先週に続いて今週も百名山、今度は聖岳だ。その前泊で長野県は茅野駅前のビジホに泊る。せっかくだからと土偶の国宝を観にい行った。茅野駅からバスで20分ほどだ。縄文考古館に到着。
工作室のような場所に撮影用の土偶が。きっと子供たちの工作なんだろうな。
黒曜石や、縄文式土器が並ぶ。
お目当ての土偶の部屋に行く。まずは、平成7年指定の「縄文のビーナス」
発掘した当時も再現されている。
お次は平成26年指定の「仮面の女神」。
横からの写真も。
今はなくなってしまったが、以前は国宝検定というのがあって、私は、初級、上級両方合格した。また検定、復活すればいいのにねえ・・
お願いです。このブログは、9月までで更新は終了です。同じ内容をこちらのアメーバブログも同時更新しています。ぜひ早めに乗り換えてくださいな。
古代日本史の学習を続けている。昨年、飛鳥藤原京検定を受験した時は、飛鳥時代を詳しく学習した。その時の天皇は、天武天皇や持統天皇だった。その持統天皇は、初代の神武天皇から数えて、何と第四十一代目だ。その前の天皇はどうだったんだろうと、学習を始めた。学習は上記の書籍とYouTubeの歴史倶楽部だ。
初代神武天皇の前は神話。ちょっとだけ日本神話の話を書く。アマテラスの孫、ニニギが天孫降臨をして、そのひ孫のイワレビコが東征して、ヤマトに入り橿原で初代の神武天皇となった。第二代から八代は、物語がなく、欠史八代となる。ここは後世の創作かもしれない。
第十代は、崇神天皇、疫病が流行り、三輪山にオオモノヌシを祭ると疫病は止んだ。十一代は暗殺未遂事件の垂仁天皇、十二代の景行天皇の時代は、ヤマトタケルの九州遠征・東国遠征、十四代は仲哀天皇だが、神託が下り、神功皇后が新羅(朝鮮半島)に遠征し、半島を従えた。このへんから天皇家と朝鮮半島がかかわって来る。半島の南に任那という大和の勢力下の地方があった。
十五代は応神天皇、皇位継承の内乱が勃発。十六代の仁徳天皇は善政で聖帝(ひじりみかど)と呼ばれた。十七代の履中天皇でも皇位争奪戦。十九代允恭天皇では、熱湯に手を入れて火傷するかどうかの占い「盟神探湯」(くがたち)が行われた。甘樫丘に行ったときに、これ聞いたね。
二十代安康天皇は、後継者争いで暗殺された。二十一代は、有名な暴君の雄略天皇、何人もの皇位継承のライバルを殺害した。二十三代顕宗天皇は父の復讐、二十五代は史上最悪の残虐行為を次々に行った武烈天皇だ。
そして直系の後継者がいなくなって、二十六代の継体天皇は、越の国出身、大和に入るまで20年もかかった、そして磐井の乱と新羅遠征だ。新羅と磐井が内通していたとも。二十九代の欽明天皇の時、仏教を入れるかどうかで揉める。この間も朝鮮半島では部族の争いが続き、大和政権も巻き込まれる。
三十二代の崇峻天皇は、蘇我馬子に暗殺される。天皇が殺されるのは二人目。三十三代は、初の女帝の推古天皇、聖徳太子と蘇我馬子の三頭体制。外交面では新羅征討したが失敗。小野妹子の遣隋使。
三十五・三十七代皇極・斉明天皇の時代、乙巳の変で、蘇我の蝦夷・入鹿が殺される。まだ土木工事が大好き。そして極め付きは「白村江の戦い」。これで大和政権は朝鮮半島から引いてしまう、逆に唐の来襲に備えるようになる。
三十八代天智天皇、四十代天武天皇と、その皇后が四十一代持統天皇になるが、このへんからは歴史もしっかりしている。飛鳥時代も終わり、奈良時代に移る。
天皇の流れはこんな感じで、古代の天皇は政治権力を持っていたため、結構、殺し合いなどがあり、生々しい歴史だ。
