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落葉松亭日記

ニュース・評論スクラップ、凡夫の日々雑感、山歩記など

これでは退陣せんわ

2011年05月01日 | 政治・外交
自民党は政権奪取する気概もないのか。
「お体に気をつけて」自民・谷垣氏が首相にエール 退陣せまる自民党の空気読めず… 2011.4.30 17:19 産経
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110430/stt11043017230002-n1.htm

 「こういう時、大変ですからお体に気をつけてがんばってください」

 自民党の谷垣禎一総裁が30日、平成23年度第1次補正予算案の衆院通過を受け、お礼の挨拶にきた菅直人首相にこんな“エール”を送った。
 さらに谷垣氏は、参院での審議を経てもいないのに「これで予算が成立したわけだからピシピシと執行してください」と注文した。
 自民党では各派領袖が早期の内閣不信任案提出を求めており、直前の本会議では馳浩国対副委員長が「首相の仕事はこの予算成立とともに終了する。退陣こそが復旧・復興へ向けた新たな1ページになる」と即時退陣を迫ったばかり。谷垣氏の発言には「お人好しにもほどがある」と憤りの声が上がっている。

■「花岡信昭メールマガジン928号ー首相退陣は」より
「首相を辞めさせるのは並大抵ではない」
http://www.melma.com/backnumber_142868/
<<「菅おろし」公然化で、逆に遠のいた首相退陣>>
【日経BPネット連載・時評コラム拙稿「我々の国家はどこに向かっているのか」4月27日更新】再掲

※首相を辞めさせるのは並大抵ではない

 民主党内で「菅おろし」の動きが公然化、小沢一郎氏や鳩山由紀夫前首相を支持する勢力が中心となって、両院議員総会の開催を求める署名運動もスタートした。
 これで菅首相もついに追い込まれるかと思いたいところだが、政治の現場というのは不思議なもので、こうなると逆の作用が働く。菅首相としては、続投の意欲を一段と燃やすことになる。
 長期にわたって政権の座にあった自民党の歴史を見ても分かる通り、首相を辞めさせるのは難しい。本人が退陣を表明すれば別だが、居座ろうとすると党内を二分する争いになり、辞任への環境づくりどころの話ではなくなる。
 一般論からいえば、首相(党の代表)に辞めてもらうには、それによって党の窮地を救うという大義名分がなければだめだ。そういう道筋をつくるために外堀を埋めていく作業が必要になるわけだが、これがなんとも厄介だ。

※党内で噴出する菅首相批判

 4月26日、鳩山氏らは「震災に対応できる連立政権に向けた総調和の会」なる奇妙な名前の会を発足させた。原口一博氏や田中真紀子氏ら菅首相と距離をおく64人が出席した。
 報道によれば、鳩山氏は「25年間バッジをつけてきたが、その結果がこれだけの命を失う政治だったのかと思うといたたまれない」と述べた。政治評論家の森田実氏が「菅首相は最悪。鳩山氏に戻ってもらう方がいい」と述べ、発起人の山岡賢次副代表は「菅政権に不満を持つ国民が7割に達している。このまま座して死を待つわけにはいかない」と強調した。
 山岡氏は会の後、岡田克也幹事長に会い、両院議員総会の開催を要求した。岡田氏は党規約に沿って全国会議員の3分の1(136人)の要求があれば開くとしながらも「党内政局はやめてほしい」と応酬した。
 その一方、首相官邸に復帰した仙谷由人官房副長官(党代表代行)に近い吉良州司、長島昭久両氏らは勉強会「国益を考える会」を開き、ここでも菅首相批判が噴出した。

※代表のリコール規定がない民主党の党規約

 こうして菅首相包囲網が党内につくられつつあるように見えるが、実際には両院議員総会で辞めさせるというのは至難のワザだ。だいたいが、民主党の党規約には代表のリコール規定がない。
 自民党の場合、党則によって、所属国会議員と都道府県連代表の過半数の要求があれば、総裁選の前倒しが可能だが、民主党は代表解任の規定がないのである。退陣表明により「代表が欠けたとき」だけ、代表選を実施できる。
 したがって、今回、民主党は両院議員総会の開催にこぎつけられるかどうかがまず第一関門となり、さらに、代表解任を決めるには党規約の改正を行わないといけない。拘束力のない解任決議案を採決するのは可能だが、居座られたら意味がない。
 となると、鳩山氏らが気勢をあげたのは、菅執行部への不満を表面化させただけということにもなる。この勢いで野党が内閣不信任案を出した場合、これに同調するという事態になるのかどうか。
 このさい一気にという見方もあるが、野党提出の内閣不信任案を衆院で通すには約80人の造反が必要だ。それにそういう事態になれば、離党しないと筋が通らない。新党をつくって自民党などとの連立政権に走るのかどうか。
 したがって、両院議員総会方式や内閣不信任案への同調論などは、菅首相を追い込むための環境づくりの側面が強い。繰り返すが、本人が辞める気にならなければ、退陣実現は困難なのである。

