こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

ポジティブ思考 VS ネガティブ思考

2018年01月31日 | 日々思うこと、考えること

腰の痛みは多少良くなってきて、歩く分には問題なくなった。それでも立ったり座ったりの時の痛みは相変わらずだ。一方、ここのところの酷い寒さには多少慣れてきた。寒さとか痛さは心をめげさせる。つい弱気になってしまうけど、ここでそのままネガティブ思考にとらわれると全てが悪循環に陥ってしまう。ここが正念場、ネガティブな考えが頭に浮かんだら、そこで流されてしまわずにポジティブな考え方を探す。

こんな寒さの中だけど、いつの間にか花かんざしに蕾がついていた。あんまり手をかけていなかったのに、嬉しい。蕾の数は一昨年買った時ほどではないけれど、パリパリした花が楽しめるかと思うと、ワクワクする。

この間の大雪に負けずに折れずに頑張ったミモザの蕾もだいぶ大きくなってきた。花かんざしのプランターはミモザの下にあって、ミモザ見守ってもらっている。明日、予想されている雪がひどくならないで欲しい。

こちらはプランターで育てている春菊、ご近所の方がタネから育てたのをいただいたのだけど、ぐんぐん増えた。生で食べることができるので、そのまま添えたりできる。野菜価格高騰のおり、とても助かっている。

こうして春の息吹きを感じ、ネガティブシンキングとサヨナラしよう。

今夜は皆既月食

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どんなことでも良く考えてみる

2018年01月30日 | 日々思うこと、考えること

昨日(というか実はおととい)からの腰痛、今朝起きたら余計悪くなっていた。

昨晩帰って、横になったときにはだいぶ楽になったのだけど、寝ている間に楽な体勢でいるのでいざ体を起こそうとすると、腰全体に鈍痛が広がる。身支度をしようとするとそれは余計に強くなって、今日は動けないかと心配になる。人間の体の動きというのは随分複雑で多くの筋肉が連動しているものだとつくづく思う。それでも、あちこち伸ばしたり曲げたりしているうちにどうにかこうにか動くようになった。朝食はちゃんと食べ、胃薬と一緒にロキソニンを飲んでいざ仕事へ。

仕事に行くからには、痛い痛いとも言っていられない。昨日今日は切り出し当番。腰掛け椅子に中腰で座り、写真を撮るたび立ち上がって調整する。写真台の上に屈むたびにピキッとくる。そんなことを繰り返す。でも、そういう状況で弱音を吐いていたら自分も周りも暗くなる。体が自由に動かないのは仕方ないけれど、それを周囲の人に心配させないようにしたい。状況が悪いからといって、それを嘆いてばかりでは仕方ない。中年オヤジのやせ我慢かもしれないけれど、むしろそういう考え方ができるようになったというのを嬉しいことと考えたい。何事もポジティブ思考が大切だ。

事故で電車が止まったが、振替乗車で普段通らないところを走って気分転換。病院に着くのが遅くなったけど、切り出しの時間には間に合った。着いた頃には痛みも(痛み止めのおかげで)だいぶ治まった。

なんだかんだで今日も1日忙しかった。まっすぐ帰る。しばらくはジムに行けないけれど、ここのところちょっと無理していたキライがあって筋肉痛気味だった。体が少し休んで欲しいと言っていたのかも知れない、ちょっと間を開けるのもいいだろう。

これはこれで良かったと

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油断大敵・・・次はまたまたぎっくり腰

2018年01月29日 | 日々思うこと、考えること

昨日は一日ダラダラ過ごすことができ、そのおかげだと思うが、体調は随分良くなった。まだ、喉は少しイガイガしているし、お腹も若干痛むが、今週もまた元気に仕事ができるだろうと思って起きたのだが・・・。

洗面台に顔を近づけた時に変な感じがした。あれ?と思ったが、5分後ぐらいに痛みが強くなった。ギックリ腰だ。昨日の夕方、ちょっと大きめのカラーボックスを一人で持ち上げた時に軽い違和感を感じていたが、それを一気に悪化させてしまったみたいだ。

前回のギックリ腰は昨年10月その前が8月なので、2、3ヶ月に一度はイテテテテ、とやっていることになる。普段から気をつけているのに、なんとも残念だ。

ギックリ腰の予防のために、ジムではデッドリフトをやって随分自信がついてきてはいるのだけど、それだけでは十分ではなかったようだ。それにデッドリフトで少々自信がついて、妻にいいところを見せようと調子に乗って重いものを持ってしまったのも失敗。

