資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

ほっこり百名湯巡り~鳳来峡にある療養泉、湯谷温泉

2022年02月28日 | 温泉&健康資格とその活用

 登山やお城巡りにつきものの温泉、この温泉記事も、百名山や百名城に合わせて、百名湯シリーズにします。日本には温泉、数多くあるようだから、私の書いた温泉は、「百名湯」とは限りませんので悪しからず。ただし、この湯谷温泉は日本百名湯(日経新聞選)のひとつ。

 ということで、お城巡りの宿は、長篠城からほど近い湯谷温泉。古宮城址と設楽原決戦場、長篠城址、それに湯谷温泉は、奥三河でいずれもほど近く、セットで訪問できる場所だ。

 近くには仏法僧の鳴く、鳳来寺山という山がある。今回はパスだが、一度登ってみたいものだ。そして泊まった宿のそばは鳳来峡、大滝、それに天然記念物の馬の背岩がある。

 お目当ての温泉、分析表には、ナトリウム・カルシウムー塩化物泉(低張性中性温泉)となっている。泉温は34.8℃で、温泉ではあるが、そのまま入浴にはちと冷たい。そこで水は入れずに、加温だけをしている。湯量は豊富なんだが、泉温がやや不足という温泉だ。ほかには、循環ろ過に塩素系薬剤が入ってる。従って、温泉の鮮度はやや落ちるね。

 そして溶存ガス成分は、総計が4.2g/水1kgで、たっぷり。成分のうち20%以上を占めるのは、陽イオンではナトリウムイオン、カルシウムイオン、陰イオンでは塩化物イオンだ。これで、上記の名前が付く、良質の温泉の証、「療養泉」だ。実際、浴槽は、露天、室内とも、温泉成分のせいか、やや濁っている。

 そして泉質は「塩化物泉」だ。平成26年に改定された泉質別の適応症だと、塩化物泉なら、切り傷・末梢循環障害・冷え性・鬱・皮膚乾燥症になる。

 また泉質を一言で表現すると、「温まりの湯」「傷の湯」、「湯冷めしにくい湯」となる。露天から上がっても確かに湯冷めはしにくかった。温泉の中は撮れないので外から一枚撮影。

 日本の温泉旅館は、旅館に入るとすぐに浴衣に着替えられ、すぐに温泉に入れる。そして朝だって浴衣のまま浴場に行き、入浴できる。改めてだが、これはいい。

 都市部のホテルになると、浴衣のままでは食事はとれない、着替えないとレストランには行けない、従って、入浴は寝る前になってしまう。登山やお城巡りでの温泉旅館も、また楽し。

 

 

 

 

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百名城巡り~設楽原と二度目の長篠城

2022年02月27日 | 城郭検定資格とその活用

 新城・古宮城に来たついでに近くの設楽原(したらがはら)による。設楽原は、長篠・設楽原の戦いで有名な場所だ。設楽原歴史資料館に入る。天正3年(1575年)信長・徳川連合軍と武田軍の戦いで、火縄銃の三段撃ちで、武田の騎馬隊を破り、武田滅亡の原因となった、歴史の転換点となった戦いだ。

 資料館には、戦いの屏風や大量の火縄銃が展示されている。

 屋上に登ると、遠くに馬防柵が見える。もちろん復元だろうが。

 そして列車で長篠城駅へ。ここは二度目だが、前回はこんなかわいい駅舎に気が付かなかった。

 そして長篠城へ。昨年来た時は、曇りの天気で薄暗かったが、今回は日も差して明るい。別の場所に来たようだ。お城の石碑が二つ。

 本丸跡の表示に、土塁。

 鳥居強右衛門(とりい・すねえもん)の説明板、表示板が新しい。前回、こんなのあったかな。はりつけの場所は、川の向こうだ。その場所までは回り道して遠いし、前回訪問したから、今回は行かない。

 そして今回のお目当ては、この保存館のスタンプ。百名城スタンプは、スタンプ帳に直接押さないといけないようだ。「別の紙に押したスタンプを貼るのは無効になる場合があります」とスタンプ帳に書いてある。

 途中でこの記述に気がつき、調べると、私のスタンプ帳、百名城では江戸城、続・百名城では大和郡山城がダメだ。スタンプが薄いか逆さまに押したのを別の紙に押して貼ってしまった。江戸城ならいつでも行けるし、奈良もいつでも行けそうだ。という訳で私はまあ問題ない。