ただ、YouTubeを見ていて感じたのは、朝鮮半島とのかかわり。当時半島には高句麗、新羅、百済、任那(加羅)という国があったが、騙し合い、裏切り、殺し合いなどずっと続いている。日本書記にも、そのトラブルが延々と書かれている。わざわざヤマト政権が面倒なことに関わらなくても、とずっと感じる。
現在も、韓国は憲法の上に国民情緒法? があって、ルールが無視されて、感情のままに動き、無茶苦茶になってる、韓国の大統領は、辞めると刑務所か自殺か、不幸な結果が待ってる。
これは今始まったことじゃない、1,500年前の昔から変わっていない。歴史から見ても、つくづく、日本は半島に関わらない方がいいと思う。繰り返すが、1,500年前の昔から変わっていないんだから。
gooブログからアメーバブログに移行して1ヶ月。ところが、このアメーバブログ、アクセスが全然伸びません、gooの1/5~1/10ほど。もったいないので、gooの最後9月末までは、gooでも更新を続けようと思います。従って、しばらくは、gooとアメーバ、両方で更新していきます。なるべく、アメーバに乗り換えてね。アメーバはこちらです。
近く試験のある国立公園検定1級グループ2の学習を一通り終えた。グループ2は、12の国立公園が対象だ。山岳が8つ、海洋が4つ。一部の国立公園は山岳も海洋もある。
学習はテキスト類はなく、環境省のHPを読み込む。私はその後、ノート1冊にメモをする。ここで知らなかったことを蛍光ペンでマークする。
学習して、ほぼ知らないものがない国立公園は、①富士箱根伊豆、②秩父多摩甲斐、③南アルプス、⑤中部山岳、⑥伊勢志摩、⑦上信越高原、⑧白山、⑨妙高戸隠連山、⑪山陰海岸あたり。
(中部山岳の白馬八方池、鏡のような水面で素晴らしかった)
(南アルプスの北岳・間ノ岳の稜線、日本唯一の3千mの稜線)
南アルプス鳳凰三山の地蔵岳、子授け伝説は、一体の地蔵を持ち帰り、子が授かったら、二体にして返すそうだ。ここに石の地蔵が幾つもあったが、そんな伝説だったのか。
また以前のナショナルパーク検定で対象となった伊勢志摩、山陰海岸はまだ覚えている。
逆によく知らなかったのは、④小笠原:ほとんどの地名は知らない。⑩吉野熊野:大杉谷の8つの大滝、北山川の筏下りなど。⑫大山隠岐:日御碕経島のウミネコ、牛突きの隠岐モーモードーム、アカショウビン(カワセミの仲間) 知らない地名の多い国立公園は行ったことのないところ。④小笠原全部、⑩吉野熊野の一部、⑫大山隠岐の隠岐 まあ、今から行くこともできないし、ここは机上のみで諦めるか。
さて、今回の試験はカメラ監視付きのオンライン、6月11日から19日までの間に受験する。最近の検定試験は、ずいぶん受験しやすくなったね。1級の合格ラインは80%以上と厳しいから、直前まで復習しなきゃ。
天皇の跡継ぎ、女性天皇、女系天皇論が盛んだ。私は、この議論が不思議でしょうない。天皇は男性でないと皇統(血統)が続かない。もしかして、この前提が理解されていないかしれないと思って、ブログを書く。
現代の科学では、男性の染色体はXY、女性の染色体はXXだ。もうわかっている。従って男でないとY染色体は継げない。これが男系の意味だ。
大昔は、染色体なんてわからなかったが、なぜか、飛鳥時代や奈良時代などの人々はこれを知っていて、男系で繋いでいた。男系でない場合は、血統は繋がらない、違う王朝になる。イギリスなどはもう何度も王朝が変わっている。
過去に、男性天皇の跡継ぎがピンチになったときには、遡って探してきた。継体天皇とか、江戸時代にも新井白石が探してきた。そして女性天皇は歴史上7人いるが、夫である天皇が崩御、又は子がまだ小さいときにピンチヒッターで天皇になった。従って、年齢的にもうおばさんで、子供など生めない年齢だったし、生涯独身で過ごした。女性では皇統は繋げないと知っていた。