こうなる前からなんとなく腰の調子が気にはなっていて、体が硬いからストレッチをしなくてはいけないとも思っていたが、それもやり過ごしていた。

これだけ、ギックリ腰が癖になってしまったからには、予防でしか避けようがない。それでも、ちょっとは予想ができるようになったということは前進のようにも思える。まあ、とにかくこれ以上酷くしないよう、腰用のサポーターも巻いたし、今日一日静かな行動を心がけて過ごそう。

風邪のこともあるしね

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体調不良、これは風邪

2018年01月28日 | 日々思うこと、考えること

昨晩の研究会の打ち上げでは楽しく飲んだものの、終わったらさっさと切り上げ11時には帰宅した。研究会でのミニレクチャーもまずまず好評だったようでホッとした。
にもかかわらず、朝からだるく、お腹の調子も今一つ。


先日と同じような症状だけど、慢性疾患を発症したというよりは、風邪がぶり返したように思う。半日ほど寝て、犬たちとダラダラ過ごしていたら、夕方には多少元気が戻ったように思う。


大相撲の中継も見ることができて、栃ノ心の嬉しそうな優勝インタビューと新入幕阿炎のこれまた天然のインタビューでさらに元気が出た。

夜は家族そろっての鶏鍋。あったまったら明日からまた寒さに負けず頑張ろう。

立春まであと少し

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極寒列島

2018年01月27日 | 日々思うこと、考えること

朝一番からカンファレンスがあって、いつもより30分早い電車に乗った。私の担当症例で、研修医に発表してもらうので、その最終チェックをしなくてはいけない。15分ほど早くに行けばいいのだが、そのタイミングの接続がない。東海道に乗り換えるという手もあるが、乗り慣れない電車は心配だし、座れなかったらこのブログの記事も書けない。遠距離通勤者にとってダイヤがずれる週末は調整が面倒だ。

 

妻に車で駅まで送ってもらった時に見た車載温度計の気温は氷点下5度。極寒だ。

ナイトも一緒に送ってくれるのだが、よくついてくるものだ。ホームで待つ時間はほとんどなかったのでたすかった。鎌倉がこんなに寒かったら東京はどうだろうと思ったら、あちらの方が少々(2度ほど)高いようだ。行く先が少しでも暖かいというのは、嬉しい事だ。

エフエム横浜では週末のスキー情報で楽しそうな話題が流れてくる。確かに、今日あたりは絶好のスキー日和だろう。

 

カンファレンスの後、切り出しがあって、午後にはごく小さな研究会で短いレクチャーをする。その研究会の打ち上げまであるから、今日は朝から晩まで目が回るように忙しい。

電車が空いているので、その準備がゆっくりできそうなのは嬉しい。ただ、車窓から見える夜明けの街が美しいので、そちらに目がいってしまい、なかなか集中できない。いずれにしても、今日の記事はこれでおしまい。また明日お会いしましょう。

最後の追い込み

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JR東日本E491系電車(East i-E)が鎌倉駅に

2018年01月26日 | 通勤・交通・旅行

南岸低気圧の通過による大雪の次の次の日、少し早めに帰ってきたら鎌倉駅に見たことのない3両編成の列車が止まっていた。

また、新しいお座敷列車か何かかと思って窓から中を覗いたがなんだかよくわからない。

そもそも窓は少ないしいずれも小さい。

それでも写真を撮っている人が何人かいて、私も何か(?)の役に立つのではないかと思って数枚撮っていたら、観光帰りの若い女性が

「え?何か珍しい電車なのかな?撮っておこうか?」

などと言いながら、やっぱり写真を撮っていた。

自分が写真に写り込んでいるけど顔はよくわからないのでいいだろう。ある意味自撮り。

3両目の車両の横にEast-iEと書いてあって、どうもこれは鉄道マニアの誰かが以前フェイスブックに書いていた、ドクターイエローみたいなものだと想像がついた。

あとでEast-iEをネットで調べてみると、

"JR東日本の新幹線・在来線に導入されている新型電気・軌道総合検測車(イーストアイ、East i-ED)"

とのことで、在来線用の検測車ということらしい。

ちなみに、ドクターイエローは新幹線用の検測車で、East-iには新幹線用もあるとのことだ。

夕食の鍋の材料を駅前のスーパーで買っておいて欲しいと妻に頼まれたので、写真を撮って、忘れないようにともう一度よく見てから駅を出た。

買い物をした後、気になったので、駅まで戻り、改札口の駅員さんに

「なんでEastiが停まっているのですか?」

と尋ねたら、

「軌道の検査だと思いますが、詳しいことはちょっとわかりません。

あの後、すぐに出て行ってしまいました。」

とのご回答。

もういないらしい。隠密行動のようでかっこいい。

縁の下の力持ちということでは病理医に通じるものがある。

出現頻度も病理医並みなのだろう。

今度はいつ会えるかな?