 しかし、問題は配偶者だ。配偶者はご丁寧に、複数のお城に紙が貼ってあり、ノリがべったりついて剥がれない。困ったな、百名城押し終わった時点で協会に提出し、様子を見ることにするが、近くまで来て、再訪問できた城は、スタンプ帳の横に押すことにした。

 この長篠城までは遠く、めったには来れない、新城まで来たため、この資料館にスタンプを押しに来たのである。ということで「押印」という作業は終了、資料館の中には入らず、そそくさと今日の宿、湯谷温泉へ。

 

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続・百名城巡り~遠い遠い山奥の城、古宮城

2022年02月26日 | 城郭検定資格とその活用

 愛知の続・百名城、古宮城(ふるみやじょう)。スマホを見るとJR飯田線新城駅から少し離れていたが、タクシーなら早いと、乗車。ところが、行けども行けども辿り着かない。スマホの地図は紙の地図と違って、縮尺の表示がない。そのため大した距離でもないと勘違いしたようだ。

 そして、ようやくスタンプのある場所、作手歴史民俗資料館へ。建物は立派だが、古宮城の資料は少しだけ。その一つ、城郭の模型だ。城に登って分かった、この模型がないと、ただの裏山にしか見えない。

(作手歴史民俗資料館)

(古宮城の模型)

 そして、城の入口、白鳥神社へ。入口に看板があるが、これがないと城とはわからない。

(白鳥神社)

(神社隣にある表示板)

(神社隣の城の登り口)

 まず、城の入口らしく、虎口。登り勾配で主郭の内部が見えないようになってる。

(虎口)

 そして、東曲輪、主郭、主将のいた場所だが、今はただの広場だ。雪が少し残ってる。

(東地区主郭)

 櫓台跡、これも表示板がないと、なんだかわからない。

(東地区櫓台)

 西曲輪と丸馬出。こちらは東曲輪と違って、西から攻めてくる敵の前衛としての場所。ここも表示板がないとわからない。

(西地区主郭)

 大堀切、城を東西に分けてる堀だ。切れてはいるが、今となっては、自然物か人工物かは、判別が難しい。(大堀切)

 遊歩道を北方向に行き、横堀。当時は、その向こうに、水堀があったようだが、今は田んぼだ。築城当時は湿地で、地続きは西側のみ出入りが可能だった。この辺は遊歩道が消えていて、道がわかりにくい。行きつ戻りつ歩く。

(横堀)

 牢屋がある。これで城を一回りした。

(牢屋)

 この城は、武田信玄が三河の攻略のため、元亀3年(1572年)に、馬場信春に命じて作らせた。そして翌年、武田信玄が逝去すると、城主の奥平親子が、徳川に内通・離反し、武田軍と「古宮城の戦い」となった。天正3年(1575年)に長篠の戦いで武田勝頼が敗れると、廃城となった。武田の拠点としていたのはわずか3年ほど。

 山奥でもあったためだろう、曲輪や土塁、堀切、水堀跡がよく残っている。それで、続・百名城に選ばれたんだろう。とにかく、遠い遠い、山奥の城だっだ。貴重な続・百名城のスタンプをゲット、二度は登城しない城のようだね。

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続・百名城巡り~朝日に輝く鉄櫓、吉田城

2022年02月25日 | 城郭検定資格とその活用

 週末は天候不順が続いた。山はダメ、じゃと、お城巡り、新幹線で、愛知・静岡の続・百名城巡りに出掛けた。始発の新幹線に乗って、まずは豊橋の吉田城へ。この街は、珍しく市電が通っている。お城まで、行きは徒歩、帰りは市電に乗る。

 吉田城は、今川義元の時代は今川だったが、徳川に代わり、譜代が城主となっている。北が、豊川に面して天然の要害で、本丸には5つものの櫓があった。そのうち鉄櫓(くろがねやぐら)が復興天守として昭和29年に建てられた。

