資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

令和6年度ガス主任技術者 模擬問題集 正誤表

2024年02月14日 | ガス主任技術者 模擬問題集 正誤表

 令和6年度ガス主任技術者模擬問題集の誤りのお知らせ

〇乙種ガス主任技術者試験模擬問題集(2024年度版(令和6年度)の154頁

 下から1行目 (誤)溶接機付近の動電部  (正)溶接機付近の導電部 

 

〇乙種ガス主任技術者試験模擬問題集(2024年度版(令和6年度)の16頁

 下から2行目 (誤)二酸化炭素及び  (正)水素、酸素及び 

 以上、お詫びして、訂正します

 

 〇甲種ガス主任技術者試験模擬問題集(2024年度版(令和6年度)の183頁

 下から8行目 (誤)溶接機付近の動電部  (正)溶接機付近の導電部 

 

 

 

 

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飛鳥検定の受験で明日香へその3~飛鳥時代の寺社跡を巡る

2024年02月14日 | 地理・歴史系資格とその活用

 飛鳥巡りその3は、寺社跡を巡る。飛鳥遺跡とその翌日の大和三山巡りで出会った寺社跡だ。飛鳥時代は、奈良・平安時代のもっと前だ。従って、今はもうない寺社跡、廃寺も遺跡として残っている。

 まずは、飛鳥川の畔、橘寺の前にある川原寺跡、今は別のお寺が建ってる。川原寺は、天武朝では、飛鳥寺、大官大寺、薬師寺とともに四大寺に数えられていた。

 川原寺の配置は礎石が残ってるためか、しっかりわかっている。

 礎石は瑪瑙(めのう)入りだそうだ。でもどこが瑪瑙かはわからない。ちなみにこの日の二日後の本試験では、めのうの入った礎石のある寺はどれか、という出題があった。1問いただき。

 お寺からは広い敷地が見渡せる。向こうには橘寺。

 そして、甘樫丘の先、豊浦寺(とゆらじ)跡。推古天皇が宮とした、豊浦宮は、このお寺の前身だ。ここから飛鳥時代が始まった。

 大和三山巡りで出会った、元薬師寺跡。礎石の数が凄い。

 もう一つ、紀寺(きでら)跡。小山廃寺とも言う。詳しくはよくわかっていない。

 紀寺跡からの天の香具山、ここからが一番格好がいいね。

 明日は、いよいよ大和三山巡りです。

 

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飛鳥検定の受験で明日香へその2~飛鳥の遺跡を巡る

2024年02月13日 | 地理・歴史系資格とその活用

 石の文化の次は、遺跡巡り、前回11月に訪問した時は、飛鳥宮だったが、日曜でちょうど現地で発掘調査の報告会をやっていた。それに工房の跡、飛鳥池遺跡を見学した。(写真は11月訪問時のもの)

 今日はまず、飛鳥京跡苑池。発掘を終えて、今は普通の土地になっている。発掘時は、南北に池があったそうだ。

 今は何もない。

 ここには休憩舎が建つ。中に入ると発掘時の様子や古代のイラストとがある、一部を紹介。

 そして飛鳥水落遺跡。ここには日本最初の漏刻(水時計)があって、時刻が来ると太鼓を叩いたそうだ。役人の出勤の時間を知らせるものだ。実物や模型でもあるかと思ったが、表示板だけ。漏刻の模型は滋賀県の近江神宮にあった。

 お隣の石神遺跡、古代の迎賓館だったそうだ。遺跡が見当たらず探したが、工事中の場所がそうだった。というか、工事じゃなくて、発掘だな。ここからかなり昔、石人像や須弥山石が出土した。

 その隣に明日香村の展示施設がある、入場は無料だ。展示品の中からいくつか紹介する。万葉集が書かれた木簡。

 日本書記の写本、江戸時代の写本だそうだ。

 最古の暦、飛鳥時代のカレンダー、木簡だ。

 お隣の甘樫丘(あまかしのおか)に登る。

 曇天で景色はさえない。翌朝、大和三山に登った朝は快晴、再びこの丘に登った。快晴の三山全景はそちらで。写真は曇天の畝傍山と耳成山。

 そして天の香具山(左に耳成山)

