で炊いている。鍋で炊いているので、水加減や給水時間、火加減等々で炊き上がりがいつも微妙に違うのだが、昨晩は給水時間を長めにとったのが良かったのか、鍋の蓋を取ったらご飯がふっくらと盛り上がっていて、さらには香りも良く、夜の炭水化物はダイエットには厳禁にもかかわらず、つい一口たべてしまった。

 ご飯は2合ほど炊き、翌日分を取った残りを適当に量り分け、朝と昼で1日で合計200グラムほど食べるように按配し、ラップしたり、ジプロックに入れたりして冷蔵庫に保存しておく。朝食用の100グラムはご飯茶碗に入れてレンチン、あとの100グラムは弁当箱に入れておかずは妻につめてもらう。弁当箱は電子レンジ対応。ご飯にふりかけをかけ、あとは減塩味噌汁をいただくが、ほかにもインスタントの汁物を用意している。

 いつもはなとなくうまい具合に分けることができるのだが、昨晩のつまみ食いのせいで、全体のバランスが少々、崩れてしまった。明日と明後日分に切りよく分けようとしたら今日の分を含めこの3日分は普段よりもご飯が多めになってしまうことになった。ご飯が上手に炊けたからと言って、ついつまみ食いをしてしまうなんてダイエット中の身としては言語道断な話なのだが、その一方で、また昨晩みたいに上手に炊きたいと思ってしまう。
帰りは寒かった

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春の香りに誘われて

2021年02月23日 | ガーデニング・菜園・花・緑
23日が休みというので、はて、勤労感謝の日が2月にずれたのかなどと考えていたら今日は天皇誕生日。私と2つ違いの天皇陛下は、天皇陛下というよりは浩宮の頃の印象がつよく、テレビで見てもその面影をつい探してしまう。

今日の休みは脱稿が遅れていた原稿を仕上げるのにはちょうど良かった。頭の冴えているうちになんとか終わらせることができた。

朝、マルチーズのコロの散歩に出かけたら沈丁花(ジンチョウゲ)のいい香りがした。三大香木すなわち、春の沈丁花、夏の梔子(クチナシ)、秋の金木犀(キンモクセイ)のうち、沈丁花は植えていなかった。昼に園芸店に行ったら、少々小さかったが、まだほとんど蕾だけの手頃な沈丁花があった。昨年枯れてしまった山椒の木のあとがあるからと妻が言ってくれたのでそこに穴を掘って植えた。
日が陰ったらあっという間に気温が下がってきたので、手早く終わらせた。
思っていた通りのいい香りがした。

最後にもう一度推敲して、原稿を仕上げた。
明日から冬に逆戻り

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聞いていて気持ちが悪くなる政治家と官僚の堕落

2021年02月22日 | 日本のこと、世界のこと
5月並みの気温まで上がるというので、セーターも着ないで出かけてきた。明日はまでは暖かいそうなので嬉しい。明後日からはまた平年並みの気温に戻るそうなので、今日明日は一足早い春の恩恵を十分に浴びたいものだ。

海外映画の翻訳字幕を地道に作っている会社だと勝手に思っていた、実は大手の情報通信業会社に勤めている総理大臣の息子を使って監督省庁の幹部職員を接待したという報道を読んで、その背景にこの国の絶望的で狭小な学歴偏重主義と男性社会があり、政権幹部による権力の私物化が進んでいたという、根深いものをつよく感じる。

人間、やっていいこと、許されること、許される立場、年齢の許容範囲というものがある。今度の出来事はそのどれもを超えることで、許されないことだ。その底流にはこの国が転落の崖っぷちに立っているにも関わらず、学歴にあぐらをかいた官僚と一部の権力者はそんなことどこ吹く風で特権意識をかざして生きている。高級官僚の接待といったら大蔵省(今の財務省)のノーパンしゃぶしゃぶ事件だが、こんなことばかりだと、誰もがこの国の官僚というのはどうしようもない人たちだということだと思われても仕方あるまい。

”記憶力不足の”超一流大学出身の幹部職員は、いきなり”歩幅の狭い職員”に成り下がり、成績優秀だった高校時代の栄光にはふたをしてしまったようだ。でも返答だけはさすが偏差値トップクラスの大学出だけのことはある。中学受験の時には”李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず”ぐらいのことは知っていただろうに。大学受験とか上級国家公務員試験はそれだけでいいが、公務員となったからには公明正大でなくてはならなかったのにそれができなかった。”(この話がバレた時には)天を仰ぐような驚愕”
だったというがテストでカンニングがバレた時のような思いだったのだろうかと想像する。てんはてんでも”点を仰いだ”のだろうか?

