落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

品性もなく厚顔無恥な連中

2006年12月02日 | 世相
 このメルマガを読み絶句した。彼らは本当に日本人なのかと。
 以下メルマガ【桜ニュースダイジェスト】7号より引用

『週刊金曜日』主催・緊急市民集会の実態!
                    -本間尚代氏に聞く

 去る11月19日、日比谷公会堂にて開かれた『週刊金曜日』主催
「ちょっと待った!教育基本法改悪 共謀罪 憲法改悪 緊急市民
集会」の壇上で繰り広げられた皇室風刺パフォーマンスや登壇者の
発言について、その品性・知性を欠いた有様を目にされた本間尚代
氏に、「報道ワイド日本(11月30日号)」にてお話を伺いました。

本間)
さる、11月19日、日比谷公会堂でした。
私は「週刊金曜日」主催の"憲法改正反対"
講師は、筑紫・本多・佐高ということで、私は行ってみました。
私と反対のことを言うのではないかと思って行ってみました。
……(略)……
最初、私もなんだかわからなかったのですが、舞台の上手から、
女装して顔を真っ白に塗った本当に皇后様の御髪のようなカツラを
かぶって黒いスカートをはいて白いカーディガンを着て男が出てきま
した。
まず、その前に、「今日は特別な日なので、千代田区一丁目一番
地から高貴なお方の奥さんが出席される」という紹介があったのです。
どなたのことかなぁ、と嫌な思いもしていたのですが、そうしたら、その
女装の男が出てきました。

三輪)
これが大事なポイントで佐高氏がこの日の司会だったようですが、
あとで、それは皇室の事なんていっていない、と。ということを週刊新潮
で弁明しているのです。
ところが、一丁目一番地なんていうのは、なおかつ高貴な方なんていう
のは、もうその方しかいないわけですから、弁明にもなってないわけです。

本間)
そうです。そして、皇后様の口調が憎らしい程よく似ているのです。
「本日は雨の中多くの国民が集まっている中、何の集会か知りません
が…」と言ったら、会場は爆笑でした。そして、その後に、
「先日、主人がソフトバンクの王監督と会ったとき、日の丸の後押し
があったから優勝できました、といったけど、この方が日の丸を言うのは
おかしいのじゃないか」とか、
「昨年は、世間が騒がしかった。だけど、次男のところに男の子が生ま
れた。そうしたら、静かになった。今日はその子を連れてきた。ちょっと
連れてきて」と下手に声をかけました。
そしたら、ベビーケープをかけた人形のようなものを男の人が無造作に
抱いて出てきました。そして、その皇后様の真似をしている者へポンっ
という感じで渡しました。

三輪)
それは人間の人形ですか?

本間)
いいえ。猿の人形でした。
……(略)……
その人形をみんなのほうに見せながら、わざと手を動かして、腹話術の
人形のように動かして「ヒサヒト、ヒサヒト」と言ってるんです。
そして、「本家に男の子が生まれればお前なんかいらない!」といって、
今度は下手の方へポーンっと高く上に放り投げました。
そうしたときには、さすがに、私の周りの中年の人たちは声もなくなりま
した。それまでは笑っておりましたが、笑っているのは若い人とか、意味
がわかっていない人だと思います。
もう、確実に皇室に対しての芝居をやったのです。
……(略)……
「民間に戻りたい。戻りたい。」ですとか、「選挙権を与えてやれば
よい」ですとか、そういった言葉で侮辱をしている。
……(略)……
矢崎泰久という人と、中山千夏という人が出てきました。そして、
「あなたのご主人は病気ですよね?」と言って、天皇様のことを言わせ
ようと、仕向けていました。
新潮のほうには、演じた石倉直樹というのが「のせられた」と言って
ますが、わたしも、その場では、そうだったのかな、と思いました。
間がありましたから。
それで、「何の病気ですか?」とか、その皇后様の真似をしている
役者が、「マエタテ・マエタテ・前立腺」とかそういうことまで言ってました。
それから先は、私の口からは憚られるような言葉が続いたのですが、
新潮の方はそこのところもきちっと取材して書いて下さってます。
……(略)……
そして、私は、自分の家の孫を、もし人形にたとえて名前を呼び捨て
されたり、放り投げられたりしたら、私たちは訴えたり、どうすることも
できるのです。
ところが、皇室の方たちはそういう反論すらもおできにならないのに、
そういう人たちを話題にすること自体が卑怯だと思って、
私は許せないと思って、帰ってきました。

三輪)
佐高信氏が「一丁目一番地、高貴な方…」これを自分で言ってる
わけですね。もし、この人が自分の孫がいたとして、それを猿に仕立て
られてそんなことされたら、絶対訴えるでしょう。
……(略)……
美智子皇后様を演じたのは石倉直樹(49歳)と。

本間)
はい。私は最初、永六輔だと思ったんですよ。永六輔がいつもやってる
マネとおなじようでしたから。はじめから、私の周囲の人も「永六輔だ」と
いってましたから。
私も始めから信じていたのですが、後で調べていきますと、石倉直樹、
「他言無用」というグループのメンバーで、今までもあちらこちらで、
皇后様をネタにしてやっていた、と。
これはインターネットでもすぐ出てくるそうでして、永六輔の相棒として
有名だそうです。
今回、取材した新潮の記者の方がおっしゃるには「この石倉が一番
正直だった」と、他の人は皆逃げてしまって、この記事を書くのに何度も
取材したそうです。

三輪)
私が許せないのは、司会を務めた佐高氏の反応です。新潮の記事
によると、佐高氏は「"皇室"なんて一言も言ってない」と。
……(略)……
この人は、自分に自信があるなら、なんでちゃんと取材を受けないん
だろう??? 佐高さん、この番組来てください!!!