 明日は、飛鳥、藤原京の社寺跡です。

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飛鳥検定の受験で明日香へその1~石の文化を巡る

2024年02月12日 | 地理・歴史系資格とその活用

 飛鳥検定(正式名称・第1回飛鳥藤原京まるごと博物館検定)に受験とその学習をするために、出かけた。初日は飛鳥の石の文化、遺跡、社寺跡を巡る。翌日は大和三山の登山、そして翌々日は検定の受験というスケジュールだ。まずは、石の文化の学習から。近鉄飛鳥駅からレンタサイクルで、石の文化を巡る。この飛鳥時代は、不思議な石の文化が存在する。

 まずは、猿石。吉備姫王墓にある4つの石だ。伎楽の仮面劇で使われたものという説がある。当時の海外の影響があるのだろう。右が山王権現、左が女。

 右が僧、左が男。

 次は、鬼の雪隠(せっちん)、石槨の一部だ。そばにある鬼のまな板とセットになっていたが、何らの原因で分かれてしまったようだ。

 少し上流の鬼のまな板。雪隠は、まな板から転がり落ちたそうだ。

 そして、一番なじみやすい、亀石。亀石が西を向くと、洪水が起こるという伝説。これはその通りだろう。

 今回の石の文化は、ここまでだが、前回訪問した際の写真があるので、それを紹介。まずは酒船石

 亀形石造物

 そして、石神遺跡から発掘された須弥山石石人像

 橘寺の二面石

 石の文化はここまでです。明日は、飛鳥の遺跡です。

 

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ときめき百名城~ボランティアでお城めぐりの講演会

2024年02月11日 | 城郭検定資格とその活用

 2月4日(日)は、地元のボランティア団体の主催する講演会で、講演した。会場は、三郷文化会館、大ホールには、プロの歌手なども来場する。今日は二回の大階会議室、聴衆は約60名、会議室にいっぱいだ。

 この日講演のテーマは、前半は社会福祉協議会の方の講演、後半が私の「お城巡りの魅力」だ。「お城巡りの魅力」の目次は、①自己紹介、②お城の魅力、③お城の歴史、④お城のタイプ、⑤お城の構成、⑥全国のお城・ユニークなお城、⑦お城巡り、⑧まとめ、お城に行こう である。

 Zoomで、リハーサルを入れてみました、閲覧希望の方は下のパワポをクリックしてください。約40分です。 なお、パスコードを求められたら #202402a です。

 本番も、40分で伝えられた。ただ、風邪気味で、途中、咳が出てしまった。アンケートを取ってるそうだが、結果はどんなだろう。こんなボランティアならいつでも歓迎ですよ。どうぞ声をかけてください、どこでも伺います。次は温泉の話でもしたいね。

 

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読後感想~最初は官能小説かと思ったね、源氏物語

2024年02月10日 | 読書感想

 

 古典を読み始めて、いよいよ源氏物語に手をつけようとする。NHKの大河ドラマも始まったことだし。ビギナーズクラシックをアマゾンから購入。巻ごとにあらすじがあり、現代語訳のあとに古文が続く。これは読みやすい。

 源氏物語は何と54巻もある、この文庫本は460頁だ。当然抜粋版になってる。読み始めて最初は、官能小説かと思った、小中学校の教科書は載らないわけだ。

 昔、ある女性が、今読んでる本は源氏物語です!って言っていた。当時は私、全然知らないから、凄い、古典文学の最高峰を読んでるなんて、凄い、と思ったが、知ってしまった今、よくこんな不義密通や、愛欲の小説読むねえと。

 文庫本の解説にもあったが、源氏物語は古文で、そしてとにかく長い、須磨のあたりで挫折する人が多いそうだ、で、須磨源氏という言葉もあるそうだ。

 私は、実は、だんだん面白くなって三日ほどで全部読んでしまった。不義密通や愛欲に慣れてしまったのかな、するとストーリーも結構面白くなってきた。最後の宇治十帖は、浮舟が自殺未遂をして終わるシーンまでは一気読みだった。