 市役所の隣、現在は豊橋公園になっている場所が、吉田城。三の丸、二の丸と歩き、本丸へ。食い違い虎口になっている。

 そして、鉄櫓。この櫓は、古文書によると、天守と書かれているものもあるそうだ。内部は現在、資料館だ。朝日に浴びて輝いていて、天守らしい。

 豊川に降りて、川側から鉄櫓を撮影。かつてはここに、川手櫓という建物もあったそうだ。

 明治初期の古写真では、もう鉄櫓はなく、川手櫓、入道櫓があった。

 本丸には、宝永の大地震で壊れるまで、将軍上洛時の宿所にした御殿があった。

 そして、鉄櫓内部に入る。入場無料だ。入口で、続・百名城スタンプをゲット。

 二階には、吉田城の精巧な復元模型がある。

 吉田城には9つも櫓があった。

 そして、東海道五十三次の浮世絵でも、吉田城が描かれている。

 最上階の四階に登る。下に豊川が流れている。

 一点、気になるところ。本丸に入る南側の門の石垣が壊れたままだ。攻城団のメモにも書かれていたが、かなり以前から壊れて、立入禁止のまま。

 豊橋のシンボル、市役所の隣なんだから、早く直さないと、市には金がないことを証明しているようだ。こんなところにも財務省の緊縮財政が影響してるんだろうか。財務真理教にも困ったもんだ。

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ゆっくり百名山~雪中行軍、大霧山

2022年02月24日 | 登山&自然系資格とその活用

 比企三山のうち二座を登っていて、残り一座、そして上信越の山々の展望がいい、と聞き、大霧山へ。東武線小川町駅からバス、橋場バス停で降り、登山開始。しばらく車道を歩き、登山道に到着。ここから山道だ。

 おや、雪が出て来た。自宅は全くないのだが、山は先日降った雪が残っていたか、と気がつく、アイゼンも持ってきてないし、行けるところまで行くか、と登る。

 雪の道を歩き、粥仁田峠に到着。小休止する。

 そしていよいよ急登、雪はだんだん多くなってきた。尾根に差し掛かり、両側の展望も開けてきた。

 山頂近く、20センチ以上の積雪だ。本格的な雪の登りは、登山を初めて、ほぼ初めて。雪中行軍になってきた。そして二度ほど転ぶ。私は、スマホを使うため、指の出た手袋を使っている。そのため、雪で、指が凍るように冷たい。

 そして、山頂に到着。大霧山、標高766m、晴れて、両神山や上信越の山々が展望できる。

 この日は、買ったばかりのバーナーでクッキング、といってもラーメンとコーヒーだけど。結構、時間がかかった。

 そして、旧定峰峠へ向けて、登り降りを繰り返す。まだ雪は深い。

 旧定峰峠から下山する。当初予定は白石峠までだったが、雪深くて時間切れだ。それに道迷いが3回も。

 外秩父七峰縦走の道標がある。行ったことはないが、YouTubeだと、きつそうだ。

 降るにつれて、雪が減ってきた。バス停では全くなくなった。

 白石車庫バス停まで歩く。始発のバスで小川町駅へ。所要5時間、累積標高差750m、ペースは平均ペース。山の高さにしては、結構な雪中行軍でした。

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2月の人財研は「すぐに役立つコーチングスキル」

2022年02月23日 | 診断士活動(研究会)

 2月の人財研のテーマは、「すぐに使えるコーチングスキル」。高橋会員の発表であった。主な内容は、タイプ分け、話を聞くスキル、アクノレッジメント、アサーティブ。中小企業診断士の発表は、理論だけではなく、実践、それもすぐに使えるものが重要だ。その点で「すぐに使える」「スキル」はいいテーマだ。

 タイプ分けにかなりの時間を割いていただいた。アクノレッジメントとは、「承認」だ。そしてアサーティブは「さわやかな自己主張」。

 私も実はコーチングの資格を持ってる。またサラリーマン時代には3つの会社のコーチングを学んだことがある。タイプ分けと聞いて、ははん、コーチエイだと理解する。新しい気づきは、コーチングは、管理者-部下の関係で言うと、どちらかというと、管理者のためのスキルなんだが、発表を聴くと、部下も十分使えるものと、気がつく。

 この日は見学者が2名。活発な議論があり、雰囲気もいい。そして、4月の研究会更新に当たって、会則の改正も話し合う。来月は、アンコンシャス・バイアスの話。最近聞くようになったワードだ。愉しみ。