本間)
週刊金曜日の出席者が対談をしているのですが、みな、何か自信の
なさげにボソボソと…本多勝一 ・城山三郎はじめ…
私は、筑紫さんの生を聴きたくて行ったのですが来てませんでした。
あとで、そこの会の方に聞いたところ、「今日は都合で来られなくなり
ました」と言われました。

三輪)
筑紫氏も一応曲りなりにも地上波でニュースキャスターやってますから、
皇室の慶事のときには、一応最低限の敬語は使ったりしなければなら
ない立場ですから、それがここにきたら敬語どころの騒ぎじゃないわけ
ですから、まぁ逃げちゃったんでしょうねぇ。

本間)
それから、特別ゲストして、上原公子、これは国立の市長ですね。
この人は、イラク派兵に反対したことなどを得々と話すのです。
そして、そのときに、岸恵子さんと吉永小百合さんが支援者だったと。

三輪)
吉永小百合なんてのは札付きのサヨクですからね。

本間)
私は、吉永さんのことは、「通販生活」で読んでましたから、そう思って
読んでました。
この市長は他にも、「安倍一族は恐ろしい」ですとか、「このままいくと、
軍靴が町中に響く…」ですとか、ここで、中山千夏は「"象徴"なんて
いらない」とまで言っているのです。
そして、それまでの話も全部、支離滅裂です。
この人は国会議員になって、我々の税金で生活したこともあるわけで
すよね。ですから、なお許せません。
それから、男だろうと女だろうと直系が天皇になればいいんで、でも、
それも20歳くらいになったら、天皇になりたいかなりたくないか聞いて
それで、嫌だといったらやめさせる、そのうちに、そこがなくなる、と言った
のです。ですから、皇室をなくすためにやってるわけです。
そこまで言って、そして、皇后様に扮している石倉も、「私は民間人に
なりたい!」といって体を揺すりながら、言ってましたけど、そういう言い
方もしてました。
それに対して、中山千夏は、「民間人になりたければ、選挙権を与え
て民間人にしてあげればいい」と、そこまで言ったので
……(略)……

三輪)
これは、やってる人間もちょっと・・・
これは、明らかに天皇の問題というよりも人権の問題でもあるんですよ。
これは逆差別にもなるんですよ。

桜林)
そのあと、永六輔さんは、君が代をアメリカ国家のメロディーで
……(略)……

桜林)
ただ、私が非常に残念なのは、
私は、演芸も好きですし、こういった小劇場なんかも実際にゆきます
が、このような演芸をやっている人たちが、みな、永六輔さんと同じよう
な市民活動的なことをやっていると思ってほしくない、といいますか…
こうやって、永六輔さんが暴走することによって、周囲にある文化まで
否定されちゃうような気がしまして
……(略)……

桜林)
本間さんは、他に活動されていることがあるわけですよね。

本間)
私は教育勅語をもっと取り上げて頂きたいものですから、そういう運動
で色々な所へ行かせて頂きます。そういう所は元気を頂いて帰ってこ
れるのですが、この間のあの集会は疲れました…。家に帰っても頭は
割れそうですし。
(日本)文化チャンネル桜さんでしか放送して頂けないと思って、帰って
きました。これからも、皆で色んなところで情報を集めて行きたいと思い
ます。これも日本中で大きな動きにして行かなければいけないと思って
おります。
(番組からのピックアップ紹介のおわり・・・)

 「週刊金曜日」読んだことはないが、編集者に以下の連中が名を連ねている。
 石坂啓 落合恵子 佐高信 椎名誠 筑紫哲也 本多勝一

 言論自由の日本だが、これをなんと見たらいいのだろうか。
 六輔、小百合、恵子、千夏、石倉 見損なった!

老いる

2006年12月02日 | 日常・身辺
 先日実家の老母(90)を訪ねた。骨粗鬆症で腰の骨を折ってからもう2年近くなり、ようやく痛みもとれたようだ。  見る度に小さくなっているようだが、まずまず元気そうだった。
 「そろそろ寒くなってきたなぁ、去年買った電気あんか出してる?」と聞くと
 「電気あんか? そんなもん知らんで」という。余りにもはっきりと否定するので買ってやったことが自分の勘違いかなと思うほどだが、母の片付けそうな所を色々探し回ったところ出てきた。ちゃんと袋の中に包まれていた。身の回りのことはまだこなしているので、暖かくなってきた頃片付けたのだ。
 「ほら、あったあった。これ見覚えない?」
 「あ、それかいな・・・」とまだ怪訝そうな表情。「もうなぁ、だんだん物忘れがひどくてな」と笑っている。
 「そりゃな、しょうがないわ」と私。

 ついでに同じ頃買ってやった袢纏もまだ出していないようなのであちこちと一緒に探す。もう母のものだけになり空いた箪笥の隅に風呂敷で包んだものがあった。開けてみると「お父さんのところへ行くときに着るもの」と半紙に書かれた白経帷子と観音巡りの朱印袢纏があった。
 「私が死んだら、それを着せてな」という。「よっしゃ、わかったよ」と私。

 一息ついて、持参したパソコンで山の風景などを見せてやりながら世間話をして帰った。
 母は目や耳もそう悪くないので、果たして自分もあのように長生きできるかと思うとはなはだ心許ない。先日も保存容器に入れて置いたご飯が冷蔵庫ではなく食器棚あったし、電子レンジで温めたおかずを翌朝発見するということもあり他人の事は云えない。