 その宇治十帖は、かなり前のテレビで、紫式部じゃなくて、別人が書いたものかとやっていたのを覚えている。まず、宇治十帖は、その手前で欠落がある。41巻と42巻の間は、「雲隠れ」という巻だが、これは中身がない。そしてその前後で8年間の空白があり、この間に光源氏が死去している。そのテレビでは前後の文章の出現ワードを分析して、別人の文章だと言っていたが。

 まだある、今までなんとなく聞いたことのある名前や巻の名が確認できた。桐壺、空蝉(うつせみ)、夕顔、澪標(みおつくし)、玉鬘(たまかずら)、柏木、鈴虫、宿木、浮舟などなど、今は全部わかる。さらに、似たような名前が出て来たことも読んでいて迷わせた。桐壺に藤壺、夕顔に夕霧、葵の上に紫の上など、どっちだったかな、と前に戻る。

 でも、これで一応、源氏物語の話題が出たときでも、ある程度ついて行ける。さて、次は何読もうかな。切手は国宝源氏物語絵巻のうちから宿木。

 

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ほっこり百名湯めぐり~源泉はいいんだが・・鶴巻温泉

2024年02月09日 | 温泉&健康資格とその活用

 さて、登山の後は温泉だ。今日は、鶴巻温泉に泊る。二十年ぶりくらいに泊る温泉だ。鶴巻温泉は、サラリーマン時代、会社の旅行できたことがある。陣屋という旅館だった、太鼓を叩いて歓迎してくれた。でもリニューアルして、ずいぶんとお高い旅館になっていた。従って、おとなしく、そのお隣の旅館を予約。温泉は変わらんだろう。

 鶴巻温泉は、明治時代の開湯だそうだ。まあまあ古い温泉だ。その温泉、風呂場の分析表の「源泉」は素晴らしい。もちろん療養泉で、カルシウム・ナトリウムー塩化物泉(旧泉質名 含食塩ー塩化土類泉)、高張性アルカリ性温泉。泉温は34.3℃、ぺーハーは8.5のアルカリ性。

 高張性というのは、確か8g/kl以上の濃い温泉だ。実際11g/klも入ってる。なかなか高張性の温泉はない、最近入ったのは、あの関西の有馬温泉くらい。

 しかし残念ながら、湧出量が書かれていない。そして、加水・加温、循環、消毒処理をしている。ここから推察すると、湧出量が少なくお風呂にしては低温のため、加水・加温している。多くを加水に頼ると、かけ流しはできない。水道代やポンプの電気代などが高くなるため、循環するようになる。水道を使うと当然消毒処理になる。

 悪い方に解釈すると、こんなイメージかな。もし違っていたらごめんなさいだな。アルカリ性だが、ちっともヌルヌルしないお湯だった、加水の影響かな。箱根や伊豆と違って、火山性の温泉じゃなさそうだ。期待が大きかっただけに、ちょっと残念な温泉でした。

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私の百低山シリーズ12~弘法山から鶴巻温泉へ

2024年02月08日 | 登山&自然系資格とその活用

 昨日(1月31日)は、昼に15℃と、真冬とは思えない天候。小田急秦野駅から、権現山、弘法山、そして鶴巻温泉へのルート。コースタイムは2時間半、まあ所要時間は3時間半かな。今までで一番軽いルートだ。11時秦野駅を出発。秦野は名水の里だそうな。

 これから登る山が見えて来た。

 しばらくは急登。浅間山で一息入れて、権現山へ。権現山の山頂には、古代のお城のような展望台がある。

 大山が正面にど~んと。

 富士山は、そこだけ、雲に隠れている。

 左の突起は箱根山、右は金時山。

 そして、弘法山へ。その前に直線の馬場道、昔はここで馬の競争をしたらしい。

 そして弘法山、この弘法は、弘法大師のこと、ここで修業したらしい。

 弘法山からはずっと下りかと思ったら、まだ登りが続く。

 ようやく里に下りて、野仏の道。

 そして、鶴巻温泉でゴール、所要3時間半でした。まあ軽いトレーニングでした。温泉の記事はまた明日。

 

