落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

篠山市今田町 虚空蔵山(592m)

2006年12月11日 | 散歩・山歩き

 明日から天気は下り坂となる、貴重な晴れの一日、篠山市今田町の虚空蔵山(こくぞうさん)に出かけた。

 陶の郷登山口(10:00)~登山道~虚空蔵山(11:30)昼食~遊歩道~藍本方面分岐(12:30)~陶の郷登山口(13:00)

 風はないものの空気は冷たく、頂上の気温は8度だった。
 頂上までの登りでは誰にも会わなかったが、頂上で一服していると藍本方面から夫婦(多分)が登ってきていた。下山道では中年男性とすれ違ったのみで静かな山歩きだった。

 麓にコメディアン大村崑さん経営の「崑の村」という大きな農家を改造した施設があった。残念ながら日曜だけの営業で喫茶店があり演劇も上演されるらしい。

 時間もたっぷりあったので「ぬくもりの郷」へまわり温泉に入った。例の露天風呂で岩を枕に流れる雲を眺めて温もった。ささやかな贅沢、いやとんでもない贅沢と将来歩けなくなったら思い出すことになるやも知れない。

 帰宅:16:35 バイク走行距離:100km

(HPにスライド掲載しています)

開戦記念日

2006年12月08日 | 日常・身辺
 1941年(昭和16年)の今日、太平洋戦争が始まった。

 NHK「その時歴史が動いた」より

シリーズ真珠湾への道 <前編>~山本五十六 苦渋の作戦立案~
その時: 昭和16 (1941) 年1月7日
出来事: 連合艦隊司令長官・山本五十六 (やまもと・いそろく) が真珠湾攻撃の作戦書を海軍大臣に提出

太平洋戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃。この作戦を指揮した連合艦隊司令長官・山本五十六の生涯を描く2回シリーズ。前編は、山本が作戦を立案するまでを描く。
日本海海戦に参戦した山本は、その後“大艦巨砲主義”を掲げる海軍で、着実に出世を重ねる。しかし、アメリカの現地視察でその強大な国力を目のあたりにし、対米戦は日本を壊滅させる暴挙と確信。一転して非戦を主張、軍事強硬派に抵抗をつづける。
しかし日本は日米戦争に突入。皮肉にも、その作戦を担うことになったのが、連合艦隊率いる山本だった。
長官を辞するか、それとも軍人として職務を全うするか。葛藤の末、山本は軍人として日本を守る決意を固める。しかし、大国アメリカを相手にどのように戦えば、日本を最小限の犠牲で守れるか。模索を繰り返すなか、山本はひとつの作戦を生み出す。それは、航空隊でアメリカの軍事拠点・真珠湾を撃破するというものだった。
巨大戦艦の戦いが主流だった当時、航空機による敵地攻撃など前代未聞。それでも山本は、緒戦で敵に大打撃を与え、戦争を短期終結させることしか日本が生き残る道はないと考え、真珠湾作戦にすべてを賭ける。
(※視聴者の皆さまの反響にお応えし、アンコール放送。初回放送は、平成17年11月30日)

 開戦論が大勢の中、非戦論で孤軍奮闘した山本五十六が皮肉にも連合艦隊を率いて真珠湾攻撃作戦を担う事になっていく経緯が描かれていた。
 支那事変以降常に政府部内に不拡大論があるにもかかわらずズルズルと戦争への道を歩み、戦争反対を唱えれば非国民とされる状況にまでなった。覇権を争う世界情勢や、軍部の台頭、戦争を煽るマスコミの世論操作、しだいに感化される国民の意識などが背景にあったらしいが全貌を知るのはなかなか難しい。

 ひるがえって現在はどうだろうか。中共は核保有する北朝鮮をなかば呑み込み、なにやら日清戦争前を想起させる。沖縄(琉球)も元は中国領だったと云っているらしい。米はブッシュ政権にかげりが出て日本に対する核の傘が小さくなりつつある。火の粉は自分で払わなければならなくなっているにもかかわらず相変わらず「改憲」「核論議」すらタブー視する政党やマスコミがある。戦前とは正反対だがこれもまた極端な気がする。

