落葉松亭日記

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樺太(サハリン)・日露首脳会談

2009年02月14日 | 政治・外交
麻生太郎首相は18日、日露首脳会談などに臨むため、戦後の首相では初めてサハリンを訪問する。
【産経抄】2月14日  2009.2.14 02:56
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/090214/plc0902140256000-n1.htm
 昭和20年8月20日、樺太(からふと)の真岡(まおか)という町の郵便局で9人の女性電話交換手が薬品を飲み集団自決した。彼女たちは当時日本領だった南樺太で通信網を「死守」していた。しかし、終戦後に攻め込んできたソ連軍に抗しきれないとみて自ら死を選んだのだ。
 ▼現在ロシア名でサハリンと呼ばれる樺太は明治初期まで日露の間で帰属が決まらなかった。両国民の紛争が絶えない。明治8(1875)年の樺太千島交換条約でロシア領となるが、日露戦争の勝利により日本が南半分の割譲を受けるという複雑な経緯をたどった。
 ▼だが先の大戦で日本の敗戦が濃厚になった後、参戦したソ連(ロシア)が今度は武力でその南半分を奪った。真岡の悲劇はその過程で起きたのだ。もっともそれから60年以上がたつ。樺太のことも真岡事件のことも、日本人に忘れ去られようとしている。
 ▼そのサハリンで突然のように日露首脳会談が開かれるという。メドベージェフ大統領が現地で行われる石油・天然ガス開発事業の開始式典に招待した。麻生首相も資源やエネルギー分野で両国の関係を強化して北方領土問題も進展させたいと、これを受けたのだそうだ。
 ▼しかし日本とロシアは、戦争状態を最終的に終わらせるための平和条約を結んでいない。だから南樺太の帰属は今も決まっていない、というのが日本政府の立場だ。それだけに「首相がホイホイと出かけていっては、ロシアへの帰属を認めることになる」との批判もある。
 ▼もっともな危惧(きぐ)だ。ロシア側の狙いもそこにあるような気がする。だが樺太の名前が久しぶりに登場することで、日本人は忘れかけていた悲劇やソ連の乱暴を思い出すかもしれない。それならロシアの意図も裏目に出るというものだ。

樺太の歴史(同じく産経新聞図表より)
樺太の歴史
1809年(文化6)
 間宮林蔵が樺太に渡り、島であることを確認。
ユーラシア大陸との間を間宮海峡と命名
1855年(安政2)
 日露通交条約で日露両国民混住地になる
1875年(明治8)
 千島樺太交換条約でロシア領になる
1905年(明治38)
 日露戦争後のポーツマス条約で北緯50度以南が日本領になる
1945年(昭和20)
 ソ連が南樺太に侵攻し占領する
1951年(昭和26)
 サンフランシスコ講和条約で日本は南樺太を「放棄」。ソ連は同条約に参加せず。
1997年(平成9)
 日本、ユジノサハリンスクに在ハバロフスク総領事館の出張駐在官事務所を設置
2001年(平成13)
 日本、出張駐在官事務所を総領事館に格上げ

北方領土への国民の関心は、竹島や尖閣などと同様に薄くなってきている。
特に、北方領土にはすでにロシア住民が生活しておりロシア化が顕著という。

参考記事:
【記者は見た 北方領土の今】(上~下)
首相の「樺太」訪問、誤ったシグナル送ることにならないか

産経新聞の記述のように、帰属の決まっていないサハリンに首相が軽々に訪問することで、それを承認してしまうことにならないか危惧される。