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目指せ五百資格!~記念すべき五百個目は「認知症サポーター」トシ相応かな

2024年02月07日 | その他ビジネス系資格とその活用

 ようやく五百個目の資格に到達した。資格を取り始めて50年、最初は19歳で運転免許普通、五百個目は68歳で認知症サポーターだ。1年に10個で10個×50年=500個 となる計算だ。

 その認知症サポーター、団地の掲示板で知った、埼玉県三郷市が開催する催し。認知症の理解者を増やすための埼玉県の資格だ。朝10時から2時間半ほど。

 最初は市の介護関係の方の講義、次は、よくは知らないが、タレントさんの認知症を持つ母の体験の話。さらに寸劇と続く。寸劇は、ごみ出しルールを忘れたお年寄りの対応、悪い例と良い例だ。これ、自分のことを演技されているようでなんとも・・

 最後は質問のコーナー、でも質問聞いてると今体験している方の話、認知症のサポートがいかに大変か、他の方に聞いてほしい、といった内容がほとんど。皆、相当ストレス感じてるんだなという感想。

 最後のアンケートには、タレントさんの声の大きさの話、マイクを通しての声がバカデカイ。すごい大きさのため、片側の耳を塞いで聞いていた。よくトレーニングされて声の大きいタレントさんと、役所の方のぼそぼそとした声では、全然大きさが違う。事務局は気を利かさないと。

 終了して、埼玉県認知症サポーター証とオレンジリングを頂く。オレンジリング、どうやって使おうかな。このリング、使っている人、見たこともないしね。

 さあて、五百資格に戻る。百個目ごとに取得した資格を書き出す。1個目は運転免許普通(19歳で初資格)、100個目はビジネス能力検定2級(サラリーマン時代だった)、200個目は販売士1級(診断士学習の頃だった)、300個目は認定コーチ(独立したばかりのコーチング研修で)、400個目は電話対応技能検定3級(新入社員研に使うため取った)、そして500個目は認知症サポーター(自分もそろそろかと思って)。

 夜は配偶者がお祝いしてくれた。配偶者の協力あってのもの、感謝感謝!! 人生の目標の一つ、五百資格達成のイベント、講演や出版などは、ゆっくり考えていきます。

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ときめき百名城巡り~上洛する将軍の宿泊場所、天下普請の水口城

2024年02月06日 | 城郭検定資格とその活用

 城郭検定準1級の学習、今日は滋賀県の水口(みなぐち)城へ。近江鉄道の水口城南駅から、寒い中、歩いて5分ほど。お堀に映る水口城は美しいね。後で知ったが、ここのお城はすべて復元だ。

 木造の橋が傷んでるんだろうか、渡橋は禁止、「急がば廻れ」になってる。

 高校のグラウンドへ廻り、門からお城に入る。

 このお城は、徳川将軍が、上洛の際、宿泊するように作られた。従って天下普請だ。

 ちょっと狭いなあと思っていたら、ここは出丸。本曲輪は、高校のグラウンドになってる。

 天下普請で、瓦は、葵の御紋だ。

 火矢という、ミサイルのような武器も展示されていた。

 水口城は、櫓とお堀は実に美しい。しかし、本丸はグラウンド、出丸だけが復元、と、まあ、こちらも百名城、続百名城には入らないのも仕方ないね。

 

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鉄印帳の旅22~「スカーレット」を誤解していた信楽高原鉄道

2024年02月05日 | 旅行系資格&世界遺産検定資格とその活用

 滋賀での仕事がはねての翌日、好きなところに寄る。まずは、鉄印を集める信楽高原鉄道へ。大津から乗り継ぎ、乗り継ぎだ。高原鉄道の始発駅では、「スカーレット」の街とか、そしてようやく終点の信楽駅へ。駅も信楽焼だ。