つまり、万世一系を繋ぐとしたら、血統上、男しか天皇になる意味はないのである。でもなぜか、世間では女性・女系天皇論がやかましい。
もう一つ、天皇の仕事は、国事行為と公的行為、国事行為は憲法で定められた行為、公的行為は、イベントや外国訪問などだ。
そしてもう一つ、私的行為、これには宮中祭祀がある。国家や国民のためにお祈りする、神武天皇に繋がる祖先を敬うのだ。天皇が一人で、夜中にやっているやつだ。これ、違う王朝の子が祭祀をやると、祖先でないものを敬うのだろうか、なんか変、たぶんそういった祭祀はやらないだろう。
ということで、現在のように、血統の繋がる男系男子が少ないなら、旧皇族を復帰させるしかない。旧皇族は、昭和の戦後の時代にGHQの指示で皇族から離脱させられたもの。昭和天皇は、この離脱の時に、いつかまた協力してもうこともあるから、準備しておくように、と言ったそうだ。今、それが実現するかもしれない。旧皇族4宮家の家系には20代以下の未婚の男系男子は少なくとも10人はいるそうだ。
この辺、女性天皇や女系天皇と言ってる方と、意見交換してみたいねえ。
関西万博のついで、同時期に開催中の大阪国宝展を観る。国宝は以前、国宝検定という資格があって、私は初級・上級とも合格した。この検定、1年間国宝について、毎週写真雑誌が出版され、これを1年間読んで学習した。今もこの雑誌は、私の本棚に残ってる。
さて、大阪国宝展、大阪市立美術館だ。会場は、通天閣のそば。
そして出し物はかなり揃ってる。もっとも主要な国宝で初めて見るものはほとんどない。すでにどこかの展覧会で観たものだ。
主なものを上げると、長谷川等伯の楓図、野村仁清の色絵香炉、池大雅の十便図、縄文の火焔型土器、鑑真和上座像、普賢菩薩像、平家納経、信貴山絵巻、古今和歌集などなど。金印は展示期間外だった。
一通り見終わって、会場の上から一枚。この雰囲気は上級の博物館特有のもの、いいねえ。
会場を出ると、今度は、アベノハルカスが眼の前だ。そうか、こんな場所でやるんか。 観られる国宝たちも、本望か。
山の辺の道を歩いた後は、三輪駅から、JR万葉まほろば線(桜井線)に乗って一駅、巻向駅で下車。まずは箸墓(はしはか)古墳へ。この古墳は、三世紀中~後半の最古の前方後円墳で、大和王権の初めの頃、日本書紀のヤマトトヒモモソヒメが祭られている。ということは、卑弥呼の墓か、とも言われている。
実は、学生時代、邪馬台国の書籍(大和説、九州説とも)を何冊も読んで、邪馬台国ファンだった。入社試験時の資料で、趣味:邪馬台国と書いたこともあった。その頃から箸墓は有名で、一度行ってみたいと思っていた。なんと50年経って、実現した。
駅から徒歩15分程かな、箸墓は前方後円墳だ。そのくびれの部分を歩く。
箸墓は、宮内庁の管理で立ち入り禁止だ。発掘できれば、古代史上、物凄い発見があるかしれない。
古墳に参拝する。
濠の部分を歩ける。
さて、お次は纏向遺跡、ここから歩いても、さほどでもない。スマホに位置を教えてもらって進む。
さて到着、意外に狭い。
柱、太いから結構な建物だっただろう。
これが石碑。
この纏向遺跡は、かなり広範囲だ。この赤い部分は、ヤマト王権の中心地だった。ヤマト王権は、三世紀後半にこの地に形成され、四~五世紀には日本列島に君臨する勢力(大和朝廷)になった。
2月に取得した飛鳥検定では、飛鳥時代は、六~八世紀。この王権の発祥は、それより三、四百年は古いか。飛鳥の前の、大和朝廷の前の、ヤマト王権、また新しい知識を得たね。
