かねやんの亜細亜探訪

さすらうサラリーマンが、亜細亜のこと、ロックのこと、その他いろいろ書いてみたいと思ってますが、どうなることやら。

マカオその4 セナド広場

2008年10月09日 | China・Mongolia



マカオの旧市外は、ポルトガル統治時代の美しい建築物や、公園や、砦が残されており、22の歴史的建造物と8つの広場が、まとめて一つの世界遺産に指定されている。全部見ることはできなかったが、一部を見れた(このシリーズでは、ナンバリングにトライ)。一日がんばれば、全部見れるかもしれない。



これが、その中心にある①セナド広場。中秋の名月関係のデコが興ざめだが、お祭りだからしょうがない。
地中海風というか、中国風というか、中世的というか、近代的というか、何ともいえない雰囲気だが、美しい。



これが、セナド広場にある1569年に設立された②仁慈堂の建物だ。現在の建物は、1905年に再建されたもの。元は、慈善福祉施設だった。病院、孤児院、養老院があったという。



これは、広場の入口の通りだが、右手前横のビルが、③民政総所。行政のための建物だ。現在のものは、1784年に再建されたもので南欧風。





この独特の石畳も、美しい。ポルトガルから、石を運んで造られたという。



このデザインは、欧羅巴風なのだろう。



これは、④聖ドミニコ教会。かわいらしい。1587年にメキシコから来た修道士により建てられたものという。



そこから、ゴチャゴチャした小道に迷い込んだ。


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マカオその3 マカオタワー

2008年10月08日 | China・Mongolia


マカオのタイパ島から、半島側(旧マカオ)に移動。これは、一番東側の橋から、西方を見たところだが、マカオタワーと、もう2本の橋が見える。



マカオタワーは、マカオ半島の南端にある。海に囲まれており(天気はいまいちだったが)、眺めはすこぶるよい。



タワーからタイパ島を臨んだところ。二本の橋が見える。右にちょっと見えるのは、中国本土である。



旧市街を臨んだところ。山の上に見える教会は、ペンニャ教会。左に見える山は、中国本土。



カジノ地区を臨む。花が咲いたように見える異様な建物は、マカオを代表するカジノ=グランド・リスボアである。



マカオタワーは、実は、過激なタワーだ。これは、透明な床。この程度であったら、東京タワーにもある。



タワーの頂上の丸い部分(屋外)を、命綱付きで歩ける。ちゃんとガイドもついている。このアトラクションは、世界でここだけはないか。しかし、何故好き好んでこのようなアトラクションにチャレンジするのか。



バンジージャンプもある。タワーから、バンジージャンプができるのもここだけではないか。



バンジージャンプの人が落下するのを、いまかいまかと待ち受ける人々。滞在した20分間ぐらいで、一人しか飛び降りた人はいなかったが。

ということで、マカオタワーは、世界で一番過激なタワーだった。
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マカオその2 タイパ島

2008年10月07日 | China・Mongolia



タイパ島の中心部に行ってみた。沼地越しに、ベネティアン・マカオが臨める。



沼地には、蓮の花が一杯。



沼の手前が、史跡公園になっていた。



ポルトガル統治時代の史跡だ。これは、小振りながら、カルモ教会として、永年この地のキリスト教徒の信仰の場であった。



沼地に面して、Casa Macaenese と呼ばれる、当時のポルトガル人の住居だった地域があり、(有料だが)見学できる。20世紀初頭の建物らしい。



中は、思ったよりも質素だった。



そこから、ちょっと行くと、土産物屋も並ぶ小道があるが、ここも、雑然としている。巨大カジノの開発に取り残されたような地区であった。

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マカオその1 ベネティアン・マカオ

2008年10月06日 | China・Mongolia



マカオには、初めて行った。
マカオといえば、カジノ。何と、ラスベガスを抜いてしまった。
その原動力となっているのが、一年前にオープンした世界一のカジノであるベネティアン・マカオだ。

ここで、ちょっと説明が必要かもしれない。

歴史の話をすれば、ポルトガル人がインド、マラッカから、マカオにやってきたのは、16世紀始めのこと。そして、16世紀半ばに、ポルトガルが、マカオの居留権を得た。そして、生糸や、銀の交易で、莫大な利益を得たのである。イエズス会の本拠地として、東方への布教活動も積極的に行われた。ところが、江戸幕府が鎖国したため、その繁栄に陰りが見え始め、日本から追放されたキリシタンが、マカオに来るようにもなった。マラッカがオランダに占領された後、結局東チモールと、マカオを除いて、ポルトガルの亜細亜の拠点は失われた。その後は、マカオは、中国と西洋の窓口に変容したのだ。そして、イギリスが、アヘン戦争で、香港を手に入れてからは、西洋の中国との貿易窓口という特権も、失われていった。