 歴史は繰り返すと云われる。そのまま繰り返すことのないよう為政者、マスコミにはよく分析してもらいたい。

人生はシーソーのようなもの

2006年12月07日 | 写真・絵



絵:元康さん

* * * * *


今日は24節気の「大雪」とか、冷たい雨で菊水山も煙っていました。
言葉はNHK朝の連ドラから引用されたそうです。
ちなみにこの含蓄のある言葉で検索をかけると、沢山のブログがあり、しばしあれこれと読みふけってしまいました。

段ヶ峰に巨大風車が・・

2006年12月04日 | 日常・身辺
 10月17日に訪れた「段ヶ峰」、あのたおやかで美しい尾根に高さ130mの風力発電の巨大風車が12基建設されるという。
 私が歩いたときは、上空は真っ青、風もなく穏やかな素晴らしい天気だった。段ヶ峰の自然というHPで貴重な自然と建設計画のいきさつが報告されている。
 これから人口減に向かうとき、また数々の省エネ製品が開発されているとき果たして電力需要は伸びるのか、またあの場所が本当に適切なのか、他の発電装置、場所はないのか。想像するだに残念で、真剣に検討していただき思いとどまって欲しいと願うばかりだ。
(HPのスライド写真もご参照ください)

杣谷から摩耶山へ

2006年12月03日 | 散歩・山歩き
朝起きると快晴。朝飯も早々にして思いつきのコースで摩耶山を歩くことにする。

 阪急六甲~灘丸山公園杣谷登山口(10:30)~杣谷~杣谷峠(12:00)~穂高湖(昼食)~摩耶山天上寺~(13:00)桜谷~徳川道~又ヶ谷(山田道)~森林植物園(14:30)=(無料バス)=北鈴蘭台

 山上はさすがに風が冷たくなった。日陰には霜柱が残っているところがあった。
 今までの反省もあってステッキは使わずにさっさと歩くことを心がけた。
山上から見た杣谷、灘方面杣谷徳川道
杣谷峠摩耶山から菊水山を望む
葉が落ちて明るくなった桜谷徳川道
又ケ谷(山田道)

品性もなく厚顔無恥な連中

2006年12月02日 | 世相
 このメルマガを読み絶句した。彼らは本当に日本人なのかと。
 以下メルマガ【桜ニュースダイジェスト】7号より引用

『週刊金曜日』主催・緊急市民集会の実態!
                    -本間尚代氏に聞く

 去る11月19日、日比谷公会堂にて開かれた『週刊金曜日』主催
「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民
集会」の壇上で繰り広げられた皇室風刺パフォーマンスや登壇者の
発言について、その品性・知性を欠いた有様を目にされた本間尚代
氏に、「報道ワイド日本(11月30日号)」にてお話を伺いました。

本間)
さる、11月19日、日比谷公会堂でした。
私は「週刊金曜日」主催の"憲法改正反対"
講師は、筑紫・本多・佐高ということで、私は行ってみました。
私と反対のことを言うのではないかと思って行ってみました。
……(略)……
最初、私もなんだかわからなかったのですが、舞台の上手から、
女装して顔を真っ白に塗った本当に皇后様の御髪のようなカツラを
かぶって黒いスカートをはいて白いカーディガンを着て男が出てきま
した。
まず、その前に、「今日は特別な日なので、千代田区一丁目一番
地から高貴なお方の奥さんが出席される」という紹介があったのです。
どなたのことかなぁ、と嫌な思いもしていたのですが、そうしたら、その
女装の男が出てきました。

三輪)
これが大事なポイントで佐高氏がこの日の司会だったようですが、
あとで、それは皇室の事なんていっていない、と。ということを週刊新潮
で弁明しているのです。
ところが、一丁目一番地なんていうのは、なおかつ高貴な方なんていう
のは、もうその方しかいないわけですから、弁明にもなってないわけです。

本間)
そうです。そして、皇后様の口調が憎らしい程よく似ているのです。
「本日は雨の中多くの国民が集まっている中、何の集会か知りません
が…」と言ったら、会場は爆笑でした。そして、その後に、
「先日、主人がソフトバンクの王監督と会ったとき、日の丸の後押し
があったから優勝できました、といったけど、この方が日の丸を言うのは
おかしいのじゃないか」とか、
「昨年は、世間が騒がしかった。だけど、次男のところに男の子が生ま
れた。そうしたら、静かになった。今日はその子を連れてきた。ちょっと
連れてきて」と下手に声をかけました。
そしたら、ベビーケープをかけた人形のようなものを男の人が無造作に
抱いて出てきました。そして、その皇后様の真似をしている者へポンっ
という感じで渡しました。

三輪)
それは人間の人形ですか?