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四度目のガス消費機器設置工事監督者更新講習

2022年02月22日 | ガス主任技術者資格とその活用

 「ガス消費機器設置工事監督者」の資格更新の講習を行った。この資格は、ガス湯沸器やガス風呂の工事を現場で監督するための資格だ。この資格がない昔は、監督が現場に行かないで工事人だけで工事をやって、ガス事故が発生する可能性があった。これを防止するための資格である。法律では「監督は現場で指示しなければならない」とされている。

 もう四度目の更新になる。今回でもう最後かな、ただ、今年の講習は、会場ではなく自宅でやれと言う。新型コロナの特別措置だ。

 この資格は私にとって、曰くつきだ。昨年の夏、三度目の更新講習の案内が来た。いつも講習は年末から来年のことだからと放っておいた。そろそろ申し込みを、と手に取ると、何と講習の半年前に〆切で、申し込み時期は終わっていた。じゃ、もういいや、と資格更新をあきらめていたら、申し込まないと資格が切れる、定員がある、早くしろ、と催促が何度も来る。しようがない、2月の最終回に申し込んでおいた。

 そして教材が到着。教材を受け取って、よく読むと、DVDを見て、確認問題と理解度テストをやって送ると、終わり。これじゃ、定員なんて、関係ない。しょうもない団体だと思って、DVDを見る。

 そもそもDVDがついてるパソコンなんて、もうあんまり売ってない。私の家は1台DVDが読めるが、最近のパソコンを買ってる人はどうするんだろうか。ところがだ、そのDVDが動かない。ウンともスンとも言わない。

 またまた、しょうがない、分厚いテキストを読みながら、確認問題を解く、よく読まないとわからいものもある。しかし、読んでいるうち、けっこう役立つ内容だ、と感じて来た。

 排気筒は、ガス事業法と建築基準法で定義が違う。法改正があり、長期点検制度で、ガス機器が外れた、給排気方式によって、排気筒の横引きが先上がりと先下がりに分かれる。など、けっこうな知識の補充になった。

 そして最後の理解度チェック、実際の配管図面を見て、悪い点を9箇所指摘せよ、だって、これ難しいな。給排気の実務はやったことないし、テキストひっくり返してるうちに、テキストの後半に理解度チェックと同じ問題が載っていた、なあ~んだ、しょうもない、これ書き写せばいいのか。

 この更新講習、しょうもない、しょうがない、が多い講習でした。これであと3年資格はキープできる、でも、この資格保持はもう最後かな。

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かろうじて温泉だ、養老温泉

2022年02月21日 | 温泉&健康資格とその活用

 お城巡りの後は、養老渓谷の養老温泉へ。明るいうちに養老の滝へ。この滝は粟又の滝というそうだが、別名養老の滝ともいう。養老の滝って、若い頃は会社帰りに、よくこの名の飲み屋に入ったものだが、いまでも養老の滝、あるんだろうか。

(滝つぼへ)

(展望台から)

 そして、宿の温泉に入る。ここの温泉は、温泉分析書が幾つも掲げられている。何かと思い眺めると、ちょっと変わったことが書かれている。「温泉法2条の規定するメタケイ酸の項により、温泉に適合する。ただし、療養泉に該当しないので泉質名は無い」だ。

(宿の温泉の入口)

(温泉分析書の一枚)

 これ良くわからないので、自宅に帰ってから、温泉ソムリエのテキストで確認した。2021年4月版のテキストは458頁もあるため、たぶん書いているだろうと、確認。

〇 まずこの温泉、泉温は、15℃程、泉温は25℃以上、この項目じゃ温泉にはなれない、ダメ。

〇 溶存物質の総量は、0.588mg、これも1g未満でダメだ。こうなったら鉱泉分析法指針7成分と温泉法の19成分とに比較になる。どちらかに一つでも該当すれば温泉になる。

〇 まず、鉱泉分析法指針の7成分と比較するが、引っかかる成分と成分量はない。指針に引っかかると「療養泉」と名がつく。昔からの名泉は皆これだ。これもダメ。

〇 もう一つの判定の温泉法の19成分のうち、唯一、メタケイ酸が63.7mgで、50mg以上の基準に引っかかった。しかし、温泉法の方では、泉質名がつかない。

〇 その代わり、温泉分析書には、判定を書くことになっている。そうかこれで、「温泉には適合するが、泉質名は無いと判定」となる。納得だ。そしてこの温泉は、低張性・弱アルカリ・冷鉱泉となっている。