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おしゃべりを受け入れる

2018年01月25日 | 日々思うこと、考えること

この人、ちょっとしゃべり過ぎなんじゃない?と思うほどしゃべる人というのに会うことは少なくない。

私自身、しゃべる場があれば結構しゃべってしまう方で、おしゃべりと言われたらそうだろう。ブログとしてこれだけの記事を毎日書いているのだから、しゃべりたいことはたくさんある。

おしゃべりそのものは、あまり上品なものではないけれど、おしゃべりの人とは、人に話したいことがたくさんある人のことだ。

おしゃべりにもいろいろあって、自分の自慢、人の噂、自分の考えを強いる人、逆に自分の不幸、いろいろあるけれど共通することは、しゃべっている相手に共感を求めているということ。だから、おしゃべりを聞いてあげるということは、しゃべっている人を受け入れてあげていることになる。

自分がしゃべりすぎたと思っても、案外それはせいぜい2、3分で大したことはない。まともな人であれば、2、3分でもしゃべり続けたら、しゃべりすぎた、ちょっと相手に悪いことをしてしまったかなと思う(はずだ)。口は禍の元だが、それは内容だけの話ではない。話し過ぎにも気をつけなくてはいけない。病的にしゃべる人も中にはいるし、しゃべること自体が(精神的にスッキリするための)目的化している人もいるけれど、大抵はおしゃべりしてしまったことを後で気にはしてくれる。そして、しゃべった相手に少し近づく。

しゃべられるほう、すなわち聞き方はその2、3分の間、ちょっと聞いてあげたらいい。聞き上手、と言っても聞き流すのが上手なのではいけない、ちゃんと向き合って意見も持つべきだ。

ブログに書くほどしゃべりたいことはあるけれど、日常生活の中ではしゃべりすぎないように気をつけているつもりだ。それでも、しゃべりすぎていると思うから、もっと自重しないといけない。そして、相手のしゃべりたいことを引き出してあげたいと思う。

 

聴くときは目を見て

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会話は生き方の宝箱

2018年01月24日 | 日々思うこと、考えること

昨日の記事に書いた(自分のことを悪く言ってはいけない)という言葉を思ったのは、職場でのなにげない会話がきっかけだった。

初めは謙遜して話しているつもりだったのだけど、これっておかしい、と話している途中で気がついたのだった。謙遜も度を過ぎたらしつこくなって、しまいには会話が成立しなくなってしまう。話している方(この場合、私コロ健)は、同情して欲しいのだか、そんなことないですよとか言って欲しくていい気になって不幸(というほどではないけど)自慢。でも、聞いている方にしてみたら、へえそうなんだ、だからどうよ、否定してあげてもキリがない、なんてことになる。話してしまってから、しまったと思ったところで後の祭りだ。




これまでの人生、というかブログの中でも自分は今ひとつイケてない、というようなことが多かったけれど、少なくともコロ健はコロ健の味方でいてあげて、コロ健の悪口は言わないようにしてあげたい。私の味方は最後まで私しかいない。

それにしても、日常会話の中から生き方の指針が見つかるなんて驚いた。会話には生き方のヒントが数多く含まれている、まるで宝箱のようなものだ。だから、一方的に話すばかりではなく、相手の言うことにもじっくり耳を傾けないといけない。

そういう言葉を導いてくれた人がいたということにも感謝したいし、これまで生きてきた幸運に感謝し、私と関わってきた人すべてにも感謝しなくてはいけない。

そして、それのことに気がつくことができた自分はやっぱり守ってあげなくちゃ、と思うのだ。

口は災いの元でもあるので要注意

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自分のことを悪く言ってはいけない

2018年01月23日 | 生き方について考える

自分は自分の味方でなくてはいけない。

いくら、辛くて、絶望しかけていても、それは自分が悪かったからそうなったのではない。周りとの関係が今ひとつうまくいかないとか、他人からの評価が低いとか、そんなことが原因なだけだ。自分がやましいことをしていなければ、自分が悪いとか、ダメだとか思う必要はない。そもそも他人を変えることはできない。だから、悩んでも仕方ない。そして、自分のことを悪く言ってはいけない。自分のことをみじめだと言ってはいけない。