自分より偏差値の低い大学出の代議士の下に置かれるのが我慢ならなかったのだろうか。私だったらそう思ってしまうことがあるかもしれない。学校の勉強だけして、公務員試験に受かってしまったら、あとはがむしゃらにやれと言われたことで100点を出していたらいいはずだったのに、政治家なんてのが、立場上であっても自分の上に来るようになったらそれは思ってもみなかったことだろう。

役割の違い、立場の違いというのを理解できず、受験の時の成績を引きずっているだけで偉くなったのでは、自分よりも偏差値の低いイケメンには”一敗地に塗れ”てもらわなくてはやっていられないのかもしれない。

こういう人たちは何をいっても、”そんなことはない”とのらりくらりと逃げられてしまうから結局、今回のこともトカゲの尻尾切りで終わってしまうだろうということがこの国の将来を絶望的なものにしている。

総理大臣の息子という人物がどういう経緯で大臣秘書官になったのかはわからないが、これを羨ましいと思う人は少なくないだろう。そして、総理大臣の息子という人に呼び出されたら役人は当然出向くし、接待されても断るのは難しい。というか、そこには権力者の中での”持ちつ持たれつ”の関係がある。

この話がどこまで解明されるかはわからないが、聞けば聞くほど開いた口が塞がらない。接待費が単価7万とはどこに行ったらそんな食事ができるのか全く分からないが、自分がいかに貧乏暮らしなのかと知り情けなくなる。某女性議員ならずとも吐き気のような気持ち悪さを感じる。総理大臣は防戦一方のようだが、今度は総理大臣を守るめぼしい人材がいないことからはこれを突破口として、野党には真相追及に精を出して欲しい。
この国いったいどうなってるの

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総務省局長「記憶力不足を…」 文春報道「天仰ぐ驚愕」
朝日新聞デジタル 2021年2月19日 13時34分
 「記憶力不足を反省します」
 総務省幹部が菅義偉首相の長男が勤める放送関連会社「東北新社」の接待を受けた問題で、幹部の一人は19日の衆院予算委員会で、会食で交わされた話題をめぐる自身の過去の国会答弁の真偽を追及され、弁解の言葉を繰り返した。
 昨年12月に同社の接待を受けた同省の秋本芳徳・情報流通行政局長は、今月10日の衆院予算委で「(同社の)事業について話題に上った記憶はない」と答弁していた。
 ところが、文春オンラインが17日付で、会食の場で「衛星」「BS」といった言葉が交わされ、秋本氏本人が小林史明・元総務政務官(自民党衆院議員)について、「どっかで一敗地にまみれないと全然勘違いのままいっちゃいますよねぇ」と述べていたことを音声データとともに報じた。
 19日の予算委では、立憲民主党の道下大樹氏が報道と過去の答弁との整合性などを指摘した。秋本氏は小林氏に関する発言は自分のものだと認め、「本当に不適当な発言で、私自身非常に反省しております」と謝罪した。
 さらに「この記事を見て自分の不明を恥じたのは、この記憶力の乏しさと与党議員に対する私の発言でした」「一昨日の文春報道が出たとき、私自身、天を仰ぐような驚愕(きょうがく)する思いでした」と釈明した。
 放送分野の規制改革派として知られる小林氏については、「(政務官時代に)ご指導を賜っていた」と言い、「私のように記憶力が乏しく、歩幅の狭い職員にとっては懸命に走っても、なかなかついていくのが大変な面があり、能力不足の私からすると、(小林氏は)仰ぎ見る存在で常に成果を上げ続けている。失敗したことがある者のことも身を寄せていただくとありがたいな、という気持ちは持っていた」と語った。

お金を使わなくなった

2021年02月21日 | 日々思うこと、考えること
今日も20度を超える陽気で、また草むしり。また少し日焼けした。

毎日なにか食べるので、使っていない訳では無いがそれでもだいぶお金を使わなくなった。緊急事態宣言発出中ということで、遠出をしなくなった。外出しないので土いじりばかりしている。散歩をしていても心なしかどの家の玄関先にもお花が増えたような気がする。お家時間が増えて、種苗会社の株価が上がったのもうなづける。