 駅前にはド~ンと。

 駅から出てしばらく街を散策、街中、信楽焼だ。どの店もタヌキ、タヌキ、タヌキだ。

 信楽焼ミュージアムに寄る、入場は無料、信楽焼の歴史を学ぶ。

 お昼になったので、おう近江牛か、列車を一本遅らせて、ランチだ。

 NHKのドラマ、スカーレットの舞台。私は、これを聞いたとき、欧米の若い女性、スカーレットさんが、来日して、信楽焼の修行に励み、意地悪もされ、これに耐えていくというストーリーを描いたが、全然、違っていた。スカーレットとは、緋色(ひいろ)、信楽焼の赤い肌の色のこと。なんか、別のドラマとごっちゃになってたなあ。

 お土産に買ったぐい呑み、貰った日本酒飲まないけど、これで何とか処理しないと。

 そして、自宅のダイニングテーブルには、狸が鎮座、そのうち邪魔モノにされるに違いないけど、それまでは・・

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ときめき百名城巡り~穴太衆積の石垣の街、比叡山坂本

2024年02月04日 | 城郭検定資格とその活用

 今日も滋賀から、JRの比叡山坂本駅に大きな看板がある。穴太衆積の門前町だ。坂本という街は、あの石垣の穴太衆か、直木賞の小説にあったな。戦いの中で、石垣を積む、穴太衆と敵の大砲の戦い。

 その穴太衆は、ここが故郷か、それではまずタクシーで、一番上流の日吉大社から。日吉大社社、ここも広い敷地、荷物を引っ張りながらではとても廻り切れない、ここでギブアップ。

 ここから比叡山ケーブルに乗ろうとも思ったが、時間が合わず、それに上は雪、展望もない。これもパス。穴太積を見て廻ることにした。近くに穴太衆積の石垣の洞窟があるという。さっそく訪ねる。 おお、古びて苔の生えた野面積み、これは穴太積だわい。

 そして、この石垣がずっと続いている。坂本は、比叡山の門前町だが、お寺がずいぶんと多い。道の両側が穴太積だ。

 脇道まで穴太積だ。

 観光案内所で、丁寧に教えてもらって、御殿馬場、それに権現馬場を歩く。

 御殿馬場。

 権現馬場。門前町の坂本って、なんて石垣が多いんだろう。穴太積を堪能したい方向けの街だ。今度は、晴れた日に、比叡山ケーブルとセットで訪問したいな。

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飛鳥・藤原京検定の学習その4~壬申の乱と瀬田の唐橋

2024年02月03日 | 地理・歴史系資格とその活用

 大津歴史博物館に行くと、大津京の模型がある。そのお隣に壬申の乱の展示だ。壬申の乱は、古代史最大の戦いだ。天智天皇亡きあと、後継を巡って、天皇の弟と天皇の子が争ったものだ。弟の大海人皇子は、吉野から、伊賀、伊勢を通って、近江へ。子供の大友皇子は、瀬田の唐橋で迎え撃つ。最後は大海皇子が勝って、天武天皇になった。皇后はきらら、のちの持統天皇だ。

 ここで決戦だ。橋を巡っての戦い。

 こちらも、模型まである。

 じゃあと、まだ時間は間に合う、瀬田の唐橋へ。京阪電車で一本だ。唐橋前駅で降りて、瀬田の唐橋へ。琵琶湖マラソンはこの当たりを通るのか。

 瀬田の唐橋を通る、結構交通量は多い。

 渡り切り、橋を一枚。黄金色というか、そんな色だ。

 橋のたもとには、「瀬田橋を制する者は天下を制する」と。古代には、壬申の乱、藤原仲麻呂の乱、俵藤太伝説、中世では、義経と木曽義仲の戦い、承久の乱、そして、本能寺の変で、明智光秀の安土城進撃が阻止された。いずれも歴史上の事件だ。そんな歴史の舞台が、ここ、瀬田の唐橋だ。寒かったが結構満足した、唐橋見物でした。