巻向駅に、辻地区大型建物群を復元した絵がある。すごいなあ。
新聞の広告欄に載っていた、日本伝統文化検定、面白そうなので、テキストを購入。amazonnで翌日届いた。テキストは270頁、結構分厚い。
目次を見ると、ジャンルは、伝統工芸と伝統文化、伝統工芸には、陶磁器・ガラス、金工・木漆工、和紙・染織、建築・庭園・美術。伝統文化には、伝統色・文様、茶道・和菓子・日本茶、食文化・歳時記、芸能と、ずいぶんと幅広い。さっそく、陶磁器とガラス、金工・木漆工を読んで見みたが、まあ理解できる。
この試験は、現在は、2級、3級があって、70%以上が合格。CBT方式だから、受験チャンスも多いだろう。楽しみながら、じっくり学習していこう。まずは、3級から。
孫のお宮参りで小江戸川越へ。土曜日とあって、川越の氷川神社は朝から混んでる。
お祓いをしてもらった時に神主さんから聞いたが、運気は風に影響される。そのため、境内には風を感じられる風鈴や風車が沢山あるそうだ。そうか、そういうことか。
神社の木、榊(サカキ)。実はサカキは関西、ヒサカキは関東に多い。関東では、ヒサカキをサカキと呼んでる。
サカキは全縁(葉っぱにギザギザがない)で冬芽が爪のように出る。一方、ヒサカキは鋸歯(葉っぱがギザギザ)で冬芽は小さい。そしてガスの匂いがするのはヒサカキ。これは、ギザギザのあるヒサカキだ。
そして御朱印、ここの御朱印で、「知恵いづ」と言うのがあった。知恵いづとは、松平信綱、川越藩主、家光に寄り添って幕府を助けた。知恵があることからこう呼ばれた。
それじゃ、買おうとすると、このお札は、月に2回だけ、時間を限って売られているという。ハハ~ン、ブランドを上げる商法か。受験生の親などが買いそうだからね。
最近のおみくじ、釣り竿で吊り上げるもの、芋掘りの鍬で掘り起こすものなど、結構楽しい仕掛けになってる。アイディアが誰が出すんだろう、きっと専門の企業があり、おみくじ部門の従業員が知恵を出してるんだろうね。
さて、昼食を戴く。COEDOビールか。
せっかくだから、菓子屋横丁に寄る。
ここは芋菓子がメインか。
そして、重伝建地区、重伝建とは、重要伝統的建造物保存地区の略。現在は日本で127地区。川越もこれに選ばれて20年以上経過している。
今日は百名城の川越城はパス、日本で数少ない御殿がある城跡。土曜日の今日は、通りは人でいっぱい。特に外国人が目立つ。オーバーツーリズムだよ。日本人で賑やかでないとね。
武蔵松山城のお隣は、吉見百穴(よしみひゃくあな)、国指定の史跡だ。せっかく来たのだからと入場。私は埼玉県人だが、吉見百穴は初めて訪問する。
吉見百穴は、古墳時代の横穴墓だ。付近は凝灰質砂岩と言って掘削しやすい性質。明治時代から、住居か墳墓がと、論争があったらしいが、現在は墳墓で決着している。
穴の数は百穴どころではない、全部で、237基もあるそうだ。戦中は、地下軍需工場になってもいた。
もう一つ、ヒカリゴケというコケがある。穴から覗くと、確かに何やら光っている。
最後に受付で、「御墳印」を見つけた。吉見百穴の御墳印。埼玉県には古墳が多く、県内各地と連携して、御墳印を作っているのだそうだ。もし、気分が変わって、御墳印を集め始めたら、あの時買っておけばよかった、となってしまう。念のため、無駄になってもと、1枚三百円を購入する。
百名山、百名城、鉄印が終わって、次を考えると、まんざらでもないな、御墳印。
宇都宮城、阿武隈急行、飯坂温泉に続き、最後は阿武隈洞だ。この鍾乳洞巡りは、配偶者の趣味。過去、秋芳洞、龍泉洞、龍河洞、玉泉洞などを巡っていて、阿武隈洞は、ほとんど最後の訪問洞だ。