飲みにもいかない。夕方、妻と買い物に出かけたが、ちょっと人が入っていそうな店を覗くとどこも密、とても入る気にならない。家族での外食も減った。GoToイートが中止となって、飲食店も大変だろうが、緊急事態宣言発出中にも関わらず、裏駅の銀座通りを酔っ払った男女が大声を出しながら歩いているのを見ると、店は店で売らずもがなでなんだか複雑な思いとなる。

今日は陽気に誘われてたくさんの人が出かけただろう。もう、緊急事態宣言もへったくれもあったものではないに違いない。新型コロナウイルスの新規感染者数が下げ止まっているようだが、さもありなんだ。
自己防衛はしっかりと

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男社会の崩壊のはじまり

2021年02月20日 | 愛と女性とジェンダーと
ポカポカ陽気で、ご近所の桃の花が一気に咲き出した。今日は風が強かったが明日は収まるらしいのでいまから楽しみ。

東京オリンピック組織委員会会長に橋本聖子さんが就任した。オリンピック担当大臣を辞し、自民党を(渋々ながら)離党してのことだ。参議院議員はそのまま続けるそうなので、2足のわらじとなるが、生活のこともあるし、議員をやりながらアトランタオリンピックに出たこともあったので、ある意味すごい。そしてオリンピック担当大臣の後釜には丸川珠代さんが就いた。さすがは元アナウンサーだけのことはあり、滑舌はもちろんテレビ映りもいい。コロナ対策で大活躍中の小池百合子東京都知事との関係は良好のようで、女性トロイカ体制で中央突破(開催)しようというところだ。

実際、女性の突破力というのはすごいものがあっるから今夏のオリンピック開催が現実味を帯びてきたような気がする。コロナはコロナ、五輪は五輪とかいう論理でも展開されそうだ。もっと他の理由づけがされるかもしれないが、女性ならでは論理展開を期待したい。男性目線でいたら、オリンピックは難しそうだ、なんてことになるかもしれないが、もっと別の視点を持ってもいいのではないかということを、このトロイカ体制は具現化するのではないか。

退場させられた男性陣の中には”お手並み拝見”などと考えている人もいるだろうが、それでは女性のしたたかさを甘く見ているのではないかと思う。一昔前であったらありえなかったことが今起きている。

女性陣が颯爽と表舞台に立っているのに、国会では”記憶力が乏しく、歩幅の狭い職員”だったが総務省の局長にまでなった人物が首相の息子に接待されていたということでもめている。未だに前時代的な言い訳をして逃げ回ろうなどということをしているなど、全くみっともない。

コロナ禍で暇なものだから、こういう茶番をいつまでも見続けされているうちに政治に対する国民の目が厳しくなってきている。そして、私達有権者も考え方を変えなくてはいけないところにきているように思う。

私は立憲民主党の蓮舫さんの発言というのがどうも気になっていた。どれぐらい勉強しての発言かわからないし、そもそも何が言いたいのかわからない時すらある。でも、彼女は3度も当選している。美人だからというわけではなく、彼女を応援する女性がいるからだということを最近感じるようになっている。

”あれぐらい言ってくれなくちゃ、男にはわかないのよ”

そう考える女性が多いのではないか。女性には女性の論理展開があり、それは男性にはわかりにくい。でも、それが人口の半分を占める人間の考え方なのだ。今度の五輪騒動でそのことを急に強く思うようになった。そして、この勢いはもう止まらない。

テレビ画面で結果を出せないでいる男性政治家、官僚(これは男しかいない)の顔を見続けていて、この国に未来がないということに気が付いた。

もう、女性に助けてもらうしかない、男社会が限界にきている日本にはそれぐらいの発想の転換が求められているのではないか。今年の総選挙後に女性総理誕生とでもなったら世界にもアピールできる。
時代の転換点

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医療もコロナで要不要を突きつけられて

2021年02月19日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
 昨日今日と2日続けてよく冷えた朝。それでも昼間は暖かくなった(らしい)。明日はもっと暖かくなるという。先週、今週と週末のお天気がいいのは嬉しいことだ。これでこの冬もなんとか乗り切ったかと思ったら、次は花粉症。どちらも防ぐのが難しいという点では”前門のコロナ、後門の花粉”という感じで、人間が病気などにかかることなく大過なく過ごすというのは実に大変なことだ。
 厚労省のプレスリリースによれば今年のインフルエンザ発生状況は極端に減っていて、去年でもしっかりしたピークがあったのに、今年はほぼ皆無と言っていい状況のようだ。新型コロナウイルス感染症というのが、あれほど大変だと思っていたインフルエンザと比較していかに抑えるのが大変なものだということを物語っている。

