実はヴィンタートゥールに行ったことがある。ヴィンタートゥールに行ったのは、オスカー・ラインハルト美術館が目当てで半日しかなかったため、ヴィンタートゥール美術館には目もくれずということになってしまったが、オスカー・ラインハルト美術館の新館が休みだとわかった時点で行くべきだった。
ヴィンタートゥールはチューリッヒから列車で30分くらいなので遠い距離ではないが美術好き以外はまず訪れないところだろう。というのもオスカー・ラインハルト美術館があるからだ。新館と旧館があり、先述のとおり新館には行けなかったが、旧館だけ訪れた。旧館は本当に小さな建物で紹介するほどのものでもないが、ヴィンタートゥールには、ほかにもいくつか美術館があり、1日たっぷり過ごすべき価値のある町であったのだ。
スイスは人口あたりの美術館、博物館が世界で一番多いそうだ。しかし、あまりに物価が高いため、なかなか行く機会がなかった。それが行けたのはKLMのマイレージを貯めて、航空運賃がただになったから。また貯まったらスイス行きに使おう、いつになるか分からないけれど。
行けばよかったと後悔したヴィンタートゥール美術館の日本で初めての本格的公開が本展。スイスは宗教改革の先端地でもあって、キリスト教美術は豊かではない。そして、永世立国の立場故、ナチスドイツに敵視された近代美術も多く所蔵している。そしてヴィンタートゥール美術館の魅力はこの「近代美術」である。
近代美術という場合、その多くはフランスの印象派から数えられ、第2次大戦前後の制作を指すことが多いと思われるが、ナチスが嫌ったバウハウスの教授陣、ドイツ表現主義、フォービズム、キュビズムなど輪郭をぼかすことで「自然」を意識した印象派から、より機能的、即物的とも言える簡明さで「近代」を認識させた美術作品を多く有しているのがヴィンタートゥール美術館である。
なかでもモーリス・ドニに代表されるナビ派の作品は秀逸である。ナビ派の成立には後期印象派と象徴主義が大きな役割を果たしていると言われるが、ナビ派の理解には輪郭をぼかすことで成立した印象派と輪郭こそ描かれるべきとしたドイツ表現主義などの間に、いわば、迷いありき落とし子のような形で現出したことが面白い。後期印象派にくくられるルドンは、その神秘性からナビ派の先導的役割に見えるし、一方、ある意味平板なナビ派の描写法はキュビズムとは言わないまでも、象徴主義を先取りしているように見えるのは明らかだ。ただ、クリムトなどの象徴主義は、被写体に直接的対峙したフォービズムやドイツ表現主義などとは別物の耽美主義と解していいだろう。だから、ナビ(ヘブライ語で「預言」)との近接性が伺われて違和感がないのである。
もちろん本展はナビ派だけではない。しかし、印象派と20世紀美術の間にあって正当な評価、あるいは、その抽象性故にぐっとファンが減る(日本だけの事象か?)キュビズムなどの分岐した表現世界を俯瞰できるだけのコレクションであることは間違いない。
先に挙げただけではない。イタリア未来派、日本ではあまり知られていないスイスの近代絵画なども取りそろえている。そして最後を締めているのはスイスを代表する、それこそ抽象主義にも見える具象の彫刻家ジャコメッティの「林間地」である。本展は、近代美術の宝庫としてのスイスを再確認できるのである。
ヴィンタートゥールはチューリッヒから列車で30分くらいなので遠い距離ではないが美術好き以外はまず訪れないところだろう。というのもオスカー・ラインハルト美術館があるからだ。新館と旧館があり、先述のとおり新館には行けなかったが、旧館だけ訪れた。旧館は本当に小さな建物で紹介するほどのものでもないが、ヴィンタートゥールには、ほかにもいくつか美術館があり、1日たっぷり過ごすべき価値のある町であったのだ。
スイスは人口あたりの美術館、博物館が世界で一番多いそうだ。しかし、あまりに物価が高いため、なかなか行く機会がなかった。それが行けたのはKLMのマイレージを貯めて、航空運賃がただになったから。また貯まったらスイス行きに使おう、いつになるか分からないけれど。
行けばよかったと後悔したヴィンタートゥール美術館の日本で初めての本格的公開が本展。スイスは宗教改革の先端地でもあって、キリスト教美術は豊かではない。そして、永世立国の立場故、ナチスドイツに敵視された近代美術も多く所蔵している。そしてヴィンタートゥール美術館の魅力はこの「近代美術」である。
近代美術という場合、その多くはフランスの印象派から数えられ、第2次大戦前後の制作を指すことが多いと思われるが、ナチスが嫌ったバウハウスの教授陣、ドイツ表現主義、フォービズム、キュビズムなど輪郭をぼかすことで「自然」を意識した印象派から、より機能的、即物的とも言える簡明さで「近代」を認識させた美術作品を多く有しているのがヴィンタートゥール美術館である。
なかでもモーリス・ドニに代表されるナビ派の作品は秀逸である。ナビ派の成立には後期印象派と象徴主義が大きな役割を果たしていると言われるが、ナビ派の理解には輪郭をぼかすことで成立した印象派と輪郭こそ描かれるべきとしたドイツ表現主義などの間に、いわば、迷いありき落とし子のような形で現出したことが面白い。後期印象派にくくられるルドンは、その神秘性からナビ派の先導的役割に見えるし、一方、ある意味平板なナビ派の描写法はキュビズムとは言わないまでも、象徴主義を先取りしているように見えるのは明らかだ。ただ、クリムトなどの象徴主義は、被写体に直接的対峙したフォービズムやドイツ表現主義などとは別物の耽美主義と解していいだろう。だから、ナビ(ヘブライ語で「預言」)との近接性が伺われて違和感がないのである。
もちろん本展はナビ派だけではない。しかし、印象派と20世紀美術の間にあって正当な評価、あるいは、その抽象性故にぐっとファンが減る(日本だけの事象か?)キュビズムなどの分岐した表現世界を俯瞰できるだけのコレクションであることは間違いない。
先に挙げただけではない。イタリア未来派、日本ではあまり知られていないスイスの近代絵画なども取りそろえている。そして最後を締めているのはスイスを代表する、それこそ抽象主義にも見える具象の彫刻家ジャコメッティの「林間地」である。本展は、近代美術の宝庫としてのスイスを再確認できるのである。
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