Official髭男dism で TATTOO♪
かっこいい曲だね。カラオケで歌ってみたい。
次にどう展開するのだろう?と思って聴いていると、ところどころにゾクゾクするようなメロディが出て来るなぁ。
今回のお話はOfficial髭男dismとはなんの関係もない。
縄文人と諏訪の話だ。あ、縄文人はタトゥーをしたみたいだけどね。
笛木あみさんの著書「縄文人がなかなか稲作を始めない件(かもがわ出版)」はすごく面白いよ。
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Amazonでもどこでも買えるから、諏訪や八ヶ岳山麓や縄文文化に関心がある方はぜひ購入してみてください。
サクサク読めるように上手く書いてある。笛木さんは考古学者でないので、それが却ってこの本を親しみやすくしている。「・・・な件」ってSNSかよ!とツッコミを入れたくなるようなタイトルだし。
笛木さんによれば、日本列島の歴史はその時間の長さという点で、ほとんどが縄文時代だと言えるらしい。
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それはそうだね(笑)。縄文時代は1万年以上続き、この本のタイトルにあるように、縄文人はなかなかな稲作を開始しない。稲作、つまり弥生時代に転換する前に、縄文人は狩猟と採取を基本にした生活スタイルをあまりに長い期間続けたのである。それだけ縄文時代は心地良い時代だったようだ。地球温暖化現象が大変だと言われている現代よりもさらに当時は温暖で、八ヶ岳山麓においては、動物や植物の食べ物が豊富であって稲作をする必要性が少なく、山麓の人口は当時としては多く、縄文銀座と言える状態だったらしい。
時間の長さで縄文時代とそれ以降(弥生時代以降)を比較すると、後者の時間は短く、アッという間に日本列島は現代を迎えたと言えなくもない。
八ヶ岳山麓は縄文遺跡がいっぱいだ。
加えて八ヶ岳山麓は黒曜石の産地としてたいへん有力な土地であることは、みなさんもご存じでしょう。
鋭く割れる黒曜石は刃物や農具となり、当時貴重な資源だった。
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日本列島で黒曜石が採れる場所は、八ヶ岳山麓以外にもたくさんある。
しかし透明度が高くて美しく、材質的にも優れていた八ヶ岳山麓の黒曜石は、すでに日本列島内各地の相互交流があったこの時代、日本各地で珍重がられたらしい。
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ね、笛木さんのこの本、かなり面白そうでしょ(ぜひ買ってみてくださいね)。
国内各地の縄文遺跡から八ヶ岳山麓産の黒曜石がみつかっている。
我が山荘にも昔から黒曜石が置いてあるよ。
ひとつだけね。
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なかなかキレイなものだ。
たしかに割ったら鋭く割れそう。
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割るなんてことしないけど。
昔私は黒曜石が採れると言われた場所へ行ったのだけれど、どこだかわからなくて、途中でみかけたお土産屋さんでこの黒曜石を購入した。
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たしか600円くらいだったように思う。
もう20年以上前の価格だから、今はもうちょっと高いのかも。
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そうした背景があって、八ヶ岳の西麓にあたる諏訪地域(北から岡谷市、諏訪郡下諏訪町、諏訪市、茅野市、諏訪郡原村、諏訪郡富士見町)は縄文色が濃い。
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特に諏訪大社上社には注目したいなぁ。
諏訪大社は上社(本宮、前宮)と下社(春宮、秋宮)があるが、上社の方が断然荒々しく素朴な印象を与える。
下社はもっと洗練されていて華麗なイメージを私は持っている。
上社は縄文をより多く引きずっているように感じるのだ。
神話になってしまうが、もともとこの土地には土着の神である洩矢神(もりやがみ)がいた。そこへ西の出雲からタケミナカタ(現在の諏訪大社の祭神諏訪大明神)がやって来て、戦いとなり、タケミナカタが勝って、それ以降後者が諏訪大明神として諏訪大社に君臨することとなる。
この洩矢神が諏訪の土着文化であり縄文の象徴なら、西から来たタケミナカタは弥生文化の象徴であるとも言える。
弥生文化は大陸から伝わり、西からこの山麓へ来たはず。
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上社と下社はこの縄文と弥生の異なる性格をそれぞれに受け継いだ部分があるように見える。
祭事になると上社の御頭祭なんて、鹿や猪の頭を供え物にするが、他方下社では米や小豆で粥を炊いたりする。前者は縄文的だが、後者はとても弥生的だ。
先の神様の戦いは洩矢神の負けだったが、それで洩矢神が歴史から消え去るわけではない。それどころか現代まで脈々と残っていて、上社の神事を仕切って来た。
神長官守矢家がそれだ。洩矢も守矢も同じこと。
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まだ行ったことがない人には、ぜひ茅野市の神長官守矢史料館と諏訪大社上社の前宮、本宮を訪れることをお勧めします。
鎌倉にも神社はいっぱいあるが、まあ言ってみれば、新しい。この諏訪地域では神話まで遡るような迫力で神様が存在するように思うのだ。そしてそれが縄文文化にもつながっている。