インフルエンザの患者さんが減り、開業医は売り上げが落ちているそうだ。このまま暖かくなり、かつ湿度も上がったら、今年はインフルエンザの流行はないままだろうし、この傾向はこの先何年も続くだろう。

昨晩、在宅医療についてのWEB講演会を視聴した。演者の先生は、もともとは一般的な在宅医療を行なっていたが、今は、看取りを行うことが多くなったというお医者さんだった。病理医としては全く畑違いの領分だが、昨年父が亡くなる前には在宅医療の先生にお世話になったということもあり、どんな医療をやっていらっしゃるのか興味があり、お話を聞くのはいい機会だった。積極的な攻めの医療とは違う、そうでない、緩やかに撤退していく医療とでもいうのだろうか、質的には異なるものの患者さんのことを考えて行うという点では変わることのない医療の姿を垣間見たような気がする。

これからの高齢者医療は感染症対策と折り合いをつけてやっていかなくてはならなくなることを考えると、病院に患者を集めて行う医療から医者がそれぞれの患者さんのところへの往診が主体となるべきだろう。ものすごく高度な医療がどれだけの人に必要であるかということを考え直す時期にある。医療でも要不要が吟味されるようになりつつある。

在宅診療への医療費は比較的手厚く配分されているようなので、この先この領域に参入する医師は増えていくだろう。
病理も変わる

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生きているうちに読むことのできる本は少し

2021年02月18日 | 読書、映画、音楽、美術
昨日、筒井康隆の小説を読み終えた。8年ぶりの再読だった。内容のディテールはほとんど忘れていたが、読み進むうちに感動とともに思い出した。文字情報というのは、ある意味夢のようだ。文字で描写された風景、人物というのはあくまでも自分の脳内で解釈され、具現化されたものであって、他の人のそれとは異なる独自のものだ。そのため、そのものを何度も見たり聞いたりすることは無く、再現されないまま時間の経過とともに忘れていく。

文字情報というものを取り入れ解釈して具現化するという作業は大変な労力を伴う。だから、大作などといわれる小説をより深く理解するためとわかっていてもそれらを再読するには苦労を伴う。いくら現代語訳とはいえ、源氏物語をもう一度読み直そうという気にはなかなかならない。

一方、同じ読み物でも漫画はよく覚えている。ゴルゴ13の50巻あたりまでぐらいならタイトルを読んだだけで内容の大部分を思い出すことができると思う。アニメーションは声までつけてくれるからもっと楽だ。文字情報を映像化してあるから、頭は変換作業という重労働をせずに済むので、サクサク読み進めることができる。時間的にも楽で、さらには再読も容易となる。漫画ばかり読んでいると文字情報を自分なりの情報として落とし込む能力が極端に落ちるが、ゴルゴ13の顔は誰もが同じものを思い浮かべることができるという点でそれはそれで意味がある。

小学校の高学年から高校生までの間、多くの小説を読み飛ばすようにして過ごしたが、大学生になってからのコミック全盛時には漫画をずいぶん読んだ。結婚して、いつの間にか漫画を読まなくなった。かといって小説もあまり読んでいなかったが、最近になって自分の寿命のことを考えるとちょっとまずいと思うようになった。人類の遺産というべき名作というものに私はどれだけ触れてきたかと思うと、それは微々たるものだった。自分の血肉となっているものなどどれほどあるだろうか。少なくとも10作品ぐらいは読んでおきたいと思う。その中には、カラマーゾフの兄弟のように、遥か昔に読んだものの再読もしたい。何を読むかの選択はその折々で変わっていくだろうから今から決めておくことはしないでおく。

外国語文学は読みやすい翻訳が増えたので、ずいぶん楽になった。それはそれでいいのだが、医学論文も読んで勉強せねばならない。
残された時間は無くなり、おまけに知力体力の劣化も自覚する。焦っても仕方がないが、できることはできるだけ頑張ろう。
あれもこれもは難しい

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夜のカンファレンス

2021年02月17日 | 日々思うこと、考えること
思いもよらなかった強い風の1日。所用があり午前中休みをとって、あたりがすっかり明るくなってから家を出たが、もの凄い風で辺りを見て回るような状況ではなかった。お日様が照っていたので大丈夫だろうとマフラーをまかずに出たが、コートの襟から風が入ってしまい、参った。北海道のことを思えば大したことはないのだが。
出がけに植木鉢のムスカリが蕾を出しているのを見つけた。あちらこちらに植えたチューリップもしっかり芽を出し、どれもがずいぶん伸びてきている。昨日、妻が友人からミモザをたくさんいただいてきて、それをリースにした。玄関の前に飾っていたが風に飛ばされてしまってないかちょっと心配になった。今日明日は寒いが、明後日からはだいぶ暖かくなるらしい。明日は雨水、季節は本格的な春に向かっている。

