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ホロコーストの記憶を永く 「メンゲレと私」『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』

2024-02-08 | 映画

「メンゲレと私」は、「ホロコースト証言シリーズ」の制作を続けるクリスティアン・クレーネ監督とフロリアン・ヴァイゲンザマー監督の3作目である。1作目の「ゲッベルスと私」(「「あなたがポムゼルの立場ならどうしていましたか?」 ゲッベルスと私」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/f0d385cd52dac4df57216f08e3169402)のポムゼルのようにナチスの宣伝相ゲッベルス側近のポムゼルのように、アウシュヴィッツの悪魔の医者ヨーゼフ・メンゲレの一挙手一投足を垣間見たわけではない。ダニエル・ハノッホは当時少年で、労働力にならない老人、女性、子どもは到着後すぐにガス室送りになったのに、その容姿をメンゲレに好まれ生き延びたからだ。アウシュヴィッツを生き延びたからといってすぐに解放されたわけではない。彼は、アウシュヴィッツで遺体を運ぶ仕事に従事させられ、戦争末期にはマウトハウゼン強制収容所やグンスキルヒェン強制収容所も経験している。そこではカニバリズム目撃も。「過酷」と一言では言い表せないほどの体験を生き延びた12、3歳の彼の支えは何であったか。リトアニア出身のハノッホは、ドイツ国内以上のユダヤ人差別を目の当たりにし、アウシュヴィッツでは己を無感情にして過ごした。「アウシュヴィッツは(よき)学校だった」とも。それはいつかユダヤ人の希望の地、パレスチナに辿り着けると思ったからという。そのパレスチナの地を奪ったイスラエルがガザを始め、アラブ人世界に何をなしているか、現在の状況は語るまでもない。

『沈黙の勇者たち ユダヤ人を救ったドイツ市民の戦い』(岡典子 2023新潮選書)は、表題の通り、ナチス政権が倒れるまでベルリンをはじめドイツ全土で潜伏し、生き延びたユダヤ人およそ5千人を助けたドイツ人との物語である。もちろん入手できる範囲の史資料を渉猟した史実だ。

ある者はユダヤ人の潜伏ネットワークを駆使して、ある者はナチス高官、ゲシュタポの警察官など政権のユダヤ人滅殺を遂行する立場の手助けさえあった。中でも、大きな力となったのがキリスト教関係者である。ユダヤ人だからといってキリスト教と敵対的であるとは限らない。そもそも両宗教は同根だ。もちろん教会の牧師一人が援助できるわけではない。その教会を支える多くの地元ドイツ人たちが役割を担ったから起こし得た救助ネットワークであったのだ。あの時代、ユダヤ人を匿ったりすれば自身も大きく罪に問われる。そのような危険な立場になぜ置けたのか。それは、困っている人を助けたいという純粋に「手を差し伸べる」認識で「できる範囲で」手伝った者が多かったからであろう。そして潜伏していたユダヤ人をはじめ、ドイツ人の中にもこのようなひどい時代はいつか終わる、と信じていたからと思える。

オスカー・シンドラーや杉原千畝のように後世に名の残る、何らかの決定権を持った人たちではない、市民が一人ひとり隣人を支えたのだ。ただ、潜伏を始めたユダヤ人はおよそ1万から1万2000人。半数は生き延びられなかったという。それでも10数年にも及んだナチス政権を生き延びた人がこれほどいたことに驚きを覚える。

アウシュヴィッツを生き延びたハノッホは、自身をささえる糧に希望を語った。シベリア抑留を生き延びた小熊英二さんの父親も「希望」を胸に生き延びたという。「希望」がない、語れない国は滅びる。少子化がどんどん進み、次世代を生まず、育てないのは希望がないからという小熊英二さんの言葉を噛み締める。

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