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ミシャグチ様とは精霊だ。
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こちらは諏訪大社上社前宮。
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前宮は諏訪信仰発祥の地とされ創建年は不詳。
最も縄文的なところだとも言えるね。
かなり傾斜した斜面に広がる前宮。
ここで神事が行われる。
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御頭祭では、農作物の豊穣を祈る(のは弥生文化的だ)ために、ミシャグチ様(精霊)に御供ものをしたのだが、それが鹿や猪の首だったり串刺しにされたウサギだったり・・・。それは極めて縄文的だ。
その神事を代々取り仕切って来た守矢家の史料館では、その様子が展示されている。
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すごい歴史でしょ。
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脈々と。神長官守矢家。
縄文遺跡がこの地域に多いことは一般的に知られている。
諏訪大社は全国の諏訪神社の総元締めであり、諏訪大社が古いことも一般的に知られている。
しかし諏訪のこの地で、縄文と諏訪大社の両者につながりがありそうなことは、広く認識されていないように思う。
原村の阿久交差点。
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この近くに国史跡である巨大な阿久遺跡がある。
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それは巨大な縄文遺跡であるが、何かが見られるわけではない。
地中深く埋もれているからだ。
発掘された土器はこの建物の中に保管されている。
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これも貴重な石なのかね?
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こんなのどかなところだ。
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この説明書きがあるだけ。
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昭和時代、中央道の工事をするのに掘り返したら、石や土器が出るわ出るわ。
中央道の工事を中断して遺跡発掘作業が始まり、遺跡を調査した上で保存して元通り埋められ、さらに盛り土をして遺跡に影響がない形で中央道の工事が行われた。
中央道の諏訪南IC・諏訪IC間を行き交うクルマは、すべてこの巨大な縄文遺跡の上を通り抜けているのだ。
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我々が今立っているのは、上の地図で中央道より上(東)の部分である。
全体の環状集石群からは、北北西の蓼科山(↓)を拝む仕組みになっていたらしい。
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縄文人にも蓼科山は立派に見えたんだろうねえ。
このあたりでひとつだけ独立したように見える山は、蓼科山である。
遺跡では、柱が埋まっていた穴も見られたらしい(↓)。建物があったか、あるいは柱状のモニュメント(日時計だったりする)の跡だね。
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今も御柱なんてのを建てているしね。。。諏訪人って、縄文文化から離れられないのかしら?(笑)
埋め戻されたので、今じゃ見えないけれど、直接見てみたいものだね。
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こちら(↓)が環状集石で、解説にあるとおり、蓼科山方向を向いているそうだ。
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埋め戻されたために見ることが出来ないが、原村の阿久遺跡は巨大なものだったのだ。
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目の前を中央道が通る。
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地中深くに埋め戻された縄文遺跡の上を、ゆっくりと歩いてみましょう。
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誰が削ったのか。おそらくチェーンソー・アートだろうね。
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うさぎ。
しか。
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ふくろう。
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くま。
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八ヶ岳山麓に熊はいないと言われたが、10年ほど前に原村でも何度も目撃された。
最近はそれを聞かない。
縄文時代は八ヶ岳山麓に熊はいたのか?