また、自民党の代議士が夜にバーに行ったのがばれて離党した。総理大臣はじめ、政治家というのはすこぶる特殊なひとたちだということが、コロナ禍のおかげでずいぶんよくわかった。医者なんて、私の周りはみなブルーカラーで、誰もが知力体力をとことんまで使ってへとへとになるまで働いている。若い先生はさらに勉強して、研究して、さらには遊びにも行くだろうが、コロナ禍で何かあったら大変なので、遊びは自粛して皆孤食。まあ、遊んでいるのもいるだろうが、感染のリスクが高いのは皆自覚しているから、よほどのバカでない限りそうそういないだろう。私の場合は、遠距離通勤、宿舎などあてがわれないから、家にたどり着くので精いっぱい。今日など夜のカンファレンス(他施設の先生に参加してもらうため、ただし現在自粛中)だから余計に参る。今般離党した代議士が飲み始めた時間にカンファレンスが始まる。クラブだかバーだかで陳情を受けたり打ち合わせをする政治家がうらやましいわけではないが、せめて自粛期間中は国民の模範になる行動をしてほしい。同じ大人として、そんな人には政治の場からは退場していただきたいと思う。

いよいよ医療従事者への新型コロナウイルスワクチン接種が開始となった。国内で接種第1号となった病院の院長は「ワクチンはコロナ対策で重要な位置づけで、院長として率先して受けた。」 とコメントしたそうだが、そうまでして頑張る医者って、いったい何なのだろう。もちろん世の中そんな医者ばかりではないし、私だって口先ばかりだが、それでも行動は律しているつもりだ。
政治を変えよう

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上に立つ人は笑顔

2021年02月16日 | 妻の名言
まさに台風一過といった趣の雲ひとつない空。今日からは北風が強くなりそうで、明後日あたりからまた寒くなるらしい。今日の北海道は猛烈な大雪になるということなので、どうしても外出しなくてはいけない方は十分ご注意してください。

気の進まない仕事があって、昨日から元気がなかった。それを見抜かれたのか、朝、駅の近くまで私を車で送ってくれた妻が、降りぎわに

「上に立つ人は笑顔」

と声をかけてくれた。
上といっても私は中間管理職の上の方ぐらいのポジションだが、指示を出せばその通り動いてくれる人が何人かいる。このくらい顔のまま職場に行ったら、その人たちが不安になり、不愉快になるだろうと妻は思ったのだろう。というか、そう思わせるほど暗くて不機嫌な顔をしていたに違いない。車を降りるとき、

「いっ!」

と、無理やり口角をあげた。
そういえば、昨晩、NHKの「逆転人生」という番組で、いわゆる”職人気質”でやっていたら、店の雰囲気は悪くなるわ、従業員は辞めていくわ、おかげで評判は悪くなるわで、赤字に転落したレストランの店主が、サイゼリアにバイト修行に出て、”自分に問題があるのではないか、自分が変わらなくてはいけないのではないか”と発想を変えたという話をやっていた。従業員のいうことに耳を傾け、いいアイディアは採用して、自らも後片付けなどを積極的に行っていくうち、お店の評判は回復し、コロナ禍であっても経営は順調だという。今度、ぜひ一度お邪魔してみたいものだ。
その店主さんは、変わらなくてはならない、と思ったもののはじめのうちは、どういていいかわからなかったそうだ。私もいきなり”笑顔で”といわれても、いざとなるとどこまでできるかわからない。それでも最近、科内でのミーティングを開催することにして意見を交換する機会を作ってきたし、臨床他科とのカンファレンスは赴任してすぐに始め今でも続いている。少なくとも殻に閉じこもることはしないようにしている。それでも、そんな折に私が仏頂面では元も子もない。今日1日、笑顔で過ごす。妻の言うとおりにしてみようと思った。
結果というと、午前中はまずまずの推移。といっても、一人でいる時間が長かったので問題にはならなかったが、時折口をきくとどうも塩梅が悪い。外科の迅速診断を行っていたら、気のいい医長がやってきて、診断をディスカッションしているうち明るくなった。こんな風に周りを笑顔にして、元気をくれる人というのを見習いたいものだと思う。