自分を応援するということは難しい。かえって自分に無理をさせることになるかもしれない。それでも、自分のことを悪く言わないことぐらいはできる。

ならばと、私なんてどうせ、とか、実は私、とか言ったところで誰も同情してくれない。それなら自分のことを貶めるようなことを言う必要も無い。

他人に自分の悪口を言っても仕方ないのだ。そんなことわざわざ言わなくたって、他人は自分のことを厳しく評価している。何もしないでいたって、悪口なんてどこかから聞こえてくる。ならば、黙っていたらいい。

自分に対しても同じ。自分への悪口なんて言わなくたって、自分のことは自分が一番よくわかっている。

自分は自分の味方でなくてはいけない。

自分を元気づけて、自分のために困難に立ち向かう。そうやって生きていきたいものだ。

悪く言わない、ただそれだけ

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35年ぶり、でもそれは昨日のことのようで

2018年01月22日 | あの頃のこと…思い出話

週末、友人に会った。友人といっても旧友で、会うといっても35年ぶり。

彼とは浪人時代のほんの半年ほどの付き合いだった。医学部志望ということで、同じく浪人していた私の高校の友人を通して顔見知りとなった他校卒の同じく一浪生だった。なぜかウマが合い、いろんなことを話し、いくつかの大学は一緒に受け、合格発表も一緒に見にいった。浪人生活は互いに一年で切り上げ、大学は別の大学に進み、そのまま疎遠になってしまったが、折に触れてどうしているだろうと思い出すことはあった。とくに大学受験の季節となると必ず一度は思い出していたのではないか。

半年ほど前、高校時代の同級生(彼とは年に1、2度集まりがあって会う)が、「オマエ(コロ健)、〇〇って、知っている?あいつ今、俺と一緒のところで仕事しているんだよ」と、「え?」と二の句を継げないでいたら、「オマエのこと、あいつに話したら是非会いたいって、どう?」ということになり、35年ぶりの再会となった。

はたからみれば50代半ばのおっさん3人だが、お互いの目には若かった頃の顔が重なる。その旧友も、浪人時代の思い出の中にあったままの笑顔だった。35年というと随分の年月のように感じられるが、不思議なもので、つい先日あったばかりような気がする。積る話をいちいちするほど時間はなかったが、仕事上の繋がりもあって、再会を約束して別れた。

彼はそのまま大学に残って今では某科の教授だという。母校とは遠くなってしまった私とは大学進学後に歩んだ人生は大きく違う。それでも、お互い、健康と家庭に恵まれたということが、この再会を素晴らしいものにしてくれた。

語らなくていいことは語らない

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残ったご飯でチーズリゾット

2018年01月21日 | 料理・グルメ

少し寝坊してから、ナイトの散歩に出掛けた。

帰ってきたら、昨夜のご飯が残っているからリゾットでも作ろうか、と妻がいうので、たまには僕がと、コロ健が作ることにした。炊飯器の中を見たら2合ほどお冷やがあった。

1)ニンニク人ひとかけをスライスしてオリーブオイルで炒める。

2)半分残っていたタマネギをみじん切りにして、1)に加えて炒める。

3)シイタケ(2個)をスライス。ハムを小さめにカットして、2)に加えて炒める。

4)ワイン大さじ2杯と塩胡椒。

5)煮詰まってワインがとんだあたりで、レンジでチンして軽く温め直したごはんを入れる。

6)牛乳250mlとブイヨン1カケを加える。

7)牛乳が温まり、ブイヨンが溶けきったところで、シュレッドチーズだの切れ端だけ残っているチーズを適量加えて温める。

8)チーズが完全に溶けたところで、完成。

9)器に盛り付け、おせち料理に使ったカラスミの残りがまだあったので、すりおろして散らした。

10)緑がなかったのに気がついたので、プランターで育てている春菊を添えた。

牛乳は少し多いかと思ったが、簡単に煮詰まって問題なし。ブランチにはちょうどよく、美味しくて、妻と、やっと起きてきた息子も満足してくれた。

残り物には福

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スターウォーズ/最後のジェダイ (STAR WARS THE LASTJEDI)

