いよいよ武者行列が始まりました。
途中、信号待ちなどもあり、
甲冑武者がしばらく城下町を歩いた後、城前の広場に集結です。
写真にも「小牧・長久手の戦い」とありますが、なぜ犬山城にこの文字があるかという説明をここで少し。
「小牧・長久手の戦い」といえば歴史の教科書にも出てくるので、ご存知の方も多いかと思いますが、ここ犬山城は豊臣秀吉が一時的に入城した城でもあります。
それに対して、徳川家康が入ったお城が小牧山城。
両者が対峙した後、暫くの間膠着状態が続きます。
その状況を打開すべく、池田恒興や森長可らの武将が、家康の陣を迂回し、家康の本拠地である岡崎城を一気に衝こうとします。
しかし、それに気づいた家康軍が追撃し、激戦が行われた場所が、愛知県長久手市方面となります。
長久手には、「長久手古戦場」があり、その戦いの様子が解説された郷土資料室もありますので、興味がある方は是非そちらもご見学下さい。
(我が家もずいぶん前に一度見学しました)
この「小牧・長久手の戦い」の局地的な勝利により、その後の家康の評価や豊臣政権での立場が決まったとも言われており、歴史的に重要な意味のある戦いでした。
ドラマ「軍師 黒田官兵衛」では、官兵衛がこの合戦には参加していなかったことが、家康の本拠地を衝くといった無謀な作戦を決行させてしまった一つの要因のように描かれていましたね。
さて、蘊蓄はここまでにしておいてと・・・
自分があちこち歩きまわっている間に、このお祭りでも「小牧・長久手の戦い」の色々な場面が演じられていたそうです。(見てないので詳細は解りません・・・)
ところで、みんなが集まっているこの広場ですが、道路側からしか見学できませんでした。
また、それほど広さもなく、高さも周りと同じため、人の壁の後ろでは、ほとんど武者が見えないのが残念。
城下町での開催なので、広い場所の確保が難しいんでしょうね。
ちなみに関ヶ原などでも、同様に甲冑姿の武将がお祭りに登場するそうです。
そちらも是非一度見学に行きたいと思います。
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それに対して、徳川家康が入ったお城が小牧山城。
両者が対峙した後、暫くの間膠着状態が続きます。
その状況を打開すべく、池田恒興や森長可らの武将が、家康の陣を迂回し、家康の本拠地である岡崎城を一気に衝こうとします。
しかし、それに気づいた家康軍が追撃し、激戦が行われた場所が、愛知県長久手市方面となります。
長久手には、「長久手古戦場」があり、その戦いの様子が解説された郷土資料室もありますので、興味がある方は是非そちらもご見学下さい。
(我が家もずいぶん前に一度見学しました)
この「小牧・長久手の戦い」の局地的な勝利により、その後の家康の評価や豊臣政権での立場が決まったとも言われており、歴史的に重要な意味のある戦いでした。
ドラマ「軍師 黒田官兵衛」では、官兵衛がこの合戦には参加していなかったことが、家康の本拠地を衝くといった無謀な作戦を決行させてしまった一つの要因のように描かれていましたね。
さて、蘊蓄はここまでにしておいてと・・・
自分があちこち歩きまわっている間に、このお祭りでも「小牧・長久手の戦い」の色々な場面が演じられていたそうです。(見てないので詳細は解りません・・・)
ところで、みんなが集まっているこの広場ですが、道路側からしか見学できませんでした。
また、それほど広さもなく、高さも周りと同じため、人の壁の後ろでは、ほとんど武者が見えないのが残念。
城下町での開催なので、広い場所の確保が難しいんでしょうね。
ちなみに関ヶ原などでも、同様に甲冑姿の武将がお祭りに登場するそうです。
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