達成感の反意語は敗北感らしい。それを今日、西国分寺駅で武蔵野線から中央線に乗り換える時、まざまざと味わった。いつ頃までだったか、上り階段の一段飛ばしに不自由を感じなかったのが、あれれ、5回もやると思うように足が上がらずころびそう。息を切らしながら、「老いは足から」を黙唱して今年の反省ノートに刻み込んだ。上下中央にバランスがとれたエクササイズでないと巧いこといかないのはオーディオと一緒。鉄棒や腕立て腹筋に懲り過ぎて、これぞ灯台もと暗しってやつだ。が、こうした一種の窮状に巻き返しをはかる快感を忘れないのが体育会系だ。体重を落とすより上げる方が楽なのに似ている。炎暑時でなかったのもこれ幸いだ。写真は、誰彼に説明するたび首をかしげられる、我が仕事部屋の鉄棒。この後、棒前にからだが行った時、重心を浮かせると同時に、一気に逆手に持ち替える。笑われようがバカにされようが、これでここ3年、「私は今日まで生きてきました」なのだ。明日からまずスクワットを再開することにした。