 追加で思い出したこと。「急がば廻れ!」、このことわざは、瀬田の唐橋のこと。昔、京都から東方面へは、琵琶湖を横切って渡る方が距離は短かった。しかし、天候の影響からか、渡れない時も多く、結局、遠回りして、瀬田の唐橋を経由た方が速くなる、ということわざだ。瀬田の唐橋は歴史から国語まで影響があった。

 

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飛鳥藤原京検定の学習その3~大津京・近江神宮へ

2024年02月02日 | 地理・歴史系資格とその活用

 出張前泊の旅、お次は、大津京と近江神宮。大津京は、天智天皇が唐・新羅軍に白村江で敗れ、侵略の危険を感じて、大阪湾に近い飛鳥から、遠い琵琶湖のほとりに都を移したものだ。

 天智天皇が逝去して、壬申の乱が起きて、大友皇子が敗れるまで、ここは日本の中心だった。天武天皇(大海人皇子)や持統天皇(さらら)も同行していた。そして、天智天皇を祭神としたのが近江神宮である。

 JRには大津京という駅がある。そのものだ。当時は、琵琶湖に外国船が入ってきて、賑わったそうだ。

 駅のポスター、ここはカルタの発祥の地か?

 そして、京阪電車で近江神宮駅へ。近江神宮は、とにかくデカイ。

 まずカルタ(百人一首)に眼が行く。

 おお、天智天皇に、持統天皇だ。持統天皇の歌、この歌は藤原京から見た天の香具山の風景だ。この持統天皇のカルタだけは、小学生の頃から知ってた。持統って、女性だが、変な名前だと思っていた。

 そして漏刻(ろうこく)、水時計の複製だ。展示館には、天智天皇が近江で初めて作ったと書かれていたが、飛鳥では水落遺跡で初めて作った、となっている、どっちだ?

 駅に戻る途中に、大津京の遺跡を発見。木杭か、復元だな。

 ここに天智天皇やのちの持統天皇らが住んでいたんだ。

 という訳で小雪の舞う大津京は、これでおしまい。翌日仕事が終わって、大津歴史博物館へ行く。ここには、大津京の模型があると聞いたのだ。まずは写真。

 次に模型だ。

 そして隣に、壬申の乱の展示が。壬申の乱の決戦は、瀬田の唐橋だそうだ。ここからは近いから行ってみよう。それは、明日のブログで。

 

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ときめき百名城巡り~本能寺に向けて明智光秀が出発した亀岡城

2024年02月01日 | 城郭検定資格とその活用

 城郭検定準1級に向けて学習中である。合格の秘訣は、百名城、続百名城以外の城をどのくらい知るか、だ。という訳で、今回の滋賀県出張、前泊予定で京都経由の大津へ。京都から少し離れた、亀岡城を訪ねる。

 亀岡駅からすぐ、明智光秀の像が立ってる。こちらの方では、明智は名君で人気があるそうだ。

 そして外堀は公園になってる。

 この辺から城内だ。

 このお城は大本という宗教団体が管理している。受付で入場料300円を払って、お城の説明を受ける、丁寧に説明してくれた。このお城は明治の廃城令が出るまで、五層の天守が聳えていた。古写真が残ってる。

 そして、場内は広い。明智の時代、資料では、信長の安土城より広かったそうだ。

 そして城内へ。内堀も一部残ってる。

 このお城は徳川の時代になっても、京都大阪に近く、要所にあり、天下普請が行われた。石垣には刻印がされている。

 そしてやっとお城の説明があった。

 このお城は破城されて、石垣だけが残っている。その石垣も上の部分は宗教団体が修復して、下の部分だけが昔の石垣だそうだ。でもこの石垣、野面積みだが、見事だ。

 天守の位置は、今は宗教団体の聖地になってるそうで、登れない。

 雪がちらつき、早咲きの梅も寒そうだ。寒いから、早く宿に帰ろう。

 このお城のキーワード 本能寺に向けて明智光秀が出発した城 山陰・丹波・京都への交通の要所 藤堂高虎の天下普請 日本初の層塔型天守 明治維新まであった五層の天守 安土城より敷地が大きい城  

 

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