2018年01月20日 | 読書、映画、音楽、美術

スターウォーズシリーズ、8作目、スターウォーズ/最後のジェダイ

内容は期待してたほどではなかったし、ヒロインのレイ役の女優さんに少し貫禄が出てしまったのが残念だった。

アクションシーンはNHK”大河”ファンタジー「精霊の守り人」の綾瀬はるかの短槍使いの方が上手だった(戦闘シーンも同様)。

 

奮発して3D4DXで観たが、これもなんだかイマイチ。ディズニーランドのアトラクションの感じだ。匂いもしたけど、アメリカ製品のそれ。

次回作は第9作。多分観るとは思うけど、惰性といえば惰性。でも、こういうファンを大事にしてくださいね。

歴史はくり返されるのか

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それぞれの人の才能

2018年01月19日 | 生き方について考える

後輩の病理医で「学生時代、数学の試験で満点以外取ったことなかったんですよ」と言っているのがいた。”すごいね”と感心していたら、「まあ、数学だけでしたが」と付け加えてくれた。なんでも、高校生の頃は数学者になろうと思っていたのが、どういうわけか今では病理医ということらしい。詳しい経緯は聞かなかったが、いろいろあったのだろう。気立てのいい優秀な病理医で、今度留学するらしい。こういう人は、典型的な数学脳、すなわち微積分を感覚的に捉えることのできる才能があるだろう。文系脳の私としては羨ましい才能だ。

コメディカルの私より少し年下の人に、村上春樹の「かえるくん、東京を救う」を勧め、私の文庫本を貸して読んでもらったことがあった。「かえるくんは、片桐さん(主人公)?」と一言付け加えて返してくれた。かえるくんを社会全体のメタファーとして捉えていた私とは、まったく違う解釈でびっくりした。それに、そっちの方が数段スマートだ。感受性は人それぞれだけど、文系脳を自負している割には考え方が浅かった自分がちょっと残念に思える。

だからといって、私の数学的才能がどうとか、感受性がどうとかを言いたいのではない。人間誰しもそれぞれ素晴らしい才能を持っているに違いないということ。自分の才能に気づいた人はそれを存分に伸ばしたらいいし、それでも叶わない人もいる。かといってそれがわからないと自分探しをする必要もないだろう。それぞれの人が、それぞれいる場所で、一生懸命”何か”をやっていたら、その才能が生かされてくる場面が出てくるに違いない。

人間誰しもそうで、私、コロ健だってそうだと思えば、毎日の仕事も頑張ろうと思える。人間誰しも今いるところで、全力を尽くすことが未来を切り開くことになる。

だから、ブラック・いじめは許されない

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昨日の雨は

2018年01月18日 | 日々思うこと、考えること

昨日の雨はずいぶんな降りだった。帰宅時ということもあって電車のダイヤも乱れて辛かった。
今日はいい天気になって、気温も上がるそう、私も調子を上げていこう。


鎌倉の朝は濃霧

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やる気の尻尾を手放すな

2018年01月17日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと

ここのところ毎晩見る夢は仕事かそれに関連したこと。夢判断は素人のコロ健でも、仕事がプレッシャーになっていることは明らかだ。今の私がスペシャリストとして認められているのは、過去20年ほどやって来た領域のこと。でも、3年前に異動があって、ここ2年では施設を2カ所移ったことで、日常的にその領域のことを考えていることができなくなった。

今では、一般病院の病理医としての仕事が6割、専門的な仕事が研究を含め4割といったところ。いわゆるエフォートは40%だ。今度の仕事を頼まれてから以前のような”キレ”がなかなか戻ってこない。専門病院で優秀な臨床医と一緒に日々研鑽を積んでいた頃は次々とアイディアが浮かんで来たけれど今は畑違いの仕事の日々、なかなかその頃の現場感覚が戻ってこない。日常の病理診断業務はそれでとても大事な仕事なので、決しておろそかにはできないが、この世界では私は一介の病理専門医に過ぎない。

それでも、今朝、また早くに目が覚め、寝付けない中であれこれ構想を練っていたら、記憶のずいぶん奥の方から過去の”キレ”の感覚のかけらが出てきた。なんとかその尻尾を捕まえることができたので、このまま全部を引きずり出せたらいいと思っている。老けこむのはまだ早い、もうひと頑張りしたいところだ。

頑張れコロ健!

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