地理の話をすれば、マカオは、大きく二地区に分かれる。一つは、半島部で、中国本土とつながっている。そこから三本の橋で結ばれているのが、タイパ島とコタイ島で、その二つの島の間を埋め立てて、一つの島にしたところに、ベネティアン・マカオはある。
いわば、半島部が旧マカオで、島の部分が新マカオ。ポルトガル領だった時代のマカオは、旧マカオが中心だった。新旧マカオに多くのカジノが存在する。従来は、怪しげなカジノが多かったらしいが、最近は、ラスベガスの資本が多く流入し、近代的なカジノに衣替えしてきた。
港は、新マカオ、旧マカオ双方にあり、そこで、カジノへの無料送迎バスが出迎えてくれる。空港は、新マカオにある。香港、深センへ空港は、港からフェリーで直接行けるが、荷物類もマカオでチェックインできるので、極めて便利である。



これは、ベネティアン・マカオの内部。カジノそのものは、撮影禁止だが、階段の陰にちょっと台が見えるかもしれない。とにっかく壮大。見渡す限りカジノで、東京ドームの観客席を含めた面積なのだそうだ。この写真は、朝のもので、人影がないが、夜は、いたるところで、ゲームに集中している人々と、それを見ている野次馬であふれかえっている。



このカジノは、全てが華美だ。客の気分を高揚させる仕掛けになっている。高級ブランドショップが延々と並んでおり、仮に、カジノで買っても、お金を自宅までは持って帰れないようにする仕掛けも万全である。



名前の通り、イタリア風の装飾が隙間なく、なされている。



これは、ベネティアン・マカオの三階にめぐらされた運河?の街?である。屋内であり、空に見えるのは、天井に描かれた空。



もちろん船に乗ることもできる。ピーク時は、行列になっていたが。



キンキラのパフォーマー?もいる。



朝食ビュッフェ用レストランまで豪華である。



シルクドソレイユのショーもやっていた。Avrilさんのコンサートや、プロテニスマッチも予定されていた。Avrilさんのは、もう終わったかな?





その回りには、同様の高級ホテルが所狭しと建設中なのである。

ということで、ラスベガスに20年近く前に行って以来のカジノだった私にとって、この巨大カジノは、筆舌に尽くしがたい虚構の豪華さだった。

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マニラ

2008年10月05日 | Thailand・Vietnam・Phillipines

スポーツの秋とは、よく言ったもので、今日の午後は、スポーツ番組のオンパレードだった。特に、日本女子オープン(ゴルフ)は、最後まで、白熱したゲームだった。宮里藍さんが(優勝はできなかったが)、かつての勢いを取り戻してきたように見えたのは、嬉しかった。



マニラは、二回目だった。前回は、ちょうど十年前だから、実質初回のようなものだ。今回も、ビジネス街であるマカティ地区中心だったが、ちょっと歴史地区も行ったので、ご紹介。天気は、悪かったけど。



リサール公園は、19世紀の独立運動家であるホセリサールの記念碑を中心とした公園だ。マニラ湾の夕陽を臨めるスポットとしても人気がある。



その北に、イントラムロスがある。16世紀にスペイン人が作った城砦だ。サンチャゴ要塞は、その軍事拠点だが、催しがあるとのことで、中には、入れなかった。



マニラ大聖堂は、カトリック布教の大本山で、元々16世紀に造られたが、今の建物は、50年前に、再建されたものだ。





サンアングスチン教会は、スペイン最古の教会で、世界遺産に指定されている。第二次世界大戦で、殆どの教会が破壊された中で、かろうじて残った。ただし、ご覧の通りの惨状で、保存状態は悪い。
一見欧羅巴風だが、地震や、台風にも耐えられる、フィリピン仕様になっているそうだ。中国風の、狛獅子らしきものも見えるのだが、気のせいか。



サンアングスチン教会の回りには、旧市街が残されている。これは、カーサマニラという当時の邸宅。



イントラムロスの南側にLAPU-LAPU像のある公園があった。LAPU-LAPUは、16世紀当時の部族長で、マゼランの要求を拒否し、結局殺害した。それが、フィリピンの英雄なのだ。奥に見えるのは、政府観光省のビルだ。



近くには、旧大蔵省のビルもあった。この辺りは、昔の官公庁街だったのだろう。

リサールにしても、ラプラプにしても、植民地政策に抵抗した人が英雄になっているのは、東南アジア共通の事象である。

ということで、マニラの雰囲気をちょっぴり味わった。

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