本間)
いいえ。猿の人形でした。
……(略)……
その人形をみんなのほうに見せながら、わざと手を動かして、腹話術の
人形のように動かして「ヒサヒト、ヒサヒト」と言ってるんです。
そして、「本家に男の子が生まれればお前なんかいらない!」といって、
今度は下手の方へポーンっと高く上に放り投げました。
そうしたときには、さすがに、私の周りの中年の人たちは声もなくなりま
した。それまでは笑っておりましたが、笑っているのは若い人とか、意味
がわかっていない人だと思います。
もう、確実に皇室に対しての芝居をやったのです。
……(略)……
「民間に戻りたい。戻りたい。」ですとか、「選挙権を与えてやれば
よい」ですとか、そういった言葉で侮辱をしている。
……(略)……
矢崎泰久という人と、中山千夏という人が出てきました。そして、
「あなたのご主人は病気ですよね?」と言って、天皇様のことを言わせ
ようと、仕向けていました。
新潮のほうには、演じた石倉直樹というのが「のせられた」と言って
ますが、わたしも、その場では、そうだったのかな、と思いました。
間がありましたから。
それで、「何の病気ですか?」とか、その皇后様の真似をしている
役者が、「マエタテ・マエタテ・前立腺」とかそういうことまで言ってました。
それから先は、私の口からは憚られるような言葉が続いたのですが、
新潮の方はそこのところもきちっと取材して書いて下さってます。
……(略)……
そして、私は、自分の家の孫を、もし人形にたとえて名前を呼び捨て
されたり、放り投げられたりしたら、私たちは訴えたり、どうすることも
できるのです。
ところが、皇室の方たちはそういう反論すらもおできにならないのに、
そういう人たちを話題にすること自体が卑怯だと思って、
私は許せないと思って、帰ってきました。

三輪)
佐高信氏が「一丁目一番地、高貴な方…」これを自分で言ってる
わけですね。もし、この人が自分の孫がいたとして、それを猿に仕立て
られてそんなことされたら、絶対訴えるでしょう。
……(略)……
美智子皇后様を演じたのは石倉直樹(49歳)と。

本間)
はい。私は最初、永六輔だと思ったんですよ。永六輔がいつもやってる
マネとおなじようでしたから。はじめから、私の周囲の人も「永六輔だ」と
いってましたから。
私も始めから信じていたのですが、後で調べていきますと、石倉直樹、
「他言無用」というグループのメンバーで、今までもあちらこちらで、
皇后様をネタにしてやっていた、と。
これはインターネットでもすぐ出てくるそうでして、永六輔の相棒として
有名だそうです。
今回、取材した新潮の記者の方がおっしゃるには「この石倉が一番
正直だった」と、他の人は皆逃げてしまって、この記事を書くのに何度も
取材したそうです。

三輪)
私が許せないのは、司会を務めた佐高氏の反応です。新潮の記事
によると、佐高氏は「"皇室"なんて一言も言ってない」と。
……(略)……
この人は、自分に自信があるなら、なんでちゃんと取材を受けないん
だろう??? 佐高さん、この番組来てください!!!

本間)
週刊金曜日の出席者が対談をしているのですが、みな、何か自信の
なさげにボソボソと…本多勝一 ・城山三郎はじめ…
私は、筑紫さんの生を聴きたくて行ったのですが来てませんでした。
あとで、そこの会の方に聞いたところ、「今日は都合で来られなくなり
ました」と言われました。

三輪)
筑紫氏も一応曲りなりにも地上波でニュースキャスターやってますから、
皇室の慶事のときには、一応最低限の敬語は使ったりしなければなら
ない立場ですから、それがここにきたら敬語どころの騒ぎじゃないわけ
ですから、まぁ逃げちゃったんでしょうねぇ。

本間)
それから、特別ゲストして、上原公子、これは国立の市長ですね。
この人は、イラク派兵に反対したことなどを得々と話すのです。
そして、そのときに、岸恵子さんと吉永小百合さんが支援者だったと。