※ささやかれる「サミット花道論」

 そこでささやかれているのが「サミット花道論」だ。5月26、27両日にフランスで開かれる主要国首脳会議の場で、「3・11」復興計画を高らかに宣言し、原発事故封じ込めの成功を強調して、これを花道とするというわけだ。
 その背景にある名分は、党の分裂回避ということになる。菅首相への批判をぎりぎりまで高めておいて、本人の決断を促すという高等戦術だ。だが、これも本人がその気にならないと成功しない。
 そう考えると、首相を辞めさせるのは相当の荒業が必要であるということがよく分かる。両院議員総会工作にしろ内閣不信任案同調にしろ、そこまでいって失敗すると、逆に「菅首相信任」となってしまう。
 それにしても、「3・11」対応への菅首相批判はすさまじい。被災地救援、復興戦略、原発事故対応など、すべてにわたる。
 官邸が危機管理の最高司令部として機能せず、これだけの国家的大惨事であるにもかかわらず官僚組織にサボタージュが見られることなど、さまざまな話が出回っている。「イラ菅」復活となってしまった菅首相の個人的資質もさることながら、政治主導の名のもとに官僚組織を使いこなしていない実態が随所にあらわれている。

※「3・11」への対応でリーダーシップを欠く菅首相

 ある高級官僚はこんな言い方をする。「政治リーダーには鳥の目が必要だ。上空から全体像を眺めてばさっと網をかける感覚。それが菅首相には虫の目しかない。原子力問題に強いことを誇示して、ちまちまとこまかいところにだけ目が行く。だから場当たり的な指示しか出てこない」。
 「3・11」という未曽有の事態に直面して、国家指導者が国民の動揺をおさえ、収拾、復興への安心感、期待感を与えることができないまま推移していてはどうしようもない。
 そこへきて、政治的には統一地方選の大敗北がある。前半戦に続いて、24日投票の後半戦でも「民主vs自民」対決型の市区長選で3勝6敗に終わった。衆院愛知6区補選では民主党の議席であったにもかかわらず元自民党議員の圧勝を許した。
 以前のコラムでも指摘したが、この統一選敗北を理由として退陣していたら、菅首相の評価もまた違ったものになったに違いない。「3・11」対応の不手際を責められるよりも、政治家の出処進退としては「はるかにサマになる」のである。

※官僚組織からそっぽを向かれる官邸

 統一地方選が終わって、「3・11」復旧関連経費を盛り込んだ第1次補正予算が5月連休中には成立する手筈だ。民主党内の「菅おろし」の動きは、これを踏まえて連休明けにもう一山ありそうな気配ではある。
 先の官僚は、菅首相に代わるリーダーとして「菅以外」ならだれでもいい、とまで言い切る。市民運動家として「お上」にかみつくことを政治活動の原点としてきた菅首相だが、自身が「お上」の位置におさまったら、何をどうやったらいいのか分からなくなっているというのだ。
 そうした指摘は菅首相の政治経歴を振り返ればよく理解できる。厚生相当時、厚生官僚をどやしあげて薬害エイズ関連資料を提出させた。一般には喝采を浴びたが、厚生当局との信頼関係は地に落ちた。
 その延長上の言動パターンを、いま官邸で展開しているようだ。これをやられると、官僚側から前向きの提案や選択肢など出てくるわけがない。周辺のスタッフを信じ、自由闊達な議論を引き出せなかったら、そこに残るのは「裸の王様」的首相だけということになる。どうやら、「菅官邸」はそういう悲惨な状況となっているらしい。
 もともと、官邸の主である首相は「孤独な存在」であるといわれてきた。耳に痛い話など入ってこない。有能かつ老練な首相はそのことを意識して、重要なポイントには息のあった政治家や官僚を配置して、本音ベースの情報収集につとめたものだ。

※ポスト菅は誰なのか

 菅首相は「すでに限界」といわれながらも、なお続投しようとしている。今後の展開は不透明きわまりないのだが、ポスト菅があり得るとすればだれなのか。
 仙谷氏がこの厄介な局面の収拾に力を発揮した場合は、仙谷内閣誕生もあり得ない話ではない。自民党など野党側や官僚とのパイプを持つ点で、仙谷氏は民主党には珍しい貴重な存在だ。
 野田佳彦氏という声もある。この世代で唯一、代表を経験していない。その泰然とした風貌は危機の時代の宰相にふさわしいといった見方もある。
 一方で自民党はどうするか。「数」のことだけ考えれば、公明党が民主党政権を支援する側にまわれば、衆参ねじれ構造は解消される。こういう構図が実現すると、自民党は出番がなくなる。これも自民党にとって、好ましい展開とはいえない。国家的危機に直面して蚊帳の外におかれてしまう。
 そのあたりの微妙な呼吸が政治展開を左右する。救国大連立、あるいはそれに近いかたちの政治構造となる可能性は依然として残されている。その場合、菅首相ではないほうが実現可能性は 高いと見たい。