 なかなか、難しいね。温泉分析書マスターにとっては、歯ごたえのある温泉であった。帰りに頼朝伝説というお土産のお菓子を見かけた。先日鎌倉殿の十三人で、頼朝が石橋山の戦いで負けて、千葉に逃げたシーンがあった。これか。

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鉄印帳を購入、乗り鉄、始めるか

2022年02月20日 | 旅行系資格&世界遺産検定資格とその活用

 お城巡りで、いすみ鉄道に乗った際に、大多喜駅で、鉄印帳を買った。この鉄印帳、全国の第三セクターの鉄道を乗り鉄するようにできている。

 ローカル線の数はナント40もある。全国に散らばっており、九州や四国などが多い、関東地方は少ないな。これは手ごわいぞ。年に2~3個かな。

 まずは、いすみ鉄道をゲットした。さて、いつ頃集まるだろうか、十年以上かかる勘定になる、厳しいね。寺社の御朱印は、死ぬときに棺桶に入れるそうだが、鉄印帳はどうするかな。それより百名城スタンプを入れてほしいね。

 お城巡りや登山に出掛けた際に集める、特に目標は作らない。ゆっくり集めよう。

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続・百名城巡り~五十七戦負け知らず武将の城、大多喜城

2022年02月19日 | 城郭検定資格とその活用

 JR外房線大原駅で乗り換えて、いすみ鉄道へ、一両の電車だ。このいすみ鉄道、いろんな鉄道グッズを売ってる。

(一両のいすみ鉄道)

(いすみ鉄道のお菓子詰め合わせパック)

 そして、お目当ての大多喜駅へ。ここから歩いて、大多喜城に登る。駅を出たらすぐ大手門、復元だ。

(大手門の説明板、門は逆光で撮れなかった)

 お城が見えて来たところで、学校の中に薬医門がある。大多喜城唯一の遺構だそうだ。薬医門とは、門の上に切り妻の立派な屋根がついてる豪華な門だ。

(薬医門とその説明板)

 さらに学校の中だろうか、大井戸がある。

(二の丸大井戸)

 天守台に登る。縄張りの図がある。築城当時は、三方を川・堀に囲まれていた要害だ。

(大多喜城の絵図)

 天守は三層の構造、復元の模擬天守だ。それでも青空に映えて、美しいな。

(青空に映える、大多喜城の天守)

 天守は、一部壊れていて、城内へは入れない。内部は展示室やショップになっているが、休館中だ。休止になったのは最近のようだ。

(工事中と、休止の説明板)

 天守台から見た城下、どの街も、城内には、学校や役所が多い。この街も城内には学校がある。

(天守台から城下を見渡す)

 天守台の塀は復元したようだが、この狭間、これじゃ、低すぎて外の敵に向かって、弓は引けかないよね。観光用とすぐわかる。もうちょっと考えて作ればいいんだが。

(狭間、位置が低く、弓など使えない)

 大多喜城を降りて、大多喜駅へ。天然ガスの資料館がある。おおそうか、ここは天然ガスが取れる土地か。ガス燈もゆらゆら揺れて、明かりがついてるのがわかる。

(大多喜町天然ガス記念館)

(駅前にガス燈が3基)

 資料館のそばにお土産屋があり、ここに続・百名城のスタンプがある。ここでは、1590年に10万石で入城した徳川四天王の一人、「本多忠勝を大河ドラマに」、という署名活動をしている。本多忠勝は、57戦無敗の負け知らず。突破力だ。

(本多忠勝のクリアファイルを買った)

 本多忠勝なら家康が親分、大河ドラマなら、信長、秀吉、明智など戦国のオールキャストが出演できる。いろいろなエピソードも残っているから、いい脚本があれば、大河になるだろう、私も署名をする。

 大多喜は小さな街でしたが、話題が満載のお城巡りでした。今日の宿はもう少し先の養老渓谷だ。

 

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続・百名城巡り~一面銀世界の本佐倉城

2022年02月18日 | 城郭検定資格とその活用

 天気が悪いと登山は行かない、その代わりお城巡りだ。この日は、千葉の本佐倉城へ。前夜、関東にも降雪があり、5センチほど積もっている中、京成大佐倉駅から歩く。10分ほど歩くと、お城らしき丘が見えてきた。しかし、周囲は真っ白だ。