この鍾乳洞は、一般のコースの他にプラスして探検コースを選択できる。探検コースは、孔が低くなっていて、腹ばいに近い状態で進む場所もある。頭も何回かぶつけた。写真もそこそこ写っていたので、紹介する。
この鍾乳洞は、昭和40年代に発見された。周囲はたぶん石灰岩の崖だろう。
コースの案内図。ピンク色の探検コースが面白いというので、追加料金を支払う。洞窟の中は、他に観光客はなく、ほぼ貸し切り状態だった。
さて内部だ。地底湖。
鍾乳石。いいぞ。
広い場所に出た。ライトがカラフル。
石筍というのか、これは凄い高さだ。
リムストーンは、秋芳洞に比べると、ちょっとね。
樹氷にクリスマスツリー。
何とも言えない景色。
鍾乳洞の最後は、ワインの貯蔵庫。
外国人では、台湾の方々が圧倒的だ。
昭和48年の鍾乳洞観光、ものすごい人の列。
この阿武隈洞、なかなかの洞窟探検でした。
しばらく前、大和三山を歩いた。その時の話。天の香具山の麓に牛乳やさんがあった。中に入ると、「蘇」(そ)を売ってる。
これ一度食べて見たかったが、中々売ってるところがなかった。ここで味見した後、1個千円ちょっとで購入。宿に戻って、中身を確認、そして少し食べてみる。
牛乳を煮詰めて作るから、牛乳?チーズ?の味だ。結構、美味しい。ネット販売はしていないようだが、アマゾンでは奈良の別の店でも販売してる。一度試してみたら。
そう言えば、この「蘇」のほかに、似たような食べ物で「醍醐」という食べ物があった。しかし、醍醐は、その味は、今もわからないらしい。醍醐味、なんか蘇に似てるような。
第1次国宝シリーズ第3集「朝護孫子寺信貴山縁起絵巻」1968
大阪城を観た後は、奈良駅前に泊り、翌朝は王寺から朝護孫子寺へ。ここにある信貴山城へと向かう。山全体は朝護孫子寺という大きなお寺だ。まずはここから。このお寺も先週参拝した壷阪寺に負ける劣らず大きい。
入口には大きな張子?の虎だ。去年は阪神のおかげでにぎわったろうな。
ポストまで虎だ。
融通(ゆうずう)さん、あの「融通が利く」の融通さんだ。ここにお参りすると融通が利くようになる。周りにお参りさせたい人もいるかな。
結構大きいお寺だ。
多宝塔。まだ、新しそうだ。
そして、空鉢護法に登っていく。この登山道は、お城と共通だ。
山頂へ。二上山と金剛山が見える。
降りて霊宝館へ、ここにはあの有名な信貴山絵巻がある。日本三大絵巻だ。レプリカだけどね。本物は奈良国立博物館だが、秋の一定期間、それも一部だけしか公開されない、鳥獣戯画と同じだな。
レプリカは、3巻とも展示されていて、じっくりと見ることができる。2巻目の童子が車とともに走る様子。
朝護孫子寺は、起源は聖徳太子まで遡れるが、信長が松永久秀を攻めるときにお寺もやられてしまった。再建は、秀頼。扁額もこの時のもの。
帰りのお土産屋には、虎、虎、虎だ。似たような光景を思い出す。そうか、信楽に行った時の狸、狸、狸によく似てる。さて、明日は、松永久秀の信貴山城です。
飛鳥検定を終えて、帰るまではまだ時間がある。そこでお隣の駅、壺阪山から壷阪寺に参拝。この壺阪寺、ニ三年前、百名城の高取城に行くときに、そばを通った。ずいぶん大きいお寺だな、と思ったくらい。
このお寺は、眼病封じのお寺だ。
巨大な石仏。
多宝塔。
本堂だ。
奈良検定で出て来た、陀羅尼助(だらにすけ)。漢方の胃腸薬だ。
お土産代わりに目薬を。
お里・澤市の浄瑠璃、私、よくは知らないが有名な物語だそうだ。最初のセリフは聞いたことあるけどね。
しかし、このお寺、介護施設などずいぶんと多角経営して成功しているようだ。さあてと、これで飛鳥検定とは、暫く離れる。次のチャレンジは、温泉名人かな。