結局そのあとも調子が出たり出なかったり。気の進まなかった仕事というのも案ずるより産むが易しで、皆で頑張ったら案外楽しく乗り切ることができた。ついつい笑顔のことを忘れてしまったが、それでも時々思い出しては、マスクの下で引き攣りながら、口角を上げながら1日が終わった。
日の出と日の入り

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花が好きだと言ったところで

2021年02月15日 | ガーデニング・菜園・花・緑
夜中、つよい雨音で1度目が覚めたものの、また寝て起きたら雨は止んでいた。とはいえ日中は大雨になるというので、念のため大きな傘を持って出た。屋根のないところを歩くのは全て合わせてせいぜい200メートル程なので、少し小走りしたら十分なのだが、大雨が降るという日に傘を持っていないというのはなんとなく決まりが悪い。妻もやたらと心配するので、持って出ざるを得なかった。昼間は大雨だったが帰る頃にはすっかり止んでいて、持って出た傘は置き傘となった。

昨日の暖かさに誘われたのだろう、サンシュユ(山茱萸)の蕾が一斉にほころび始めた。休眠していたと勝手に考えていた人間の目から見れば突然のことだが、この子たちにしてみたら当たり前のことだ。濡れた地面をみたら、雑草も昨日の草むしりでずいぶん減っていた。昨日の草むしりは結構本気でやった。広範囲に根を広げていたカタバミを表土を剥がしてむしったり、細いシャベルを地中に突き刺してヒメシバを抜いたりとか本格的にやったので、今日は腕や肩が少し痛い。あと2、3度頑張ればだいぶ綺麗になるだろう。
黙々と草むしりをしていると、だんだんと複雑な気持ちになった。雑草という名の植物などない、などということではない。一本一本の草の命について考えてしまったのだ。春になり、新しい芽を出しこれからいよいよ伸びていこうという植物の命を次々と断つなどということ、果たして私がしていいのだろうか。放っておけば駐車場の地面は緑の葉っぱに覆われ、とても庭などとは言えないような状況になってしまうから、草むしりは避けては通れない道であるのはわかってはいる。でも、自分では花が好きで、それなりに大事にしているようであってもその実一方ではこんな残虐行為をしているのだと思うと、大きな自己矛盾を感じてしまう。私は偽善者なのか。それならせめてはじめから雑草など生えないようにするとか、なにかしらもっといい方法はないだろうかと思うが、ゴルフ場のように大量の除草剤を使用して周囲の生態系にまで影響を及ぼしかねないようなことをしてはこれもだめだ。
人間というのは勝手で欲深く身の程知らずな生き物だ。”そうしなくては生きていけない”という最低限のことにあきたらず、次から次へと欲望を膨らませ、そこには限度が無い。私自身謙虚であるかどうか、自己点検しながら生きなくてはならない。
足るを知るという言葉があるが、それは身分とか年齢とかに限ったものではなく、あらゆる生き物たちの中での人間の立ち位置を知ることでは無いか。
水溜りがたくさん

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暖かな1日でのんびり鎌倉散策

2021年02月14日 | 鎌倉暮らし
今日は好天になるという話だったが朝のうちは雲が多かった。
昨晩の福島・宮城の大地震、幸い亡くなった方はいなかったようだが、それでも物的損害は多かったようだ。コロナ禍と重なり、被災された方々にはお見舞い申し上げます。

午前中はWOWOWで全豪オープンでの大坂なおみを応援した。グランドスラム大会の男子と女子の賞金が同じということが不公平だという意見があったが、その意見に違和感を感じるようになっている自分に少なからず驚いた。

大坂の逆転勝利を見届けてから、妻と散歩に出かけた。
祇園山のハイキングコースはまだ通行止め。大町に抜けるトンネルを通り、妙法寺から安国論寺へ。
梅も盛りをすぎてきたが、まだまだいい香りがする。
安国論寺には富士見台という見晴らし台があるのだが、雲が多く富士山は残念ながらみえなかった。
それにしても、横須賀線の線路を走る電車の半分ぐらいはオレンジと緑の帯になってしまったような気がする。
今日はバレンタインデー、嫁が作ってくれたチョコレートケーキを持って息子が遊びに来た。嫁は今夜は当直。
よく歩いたら結構疲れた。
帰ってから草むしりをした。土が温まっていて少し日が傾いていたものの、楽に行うことができた。
津波さえなければ

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