御頭祭のお供え物には出て来ない(笑)。
いのしし。これは縄文時代にも確実にいたな。
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クリだ。
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縄文時代はクリやトチや山菜など食べ物も豊富だったらしい。
今もクリだらけ。
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遺跡の埋め戻し後、盛り土をしたので中央道は傾斜している。
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左から右へ向かって上り坂だ。
しかしその先では今度は下り坂になる。
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中央道のこのあたりの傾斜にはそれなりに理由があるのだ。
その下に縄文遺跡が眠っているからね。
クリだけではなく、どんぐりも豊富だ。
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直接何が見えるわけではないが、ぼやぁ~んと縄文人を感じる場所。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/ba/d7833a98432a585e45a81e365bf460ed.jpg)
話がどんどん展開したね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/35/d7/3a7183fd9b88f9b74b7c1d61ab4654d3.jpg)
縄文、八ヶ岳山麓、諏訪大社。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/44/e9/c1c955bd6c0584b15403dcbd9bfbb846.jpg)
万年単位で脈々と歴史が繋がる場所。
ただのリゾート地じゃないのよ、八ヶ岳西麓は。
下のQRコードから、英語の解説が聴ける。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/34/a61e438c1a3696da24479024175cbea7.jpg)
この画像にスマホを当ててみてね。
ただし短過ぎてあまりためにならないけど(笑)。
この投稿で紹介した笛木あみさんの著書は、出版社であるかもがわ出版のウェブサイトからも買えるよ。
【つづく】
本の話から、自身の山荘に置いてある黒曜石、山荘近くの縄文遺跡や守矢史料館や前宮に繋がり、それがご自身の経験知識として蓄えられて行くリンクの輪。
縄文にも繋がる諏訪ってやはり濃い地域ですね。私もこの本を買います!
面白いです。リゾート地ってだけじゃないです。八ヶ岳の別荘族の皆さんはそれを認識されてるのだろうか?
いろいろとご存知!
信州で縄文文化が花開いたのですね。
諏訪大社は行った事がありません。
鎌倉は奈良時代から神社やお寺が建てられましたから、諏訪大社の歴史には足もとにも及びませんね。
私がヘナを塗ってもらう美容室さんは縄文時代が大好きで、40代でいらっしゃいますが大学で歴史を学んでいらっしゃいます。
彼女にこの本を紹介してみます。
FM横浜を聞いていたら、この笛木さんがゲストで
出て来て、縄文時代のことを語っておられて、
おもしろそうなので買ってみました。
縄文のお話も面白いのですが、それと八ヶ岳西麓
あるいは諏訪大社との関連が多く、私には
非常に面白い内容でした。
ぜひこの本をお買い求めください。
楽しいですから~
そうなのですよ。この黒曜石は単に置物では
なく、諏訪に山荘があることの証。それは
縄文への思い入れとつながり、良く行く
諏訪大社ともつながります。
八ヶ岳山麓は、縄文時代はとても過ごしやすい
ところだったみたいですね。今より暖かかった1,000m地帯は天国みたいなものらしい。
リゾート地としても、縄文文化的にも
とても楽しいところなのであります。
ヒゲダンにツボっってしまいましたか(笑)
それは良かったです。
これ、いい歌です。なんど聴いても
よく出来ているなあと感心します。
八ヶ岳西麓に通っている方なら、縄文時代に
関心のない方でも、周囲にやたら縄文遺跡が
あるとは気づいていると思います。
非常に温暖だった時代、この1,000m地帯は
狩猟、採取に最適な場所で、おまけにこの
黒曜石が採れる。日本列島のあちこちで
見られる八ヶ岳山麓産の黒曜石。縄文時代
は最先端、最もファッショナブルに文化的な
ところだったのでしょう。
ぜひ諏訪大社と縄文遺跡と守矢家の史料館を
お尋ねください。諏訪大社は上社と下社に
別れて、上社は前宮、本宮、下社は春宮、秋宮
と分かれます。事前に知識を詰め込んで行けば
上社と下社は全然違うことをお感じになると
思います。さらに上社でも前宮と本宮、そして
守矢家の史料館を見て、その向こうにある
縄文を感じてみてください。
あ、そうそう、縄文遺跡は現物は見れないので、
まずは遺跡公園をなんとなく歩き回り、
ぼやーーんと感じて、
さらに博物館に行くことをお勧めします。
https://www.city.chino.lg.jp/site/togariishi/
諏訪と縄文、おもしろいですね。
最初八ヶ岳西麓に通い始めた時、どうして
こんなに縄文遺跡があるんだろうと思いました。
でもおそろしく古くからの先進地域だったの
でしょう。
で、神話や諏訪大社上社。
神事がとっても縄文的です。荒々しいです。
神社の講演会は、絶対無理です。
何もしゃべることがないです~
m(_ _)m
縄文遺跡にもナナちゃんとぜひどうぞ。