 東光寺ビョウ、お寺の址かと思ったが、ビョウとは出っ張ったところ、の意味。弓型のお城の先端部分だ。そして周囲は一面銀世界。こんな城巡りもいいね。

(大佐倉駅から歩いて最初の遺構、東光寺ビョウ)

(東山虎口から城の正面を望む、今は田んぼだが、昔は海だった)

 田んぼから積雪の中、お城に登る。足跡がいくつかついてる。土塁が高い東山虎口だ。

(東山虎口、昔は門があった)

 そして、城址案内所に入る。できたばかりのピカピカの建物で、お城のことを親切に説明してくれる。長いので時間が少し気になる。城主は千葉氏、秀吉との小田原合戦で北条方についたため、敗戦、廃城になってしまった。

(広い駐車場にある案内所、訪問したときは有人だった)

 驚いたのは、この城の北側は、海(香取の海)だったこと。陸運水運の要所だったそうだ。そして15世紀、百年ほど下総の首府で、賑わったそうだ。

 このお城は、小高い丘に数か所の郭(くるわ)があり、その外を外郭の郭群が取り囲んでいた、惣構えだったそうだ。

(駐車場に設置された石碑、新しい)

(城の全体がわかる看板)

 東山馬場に、城主千葉氏の家紋が書かれた盾が並んでいる。この盾、門を復元するより、費用はかからないが、お城らしい。金をかけないで、当時のお城らしくする、いいアイディアだ。

(斜面一面に、建てられた盾)

 そして大堀切。この城の縄張りは、5つほどの区画になっており、その間は堀切がある。堀切を登って、本丸の城山虎口へ。

(城山と奥の山を分断している大堀切、ここにも門があった)

(城山に登る城山虎口門址、ここにも門があった)

 城山はい一番高い場所、主殿や会所などがあった場所だ。銀世界のため、どこを撮っても同じになる。城山から下を見る、このへんは海や沼だったようだ。

(城山の建物群の址)

(城山の縁から下を望む)

 奥の山、倉址も同じように銀世界、変わり映えしないため、ここで散策は終了。案内所が充実している本佐倉城でした。

(奥の山、隣は倉址)

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三橋経済塾第11期に入塾

2022年02月17日 | ビジネス・経済

 

 

 三橋経済塾第11期に入塾した。ブログ「新世紀のビッグブラザーへ」はもう十年近く前から毎日読んでいるが、経済、特にマクロ経済に話になると、やや弱くなる、難しいのだ。政治に比べて経済は難しい。

 何とかならんかと思っていたが、この塾が見つかった。毎月講演会がある、今はオンラインやVTRも揃っているため、それほど負担にはならない。

 先月は、三橋さんの「貨幣」の講義と岡三証券のチーフエコノミストの方の講演であった。お金は、いつ生まれるか、信じられないかもしれないが、我々が「銀行にお金を借りた」時点で、お金は発生する・・。日銀券は、お金を借りたの借用証書だ、銀行から借りると、個人のバランスシートは、借方に現金という資産と、貸方に借入金という負債が発生する。銀行は、日銀に行って、日銀当座預金と・・続くが、この先はまだよくわからん。でも、これでお金が生まれるそうだ。まだまだ勉強不足。

 それに、財務省はプライマリーバランス(PB)の黒字化を目標にしているが、こんな目標を持っているのは、日本だけ。世界中の政府の財政政策は、インフレなら各種の対策を打ち、デフレなら逆の対策を打ち、国のGDPを増加させる。そしてその余力でプライマリーバランスを考える。これがグローバルスタンダードだ。しかし、日本の財務省は、PB黒字化を第一の目標にしている。デフレ対策や国民が貧乏になってもPB黒字化が優先という。これはおかしい。だから30年も日本は成長しないんだ。

 MMTがどうとか言っているが、そんな話より、財政政策をグローバルスタンダートにするだけで、積極財政に転換できる。分かったのこのくらいかな。

 今月もまた、講演会がある。今月のゲストは、積極財政派で知られる西田昌司議員だ。自民党の積極財政の検討会の委員長をやっている方だ。生講義はプラスして受講料が必要だが,VTRなら年会費でOKだ。寒い中、登山やお城巡りならならともかく、わざわざ出かけることもなかろう。自宅の机上でコーヒーを飲みながらVTRを聴いで勉強しよう。