三輪)
吉永小百合なんてのは札付きのサヨクですからね。

本間)
私は、吉永さんのことは、「通販生活」で読んでましたから、そう思って
読んでました。
この市長は他にも、「安倍一族は恐ろしい」ですとか、「このままいくと、
軍靴が町中に響く…」ですとか、ここで、中山千夏は「"象徴"なんて
いらない」とまで言っているのです。
そして、それまでの話も全部、支離滅裂です。
この人は国会議員になって、我々の税金で生活したこともあるわけで
すよね。ですから、なお許せません。
それから、男だろうと女だろうと直系が天皇になればいいんで、でも、
それも20歳くらいになったら、天皇になりたいかなりたくないか聞いて
それで、嫌だといったらやめさせる、そのうちに、そこがなくなる、と言った
のです。ですから、皇室をなくすためにやってるわけです。
そこまで言って、そして、皇后様に扮している石倉も、「私は民間人に
なりたい!」といって体を揺すりながら、言ってましたけど、そういう言い
方もしてました。
それに対して、中山千夏は、「民間人になりたければ、選挙権を与え
て民間人にしてあげればいい」と、そこまで言ったので
……(略)……

三輪)
これは、やってる人間もちょっと・・・
これは、明らかに天皇の問題というよりも人権の問題でもあるんですよ。
これは逆差別にもなるんですよ。

桜林)
そのあと、永六輔さんは、君が代をアメリカ国家のメロディーで
……(略)……

桜林)
ただ、私が非常に残念なのは、
私は、演芸も好きですし、こういった小劇場なんかも実際にゆきます
が、このような演芸をやっている人たちが、みな、永六輔さんと同じよう
な市民活動的なことをやっていると思ってほしくない、といいますか…
こうやって、永六輔さんが暴走することによって、周囲にある文化まで
否定されちゃうような気がしまして
……(略)……

桜林)
本間さんは、他に活動されていることがあるわけですよね。

本間)
私は教育勅語をもっと取り上げて頂きたいものですから、そういう運動
で色々な所へ行かせて頂きます。そういう所は元気を頂いて帰ってこ
れるのですが、この間のあの集会は疲れました…。家に帰っても頭は
割れそうですし。
(日本)文化チャンネル桜さんでしか放送して頂けないと思って、帰って
きました。これからも、皆で色んなところで情報を集めて行きたいと思い
ます。これも日本中で大きな動きにして行かなければいけないと思って
おります。
(番組からのピックアップ紹介のおわり・・・)

 「週刊金曜日」読んだことはないが、編集者に以下の連中が名を連ねている。
 石坂啓 落合恵子 佐高信 椎名誠 筑紫哲也 本多勝一

 言論自由の日本だが、これをなんと見たらいいのだろうか。
 六輔、小百合、恵子、千夏、石倉 見損なった!

老いる

2006年12月02日 | 日常・身辺
 先日実家の老母(90)を訪ねた。骨粗鬆症で腰の骨を折ってからもう2年近くなり、ようやく痛みもとれたようだ。  見る度に小さくなっているようだが、まずまず元気そうだった。
 「そろそろ寒くなってきたなぁ、去年買った電気あんか出してる?」と聞くと
 「電気あんか? そんなもん知らんで」という。余りにもはっきりと否定するので買ってやったことが自分の勘違いかなと思うほどだが、母の片付けそうな所を色々探し回ったところ出てきた。ちゃんと袋の中に包まれていた。身の回りのことはまだこなしているので、暖かくなってきた頃片付けたのだ。
 「ほら、あったあった。これ見覚えない?」
 「あ、それかいな・・・」とまだ怪訝そうな表情。「もうなぁ、だんだん物忘れがひどくてな」と笑っている。
 「そりゃな、しょうがないわ」と私。

 ついでに同じ頃買ってやった袢纏もまだ出していないようなのであちこちと一緒に探す。もう母のものだけになり空いた箪笥の隅に風呂敷で包んだものがあった。開けてみると「お父さんのところへ行くときに着るもの」と半紙に書かれた白経帷子と観音巡りの朱印袢纏があった。
 「私が死んだら、それを着せてな」という。「よっしゃ、わかったよ」と私。

 一息ついて、持参したパソコンで山の風景などを見せてやりながら世間話をして帰った。
 母は目や耳もそう悪くないので、果たして自分もあのように長生きできるかと思うとはなはだ心許ない。先日も保存容器に入れて置いたご飯が冷蔵庫ではなく食器棚あったし、電子レンジで温めたおかずを翌朝発見するということもあり他人の事は云えない。