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ゆっくり百名山~鎌倉アルプスのロングコース

2022年02月16日 | 登山&自然系資格とその活用

 この日はゆっくりの会二度目の参加、京浜東北線港南台駅に集合し、横浜市の自然公園から鎌倉アルプスに入り、江ノ電極楽寺駅までのロングコースだ。参加10名、ほかにガイドさんが2名、所要7時間、距離13.9km、累積標高差は、それでも690mになった。

  

 初めは港南台の街中を歩く、しばらくして円海山、鉄の道と言う尾根道、大丸山を通過。相模湾が右側に見える。天候は午前曇り、午後晴れ、午前は富士山、よく見えない。

 そして、切通しから鎌倉市に入り、天園、大平山に入る、ここで昼食。この辺、昔は茶屋もあって賑わったそうだ。

 建長寺の上からは、鎌倉市内が一望、下には建長寺の建物群が見える。

(建長寺道の道標)

(建長寺)

 建長寺には降りずに、明月院へ。ここで東海道線を渡り、浄智寺、葛原岡神社方面へ、まだ先はある。

(明月院)

(浄智寺、門が中華風だ)

 鎌倉市の道の方が、横浜市よりアルプスらしい登り降りがある。急登やロープ場もある。鎌倉の定番、銭洗い弁天や大仏には寄らずに、アルプスをゴールの極楽寺駅へ。

 9時にスタート、16時にゴールと長丁場だったが、楽しいコースであった。初参加の方が、いつもこんなに楽しい雰囲気なんですか?と質問していた。私も二度目の参加だからよくわからないが、そんな感じだ。

 クラツーのツアーに比べて、楽しい雰囲気だし、参加費用も安いし、なかなか良いツアーでした。

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なばなの里のイルミネーション、検定を思い出す

2022年02月15日 | 旅行系資格&世界遺産検定資格とその活用

 しばらく前に訪問した、三重県の長島温泉、なばなの里のイルミネーションをアップする、何度か見ているか、このイルミネーションはスケールが大きく有名だ。今年のテーマは「雲海」。いろいろな時期やシーンの雲海が見れる。画像をアップしよう。

 実は、このイルミネーション、LEDが普及してから一気に広がったが、検定もできている。夜景観賞士の派生だと思う。数年前に、日経新聞がイルミネーション検定の特集を組んだ時に、私も紙面に登場したこともある。以下は、なばなの里の雲海以外のもの。

 久しぶりに、イルミネーションを堪能した、と言いたいところだが、私はこの日、宿で梅酒を飲み過ぎて、寝てしまった、配偶者が見に行ったが、その写真を貰ったものだ。また見る機会はあるかも。

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百名城巡り~そうかお城だったんだ、吉野ヶ里

2022年02月14日 | 城郭検定資格とその活用

 北九州の百名城巡り、最後は吉野ヶ里遺跡。吉野ヶ里って、お城? 吉野ヶ里は発掘された当初は、弥生時代のこと、平和に暮らしていたんだろうと思われたが、お城の址が出てきて評価が変わってきた。

 吉野ヶ里は広大な敷地だ。行きは歩いて、帰りはバスを使う。城柵に環状集落、物見台は、それぞれ、石垣に、お堀、櫓に相当する。敵がいたんだろうと推定される。そして主祭殿に王の墳墓と、かなりの施設が揃っていた。以下、写真でご紹介。

(吉野ヶ里の入口の城柵、戦国時代で言うと石垣だ)

(敵の侵入を防ぐ逆茂木(さかもぎ))

(物見、戦国時代の櫓だ、これ、吉野ヶ里のシンボルだね)

(城柵に囲まれた家、当時結婚しても男女は別々に暮らしていたようだ)

(環濠、V字の谷、薬研堀になっている、落ちたら登りずらいね)

(葬祭殿、二階には王様、三階には巫女がいる。弥生時代にこんな大きな建物、あったのかな)

(王墓の入口、中はホンモノが展示されている、さきたま古墳にもあったね)

(王墓の中、中国の兵馬俑みたい、空調もしっかりして保存している)

 

 

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